私が溺れた眼鏡秘書

-
- 本販売日:
- 2019/12/04
- 電子書籍販売日:
- 2019/12/04
- ISBN:
- 978-4-8296-8397-2
- 試し読みについて
- 電子書籍のご購入について

クールな秘書にロックオンされました。
「あなたに劣情を抱いていました」有能な秘書・青山に唇を奪われ、息もできない。社長として会社を守る絢子。彼に恋しているけれど、関係を持ってしまっていいの? 不安をいち早く察知し、きつく抱き締められる。「絶対に逃がしませんよ」身体の奥深くに昂りを叩きつけられ、彼を一番近くに感じれば心も満ち足りて――。クールな秘書の独占愛に酔う、淫らで切ないラブ!

青山隆文(あおやまたかふみ)
絢子の秘書。有能で、絢子の全面的な信頼を得ている。冷静沈着な性格。独占欲が強く、強引な面もある。

東峰絢子(とうみねあやこ)
父のカフェチェーンを引き継ぎ、社長となった。凜々しい雰囲気で明るい性格。実は秘書の隆文に心惹かれている。
朝八時の上野駅。通勤ラッシュ時の駅構内は、足早に歩く人々でごった返している。
夜半から降り続く雨は東京の街をしっとりと濡らし、いくつかの路線で電車遅延が発生していた。ただでさえ陰鬱な気分の月曜日。濡れた傘を手にして、すでに疲れた表情の人も多い。
そんな中、東峰絢子はキリッとした表情でカツカツとヒールを鳴らしながら歩いていた。
黒のパンツスーツ、皺ひとつないストライプのシャツ。シンプルだが、上質なアクセサリー。肩より長いダークブラウンの髪は、湿気に負けないようしっかりまとめられている。いつもどおり隙のない着こなしだ。
美少年風と言われる顔立ちは少しキツめで、やわらかな印象のメイクを心がけているが、それでも表情の凜々しさは隠せない。
いかにもキャリアウーマンという雰囲気のとおり、絢子は二十代で社長職に就いている。
隣を歩く男──青山隆文は彼女の秘書だ。二人は歩みを緩めることなく新幹線改札口を通り抜け、口頭での打ち合わせを続けていた。
「先月の試算表、税理士さんからオッケー出てないみたいね」
「固定資産についていくつか確認事項があるそうです。経理課長に対応を依頼してあります」
「明日夜の会食は変更なし?」
「はい、予定どおり十九時に赤坂です。営業会議は時間短縮のため、議事内容を一部変更しました」
「ありがとう、助かる。後藤専務の決裁書は?」
「やはり当初の価格でいきたいとのことでした。先方とすり合わせて本日十五時までに結論を出すそうなので、後ほどメールでご報告します」
「了解」
青山は絢子よりひとつ年下で、今年二十七歳になる。
すっきりと整った顔、スクエアフレームの黒縁眼鏡。彼は一見甘めの美形だが、その中身は実に有能な秘書だ。何を聞いても淀みなく回答が返ってくるのはいつものことで、絢子は全面的な信頼を寄せている。
「そういえば福井社長のところの創立記念パーティー、申し訳ないんだけど同行してもらえる?」
「もちろんです。祝花もすでに手配いたしましたので……社長、足元にお気をつけください」
青山に手を取られて、地下のホームへ向かう長いエスカレーターに乗った。
下りの階段やエスカレーターでは、青山が絢子の前に立つ。上りは絢子の後ろに。彼は常に主を守るような立ち位置を選ぶし、何かと絢子の手を取って先導する。
そういう扱いは、絢子にとっては少し面映ゆい。何だか彼に大切にされているような気分になってしまうから。
まあ現実には、「そそっかしい社長がすっころんでは一大事」とでも思われているのだろうが。あれこれ考え事をしつつちゃきちゃきと動き回る絢子は、青山の目には危なっかしく見えるらしい。
実際先月も社長室で椅子ごと派手にひっくり返って、青山に下着を見せてしまったばかりだ。それも結構攻めてる系のセクシー紐パンを。
せめてもう少しかわいい系のショーツならよかった……いやよくないけど。
完璧な逆セクハラをキメた身としては彼のエスコートを拒みにくい。だから「子供じゃあるまいし」とブツブツ言いながらも、結局手を引かれることになるのだ。
新幹線ホームに着くと、もうすぐ絢子の乗る新幹線が到着する時刻だった。
絢子は「じゃあよろしくね」と踵を返す。ここからは青山と別行動だ。仙台での会議に出席する社長と、新潟の店舗に視察に行く社長秘書。自分が行くより有意義な報告書が上がってくるのが分かっているので、青山一人で行かせることには何の不安もない。
