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最奥まで愛させて 冷徹社長は10年越しの独占欲を隠さない 1

第一話

 


 私はあなたにふさわしくない、なんて古い少女マンガに出てくるようなセリフを口にする日が来るなんて、考えてもいなかった。
 でも、大人になった私にとって、それはかえってリアリティのある言葉。
 だってもう、「好き」っていうだけで恋愛できないもの。少女のころみたいに純粋でいられない。私に限らず、きっとみんなそうだろう。大人になって、世間を知り身の程を知って、身の丈に合わせて生きていく。
 だから「私はあなたにふさわしくない」っていう言葉は、むしろ誰にでも当てはまる言葉なのだ。自分の身の丈を知った大人ならば。
 だから、離れなくちゃ。
 誠吾(せいご)から、離れなくちゃ。
 そう思うのに、彼は私を放してくれない。
「嫉妬だよ」
 誠吾はため息をつきながら、私の額にキスを落とす。――嫉妬? それもよくわからない。どうして嫉妬されているのか、私の何が誠吾をおかしくさせているのか、ちっともわからない。幼馴染の情なのか、恋慕なのか、それとももっと深くてドロドロした何かなのか……。
 そんなことを、たっぷりと快楽を与えられ痺れた頭で考える。さんざんにイかされたせいで、思考はミルク色に靄がかかっていた。そのせいか、いまいち考えがまとまらない。
 子宮がジン……と痺れている。
 ふたり、一糸まとわぬ姿で、白いシーツの上にいた。私は優しく慈しまれるように頬を包まれ、誠吾にのしかかられている。
「くそ。分かれよ、愛しすぎて俺変なんだって」
 誠吾が吐き出すように、掠れた声で言った。私の大事な幼馴染、初恋の、かつて少女だったころの初めての恋人。彼は少し三白眼気味の目や、精悍な口元を苦しげに歪ませ、私を見下ろして目を細めた。端正な顔つきが辛そうに歪む。
「っ、わ、わかりませ……ん」
 なんで。
 あなたは私がいなくたって幸せになれるはず。何度も思い出し涙した光景が脳裏に蘇る――誠吾と腕を組んでいた綺麗な女性。彼女に微笑みかける誠吾の眼差し。見たことのない、誠吾の穏やかで大人な男性の表情。私には一度も向けられたことのないもの。
 私がいなくたって――ううん、「私がいないほうが」。
 私、ウジウジしてる。
 自分でもそう思う。はやく彼から離れればいいだけのこと。
 そうできないのは、私が働いているカフェのオーナーが彼だからで……ううん、言い訳だ。彼のことを思うなら、辞めてどこか遠くへ行くべきだ。でも、どこへ?
 指と指を絡めるように手を繋がれ、それでも首を振る私に、誠吾は力強く宣言した。
「絶対手放さないからな。今度こそ幸せにする」
 聞いたとたんに涙が溢れた。すごく嬉しかった。そうできたらどれだけいいだろう?
 でも知ってしまった。大人になってしまった。少女だったあのころにはもう、戻れない。
 誠吾は私の膝裏に手を入れ、大きく脚を開かせた。その目にギラギラ滾るのは、性欲だけじゃない。もっとドロドロした、手に負えない、なにか。
 ヒュ、と息を吸った私の入り口に、彼の屹立の切っ先が宛がわれた。肉が大きく張った、赤黒いそれ。幹は太く膨張して、血管をまざまざと浮きたたせている。
 さっきまでもさんざんそれに弄ばれていた私の身体は、宛がわれただけで期待にうねり、淫らに涎を溢れさせる。ちょうだい、それが欲しいの、って、私の気持ちと裏腹に、淫蕩な本能のままに欲しがり、咥えたがる。
 ぬちゅ、と聞くに堪えないトロついた水音とともに、先端が埋まる。
「あ……」
 思わず喘ぎ、唇を噛んだ。自分のナカがさらに発情し、ヒクつきながら彼のものを奥へと誘おうとうねっているのがわかる。恥ずかしい。でも、与えられる快楽に抗えない。
 私の肉襞をひっかきながら、熱くて硬い熱が奥へと進んでくる。
「あ、ああ、あ」
 あまりに気持ちがよくて声が零れる。誠吾は私の身体を知り尽くしているから、彼の動きひとつひとつに達してしまいそうになる。
 とん、と最奥に彼のものが触れる。でも彼のが大きいのか、私が狭いのか、他の人との経験がない私にはわからないけれど、彼のものはまだ根本まで埋まっていない。
 誠吾は軽く息を吐き、私の腰を掴みさらに奥を突き上げる。彼のものがみっちりと私のナカに埋まっている。子宮ごとお腹の奥に押し込まれているかのような感覚に、あえなく絶頂して震えた。
「う、ぁ、誠吾、誠吾……っ」
 快楽が大きすぎて半泣きの私を、彼はそっと抱きしめた。頭にほおずりされる――ああ、この幸福を手放さなきゃいけない理由なんて、わかりたくなかった。
 大人になんて、ならなきゃよかった。世間なんて、知らなきゃよかった。
 身の程なんて、味わいたくなかった。
 頭の中で綺麗なあの人が笑う。『あなたは彼に何を与えられるのよ?』……まったくその通りすぎて、なにも返せない。
 誠吾が最奥を切っ先で円を描くようにぐりぐりと苛んだせいで、その幻影が霧散する。
「ボーっとして。余裕がありそうだな」
 一番奥で、子宮の入り口が彼のものでゴリっと嬲られる。
「あ!」
 思わず腰が上がり、はふはふと呼吸を繰り返す。やだ、変になっちゃう……!
 誠吾は少し考えた顔をしたあと、私の右脚を肩に担いだ。そうすると、余計に彼のものが奥へと埋まる。
「や、あっ、誠吾、変、変なところ入ってる……っ」
 私は腰を反らしながら必死に訴える。絶対入っちゃいけないところまで進んでいる、そんな気がして。
「大丈夫。ほら、気持ちいい」
 誠吾がニコッと微笑み、その一番奥に向け軽く抽送を繰り返す。とちゅとちゅと、決して激しくない動きなのに、気持ちがよくて仕方ない。
「あ、ああっ、あ……!」
 ビクビクと身体を痙攣させ、私はいとも簡単に達してしまう。けれど彼は止まってくれない。
「あ、誠吾、っ、イ、ってる……からあ……っ!」
「知ってる。ナカ、キツイくらいうねって……はー、かわいい」
 誠吾は気持ちよさそうに眉を寄せ、微かに笑ってから動きを激しくしていく。
 ズルズルと、彼のものが私のナカを動く。ドロドロに蕩けた淫らな肉をゴシゴシ擦り、前後に抽送を飽きもせず繰り返す。
 身体の中を、別の誰かの器官が動いていく感覚。ズルズル、ぬるぬる、ぐちゃぐちゃにかき混ぜながら……。
 私は彼のものをギュウギュウ食いしばり、ただ喘ぐしかできない。イっているのに子宮を直接嬲られるかのように動かれて、どうしようもなくイき続ける。
「あ、ああっ、あ……っ」
 トロトロと自分から粘液を溢れさせ彼のものを受け入れ喰い締め絶頂する私の脚に、彼はキスをひとつ落とす。
「愛してる、有菜(ゆうな)。……逃げられると、思うなよ」
 ギラついた眼光が、私をまっすぐに貫いた。


