年下御曹司のよしよしぎゅっぎゅ係になりまして!? 甘え上手なスパダリの執着溺愛が尊すぎる 1
「泣きっ面に蜂」、「弱り目に祟り目」、「一難去ってまた一難」――悪い出来事が重なり、連続して起こる状況を表現することわざはいくつもある。
そして、天地まりあはまさにそうしたどん底にいた。しかも、よりによって寒風吹きすさぶ年末にだ。
一時くらいは悲惨な現状を忘れたい――そんな思いで目に入ったバーの客になったものの、ちょっとアルコールを口にしたくらいでは気晴らしにもならない。
「すみません。もう一杯いただけますか。ちょっと強めのものを」
「かしこまりました」
まりあはカウンターに目を落とし、この一週間で起きた不幸を振り返った。
まず、二十五歳から三年近く付き合ってきた彼氏の賢治に振られた。
まりあは郊外の大型ショッピングモール内にある、雑貨店『ラグーンブルー』の店長だ。
賢治はそのショッピングモールの運営会社の社員で、毎日顔を合わせるうちに親しくなり、付き合うようになった。
ところが、新入社員の女の子とデキてしまい、彼女の方が好きになってしまったのだという。
『最近お前って所帯じみてきて、女を感じなくなっていたんだよな。婚約前からレスとかあり得ないだろ。俺たち、この辺が潮時だと思う』
三ヶ月前にようやく結婚の話が出て、今度賢治の両親に会うなんてことにもなっていただけに、知らぬ間に二股をかけられた挙げ句、年のせいで切り捨てられたダメージは大きかった。
(三年も引っ張った挙げ句、三十路間近で捨てるとか、これってもう犯罪じゃない!? あ~、私もどうしてダラダラ付き合ってたんだろう)
二十九歳は何かと悩むお年頃なのである。
とはいえ、ただ振られた、破談になっただけならまだよかった。
一番ショックだったのは、裏で陰口を言われていたことだ。
振られた翌日の昼時、まりあはモール内のファミレスに昼休憩に行った。
そこで運悪くやはり休憩中だった賢治と、彼の後輩が座る後ろの席に案内されてしまったのだ。
二人はまりあに気付かなかった。そして料理が届けられたのと同時に、こんな会話を始めたのだ。
『先輩、彼女と別れたって本当ですか?』
『まあ、何年も付き合ってりゃ飽きるだろ』
『ひっでえなあ。まあ、わかりますけど』
ひどいと言いつつ後輩の口調は楽しげだった。
『で、本当の理由は? というか、他にも別れた理由あるんでしょう』
ガサガサと音がする。賢治が懐から煙草を取り出したのだろう。しかし、モール内は禁煙なのを思い出したのか、チッと舌打ちをして懐に仕舞ったようだ。
『なんというか、本命というか結婚用の女じゃなかったんだよな。いい体はしてたけどさ。逆に体以外に未練ないというか』
『あ~、それわかるかも』
『セフレでキープしとこうかとも思ったけど、ほら、面倒くさいタイプの女っているだろ。特に年取った女はさあ』
年を取った女――その一言がぐさりと胸に刺さった。
『元カノってアラサーだったんですか?』
『ギリギリ二十代』
『賞味期限切れ間近じゃないですか。ちょっと結婚は無理ですよねえ』
まりあは二人のやり取りを思い出し、苦い思いを噛み締めた。
(私と付き合っている間、そんな風に思っていたの?)
