嘘婚クルーズ 政略結婚のはずが、過保護な御曹司が甘く蕩ける愛を捧げてきます 2
「すまなかった、さくら!」
その夜、なぜか父の和成に謝られた。
夕食のあとに両親の部屋に呼ばれたのだ。おそらく結婚についての話をされるのだろうと覚悟して足を運んだ。
なんといっても、例の御曹司は明日早々に迎えにくるらしい。ということは、さくらは明日から見知らぬ家で暮らすことになる。
結婚前に両親と過ごせるのは、これが最後かもしれない。
そんな気持ちで少しだけしんみりしていたというのに……いきなりの謝罪である。
「なぜ……お父様が謝るのです?」
当然の質問だ。
だが父は、両手を畳につき、頭を深く深く下げている。
──二十年間生きてきて、親に土下座をされる日がくるとは……。
「おまえが嫁に行く必要はないと思ったのだ。しかし口出しできなかった。葉山様と父上の話があまりにも弾んでいて……」
「口出し? お父様、その場にいらっしゃったのですか?」
「一緒に話を聞いていた。まさか、さくらを嫁にやる話になるとは思わなかった」
祖父の話に、父の存在は皆無だった。おそらく祖父は同席している父の存在など気にも留めてはいなかったのだろう。
村の救い手が現れたと歓喜し、調子にのって結婚話を勧め、いい絆が結べたと天にも昇る心地になっていたに違いない。
「葉山様の申し出は好条件だったし、言われるままに受け入れてもなんの問題もない。さくらを差し出す必要などなかったのに。すまない、さくらぁ」
父はとうとう泣き出してしまった。娘に対する申し訳なさなのか、嫁入りの話を止められなかった己の不甲斐なさなのか、最初から最後まで祖父に空気扱いされていた虚しさなのか……。
おそらく全部だ。
頑固で豪快な祖父は、いわば村の王様だ。そんな祖父に振り回されて育った和成は、祖父に似るどころか、とばっちりを喰わないよう陰にかくれるように成長してしまった。
心が病んでしまってもおかしくはない環境だ。しかしそんな彼を救った存在がある。
「決まってしまったものを嘆いても仕方がないのです。ここからどうするかを考えるべきですよ、和成さん」
芯の通ったひと言を発してさくらの横に座ったのは、母の小夜子である。
気が強いというのとは違う、心身ともに気丈な女性で気配りもできれば頭もいい。そして、目を瞠る美人だ。
父より年上で姉さん女房なのだが、どう見ても年下にしか見えない童顔である。さくらも年齢よりは幼く見られるので、小夜子に似たのだろう。
村内結婚がほとんどのこの村で、小夜子は村の外から迎えた女性だ。
二十年以上前、また村が裕福だったころ、村のイベントで和成が骨折をする大怪我をした。都会の病院へ運ばれ、そこで研修医だった小夜子と出会ったのだ。
大恋愛の末、なんと小夜子は僻地医療に従事したいと和成と結婚し村の医者となった。
小さな村に医者がいる。これほどありがたいことはない。
祖父や祖母もそれがわかっているので、よそ者であっても過剰な嫌味は言わないし嫌った態度はとらない。
さくらが村の学校ではなく、私立の小中高と通えたのは母のおかげだ。
『名家の子女ともなれば、学がなくてはいいお家にお嫁になど行けませんよ。かわいければ女は馬鹿でいい、という時代ではないのです』
ストレートで医大を卒業し医者となった母の言葉は強かった。
さらに女子短大までいかせてもらえた。母には本当に感謝である。
そんな小夜子は、和成の心の支えでもある。
「しかし小夜ちゃん……さくらが不憫で……」
「不憫かどうかは、お相手を見極めてから決めるべきです。もしかしたら素晴らしい男性かもしれません。和成さんはお会いになったのでしょう?」
母の言葉が正しすぎて、父は出る言葉もない。頭を上げて居住まいを正すと、母が運んできた湯呑みに手を伸ばした。
「……すごく、いい青年だった。礼儀正しくて、頭も切れる。……あと、すっごく綺麗な顔をしていた……」
「素晴らしい第一印象ではないですか。それならあとは、さくらが判断すればいいのでは? はい、さくら、お土産のロールケーキですよ」
座卓の上に置かれたロールケーキに、背筋がピンッと伸びテンションも上がる。
「わっ、フルーツロールじゃないですかっ、美味しそう~!」
