戻る

年下御曹司のよしよしぎゅっぎゅ係になりまして!? 甘え上手なスパダリの執着溺愛が尊すぎる 3

第三話

 

 ソファに並んで腰掛けテレビをつける。
「今日なんの特集だっけ」
「クマノミって言っていたな」
「あれって一番大きく成長したオスがメスに性転換するんだよね」
「面白い生態だよな」
 CMが入ったタイミングで一息吐き、まりあはポンポンと膝を叩いた。
「怜くん、どうぞ」
「えっ……」
「膝枕。今日は金曜日だから、特別サービスね」
 契約書にはなかったが、たまにはいいだろうと笑う。
「でも……いいの?」
「もう、今更何を言っているの」
 契約書を交わした時には押しの強さすら見せていたのに、こちらから申し出ると遠慮がちになるのがおかしかった。
「じゃあ……」
 怜はソファに横になると、まりあの腿に頭を乗せた。
「今週は頑張ったね。偉い!」
 ブラウンの前髪をよしよしと撫でてやる。
「ありがとう。……膝枕って気持ちいいんだね。すごく柔らかくて暖かい……」
 怜はしばし目を閉じていたが、やがて「まりあさんは何も聞かないんだね」と呟いた。
「聞いてほしいなら聞くよ?」
「そういうわけじゃないけど……。だって、ふつう引くだろ。いい年した男が甘えさせてくれだなんて」
 酔った勢いもあったとはいえ、異常な頼みだったとは、よく理解しているのだと溜め息を吐く。
 まりあは「そんなことないよ」と首を横に振った。
「大人だって甘えたい時はあるでしょう。特に頑張っている人はそうしないと壊れちゃうんじゃない?」
 まりあがよしよしぎゅっぎゅ係になったのは、生活の保障がされるのも大きかったが、怜がそうした精神状態に陥っているのでは……という懸念もあったからだった。
 追い詰められていたから、あのような強硬手段に出たのではないかと。
 そして、まりあはそんな風に弱った存在を放って置けない質だった。
「……」
 怜はまりあの言葉に黙り込んでしまった。
「……どうしてそんなに優しいの? 俺が同じことを頼まれたら、心療内科に行けって説得にかかる自信あるし」
「あはは、そうだね。うーん、なんて言ったらいいのかな」
 まりあはなんとか言語化しようと言葉を探した。
「昔自分がそうしてほしくて、してもらったから。今度は誰かに同じことをしたいというか……。私、家族は弟だけだって言ったでしょう」
「ご両親は事故で亡くなったんだよね。親しい親戚もいないって。すごく心細かっただろう」
「そう。その時弟はまだ小学生で、誰も助けてくれる人がいなくて、私、これからどうすればいいんだろうって不安でたまらなかった」
 CMが終わって動物番組が再開される。
『未成熟のクマノミの中で、一番大きな個体に成熟したオスがメスになります……』
 そんな解説を聞きながら、まりあは「でもあの時、家族の中で一番大人に近かったのは私だったから」とポツリと言った。
「私はお姉ちゃんだから、しっかりしなくちゃって思ったんだよね。お父さんみたいに弟を守って、お母さんみたいに優しく育てようって。私がずっとそうしてもらったんだからって」
「……」
「多分ね、あの時留加がいなければ、私は逆に踏ん張れなかった。潰れて変な道に行っちゃってたんじゃないかな。もともとそんなにメンタル強い方じゃなかったし。自分より弱い者が近くにいたから、大人になれたんだと思う」
「自分より弱い者……」
 怜はなぜか複雑そうな表情になった。
「……じゃあさ」
 怜が不意に目と口を開く。
「まりあさんは辛い時誰に甘えるの?」
 心臓がドキリとした。
「……うーん、考えたことなかったな。それに私、こうして甘やかす方が好きだし、癒されるし」
(賢治に振られたのは、こういうところが鬱陶しかったのかな)
 賢治は「所帯じみた」と表現していた気がする。
 もう未練はないが、心の傷はまだズキズキと痛んだ。それを誤魔化そうとして、くしゃくしゃと怜の髪を掻き回す。
「ぎゅっぎゅもしてほしい?」
「……うん」
 まりあは体を起こした怜の頭を、胸に包み込んで抱き締め、またよしよしと撫でてやった。
「まりあさん、明日は仕事なんだよね」
「土日は書き入れ時だからね、それに、でも、安心して。帰ってきたらすぐによしよしぎゅっぎゅしてあげるから」
「……約束だよ」
 怜の髪はサラサラしていて心地よく、いつまでも指先に絡めていたくなる。
(ちょっと……ヤバいかなあ)
 まりあはふとそう感じた。
 怜とのこうしたやり取りが、なくてはならないものになっている。
 あと二ヶ月で契約満了になる。再び始まる一人暮らし――怜のいない寂しさに耐えられるのだろうか。

