この街角で、君に恋して 2
第二話
髪の色は明るい、金色に近いブラウン。もしかするとダークブロンド?
目の色は青。緩い巻き毛だし、背が高いし、とにかく空を映したかのような目の色が半端なく綺麗だった。
外国の人って日本人とは違って、目の色も髪の色も綺麗すぎて、とにかく目が離せない。ズルくない!?
李帆はわけのわからない日本語を心の中で呟きながら、背の高い彼を見つめた。李帆の背はきっと彼の肩より下だから、二の腕あたりにぶつかったはずだ。
何とも甘い感じがする顔立ちと、背の高さにめったやたらに魅入られてしまう。確実に何秒間かは息を止めていたし、時間も止まっていたと思う。
目線が合っている間中、美しい空色の目をした彼は何度も瞬きをし、李帆をジッと見てくる。視線を外さず、そんなに見られると、さすがに李帆の心臓も高鳴ってしまう。
彼は李帆を見ながら、一瞬息を詰め、それから話し始めた。
「っ……ケガは、ないですか?」
「はっ? え?」
日本語喋った、と思って目を丸くする。彼は大きな白い手で李帆の手を引き、立たせた。
「あ、大丈夫、です……すみません、ぶつかって……」
素敵な人は温かくて、サラッとした手をしているんだな、と思った。
「手を貸して頂いて、ありがとうございます」
慌てて手を離し、礼を言って頭を下げる。見た目が完全に天使の彼は李帆を先ほどと同じように見つめ、にこりと笑った。きっと年上だけど、天使という言葉が一番似合う綺麗な顔立ちだ。
李帆も、ドキドキと心臓を波立たせるほどである。
「すみません、僕、考え事をしていました……日本語、通じてるかな? 話すのが久しぶりで……大丈夫? どこもケガはしていない?」
「あ……日本語ちゃんと通じてます。身体も、大丈夫、ケガしてません。……私も考え事をしていて、ちょっとホテルに帰ろうと思って急に方向転換したから。すみませんでした」
ボディバッグにスマホとノートを入れ、しっかりとジッパーを閉める。
改めて彼の顔を見ると、やっぱりジッと見つめたくなるほど、素敵だった。
しかも流暢な日本語で、イントネーションは多少の違いがあるが、ほぼ完璧だ。
「……それで、あの……不躾ですみませんが、ずっと見ていたくなるって言われませんか? その、顔を、ですが……」
初めて会った人にこんなことを言うのは初めてだ。しかも、相手は男の人、アメリカ人。
自分はこんな人だったっけ? と思うほど、李帆は素直に思ったことを口に出していた。きっと寝不足のせいだろう。
けれど、それくらい惹きつけられる、容姿端麗な男の人だったのだ。
「……確かに言われます。今でも普通に視線を感じるし……でも、初対面でそんなこと言われたのは初めて」
普通に視線を感じるという言葉を聞き、周りに目を向けると確かに男女問わず、目の前の彼をチラ見していた。男の人にも女の人にもモテそうな、そんな雰囲気の男性だ。
けれど、その視線にも慣れているのだろう。
周囲の彼を見た人の反応を確かめた李帆を見て、可笑しそうに笑った顔も、なんだかイタズラっ子な天使みたいで、李帆は一度目を閉じてまた彼をジッと見てしまう。
でもあまり見ては、本当に不躾だと思い、目を逸らした。
「ああ……そうですよね……失礼しました。ぶつかってすみません……では」
もう一度頭を下げて、彼の横を通り過ぎようとすると、あの、と言われたので足を止めた。
「はい?」
彼を見上げると、にこりと笑った。
「本当は、どこか行きたいところがあったんじゃないかと……思って」
つられて李帆も微笑み、頷いた。
「ええ、初めての海外旅行で、ニューヨークに行ってみたい、って思ってきたものの……英語はできないし、人も多いし……もともと陰キャ寄りなんです。だから、不安が膨らんでしまったので、一度ホテルに帰って寝ようかと思いまして」
「……いんきゃって?」
すごく流暢に日本語を話すから、日本だったら誰でも通じる日本語ばかりを羅列した。陰キャ寄り、なんてそんなことどうでもいいことだ。
「それはどうでもいい単語です。ただ、寝不足もあるかと思って……今日、朝の便でニューヨークに来たばかりですし」
「なるほど……じゃあ、一緒に寝にいく?」
「はぁ!?」
寝に行くってなに、と李帆は眉を寄せた。
彼は綺麗な青い目を丸くし、あ、と言って考え込むように首を捻って視線を上に向けた。そして思いついたように、李帆にまた天使の笑みを向ける。
「あー……えっと、個別に寝る場所を提供するカフェが近くにあって。僕もリセットしたくて、行くところ。ヘッドマッサージもしてくれるし、日本から来たばかりなら疲れてるでしょ? ぶつかってしまったし、チケットもあるから、謝罪も兼ねて、良かったら」