更にそれから三日後、つまり三日前に住む場所を失った。
住んでいたマンションがもらい火による火災で全焼。
もちろんまりあの家財道具も全滅。無事だった衣類はその時仕事に着ていったダウンジャケットとセーターとジーンズだけ。
家主が火災保険をかけていたので、店子にも一定額の補償はできるそうだ。
とはいえ、自分にとっては思い出深い使い慣れた品々でも、保険会社にとっては価値のない中古品。微々たる金額にしかならないのは予想できて凹んだ。
だが、差し当たっての問題は家財道具よりも何よりも、年を越すための住まいだった。
年末という時期も時期なため、立地がよく手頃なアパートに空きはない。
やむを得ず勤め先の上司に相談してみると、来年の年度末に退職予定の社員がアパートから引っ越すので、そこを優先的に借りれるよう交渉してくれるという。新しくはないが治安も良く通勤もしやすく、まりあの給料でも無理なく借りられそうだった。
しかし、年度末までの約三ヶ月が問題だった。
この三日間は会社近くのビジネスホテルに宿泊したが、引っ越しまでの仮の宿を見つけ、確保せねばならない。
しかし、近頃はインバウンドの影響かホテルも、ユースホステルも、ウィークリーマンションも、シェアハウスも値上がりが著しい。
家主はやはり新たな住居が決まるまでの宿泊料も払ってくれるそうだが、さすがに三ヶ月分は無理だという。
貯蓄を崩せばなんとかなるかもしれないが、それはなるべく避けたい事態だった。
まりあはカウンターに肘をついて頭を抱えた。
(友だちや同僚に居候を頼もうにも、みんな彼氏と同棲か結婚しちゃってるし……実家では弟夫婦が暮らしているから帰れない。お嫁さんに迷惑かけるなんてあり得ないし)
自分だけが彼氏にも運にも見放されて独り、かつ悲惨な年末なのだと気付いてまた落ち込んでしまう。
(もう、今日だけはパーッと飲むって決めたんでしょう? たくさん飲んで、食べて、英気を養って明日から頑張る!)
そこにちょうど「ピンクレディです」と可愛らしい色のカクテルが置かれる。
まりあはそれを一口飲んでうんと頷いた。
(そうよ。お父さんとお母さんが死んだ時はもっと大変だったじゃない。大丈夫。乗り越えられるわ。落ち込んでいたってなんにもならない)
災難に次から次へと襲われ、にっちもさっちもいかない状況に追いやられたのは、まりあにとって実はこれが初めてではなかった。
十一年前交通事故で両親を揃って亡くし、六歳下の弟留加の面倒を見つつ短大に進学。やはり弟の面倒を見つつ就職し、去年までは大学の授業料も出していた。
なお、その弟は卒業後就職と同時に結婚している。
これまた先を越されたことになるが、弟に関してだけは寂しさよりも、若くしてしっかり者の義妹に託せたことにほっとしていた。
意識を過去から現在に引き戻し、カクテルを飲みながら、突き出しのナッツを摘まむ。
(でも、今日くらいは落ち込んでいいよね……。明日から頑張るから、今日くらいは……)
酔いに任せてもう一杯頼む。
「すみません。マティーニお願いします」
こんな時には隣に誰かいてほしいとふと思う。
人間でなくてもいい。犬でも、猫でも、ハムスターでも。モフモフしていて、温かくて、可愛がれるものが――。
(そんな子のお世話ができれば元気になれるのに)
高校生になってからやたらとデカくなり、ムサ苦しくなるまでは、弟の留加がその対象だった。子どもの頃は本当に可愛かったのだ。
まりあはどうも自分は愛されるよりも愛するタイプ、更に世話焼きなタチらしいと自覚していた。賢治に所帯じみたと言われたのも、そうした性格が災いしたのだろう。
賢治の部屋を訪ねるとつい母親のように料理を作ったり、掃除をしたり、洗濯をしたり、取れたボタンを付け直したりしてしまっていた。
(今思うと鬱陶しかったんだろうな。そういえばバイトの子たちにも、「店長っておせっかいですよ」とか「お母さんみたいです」って言われたことが……。ああ、また落ち込んじゃった)
