戻る

御曹司に恩返しを強要されています 執着王子と子作り契約結婚 2

第二話

 定時退勤できた日は、何故か得した気分になる。
 本来ならそれが当然だとしても、上司や先輩を差し置いて「お先に失礼します」と言える胆力が春乃にはなかった。
 ――今日は部長がお孫さんの誕生日で、数日前から「定時で終了!」と宣言してくれていたから、全員帰りやすかったな。
 日の入りが遅い時期なので、ほんのりと空は明るい。
 浮き立つ気持ちのまま、春乃は足取り軽く家路を急いだ。
 就職を機に一人暮らしを始めて四年。
 職場では中堅どころになりつつある。医療機器メーカーの事務として、最近では任せられる仕事も増えてきた。
 母と離れて暮らすことに当初は不安ばかりだったものの、今ではこの生活に随分慣れた。
 いや、慣れなくてはいけないのだと春乃の口元に苦笑が滲む。
 ――いつまでもあのままじゃいられなかったんだから、これでいいんだ……
 苦い感傷を押し殺し、強引に呑み込んだ。
 自分は正しい選択をしたのだと、敢えて言い聞かせて。
 そうでもしなくては気分が沈んでゆくのを、経験から分かっていた。
 春乃は父親の顔を写真でしか知らない。
 生まれる前に、事故で亡くなってしまったからだ。
 母が相当苦労して自分を育ててくれたことは想像に難くなく、実際その通りであることも理解していた。
 頼れる親類縁者はなく、まさに身を粉にして娘である春乃を守ってくれた。
 そんな中、とある知人の紹介で神宮寺の家政婦として雇われたのは、母の人生で一番の幸運だったのかもしれない。
 その日から母と娘は安定した生活を送れるようになったのだから。
 相場より高い報酬と、心地よい住居、優しい雇用主からの心遣い。
 それらにどれだけ助けられたことか。いくら感謝しても足りやしない。
 しかも神宮寺夫妻は春乃の学費まで負担してくれ、小学校から高校まで最高の教育を受けさせてくれたのだ。
 ちなみに流石に大学は自力で返済不要の奨学金を勝ち取り、援助の申し出を断っている。いくら「息子と同じ学校へ進学してくれ」と頼まれていたのだとしても、そこまで甘えられないと春乃自身が決めたのだ。
 間違いなく幸せで、充実していた日々。
 今振り返ってみても、母が家政婦になり神宮寺の敷地内に建つ平屋に、母娘二人で暮らした毎日は恵まれていた。
 ――だからこそ……あのままじゃ駄目だと思ったの……
 心地過すぎて、妙な欲を出したくなるせいで。
 それをしてしまえば、きっと取り返しがつかなくなってしまう。
 せっかく母が掴み取った安寧の生活に、春乃のくだらない感情で波風を立たせるわけにはいかないのだ。
 見て見ぬふりをし続けても、年々大きくなる願望に嘘がつけなくなってきたのを感じ、春乃は家を出ることを決意した。
 正確には『彼』から離れることを。
 神宮寺要。
 春乃にとって、幼馴染であり、母の雇用主の息子。そして、王子様。
 自分を長年助け守ってくれた人を好きにならないわけがない。
 まして完璧と言っても過言ではない素晴らしい男性だ。
 惹かれずにいるのは不可能だった。
 いつの頃からかは分からないけれど、春乃は彼に恋をし――諦めたのだ。
 分不相応な身の上を弁えていたから。
 ――好きになっても辛いだけ……あの人は誰に対しても親切で優しかった。
 間違っても、愚かな勘違いなどしてはいけない。のぼせ上がれば、母を悲しませることになる。
 自分が特別なのではないと自身に言い聞かせ、これ以上気持ちが傾く前に距離を取るべきだと考えた。
 そうして一人暮らしを初めて四年。
 ある意味計画は成功している。
 物理的に離れれば、多少は心の平穏を保てるというもの。
 ただし心の整理がつけられたかと問われれば、不充分だった。
