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あなただけ 執着系御曹司は秘書をなんとしても落としたい

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書籍紹介

独占されて、甘やかされて――

千景の結婚相手を探すべく奔走する秘書・心春。なのに彼は結婚に消極的なばかりか、彼女の世話を焼きたがる。自分の存在が邪魔になっている? そこで、千景に嫌われるため、彼が敬遠する“性に奔放な女”になってみた!? 夜這いをかけるものの逆に「心春の全部を俺のものにしたい」敏感な部分を嬲られ喘いでしまう。今までひた隠しにしてきた彼への想いがこみ上げて――?

ジャンル:
現代
キャラ属性:
社長・セレブ
シチュエーション:
玉の輿・身分差 | 幼馴染・初恋の人 | 甘々・溺愛
登場人物紹介

伊沢千景(いざわちかげ)

大手アパレルメーカーの御曹司。次期社長候補。誠実で人当たりがよく、爽やか。上司や部下からもみんなに慕われている。心春をとことん甘やかす。

咲坂心春(さきさかこはる)

アパレルメーカー役員秘書。今は亡き母が伊沢家の住み込みの家政婦として働いていた。仕事はできるが、壊滅的に家事全般ができない。

立ち読み


 人は生まれながらにして、持つ者と持たざる者に分かれる。
 子どもながらにそれを理解したのは、母に連れてこられた豪邸を見上げた瞬間だ。娘の手に力をこめ、小さな弟を抱いた母は言った。
『今日から、ここでお世話になるのよ』
 と。