 瞼がぴくぴくする。
 私は廊下の古い鏡を覗き込み、右の瞼をじっと見つめた。ネットによれば寝不足や疲れているときの症状らしい。足の裏は古い床板でじんと冷えていた。春先はまだ少し寒い。
 鏡の中の私の瞳は、ひどく眠たげで、どこかドロリとして見えた。
 こんなんで今日のカフェバイトの面接、受かるのかな。
「有菜ちゃん、じっと鏡なんて見てどうしたの?」
「雪(ゆき)おばあちゃん」
 私は微笑み、軽く首を傾けた。
「なんでもないよ」
「そう? あらやだ裸足じゃないの。スリッパくらい履きなさい」
「はい」
 私は素直に頷き、さてスリッパをどこに置いたかなと考えた。
 前職を過労とパワハラとセクハラで退職して以来、いや在職中に夜に眠れなくなって以来、私の記憶力はひどく低下していた。
 眠れなくなったのは、さまざまなハラスメントのせいもあったけれど、味方だと思っていた同僚に嘲られたからだ。彼女は――美亜(みあ)は、いつも私に同情してくれていた。『有菜ちゃんは優しくていい子だから大丈夫! 仕事だって頑張ってるじゃん!』――そんな彼女が実はパワハラ上司の不倫相手で、私を陰で笑っていたなんて知りもしなかった。上司が私にセクハラをすることにすら嫉妬して嫌がらせしていたなんて、気が付きもしなかった。
『言葉を額面通りに受け取るなんて、ほんっと有菜ちゃんってバカだねえ! 裏の気持ちをちゃーんと読んでよ、大人なら。空気読めないって言われるでしょう?』
 私はなんにも返せなかった。

 ――半年前。
 まだ前の会社に勤めていた時、土日祝日の闇出社合わせて何連勤目かわからなくなった夏の日、母方の大叔父が亡くなったと連絡が来た。
 父の、そして母の生前もお葬式でも、なにかと助けてくれた人だった。
 なんとか半休をもぎ取り、職場の横浜から大叔父の家がある鎌倉へ向かった。
 葬式は、古い禅宗のお寺で催された。
 白い菊と抹香のにおい、白黒の鯨幕、黒い服の波。葉桜に止まった蝉の合唱に混じり、無機質に響く扇風機の音。真夏の、湘南の太陽だけが明るい。受付を任され喪服に身を包んだ私はお寺の白いテントの下、両親のときのことを思い出す。父が亡くなり後を追うように母も、そうして一人娘の私はひとりぼっち。
『有菜』
 声が聞こえた気がした。
 ――あの人はなにをしているかなと、かつて愛した人のことを思い出した。幼馴染だった。ずっと一緒に過ごしていた。ずっと一緒にいたかった。
 でも、色々あって、迷惑をかけたくなくて私から離れた。なのに時々思い出す、毎日で擦り切れちゃって、もう恋心なんて残ってないのに。
 きっと怒っているよね。勝手に離れたから。
 手元に目を落とす。薄い珊瑚色のお数珠、香る抹香。
 どうしてかな、とても眠い。
 風で鯨幕が揺れ、私は意識を手放した。