「あの、スクリュードライバーお願いします」
大分アルコールが回ってきたが、なかなか愉快な気分にはなれない。
ヤケになってどんどんグラスを空ける。
ミルクティベージュ色の肩までの髪はまとめていたのだが、乱れていたのでもう髪留めは取り払ってしまっていた。
何杯目を飲み終えた頃のことだろうか。不意に「天地さん?」と声をかけられた。
「やっぱり天地さんだ」
「はひ、誰れすか~?」
へべれけになって顔を上げ、「あれ~?」と首を傾げる。
酔って視界が曖昧になっていても、そうとわかるほどの端整な顔立ちの男性だった。ブラウンの髪と同じ色の切れ長の目が魅力的だ。
まだ二十代半ばほどだろうに、スーツがサマになっているのは、手足が長くスタイルがいいからだろう。
「あっ」
間もなく思い出した。
「園田さん、お久しぶりれ~す!」
「酔っているんですか?」
「うん、ちょっとね」
「……ちょっとには見えません。相当飲んでいるでしょう」
このイケメンは園田怜――キャラクターグッズで有名な企業ルナルナの、製造委託先の企業ツクヨミのルート営業である。
と言ってもただの社員ではない。ルナルナもツクヨミも大企業の園田グループに属していて、怜はその園田グループ創業家の一族の御曹司である。当年とって二十六歳。
「園田家の男子たるもの現場を知るべし」という家訓にならい、武者修行のためにツクヨミで働いていると聞いたことがあった。
いずれはグループの中核企業に転属するのだろう。
なお、担当地区の雑貨店ではまりあの店の売り上げがトップとのことで、参考にしたいからとしょっちゅう店にやってくる。
当初は恐れ多い相手だと戦々恐々としていたが、さすがに一年も経つと慣れてきて、雑談をするくらいにはなっていた。
「三日ぶりくらいれすよね~?」
「さっき〝こいつ誰だっけ?〟って顔をしていたでしょう。……三日で顔を忘れないでくださいよ。もう何回か飲んだ仲なんですから」
怜はちょっと拗ねた顔をしつつ、隣のスツールに腰を下ろした。
まりあはおやと目を見張った。
(こんな子どもっぽい表情するんだ)
真面目で謙虚なタイプだとは感じていたのだが――。
そう、怜はまりあの想像する御曹司像とはかけ離れていた。
ふと怜に初めて会った日を思い出す。
前任の営業担当から怜を紹介される前、ショッピングモールの運営会社から何度も注意されていた。
『次の担当は園田グループの御曹司です。ラグーンブルーだけではなく、このモール内に取引先のショップがいくつもあります。絶対に機嫌を損ねないよう気を付けてください』と。
どれだけ甘やかされたお坊ちゃまなのか、それとも跪いて靴を舐めろ系の暴君かと戦々恐々としていたのだが、いざ会ってみると予想に反して腰が低かったので驚いた。
まず、真っ先に深々と頭を下げてきた。
『初めてお目にかかります。園田怜と申します。若輩者ですのでご迷惑をおかけするかもしれませんが、その際には遠慮なくおっしゃってください』
まりあが『あ、いえ、そんな……』と慌ててしまうほどの丁寧さだった。
その後近隣のダイニングバーで会食の席を設けた。そこでもまりあがワインを注ごうとすると、『大切な取引先の方にそんな真似をさせるわけには』と、ワインボトルを奪われこちらが逆に注がれてしまったのだ。
まりあは御曹司とは俺様で、カリスマで、後光が差してるものだという偏見があった。
今思うと失礼どころの話ではない。
だから、御曹司の概念を初対面で引っ繰り返されてしまい目を丸くするしかなかった。
いずれにせよ、謙虚であることは美徳なので怜に好感を持った。
「なんらか仕事の時と顔付きが違いますね~」
「そりゃあ違いますよ。今はプライベートの時間ですから」
「プライベート?」
その一言でピンと来た。
「あ~わかった~。彼女さんと待ち合わせれしょ~」
「……彼女とデートするんだったら、天地さんの隣に座りませんよ」
怜の表情がちょっと不機嫌そうになる。
それもそうだ。
「まあまあ、そんな顔しないでくらは~い。一杯奢りますから~」
