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10億円の契約花嫁
過保護な御曹司と秘書の淫靡な結婚

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書籍紹介

敏腕社長に甘い愛で包囲されました

「お堅いおまえがこんなにそそる身体をしているとはな」社長・柊吾の淫靡な眼差しに亜里沙の胸は高鳴る。滾る熱杭を胎の奥底まで埋め込まれ悦楽に酔いしれ……。大好きな男に抱かれるのがこんなに嬉しいなんて。でもこの幸せは一時だけ。実家が経営する旅館が10億円の負債を抱え、望まぬ婚姻が控えている。やりきれない思いでいると「俺と結婚しろ」とプロポーズされ!?

ジャンル:
現代
キャラ属性:
社長・セレブ
シチュエーション:
玉の輿・身分差 | オフィス・職場 | 新婚 | 甘々・溺愛 | お風呂・温泉
登場人物紹介

和泉柊吾(いずみしゅうご)

スーパーゼネコンの和泉建設の御曹司で社長。クールでやり手。以前から惹かれていた秘書の亜里沙に抱いてほしいと頼まれ……。

紺野亜利沙(こんのありさ)

社長秘書。社長である柊吾に秘かな恋心を抱いている。しかし、実家の旅館の負債のせいで望まない見合いをしなければならず……。

立ち読み

 週末の重役フロアは、人気がなく閑散としている。
 しんと静まり返るオフィス内は、社長室だけが煌々と明かりが灯り、部屋の主はいっこうに帰る様子を見せなかった。
『今夜は会食などの予定が入っていないため、溜まっている事務仕事を片付ける』──それが、社長である和泉柊吾の意向だからだ。
 ちらりと時計を見遣ると、亜里沙は小さくため息をついた。
 社長室の扉を隔ててある小さな部屋を仕事場に、社長付きの秘書として三年間柊吾に付き従ってきた。陰となり日向となり、主を支えることは喜びだった。
(でも、それもおしまい)
 亜里沙はデスクの引き出しを開けると、中にしまっていた退職願を手に取った。
 これを書くまでにかなり悩んだ。今の仕事に不満があるわけでも、退職を望んでいるわけでもない。しかし、自分ではどうしようもない状況が、仕事を続けたいという我が儘を許してくれなかった。
(もう決めたことじゃない。未練がましい)
 約半月葛藤し、ようやく出した答えが“退職”だった。それと同時に、ある一大決心をしている。もっともそれが実行されるかどうかは、柊吾次第なのだが。
 竦みそうになる己を叱咤して立ち上がった亜里沙は、社長室の重厚な扉の前に立った。数回深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、震えそうになる手でノックする。
「どうぞ」
「失礼いたします」
 中から柊吾の声が聞こえて扉を開ける。彼は窓を背にしてゆったりと座り、パソコンに向かっていた。もう見慣れているが、一番好きな彼の姿だ。
 切れ長の鋭い目つきに、綺麗に通った鼻筋、薄い唇──柊吾は、誰もが羨む整った容姿を持っていた。それだけではなく、立場に違わぬ堂々とした立ち居振る舞いは、三十四歳という若さながら貫禄すら感じさせる。
 この部屋の主は、生まれながらの王族であるかのようだ。彼がその場にいるだけで背筋が伸びる。この男についていきたいと思わせるオーラがあった。
「ああ、もうこんな時間か」
 柊吾は左手首の時計に目を落とすと、今気づいたというように苦笑する。
「紺野、おまえはもう帰っていい。こんな時間まで付き合わせて悪かったな」
 時刻は午後九時。とうに退勤時間は過ぎている。けれど、こうして彼に付き合って残業するのは今に始まったことではない。この三年の間、柊吾のお目付け役として、自分を顧みず仕事に没頭する彼を何度も諫めたものだ。