「新薬のお話を聞きに出かけていたのです。お勧めされた洋菓子店、とてもたくさん種類があって迷いました。今度一緒に行きましょう」
「はいっ」
フォークを受け取りながら元気に返事をするものの、「今度」はいつになるのだろう。このまま結婚ということになって、村から出てしまえばなかなか両親とも会えなくなるのに。
……とはいえ、小夜子は仕事柄、フットワーク軽く近隣の県や都心にも出かけていくので、意外に近い未来なのかもしれない。
「ご本人の写真くらいは見せてもらえましたか? さくらから見て第一印象はどうでした? お父様の評価はよいようですよ。すっごく綺麗なお顔だそうです」
「写真……」
そんなものがあったのだろうか。話しかされていない。
フォークを持ったまま無言になると、それを悟った小夜子が和成を見る。一瞬固まった和成だったが、湯呑みを置き、おずおずと切りだした。
「……写真は……ないんだ。ほら、急に決まったし、向こうだって、見合い写真を持って歩いているわけじゃないだろう」
「ではせめて、写真を撮らせてもらいましたか?」
「……撮って、ない」
「さくらは、まったく情報がない状態で、先方の手を取らねばならないということですね」
「……申し訳ない」
ハアッと諦めの息を吐いたあと、小夜子は和成の前にもロールケーキを置く。
「撮ろうとしてもお義父様が『そんなものは必要ない』と止めたでしょうし。仕方がないですね」
家の事情をよく把握して判断してくれるので、父が情けない状態になっても母が父を責めることはない。
平和な、かかあ天下である。
そんな両親を見ながらロールケーキをひと口。ふわふわのスポンジに白いクリームの甘さがたまらない。
(美味しー、しあわせー)
「お嫁に行くときくらい、孫娘が不安にならないように情報を整えてあげるとかできないものかしら」
母としての愚痴は、絶対にさくらの味方だ。なにもわからないままの結婚にはさくらも物申したい気持ちがあるので、一枚かむ。
「ご自分が好きなようにしても文句を言われることはないと思っていますからね。わたしがいやがってるとか不安に思ってるとか微塵も考えていませんよ。いっそ、向こう様が迎えに来るときに私がいなくなって困るくらいの経験をしないと、わからないんじゃないですか?」
「あら? いいわね、それ」
中央に巻かれたフルーツを口に入れようとした手が止まる。己の妙案に、ぱああっと思考に光が射した。
同意した母と顔を見合わせ、うなずきあう。
「それだ」
声が重なる。わけがわからない顔をしているのは和成だけ。
そして、【さくら、ちょっといなくなってみよう計画】という名のプチ家出が、決行されることになったのである。
桜花護村は小さな村だ。
ゆえに結束力があると言えば聞こえはいいが、村の掟に縛られすぎているところがある。
苗字からもわかるように、桜花護家は村一の権力を持つ一族。戦国の時代、逃げ延びた大名家の生き残りが臣下たちとともに身をひそめたのが村のはじまりだという。
世が世なら、さくらは大名家のお姫様だ。
古式ゆかしい風習は、この村では生きている。現にさくらは村人から「さくら姫」と呼ばれ、そんな親から教育された子どもたちからまで「ひめさま」と言われる。
村にあるたったひとつの学校は小中を兼ね、卒業すると女の子は桜花護家に女中として奉公に入る。男子は家業を手伝うものがほとんど。村から高校へ通う子はほぼいない。
前例がないわけではないが、村以外の環境に染まった子は、たいてい村を出ていった。
──それを知っているから、親は高校へ通うことを良しとしないのだ。
そんななか、短大まで行けたさくらは本当に恵まれている。車で片道二時間というハードなものではあったが、小学校からそんな生活だったので、いつの間にかすっかり慣れてしまっていた。
──村以外の空気に触れれば触れるほど、この村がどれだけ閉鎖的か、時代に合っていないか、学んだような気がする。
だからといって、村が嫌いなわけではない。
広大な自然と桜に囲まれた桜花護村が、子どものころから庭のように駆け回った桜トンネルが、さくらは大好きだ。
そしてひときわ大きく一番古いとされるご神木は、さくら憩いの場所なのである。
「いい天気……」
──翌日の昼下がり、さくらはご神木の根元に腰を下ろし、ぼんやりと空を見上げていた。
