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異世界から帰還した元聖女ですが、逆転生した人気絶頂アイドル(元勇者)に結婚を迫られてます!?  3

第三話

「抱きしめさせて」
「も、もう、抱きしめてるじゃない」
「ふふ、了承して貰えるのを待てなかった」
 マインハルトの時とは、また違う香りだ。でも、とてもいい匂いだ。
「ああ、ニーナの香りだ……」
 マインハルトが、鼻をスンスン鳴らす。それでハッと我に返った。
「ちょっ……また!? 嗅がないでよっ!」
「そんなこと言わないで。ああ、このいい香りが恋しかった……」
 首筋に顔を埋められ、勢いよく嗅がれる。
 悲鳴を上げそうになったけど、私は大人! 場所をわきまえて、寸前のところで堪えた。
「嗅がないでって、言ってるでしょ!」
 頭を掴んで離そうとしても、マインハルトはビクともしない。私の手で髪型が崩れるのもまったく気にしていない様子で、匂いを嗅ぎ続けている。
「ねえ、大事な話なんだから、ちゃんと教えて!」
「このまま話すんじゃダメ?」
「いいって言うと思ってるの? はい、離れて。じゃないと、帰るから」
 本当に帰るつもりはなかったけど、そう切り出せば、言う通りにしてくれるだろうからと仕かけてみる。
「わかった。今は離れるから、帰らないで」
 ほら、やっぱり。
 こういう反応を見ると、目の前にいるのは、やっぱりマインハルトだ。
 突然飛び込んできた現実離れした出来事にクラクラして、久しぶりの抱擁に戸惑って、とにかく喉が渇く。私はグラスに残ったお酒を全部呑み干し、本題に入る前におかわりを貰った。
「じゃあ、最初から話すね」
「うん、お願い」
 マインハルトが私をジッと見つめる。何も言わない。
「マインハルト?」
「ああ、ごめん。歳を重ねたニーナがあまりにも美しくて、つい見惚れてしまった」
 ああ、こういうところ、本当にマインハルトだ。
「へ、変なこと言ってないで、早く説明して」
 気恥ずかしくて、私は目の前にあるお酒をグビグビ飲むことで誤魔化す。
「ニーナはいつもつれないな。まあ、そこがいいんだけど」
「もう、それでどうしてこんなことになってるの?」
「うん、わかったよ。魔王を倒した後、俺はニーナがいなくなって、廃人状態だった。何もかもどうでもよくて、このまま朽ち果てようと思ったんだけど、アルバンとロミルダが引きずって王都へ連れ帰ったらしい。この辺は記憶が曖昧なんだけどね」
 悲しむマインハルトを想像して、胸が苦しくなる。
「急に消えて、ごめんね。私も気がついたら、日本に帰ってきてたの」
「気がついたら? じゃあ、ニーナが希望したからじゃなかったってこと?」
「うん、特に何か願ったわけでもなくて……」
「ニーナはずっと故郷に帰りたいって言ってたから、俺はてっきりニーナが希望して帰ったのかと思ってた。俺は選んで貰えなかったんだって悲しくて、もうニーナに会えないんだって考えたら、胸がちぎれそうに苦しくて」
 マインハルトの目から、涙がポロポロこぼれる。
「な、泣かないで」
 またもやハンカチを所持していなかった私は、ポケットティッシュをマインハルトに差し出す。
「自分じゃできない……ニーナ、拭いて?」
 私が原因で泣いている人に「自分でやって」なんて言えず、私はマインハルトの言う通りにする。
「じゃあ、もし希望が通るとしたら、ニーナはアークトチスに残って、俺の傍にいてくれた?」
 日本に戻ってきてから、自分でも何度も考えた。
 選べるとしたら、私はどちらを選んだ? でも、まだ答えは出せていない。
「わ、わかんない」
 ガッカリされると思ったのに、マインハルトは嬉しそうに微笑んだ。
「よかった。残らないって即答しないでくれてありがとう」
 マインハルトは涙を拭く私の手をギュッと握り、自分の頬に押し当てた。心臓がものすごい速さで脈打つ。
「えっと、それで……どうなったの?」
「うん、王からは贅沢をしても一生使いきれないほどの報賞金が出て、ロミルダはそのお金を使って娼館を経営して、大富豪になったよ」
「娼館を作りたいって言ってたもんね。夢が叶ったんだ」
 ロミルダは旅の途中、滞在した町でナンパされた男性と何度も関係を持っていた。
 幼い頃にご両親が亡くなって教会に引き取られた彼女は、教会での厳格な生活にうんざりし、その反動でエッチなことがしたくて仕方がないのだそうだ。
 魔王討伐の依頼を受けたのも、報賞金で娼館を作るためだと言っていた。夢が叶ってよかった。
「アルバンは?」
「アルバンのことが気になるの?」
 マインハルトがジトリと見てくる。嫉妬しているのだとすぐわかる。
「仲間だもん。もちろん気になるよ」
「そっか、仲間だもんね。アルバンに特別な感情があるわけじゃなく、仲間だからだもんね」
 『仲間』をやけに強調している辺り、わかりやすい。
「アルバンは各地の教会に報賞金を寄付していたよ。彼は元々報賞金目当てで参加したんじゃなくて、自分の腕を磨くためだったからね」
「アルバンらしいね。それからどうなったの?」
「騎士団長に昇格して、それからは騎士学校の教員になったよ。王族の専属騎士にって話もあったんだけど断ってた。ずっと独身で、俺たちの中では一番早くに亡くなった」
「…………え?」
 亡くなった?
