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お嬢様の恋人①

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本価格:792(税込)

電子書籍価格:--円(税込)

  • 本販売日:
    2021/12/04
    ISBN:
    978-4-8296-8468-9
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書籍紹介

全てを俺のものにするからな
シリーズ累計10万部!
シヲニエッタが贈る『オペラ座の恋人』シリーズ最新作!

名家出身で女子校育ちの珠季は自他共に認める喪女。憧れの上司・宇賀神といいムードになったのに、怖くて逃げてしまい……。でも彼は「俺との接触に慣れるんだ」と手を繋いで来て!? 濃厚なキスを教えられ、心臓が痛いほど高鳴る。「気絶しても止めてやれない」熱い欲望で何度も絶頂を味えば大好きな気持ちが溢れて。お嬢様を絶対諦めない男が仕掛けた、淫らな恋の包囲網!

ジャンル:
現代
キャラ属性:
上司・先輩
シチュエーション:
オフィス・職場 | 幼馴染・初恋の人 | 甘々・溺愛
登場人物紹介

宇賀神彬良(うがじんあきら)

星ビルトラストの社員。珠季が入社当初からの教育係だった。とあるプロジェクトのため香港に赴任していたが、このたび帰国。珠季といい雰囲気になったことがあったが、その時は彼女に拒絶されてしまい!?

日比野珠季(ひびのたまき)

ゼネコン大手・葉室建設のお嬢様だった母を持つ、27歳。女子校、女子大出身で純粋培養で育った。祖父のコネで星ビルトラストで勤務している。先輩である彬良に恋心を抱いていたが、いざとなったら……。

立ち読み

  日比野珠季は、いわゆる喪女である。

 二十七歳独身、勿論処女。クリスマスケーキなんてもうとっくに過ぎたけど、結婚どころか彼氏いない歴=年齢を日々更新中の、社会人六年目。
 喪女というのは、モテない女の略であるとされる。異性と付き合ったことがない、異性に告白されたことがない、恋愛感情を持たれたことがない。当然の帰結として純潔を保ち続けている、それが喪女。
 珠季は、それら全ての項目を完璧に満たしていた。何しろ、生まれてこの方、浮ついた話どころか異性そのものに縁がない。
 見た目も地味だ。社会人として見苦しくないよう、服装には一応気を配っているつもりだが、ナチュラル一辺倒の化粧のせいか真っ黒なバージンヘアのせいか、どうにも印象が垢抜けない。身長一六五センチと女性にしては上背があるが、モデルのようなスタイルでもなければ美人顔でもない。むしろ、顔が可愛くなくてもせめて小さければ可愛げがあったのにと、両親に向かって零したことは数知れず。
 中身もまた、見た目に負けず劣らず残念な感じであった。
 趣味は特にない。強いて言えばホテルのアフタヌーンティー巡りが好きだが、特別企画に目の色変えて飛びつくほどではない。唯一特技と言えそうなのは、物心つく頃には既にお稽古に通っていた茶道だが、今ではほぼ惰性で続けているだけで、熱心にお免状を取るでもない。
 お菓子作りやポーセラーツ、キャンドルアートやフラワーアレンジメントなど、いくつかサロン的なお教室に気が向いたときだけ通うが、いずれも初心者に毛が生えた程度のレベル。そもそも、上達しようとか極めようとかいう熱意がない。冷めてもいないが、とにかく万事が生ぬるい。
 運動はほぼ全て苦手で、楽しいと思ったことは一度もない。楽しめるのは散歩くらいだが、あくまで散歩であってウォーキングではない。ランニングなどもってのほかで、あれは一種の自虐行為だと思っている。
 そんな珠季は、喪女だけれど、いわゆるお嬢様である。──らしい。
 らしい、というのは、本人にあまり自覚がないせいだ。世間一般でイメージされている“お嬢様”と自分自身が、全くこれっぽっちも重ならないせいもある。
 珠季の母は生まれながらにして本物のお嬢様だったが、珠季本人は全く違う。父は社長や経営者ではなくただの勤め人だし、豪邸で使用人に囲まれて暮らしているわけでもない。ごく普通の一戸建てに、通いの家政婦が一人いるのみだ。本物のお嬢様にはほど遠いというか、比べものにもならない。
 なのに、そんなことを思う当人をよそに、周りは口を揃えて「今時珍しいくらいの箱入りお嬢様だ」と言う。
 お嬢様呼ばわりされる度、珠季はこっそり溜息をつく。お嬢様っぽいといっても、単に幼稚園から大学までエスカレーター式の女子学園で育ってきたというだけ。そんな女性は世の中いくらでもいるし、なんなら過去二十年間一緒に過ごした同級生達はほぼ全員、珠季と大差ないレベルだ。