まりあは自分と同じカクテルをバーテンダーに頼んだ。
「じゃあ、単純に飲みにきたんれすか~?」
「……そうです」
「飲みたくなるようなことがあったとか~?」
怜はしばらく黙り込んでいたが、やがて「そうです」と溜め息を吐いた。
「そんなことを聞くのは天地さんも同じだからですか」
まりあはうんうんと頷いた。
「そ~なんれす~。同じどころか三年付き合った彼氏に振られるわ、火事で家が焼けて住むとこなくなるわでさんざんれすよ~」
「なっ……」
まりあの置かれていたのは予想以上に過酷な境遇だったらしい。怜は切れ長の目を見開いて「火事って大丈夫ですか?」と聞いてきた。
「私が仕事中のことだから怪我はないんれす~。でも、ちょっときつかったれすね~」
「……」
「園田さんは何があったんれすか~?」
「いや、俺の悩みなんて天地さんに比べれば……」
このセリフは聞き捨てならなかった。
まりあはビシッと人差し指を突きつけた。
「それ、いけない!」
「いけない?」
「そう、いけないれす! 悩みに大きいも小さいもないから。というか、抱えているだけで大きなことらから~」
指をそのままに言葉を続ける。
「私でよければ聞きますよ~。絶対に誰にも言いませんし~」
抱え切れないものは一時でもいい。誰かに預けた方がいい。それだけで心が軽くなる。
怜は切れ長の目を瞬かせた。
「天地さんは強いんですね。大変な時なのに俺を心配してくれるなんて」
「強いというか性格ってやつれすね~。で、どんな悩みれすか~?」
「……自分の不甲斐なさに嫌気が差したんです。努力しているつもりなんですが、なかなか目に見える成果が出なくて。人に認められるのって難しいですね」
こんな良家の生まれでイケメンで、いい大学を卒業し、いい企業に勤めて、天に二物も三物も与えられていても悩みがあったのか。
まりあは新鮮な気分になるのと同時に、胸がきゅんとするのを感じた。
(やだ……。この人、なんだか可愛い)
母性本能というか、姉本能というかをグリグリ刺激してくる。
まりあはもしかしてと耳打ちをした。
「あのお、園田さんて弟ですか~? その、お兄さんかお姉さんがいます~? んで、末っ子~?」
「えっ、どうしてわかったんですか。確かに兄がいますが」
「なんとなく~……。うんうん、なるほど~。どおりで~」
怜の子どもの頃はさぞかし可愛かったのだろう。そういえばブラウンの髪はなんとなくトイプードルを連想させる。
「天地さん?」
「……」
気が付くと手を伸ばし、怜の髪に手を埋めていた。
「よ~しよ~し、園田さんは頑張っているね~。偉い、偉い~」
弟が幼い頃にそうしていたように、よしよしと頭を撫でてやる。
怜は初めは目を瞬かせていたが、やがて「そうかな」と自信なさげに呟いた。
「まだ努力が足りないんじゃ……」
まりあは更にこれでもか! というほど頭を撫でた。
「そう言ってる人って限界まで頑張ってる人が多いの~。今の園田さんに必要なものはこれでしょ~?」
怜の体を抱き寄せ、そっとその頭を胸に包み込む。
「ぎゅ~……ってこれ~、昔私の弟によくしていたの~。こうすると泣き止んだのよね~」
「……」
「嫌だったらやめるから言ってね~」
「……いや、まったく嫌じゃない」
「よかった~。じゃあ、もう一回ぎゅ~。頑張ってて偉い! というか、仕事やってるだけでもすごい! ううんん、生きてるだけで快挙だよ~! 人間って難しく考えすぎ~!」
怜が居心地が悪そうにモゾモゾと動く。
「その、天地さん……」
「あっ、苦しかった~? ごめんね~。私Hカップあって、これだけで武器になるとか言われたことがあって~。確かに質量すごいし、これでばいんってぶたれたら痛いかもね~」
「武器って言うのはきっとそういう意味じゃなくて……いや」
怜は今度は自分から胸に顔を埋めてきた。
「よ~しよし、ぎゅ~。元気出た?」
「……もう少しこうしてくれれば」
「いい子、いい子」
「……」