正直なところ空などは見えない。見えるのは桜と、花の隙間から射しこむ陽の光だけ。
ご神木に守られた桜の森、森の中央に通る一本道は桜トンネルと呼ばれ、村の観光名所だ。
空まで覆ってしまうほどの桜の群生。桜トンネルを歩いているときに振り返ってはいけない、前後左右上下まで桜に囲まれた錯覚に陥り、正気を失ってしまうといわれているから。
数年前までは、そんな、ちょっとミステリアスなキャッチに誘われて観光客が押しかけたものだが、今はさっぱりだ。
桜の季節だというのに、めったに観光客を見かけなくなった。
観光客はいるのだ。桜も見てもらえている。ただし、リゾートホテルの窓から。
今では、広大な桜の群生が望める、というのもホテル側のウリのひとつになっているようだ。
「長閑だなぁ……」
静かであたたかい。ついウトウトとしてしまいそう。
今日のことが気になって、昨夜はよく眠れなかった。ぼんやりしにきただけなら少し眠ってしまってもいいかなと思うが、今日は目的があるのでそうもいかない。
昨夜母と示し合わせたとおり、さくらは今“プチ家出中”なのである。
朝、少し考えたいことがある、と書き置きをして家を出た。昼過ぎには葉山家の御曹司がさくらを迎えに来る予定だったので、昼頃から屋敷は大騒ぎになっていただろう。
家の者が桜の森周辺を探し回っていたようで、「さくら姫」「姫様」と呼ぶ声が聞こえていた。
ご神木の近くにまできたが、見つからないようにかくれるなど造作もない。なんといっても、子どものころからの遊び場だ。
当のさくらがいないのでは御曹司には帰ってもらうしかない。焦る祖父の顔が浮かぶようだ。
夕方になったら、母と一緒に屋敷へ戻る。村が救われることはもう確定なのだから怒りはしないだろうが、オマケのように嫁がされるさくらの気持ちも考えてあげてほしいと、母が窘める予定なのだ。
それでなにかが変わるわけではないけれど、祖父の自分本位な言動がどれだけさくらを思い悩ませたか、それをわかってもらえたら“プチ家出”は成功である。
もし祖父が憤ったら、父も参戦すると言ってくれた。
『小夜ちゃんとさくらが叱られるのはおかしいんだ。必要のない話を進めてしまったのは父上なんだから。全力でふたりを守る!』
父親として夫として、とても心強い意思表示だ。
普段祖父の陰になっている父だが、母が絡むと志気が上がり、俄然強気になる。
両親は大恋愛の末に結婚した。言うだけなら簡単だが、よそ者を嫌う閉鎖的な村の権力者の息子と、優秀な成績で医者になった開業医の娘、家同士の思惑を考えても、簡単な話ではなかったはずだ。
「大恋愛って……なんだろう」
両親の仲睦まじさは微笑ましいし、仲がよくていいなと思う。将来結婚をしたら、こんな夫婦関係を築けると素敵だとも思う。
だが、さくらには“恋愛”というものの意味がわからない。
──恋をしたことがないからだ。
村と一緒に差し出されて、ついでのようにする結婚でも、相手に恋をすることはあるのだろうか……。
学校の友だちの話によれば、恋とはとても素敵なものらしい。運命を感じるものらしい。
(恋って……なんだろう。運命の人って……わたしにもいるのだろうか)
ゆっくりと、寂しさが心に落ちてくる。気持ちと一緒にまぶたも落ちて、呼吸が深くなった。
恋について考えるといつもそうだ。寂しいのか悲しいのか、自分でもよくわからない。
きっと、本当の恋も知らずに結婚しなくてはならない運命にある自分を、哀れに感じているのだろう。
「……生きているのか?」
一瞬、本当にそれが耳から聞こえてきたのかわからなくなった。
直接頭の中に響いてきたようにも思う、低く深い、沁みこんでくる声。
ご神木が話しかけてきたのかもしれない。本当にそう思えてしまえるほど、心に響くトーンだったから。
落ちていたまぶたをゆっくりと開く。
風が吹いた気配もないのに、ザアアアアッと音をたてて桜の花びらが舞い上がったように見えた。
はらり……はらっ……と、花びらが舞い落ちていく。気がつくと目の前に誰かが立っていた。
(……人?)
何者か判断できなかったのは、もしかしたらご神木が桜の化身となって現れたのではないかと、直感的に感じてしまったから。
そんなあり得ない考えを持ってしまうほど、その姿は、さくらの心に衝撃を与えた。
(この感覚は……なに?)