「あ、社長。お待ちください」
呼び止められて振り向く。思ったより彼が近くにいた。
「ピアスが曲がっているようですが……ちょっと失礼します」
「え……」
絢子の耳たぶに青山の指が触れる。頬にも、微かに。
もちろん動揺を顔に出したりはしない。こちらが不利になるような情報を簡単に出すのはご法度、ポーカーフェイスは社長業の必須アイテムだ。
でも間近で見つめられて、彼のサラサラした黒髪からは柑橘系のシャンプーが香って。顔には出さないけれど、思いきり動揺してしまう。無表情を保つため、絢子は息を詰めて全力で無の境地になった。
「はい、結構です」
「……ありがとう」
「行ってらっしゃいませ。お気をつけて」
荷物を手渡し、いつもどおり美しい所作でお辞儀をする秘書。
ちょうどそこに新幹線が入線してくる。絢子は逃げるように乗り込んで、青山の目につかない位置で大きく深呼吸した。
……うちの秘書がイケメンすぎて辛い。
絢子は新幹線の座席でもしゃもしゃとおにぎりを食べている。青山から「移動中に召し上がってください」と差し出された朝食だ。
有能な秘書は、今朝顔を合わせるなり「朝食を召し上がっていませんね?」と眉間に皺を寄せた。
「どうして分かるの、いつも」
「お顔の色がすぐれませんから。昨日の夕食は召し上がったんですか?」
「……うん」
「社長。夕食は召し上がったんですか?」
「……チョコレートを少し。あの……おいしかったです」
秘書の突き刺すような視線がこわい。絢子はそっと目を逸らす。
絢子の父である先代社長は急性の心疾患で亡くなった。それ以来、絢子の食生活と睡眠時間には青山の厳しいチェックが頻繁に入る。
頭では分かっている。父を亡くした今、自分まで倒れるわけにはいかない。体調管理も仕事のうち。でも気になっていた書類仕事に手をつけたら止まらなくなり、つい遅くまで仕事に没頭してしまったのだ。
「車内販売で何か買うから大丈夫」
「駄目です。またお菓子で済ませるおつもりですね?」
「……うっ」
「今日も強行スケジュールですから、食事くらいしっかり召し上がっていただきませんと」
ため息をついた青山から、紙袋を渡される。「社長の体調管理も私の仕事ですから」と、呆れたように……でもやさしく笑いながら。
その笑顔を思い出しながら、絢子はしみじみおいしい朝食をいただいた。
おにぎりの中身は絢子の好きな昆布とおかかだ。それから青山お手製のぬか漬けと、ふんわり焼いた出汁巻き卵。小さなスープジャーには野菜たっぷりの豚汁。人参は絢子が苦手だと知っているからだろう、クマの抜き型でかわいくしてある。
「……あんたはお母さんか。それとも嫁……?」
人参のクマを見つめながら呟く。どちらにしてもこれは秘書の仕事ではない、絶対。
自分が頼りない社長だから、青山に余計な仕事を増やしてばかりいるのだ。そう思うと、絢子はため息しか出ない。
父が急逝し、絢子が社長に就任して二年。いずれ父の跡を継ぐつもりだったとはいえ、こんなに早く社長に就任する予定ではなかった。
それでも何とかやってこられたのは、周囲の並々ならぬ力添えがあったからだ。
父と苦楽を共にしてきたベテラン社員たちは娘の絢子のことも変わらず支えてくれたし、それぞれ別の会社を経営している親戚たちもいろいろ助言してくれた。そして父の秘書だった青山は、そのまま絢子の秘書になってくれた。
心の準備も不十分なまま社長になって、とにかく会社を存続させるために必死だった日々。青山はそんな絢子をいつも支え、今も的確なサポートをしてくれているのだ。本当に献身的に。
……それなのに、私は。
隣を歩く青山に、感謝の気持ちだけでなく恋心を抱いてしまったのはいつからだろう。本来なら絢子は、恋なんてしていられる状況ではない。有能な秘書が仕えるに値する主になることが先だ。
そして互いの立場も、嫌というほど分かっている。
この気持ちを知られてしまえば、二人のあいだにある信頼関係はなくなってしまうだろう。絢子はビジネス上もっとも失いたくないパートナーを手放すことになる。それだけは避けたい。
この恋は慎重に取り扱わなければならないのだ。
決して不適切な行動を取ることがないように。社長と秘書の適切な距離を保てるように。
**
絢子の父がカフェ経営を始めたのは今から二十年以上前のことだ。