 何のレベルか。
 異性に対する免疫レベルである。

「みんなグラス持ったかー? それじゃあ改めまして、今後もお互いよろしくお願いしますということで! カンパ〜イ!」
 十一月下旬のその夜は、大きなプロジェクトを共同で運営してきた取引先との飲み会だった。今後のために若手同士の交流を図るというお題目で、「プロジェクトのメンバーは管理職以外全員参加」と言われて珠季も渋々出席したのだ。
 場所は、中目黒界隈の創作和食ダイニング。洒落た和モダンな雰囲気の店はまだ新しく、彩り美しい盛り付けが見映えする料理は味も悪くなさそうだったが。
 初対面の異性に対する免疫を持ち合わせない珠季にとっては、こうした場で見知らぬ異性と同席すること自体、結構な苦行であった。初対面でも相手が女性なら普通に会話できるのに、くじ引きで決まった席次は両隣とも相手方の男性社員。これでは気の休まる瞬間がない。
「じゃあまず、飲みながらでいいんで簡単に自己紹介お願いします! できれば担当業務も! そっちの端からお願いできますか?」
 よりによって真っ先に指さされてしまい、ぎくりと竦み上がった珠季はあたふたと立ち上がる。
「あ、あの、日比野、珠季と申します。営業事務、兼、グループセクレタリーです……」
「珠季ちゃん! 珠季ちゃんでーす!」
「珠季ちゃーん、声小さいよー! もっと大きくー!」
 周りの男性が盛り上げようと色々な声を上げるが、それにどんなリアクションを返せばいいのかわからない。緊張で顔を強張らせながら無言で立ち尽くし、誤魔化すようにぺこりとお辞儀して再び腰を下ろす、その一連の動作だけでどっと疲れる。
 ──物心つく前から、珠季の周りには家族と教師以外の異性がほぼ存在しなかった。
 一人っ子で兄弟もおらず、いとこやはとこなどの親戚には男の子もいたが、彼らはいつも自分達だけで遊び騒ぐのに忙しく、幼い上に引っ込み思案な女の子の相手なんかしてくれなかった。学校生活も、男女共学だったのは幼稚園のみ。小学校から大学までは全て女子校で、男性教師はいずれも父親より年上だった。そうして学校生活を終えるまでは、同年代の異性と会話することすらごく稀で。
 おかげで珠季は、社会人になってもうすぐ六年経つというのに、今なお初対面の若い男性と雑談するのが苦手なままだった。
「あんまり飲んでないね。ビール苦手?」
 肩を縮めて小さくなりながらビールの泡をちびちび舐める珠季に、隣に座った男性が身体を向けつつ声をかけてくる。途端、身をよじって距離を取ろうとしてしまうのは、もはや条件反射だ。
「飲み放題だし、無理しないで違うの飲めば? カシオレとかのカクテル頼む?」
「あの、大丈夫です、飲めなくはないので……」
 至近距離に異性の気配を感じただけで、何をされたわけでもないのに身体が勝手に逃げを打つ。親切で話しかけてくれているのに、相手に対して失礼極まりない。二十七にもなってこんなんじゃ、いい加減恥ずかしい。
 頭ではそうわかっているのに、身体の反応は珠季本人にも全く制御できないのだ。
「やだな、そう怯えないでよ。え、俺そんな怖そう?」
「いえあの、すみません違うんです、そういうわけじゃ……っ」
 決して小さくはない身体をめいっぱい縮めてビクつく珠季を、男性は不思議そうに見ている。相手の気分を害する前にどうにか普通に会話しようと必死になるのだが、一体何をどう話せばいいのか全然わからない。
「あっ! 佐藤さん、ごめんなさーい! 日比野さんてぇ、ちょぉっと男の人が苦手で、初対面だといっつもそんな感じなんですー。そのうち慣れてくると思うんですけど!」
 少し離れた席に座っていた後輩の女子社員が、二人の間の微妙な空気に目敏く気づき、わざとらしいほど明るい声でフォローしてくる。
「男が苦手? マジで?」
 え、その歳で? と言わんばかりに周りからじろじろ見られると、自意識過剰な勘違い女みたいでいたたまれない。頷きつつも珠季は必死に釈明しようとするのだが。
「す、すみません。苦手なだけで、怖いわけでは……」
「そうそう、佐藤さんは全然怖くないですよー。その日比野さんが、特別箱入りなだけですからぁ!」
