嘘婚クルーズ 政略結婚のはずが、過保護な御曹司が甘く蕩ける愛を捧げてきます 3
──さくらが、さくらのフリをする。
おかしな状況ではあるが、朔がさくらを「サク」という村娘だと思いこみ、さくらもそれにのってしまったから、こんなことになってしまった。
朔が乗ってきた車に乗せられ、桜花護村をあとにする。
車に乗りこむ際、ちらりとご神木への入り口となるあたりへ目をやると、桜の陰から白いものがはためいているのが見えた。
あれは、母の白衣だ。
朔と話しているとき、母が桜の陰に隠れているのがわかった。おそらく朝からかくれ続けているさくらが気になって様子を見にきてくれたのだろう。
どのあたりから聞いていたのかはわからないが、話の内容から母が事情をわかってくれているなら一週間の家出をしても大丈夫だと思えた。
自分を偽って朔についていこうと思ったのは、彼を知りたくなったからだ。
彼との結婚は決まってしまっている。さくらは都内の葉山家に入り、朔の妻として過ごす。
彼のことをなにも知らないまま一緒に生活をするより、彼の人となりを知りたい。
無表情なのに、桜の花と同化してしまいそうなほどに綺麗なこの人が、どんなことにその顔を動かしてくれるのか。
どんなことに喜び、どんなことに悩み、どんなことに……笑みを浮かべてくれるのか。
「どこへ向かっているんですか?」
車の後部座席におとなしく座り、運転する朔に尋ねる。乗り心地のいい立派な車だ。運転手をつけず彼自ら運転しているということは、個人所有の車なのだろうか。
「行けばわかる」
簡潔な答えすぎる。
確かに行けばわかるのだろうが、場所くらい教えてくれてもいいのではないか。
「寒くないか?」
また質問が唐突だ。
「寒かったら、座席の端にブランケットがある。使うといい」
車に乗るときに見つけて気になってはいた。車にブランケットが用意されているというところではなく、その柄だ。
ピンクの桜模様。女の子が、広げて「かわいい」と喜びそうな絵柄のデザイン。
この車が朔の車なら、なぜこんなかわいいものが置いてあるのか。
「葉山さんは……かわいいものがお好きですか?」
「かわいい女が好きかという質問か?」
「いいえ、そういうことではなくっ」
女好きという意味に聞こえただろうか。両手を胸の前で振り、違うというアクションをしてからブランケットを手に取った。
「これです、これ、とてもかわいらしいので、もしかしてこういうのが好きだから車に置いているのかなって思って」
「いつもは置いていない。今日は桜花護さくらを乗せる予定だったから、急いで用意した」
「なぜ、ですか?」
女性を乗せるからかわいいものを置いておこうとか、そんな気持ちだったのだろうか。単純だが気にしてくれるだけいい。
「女性は身体を冷やすといけない。娘が寒がりだったら困るだろう」
(単純だなんて考えてごめんなさい!)
まさかの事実。さくらが寒がらないよう、わざわざ用意してくれたのだ。
(優しい……)
胸の奥で、鼓動とは違うなにかがトクン……と音をたてる。
今のはなんだろう。我ながら首をかしげてしまった。
「桜の里の娘だから桜柄にしたが、単純だっただろうか」
「そんなことはありませんよ! 非常にかわいらしい柄ですし、桜の里の人間ではなくても女の子ならみんな『かわいい』と感じる柄です! 使わせていただきますね!」
こんな話を聞いて、使わないでおけるものか。ブランケットを手に取り、急いで広げて腰から下半身を覆った。
あたたかく、手触りもいい。広げると全体の柄が見えて、かわいらしく古風な柄であることがわかった。
「ふわふわして気持ちいいです……。寝ちゃいそう」
「眠っていてもいい。どうせあと一時間以上かかる」
「そんな、運転している人を差し置いて眠るなんてできません」
「律儀だな。そんな気遣いはいらない。眠くなったら遠慮なく寝ていろ」
「ありがとうございます。眠くなったら、そうしますね」
もちろん眠るつもりはないが、気遣いはありがたく受け入れる。素直な反応を見せたせいか会話はそこで終わり、朔は無言で運転を続けた。
もともと無口な人なのだろうか。人と話すのは嫌いなのだろうか。無駄なおしゃべりをしないだけなのか。
まだよくわからないが、急ぐことはない。
家出として指定されたのは一週間。その期間で、彼のことがわかればいい。
窓の外に視線を移す。途中までは学校へ通うために使っていた山間の並木道だったが、見慣れない広い道路に変わっている。
初めての光景に興味はあったが、ぼんやりと見ているうちにまぶたが落ちた。
どこへ行くのだろう。これからの一週間、なにがあるのだろう。
────この人を、深く知りたいと願っている自分がいる。もっともっと、心の奥底まで……。
そんなことを考えながら、眠りに落ちてしまった──。
次に、意識が覚めかけたとき……。
身体がふわふわと浮いているようだった。
脱力しているのに、なんの不安もない。身体がしっかりと固定されているからだ。固定といっても苦しいものではなく、むしろ心地いい。
(なんだろう……いい匂い。それに、すごい安心感)
幼いころ、母の腕の中で眠った心地を思いだす。父の背中も好きだった。母の尻に敷かれている父だが、やはり男なので背中が広くて頼りがいがある。父におんぶしてもらいたくて、背中に抱きついたものだ。
「んふふ……」
あまりにもいい気分だったせいか含み笑いが出てしまう。寄りかかっている場所に片手をあてて、手のひらに触れた布らしきものをぎゅっと掴んだ。
「どうした?」
「気持ちいい……」
「そうか、それはよかった。このままベッドに行くか」
「ベッド……ベ……」
カッと強制的にまぶたが上がる。
(ベッド、とは!?)