 ――最後に要さんに会ったのは一年以上前か……でも、思い出すだけでまだ胸が痛い。
 母に会いに行っても、彼とは極力顔を合わせないよう気を付けている。
 情けないが、普通に接する自信が未だ持てないせいだ。
 一度離れてしまえば、以前はどんな顔と態度を要に向けていたのか、分からなくなってしまった。
 意識するほどに不自然になる。
 つい想いの滲んだ視線を向けてしまうのではないか。
 声に恋情が乗ってしまうのではないか。
 顔が赤らみ、挙動不審にならないと断言できるのか――全部、大丈夫と言い切れない。
 それなら会わない方がいい。忙しさを理由にして春乃が彼を避けても、咎める者はいなかった。
 母の存在がなければ、自分たちは『神宮寺家の一人息子』と『同じ年齢の娘』でしかなく、それが正しい距離感なのだから。
 むしろこれまでが、異例の厚遇を受けていたのだ。
 だから前回は、単純に油断していた。
 年末年始でもなく、平日の昼間に要が実家にいるなんて、いったい誰に想像できたのか。
 父親の会社の後継者として多忙な日々を送っている彼もまた、家を出て一人暮らしをしている。
 そんな要が偶然神宮寺の本宅へ顔を出すとは、全くもって想定外だった。それも、春乃が立ち寄ったまさにその日その時刻に。
 ――あの時はびっくりしたな……随分息が乱れていたし、大急ぎで足を運んだような感じだった。仕事に必要なものでも取りに戻られたのかな?
 思い出せば胸が騒めく。
 母と久し振りに談笑し、そろそろお暇しようかと腰を上げたまさにその時、要が駆け込んできたのだから。
 ――お母さんも随分驚いていた。でも要さん、特に急ぎの用事があったわけでもなかったみたいで不思議。……ひょっとして私に会うために飛んで帰ってきたのかと馬鹿げた妄想をしたくなるくらい……
 愚かな期待を振り払うため、深呼吸で落ち着こうと春乃が深く嘆息した時、突然鞄の中で携帯電話が鳴った。
 慌てて確認すれば、母からだ。
 ――こんな時間に珍しいな。いつもならまだ部屋に帰っていない時間だから、かけてこないのに。
 気遣いの塊のような母は、娘に対しても色々配慮してくれる。
 電話をかけてくるのは、いつも確実に春乃が出られる曜日や時間に限られていた。
「――久しぶりだね、どうしたの?」
 明るい声で春乃が応答すれば、何故か電話の向こうで息を呑む音が聞こえた。
『……ぁ、忙しい時間にごめんね』
「大丈夫だよ、今日は定時に仕事が終わったから、間もなく部屋に着くの。でも平日のこの時間にお母さんが電話してくるなんて珍しいね」
『そう……?』
 母の微妙な声音と間が、息遣いと共に伝わってくる。
 まるで春乃が電話に出ないものだと思っていたようで、少し奇異に感じた。
「もしかして、何かあった?」
『ううん。何でもないのよ。ちょっと……春乃の声が聞きたくなっただけ』
 話すうちに母の声から最初の違和感は薄れていた。
 今はもう、いつも通り穏やかで娘を気遣う様子が溢れている。
 僅かな引っ掛かりは自分の気のせいであったのかと、春乃は思った。
「えぇ? それだけ? 別に構わないけど……私なら元気にやっているし、心配しないで。それよりお母さんは?」
 母は今年で五十二歳。
 働き者で大きな病気をしたことがない健康な身体だとしても、傍にいられない分、娘として心配は尽きなかった。
『私は――大丈夫よ。奥様にはとてもよくしていただいているし、楽しくやっているわよ』
「だったらよかった。何かあれば、いつでも連絡してね? 仕事中だって、メッセージを残してくれたら、気づき次第折り返すから」
『ふふ。仕事中はきちんと集中しなくては駄目よ。せっかくあなたの希望の会社に入れたんだもの』
「だとしても、お母さんより優先するものなんてないよ」
 本心からの言葉を告げれば、刹那の間が落ちた。