 間延びした無邪気な口調の裏側にこもった嘲笑。いつも気づかないふりでやり過ごす珠季だが、こうして小馬鹿にされるのはやはり気分のいいものではない。彼女の近くに座った先輩社員が「よしなさいよ」と小声で制止してくれるが、周りが食いついてしまう。
「え、なに、もしかしてどっかのお嬢様とか? あー、そう言われてみればなんか品が良さそうな」
 違います、そんなことありません、と焦った珠季が否定する前に、後輩が一際甲高い声で「そうなんですよぉ!」と言い放った。
「日比野さんて、あんまりそうは見えないですけど、実は本物のお嬢様なんです。何しろ、幼稚園から大学までずぅっと櫻院一筋ですから〜!」
 その言葉に、隣の男性だけでなく、それ以外のメンバーもざわつき始める。変に興味を持たれたくない珠季は即座に口を噤んだが、周りは興味津々だった。
「え、櫻院? あの有名な、超お嬢様学校の櫻院女学館? しかも幼稚園からって、すげぇ。純粋培養かよ!」
「確かになんかお淑やかな感じしますよね。佇まいっていうか、雰囲気?」
「オール櫻院のお嬢様で普通に働いてる人って、俺初めて見たっす。家事手伝いから専業主婦一直線だと思ってました!」
「普通に働いてる……のとは、ちょぉっと違うかなぁ? 日比野さんは、うちの会長に可愛がられてる、お姫様ですから。だからね、お触り厳禁ですよぉ! 変なことしたら、私達が怒られちゃいますからね!」
「ちょっと、やめなよそんな話……!」
 個人情報に踏み込むようなことまで声高に吹聴する彼女を、一部の同僚が慌てて窘める。けれど、彼女がこうして遠回しに珠季を貶すのはいつものことだったし、それに。
 珠季が勤め先のトップに可愛がられているというのは、紛れもない事実だった。
「何それ、下手に手ぇ出したらヤバい系? マジで? すげえ!」
 目を白黒させていた相手先の面々が、更に好奇心全開の視線を向けてくる。ああ、やっぱり来るんじゃなかった……と珠季はこっそり唇を噛んで溜息を押し殺した。
「星ビルトラスト会長の覚えめでたいお嬢様って、もしかして血縁者とか?」
 そう探りを入れられ、「いえ、そういうわけでは……」と曖昧な笑みを返しつつ内心嘆息する。
 珠季の勤め先である星ビルトラストは、旧財閥系が幅を利かせる不動産業界で大手の一角を担う、名門の不動産開発業者である。
 全国展開する大企業と比べると会社の規模は小さいし、一般での知名度もそれほど高くはない。だが話題性のある物件をいくつも所有し、首都圏での実績は同業の中でも抜きん出ているほか、海外の大都市にも進出して複数の大型案件で成功を収めている一流企業だ。
 その星ビルトラストの会長と珠季の間に、血の繋がりは全くない。ただ、珠季の母方の祖父が会長の若い頃からの親友であり、会長の鶴の一声で珠季の入社が決まったのは厳然たる事実であった。
 そのことが他の一般社員の反感を買ったのも、また事実。
「直接の血縁がないのに日比野さんのあの扱いって、むしろ凄いですよね!」
「へえ。なに、そんな凄いの?」
「凄いんですよ〜。だって、お昼休みに会長に呼ばれて、役員フロアで一緒にランチですよぉ? 私なんて、会長と直接お話ししたことだって一度もないのに!」
 星ビルトラストの社員達は皆、仕事に対する強い誇りと強烈な愛社精神を持つ優秀な人材ばかり。国内有数の名門大学でトップクラスの成績を修め、熾烈な就職戦線を勝ち抜いて入社した彼ら彼女らにとっては、珠季のようなコネ入社組など同僚とも思わないばかりか、頭から見下す対象なのだ(無論、そうでない社員もいるが)。
「星ビルトラストの会長とランチか、へえぇ! ねえねえ、それってどんなの食うの?」
 興味本位でぐいぐい来られ、またしても条件反射で仰け反った珠季だが、黙り込んでもどうにもならない雰囲気に仕方なくぼそぼそ返す。
「あの、普通に……仕出しのお弁当、ですとか」
「仕出しって、ホテルとか料亭とかのたっかいやつ?」
「いえその……私も、よくは存じ上げなくて」
