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嘘婚クルーズ 政略結婚のはずが、過保護な御曹司が甘く蕩ける愛を捧げてきます 1

第一話


「桜花護さくらのフリをしてほしい」
 ────この人は、なにを言っているのだろう。
 刹那、そう思った。
 頭の中はクエスチョンマークでいっぱいになる。
 誰に向かってそんな頼みごとをしていると思っているのだ。
 彼、葉山朔の目の前にいる人物こそ、桜花護さくら、その人なのに。
(わたしに……わたしのフリをしろって言っている?)
 彼は真剣だ。
 出会ったとき、彼にはまったく違う名を告げている。彼はさくらを、この桜花護村唯一の権力者一族、桜花護家のひとり娘、桜花護さくらだと思っていない。
 それはさくら自身が望んでいたことなのだから、願ったり叶ったりではある。
 普段着の小紋姿のうえ、長い髪をうしろで一本に束ねメイクもしていない状態なので、ただの村娘だと思いこんでいるのだろう。
 葉山朔は、さくらの結婚相手である。
 ただ、彼と結婚するのだと知らされたのは昨日の話であり、写真さえ見せられていない。今日が完全な初対面だ。
 閉鎖的な小さな村を救うため、老舗大企業といわれる製薬会社の御曹司である朔との結婚が決まったわけだが、さくらとしては納得がいかず、もっかプチ家出中だ。
 そんななか、偶然出会った男性。それが朔だった。
 さくらに会いにきたのだと知り、とっさに他人のフリをした。
 それなのに“さくらのフリ”をしろと言う。
「あの……それはどういう意味です?」
「そのままの意味だ」
「ですから、どうしてわたしがさくらさんのフリを……」
「必要だからだ」
 回答が簡潔なのはいいが、どうにもいまいち納得できる答えがもらえない。
(もしかしてこの人……ちょっと言葉が足りない人なのでは)
 一抹の不安が胸をよぎる。
 思えば、出会った瞬間から言葉が淡々としていた気がする。
 クールで知的と言えば聞こえはいいが、ただの朴念仁ではないのか。
 考えこみつつ、チラッと彼の顔を見る。
 雰囲気がそのまま顔に出ているかのような相貌。クールで知的、まさにそのとおりなのだ。
 こういう顔を、端整とか眉目秀麗とかいうのかもしれない。
 ハンサム、とは少し違う。イメージとして、カタカナで表せる顔ではないのだ。
 姿かたちに品がある。まるで繊細な日本人形でも見ているよう。
 一八〇は超えているであろう長身にスーツがとても映える体鏸。切れ長で涼しげな目元、スッと伸びた鼻梁に形のいい唇。
(……え? この人、本当に人間……?)
 パッと見、綺麗な男性だとは思っていたが、じっくり観察するととんでもなく神がかった造形をしている人だ。
 この村一番の観光名所、桜トンネルをバックに背負い、幻想的で風光明媚な雰囲気がとてもよく似合う。
「どうした?」
 あまりにもじっくりと眺めすぎたのか、朔が怪訝な顔をする。
 わずかに寄った眉間のしわにさえも秀麗さを感じてしまうとは、この男、ただの御曹司枠に納めておくのはもったいない。
「いろいろと戸惑っているようだが、心配はいらない。ただ桜花護さくらのフリをするだけだ。なんの問題もない」
「フリって……どこでするんですか?」
「今から出向くところでだ。おまえを知っている人間はひとりもいないだろうから、安心しろ」
「そうですか、それなら安心……」
 ──な、わけがない。
 自分で自分のフリをするというだけでも異常事態なのに。
 どこへ行くのか知らないが、行った先でさくらを知っている人がいるかもしれないではないか。
「心配するな」
 深いトーンの声。ともすれば怖さを誘いそうなのに、彼の声は包容力に満ちていて、怖いどころか胸の奥があたたかくなる。
「桜花護さくらを装ったことでなにかあったときは、俺がおまえを護るから」
 ──あたたかくなった胸が、さらにほわほわと浮き立つ。
 このあたたかさはなんだろう。
 初めて味わうものだ。
「行くぞ」
 朔がさくらに手を差し伸べる。
 この手は、掴まってもいいものなのだろうか。それともただの合図だろうか。
 戸惑っているとすかさず手を取られた。そのまま歩きだす。
 胸がドキドキと大きく脈打つ。手を取る強引さもさることながら、男性と手を繋ぐなんて初めてだ。
(手……大きい。がっしりして、女の人と違う。これが大人の男の人の手なんだ……)
 頭がほわっとして足取りが軽くなり、歩いている感覚がなくなる。が……。
(駄目駄目! しっかりしなくちゃ!)