東京に一号店を出したあと、関東を中心に少しずつ店舗を増やした。現在、関東から東北まで四十店舗を展開している。
大手カフェチェーンには遠く及ばない店舗数。それでも一代で築いた会社としては、規模も売上もなかなかのものだ。二十代の経営初心者が背負うにはずいぶん重い荷でもある。
一号店を出店するころ、日本でインターネットが急速に普及し始めた。その状況を横目で見ていた絢子の父は、力強く語ったという。「これからはあちこちの飲食店の情報を簡単に得られる時代になる。大手チェーンの真似事をしても埋もれるだけだ。写真映えする、話題になるメニューで他と差別化していこう」と。
カフェのメニュー開発は、女性社員を中心に進められた。
エディブルフラワーや季節のフルーツで華やかに演出されたドリンク類、美しいブーケのようにデコレーションされたタルトやケーキ、童話の世界をモチーフにしたかわいらしいパフェの数々。
試行錯誤の末に生み出されたカフェメニューは、ターゲット層である女性客の心をしっかり掴んだ。
そして「写真映えするカフェメニュー」という戦略は、SNS全盛期を迎えると抜群に功を奏した。
熱心に料理の写真を撮っていく客は多い。特に若い女性たちは、たくさん写真を撮ってSNS上にアップしてくれる。魅力的な画像が拡散されればそれだけ知名度も上がり、来店機会に繋がる。ありがたい時代だ。
店の客単価は決して安くない。長引く不景気で低価格路線に舵を切る飲食チェーンも多い中、絢子の父は「こだわりのメニューを適正な価格で提供していく」という姿勢をずっと貫いた。
社内では「時代に逆行している」と心配する声もあったようだが、これでよかったのだろう。ちょっとしたご褒美用の店、デートにも使える店、女子会にお勧めの店。少しお高めのカフェには想定以上のニーズがあり、経営は今のところ安定している。
「……今のところ、だけどね」
絢子はタクシーの中でそっと呟く。
傍らに置いたビジネスバッグには決算書が入っている。
社長になって二年。一年目に税理士から黒字の決算書を受け取った瞬間、安堵で涙がこぼれた。その決算書を、絢子はお守りのように持ち歩いているのだ。
名の知れた大企業ではないし、飲食チェーンとしては小規模。
それでもここまでやってきた歴史があり、働いてくれる多くの従業員がいる。絶対に会社を潰すことはできない。その緊張感と情熱が、今日も絢子を動かしている。
仙台から戻った絢子は、上野駅近くの居酒屋に急いだ。
案内された個室では、友人の福井陽平がゆったり座っている。煙草を吸っていた彼は、絢子が現れると慌てて煙を手であおいだ。
「陽平ごめん、遅くなっちゃって」
「全然待ってないよ。悪いな、まだ来ないと思って煙草吸ってた」
「いいよ、ゆっくり吸って」
パタパタと一生懸命手を振る様子がおかしくて、絢子は思わず笑う。彼は豪胆なようで意外と気を遣う男なのだ。もう一度「気にしないで吸って」と念を押す。
陽平の前に置かれたビールジョッキが半分以上減っているのを見て、絢子は生ビールを二つ注文した。
「雨やまないねぇ」
「一日降ってたぞ、今日。仙台忙しかった?」
「うん、でも楽しかった。スタッフとも結構話せたし、仕入先にも挨拶できたし」
絢子は仙台での会議を終え、いくつかの店舗や仕入先を回ってから帰りの新幹線に乗った。
どこかで一杯飲んで、頭を東京モードに戻してから帰りたい。そう思っていたときに、タイミングよくこの男から酒の誘いがあったのだ。
陽平は大学時代からの友人で、彼の父親は全国チェーンの居酒屋やダイニングバーをいくつも経営している。互いに飲食店の跡取りであることが分かると、絢子と陽平はすぐに意気投合した。
彼は大学卒業後、父親の会社で副社長としてバリバリ働いてきた。絢子にとっては気楽に付き合える経営者仲間の一人だ。
「めずらしいね、月曜なのに飲みに行こうなんて」
「いやー……ちょっと参っててさ」
疲れた口調で言いながら煙草の火を消す友人に、絢子は黙ってビールを飲みつつ先を促した。
「そろそろ嫁をもらえって、超絶うるさく言われている件について語っていい?」
「うそ、私たちもうそんなこと言われる年なの?」
「何ならここ十年くらいずっと言われてたぞ、俺」
「あー、陽平はそうかもね」
絢子はそんな話とは無縁だったが、知人友人の中にはお見合いをしたとか婚約者がいるとか、そういう世界のお嬢様もちらほらいる。