 本当は知っているけれど黙っておく。会長の好みのものを秘書が手配し、自分は黙って出されたものを頂くだけだが、馴染みの料亭特製の折詰弁当や、近隣の一流ホテルの鉄板焼き店から届けさせた和牛ステーキ弁当など、どれもかなり高額なものだ。
 とはいえそうしょっちゅう呼ばれるわけではなく、せいぜい月に一度あるかないか。それだって特別だと言われてしまえばそれまでだが。
「でも、日比野さんはそれだけじゃないんですよぉ。入社直後からお世話係までつけてもらって、仕事もぴったりマンツーマン指導。しかもそれがすっごく優秀な人で! 新入社員の面倒見るような立場じゃなかったはずなのに!」
 その言葉に、珠季の胸がずきりと痛んだ。……お世話係なんて言ったら彼に失礼だと思うけれど、もしかしたら本人もそんなふうに思っていたのかもしれない。
 彼女の言う通り、本当に優秀な人だった。上からの命令で自分の教育係にされてしまったけれど、自分なんかの相手をしている余裕も時間もなかったはずで。それなのに、押しつけられた面倒なコネ社員を多忙だからと邪険にすることなく、一から仕事を教え込んでくれた。珠季が社会人として真っ当に働いて生きていけるのは、全て彼のおかげだ。
 ……ただし、その彼につきっきりで指導されていたせいで、社内の女性達から余計に睨まれる羽目になったのだが。
「ほぉんと、お嬢様ってトクですよね〜。就活でうちの会社落ちた子に日比野さんの話したら、悔しすぎて泣きそうになってましたもん。あ、別に、日比野さん個人がどうこうってわけじゃないんですよ? ただ──」
「……山本さん、もうそれくらいにしといたら? いつまで経っても全員の自己紹介が終わらないよ」
 その場の全員に聞こえる声で割って入ったのは、彼女と対角線上に座っていた男性の先輩社員だった。口調は穏やかだが、普段より僅かに低い声はどことなく冷ややかで、一瞬場が静まりかえる。
 反射的に口を噤んだ彼女は、直後あざとい仕草で大袈裟に謝罪してみせた。
「そういえばそうでした! やだぁ、思いっきり脱線させちゃったぁ……須藤さん、ごめんなさ〜い!」
「俺に謝ってどうすんだよ」
「ですよねぇ! 皆さんすみませ〜ん!」
 そこでようやく周囲の視線が自分から逸れ、ほっとした珠季は頭の中で「帰りたい」と連呼しながら再び溜息を噛み殺す。
 ……以前は、こうではなかった。彼がついていてくれた頃は、飲み会だってそれなりに楽しめた。必ずいつもそばにいて、守ってくれていたから。
『タマ。いいからおまえは俺の隣に座っとけ』
 席決めのときはそう言って、少々無理矢理にでも必ず横にいてくれた。
『おいタマ、おまえはそろそろやめとけ。すいません、こいつあんまし飲めないんで。それ、俺が頂いてもいっすか』
 飲めないお酒を勧められれば、横からそうして口も手も出して助けてくれた。
『俺らは二次会パス。や、うち門限厳しいんで! ほらタマ、帰るぞ』
 誘われて断りきれずにまごついているときもさらりと連れ出してくれたし、その後は「どうせ近くだから」と家のすぐそばまで送ってくれた。
 守られて、甘やかされて、仕事も一から教えられて。それで自分はやっとどうにか、社会人としてやっていける程度に普通の人になった。これでもう、世間知らずのお嬢様なんかじゃない。──そう、思っていたのに。
 彼がそばから離れた途端、箱入りのお嬢様に逆戻りしてしまった。おまけに、彼が横にいる間はおとなしくしていた女性達から、一斉に目の敵にされるようになってしまい役立たずのお嬢様、と陰口を叩かれても、言い返すことすらできない。だってその通りだから。
 外に出て人と会うような仕事はほぼできず、安全圏のオフィスにこもって電話番と事務作業をするしか能がない。我ながら情けないけど、どうしようもない。それだって必要不可欠なちゃんとした仕事ですよ、と上司は慰めてくれるが、後から入ってくる優秀な新卒社員にはすぐに見下されるようになって。
 それでも仕事を続けているのは、「お嬢様がとうとう音を上げて逃げた」と思われたくない、という意地と。
 ……忘れられない人を、遠くからでもそっと見ていたいという、未練がましい思いからだった。