「と言っても、平均年齢は超えていたから、早死にとかじゃないんだけどね」
 そういえば、向こうの世界で一年経っていたのに、こちらの世界では五分も進んでいなかった。
「みんな、亡くなった……の?」
 声が震える。
「ああ、こちらの世界と、アークトチスでは時間の流れがかなり違うんだね。アルバンは心臓発作、ロミルダは脳卒中、そして俺は老衰だったよ」
 どうして今まで、気づかなかったんだろう。
 涙が溢れ、私は目を押さえた。
「ニーナ、泣かないで」
「もう、みんな、亡くなってるなんて……私、どうして今まで気づかなかったの」
「大丈夫だよ。不幸な死に方をしたわけじゃない。俺以外は二人とも幸せだったみたいだし、何も悲しいことはないよ」
「でも……」
「俺みたいに、生まれ変わってるよ」
 生まれ変わって……?
 両目を覆っていた手を退けると、マインハルトがにっこり微笑んだ。
「マインハルトは、死んで、生まれ変わったの?」
「うん、そうだよ」
「マインハルトは、魔王を倒した後の人生、不幸だったの?」
「ニーナがいないからね」
 そんなにも強く想ってくれていたなんて、思わなかった。
「魔王を倒した後、俺はしばらくの間王都に留まったんだ。ニーナが帰ってくるかもしれないって期待してね。でも、何年待ってもニーナは現れなかった。絶望した俺は報賞金を使って、エッカート公爵家の領地で一番の田舎に家を建てた。数名の使用人だけを雇って、俺はそこで一生、ニーナのことを想って暮らしたんだ」
「えっ! 結婚、しなかったの?」
「当たり前だよ。俺にはニーナだけだからね。ニーナの絵を描いて、気を紛らわせて暮らしてたんだ。最期の日にもニーナの絵を描いてたよ」
「わ、私の絵?」
 とんでもない情報が飛び込んでくる。
「一生涯かけて描いたからね。すごい数になったよ。あ、彫刻にも挑戦したんだ。でも、絵よりは上手くならなかったな」
 私を美化して描いていたのだろうか。
 て、照れる。でも、見てみたかったかも……。
「記憶にあるニーナの裸を何度も描いたけれど、あの美しいピンク色の乳首は、どうしても再現できなかったな。悔しいよ」
「ちくっ!?」
「うん、乳首」
 前から変人だとは思ってたけれど、訂正する。変人じゃなくて、変態だ。
「み、見たように言わないでよっ! 私、マインハルトに、は、裸なんて、見せてないでしょ!?」
「泉で水浴びしてるところを覗いてたんだ」
 衝撃の事実……!
「最低じゃないっ!」
「夜這いは嫌われたら嫌だから我慢できたんだけど、裸を見たい欲求は抑えきれなかったんだよね。視力が良いことに、あれほど感謝した日はなかったなぁ」
 マインハルトは、ものすごく遠い場所にいる魔物を細かく確認できるほどの視力だった。ということは、どのくらいの距離から覗いていたのかはわからないとはいえ、細かく見えていたわけで。
 い、いやあああああああ!