(……もっと社長のそばで働きたかったな)
 感傷的になった亜里沙だが、表には出さなかった。内心で冷静になれと念じつつプレジデントデスクの前に立つと、用意してきた退職願をデスクの上に置く。
「突然のご報告になり申し訳ありませんが、今月末で退職させていただきます」
「なに?」
 それまでの表情を一変させた柊吾が、怪訝そうに眉根を寄せた。
「理由は?」
「一身上の都合です」
「……転職か? それとも待遇に不満があるのか?」
「いいえ、どちらも違います。待遇にいっさい不満はありません。できることなら、定年を迎えるまでこの会社でお世話になりたいと思っていました」
「それならなぜだ」
 柊吾の目が亜里沙に据えられる。鋭い眼差しに竦みそうになるも、正面から受け止めた。
 叱責は覚悟のうえだ。三年間世話になっておきながら、特に理由もなく退職願を渡すような真似をしているのだ。逆の立場であれば、亜里沙も困惑するだろう。
「大変申し訳ありません。不義理は承知のうえです。人事にはすでに話を通しておりますので、社内規定違反には該当しません。わたしの退職後の社長付秘書ですが、秘書課室長にお願いしてありますので業務に支障は……」
「そういうことを言っているんじゃないんだが? 俺は」
 艶のある美声はいつもなら聞き惚れているところだが、今は背筋をゾッとさせるほど冷たく響いている。
 彼が求めているのは、“なぜ退職するのか”の理由だ。柊吾への報告は、要点を明確にするのが原則だ。三年間仕えてきて嫌というほど心得ている。だが、それでも本当のことを言うわけにはいかなかった。言ったところで、どうにもならないからだ。
「……おまえが秘書についてからの三年は、いい関係を築けていたと思っている。それは俺の勘違いだったのか?」
「いいえ。社長は未熟なわたしを過分なほどに取り立ててくださいました。感謝しております。……不義理をしてしまい、重ね重ね申し訳ございません」
 頑として退職の理由を告げない亜里沙に、柊吾は大きなため息を吐き出した。
「優秀な秘書を手離すつもりはない。おまえが何か困っているなら力になる。だから、理由を話してくれ」
 柊吾の言葉を聞いた亜里沙は、眼窩の奥が潤むのを感じて顔を伏せた。
 理由も告げず退職しようとしている自分を引き止め、案じてくれている彼のやさしさが嬉しかった。ふたりの間で築かれた信頼感があるからこそ、なんらかの事情で退職を言い出したのだと察しているのだ。
(嬉しい。でも、秘書として認められても、女として求められているわけじゃない)
「ありがとうございます……社長」
 上擦りそうになる声を意志で抑えつけ、亜里沙は礼を言う。“優秀な秘書”と言ってもらえただけで、この三年間が報われた気持ちだ。柊吾の一番近くでサポートすることはもうできないし未練はあるが、仕事を認められたのは幸福だと思える。
(もう充分。だけど……)
 この先二度と我が儘は言わない。一生に一度だけでいい。──そう覚悟を決めるほど叶えたい願いが亜里沙にはあった。
 二十六年の人生で、これほど強く何かを欲したことはない。今後どんな望みも抱くことはないから、今から告げる我が儘を許してほしい。
 亜里沙は誰にともなく祈りを捧げ、目の前の男と視線を合わせる。
「……社長、ひとつだけお願いがあります」
「なんだ? 俺で力になれることならなんでもしよう」
「社長にしかお願いできないことです」
 かすかに震える手を握ることで押さえると、消え入りそうな声で告げた。
「……いて、くれませんか」
「今、なんて言った」
 あまりにも小声で聞こえなかったのか、それとも聞き取った内容が信じられなかったのか、柊吾に問いかけられる。
 亜里沙はありったけの勇気を振り絞り、ふたたび彼に伝えた。
「わたしを……抱いてくれませんか? 社長……」

 

 

 