          ◆

「──いい加減辞めちゃえばぁ? そんな会社」
 数日後の夜、奥渋の商店街の片隅にあるカウンターのみの小さなビアバー。
 白ビールのグラスを手に飲み会の顛末を愚痴る珠季に、従姉の薫がいつもの決め台詞を口にした。
 多分そう言われるだろうなと予想していた珠季は、耳が痛いと呻きながら肩を落としてしょんぼり俯く。
「薫、だからそれは言わないでって……」
「だって珠季、そんなくっだらないイヤミ言われながら働く必要ある? 全然ないじゃない。生活に困ってるわけでもなし」
「え、困るよ。お給料なくなったら、すっごく困るよ!」
 なんて言いつつ、本質的には全く困らないなんてことは、相手もとっくにお見通しである。
 何しろ珠季は実家住まいで、食費も家賃も光熱費も無料、日々のランチは弁当持参。身繕いに散財するタイプでもないし、持ち物は両親から贈られたり譲られたりしたもので十分事足りる。特別お金のかかる趣味もなく、習い事は気が向いたときだけ、外で食べたり飲んだりするのもせいぜい月に数回程度。結果、いい大人として家にいくらか入れる以外、あまりお金を使わないのだ。
「どうせ毎月、ほぼ手付かずで銀行口座に放置してるんでしょ。このご時世に、投資も運用も何もしないで」
「う。そ、そうだけど……」
「珠季の場合、結婚詐欺にでも引っかかって有り金全部騙し取られるんじゃないかって、そっちの方が心配だわ」
 薫のその言葉に乾いた笑みを浮かべた珠季は、項垂れて力なく返した。
「大丈夫。詐欺に引っかかるほどの会話もできないから」
「それもそっか。って、まだ男に耐性つかないの?」
 はぁ、と呆れ交じりの溜息をついた薫が、ラテカラーのネイルが光る指先を黒ビールのグラスへ伸ばす。よく手入れされた美しい黒髪を耳にかけつつ、持ち上げたグラスをゆっくりと傾ける姿は優美で上品。それでいて、唇についた泡をさも美味そうに舐め取る仕草はコケティッシュかつ艶めかしい。
 カウンターの奥に座った若い男がしきりに視線を向けてくるが、気づいているはずのそれを彼女は完全に無視していた。
「同じように育ったはずなのに、どうしてこんなに違うのかなぁ……」
 思わず呟いた珠季に、薫はうっすら苦笑して肩を竦めた。
「そんなに言うほど違わないでしょ。二人とも、しがないOLなんだし」
 ざっくりしたケーブルニットの襟ぐりに浮いた鎖骨が美しくて、無意識に視線を吸い寄せられた珠季はそっと目を逸らす。
 葉室薫は、珠季の母方の従姉だ。珠季の母の長兄が薫の父に当たり、二人は生まれたときからの付き合いであった。一応同学年だが、四月生まれの薫と三月生まれの珠季ではほぼまる一歳違うため、薫の方がなんとなくお姉さんという感じである。
 この薫こそ、正真正銘本物のお嬢様だった。何度もモデルにスカウトされた経験を持ち、見た目からして月と鼈なのだが、それだけではない。珠季の父はごくごく普通の勤め人だが、葉室家は違う。
 日本有数の大手総合建設会社である葉室建設は、売上高一兆円超のいわゆるスーパーゼネコンである。東京・五反田に立派な本社ビルを構え、明治元年の創業以来非上場の同族経営を貫いており、四代目である現会長は珠季と薫の祖父、いずれ五代目となる現社長が薫の父だ。