 叫びたくなるのをなんとか抑えた。
「ありえない! 覗くだけなら嫌いにならないと思ってるの!? 大間違いだし! 覗きは立派な犯罪だよ!」
「現代日本ならそうだけど、アークトチスでは罪には問われなかったよ」
 えぇぇ……そうなの? 信じられない。
「もしも犯罪だったとしても、ニーナの裸が見られるのなら、罪人になっても構わない。俺は何度でも脱獄して、ニーナの美しい裸を見てみせるよ」
 カッコいい顔して、変なこと言ってる……。
「……話がずれたね。えーっと、それで、私の絵や彫刻を作って過ごしてどうなったの?」
「ああ、安心して。ロミルダに頼んで作って貰った絵の具で描いたから、俺以外の者には服を着ている絵に見えているよ。ニーナの裸を他の人間に見せるわけにはいかないからね」
「う、うん? ありがとう?」
「どういたしまして」
 思わずお礼を言ったけれど、いや、違う。これ、ありがとうって言うところじゃなかった。
 頭がフワフワする。酔いが回ってきたのかな。
「ニーナのいない世界は、色がなくなったみたいでずっと辛かった。早く死にたいと思ってたんだけど、なんと俺は八十五歳まで生きたんだ。アークトチスの平均寿命は七十歳だよ? それなのに八十五歳って……長すぎだよね。ちなみに死因はさっきも言ったけど老衰。本当に地獄のような一生だったよ。それで、気がついたら俺は真っ白な世界にいたんだ」
「真っ白?」
「そう、そこには神様がいたんだ」
「えっ! 神様!? 本当にいるの!?」
「うん、いた。神様はニーナを失って廃人になっていた俺に同情して、魔王を倒した勇者としての功績もあるから、俺をニーナが暮らす世界へ転生させてあげると言ってくれたんだ」
「だから、生まれ変わってこうして目の前にいるんだ」
「待って、ここまで来るのに大変だったんだ。そこも知って欲しい」
「え、どういうこと?」
「いざ、生まれ変わる手続きをしようとしたその時、神様がくしゃみをしたんだ」
「くしゃみ……」
 神様もくしゃみするんだ。
「そのせいで手元がずれて、俺はカタツムリに生まれ変わることになってしまった……」
「カタツムリ!?」
「そう、俺は世界一美しいカタツムリに生まれ変わってしまったんだ」
 こういうナルシストっぽいところ、変わってない。
「カタツムリとしての一生は悲惨だったよ。ニーナ、知ってる? カタツムリって雌雄同体なんだ。雄と雌、どちらにもなれるんだよ」
「え、そうなの? 知らなかった」
「そう、美しい俺をめぐって、ものすごい争いが繰り広げられたよ。俺はニーナ以外と一緒になるなんて冗談じゃなかったし、ニーナ以外との子を孕まされるなんて絶対に嫌だったから、必死に逃げたよ」
 いや、私、女だし! 孕ませられないから!
 突っ込みたくなったけれど、深刻な雰囲気に自重した。
「でも、カタツムリって足がすごく遅いんだ。気持ちは焦るのに、足がついていかなくてもどかしかったよ。なんとか逃げきった先がレタスの中で、俺はそのままスーパーに出荷されて、買われた先の家で……」
「う、うん、なんとなくどうなったかわかった」
「冷蔵庫の中は、とても寒かったよ。周りのレタスの葉が冷えていくから、余計に辛かったな」
 想像したら、なんだか寒くなってきた。
「そんなこんなでカタツムリとしての一生も終えて、俺は神様と再会した。ミスをしたお詫びとして、マインハルト以上にハイスペックなステータスを持って転生させて貰うことになったんだ」
「なるほど……」
「次はどんな職業にしようかなって悩んだけれど、この美貌を輝かせることができる職業といえば、やっぱりアイドルかなって思って」
 どこまでもナルシストだ。もはや実家に帰った時のような安心感すら覚える。
「ずっとマインハルトの記憶を持ったまま育ったの?」
「そうだよ。赤ちゃんの頃からずっと。早く成長して、ニーナに会いたいなって思ってた。パソコンが使える歳になってからは、何度も手がかりがないかキミの名前で検索したよ。でも、キミに繋がりそうなものは何も出てこなかった。フルネームなら、少しは違ったのかな? マインハルトだった時、苗字を聞かなかったことを後悔したよ」
 召喚されて初めて会った国王には名乗ったけど、他の人たちには言わなかったっけ。
 向こうでは日本名が珍しいから、何度も聞き返されて、面倒になったから次からは苗字は省いて『仁奈』とだけ言うようにしていた。
 それも『仁奈』じゃなくて『ニーナ』に変換されて、一度も正しく呼ばれたことはなかったけど。
「ニーナ、キミの苗字って何? ニーナって、どんな字で書くの?」
「間宮仁奈だよ。えっと、こう書くの」
 スマホに打って見せる。
「仁奈」
 正しく呼ばれると、ドキッとする。
 マインハルトの時の声もよかったけど、今の声もすごくいい。
「う、うん?」
「いい名前だね。今度からはちゃんと本名で呼ぼう。検索したら、出てくるかな?」
「あ、本名でSNSやってないから、出てこないと思う」
「本当だ。出てこない」
「本名でやるのはリスクがあるしね」
「そっか、じゃあ、どっちみち見つけられなかったのか……他にも仁奈が好きでよく踊ってたアイドルグループの『ラズベリー・ラディッシュ』のライブに行って、仁奈がいないか捜してたんだ。地方の公演にも足を運んだんだけど、見つけられなくて悲しかったな」
 呑んでいたお酒を吹き出しそうになった。
 私の黒歴史……!
 突然異世界に飛ばされた私は、日本が恋しくて恋しくて恋しくて……そのストレスがピークに達した。
 旅の途中、みんなが寝静まったところを抜け出し、声が届かない場所まで行き、当時ハマっていた『ラズベリー・ラディッシュ』の曲を夜な夜な歌いながら踊っていた。
 最初は遠慮がちだったけど、だんだんノリノリになってしまい、ある日マインハルトに見られてしまったのだ。
 マインハルトは拍手し、「素晴らしい。まるで夜空に輝く一番星のようだ」「こんなに心を動かされるものを見るのは初めてだ」「瞬きする一瞬すら見逃すのが惜しかった」……と、大絶賛され、穴があったら入りたくなった。
 実際、パニックになった私は穴を掘り、マインハルトに止められたのだった。

 


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