 しかしすぐに母の弾ける笑い声が響き、春乃も自然と笑顔になる。
『ふふふっ、ありがとう、春乃。私はいい娘に恵まれて幸せね』
「それは私の台詞。お母さんの娘に生まれて、最高に幸せだよ。だからくれぐれも無理しないでね」
『ええ。――それじゃ貴女の声も聞けたことだし、もう切るわね』
「え、ぁ、うん」
 本当に特に用事はなく春乃の声を聞くために電話してきたのか、母はアッサリと通話を終了させた。
 こちらとしては、何とも放り出された気分になる。
 だが母にも気まぐれを起こす日はあるのだろうと、春乃が納得して携帯電話を鞄に戻そうとした瞬間、再び着信音が鳴り響いた。
「もしもし? 何か言い忘れたことがあった?」
 てっきり、母がもう一度かけてきたのだと思った。
 やはり何か用件があったのを思い出し、慌てて娘にリダイヤルしたのかと想像すると、微笑ましい。
 だが、何の警戒心もない春乃の耳に届いたのは、歩みを止めるのに充分な声だった。
『――久しぶり。……誰と間違えているんだ?』
 ほんのりと苛立ちを孕む声音。
 けれどその微かな機微は、おそらく春乃にしか感じ取れない。
 人生の大半を共に過ごし、誰よりも傍にいた幼馴染である春乃以外には、彼の僅かな変化を汲み取るのは不可能だった。
「……要さん……?」
 何故、彼が。
 これまでにも電話がかかってきたことがなかったとは言わない。
 しかし春乃が一人暮らしになってからは、初めてだった。
 二人の縁は、母が介在していなくては成立しない。しかも学生でなくなれば、自ずと接点は消えていた。
 だからこそ、要から電話があるなんて予測もしておらず、動揺する。
 春乃の背中には、一瞬にして冷たい汗が滲んだ。
『……話しておきたいことがあって』
「私に?」
 前回彼が慌てた様子で帰ってきて、顔を合わせた一年と少し前には、特に会話がなかった。
 春乃が曖昧に会釈して、素早く神宮寺邸を後にしたからだ。
 それなのに今、唐突に電話を寄越してまでしたい話とは何なのか、予想がつかず心臓が大きく脈打った。
『今、時間はある?』
「はい……間もなくアパートに到着します。あ、あの、後ほど私からかけ直します」
『そうか。じゃあ丁度良かった。それから、かけ直す必要はないよ』
「え?」
 戸惑いが指先を震わせる。
 彼の意図が読めず、視線が泳いだ。その先に信じられない姿があり、春乃が息を呑んだのは言うまでもない。
「……っ」
「お帰り、春乃」
 通話は既に切れていた。
 にも拘らず、明瞭に要の声が鼓膜を擽る。
 つまり電話越しの合成音ではなく、生身の人間の声として、直接春乃の耳に届いた。
「ど、どうしてここに……っ」
「話があると、言ったじゃないか。でも電話やメッセージで伝えるような内容じゃない」
 悠々と携帯をしまう彼は、幻ではなく実在していた。
 すらりと長い脚に、細身ながらしっかりとした肩幅。引き締まった体躯に、スーツがとてもよく似合っている。
 だが日本人離れした体格よりも印象的なのは、彼の相貌だ。
 幼い頃から変わらぬ美しさは、大人の男となった今、より一層人を惹きつける魅力を放っていた。
 柔らかそうで艶のある黒髪と、同じように豊かな睫毛。
 切れ長の瞳には、知性と品の良さが備わっている。
 完璧な造形の鼻や唇は、ほんの少しでも配置が崩れていたら、たちまち全てが台無しになっていただろう。
 何もかもが綺麗で、見る者を尻込みさせる美貌。
 非の打ち所がない外見は相変わらずどころか、以前会った時よりも輝きを増していた。
「だとしても、急過ぎます……っ」
「迷惑だったのか?」
「そういう意味ではありませんが……っ」
「随分狼狽しているのに?」
 実際、動揺はしていた。
 返事に困って、思考は空回りするばかり。春乃が慌てている間に、要が長い脚で近づいてきて、硬直することしかできなかった。