目に入ったのはネクタイ。それも本当に目の前だ。おまけにしっかりと握っているのはスーツの襟だとわかる。
まさかと思いつつ顔を上げると、さくらを見おろす朔と目が合った。
「よく眠っていたな」
大きく吸いこんだまま息が止まる。車から降りて歩いていた朔は、さくらが起きたので立ち止まったのだ。
外だ。なにか独特な香りがする。大勢の人の気配もして……。
周囲を確認するより、今の状況のほうが気になりすぎる。朔に抱きかかえられているらしく、どう反応したらいいのかわからない。
(えっ? なにこれ、なにこれ? お姫様抱っこですか!?)
こんな体勢は漫画や映画の中にしかないと思っていた。確かにロマンチックなものを感じるが、実際にやったら男性は腕の力がもたないだろうし、女性だって重たいのではないかと気が気じゃない。
さくらだって例外ではないのだ。身長一五八センチに対して適正体重範囲内ではあるものの、紙人形をかかえているわけではないのだから重いに決まっている。
「すっ、すみません、わたし、眠ってしまったから、起こさないように車から降ろしてくれたんですよね。あっ、歩きます、歩きます、自分で歩きますので、下ろしてください、すっごく重たいですよね、すみません、すみませっ」
「下ろさない」
「はぃ?」
「それにまったく重くない。もう少し太ったほうがいいのではないのか。村で桜の花ばかり食べていたのか?」
「たべませんっ」
強めに返してからハッとする。もしや彼は、楽しい冗談のつもりで言ったのではないだろうか。それならここは、笑って「なに言ってるんですか」と胸のひとつも叩くべきだったのでは。
まだ遅くはない。さくらはニコリと微笑む。
「もぅ、なにを言っているんですか葉山さ……」
「朔君!」
さくらの言葉は大きな声にさえぎられる。朔が身体をかたむけたほうへ顔を向けると、ひとりの男性が笑顔で近寄ってくるところだった。
父の和成よりは年上だろう。口ひげを蓄えた体格のいい男性だ。朔の姿を見つけて声をかけたのだろうが、一瞬、その笑顔が曇った。
おそらくさくらの姿を見たからだ。
「これは東川辺さん、本日はお招きいただき、ありがとうございます」
朔の言葉に、東川辺は表情を改めて応えた。
「朔君に出席してもらえて嬉しいよ。ところで……そのお嬢さんは……」
「私の妻です」
「えっ!」
同じ驚きが口から出そうになったさくらだが、下唇を噛んでなんとか止める。
(妻? つま!? 待って、そこまで進んだ話は聞いてない!)
「妻、になる予定の女性です」
(……びっくりしたぁ!)
驚きも安堵もなんとか顔に出さぬよう耐えた。反対に東川辺はあからさまに安堵の息を吐く。
「朔君は~、ほんとそうやって儂をからかってばかりだ」
東川辺はワハハと声をあげて笑うが、朔は相変わらずのクールフェイスだ。
まったく表情を崩さない彼を前にして「からかってばかり」という言葉を聞かされても、そのほうがからかわれているとしか思えない。
「一週間の船旅だ、葉山家のメイドでも世話役に連れてきたのかな? だとしたら当主のご令息に失礼だろう、下りなさい」
最後はさくらに向けて言ったものだ。上から視線を落とされ、高圧的な態度に堪えかねて口を開きかけたとき、さくらが反応する前に朔が口を出した。
「彼女はメイドではありませんよ。わたしの妻になる女性です。このクルーズを終えたら、入籍します」
東川辺の動きが止まる。場に沈黙が落ち気まずさを感じはじめたとき、「パパ! パパ、ちょっと!」と叫びながら近寄ってくる若い女性の姿が目に入った。
誰だろうと思う間もなく、朔が身体を翻す。
「では、のちほど」
会釈をして歩きだす。こっそりと背後を覗きこむと、若い女性が東川辺の腕を掴み「なにあれ、なんなの、ねえ!」と言いながらこちらを指さしていた。
「東川辺氏の娘だ。ちょこまかと小賢しいところはあるが、調教前のうるさい仔犬だと思えば気にならない」
……なかなかに辛辣な例えをする。
それよりも、ここにきてやっとわかったことがある。朔がどこに向かって歩いていたのかが確定したのだ。
どうやらここはフェリーターミナルらしい。
目の前に大型の旅客船が停まっている。目が覚めたときに独特なにおいがすると感じたが、港で感じる海の香りだ。
船に乗る人や見送る人。様々な人のなかを朔に姫抱きにされたまま通り抜ける。横目で見る人や、何事かと目で追う人、注目されるのは当然だろう。
第一の原因は朔の容姿にほかならない。こんな美形が女性を姫抱きにして歩いているのだ。気にされないわけがない。