数秒眺めて、やっとわかった。
おそらく目の前に立っているのは人間だ。人間の男性。とても背が高く、驚くほど凜々しく綺麗な人。
堂々とした上品な立ち姿。身に纏う三つ揃えのスーツは見るからに上等な品で、一目で村の人間ではないとわかる。
(この人、もしかして……)
ほぼ確定だろう予感に、どくん……と、胸の奥が大きく脈打つ。
「おまえ、人間で間違いはないか?」
素っ頓狂な質問を投げかけられたが、笑えない。今しがた、彼に対して同じような感情を持っていたからだ。
「人間……ですよ。幽霊に見えますか?」
「幽霊ならば消えてしまえば安心だ。こんな場所に座ってぼんやりしていたら、連れ去られてしまう」
ひとけのない場所にひとりでいるから、不審者に連れ去られるのではないかと心配をしてくれたようだ。
そう考えるのが普通なのだろう。村外の学校へ行っていたときも、都会の人たちとのあいだに危機感の違いを感じていた。
だが、この村でそんな心配は無用だ。
相手が立っているのに座ったままでいるのは失礼だ。さくらはゆっくりと立ち上がる。
「ご心配くださり、ありがとうございます。ですが、村でそこまでの心配は……」
「この村には観光客も来るのだろう。行儀のいい客ばかりがくるわけではない、いくら鄙びた村でも女子どもがいなくなって“神隠しだ”で済む時代ではない」
間違ったことは言われていない。けれど、サラッと失礼な言葉も混じっていたように思う。
(確かに廃村寸前の村だけど、鄙びたは失礼じゃない?)
少しだけムッとした気持ちを追い払い、背筋を伸ばして行儀よく微笑みかける。
「ところで、貴方は観光の方ですか?」
「こんなところで観光をしているほど暇ではない。人を迎えにきた」
(またサラッと失礼なこと言ったぁ!)
こんなところ、の部分に苛立ちを覚えるものの、彼は本当に悪気のない様子で淡々と口にしている。自分の発言が失礼にあたるとはまったく思っていないよう。
しかし、人を迎えにきたということは、これはもう間違いがない。念のため名前を聞きたいが、いきなり聞くのはおかしいだろうか。
「娘、この村の者だな? 名は?」
「えっ? な、な……名前、ですか?」
「それ以外なにがある」
名前を聞いていいものかと迷っていたところ、逆に聞かれてしまった。
本名を言うのはマズいだろう。彼が本当に例の御曹司なら、さくらと会えずに帰ってもらわなくてはならないのだ。
逆に、まったくの別人だったなら名乗っても構わないのだが……。
「俺は葉山朔という。今日は桜花護家の娘を迎えにきた」
自ら名乗ってくれた。そこに驚きもあるが、思ったとおりの人物だったというところにも驚きをかくせない。
見開いた目と一緒に口が半開きになる。今まで平静を装っていたのに、本人が目の前に現れたのだと確定したとたんにうろたえてしまった。
「なぜそんなに驚いている」
「すみません……あ……、名乗ってくれたので……」
「俺が名乗っていないのに、いきなり名を聞いたから、そんな困った顔をしたのでは?」
驚いた顔のまま、また言葉が出なくなる。
葉山朔という存在に驚いて戸惑ったのが本当のところだが、彼は先に名乗らず名前を聞いたから困っていると受け取った。
「先に名乗るべきだった。すまない」
気を使ってくれたのだ。やはり大企業の御曹司で副社長という地位についているだけあって、礼儀正しい人なのかもしれない。
……少々会話にいきなりな部分があるのは否めないが……。
気持ちをくれたことに胸がふわっとしかけるが、気を抜いている場合ではない。名乗ってもらったのだから、名乗らなくては。
「ぁの、わたしは……」
「桜花護家の娘、さくら、といったか。熱を出して病床に臥しているらしい。今日連れていく予定だったのだが。そんなに病状が悪いのか?」
またいきなりな質問だ、初めて会った素性のしれない村娘に病状を聞いてどうするというのだろう。親族にでも見えたのだろうか。
彼はすでに桜花護家に迎えに行っている。家のほうでは慌てただろう、苦肉の策で病気ということにしたようだ。
誰の案かはわからないが、数日間はごまかせると考えたに違いない。
「葉山様とおっしゃいましたよね、今、わたしに病状を聞かれましたが、初耳なのでわかりかねます」
「桜花護家のメイド……いや、ここでは女中というのか。この村の女子は、中学を出たら桜花護家に仕えると聞いているが」
しまった。とっさにきゅっと下唇を噛む。そういうことか。朔はさくらを村の娘と確認したうえで、桜花護家の女中だと考えたのだ。
困ったことになった。さくらが少し咳をしただけで屋敷中が大騒ぎになるほどなのに、病状を知らないという言い訳はできない。
適当に答えてもよかったのだが、万が一、朔が知っている程度と食い違いがあったら都合が悪い。