彼は謝罪と言ったが、ぶつかったのはきっと前を見ていなかった李帆の方なので、むしろこっちが何かしなければならないと思う。
「いえ、そんなこと……ホテルに帰ればベッドがありますし……大丈夫です、から」
やんわりと断りながら、考える。こういうケースはついて行っていいとは思えない。
しかし目の前の素敵な彼はとても身なりが良い。ノータイでジャケットのボタンは留めていないけど、三つ揃えのスーツを着ているし、足元は尖ってない綺麗に磨かれた革靴。
明らかに高そうな服を着ているので、きっとそれなりの地位を確立している人だと思う。
でもだからといってホイホイついて行くのはどうなんだ、と葛藤していたら、彼が手を差し伸べてきた。
さっき言ったことを聞いていなかったのだろうか。大丈夫です、では通じないのかもしれない。
手を取るべきか、取らざるべきか。手を少しだけ差し出して考え込むと、彼がさらに手を伸ばしてきて李帆の手を取った。
「行こう。きっと三、四十分くらいで生まれ変われる」
「ええっ!」
さっき大丈夫と言ったのに、と思った。が、日本人の大丈夫が断りの文句にならなかったのかもしれない。
初めて男の人と手を繋いだ李帆は、それすら考える間もなく手を引かれてイケメンの彼と歩く。
「すぐそこだから」
ついて行っていいのかな、という自問に答えは出なかったが、たぶん大丈夫なはず、と結論付けた。
にこりと笑う、なんだかフリーな感じの彼の名前も聞いていない。そう思ったのが伝わったみたいなタイミングで、彼が口を開いた。
「僕はエルダー、君は?」
「……杉崎李帆、です」
「リホ……あとでどう書くか教えて。僕、漢字には少し自信があるから」
そうなの? と思いながらまるで友達のような会話をしていることに気付く。
ニューヨークにいるのは今日と明日と、明後日と明々後日の朝まで。だから今日は潰れてもいいかもしれない。
とりあえず、彼の言われるがままに付き合うのも、ニューヨークの良い思い出になるだろう。
そう思いながら李帆は天使な彼、エルダーに微笑み返すのだった。
李帆はエルダーと名乗った天使のような美貌の男性に、睡眠カフェに連れて行かれた。
手を取られるままに移動する間、彼はこれから行く場所を李帆に分かるよう、手短に説明してくれた。
『睡眠カフェって言うのが、日本語ではしっくりくるかもしれない』
明るい色の、緩い巻き毛を揺らしながらそう言った。
睡眠カフェは日本にもあったけれど、李帆は利用したことがない。なんでも、リフレッシュのための睡眠は仕事にも、身体の健康にも良いのだとか。
『彼女について行ってね。セラピストが頭をマッサージしてくれるコースだよ。、四十五分間ゆっくりしてきて』
それで、足元に明かりがあるだけの半個室に案内される。出入口はスライド式のドアで、まるでネットカフェの個室みたいだった。
中には大きなリクライニングの椅子が置いてあり、お茶を渡された。飲み終えると、横になるように促され、好きに体勢を整えて、というような感じでリモコンボタンを手渡された。
天井にはプラネタリウムみたいにプロジェクターで星空が映し出されていた。綺麗な星が散っている。音楽もとてもゆっくりしたオルゴールの曲が流れている。
ここはまるでリラクゼーションルームみたいで、連れてきてもらって得した気分だった。
自分で良い感じの角度に合わせると、ブランケットをかけられた。そして頭にタオルが巻かれ、マッサージしますというようなことを言われる。こういう時、英語ができたらなぁ、と切に思った。
とりあえずOKと答えると、絶妙な指圧でマッサージが始まり、変に口が開いてしまうくらい気持ち良かった。
OK? と聞かれるけど、最初の一回だけしか答えられず、李帆はスウッと眠ってしまっていた。
それからどれくらい眠っていたのか、腕に振動を感じ、自然と目が開いた。腕に巻くように言われたのは、目覚めるためのタイマーだったらしい。
何度か瞬きをすると、もっと寝たいとかそういう気分ではなくて、なんだかすっきりした感じだった。
コンコン、と控えめなノックをされ、起き上がると、今度はホットコーヒーを手渡された。ゆっくりして飲んだら出てきて、みたいな感じに言われ、サンキューと答える。
「英語できないけど、なんとなくこういうのは分かって良かった」
コーヒーはとても美味しかった。温度もちょうどよくて、身体に染み渡る。