「……葉山さん、下ろしてくだ」
「駄目だ」
瞬殺である。
目が覚めたばかりのときは、寝ぼけているから下ろさないというつもりだったのかもしれないが、もうすっかり目は覚めているし普通に歩ける。なぜ下ろしてもらえないのか。
もしや、逃げるとでも思われているのでは。
「わたし、逃げませんよ? 約束は守ります」
「いい心がけだ。約束を破る人間と挨拶ができない人間は好まない」
「じゃあ、下ろして」
「しつこい」
頑なに下ろしてもらえない。ひとまず諦めた。
「先ほど……、東川辺さんという方とお話ししているのを聞いて思ったのですが、一週間、この船に乗るということですか?」
「そうだ。そのあいだ、桜花護さくらになってくれていればいい。一週間後には間違いなく村に送り届ける」
「迎えに行った桜花護家のお嬢さんに会えていたら、いきなり船で一週間過ごさせるつもりだったんですか? 初対面なのに突然すぎません?」
「なぜ初対面だと知っている?」
口が滑った。焦りは生まれるが、ここはごまかすしかない。
「か、顔を知らないって言っていたじゃないですか、だから初対面でしょう?」
船に乗りこむタラップの手前、朔が足を止めてさくらをじっと見る。
(なに? ごまかせなかった!?)
顔を知らない、と言ったかどうかはさくらも覚えてはいない。土壇場のハッタリは失敗だったろうか。
「顔を知らないか……。それもそうだな」
なにか深く納得している。そんな深刻な顔をするようなことを言っただろうか。予告もなく船旅をさせようとしたという所業に、罪悪感でも湧きたたせているのか。
「とはいえ、俺が船に乗ることは前から決まっていた。時期が重なったのだから仕方がない」
「あ……そうなんですか」
それなら、戻ってきてから迎えにくればよかったのでは。
そんな疑問を見透かしたかのよう、朔は歩きながら詳細を教えてくれた。
「先ほどの男に少々面倒な問題を持ちかけられていて、それを回避するためにも妻の存在を知らしめておきたかった。桜花護の娘と結婚が決まったのは好都合だった」
東川辺がさくらの顔を見たとき、あからさまに表情を曇らせた。世話係かと決めつけたときの侮蔑の目、不満を爆発させる東川辺の娘の声。
(……なんだか、すっごく面倒な事態に巻きこまれているのでは?)
それも、さくらが不得手な世界のにおいがする。高校時代、三角関係に悩む学友の話を聞かされ、助言どころか上手い慰めの言葉も思いつかなかった気まずい経験がある。
恋愛経験など微塵もない。他人の恋の悩みになど口出しできるはずがないのだ。
知らず不安な顔をしていたのかもしれない。身体を抱く朔の腕に力がこもった。
「安心しろ」
相変わらず表情は動かないのに、彼の瞳に強い意志を感じる。ドキリと胸が高鳴った。
「おまえを危険な目には遭わせない。だから、俺から離れるな」
鼓動は収まることなく、さらに速くなっていく。おまけに頬があたたかくなってきて、朔と視線を合わせているのが恥ずかしくなってきた。
すべてを委ねてもいいのだと思える、この感覚はなんだろう。頼もしさ、頼りがい、そんな言葉では言い表せないような……。
「公衆の面前で、なにをやっているんです?」
すっかり朔から目がそらせなくなっていた。彼もずっとさくらに視線をくれていたので、はたから見ると見つめ合っているように見えたのではないだろうか。
「そういうことは部屋でやってください。緊急時以外邪魔はしませんから。はい、部屋の鍵とクルーズカードです」
朔の横で立ち止まった男性が、朔のスーツのポケットにルームキーとクルーズカードを入れる。親指で眼鏡の下をクイッと上げると小さく息を吐いた。
「ずっと注目の的でしたよ。ご存じでしたか」
「ああ、知っている」
「面倒だから目立つことはしないはずでは?」
「気持ちがよくて、放したくなかった」
「は?」
不可解な声を出してから、男性が朔とさくらを交互に見る。誰なのだろうと思いつつ眺めていたので、目が合ってしまった。
現れたときから思っていたが、とても端整な顔つきをした人だ。理知的というか、厳しそうな雰囲気もあるのに大きな頼りがいを感じる。
フチなしの眼鏡が少々冷たい印象を与える。朔と同じくらい背が高く、スーツも似合う。歳は少し上だろうか。
目が合ったことだし、自己紹介をしておこうか。言われたとおり、桜花護さくらのフリをすればいいのだろう。
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