 ◇◆…◆◇…◇◆…◆◇

「──失礼します」
 長身の室長に続いてその部屋に足を踏み入れると、芳しい花の香りに包まれる。
「咲坂を連れてまいりました」
「うん、ありがとう。七槻くん」
 落ち着きのある低い声で迎えてくれたのは、部屋の主だ。それをきっかけにして、目の前にいた七槻が一歩横にずれる。そこでようやく視界が開け、部屋の全貌が見えた。
 最初に目に飛び込んでくるのは、応接セットのテーブルにあるガラスの花瓶だ。インテリアとしても目を楽しませる花瓶に生けられた美しい花々は、来訪者の心を和ませる。
 奥の執務机には、一輪挿しの白い花瓶。
 そこに生けられた花を、毎日妻が選んで夫に渡しているのは、社内でも有名な話だ。部屋の主にそっと寄り添うようにして咲く花は、妻が夫へ送る愛そのもののように見えて、この部屋に入るたび盛大にのろけられている気分になる。
 季節関係なく、ほぼ毎日届く花を傍らに仕事をする部屋の主は、いつもどこか幸せそうで、妻の愛を身にまとっているようだった。
「咲坂さん、突然すまないね。帰り際に呼び出すような真似をして」
 苦笑を浮かべたのは、この部屋の主であり、大手アパレルメーカー・リエットアルモニアの社長・伊沢和一だ。穏やかな微笑みとのんびりとした空気を纏うが、業界ではキレ者と名高い。その妻の杏奈は、イタリア人のクォーターでウエディングドレスの現役デザイナーをしている。パタンナーをしていた和一と一緒に仕事をしたのがきっかけで結婚に至り、和一は前社長から事業を引き継いで経営にまわった。
 もともと伊沢家は呉服屋の老舗として名が知られていたのだが、先代が洋装を取り入れて事業を展開し、そこへ和一がさらに拡大を図ったことで、大手にまで上り詰める。
 和服のみならず、子ども服からウエディングドレスまでブランディングを図り、コンセプトに合わせた値段設定で、今や様々な年齢に親しみやすいアパレル会社へと急成長した。
 その社長室に呼び出された彼女──咲坂心春は、微笑んだ。
「どうぞ、お気遣いなく」
 大丈夫だと伝える心春に、和一は苦笑を浮かべる。その表情を見て、心春はなんとなく社長室に呼び出された理由がわかった気がした。和一から来客用のソファに促され、七槻ともども腰を下ろす。視線の先には、テーブルに積み上げられたファイルの山があった。向かいに座った和一に、心春は視線を移す。
「もしかしてお話というのは……、あの件でしょうか?」
 表情で察した心春の問いかけに、和一が頷く。
 申し訳なさそうな表情が和一からの返答だと気づき、盛大にため息をつきたい気持ちになる。しかし、心春はぐっと腹に力を入れて堪えた。
 秘書である心春にとって、感情は敵だ。
 正直落ち込んだが、すぐに気持ちを切り替え、心春は立ち上がって頭を下げる。
「力及ばず、申し訳ございません」
「どうか顔を上げてほしい。謝らなければいけないのは、私のほうなんだ」
 申し訳なさそうに言う和一の声に、心春は折り曲げた身体を起こした。
「そんな、社長が謝ることではありません。私が言ったんです。私にできることならなんでもいたします。させてください、と。それができないのは、私の力不足です。本当に申し訳ございません」
 再度頭を下げる心春に、
「咲坂さんは、よくやってくれているよ」
 と、和一は優しく声をかけてくれた。その声に胸が痛む。
 これでようやく社長の憂いがひとつ晴れるものだとばかり思っていたからこそ、結果が伴わなかった反動が大きかった。前で組んだ自分の手をぎゅっと握りしめる。
「ほら、座って」
 心春が力なくソファに腰を下ろすと、隣で黙って聞いていた七槻が口を開いた。
「──社長。もしよろしければ、断られた理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「ああ。いつもと同じだったよ。……何か違うそうだ」
「……何か、ですか」
 七槻が、和一の言葉を反復する。が、すぐに顔を上げた。
「一番、困る返答ですね」
「そうなんだよ……。まったく、何を考えているのやら……」
 和一は、ため息交じりに答える。まるで、今にも頭を抱えんばかりだった。
 美しい妻に愛され、会社の経営も軌道に乗り、順風満帆な社長として見られている和一も、人間だ。悩みというのは、別け隔てなく平等に与えられる。
 今、彼の頭を悩ませている理由は、自身の息子にあった。
 伊沢千景──三十三歳。伊沢家のひとり息子だ。
 五年間の海外勤務を終え、一ヶ月前に帰国した。
 リエットアルモニアの社員で、当然次期社長候補にあがっている人物なのだが、当の本人による「親の七光りで社長になっても人はついてこないから、他の社員と一緒に扱ってほしい」という希望で、御曹司でありながらも平社員として会社に貢献している。