 翌日の土曜日、まりあはいつものようにラグーンブルーに出勤し、早番だった派遣社員山本に声をかけた。
「――店長、おはようございます!」
「山本さん、おはよう。セール品の在庫どこまで捌けた?」
「ジュエリーケースKRのスクエア型は午前中で全色売り切れました。ラウンド型はまだそれぞれ三点ほど余ってますね」
「じゃあそれ、前のワゴンに出しておこうか」
「了解です! あっ、それから三十分ほど前、永井主任がPOP渡しにきたんですけど、店長のこと探していましたよ」
「ええ?」
「なんか話があるみたいなことを言っていました」
「話?」
 永井主任とはこのショッピングモールの運営会社の社員であり、昨年三十路間近の自分を振ったギルティな元カレ賢治のことだ。
 仕事ではそれなりに有能らしく、若手のホープとして出世街道をひた走っているのだとか。
 だが、まりあにとっては自分を捨てた男でしかない。ムカつく。忌々しいので個人用の電話もメールもSNSもすべてブロックしている。
 仕事の話なら店内の電話か、山本に伝言すればいいだけなのに、一体なんの用なのだろうか。
「ありがとう。こっちから連絡入れておくから」
 なお、賢治と付き合っていたことは誰にもバレていない。
 以前後輩にまりあの悪口を言っていた時も、名前までは出していなかった。
 賢治は「バレると仕事がやりにくくなるから」と言い訳していたが、今思うと仕事に支障があっては困るからというのと、いつでも後腐れなく別れられる状態にしておきたかったからなのだろう。ムカつく。
 さらに山本から新情報を聞いて最高にムカついた。
「そういえば永井主任って、新入社員の栗原さんと付き合っているんですよね。さっき休憩室で聞いちゃったんですけど」
「えっ、そうなの」
「栗原さんが言いふらしているみたいですよ。ほら、永井主任ってちょっとイケメンでしょ。自慢したいんじゃないかな。もう半年前から付き合っているって聞きましたよ」
 賢治の新カノは関係を暴露することを許されている。つまりは周囲にバレても問題がない相手、本命なのだろう。結婚を考えている可能性もある。
 もう未練などないがコケにされた気分になった。
 半年前から付き合いがあるということは、五ヶ月以上二股をかけられていたということではないか。
(でも、いいもん。私にはよしよしぎゅっぎゅさせてくれる怜くんがいるんだから)
 そう思うと心が解れ、表情筋が緩んでしまった。
(っと、いけない。仕事、仕事!)
 キリリと表情を引き締め、売れ筋商品の在庫をパソコンで確認するため、バックルームに向かう。
 すると、タイミングを見計らったかのように、内線電話の着信音が鳴り響いた。長年の習慣ですぐに受話器を取ってしまう。
「はい、もしもし一階南Cラグーンブルー、店長の天地です」
『もしもし、俺、俺』
 一瞬詐欺の電話かと警戒してしまった。
「……どちら様ですか」
『だから、俺だって。賢治。今時間ある?』
「なんのお話でしょう。セールについてでしょうか」
『いや、そういうことじゃなくてさ』
「私用の電話は内線で禁止されています。運営会社の社員様が率先して社規を破るのは感心できることではないと思いますが」
『お前、相変わらずお堅いなあ』
 馴れ馴れしくお前と呼ばれてカチンと来た。しかし、バックルーム内で声を荒げるわけにもいかない。
『仕事の用件でなければ、もうじき店に出ますので切ります』
「まりあ」
 賢治が何か言う前にさっさと受話器を置く。
 またかかってくるかと警戒していたが、閉店時間を過ぎても賢治からの電話はなかった。

