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異世界から帰還した元聖女ですが、逆転生した人気絶頂アイドル(元勇者)に結婚を迫られてます!?  2

第二話
 
   その後無事に魔王を倒し、私は元の世界に帰ってきた。
 異世界に残るか、元の世界に戻るか自分で選ばせて貰えるのかと思ったけれど、魔王を倒した瞬間、戻っていた。
 ──もし、選択できたとしたら、私はどちらを選んだのだろう。
 私が異世界で過ごした時間は一年だった。
 でも、元の世界では五分も進んでいなくて、コンビニの入り口で呆然とする私を、店員さんが不思議そうに見ていた。
 異世界では別の服を着ていたのに、元の世界に戻ると制服のままだった。
 異世界で得た持ち物も一つも残っていなかったし、逆に皆にあげたものも手元に残っていて、白昼夢でも見ていたような気分になる。でも、そんなことはありえない。
 だって、マインハルトに抱きしめられた感触が、まだ鮮明に残ってる。
 元の世界に戻ってから、私はマインハルトのことばかりを思い出していた。
 彼のことを思うと胸が切なくて、苦しくなって、涙が出てしまい、止まらなくなる。

 ああ、私は、マインハルトのことを──……。

 この感情に、名前をつけてはいけない。気づいてはいけない。
 だって、マインハルトには、二度と会えないんだから……。
 異世界のことは、忘れよう。
 そう思ってもいつの間にか考えていて、夢にまで出てくる。
 考えても、忘れようとしても苦しい。どうしたらいいの?
 悩んでいた私は現実逃避をしたくて、ネットサーフィンばかりしていたら、小説の投稿サイトに辿り着いた。
 他人が書いた小説を見ることができたり、逆に自分の書いた小説を投稿し、誰かに読んで貰うことができるサイトだ。
 小説の世界は現実逃避にもってこいだった。辛い時、寂しい時、私はサイトを開いて、誰かの書いた小説を読み漁った。
 そのうち自分でも書いてみたいと思うようになり、異世界時代の話を脚色しつつ書くようになった……というわけだ。
 作業に集中している時が、一番辛さを忘れることができた。
 自分を慰めるためだけの行為だったから、まさか書籍化するなんて思っていなかったし、こんなに人気が出るとも思わなかった。
 文庫本三巻までは、実際にあった出来事に、恋愛要素を加えた話を書いていたから筆が止まったことはなかった。
 でも、すべて書ききってしまったので、四巻からは完全に想像だ。全然思い浮かばないし、作業時間は倍以上に増えている。
 気がつけば私は、二十五歳……同級生の中では、結婚・出産する人がチラホラ出てきたけれど、私はといえば彼氏ができたことが一度もない。
 異世界から帰ってきて高校を卒業して、大学に進学して、在学中に小説家デビューをして、卒業後はどこかの企業に就職はせず、小説家を続けている。
 転聖以外に別の作品も書かせて貰っているため、常に締め切りに追われていて、男性との出会いがあるどころか、ここ数年は友達にも会えていない。
 それにどうしても、マインハルトと比べてしまいそうな気がする。
 そしたら、また不安定になりそうで怖い。
 いつか恋をして、結婚したい。できれば子供も欲しいとは思っている。でも、忙しいし、もう少しこのままでもいいかな……。
 うーん、私、何年経っても、こんな感じで過ごしてそう。

 