 入社当時は、社長子息が入社するという情報が流れて大変だったらしい。しかも、社長とその妻の血を引いているだけあって整った顔つきをしており、身長も高い。そんな目を引く外見もあって物珍しく見られたらしいが、彼の持つ穏やかな雰囲気と誰とでも仲良くなる人当たりの良さで評価は一変。
 上司だけでなく部下からも慕われるようになり、今では誠実が服を着て歩いているような、爽やかな男性だと社内ではもっぱらの評判だった。
 さらに海外に行ったことで仕事の実績を積み、帰国後課長に昇進。
 そんな出世コースの御曹司ともなれば、周囲の女性も黙ってはいない。社内の女性社員は浮足立つ者と、そうでない者とで二分しているという情報もある。それを見越していたのか、和一は千景の帰国後すぐに動いた。
『千景に見合う女性を、選んでほしい』
 お見合いをすることにしたのだ。
 しかも、彼の大事な伴侶になるかもしれない女性の選別を、心春に任せた。最初はなぜ自分に、と思ったが理由は考えればわかることだった。
「咲坂さんがこんなにがんばってくれているのに、千景のせいで頭を下げさせるようなこと……、親として申し訳ないばかりだ。このままでは、菜摘さんにも顔向けができない」
 苦笑する和一を前に、心春は首を横に振る。
「そんなことおっしゃらないでください。母も伊沢家のお世話になった人間です。きっと、ちーさま……んんッ、千景さまのことを案じていると思います。千景さまのことで悩まれている奥さまや旦那さまを思い、一緒に胸を痛めるはずです。それに今まで私達家族にくださった恩を思えば、私はこれぐらいどうってことありません」
 心春は、幼いころに父を不慮の事故で亡くしている。
 そのとき母・菜摘は産休中で、弟を預ける保育園を探している最中の訃報だった。父を送ったあとも、周囲の心配をよそに母は五歳の心春と、首がすわったばかりの弟を抱え、懸命に生きていた。
 だが、現実は残酷だ。
 父の四十九日も明けていないというのに、父方の祖父母が突然やってきて「女手ひとつでふたりの子どもを養うのは無理だ」と言って心春たちを引き取ろうとした。しかし、母は子どもたちを手放すことはしなかった。
 出産後で心身ともに不安定なところで夫の死に見舞われ、子どもたちと引き離されそうになる不安の中、ぼろぼろになりながら生活のために母は働いた。そばで見ていた心春にもわかるぐらい、日に日に憔悴していく母を見て「誰か助けて」と何度願ったことだろう。
 そんなとき、救いの手を差し伸べてくれたのが──伊沢家だった。
 職場復帰後、あまりシフトに入れてもらえない状況だった母を「以前、とてもいい仕事をしてくれたから」と、伊沢家がわざわざ指名してくれたらしい。母が自身の状況を説明したところ「そういうことなら、住み込みで」と言ってもらい、敷地内にあるはなれに住むことになった。
 それから、二十年。
 千景のそばで育った心春は二十五歳になり、伊沢家への恩返しをするべくリエットアルモニアに秘書として仕えている。つまり和一にとって心春は、誰よりも千景のことを知っている身近な女性として認識されていた。
 それで、心春に白羽の矢が立ったのだろう。
 のちの伊沢家当主の妻になる女性を見つける大役だ。
 これは伊沢家にいいご恩返しができると喜び勇んだ心春は、すぐに伊沢夫妻に「嫁として求めること、または必要なこと」を訊き、千景本人には「好きな女性、嫌いな女性のタイプ」を訊いて、見合いリストを作った。
 しかし残念ながら、和一の思いに応える結果は悲しいかな出ていない。
 毎回、綿密にリサーチした中から合致する女性を見つけ、マッチングは完璧だと思って提出するのだが、見合い写真を渡した段階ですべて断られてしまう。
 さらに、千景が見合いをするらしいという噂まで社内に流れ始めた。どこから漏れたのかまったくわからないが、それを聞いた肉食女子たちが玉の輿を狙って千景に近づいているという情報も小耳に挟んでいる。
 万が一、こちらで用意した良家のお嬢さまや、千景に似合う女性と引き合わせる前に彼に何かあったら、心春は伊沢夫妻に顔向けができない。早く縁談をまとめたいと気が急く心春に、結果はついてこなかった。
 だが、下を向いてばかりではいられない。
 心春は顔を上げて、和一を見た。
「私、また選別して社長にお持ちします」
 正直、今回こそはいいご縁に繋がると思っていた。その自信もあっただけに落胆は大きかったが、心春は気持ちを切り替えて笑顔を作る。
「……ありがとう。引き続き、よろしく頼むね」
 それを最後に、室長の七槻と一緒に社長室を出たのだった。
「──言葉遣い」
