年下御曹司のよしよしぎゅっぎゅ係になりまして!? 甘え上手なスパダリの執着溺愛が尊すぎる 2
(うわ、昨日は気付かなかったけど、結構鍛えてる? 細身だと思ってたけど……)
着痩せするタイプなのだろうか。
「着替えは……このままでいいか。園田さん、洗顔だけしましょうね。私、携帯用のクレンジングシート持ってるから」
「……」
少しは覚醒したのか、怜がコクリと頷いた。
(されるがままだなあ)
整った顔を丁寧に拭いていく。怜は造作だけではなく肌も綺麗だった。いいものを食べてきた証なのだろう。
(かっこいいというより美形だよね。家族の人たちもこんな感じなのかしら)
「よし、終わり!」
怜をベッドの縁に座らせ、クロゼットから上着を持ってきて着せる。
「園田さーん、部屋出ますよ」
「……」
言葉を認識できるようになったのか、怜はフラフラと立ち上がった。
(これは、このまま帰すのは危険ね)
どこかで完全覚醒させなければ。
「園田さん、一人じゃ危ないから、ほら」
手を繋いで部屋を出ていく。廊下で何人かの宿泊客とすれ違ったが、カップルとでも思われたのか変な目はされなかった。
宿泊料金は前払いですでに怜が支払っていたらしく、チェックアウトはカードキーを返しただけで終わった。
とりあえず隣にあったカフェに入り、クロックムッシュとコーヒーを二人分頼む。
「園田さん、ここ座ってください」
「……うん」
「私、食べ物もらってくるから待っていてくださいね」
「わかった……」
返事があったということは、大分目が覚めたのか。まりあがトレーを手に戻ってきた頃には、しきりに目を瞬かせながら頭を押さえていた。
「園田さん、はい、これ園田さんの分の朝ごはん。適当に頼んじゃったけど、これでよかったですか?」
「……」
目に生気がない。
一口食べれば意識を取り戻せるだろうか。
そういえば昔、留加もまだ眠い時には、ガムだの飴だの何か口に入れていたなと思い出した。噛んでいるうちに頭にかかった眠気の霧が晴れるのだとか。
「園田さん、口開けてください」
「……」
まだぼーっとしている。
「口、開けて? あーん」
怜は言われるがままに口を開けた。
(……やっぱり可愛い。小さな子どもみたい)
世話好き魂がムズムズする。
続いて口元を拭いて、コーヒーを飲ませてやりたくなる衝動を、理性の力でなんとか堪えた。
怜はクロックムッシュをもぐもぐと噛み締め、飲み下すとポツリと呟いた。
「……ここのクロックムッシュ、結構好きかも。チーズ、いいものを使ってる……」
ようやく意識がはっきりしたらしい。
「あっ、よかった。起きました?」
怜ははっとして向かいの席のまりあを凝視した。
カフェに来るまでの出来事を、覚えていないわけではないらしく、「あー……」と額を押さえて宙を仰ぐ。
「ごめん。俺、朝に弱くて。子どもの頃からこうなんだ。体質みたいで」
現在マンションで一人暮らしをしているが、なんとスマホと合わせて目覚まし時計を五個置いているのだとか。
「まず枕元にスマホ、ベッドルームのドアの近くに置き時計を一つ、廊下に距離を置いて二つ、で、洗面所前に一つ……というように、自分で顔を洗うところまで誘導しているんだ」
「……」
怜が置き時計を設置していく様子を想像してみる。美形なだけにちょっと間抜けで可愛くて、ついプッと噴き出してしまった。
が、すぐに我に返って両手をつき、深々と頭を下げる。額がゴリゴリとテーブルに当たったが構わなかった。
「まりあさん、どうしたの?」
どうしたもこうしたもない。
「昨日はもっ、申し訳ございませんでした! どうかクビだけはお許しください!」
「クビ? 何を言って……」
「今クビになったら、私凍死するしか……。何とぞお慈悲を!」
最後は時代劇の直訴もどきになってしまった。
怜は初めは不思議そうな表情をしていたが、やがて真顔に、次いで先ほどのまりあのように笑い出した。
「ま、まりあさん、もしかして昨日の記憶ない? 飲み過ぎた?」
「お酒は弱くないはずなんですけど、色々あって気持ちが病んでたみたいでして……」
しかし、何があろうとセクハラの言い訳にはならない。
青ざめるまりあを前に、怜はまだ笑い続けている。