 あれよあれよといううちに実写化の話は進んでいき、オーディションも行われて、キャストが決まった。
 ちなみに私はオーディションには参加していないし、ノータッチだ。
 原作者なので私にも意見を言う権利は与えられたけど、映像に詳しくない私が選ぶよりも、その道のプロに任せた方が良い作品になるんじゃないかと思ったから。作家によって、考え方は違う。あくまで私の場合はという話だ。
 榊さんと一緒に、私も顔合わせには参加させて貰うことになった。
 キャストの名前は前もって伝えられていたので、全員検索して顔や直近の出演作は把握している。
 今日はその顔合わせの日。私は榊さんと映画制作会社に向かっていた。
 朝まで仕事していたせいで体調は最悪だけど、気分は最高潮に盛り上がっている。
「深爪先生、すごいですよ! もう、これは大ヒット間違いなし! だって、マインハルト役は、あの皇速人(すめらぎはやと)くんなんですから!」
 皇速人……大人気ボーイズグループ『トゥインクル・スター』のメンバーで、一番人気のアイドルだ。
 一目見ると何も考えられなくなるほどの美貌で、彼の歌って踊る姿には誰もが夢中になると言われている。
 年齢は二十一歳で、アイドルだけでなく俳優としても活躍していて、今一番注目されている芸能人だそうだ。
 しかも、実家は四大財閥の一つの皇財閥。なんだか創作の世界の人みたいだ。
 小説でこんなキャラクターを出したら『設定盛りすぎです。現実味がありません』って没にされそう。
 小説を書き始めてからは、そっちにばかり夢中でテレビはあんまり見なくなって、一人暮らしを始めてからはテレビを自宅に置いていない。
 それでもネットニュースとか、SNSのトレンドはよくチェックしてるから、彼の姿は頻繁に見ている。
 皇くんは恋愛要素が入った作品に出るのはこれが初めてで、榊さんが「絶対に話題になる!」と興奮した様子で教えてくれた。
「まさか、そんなすごい人が演じてくれるなんてビックリです」
 皇くんを初めて見た時、マインハルトと出会った時以来の衝撃だった。こんなに綺麗な人がいるんだって。
 マインハルトと同じくらい美しい人がいるなんてありえないと思ってたけれど、中にはいるものなんだ。
 しかも、そんな人がマインハルト役を演じてくれるなんて、不思議なこともあるものだ。
 映画制作会社に到着するとプロデューサーが出迎えてくれて、私たちは顔合わせが行われる会議室へ向かった。
 ドアを開けると、煌びやかな光景が視界に飛び込んでくる。
 あぁぁっ! 芸能人すごい! 綺麗&カッコいい!
「原作者の深爪先生と担当の榊さんがご到着されました」
 プロデューサーの声かけで、キャストの皆さんが一斉にこちらを向く。
「初めまして、担当編集の榊です。こちらが原作者の深爪先生です」
「は、初めまして、深爪と申します。どうかよろしくお願いいたします」
 すると皇くんが、こちらにやってきた。
 心臓がドキッと跳ね上がる。
 緩やかなウェーブのかかった淡いハニーブラウンの髪、切れ長の茶色い目、素晴らしい顔のパーツが完璧な場所に配置されている。それに加えて長身で手足がスラリと長い。同じ人間とは思えないスタイルのよさだ。
 神様の最高傑作……という言葉が相応しい。
「ひぃっ」
 あまりにも眩しくて、寝不足の目に刺さる。思わず小さく悲鳴を上げてしまうと、榊さんに腕を突かれた。
「深爪先生、なんて声出してるんですかっ」
「だって、眩しくてっ」
 スポットライトを背負って歩いているかのようなオーラだ。マインハルトもそうだった。一年一緒にいても慣れなかったっけ。
 皇くんと目が合うと、また心臓が跳ね上がった。
 あ、れ……?
 なんだろう。この感覚……なぜか懐かしく感じて、切なくて、涙が出そうになる。
 どうして私、こんな気持ちになるの?
 謎の感情に戸惑っていると、皇くんが私の前に立ち、その綺麗な目を潤ませる。