 先を歩く七槻の声で、心春は咄嗟に顔を上げる。
「社内では、旦那さま、奥さま、それから途中で言い直したが、ちーさまは禁止。本邸では構わないが、会社では気をつけるように」
「……申し訳ございません」
「社長の前で気が緩んでしまう気持ちもわかるが、だからこそ公私はしっかり分ける」
「はい」
「だがまあ……、立ち居振る舞いは少し良くなった」
 秘書室のドアを開けながら、七槻は眼鏡の奥で目を細める。それが彼の笑顔だと知っているのは、秘書室内でも心春ぐらいだろう。
 秘書室室長の七槻裕の家は、古くから伊沢家に仕えている。彼の父は本邸で執事として働き、その息子である裕は会社で和一を支えていた。
 つまり彼もまた、心春にとっては付き合いの長い人物だった。
「ありがとうございます」
 微笑む心春を見て、七槻は小さく頷く。
「社長とのやりとり以外は、それなりに仕事ができるようになってきました。どうか、このまま気を抜かないよう気をつけてください」
「はい」
 室長の顔に戻った七槻の前を通り過ぎ、心春は秘書室へ入った。
 すぐに頭を切り替え、次に社長へ提出するお見合い相手を考える。それでも手は帰り支度をし、口は「お疲れさまでした」と勝手に動く。今の仕事に就いてから、マルチタスクがほんの少し身に付いたのは、七槻の指導のおかげだ。だが、それを喜ぶ余裕は微塵もない。今は千景の「お見合い」のことで頭がいっぱいだった。
「──とまあ、報告はこんなもんだけど、俺の話聞いてる? 心春」
 突然、目の前で手を振られ、我に返る。
 心ここにあらずでも、それなりに話を聞き、行動できるようになったのはありがたいが、一瞬自分が何をしていたのかわからなくなるのは困りものだ。
 呆ける心春に、目の前にいる男は苦笑を浮かべる。
「ここは、いつものカフェで、俺は」
「たかくん」
「はい、おりこうさん」
 少し色素の薄いふわふわの髪を揺らして笑ったのは“たかくん”こと──秋元貴文。リエットアルモニアの社員で、七槻や心春と同じように伊沢家の使用人関係者だ。
 昔、彼の母親が伊沢家で通いの家政婦をしていたころ、たまに来ては心春と遊んでくれた。年上の幼馴染のような存在だ。いつの間にか伊沢家に来なくなったのだが、心春の入社後、彼と社内でばったり出くわしたことで、十何年ぶりに親交を重ねている。
 そして──心春の協力者でもあった。
「で、今の俺の話を聞いて、何か気づいたことは?」
「ない……かな。今日も彼に近づく女性はいなかったんだよね?」
「ああ。俺が見る限りではな」
 彼がそう答えられるのは、心春が貴文に千景の日々の動向を、仕事に支障をきたさない程度に見守るようお願いしていたからだ。実は貴文、千景と同期で、同じ部署にいて、チームまで同じの、社内で今一番千景のそばにいる社員だった。貴文に目を光らせてもらうことで、千景の女性関係を把握することができれば、何かの拍子で変に勘違いした女性が最悪ストーカー化しても対応できると思ったのだ。
 それを伝えたら、貴文からは『心春のほうがストーカーみたいだけどな』と笑われてしまったが、正直自覚はある。だからといって、やめるわけにはいかなかった。伊沢家の宝である、大事な千景に何かあってからでは遅い。
 だから心春は、千景を監視することに決めた。
「んじゃ出るか。家まで送ってくから」
「え、もう?」
「心春に言わなきゃいけないことは、全部伝えたからな。用件は終わった。あとは、こんなところでできない話をしよう」
 人懐こい笑みを浮かべて、貴文は心春の頭をがしがしと撫で回した。それから心春の分のカップもトレイにのせて、返却口まで持っていく。その間に、心春はスツールから下りてカフェの外に出た。都心だから星は見えない。黒い夜空がそこにあるだけだった。
「お待たせ」
 カフェから出てきた貴文と世間話をしながら向かった先は、コインパーキングだ。
 あらぬ誤解を招かないよう、心春は会社から離れたカフェで貴文と落ち合っている。それもあって、心春は後部座席に座った。シートベルトをしめて車が走り出したところで、貴文が『こんなところでできない話』を始める。
「──見合い、また断られたのか?」
 バックミラー越しに視線を向けられ、心春は黙って頷いた。
「どうしてわかったの?」
「心ここにあらずだっただろ。そういうときは、大抵見合いを断られたときだ」
「はぁああ。たかくんは、よく見てるなー」
 これみよがしにため息をつき、心春は口を開く。
「もう私、どうしたらいいのかわかんないよ……。だって、今度こそはって思って出したんだよ!? 吟味に吟味を重ねて、そりゃあもう本人の意見だけじゃなくて周囲の意見も合わせたうえで、さいっこうのマッチングだと自信を持って出したの! それなのにさ」