「部屋で話そう。鍵を開けて」
 普通の男女なら、恋人や家族、友人でもない異性を突然部屋にあげたりしないのかもしれない。
 一般的には、要求する方も非常識だと言われることだろう。
 けれど春乃と彼の関係性では、拒否は思いつきもしなかった。
 思考停止状態のまま、震える手で鞄から鍵を取り出す。
 なかなか鍵穴に差し込めず、余計に冷汗が春乃の肌を濡らした。
「――へぇ、ここが春乃の暮らしている場所なんだ」
「か……要さんは、初めてですね」
 部屋に招いたのは、母しかいない。
 どうにか玄関扉を開き、靴を脱ぐ間も心拍数は上昇し続ける一方だった。
 背中には彼の気配を嫌というほど感じる。こちらからは見えていないのに、要が室内に視線を向けたことも分かってしまった。
「どうぞ……」
 来客用のスリッパもないことが、今更ながら恥ずかしい。
 育ちがいい彼は律儀に「お邪魔します」と告げ、優雅に靴の向きを直した。
 四年間暮らしてきた己の城が、突然居心地の悪い空間になった心地がする。
 勿論気のせいでしかないのに、この場の空気が一変した錯覚があり、春乃は逃げる足取りで要をリビングへ案内した。
「ち、地方のいいところは、都会と比べて家賃が低いことですね。私のお給料でも、それなりに広いところを借りられます。座ってください。今、飲み物を……」
 どうでもいいことを口にしつつ、キッチンへ立つ。
 正確には何かしていないと落ち着かなかった。
 よもや自分の部屋へ彼が訪れることがあるなんて、夢にも思わなかったのだ。
 頭がフワフワして眩暈までする。
 拳を握って開くを数度繰り返さなければ、指先の感覚も失ってしまいかねなかった。
「飲み物はいらない。それより君も座ってくれないか」
 命令口調ではないが抗えなくて、春乃は繰られるようにリビングへ戻った。
 ソファーなんて気の利いたものは置いておらず、ラグの上に直接要が座っている。
 その前に置かれた小さなちゃぶ台が絶望的に彼にそぐわず、申し訳なさが募った。
「でも……」
「いいから、早く」
 躊躇うのは、息苦しいから。
 それと、愚かにも甘苦しく胸が締め付けられるせいだった。
 要とやや離れた位置に腰を下ろせば、一言言いたげな眼差しが飛んでくる。
 俯くことでそれに気づかぬ振りを貫いていると、彼が緩く息を吐いた。
「……春乃は毎年年末年始も帰らないけれど、最近おばさんと連絡は取っている?」
「え、はい。ついさっきも電話で……」
「ああ。僕の前に話していたのは、おばさんだったのか」
 納得したようで、要の雰囲気が若干和らいだ。どことなく安堵した風情もある。
 しかしすぐまた真剣な表情になった。
「……何か聞いた?」
「母からですか? いえ、私の声が聞きたかっただけだと言っていましたが……」
 ゾロリと首を擡げるのは、不安の芽だ。
 先ほどの母との通話でも燻っていた小さな違和感。
 それが、種から発芽していた。
 ――さっきのお母さん、やっぱりどこか不自然だったよね……いつもなら、用もないのに電話なんてしてこないもの……
 親子仲は良い。
 しかしべったりとしてもおらず、母は娘の自立を促し信じて見守ってくれる人だ。
 普通に考えれば、『声が聞きたい』なんて理由で通常出られない確率が高い時間帯に電話をかけてくるのはおかしかった。
「……母に何かありましたか?」
 不安で心臓が軋む。
 掠れた声は、ひどく弱々しかった。
「……やっぱりおばさんは春乃に何も伝えていないんだな。……だろうと思った」
 だから自分がこうして足を運んだのだと彼が呟く。
 あらゆる嫌な想像が駆け巡り、結果春乃は要の言葉を待つ以外、何もできなかった。
 溜め息を吐いた彼は、こちらを焦らしているつもりはないのだろう。
 無意味な駆け引きなんてしない人だ。