「ま、まりあさんって真面目だと思ったら大胆で、大胆だと思ったら真面目なんだね。どっちが本当のまりあさん?」
まりあは意味がわらずキョトンとしてしまった。
「じゃあ、段階を踏んで記憶を辿っていこうか。バーで俺と会って、凹んでる俺を慰めてくれたことは覚えてる?」
「は、はい……」
まりあは頬がかっと熱くなるのを感じた。
頭をよしよしするだけならともかく、いくら酒の勢いとはいえ、胸に顔を埋めさせ抱き締めるなど、痴女そのものではないか。
「その後二人でホテル行ったんだよね。変なことはしていないから安心して。で、契約を交わしたわけ」
「け、契約ですか?」
「そう。これね」
怜はスマホをまりあに手渡した。
「えっ……」
画面に表示された文面を見て目を見開く。
「ええっ!?」
契約書の内容はこうだった。
『園田怜(以下、甲)と天地まりあ(以下、乙)は同居するにあたり、下記の内容について契約(以下「本契約」という)を締結する。
1.「よしよしぎゅっぎゅ」係の定義 a.「よしよしぎゅっぎゅ」とは「よしよし」を頭を撫でること、「ぎゅっぎゅ」を力を込めて相手を抱き締める好意を示すものとする。
2.委託業務 委託業務について、次の通りとする。a.乙は「よしよしぎゅっぎゅ」を最低二回、朝と夜行うこととする。
(省略)
4.委託料の支払い a.委託業務に関する委託料は衣食住の提供とする。ただし、場合によっては金銭での支払いあり。
(省略)』
「……」
まりあは顔を上げて目を瞬かせた。
怜が微笑みながら「思い出した?」と尋ねる。
「は、はい……。思い出しました……」
何も考えずに署名してしまったこともしっかりと。
怜は狼狽えるまりあの目を覗き込んだ、
「というわけで、今日中にでもうちに引っ越してきていいよ。俺、もう休みに入っているからなんでも手伝えるし」
「園田さん、ちょ、ちょっと待ってください……」
「まりあさん」
テーブルの上に手を組んでまりあをじっと見つめる。
ブラウンの瞳に自分が映っている。まりあは心臓がトクンと鳴るのを感じた。
「怜くんって呼んで。それから敬語はなしで。それも契約書に書いてあっただろ?」
「……」
「あの、園田さ……」
「――怜くん」
まりあは観念して「……じゃあ、怜くん」と呼んだ。
「冗談……じゃなくて?」
「冗談で契約書まで交わすと思う?」
「……」
「今更やっぱりナシで、なんて駄目だよ?」
子どもに言い聞かせるように優しい口調だった。なのに、なんとなく怖いものを感じる。
(園……怜くんってこんな人だったの?)
仕事の付き合いでは謙虚に見えたのに、プライベートでは子犬のように甘えん坊なのかと思えば、策略家のようでもあり、押しが強いところも見せる。
一体どれが怜の本当の顔なのかわからない。
いずれにせよ、一つだけはっきりしていることがあった。
怜との同居は免れないということだ。
◇ ◇ ◇
――怜と同居を始め、早くも一ヶ月が過ぎた。
まりあは当初はどうなるかとハラハラドキドキしていた。
何せ家賃だけではなく生活費のすべてを負担してもらうのだ。
なお、怜のマンションは治安のいい高級住宅街にあり、父方の祖父から生前贈与されたのだとか。
「せ、せいぜんぞうよされた……?」
生前贈与などリアルでは初めて聞く単語だった。
「俺だけってわけじゃないよ。祖父は孫や曾孫には年齢や男女関係なく皆こうしてる」
「……」
「それって税金たくさんかからないからってこと?」
「かかるけど、そういうこと何も考えない人じゃないから」
もう、一から十まで庶民とは感覚が違っていて慄いた。
こんな状況でよしよしぎゅっぎゅだけで済むはずがない。やはり体を差し出すことになるのでは……と危惧していたし、ある程度覚悟もしていた。
ところが、怜はまりあに本当によしよしぎゅっぎゅ以外は求めなかったのだ。契約書の「対価はよしよしぎゅっぎゅオンリー」という条件をきちんと守るつもりらしい。
(子どもみたいに甘えたいだけなのかな)
今まで付き合ってきた元カレたちにも甘えられたことはあった。しかし、さすがによしよしぎゅっぎゅだけだったことはない。
(どうして……そういえば仕事で落ち込むことがあったみたいだけど……そのせい?)