 こんなにぼんやりしていて転んだらどうする。迷惑をかけてしまうではないか。
 気持ちを入れ替えるために深呼吸をし、空いた片手で握りこぶしを作り力をこめる。
 どこへ行くのかはわからないけれど、不思議と不安はなかった。
 生まれ育った桜花護村、遊び場だった桜トンネル、その御神木で出会った人。
 そんな彼には、なぜか特別なものを感じる。
(もしかしたら……この人が運命の人なのかもしれない)
 淡い期待を胸に、五分咲きの桜トンネルを抜ける。
 ただ一本、満開のご神木のもとで彼と出会うまでのことを、思い返しながら──。

 

「さくら、おまえの結婚が決まったぞ」
 ほくほく顔の祖父にそう言われたとき、さくらはただひと言「そうですか」と静かに返した。
 嬉しくもなければ驚きもしない。かといって、「結婚」という言葉にドキドキというときめきを感じるわけでもない。
 普段から感情が希薄なほうだとは思わない。ただ、この件に関してはどうしても構えてしまう……。
 ────ああ、とうとうきたか。
 そんな、淡々とした感想しかないのだ。
 いつか必ず来る瞬間だと、心のどこかで覚悟ができていた。
 わかりきっていたこと、特別な感情など湧くわけがない。
 このために生きてきたのだ。
 ──この村の、生贄となるために……。
 奥の襖が、かすかにカタンと揺れた気配がする。おそらく女中たちが、仕事をするフリをして何げなく聞き耳を立てているのだ。
 ベテランは気配を消すのが上手い。物音を立てたのは新人だろう、結婚話に興奮して襖に触れてしまったに違いない。
 このあと先輩たちに嫌味を言われなければいいのだが……。
 桜花護家の日本間には中庭の鹿威しの音だけが響いている。正面に座する祖父が口を開かなければ、この沈黙はいつまでも続くだろう。
 なぜなら、さくらもこれ以上なにも言う気はないからだ。
 反して祖父は、なにか聞いてほしそうにソワソワしている。聞けばいい話でも出てくるのだろうか。どうせ話すなら、自分から言うより聞かれて話すほうがありがたみがあるとでも思っているのだろうか。
「お祖父様、お相手はどんな方なのですか?」
「おお! 気になるか? そうだな、さくらの夫となる男だ、気になるのは当然だ!」
 待ってましたとばかりに中腰になり、いきなり張りきりだす。
 聞かれたから話すのではなく、聞かれなくたって結婚相手の情報くらいは話すものなのではないか。
 そう言ってやりたいのをぐっとこらえ、居住まいを正し背筋を伸ばして聞く体勢をとる。
「おまえの結婚相手は、葉山製薬のご子息だ。葉山朔君、歳は三十歳、現在は副社長として社長である父君や会長である御祖父様の右腕となって仕事に励んでおられる」
「葉山製薬……名前は存じております」
「そうだろう、そうだろう、老舗大企業だからな。女のおまえが知っていてもおかしくはない」
 とんでもなく馬鹿にした発言が混じっているのだが、祖父はそれに気づいてはいない。そういう環境なのだから、気づかないのも当然かもしれないのだが。
 そんな軽視する“女”という生き物でも社名を知っているのが誇らしいのか、そんな大企業と縁を結べるという現実を改めて実感しているのか、祖父はこれ以上ないほどにご機嫌である。
 かつて、これほどに機嫌のいい祖父を見たことがあっただろうか。
 ない。
 二十年間生きてきて、初めてのことだ。
「その葉山製薬様が、この村を救ってくださるのですか?」
 単刀直入に聞きすぎたかもしれない。祖父が一瞬眉をひそめた。
 しかしさくらには聞く権利がある。