 純粋に『言い難く』て『言葉を選んでいる』のだと、皮肉にも春乃は察してしまった。
「いったい何があったのですか……?」
 本音を言えば、聞きたくない。
 絶対にいい話でないことは、嫌でも分かった。
 この先を耳にしてしまえば、きっと後悔する。それでも無視はできないこと。
 母に纏わるトラブルなら、唯一の家族である自分が知らぬ存ぜぬで許されるはずがなかった。
「……本来なら、おばさんから打ち明けるのが筋なんだが……」
「母に任せておいたら、私の耳に入らない恐れがあるんですね」
 煩く鳴り響く心音で、いっそあらゆる騒音を遮断できたらいいのに。
 しかし現実は残酷。春乃の聴力が拾うのは、不思議と要の声のみだった。
 二人の視線が絡む。
 過敏になった感覚は、吐息の作る空気の流れまで感じ取った。
 珍しく彼が言い淀んでいる。
 いつだって自信満々かつ迷いのなかった要が、探るように春乃を窺っていた。
 たぶん、どうすれば極力傷つけずに済むかを必死に考えてくれている。こんな表情をしている時は、さりげなく気遣ってくれている時。
 そんな心情が汲み取れて、複雑な思いが込み上げそうになった。
「――……先日の健康診断の結果、おばさんに早急に治療が必要な病が見つかった。もし何もしなければ――半年ももたないだろう」
「……っ」
 絶対に悪い話であることは、覚悟していた。
 だがまさかここまで最悪な内容だったとは。
 春乃は声も出せず、愕然とした。
 ――だったら、さっきの電話……何故お母さんは打ち明けてくれなかったの……?
 ショックのせいで、恨み言めいた思考が浮かんだ。
 けれど同時に母の気持ちも理解できてしまう。我が子に真実を告げられず、それでも何もせずにはいられなくて電話をかけてきたのだ。
 そういう悲しいまでの愛情と心細さを、母は一人で抱え込んで苦しんでいるのかと思うと、自分の情けなさに涙が溢れそうになった。
 もし春乃がもっと頼り甲斐がある娘だったなら。
 母は相談してくれたかもしれないし、泣いて寄り掛かってくれたかもしれない。
 だが実際には何も告げずに、黙って抱え込むことを決めたのか。
 そう思い至ると悔しさともどかしさに押し潰されそうになった。
 成人した立派な大人になったつもりでも、母にとって自分は未だ守るべき子どもなのだと思い知る。
 母なりの配慮であり愛情だとしても――秘密にしてもらいたくはなかった。
「……おばさんは今、うちが懇意にしている病院に入院している。でも、手術の日程は具体的に決まっていない。――未だに家族の同意が得られていないせいだ」
 全身から体温が失われてゆく。
 震えが止まらず、春乃の喉がか細い悲鳴を漏らした。
 頭の中は真っ白で、何も考えが纏まらない。ただ、唯一の家族である自分が何も知らなかったのだから、手術の同意も何もあったものではないことは、理解できた。
「……おばさんははぐらかしているけれど、きっと春乃に病状を告げていないんだろうなと思って、代わりに僕が伝えに来た。お節介なのは承知している。だが僕にとってもおばさんは家族同然だ。しゃしゃり出る真似をして、すまない」
 多忙な神宮寺の両親よりも、要にとって春乃の母親は『身近な大人』だった。
 深い愛情を注ぎ、傍にいてくれた『もう一人の母親』。
 彼がどれだけ春乃の母に心を許していたのか、自分だって知っている。
 だからこそ、要の独断を責める気には到底なれなかった。
「……要さんが謝る必要なんてありません……むしろ教えてくださって、ありがとうございます……」
 彼がこうして伝えてくれなかったら、春乃は何も知らないまま時間が過ぎて、母の容体は悪くなる一方だった。
 そして、取り返しのつかないことになっただろう。
 心臓が破裂しそうな胸元を強く押さえ、春乃は忙しく呼吸を繰り返した。