 和泉建設は、いわゆるスーパーゼネコンと呼ばれる企業のうちの一社である。一八四〇年に創業し、建築・土木事業だけでなく開発事業にも力を入れている。東京のランドマークに挙げられる建築物をはじめ、海外の歴史ある建築物の施工にも携わる歴史ある会社だ。
 紺野亜里沙は、和泉建設代表取締役社長・和泉柊吾の秘書を務めていた。
 肩で揺れる癖のない黒髪に、大きな瞳と長い睫毛。ファンデーションを塗る必要がないくらい白く透き通った肌は、同僚の秘書たちからも羨まれている。清楚系美人、それが他者の亜里沙に対する評価だ。
 とはいえ、本人は周囲の褒め言葉を話し半分に受け取っている。実際、これまでの人生で恋人がいたことがないからだ。学生時代は家業の手伝いに忙しく、社会人になってからは仕事を覚えるのに必死だった。
 その結果、二十六歳になる現在までひとり身なのだが、それでも構わなかった。
 仕事は充実していたし、休日にひとりで過ごすのも苦にならない。目下の趣味はデパートで月に一度開催されている物産展に行くことで、休日になると足繁く通っていた。
 ちなみに今日は、東北の物産展が開かれているデパートを訪れている。通常であれば各ブースを巡って楽しむところだが、現在亜里沙の顔は曇っていた。先ほど久しぶりに、実家の父・洋志から連絡があり、ある事実を知らされたためである。
(経営が厳しいとは聞いていたけど、まさかここまで悪化していたなんて)
 南房総に住む両親は、『紺野屋』という名の老舗旅館を営んでいる。海に近い立地から、夏は海水浴やサーフィンを楽しむ客が、冬は豊富な海の幸と温泉を目当てに訪れる人が多かった。しかし近年では、大手資本のホテルに客足を奪われている。旅館の売りといえるものが乏しいこともあり、経営状態が芳しくないと数年前に聞かされていた。
 それでも、昔から利用してくれている常連客に支えられこれまで営業してきた。四歳違いの弟も実家を継ぐと宣言し、今年の春に大学を卒業してからは接客をするようになった。
 細々と経営していくと弟から言われたこともあってひとまず安心していた亜里沙だが、先ほどかかってきた電話で銀行の融資が打ち切られそうになっていると父から報告された。そこで初めて、実家の窮状が明らかになったのである。
 取引先への支払いや人件費、諸経費が滞っていたところへきて、昨年の大型台風がダメ押しになった。被害を受けた建物の修復費に加え、著しく客足が遠のいたことにより膨れ上がった負債は、およそ十億になるという。
 初めて聞かされた実情に驚くも、父の報告はそれだけではなかった。
(まさか、わたしにお見合いの話があるなんて……)
『紺野屋』の窮状を聞きつけた大手ホテルの跡取り息子が、亜里沙との結婚を条件に融資を申し出てきたという。父から話を聞いた亜里沙は、突然のことに即答できず、ひとまずこの件を保留にしたのだった。
 物産展のブースを眺めながら洋志との会話を思い出し、ため息をついてその場を離れる。いつもなんらかの品を購入するが、とてもそんな気になれなかったのだ。
 デパートを出ると、雨季特有のどんよりとした雲が空一面に垂れ込めていた。まるで今の自分の心を表しているようだと思いながら、最寄りの駅に向けて歩き始める。
(……結婚か。考えなかったわけじゃないけど、現実感が全然ないわ)
 今回の見合い話は、相手方からの強い要望があったようだ。融資の条件はただふたつ。『跡取り息子と結婚』、そして『亜里沙は仕事を辞めて房総で生活すること』だという。半月後に見合いの席を設けるから、ひとまず会ってくれという話だった。
 相手は五十歳を過ぎた独身男性で、一応面識はある。正直、両親と同年代の男を結婚相手として見られないが、実家の窮状を考えればこれほど好条件の融資はない。
 理屈ではわかっている。それなのに、どうしても乗り気になれないのは訳がある。社長の柊吾にひそかに思いを寄せているからだ。