 内情を聞かされなくたってわかりきったこと。さくらが葉山製薬の御曹司と結婚することで、この村は救われるのだろうから。
 ──桜花護村は山間部の小さな村だ。豊かな自然と村全体に咲き誇る見事な桜の群生、それらを観光資源にして成り立っていた。
 特に目玉の桜トンネルは、ひとたび入りこめば三百六十度どころか桜の球体に獲りこまれたのではないかと錯覚するほどの見事さ。桜花護村一番の名所でもある。
 桜の季節がすぎても、自然を売りにした観光事業で村は上手く成り立っていたのだ。
 二年前までは……。
 二年前、桜トンネルからほどなくしたエリアに大きなリゾートホテルが開業した。
 流行をふんだんに取り入れたアクティビティ、各年代にアプローチできるイベントや宿泊プラン。恵まれた自然に頼り切っただけの小さな村が、太刀打ちできるはずがない。
 村は衰退の一途をたどりはじめる。補填に次ぐ補填。財源は底をつき、すでに廃村寸前だ。
 そんな事実を、祖父は一切口にはしない。父も口止めされていて母や娘の前では言わない。なので、さくらは現実を知らないと思っていたのだろう。
 知らないはずがない。ここは小さな村だ、村の中を歩いているだけで噂話は耳に入ってくる。
 しばらくどうごまかそうか試行錯誤していた祖父だったが、ため息をひとつついて諦めたようだ。羽織の襟を両手でクイッと引いて、口を開いた。
「山のふもとに、広い原生林があるだろう。そこに、葉山製薬側で研究材料になる貴重な資源がたくさんあるそうだ。むしろ村中の土地が調査対象になりえるらしい。そのために村ごと買い取りたいとのことだ」
「村ごとっ……?」
 大きな声が出そうになり、なんとか喉の奥で抑える。
 村ごとは想像外だ。なんてスケールの大きい話だろう。
「研究所の偉い人間と社長さん、そして朔君がきて説明をしていった。いやあ、実に頭の切れる青年で、真面目で感じもよい。素晴らしい」
 大絶賛である。
 祖父がこんなに人を褒めるのは珍しい。それも村人以外の人間を。
 村を買い取りたいというのは、村が抱える借金はもちろんのこと、製薬会社の研究のため、村の土地をすべて買い取るという意味にとれる。
 なんにしろすごいことだ。祖父が上機嫌なのもうなずける。
 しかし、話がどこかおかしくはないか。
 聞けば、村の買収は葉山製薬側から申し入れてきたようだ。
 廃村寸前まで膨れ上がっている借金を肩代わりしてもなお、村ごと買い取ってしまいたくなるほど資源の宝庫。
 そこまで向こうが望んでいるものがあるのだから、……さくらを差し出す必要はないのではないのか……。
 さくらはこの村の生贄だ。
 言いかたはとても悪いが、突き詰めていけば相違ない立場ではある。
 女は家のために嫁に行く。それが祖父にとっての常識で、村の「普通」でもあるからだ。
 生まれたときから、さくらは村のために有益な結婚をする娘として育てられてきた。
 たとえ村の財政が安定していたとしてもそれは変わらない。廃村寸前の今、その責務は重くのしかかってきている。
 だからこそ、この状況に疑問を感じる。
 娘を差し出すから村を救ってくれと、こちらから頼んだのならさくらが差し出されるのもわかるが、向こうから村を買い取らせてくれと頼んできたのに、なぜ結婚がセットになってしまったのか。
「お祖父様、質問があります」
「なんだなんだ、言ってみなさい」
 このうえなく上機嫌である。
「わたしが、葉山様と結婚するうえで、有益性はどこに?」
「そうだな、……より、よい絆を結べる」
「絆……」
 なんとも珍しい言葉を聞いた。
 村人以外を「よそ者」と言い、軽視している祖父の口から。