「……だめだったのか。そりゃ、ご愁傷さま」
 心春の言いたくない言葉を、貴文が同情を込めて続けた。
「ねえ、たかくんはどう思う?」
「どう……って、どうもこうもないけど」
「あ、じゃあさ、千景さまが女性に興味ない……なんてことは……」
「ないな。それはない」
 断言する貴文に安堵はしても、疑問は払拭されなかった。
「なら、どうして断るんだろ。今回は絶対に受けてくれると思ったんだよ?」
 泣きそうな声でつぶやく心春に、貴文は優しく答える。
「他に理由があるんじゃないのか?」
「理由? 『何か違う』以外に?」
「その『何か』を訊いても答えてくれないんだろ?」
「うん。傾向と対策を練りたいから教えてほしいって言っても『それがわかったら、心春に教えてるよ』って返されるだけなんだよね。はぐらかされてる気がしないでもない」
「心春、俺思うんだけど」
 ゆっくりと車が停まり、貴文はハザードランプをつけて運転席から振り返った。
「もしかしたら、それ以前の問題かもよ?」
「……それ以前?」
「そう。断り続ける理由がわからないんだったら、そもそも結婚自体を嫌がっているかもしれない……とは、考えられないか?」
「え? でも、お見合いは旦那さまの意向で……だから」
 本人もその気なのだと、思っていた。しかし、これが和一の意向だから断れないとなると、まったく別の話になってくる。
 貴文に言われるまで、そんなこと考えてもみなかった。
「……たかくん、天才」
「俺は、その考えに至らなかったことが不思議でならないよ……。本当に、千景に関してはポンコツだな」
 げんなりした貴文をよそに、心春は急いで車から降りて運転席側に回る。カーウィンドウが下がっていく中、貴文の視線に合わせて少しだけ腰をかがめた。
「送ってくれて、ありがとう!」
「協力料は、まとめてメシ代にしてもらうから覚悟しろよ」
「まっかせて。そのときは、いいお店予約しておくから!」
 貴文は挨拶代わりに片手を上げてからエンジンをかけると、颯爽と車を走らせた。心春は見えなくなるまで手を振り、マンションへと入っていく。背後に誰もいないことを確認してからエントランスでオートロックを外し、エレベーターで三十三階へ。
 鞄から家の鍵を取り出そうとしたところで、部屋のドアが開いた。
「真冬?」
「あ、姉ちゃんおかえり」
 部屋から出てきたのは、五歳離れた弟の真冬だ。
 身内の欲目と言われるかもしれないが、弟はかっこいい。すらりと伸びた身長、はっきりとした目鼻立ち、天使のような笑顔は子どものころから変わらず、周囲の大人たちを籠絡する。父の顔も知らず、思春期に母を亡くしたというのに、真冬は素直で愛嬌に溢れた青年に育っていた。
「遅かったね」
「うん、ちょっと仕事が立て込んでて……」
「そんなことだろうと思って、カロリー低めの食事作っておいた」
 弟からの優しい言葉に嬉しくなった心春は、ここがマンションの共用廊下だということをすっかり忘れ、衝動のままに真冬へ抱きつく。
「ほんっと、いい子に育って……ッ!!」
「あはは。ありがとー。姉ちゃんも、仕事お疲れさま」
 心春の抱擁を嫌がることなく、むしろ抱きしめ返してくれるのだから、我が弟ながら「優しい子に育ったな」と胸がいっぱいになる。
「もうちょっとこうしていたいけど、明日一限からでさ。俺はうちに戻るけど、姉ちゃんはちゃんと食べてしっかり寝てね」
「はー。さすが、栄養学を学んでいる弟の発言は違うなー」
 うんうんと頷きながら、心春は真冬を腕の中から解放した。
「栄養学関係ないから……。俺が言ってるのは、健康でいるために必要なことだよ」
 そう言う真冬の瞳は、ほんの少しさみしげに揺れる。
「俺には、もう姉ちゃんしかいないんだから、大事にさせて」
 そこに母の腕に抱かれていた小さな弟の姿はなく、頭を撫でたくても手が届かないぐらい大きくなった弟がいた。昔なら心春が頭を撫でる側だったが、今では逆だ。
 真冬が気遣うように、労るように、心春の頭を撫でてくれる。
「じゃあおやすみ」
「うん。真冬も、無理しないでね」
「おう。あ、冷蔵庫に朝食も入れておいたから、それも弟の愛だと思って食べて」
 はにかみながら背中を向けた真冬は、最後にもう一度心春に手を振って隣の部屋の玄関ドアを開けて帰っていった。鼻の奥がじんとするのを感じながら、心春も帰ろうと目の前のドアを開けて──
「まるで、恋人同士の会話みたいだったね」
 優しい声に出迎えられる。
 目の前では、麗しい男が廊下の壁に肩を預けるようにして腕を組み、微笑んでいた。

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