怜の髪は手触りがよく、ずっと撫でていたい思いに駆られる。
(やっぱりそうだ。園田さんって弟系の可愛がられ体質! 癒される~)
それからどれだけの時が過ぎたのか、再び怜がモゾモゾと胸の谷間から顔を出した。
「天地さん……その、店を出ませんか。話したいことがあるんです」
「話したいこと?」
真剣な顔で小さく頷く。
「はい。一つ提案があるんです」
営業の際の商品陳列の提案に似ていたので、ちょっと笑ってしまった。
「いいよ~。でも、まず、その敬語なしね~!」
「いや、でも」
「さっき甘えてる時は自然に話してくれていたじゃない。あれでいいの~!」
その後近くのビジネスホテルの一室に移動した。ベッドに腰掛けて話し合ったのだが、場所を変えて聞いた怜の提案の内容には、酔ったまりあもちょっと驚いてしまった。
「ええ~!? 年度末まで園田さんちに泊めてくれる~!?」
「ああ。その代わりやってほしいことがある。他に何もしなくていいし、衣食住の費用も全部俺が出すから……」
ちなみに、怜の住むマンションは3LDKなので、まりあ専用のベッドルームも用意できるという。
なんという太っ腹。これが御曹司パワーなのかと思うと、怜の背後から後光が差している錯覚がした。
だが、いくらなんでも好条件過ぎないか。
さすがに酔った頭でもそれくらいの分別はある。
「それで、やってほしいことって~?」
首を傾げつつ尋ねる。
すると、怜はおずおずとこう返した。
「……仕事から帰ってきたら、さっきみたいに撫でて、抱き締めてほしい」
「えっ」
さすがに恥ずかしいのか目を逸らしている。シャープなラインを描く頬がちょっと赤くなっていた。
「よく頑張ったね……って言ってほしい」
「……」
まりあはついまじまじと怜を見つめてしまった。
仕事で行き詰まって自信喪失しているのだろうか。
いずれにせよ、まりあの心はもう決まっていた。なぜなら――。
(かっ……可愛すぎるっ……)
ブラウンのトイプードルとしか思えないではないか。それにしてはずいぶん大きいけれど。
衝動に任せてきゅんきゅん疼く胸を叩く。
「承知いたしました~! このまりあ様が園田さんのよしよしぎゅっぎゅ係になってさしあげます~!」
「……本当にいいの?」
「このまりあ様に二言はありませ~ん!」
「……」
怜は懐からスマホを取り出し、すごい勢いで何やら文字を打ち込んでいる。
「天地さんが約束を破るような人じゃないとはわかってるけど念のために……」
そして、画面を見せて「署名してくれる?」と差し出した。
「しょめい~?」
「そう。電子契約書」
「契約書~?」
「ちゃんと契約内容が書いてあるから」
と言われても、視界はぼやけていて、文字をうまく読み取れない。
(う~ん? まあ、いいか。園田さんが変なこと書くはずないし)
まりあは指先で画面を操作した。端から見ると怜だけではない。自分もかなり変なのだとは気付かぬまま――。
スマホを怜に返し、それではと腕を広げる。
「えっと……」
戸惑う怜に優しい微笑みを見せる。
「ほら、またぎゅ~ってしてあげるから。おいで~?」
「……」
怜はおずおずとまりあの胸に顔を埋めた。
「温かくて、柔らかい……」
「ほっとする~?」
「ああ……」
まりあは怜の広い背を撫でながら、この体でよかったとしみじみ思っていた。
小学校高学年の頃からこの部分だけ成長著しく、ジロジロ見られたり、痴漢されたりとあまりいい思い出がない。
男にモテる一要因にはなってくれたが、初めから胸目当てで来られるとさすがに萎えた。お前はおっぱいが主体で人格はおまけなんだと言われている気がして。
先日賢治に言われた『体だけの年を取った女』という悪口が、アルコール漬けになった脳裏をよぎる。
また心がズキンと痛む。
しかし、誰かを癒せる肉のクッションになれるのなら、巨乳に生まれた甲斐もあるというものだ。
(こうして園田さんの役に立てているんだからいいじゃない)
「天地さん……名前、まりあって言ったよね。いい名前だね。ぴったりだ」