「葉山さんはできたお人だ。朔君もいい青年だが、社長である父君も素晴らしい。威張らず気取らず、知性と教養にあふれ、なにより心根が素晴らしい」
 褒めすぎではないだろうか。祖父がそこまで言っていると考えると、逆になにかあったのではないかと不安になるレベルだ。
「葉山さんは、村を買い取っても、今のままでいいと言ってくれた。現状維持だ。村人すべて、今のままで構わないとのことだ」
「村の人たちが出ていく必要はないと?」
「そうだ。それどころか、調査拠点とする研究所を建設するとき、そのあとも、村の人間を雇用したいと言ってくれた。もちろん、研究員になれるような者はいないから、調査補助みたいな仕事らしい。そうだ、調査にくる葉山製薬側の社員が使える宿舎なんかも建てるらしい。いやあ、村がにぎわうな。若者の村離れも止まるだろう。というのが、朔君の話だ」
「桜花護村の大改革ではないですか。お祖父様は、それでいいのですか?」
 大改革。いや、桜花護村の乱、といってもいいくらいの出来事だ。
 因習的ともいえるこの村に、現代科学の粋を集めたような人たちが入ってきて大丈夫なのだろうか。
 こんなこと、祖父が一番いやがりそうな事態なのに。
「なんの問題がある? 素晴らしい提案じゃないか。やはり都会の若者は考えることが違う」
 一点の曇りもなくべた褒めの祖父。目が点になりつつ、その変化を眺める。
「朔君の提案があまりにも素晴らしいので、儂は思わず泣いてしまった。朔君は儂の手を取って『この村の可能性を、ともに見届けましょう』と言ってくれたのだ。儂は感動した。こんなに懐の深い人間に出会えて幸せだと、社長さんに向かって朔君を褒め称えたんだ。すると……」
「……すると?」
「社長さんが『仕事に関しては私が驚くくらいできるのですが、仕事ばかりしていて将来のことはなにも考えてくれなくて困っています。もう三十歳なので、いい加減結婚を考えてほしいのですが』という。それで……」
「それで?」
「それなら、うちにも年頃の孫娘がいるので村と一緒にお渡ししますよ、と……」
「と?」
「言ったら即決で決まった」
(な ん で す かぁっ、そ れ はっ!!!!!)
 顔こそ微笑みを固めているものの、胸の裡では火山が大爆発を起こしている。
 絶対にあり得ない妄想をさらすなら、祖父の羽織の胸元を両手でひっつかんで「その場のノリじゃないかぁ!!!」と叫びながらガクガクとゆすってやりたいくらいだ。
 しかし、これは本当に“その場のノリ”ではないのか。
 向こうが「結婚を考えてほしい」と言えば、こちらが「年頃の孫娘がいる」と言う。売り言葉に買い言葉、というやつでは。
 それで結婚が決まったというのか。
 この村のために結婚しなくてはならない立場だというのは、当然のように理解している。
 しかしこの状況は、思っていたのとあまりにも違いすぎる。
「葉山さんも非常に喜んでくれたし、朔君はさすがにできる男だ。『それならすぐにでもお迎えしたいので近々迎えに行きます』と言ってくれたんだ」
「は?」
(迎えとはなんぞや?)
 急な話の展開に、いささか身を乗り出し気味になる。それを見た祖父はなにか誤解をしたようで、嬉しそうにふんぞり返って笑う。
「そうかそうか、そんなに嬉しいか。いい嫁ぎ先が見つかってよかったな。喜べ、明日、朔君自らおまえを迎えにくる。結婚前から早々に、おまえは葉山家に迎えてもらえるんだ」
 急な話どころではない。展開も早すぎやしないか。
 あまりのことに声も出ないとはこのことだ。
 ご満悦でほくほくしている祖父を前に、さくらはどこか狸か狐につままれたような気持ちになっていた。