「稀に、近県などに進学の途を見いだす者もいると聞いたが、おまえがそうなのか?」
「はいっ、そうです、ですから、存じませんでしたっ」
言葉にすごく力が入る。朔の村知識のおかげで助かった。
村をひとつ手に入れるだけあって、内情はよく調べているようだ。
「そうか、それはすまなかった。平日の昼間だが、高校はもう春休みなのか? こんなところでなにをしているんだ」
「高校生じゃありません。これでも短大を卒業したばかりで……」
童顔ゆえに、たいてい年相応には見られない。年下に間違われたときの言い返しが癖になっていて、つい口から出てしまったものの途中でハッとした。
村中探しても、近年短大まで出た若者はさくらだけだ。
冷や汗が噴き出したかのように背中が冷たくなる。怪訝に思っているのではないかとおそるおそる朔を見ると、彼は涼しい表情のままだった。
「この村の女性が短大とは、さらなるレアケースだな。このあとは就職か? やはり村から出るのだろう」
村人の学歴まで知っているわけもないかとホッとするも、彼の表情がまったく変わらなことに不可解なものが募りはじめた。
凜々しく上品な顔立ち、眉目秀麗という言葉を思いだす。綺麗すぎるだけに、本当に人形なのではないかという気がしてきた。
舞い上がる桜の花びらの中から現れた人。とてもとても綺麗で、こんな綺麗な男性を見たのは初めて。
初めて見た瞬間の気持ちを思いだしてふんわりしている場合ではない。人形でも人間でもいいから、とりあえずこの流れにのるべきと理性が叫ぶ。
「はい、村から出たいんですけど、両親が許してくれなくて。あげくにすぐ結婚しろとか言われて、もう家出でもするしかないかなって、ひとりで考えていたところなんです」
嘘と事実を混ぜた言い訳。これで、こんな場所でひとりぼんやりしていた理由づけができた。
右握りこぶしの人差し指、第三関節を軽く顎にあて、朔がジッとさくらを凝視する。
なにか考えこんでいるのだろうか。表情が動かないだけに感情を察することができない。
「……名前は?」
「名……えっと、お、おぅかもり……さく」
話がまた名前に戻った。安心した直後の不意打ち。とっさに自分の名前が出かけるも、誰かの名前でごまかそうとしたせいか混乱して言葉が引っ掛かりまくる。
「サク? 俺と同じだ」
「貴方は……葉山、はじめさん、では?」
「名前のほう、七十二候“朔風払葉”の“朔”の字で、はじめと読む。字だけだと『さく』と間違えられることが多い」
「それなら“朔望”の“朔”ですね。新月っていう意味だし、わたしはこちらのほうが好きかな。ロマンチックで」
名前の説明の仕方が専門的で少々小難しいけれど、理解できる範囲だったのが嬉しくて声が弾んだ。
とっさのごまかしで名前は「サク」で収まったようだが、苗字はなんと聞こえていたのだろう。「おうかもり」と口走ってしまった気もしているのだが。
「……なるほど、それなりに会話はできるようだ」
朔は先ほどから同じ体勢でさくらを凝視している。会話ができるとはなんだ。桜の木の下でぼんやりしているような村人とは、会話が通じないだろうと思われていたのだろうか。
「おまえ、家出をするといっていたな。何日間くらいだ」
「する……というか、……三日か四日間くらい……」
「一週間」
「は?」
明言したわけではないのだが、もはや家出をするところだったと捉えられている。それも家出の日数まで指定されてしまった。
「一週間、おまえの家出に協力してやる。むしろ匿ってやる。家出が成功すれば、村を出たいという決心を両親に知らしめることができて無理やりな結婚もしなくてすむのだろう?」
「あ……はい」
とっさに出た嘘と真実半々の説明だった。話半分、適当に流されていてもおかしくはないのに、しっかりと聞いて理解してくれている。
しかし、協力とか匿うとか、彼の意図がまったくわからない。最大の原因は表情が変わらないからだ。
なにを考えているのかわからないというのは、まさにこういう人のことを言うのではないか。
戸惑いのあまりに左右に動いた視線が、朔の背後にある桜の木の陰に人影をとらえた。
その人物を確認し、きゅっと唇を引き結ぶ。意を決して朔を見据えた。
「なぜ、貴方がそんな申し出をしてくれるのですか」
「匿う代わりに、やってほしいことがある」
「わたしに、できることですか?」
「十分、できる」
さくらも朔を見据えているが、朔もさくらを凝視している。彼の瞳の色はとても深く綺麗で、吸いこまれてしまいそうだ。
すべてを見透かされているようで怖い。それなのに目をそらせない、惹きこまれる魅力がある。
なぜだろう。彼のことを、もっと知りたいという欲が、驚くほど急激に湧き上がってきた。
「桜花護さくらのフリをしてほしい」