李帆はコーヒーを飲んでサイドテーブルに置くと、このままでいいのかな、と思ったがとりあえずブランケットを畳んだ。特にブランケットを置くボックスもないため、リクライニング椅子の上に置いて、靴を履く。
受付をした場所にはちょっとしたロビーがあった。なのでそこに行くと、すでに彼がいて李帆に気付き、ひらりと手を振った。
頭がすっきりして整理された感じがするのは、この場所でゆっくりできたからだろう。彼のところへ行き、前の席に座る。
「ありがとうございました、すごくすっきりしました」
「そう、よかった。僕も今日はちょっとすっきりしたくてね」
にこりと笑った頬杖をつく彼の左手首には、特徴的な色合いをしたスクエアの時計があった。
「ティファニーの時計……」
思わず、素敵な時計だと思って口に出してしまっていた。
ティファニーはニューヨークに本店がある。行ってみたいと思っているが、李帆にとっては行く勇気を奮い立たせないと無理そうだ。
改めて見ても、それなりの値段がする時計を身に着けているし、身なりも綺麗な彼はやはり社会的地位が高いのだろう。
「これはね、仕事でニューヨークを離れることになったから、記念に買ってみたけど。なんだか……合わないかな?」
苦笑した彼は時計に触れた。
合わないってことはない、肌の色白いし似合ってるけどな、と李帆は思った。記念に買ってみた、というその発言がセレブだ。李帆はただ笑みを向けるだけにした。
「ニューヨークへは観光で?」
「そうです。昔からなんとなく行ってみたいって思ってたので……でも、本当になんとなくだから、来てみて、人の多さにびっくりしたし……」
彼とは初対面だというのに、いつもの李帆と違って普通に話してしまっている。旅行に来て、違う自分に出会ったみたいだ。
「日本語しか話せないのに、一人で行動できるのか急に不安になってしまって。まったく、何をしに来たのか……これだったら日本国内で、温泉巡りした方がずっとましだったかもしれません」
パスポートを取るのも大変だったし、飛行機もエコノミーだから、もう飛行機に乗りたくないって思うほど疲れた。あれほどニューヨークで行きたい場所を探したのに、いざ来てみたらこのありさまで。
『杉崎さんって、ただ生きてるだけっぽいですよね。何か趣味とかないんですか? 彼氏もいないようですし』
こんな時だというのに、寺崎真央美に言われた言葉が胸に刺さる。
やっぱり、アパートと仕事場の往復くらいしかしていないツケが回ってきたのだろうか。楽しみ方がわからなくなってきているのかもしれない。
「スパ巡りもいいな」
そう言って彼は微笑み、次に考え込むような仕草をした。
「君の気持ち、少しわかるかも。ニューヨークは魅力的な場所なんだけど、いろいろ溢れすぎてるから……でも、君にとっては知らない場所だし、実際に行こうと思った場所に行ったら、楽しめると思う」
エルダーが李帆の顔を下から覗き込むように見る。
さすがに恋が何たるか知らない李帆も、彼に恋をしてしまいそうな仕草だ。ドキドキする。
この人の青い目は青い部分が多く見える。実際には人の目の虹彩の部分はすべて同じくらいの大きさとは言うけれど、これだけ真っ青な目で見られたら、ドキドキするのが普通じゃないだろうか。
ニューヨークでこんな素敵な人と出会うなんて、神様のイタズラとしか思えない。
「せっかく遠い日本から来たんだから、言葉の壁にとらわれず、楽しんだ方がいい。……で、今日、君はどこに行こうと思って歩いていたんだい?」
ホテルを出て、大通りに出て、タクシーを拾ってバッテリーパークへ行って、フェリーに乗る。そして自由の女神を見に行こうとしていた。
「自由の女神を見に行こうと思って……タクシーを拾おうかと……地下鉄は自信がないので」
彼は頷きながら李帆の行きたい場所を聞き、視線を上に向け、考えるような仕草をした。
「そっか……ちょっと待っててくれる?」
そう言ってエルダーはスマホを上着の内ポケットから取り出し、電話した。電話に出た相手と英語で話し始め、数分話したあと、電話を切る。
「急がないのなら、これから二十分くらい、待つことできる?」
なんで、と思ったが李帆は頷いた。彼は青い目を細めて笑った。
「じゃあ、待ってて」
立ち上がってサッと店を出て行こうとする背中に、李帆は目を丸くした。
「えっ、でも! ここで待ってていいんですか? お店に迷惑じゃ……」
李帆がそう言うと、彼は笑みを浮かべながら振り向いた。
「大丈夫! ここ、ちょっと前まで僕がオーナーだったから!」
手を振りながら、爽やかにすごいこと言って出て行くスーツ姿のイケメンは、この店に来た時と同じ左側に歩いて出て行ってしまう。