 第二次大戦後、日本経済があらゆる意味でどん底だった時期をどうにか乗り切った葉室建設は、その後の東京オリンピックや列島改造ブームなど高度経済成長の波に乗り、大規模な公共事業を次々受注してはどんどん会社を大きくしていった。当時の葉室家は富貴権勢甚だしく、三代目である曾祖父などは税務署の長者番付の常連であったらしい。
 そんな家に直系のお姫様として生まれ、今は社長令嬢と呼ばれているのが薫である。珠季は同じ祖父を持つものの、外孫と本家直系ではやはり格が違う。
 珠季が名門お嬢様学校に幼稚園から通うことになったのも、薫の付き添い役としてであった。高額な学費も全て、葉室本家が負担したらしい。もっとも、薫本人は付き添いが必要なタイプではなく、逆に珠季の方が薫に頼りきった学生生活を送っていたものだが。
「やっぱり珠季も、外部受験して櫻院の外に出るべきだったのよ。あの学校に居続けたら、男に耐性なんかつくわけないもの」
「だって私、薫みたいに頭良くないもん……」
「同じ大学じゃなくてもいいから、とにかく櫻院から出ればよかったの。あのときだって、散々そう言ったのに」
 成績は万年中の中という珠季と違い、薫は特に何をせずとも常に学年トップクラスだった。だが櫻院女学館は、勉学よりも礼法の成績が重視されるお嬢様学校で、偏差値的にはたかが知れている。あることをきっかけに女の園からの脱却を目指すようになった薫は、ある日突然「外部の大学を受験する」と宣言し、一人で猛勉強を開始したのである。
 櫻院女学館には各学年に一クラスだけ特別進学クラスがあり、毎年多くの学生を東大や京大などの一流大学へ送り込んでいた。薫はその特進クラス用の教材を入手し、特進クラス専門の教師に教えを請い、「女のお前がそんなことをする必要はない」とうるさく口を出す両親や祖父母と大喧嘩しながらも見事志望校に合格を果たす。自身の出身大学に合格したと言われては、もはや父も祖父も反対し続けることなどできなかった。
 そうして鮮烈な大学デビューを果たした薫は、二年のときには学園祭のミスコンで入賞。勉強も手を抜かずに優秀な成績を修め、卒業後は大手広告代理店でバリバリ働く超ハイスペック女子となった。
 なんとなくエスカレーターに乗ったまま、流れに身を任せて大学までまったり過ごし、これじゃまずいと就職しようとしたものの、結局コネでしか働き口を見つけられなかった珠季とは何もかもが大違いである。
「……私は、薫みたいにはなれないよ。だからね、もういいの。私もう、一生男の人は無理なんだよ……」
 人生諦めが肝心だよね、と珠季はへらりと笑った。否、笑うふりをした。フルーティーな甘い香りのまろやかな白ビールが、なんだかやけに苦く感じる。
 それを眺めていた薫が、小さく溜息をついた。
「せめてあのとき、処女だけでも捨てておけたらねえ……」
「そんなもの、そう簡単に捨てられるわけないでしょ」
「せっかく珠季が、初めて男の人を好きって言い出したのに。宇賀神さん、だっけ?」
 薫が口にした名前に、珠季はぴくりと瞼を震わせる。
 思い出したくない、でも忘れたくない、決して忘れられない人。
 宇賀神彬良こそ、入社直後から仕事を教えてくれた先輩社員である。丸二年そばで勉強させてもらい、その後とあるプロジェクトのために香港に赴任した彼を、珠季は一日たりとも忘れたことはなかった。本当に、好きな人だったから。──今でも好きだから。

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