 入社して一年間は前任の社長秘書について業務を学び、二年目の春に社長秘書に抜擢された。前任者のお墨付きがあったことも理由のひとつだが、柊吾が亜里沙の書く文字を気に入ったのだ。いわく、「歴代の秘書の中で一番字が上手い」そうである。加えて、悪筆な彼の文字を初見で解読できたのが亜里沙だけだったため、重用されたようだ。
 それから三年間、誠心誠意仕えてきた。最初は失敗することもあったが、秘書として仕事を認めてもらえたときは嬉しかった。
 最初は上司に対する純粋な尊敬だった気持ちが、徐々に憧れに変化し、恋に発展するようになるまでそう時間はかからなかった。
(でも、社長が私を相手にするはずない。立場が違うもの)
 大企業を統べる社長と一介の秘書では、つり合いが取れない。自分の立場をわかっていた亜里沙は、あくまでも仕事上のパートナーに徹した。恋心が明らかになれば気まずい思いをするのは自分だけではなく柊吾もだ。秘書が主に居心地の悪い思いはさせられないと、ずっと思いを封じ込めてきた。
(……いい機会、なんだろうな)
 実家が窮地に立たされているなら、長女として見過ごすわけにはいかない。見合いの話をした際に、父は「無理はしなくていい」と言ってくれているけれど、話を聞いて無視できるほど薄情ではなかった。
 亜里沙は駅構内のベンチに腰を落ち着けると、携帯を取り出した。実家にコールすると、弟の聡志が電話口に出る。
「もしもし、わたしだけど。お父さんは?」
『姉ちゃん? 父さんはちょっと出てるけど。なんかあったのか?』
 心配そうに尋ねられて苦笑する。実家の窮状を訴えるでもなく姉の心配をするのは、聡志らしいやさしさだ。
「さっきお父さんから連絡があったの。わたしにお見合いの話があるって」
『あー……その件か。気にしないでいいからな、姉ちゃん。もちろん断るだろうけどさ』
「どうして? 融資の条件としては悪くないと思うけど」
『何言ってんだよ! 相手は父さんや母さんと同じくらいの年なんだぜ? それに、融資を条件に結婚を迫るなんて、人の弱みに付け込んでる感じが嫌なんだよ。あんまりいい噂も聞かないしさ……姉ちゃん、自分を犠牲にしようなんて考えなくていいからな』
 聡志は心底、姉を心配していた。むろん両親とてその想いは同じだろう。ただ、自分たちではどうしようもないほど旅館の経営が悪化して、疲弊している。だから、葛藤しつつも亜里沙に連絡をしてきたのだ。
 父母と弟の心情を慮り、感謝した亜里沙は、決意を伝える。
「わたし、お見合いして結婚しようと思う」
『姉ちゃんが家の犠牲になる必要なんかねーよ!』
「犠牲だなんて思ってないよ。今まで充分好きにさせてもらっていたもの。わたしもそろそろ婚活しようかなって思っていたし、ちょうどいいかなって。秘書だっていつまで続けていられるかもわからないから」
 もちろん聡志を安心させるための嘘だ。だが、自分が乗り気だとアピールすれば、家族を心配させずに済む。
(これでいいんだ。わたしが結婚すれば、旅館が潰れることはないんだから)
 今まで旅館を守ってきた両親と弟に、これ以上苦労をかけさせたくない。それに、従業員も経営難だと知れば不安に思うだろう。もし噂にでもなれば、退職する者も出てくるかもしれない。皆、生活がかかっているのだし、そうなれば引き止める術はない。
『……姉ちゃん、本当にいいのかよ。そんな簡単に結婚決めて』
「簡単じゃないよ。だけど、こういうことは思い切りも必要だと思うから。聡志だって、わたしが結婚しないと自分も結婚しづらいんじゃない? ほら、学生時代に付き合ってた子と結婚したいって言ってたじゃない」
『俺のことはいいんだよ! ったく……』
「とにかく、そういうことだから。わたしのことは心配しないで。この機会を逃すと、一生結婚には縁がないかもしれないしね」
 亜里沙はあえて明るく振る舞うと、見合いを引き受けること、そして、会社を辞めることを聡志に伝えたのだった。