 え……?
「あ、あの?」
 そして彼の綺麗な目から、涙がポロポロとこぼれた。
 えぇぇぇっ!?
「なっ……えっ!?」
 ああ、ハンカチ持ってない! そうだ。ティッシュ! ポケットティッシュがあった!
 慌ててカバンから取り出し、皇くんに渡す。
「こ、これっ」
「ああ……ありがとうございます。すみません。俺、深爪先生のファンで、感極まってしまって」
「え、ええっ……あ、ありがとうございます」
 小説家になってから何年も経つけど、面と向かってファンだと言われる機会なんてほとんどない。ましてや大人気アイドルに言って貰えるなんて、嬉しすぎて照れてしまう。
 普通に言われるなら社交辞令かな? と思うけど、涙を流してくれてるんだから、本当に違いない。
 皇くんは、私からポケットティッシュを受け取る時に、私の手をギュッと握った。
「あっ」
 思わずティッシュから手を離してしまい、床に落ちた。
「すみません。手が触れてしまって」
「あ、いえ」
 触れたっていうか、握られた……よね?
 落としたティッシュを拾おうとしゃがむと、皇くんも同時に腰を下ろした。
「その可愛い手でギュッと握って、また前みたいに、ささくれを切ってくれる? ニーナ」
 心臓が大きく跳ね上がった。
 私にだけ聞こえるように、皇くんが小さな声で囁いた。
「……っ!?」
 このエピソードは、小説にも書いた。
 でも、主人公は『咲菜』だ。『ニーナ』という呼び方を知っているのは、異世界時代に関わった人だけ。
 そして「また前みたいに」ということは……私がささくれを切ってあげた人は……。
 顔を上げると、皇くんと目が合う。彼は私を見て、にっこり微笑んだ。
 まさか……マインハルトなの!?
「ティッシュ、ありがとうございました。深爪先生」
「い……いえ……」
 寝不足だから、そう思うの? でも、マインハルトとしか思えない。
 でも、どうして? マインハルトはアークトチス大国の人間なのに、どうやってここに? それに顔だって違う。
 マインハルトのことばかり考えて、顔合わせの最中はずっと上の空になってしまい、榊さんを心配させてしまった。
 本当にマインハルトなの……? 彼じゃないのなら、どうして異世界時代の私の呼び名を知っているの?
 相手は人気アイドルだ。確かめたいけれど、大勢の前で話すことはできないし、二人きりになる術もない。
「深爪先生、帰りましょうか」
「はい……」
 エレベーターホールに向かっていたその時、皇くんに呼び止められた。
「深爪先生、ティッシュありがとうございました。一枚使っちゃいましたけど、お返ししますね。マインハルト役、一生懸命頑張りますので見ていてくださいね」
「は、はい」
 皇くんは私が渡したポケットティッシュを差し出す。
 別に返さなくてもよかったのに……。
 手を出すと、ポケットティッシュを乗せられた。だけど手の平にはビニールじゃなくて、紙のような感触がする。
 ん? ティッシュの下に、何かある?
「じゃあ、失礼します」
 皇くんが離れていくのとほぼ同時に、榊さんのスマホが鳴った。
「印刷所から……深爪先生、すみません。ちょっと電話に出てきますね」
「あ、わかりました」
「すぐに終わらせるので、ロビー待ち合わせで!」
 榊さんが去っていった後、私はポケットティッシュを握りしめたままトイレに向かった。個室に入って確かめると、ティッシュの下には折りたたまれたメモ用紙と名刺があった。
「えっ」
 名刺と……手紙?
 ドキドキしながら開くと、そこには「二人きりで話がしたいので、今日の二十一時にこの住所のバーに来てください。都合が悪ければ別日にしますので、ご連絡ください。会員制のバーなので、入店時に受付で俺の名刺を見せてください」という文と一緒に電話番号とバーの住所が書かれていた。
 二人きりで……ということは、周りに聞かれたくないってことだよね? やっぱり皇くんは、マインハルトなの?