陽平も大きい会社の跡取りだ。いわゆる政略結婚のような縁談がたくさんあってもおかしくない。
「いい子いないの? いっぱいいるじゃん、仲のいいお嬢さん」
「んー、仲がいいのは下半身だけだからなぁ」
「……最低だな君は」
陽平は何年も彼女を作らなかったけれど、つまみ食いはそれなりにしているらしい。彼の異性関係なんて興味がないから、あまり気にしたことはなかったが。そこそこイケメンの次期社長だ、遊ぶ相手には事欠かないのだろう。
「絢子こそ、そろそろあの秘書と不適切な関係にならねぇの?」
「やめてよ。秘書とそんなことにはなりません」
急に青山の話題を出され、絢子は自分でも分かるくらい頬が赤くなる。
最近陽平は、こうしてしょっちゅう秘書との関係を勘繰ってくるのだ。「青山はただの秘書」と何度も言っているのに。
「うちの創立記念パーティーもあの秘書と来るんだろ? 他にエスコートしてくれる男はいないのかよ」
「青山と一緒に行くほうが安心だし。頼ってばっかりで申し訳ないんだけどさー……」
青山はたぶんパーティーの類が好きではない。それでもついエスコートを頼んでしまうのは、絢子もパーティーが苦手だからだ。
若い女性社長という存在がめずらしいからか、絢子一人のときにしつこく話しかけてきたり、連絡先の交換を迫ってきたりする男性は少なくない。でもなぜか青山が同行しているだけで、そういうことが一切なくなるのだ。ベタベタ触られたりもせず、純粋にビジネス上の交流だけを楽しめる。
まだ若輩者だとなめられているのかもしれない。有能な秘書が隣にいるときには、不快なことはほとんど起こらないのだから。
自分には社長としての威厳も、男をあしらうテクニックも足りないのだ、きっと。絢子は肩を落とす。
「あの秘書を連れていれば、そりゃ安心だろうな」
「しっかりしてるからね、青山は」
「や、そうじゃなくて」
陽平はこっそり苦笑する。
彼から見れば、なぜ絢子が秘書の殺気に気付かないのかが不思議でならない。あんなにぴったり主に寄り添って、不埒な男たちを静かに威嚇し続けているのに。
よそのパーティーやイベントで、陽平は青山の鉄壁のガードを何度も目撃していた。
評判の悪い男が近くにいればさりげなく絢子の手を取って遠ざけ、しつこく話しかけられればやわらかな口調で相手の話を切り上げさせる。安全な人物を数人巻き込んで、絢子と男を二人きりにさせないようにするのも上手だ。
ちなみに女癖が悪いと認識されている陽平も、あの秘書にとっては警戒対象らしい。絢子とは本当にただの友人なのに。危険な男は一律シャットアウトということで徹底しているのだろう。
周囲に気付かれない程度にひっそりと、でも確実に絢子を守る青山。
まるで娘に悪い虫がつかないよう死守する父親のようだ。もしくは忠実な番犬。もしくは……嫉妬深い恋人。
「あーあ、どうすっかなぁ。困るよなー、そういうの」
「え? 何が?」
「うーん……まあいいや、今日は」
陽平は歯切れの悪い口調で言って、ビールを飲み干す。
結局その日は当たり障りのない話をして、一時間程度で解散となった。「話があるからビール一杯だけ付き合って」と誘われたわりには、たいした話などしないままで。
何の話だったのかと気になりつつ、陽平はこのあとも予定があるというので、絢子もさっさと席を立つ。きっと時間がないのだろうと、深く考えることもせずに。
陽平の用件に、思い当たることなど何もなかったのだ。このときは、まだ。

ブラウザ上ですぐに電子書籍をお読みいただけます。ビューアアプリのインストールは必要ありません。
- 【通信環境】オンライン
- 【アプリ】必要なし
※ページ遷移するごとに通信が発生します。ご利用の端末のご契約内容をご確認ください。 通信状況がよくない環境では、閲覧が困難な場合があります。予めご了承ください。

アプリに電子書籍をダウンロードすれば、いつでもどこでもお読みいただけます。
- 【通信環境】オフライン OK
- 【アプリ】必要
※ビューアアプリ「book-in-the-box」はMacOS非対応です。 MacOSをお使いの方は、アプリでの閲覧はできません。 ※閲覧については推奨環境をご確認ください。
「book-in-the-box」ダウンロードサイト- オパール文庫
- 書籍詳細