「……本当に待ってていいの? 私、あの人の名前しか知らないんだけど……ここのオーナーだったって……なんかすごいんだけど」
エルダーという名前しか知らない彼を信じて待っていていいの、と思いながら李帆は椅子に座った。
「こんなことって、ないよね……普通は」
とりあえず落ち着くため、スマホとメモ帳を取り出し自分なりに事細かに書いてある、自由の女神への行程をもう一度復習した。二十分待ってと言われたから、二十分待って彼が来なかったら一人で行こうと思った。
けれど、約束の二十分経っても彼は帰ってこなかった。一応、とさらに五分待っても帰ってこず。
「……帰り道分かるかな……わからなくなったらウエアリズレイモンドホテル? で大丈夫かな……」
めちゃくちゃ不安になってきたが、これはもう帰った方がいいだろう。おかげさまで眠れたし、頭はすっきりしているから、きっとなんとかなるはずだ。
「あんな素敵な人が私となんて……やっぱりないよね」
ため息をついて、李帆は立ち上がった。受付のスタッフらしき人に頭を下げると、店から出た。そして来た方向へ足を向け、思い出せる限り歩いてみた。
「確かこっちを左に曲がってきたから、今度は右、だよね?」
角を曲がったところで、軽く肩を引かれた。
振り向くとエルダーが立っていた。息が上がっている。走ってきたのだろう。
「ごめん、ちょっと会社に戻って着替えようと思ったんだけど、呼び止められて……遅くなってしまった」
彼はスリムパンツにスニーカー、白シャツとメッセンジャーバッグの姿になっていた。先ほどの、スマートな三つ揃えのスーツと違った雰囲気だが、今の服装も似合っていてカッコイイ。
「自由の女神って、中に登らなくていい?」
さっきから何度も思っているが、李帆は恋を知らないし、男性に免疫もない。だからどうしようもなく、この素敵な男の人に心が揺れ動いてしょうがない。胸の高鳴りも制御できない。
「……見るだけで満足するかと思って、チケットは予約していなくて」
なんとかドキドキする心を抑え、彼の問いに答えた。
台座に上ることができるチケットなどがあるらしいのは知っている。
それよりもフェリーに乗らなければならないので、そのチケットを買うのも想像の中で何度も練習したが自信がない。
「そう? じゃあ、案内する。バッテリーパークまでえーっと、ちかてつ、で行こうか」
案内、と聞いて目を丸くすると彼はクスッと笑って、李帆の手を取った。彼の大きな手は、李帆の手をすっぽりと包み込む。
「もしよかったら、だけど……君がニューヨークにいる間、観光案内させてくれないか?」
なんでこんなイケメンが、初対面の普通の女の李帆にこんな風にするかさっぱりわからない。下心がある感じには、天使すぎて見えない。
何より下心なんて李帆相手に抱かなくても、相手に不足はしなさそう。何のメリットもないのに、どうして李帆と一緒に行動してくれるのだろう。
李帆はやんわりと彼の手を離した。
「なんで、こんなに親切にしてくれるんですか? さっきの、寝る場所もだけど、着替えてきてくれて、案内をしてもらうほど親しくもありませんし……会社で引き留められたってことはお忙しいのでしょうし……」
しどろもどろ、という感じで言うと、彼はこちらを見て相変わらずの天使の笑みを浮かべた。
「さっき言った通り、仕事でニューヨークを離れることになったから、少し自由に動きたいなって。今日は自分に頼まれた仕事が全部終わった日でね。会社に戻ったら確認したいことがあったらしくて、それでちょっと説明してたら遅れてしまった」
そうかさっき言ってたな、と思った。彼は仕事でニューヨークを離れ、転勤になるのだろう。だから最後に観光でもしようか、ということかもしれない。
「それで明日から二週間休みだし、荷造りはある程度で大丈夫だから」
けれども、と彼を見上げ、李帆は言う。
「そんな貴重な時間をいただくのは気が引けます……それに、初対面で、なぜそんなに親切にしてくれるのかが、よくわからないです」
正直な気持ちを言うと、彼は微笑んだ。
「君の黒い目が、潤んで光って、キレイだったから。あと、見上げられるのが、嬉しいから」
いやいや、あなたの目の方が日に当たって光って青いし、綺麗ですけど。
内心そう思っても、もちろん口には出さない。
「それに……君を見た瞬間、目が離せなかった。今も同じなんだ」
李帆は何を言われているのかわからず混乱してしまう。こんなイケメンが、李帆のことをこんな風に語るなんて、とてもびっくりする。
つまり、これは……ナンパされているということ?