 セールの時期のショッピングモールは、営業時間が一時間延長され、閉店は午後九時になる。
 その夜まりあは店を閉め、警報装置を作動させると、モールの薄暗い廊下を通り抜け、従業員用出入り口のドアを開けた。
 華やかなショッピングモールの裏側は、打ちっぱなしのコンクリート造りになっていて、外気がもろに伝わってきて寒い。
 薄汚れたエレベーターの横側の床には、不要になったPOPや正月の飾りが、段ボールに無造作に投げ込まれて積み上げられている。
 人気(ひとけ)がないと幽霊が出そうなのでちょっと怖い。
(もうこの時間にはさすがに人はいないよね……)
 エレベーターを待つ間に、スマホの画面に目を落とす。すでに午後十時過ぎ。明日の準備をしている間にすっかり遅くなってしまった。
(怜くん、まだ起きてるかな。約束、守りたいんだけどな)
 よしよしぎゅっぎゅとされている時の、怜の顔を思い浮かべると頬が緩む。
 まさか、その表情を陰からじっと見つめ、イライラしている人物がいるとは思いもしなかった。突然「まりあ」と名前を呼ばれるまでは――。
 ぎょっとして辺りを見回す。階段近くから賢治が姿を現した時には、思わず息を呑んでしまった。
「け……永井さん。こんなところで何しているんですか」
 賢治の仕事場は最上階にある経営管理室だ。このエレベーターを使わなくても帰れるはずなのに。
「……今、男と連絡取ってたのか?」
 随分とおかしなことを聞くと眉を顰める。
 若い子とよろしくやっているんだろうに。
「永井さんには関係ないことです」
「関係ないことはないだろ。いや、でも、まあ、お前に新しい男なんてできるはずないよな。もう三十路なんだし誰にも相手にされないだろ」
 さすがにムッとした。ここに金属バットやバールが置いてなくてよかったと思った。
 コンプライアンス違反どころの騒ぎではない、それほど礼を失した一言だった。
 だが、ここで感情的になってはいけない。
「私とあなたは運営会社の社員とテナント店の店長と言うだけです」
 そこにエレベーターが到着し、ドアが開いたが乗らなかった。賢治の様子がどうもおかしいので、一緒に乗り込む羽目になりたくなかったのだ。
 賢治の脇をすり抜け階段で下りようとする。
 すると、賢治は数歩後ろからついてきた。
(何、なんなの)
 さすがに怖くなって足を速める。
 ここは三階なので時間はかからないとは思うが、いつでも通報ができるよう、ポケットの中のスマホをぎゅっと握り締めた。
 賢治は階段を下りながら、「俺の今の彼女ってさあ」と、脈絡なく話を切り出した。
「顔は可愛いんだけど、ちょっと我が儘なんだよな。それでちょっと疲れちゃって。胸も小さいからそそられない。だから、エッチもあんまり盛り上がらなくてさ」
「……」
 神経を疑う発言だった。
 元カノに新カノとの性生活を打ち明けるなどあり得ない。しかも、女性の体の特徴をペラペラ暴露するだなんて。
 すでに別れたどうでもいい女だからこそ、本性を見せても構わないと思ったのか。
 反吐が出そうだった。
「聞かなかったことにします」と言ってやる気もしなかった。
 ひたすら無視を貫く。
「……何か言うことないのかよ」
 一体なんと言ってほしいのか。薄々察しがついたが、その言葉を口にする気は一切なかった。慰み者になるなど冗談ではない。
(年を取った重い女なんか冗談じゃないんじゃなかったの?)
 ようやく一階に辿り着く。
 賢治は痺れを切らしたのか、まりあがドアを開ける前に、ぐいと背後から腕を掴んできた。
「俺を無視するなよ!」
「ちょっ……離して!」
 まりあは思わず声を上げた。
 賢治はまずいと感じたのか、慌ててまりあを抱き寄せ、手で口を塞ぐ。
「んんっ……」
「どうせ男に飢えてるんだろ? マチアプするくらいだったら俺が抱いてやるって。やっぱりお前の体が一番なんだよ」
 まったく嬉しくないどころか、全身に鳥肌が立った。
 体が恐怖で強張って動かない。
(誰か……!)