そんなことを考えながら、チキンカレーの鍋を掻き回す。
「ただいま」と玄関から聞こえてきたのは、それから約五分後の、ちょうどご飯が炊けた頃のことだった。
「お帰りなさ~い」
エプロン姿のまま出迎える。
怜は照れくさそうな笑みを見せた。
「雨に降られちゃってさ。折り畳み傘忘れちゃって、最悪」
怜のブラウンの髪がわずかに濡れている。ステンカラーコートを脱ぐと雫が廊下に一、二滴落ちた。
(水も滴るいい男……って怜くんことを言うんだろうな)
怜は何気ない仕草に品があり、育ちのよさを感じさせる。動きが最初から最後まで丁寧で、若い男性にありがちな大ざっぱさがない。
また、口調はざっくばらんになっても、悪口を言ったり、乱暴な言葉遣いになったりすることもない。
人の美しさとは容姿だけではないのだと感心してしまった。
「丁寧な暮らし」というフレーズを耳にすることがあるが、怜は生き方そのものが丁寧に見える。
(丁寧というよりは、自分にも他人にも気を遣っているというか……)
それが丁寧ということなのかもしれないが、ちょっと違和感があるので首を傾げる。
実家にいる頃からこうした性格だったのだろうか。リラックスできる時間が今まであったのか。
「まりあさん、どうしたの?」
「ううん、なんでもない。もうご飯できてるよ。あ、その前にコートちょうだい? クリーニング出しておくから」
「うん、ありがとう……あれ」
怜は空気の匂いをくんくんと嗅いだ。
「今日のメニューってカレー?」
「そう、チキンカレー。ちゃんとスパイスから作ったの。私の母直伝」
契約書には家事をしろとの要求は書かれていない。
だが、衣食住すべての面倒を見てもらっているのに、よしよしぎゅっぎゅだけしかしないのにはさすがに抵抗があった。
だから、怜はいいと言ってくれているが、なるべく家事はやるようにしているのだ。
「美味しそうだ。っと、その前に」
怜は頭を軽く下げた。よしよしぎゅっぎゅの合図だ。
「今日、ちょっといいことがあったんだ。仕事で部長から褒められた」
以前ミスした分をうまくカバーできただけではなく、新しい契約に繋げられたのだとか。
「えっ、すごい。あ、ちょっと待って」
まりあは洗面所からタオルを取ってくると、怜の濡れた髪をそっと拭いてやった。
怜は軽い笑い声を上げた。
「まりあさん、くすぐったい」
「これからもっとくすぐったいよ?」
今度は手でよしよしと頭を撫でてやる。
「頑張った分、疲れたでしょ?」
「うん、ちょっと」
まりあは怜の頭を胸に抱き締めた。
「今日も頑張ったね」
朝と夜は必ずよしよしぎゅっぎゅすること――この契約を一ヶ月続けているうちに、初めは照れくさかったが今はすっかり慣れてしまった。
というよりは、まりあにとってもなくてはならない習慣になってしまっている。
(やっぱり怜くんって可愛いなあ。癒される)
トイプードルを可愛がっている心境になる。
怜の身長からすれば、トイプードルではなく大型犬なのだろうが、どうも大きいというイメージが湧かない。威圧感がなく物腰が柔らかく、控え目で上品な雰囲気だからか。
「さ、ご飯にしようか。ご飯たくさんよそう?」
「うん、たっぷりがいい」
賢治には「所帯じみた」と言われたエプロン姿も、怜には安心できるだけではなく、新鮮だとのことだった。
「そう? エプロンなんて誰でもしてるでしょ?」
「俺の実家って父は社長だし、母もグループ会社で役職についていて、ずっと家事は家政婦さんに任せていたんだ」
五つ違いだという兄については何も言わなかった。
怜の育った家庭環境から察するに、忙しい両親に構ってもらえず寂しかったのだろうか。
「俺は火傷すると危ないからってキッチンに入れてもらえなかったし、誰かのエプロン姿を見たのってまりあさんが初めてかもしれない」
怜は今まで自炊をしたことがなく、一人暮らしになってからは基本外食かデリバリーなのだとか。
「家政婦さんは雇わないの?」
「家族が一緒にいた時にはよかったけど、俺、神経質なところがあって、一人暮らしの部屋に他人を入れるのには抵抗があるんだ。人をここに泊めたことも一度もないし」
まりあは思わず首を傾げた。
(私も他人だよね?)
まあ、人ではなくよしよしぎゅっぎゅ係ということなのだろう。酔った勢いとはいえ契約書まで交わし、衣食住をすべて世話になっている以上、文句を言うつもりはまったくなかった。
「カレー以外には何かある?」
「マカロニサラダ。卵とチーズ入り。怜くん、チーズ好きでしょ」
「好き。まりあさんの作るサラダの中では一番だ」
本当に、小さな男の子を相手にしているみたいだと思う。それを嫌だと感じないのは、自分が世話好きなのもあるが、怜が甘え上手で可愛げがあるからだ。
(甘やかし甲斐があるってこういうことだよね)
「今夜って怜くんの好きな動物番組あるよね。ご飯終わったら一緒に見ようか」
「……」
怜がなぜか目を細めてまりあを見下ろす。
「どうしたの?」
「……なんでもない。今日昼抜いたから、カレーが楽しみだ」
「え~、ちゃんと食べなきゃダメよ」
「時間がなくてさ」
その後、夕飯も美味しく楽しくいただくことができ、さて、楽しみにしていた動物番組を見ようということになった。