怜は顔を上げてじっとまりあを見つめた。ブラウンの瞳はすっかりリラックスしている。気持ちが落ち着いたのか、怜はまりあの鎖骨にコツンと額を当てた。
「……ねえ、俺のこと、怜って呼んでよ。園田さんじゃ他人行儀すぎて嫌だ」
「……!」
拗ねたように甘えられて、胸がまたキュンとする。
「ん~、どうしようかな~?」
怜の髪を撫でながら、ちょっと焦らしてみせる。
「それじゃ怜くんはどう?」
「呼び捨てにしてくれないの?」
「う~ん、私、呼び捨てが苦手なんだよね~。自分もされるのあんまり好きじゃないし~」
怜は「その感覚もわかるかも」と頷いた。
切れ長のブラウンの目がわずかに陰る。
「なんか、軽く扱われているって言うか、蔑ろにされているみたいで……」
「そうそう~。わかってるじゃん~」
「じゃあ、怜くんで。俺もまりあさんって呼んでいい? ……本当はまりあ様って呼びたいくらいだけど」
「いいよ~。怜くんはいい子、いい子~」
まりあは思う存分に怜を撫でくり回した。
(ああ~、癒される~)
トイプードルを甘やかしている心境で、ちっとも恥ずかしいとは思わなかった。
怜をぎゅっぎゅしてる間に眠ってしまい、翌朝ホテルで目覚めるまでは――。
――頭が痛い。
(どうして……ああ、そうだった。昨日バーでたくさん飲んで……)
そこから先の記憶をなかなか思い出せない。
額を押さえつつ体を起こし、何気なく隣を見てぎょっとした。
「えっ……。園田さん!?」
なんと、怜が隣で眠っていたのだ。
「ちょっ、ここどこ……」
どうもビジネスホテルの一室らしい。ヘッドボードに埋め込まれた時計には、土曜日午前五時と表示されている。
怜はスーツの上着を脱いだだけ、自分はセーターとジーンズという格好から、一夜の過ちはなかったらしいとひとまずほっとする。体の感覚も何かされた感じはない。
(じゃあ、どうして園田さんと一緒に――)
そこでしばらく頭を抱えているうちに、昨夜何があったのか、というよりは何をしでかしたのかをはっきりと思い出した。
全身から一瞬で血の気が引いていく。体温が氷点下になった気がした。
「わ、わ、わ、私ったらなんてことを……!」
アルコールで気が大きくなったのに任せ、思い切り怜にセクハラをかましてしまった。
(た、確か頭を撫でただけじゃない。む、胸に顔を突っ込ませたような……)
雑貨店店長としてセクハラ講習は何度か受けたことがある。そこで昨今は頭ポンポンもギルティだと断罪されると聞いたような――。
(頭ポンポンでもダメなのに、胸でぎゅっぎゅとかもうギロチン送りレベルじゃない……!)
脳裏を「クビ」の二文字が過ぎり、冷や汗が背筋に流れ落ちるのを感じた。
(い、今クビになるわけには……!)
さすがに家なし職なしでは生き延びる自信がない。
こうなれば怜に許しを乞うしかない。
幸か不幸かお客様へのクレーム対応と謝罪には慣れている。しかし、果たして取引先の御曹司相手に謝罪だけで済むものだろうか。
(こうなれば……土下座よ……!)
プライドなど最初からない。許してくれるなら文字通りなんでもするつもりだった。
怜が目覚めるのをひたすら待つ。
一時間、二時間、三時間、四時間――なかなか起きない。あと三十分でチェックアウトの時刻になってしまう。
さすがに起こさなければと体を揺すろうとしたその時、切れ長の目が不意に開いてまりあの顔を映し出した。
(うわっ、近くで見ると……やっぱり美形)
濃く長い睫毛や深みのある瞳の色にしばし魅せられてしまう。
だが、すぐにその目がぼんやりしていて、意思が感じられないのに気付いた。
「えーっと、園田さん?」
手を振ってみたが反応はない。
(これはまさか……朝に弱い?)
弟や亡くなった父もそうだった。父などはあまりに起きられないので、キレた母が布団を引っ剥がして叩き起こしていたほどだ。
「もう、仕方ないなあ。園田さん、ほら起きて」
まりあは怜の背をよいしょと抱き起こした。その広さと逞しさにドキリとする。