本気で言っているのなら、まるで口説き文句だ。よく知りもしない相手なのに、外国の人ってみんなこうなのかな、と李帆は顔が赤くなってしまうのを止められなかった。
「そんなこと……初対面なのに、褒めてくれてありがとうございます。本当に、日本語、お上手ですね」
なんて答えたらいいのかわからないので、当たり障りのない言葉を選んだ。
「十二歳まで、日本にいたんだ。あとは、ほぼニューヨークに」
緩やかな巻き毛が日に光って綺麗だ。
「そうですか……。でも、黒目が綺麗だから、で親切にするっていうのは、ちょっと理由として弱すぎません?」
こういうのは全く慣れてないし、むしろ自分が口説かれる側になるなんて思いもしない。
上司の坂上は、綺麗な顔をしているんだからとかなんとか言ったけれど、しかしギリギリ不細工ではないくらいにしか、自分の顔を認識していないのだ。
「そういう、なんとなくこう思ってるよって言うのはちょっと……私のことよく知らないだろうし。こちらとしては英語喋れないし、案内は、とってもありがたいんですけど……」
いろいろはっきり言い過ぎたかもしれない。
若干後悔しつつもエルダー見上げると、意外にも真顔だった。李帆の前髪を彼の綺麗な指先が搔き分けた。
「直感は、結構当たる方でね。できれば、ニューヨークにいる間でもいい。君の行きたいところに案内するから、一緒にいさせてくれないかな」
男性に免疫がない処女の李帆は、こんな超ド級のイケメンに口説かれるなんて人生においてないと思っていた。むしろ処女のまま死んだあとは、天国で聖女にでもなると思っていた。
「…………な、何もしませんよね?」
キスもしたことがないんだから、聖女確定だと思っている李帆だ。今のこの時間も、これからも、李帆は誰とも付き合ったりキスしたりその先に進んだりしないと心から思って信じている。
なんと言っても、こんな素敵な天使が、李帆の黒い目にやられただなんて、何かの冗談だろう。きっと時間が経てば忘れるはずだ。
そう思っているのに、何もしませんよね、なんて聞く李帆はバカとしか言いようがない。
何もあるわけがない。こんな素敵な人と自分が、なんて。
「それはもちろん。……あ、でも、髪の毛は今触ったけど……柔らかくてサラッとして、気持ちいい触り心地だった」
この人は、本当に日本人の李帆を気に入ってしまったのだろうか。そんなのはあり得ない話だが、李帆の心臓は激しく脈打ったままだ。
「そんな話より……決まり、でいいね? まずは、ようこそリホ、ニューヨークへ。この旅が良い旅になりますように」
手を差し出されて、握手を求められた。李帆は手を差し出して、彼と握手をした。
大きくてサラッとした手は、李帆の手をさっきと同じように全部包み込んでいる。
「じゃあ行こうか、世界を照らす自由のあるリバティ島へ」
世界を照らす自由、というのは自由の女神の正式名称だ。
なんだか、この言葉が胸に来て、絶対見に行きたいと思ったのだ。
ニューヨークはとても魅力的なところだと思っている。でもやっぱり一歩踏み出すには、ちょっと李帆にはハードルが高い場所だった。
けれど、今手を繋いでいる彼がそのハードルを下げようとしてくれている。
理由はアレだけど、彼の言うことが本当かどうかわからないけれど、良い旅になりますように、という言葉が胸に響く。
それだけでもニューヨークへ来てよかった。
李帆はそう思うのだった。