 

 二十一時ちょうど、私は皇くんに指定されたバーに来ていた。
「あの、これを……」
「皇様のお連れ様ですね。お待ちしておりました」
 ほ、本当に入れちゃった。
 バーはビルの地下にあって、言われた通りに受付で名刺を出すと入ることができた。黒と赤を基調とした店内は高級感があって、薄暗い。
 手前に数名が座れるカウンター席があり、奥に進むと個室がいくつか並んでいる。
 緊張する……。
「こちらです」
 一番奥の個室に案内された。
「あ、ありがとうございます」
 ドキドキ脈打つ心臓を服の上から押さえ、深呼吸してからノックした。
「どうぞ」
 皇くんの声が聞こえ、心臓が跳ね上がる。
 い、いる~~! 皇くんの声だ!
「……っ……し、失礼します……」
 ドアを開けると、皇くんがいた。
「来てくれてありがとう」
「あ、いえ、えっと、お疲れ様です」
「うん、お疲れ様。さあ、どうぞ」
 心臓の音がすごくて、息が上がりそうになる。私は密かに深呼吸をしながら、皇くんの向かいに座った。
「さっきと服が違うね。すごく可愛い」
「あ……一度家に帰ったので、その時に……」
 待ち合わせ時間まで仕事をするか、ちょっと仮眠を……と思ったけれど、皇くんのマインハルト疑惑で頭がいっぱいになり、仕事もはかどらなかったし、眠ることもできなかった。
「もしかして、俺のためにオシャレしてくれた?」
「えっ! ち、違います。えっと、バーに行くなら、それ相応の格好を……と思いまして」
「なんだ、残念。でも、違う服装のキミを見ることができてラッキーだな。あ、顔合わせの時の服も、もちろん可愛かったよ」
 なんか、デジャヴ……!
 マインハルトも、私の服装をこうして褒めてくれた。
「とりあえず注文しようか」
「そうですね」
 この緊張、素面では乗りきれない。
 お酒は、お正月に実家で呑んだ以来だ。普段は寝るギリギリまで仕事をしているので、呑む機会がない。
 見たこともないようなカクテルの名前が並んでいるけれど、写真と何が混ぜられているのか書いてあるので、想像しやすい。
 私は桃のカクテルを頼み、皇くんはカッコいいお酒(横文字で聞いても意味がわからなさそうなメニュー名)を頼むのかと思いきや、苺のカクテルにしていた。
 苺はマインハルトの大好物だ。旅の途中で町に立ち寄った際には必ず購入し、食べていたのをよく覚えている。
 もしかして……もしかしてなの!?
 今すぐ尋ねたくなる。でも、違った時のことを考えたら、相手は自分の作品に出演してくれる演者さんだ。後が怖い。それに、悲しくなってしまう。
「じゃあ、乾杯」
「か、乾杯です」
 グラスを合わせて、一口呑む。
 桃の味のアルコールが、渇いた喉を潤してくれる。すごく呑みやすい。ジュースみたいだ。
 美味しいのと、緊張でグビグビ呑んでしまう。もうすでにグラスの三分の二がなくなった。
「お酒、強いの?」
「いえ、普通だと思います。皇さんは強いんですか?」
「俺も普通だよ。というか、敬語はやめて砕けた話し方にして欲しいな。俺もそうしているし。あと、俺のことは『速人』って呼んで欲しいな」
 マインハルトも同じようなことを言っていた。
「い、いえ、そういうわけには……」
 すると皇くんが、テーブルに置いてある私の手をギュッと握った。
「じゃあ、前みたいに『マインハルト』って呼んでくれる? ニーナ」
 心臓が大きく跳ね上がる。
「……っ……やっぱり、マインハルト……なの?」
 店内にかかっているBGMにかき消されそうなほど小さな声しか出なくて、おまけに震えている。
「そうだよ。ニーナに会いたくて、生まれ変わったんだ」
 でも、彼にはその声がしっかりと届いていたらしい。
「嘘……」
「本当だよ。ニーナも気づいたから、こうして来てくれたんじゃないの? それとも、別の初対面の男性俳優から誘われたとしても、ニーナは行くの?」
「い、行かないよ」
「そうだよね。俺のニーナは、誰かれ構わずついていくような女の子じゃないから。というか、行かせないけど」
 ああ、マインハルトの話し方だ。
 目の奥が熱くなって、涙が出そうになる。
「でも、マインハルトがどうしてここに? それにその姿は? どうして皇速人くんなの?」
「うん、でも、その前に……」
 マインハルトは席を立つと私の隣に座り、私をギュッと抱きしめた。