 次の瞬間ドアがバタンと開き、馴染みの守衛のおじさんが現れなければ、どうなっていただろうか。
「おい、そこで何をしているんだ」
 賢治は慌ててまりあを解放した。
「ラグーンブルーの天地さんじゃないか。そっちは……。……。経営管理室の永井主任ですよね」
 まりあの目に涙が溜まっていたからか、守衛のおじさんは何かあったとすぐに察したらしい。声を荒らげる。
「ちょっと、こっち来てください」
 賢治が慌てて言い訳をする。
「ああ、いや。階段を下りながら話をしていたんですが、天地さんが階段から落ちそうになって咄嗟に腕を掴んだら、抱きかかえる姿勢になってしまったんです」
「……」
 守衛のおじさんが疑わしげにまりあに視線を送る。
 まりあは本当は嘘だと訴え、先ほど迫られたことを打ち明けたかった。それほど恐ろしかったのだ。
 だが、できなかった。
 このショッピングモールでのラグーンブルーの売り上げは大きい。郊外にしては立地がよいので都内の客を取り込みやすいのだ。
 テナント契約を募った時には、数多くの他店から申し込みがあったとか。ラグーンブルーの社長本人が直に交渉し、なんとか話をまとめたと聞いている。
 ラグーンブルーはまだ新しい企業で、最近ようやく軌道に乗ったところである。
 ここで自分が賢治と――運営会社の社員ともめごとを起こし、ショッピングモールを追い出される口実になってしまっては大変だ。
 だから、口を噤むしかなかった。
「……そのとおりです。お騒がせして申し訳ございません」
 まりあは守衛のおじさんに深々と頭を下げた。
「だったらいいけど……。二人ともあんまり遅くならないようにしてくださいよ」
 賢治はさすがに気まずかったのか、その後は守衛のおじさんが目を光らせる中、そそくさと帰ってしまった。
「天地さん、本当に大丈夫だったのかい」
「はい。お騒がせしてすみません」
 まりあは守衛のおじさんに礼を述べ、震える足を叱咤して駅に向かった。
 途中、賢治に尾行されていないか、何度も振り返ってしまった。
(あれくらいのことで……)
 抱きすくめられ、口を塞がれただけで、殴られたわけでもない。
 だが、暴力を振るわれそうになったことで、怖くて心が傷付いてズキズキと痛かった。
(いい年をした女が情けない……)
 両親の事故死を死に物狂いで乗り越え、弟を社会に送り出し、自立して力強く生きているつもりだった。それが実は男一人の暴力で呆気なく崩れ落ちる、砂上の楼閣のように脆いものだったとは。
 ようやく電車に乗り込んだところで、ずっとスマホを握り締めていたことにふと気付く。
 のろのろと画面に目を落とすと、SNSにメッセージが届いていた。怜からだった。
『今日遅いね。大丈夫? 何かあった?』
 怜には今日の午後九時半には帰ると言っていたのを思い出す。
『心配かけてごめんね。もう十五分ほどで帰るから』
 返信しようとしたのに、指先が震えてうまく操作できない。
 そうこうするうちに最寄り駅に到着し、乗客たちに押し出されるようにしてまりあも電車を降りた。
 同時に、スマホから着信音が鳴り響く。怜からだった。
「はい。もしもし……」
『まりあさん? 急に電話してごめん。なかなか帰ってこないから心配になって』
「……」
『まりあさん?』
 怜の声を聞いているだけで、次第に心が落ち着いていく。
『どうしたの? 大丈夫?』
「……なんでもない。ありがとう」
『……?』
 なぜ礼を言われたのか、怜はさっぱりわからないだろう。今頃首を傾げているに違いない。
 それがおかしくてつい笑ってしまった。
「もう駅に着いたからあと五分待っていて」
 先ほどまで震えていた足が、今はしっかりと道路を踏み締めている。
(やっぱり怜くんの癒し効果ってすごい)
 早く家に帰ってよしよしぎゅっぎゅをしたかった。

 

 


------
ご愛読ありがとうございました!
この続きは9月25日発売のe-オパール『年下御曹司のよしよしぎゅっぎゅ係になりまして!? 甘え上手なスパダリの執着溺愛が尊すぎる』でお楽しみください!