 父から見合いの話を聞いた翌日。亜里沙はさっそく行動に移すことにした。
 正直、自分の親と同じ年代の男性との結婚を、悩まなかったわけではない。だが、時間をかければかけるほど状況は悪化する。旅館が潰れてからでは遅いのだ。
 自分に何度も言い聞かせると、出社してすぐに秘書課のドアをノックした。この部屋には、亜里沙の上司で室長の辺見百合子が常駐している。
「失礼いたします。おはようございます、室長」
「おはよう、紺野。どうしたの? いつもよりも早いじゃない」
「室長に、ご相談があってまいりました」
 百合子は今年室長に昇進したばかりだが、頼れる先輩である。仕事で悩んだときは相談に乗ってくれて、ずいぶんと助けてもらった。パンツスーツに身を包み颯爽と歩く彼女は、亜里沙の憧れでもある。ショートカットの髪も、サバサバした性格に合っていた。
「改まってどうしたの? とりあえず掛けなさい」
 応接セットのソファに座るよう促され腰を下ろすと、亜里沙は対面に腰掛けた百合子に話を切り出した。
「……急なことで申し訳ありませんが、退職させていただきたいと思っています」
「退職……? どうしてまた……」
「一身上の都合です」
 ごく一般的な退職の文言を告げた亜里沙に、百合子が怪訝な顔をする。
「まさか、社長にセクハラでもされた?」
「えっ!? どうしてそうなるんですか……! そんなこと、あるわけないです」
 あまりにも予想外のことを言われ、声が裏返った。
 この三年、柊吾は亜里沙を秘書としてしか扱わなかったし、自分もそう振る舞った。性的な発言も行動もいっさいされていない。
 彼の名誉のために力説すると、百合子が「悪かったわ」とあっさり発言を翻す。
「なんの問題もなく仕事をしていたのに、突然退職したいなんて言うから……てっきり、社長と何かあったのかと思ったのよ。それ以外だとすると、家の都合? 確かご実家は旅館を営んでいるんだったわよね」
「……はい。どうしても実家へ戻らなければいけない事情があって」
 素直に認めた亜里沙は、詳細は語らずにそう濁した。そして、なるべく早く帰郷しなければいけないのだと付け加える。
「これから人事にも相談に行くつもりです。社内規定では退職の一カ月前に意志を示さなければいけないんですよね?」
「ええ、それはそうだけど……本当に退職するつもりなの? 事情があるなら休職扱いにだってできるはずよ。まずは社長に相談したほうがいいんじゃないかしら」
「いえ、できれば社長には内密にしていただきたいのです」
 亜里沙の希望に、百合子はさらに訝しげな顔をした。それも当然だ。専属の秘書が退職するのに、一番知らせなければならない人物に内密にするなんてできるはずがない。まして相手は社長だ。秘書が辞めるのなら、早急に後釜を決めなければならない。現に亜里沙は前任の社長秘書の退職に伴い、秘書の業務を引き継いだのだ。
(でも……)
「私事で社長によけいな心配をかけたくないんです」
「だからって……仮に社長に内密で話を進めたとしても、いずれ耳に入るわよ。それに社長だって専属秘書が何も言わずに辞めることを知ったらショックじゃないかしら」
「すべて手続きを終えてから、自分で社長にお話しします。ですから……どうか、お聞き届けいただけないでしょうか」
 立ち上がった亜里沙は、深々と頭を下げた。不義理だとは承知している。本来あってはならないことだ。けれど、柊吾に退職すると伝えれば、理由を尋ねられる。よけいな心配をさせたくないのは本当だが、結婚すると伝えたくないという理由も否定できない。
(もしも笑顔で祝福されたら、さすがにつらいもの)
 しばらく考え込んでいた百合子は、やがて「わかったわ」とため息をついた。
「ひとまず一緒に人事に行きましょう。今なら課長が出社しているはずだから。それと、あなたが辞めることになったら、社長秘書はわたしが務めることになるわ。ほかに適任者もいないし、引き継ぎをするには時間が足りないから」
「わかりました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「室長として当然よ。さあ、行きましょう」
 立ち上がった百合子に続き秘書課を出ると、エレベーターに乗って人事課のある階へ向かう。まだ早い時間とあって人はまばらだが、人事課のフロアは目当ての人物がすでに出勤していた。
「勝木さん、ちょっといいかしら」
 百合子が声をかけると、デスクでコーヒーを飲んでいた男が振り返った。人事課長の勝木令二である。柊吾と同じ年で年齢よりも見た目は若いが、順調にキャリアを重ねて出世街道を歩んでいるエリートである。
 勝木は人好きのする笑みを浮かべると、珍しいと言わんばかりに首を傾げた。
「辺見さんに紺野さん、ふたり揃っておいでとはどうしたんです?」
 椅子の背を軋ませて勝木に問われると、百合子は淡々とした口調で説明する。
「うちの紺野が退職を考えているのでそのご相談を。できれば、社長には内密で進めたいと彼女は希望しているわ」
 百合子の説明を聞いた勝木の顔が、驚きに染まる。亜里沙は心苦しく思いつつ、課長に頭を下げた。
「ご迷惑をおかけすることになりますが、どうかお聞き届けいただけないでしょうか」
「まいったね……何か事情がありそうだけど、聞いたら紺野さんは困る?」
「……申し訳ありません。わたしの我が儘です」
 謝ることしかできずにいると、しばし無言で難しい顔をしていた勝木は、肩を竦めてふたりを見遣った。
「紺野さん、有給はどれくらい残ってる?」
「そうですね……おそらく、半月くらいかと」
「わかった。それなら月末で退職できるよう事務手続きするよ。有給を使い切るとして、残りの勤務はあと半月。それまでに社長に自分で退職の意思を伝えること。いいね」
「はい。ありがとうございます」
(これでもう逃げられない。……お見合いの前に、社長に辞めるって言わないと)
 心の中で決意を固めると、百合子に「先に戻っていなさい」と告げられる。
「では失礼いたします」
 亜里沙はふたりにもう一度頭を下げ、その場を後にするのだった。

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