 過労と熱中症だと診断され、病院の外でスマホを耳にべったりつけて『明日には必ず出社いたします!』とペコペコ頭を下げていると、誰かに腕を掴まれた。振り返ってポカンと手の主を見る――大叔母、今回亡くなった大叔父の奥さんだった。黒の着物姿だ。唇を真一文字に引き結んでいる。
『あ、雪おばあちゃん……ごめんなさい、ごめ』
 怒られると思った。葬式の最中に倒れるなんてって。
 でも憤怒の形相で彼女が掴んだのは私のスマホで、叫んだのは『うちの可愛い有菜ちゃんになにをさせているの!』という言葉だった。
 雪おばあちゃんは、小さいころからよく面倒を見てくれていた。孫がいないというのもあって、本当の孫みたいに可愛がってもらって。
 ポカンとする私の前で勝手に通話を切ったおばあちゃんは私を抱きしめて『ごめんねえ』と声を震わせた。
『勝手して、ごめんねえ。でもねえ、だめよ、こんなに痩せて』
『でも』
 言葉が続けられなかった。雪おばあちゃんが泣いていたから。
『おばあちゃん……』
『有菜ちゃんが、お父さんの介護のために必死でお金を稼いでいたって、おばあちゃんは知ってるよ。でも、もう、いいんじゃないの』
『え?』
『少し、休みなさい』
 雪おばあちゃんがとても悲しそうに言った。人の言葉をすっかり信じられなくなっていた私が雪おばあちゃんに縋ったのは、もう疑う余裕すらなかったからだ。
 そうして、鎌倉にあるおばあちゃんの家に転がり込んで半年。
『ぼろっぼろの家でごめんなさいねえ』
 とおばあちゃんは言うけれど、いつも清潔にしてある古い家に、どうしてかとても癒された。日焼けした畳に、ガラス障子、カラカラと開く横開き戸、どこにもいつも埃ひとつない。
 半年は、ぼうっとしていた。なんにもできなかった。お風呂に入っただけで疲労困憊で、なにがどうなっているのか分からなかった。そんな私に雪おばあちゃんは優しかった。
 そうして雪おばあちゃんのおかげで、お散歩ができるくらい回復してくると、今度は働きたくなってくる。なにしろ居候だ、雀の涙の貯金から生活費を渡そうにもほとんど受け取ってくれない。
『雪おばあちゃん、私、働こうと思って』
『まだそんなに痩せこけているのに? 冗談をおっしゃい』
 雪おばあちゃんに怒られるけれど、私の意志は固かった。確かにまだ頭がフラフラするし視界だってなんだかぼやけっぱなし。でも、動かなきゃ。そんな焦りが芽生え始めていた。
 そんなある日、おばあちゃんが『どうしてもって言うなら、これくらいから始めたらいいじゃない』と持ってきたのが、とあるブックカフェがアルバイトを募集しているという情報だった。
『ここの店長さんが、あたしの知り合いの孫なのよ』
『へえ』
 渡されたメモ書きによれば、アルバイトは週に三日の勤務だった。土日の正午前後にそれぞれ二時間ずつと、平日の夕方に三時間。
『ああ、忙しい時間だけってことですね』
 平日の夕方に勤務があるのはどうしてだろう?
 ちょっと不思議に思いつつ、面接の日、私は“お守り”を握りしめ、カフェへと向かったのだった。
 春先の、廊下がシンと冷えた、右瞼がぴくぴくする晴れた日のこと。

 そのブックカフェがあるのは、半分山に入った高級住宅街の中ほどだ。鎌倉は海のほか三方を山に囲まれた武士の町。必然的に山地も多い。
 住宅街といっても、そこかしこにカフェや雑貨店やらが入り混じる一帯だ。
 スマホに表示された地図を見つつたどり着いたのは、こぢんまりとした古民家だった。植栽の春バラが、控えめに少しくすんだ淡いピンクの蕾をつけている。まだ硬そうだ。
 ごくっと唾を飲み、汗ばんだ手のひらを握りしめた。頭の芯がくらっとする。
 できるのかな。私に――上司の言葉が頭蓋で響く。『お前が邪魔なんだ、お前が全体の和を乱しているんだから、お前がひとりで責任を取れ。お前が悪いんだ、お前のせいでみな苦労しているんだ、お前のせいで!』私は無能なのに。
 ひゅっと息を吸って足元を見つめた。息苦しい中、どこかぼんやりとした自分の影を見つめていると、カロンと軽やかなドアベルが響く。ハッと顔を上げると、一人の男性が立っていた。
「誠吾」
 勝手に唇が動いた。
 かつて大好きだった、私の幼馴染。どうして? どうしてここにいるの?
 背の高さは相変わらずだけれど、私が最後に見たときより、かなりがっしりして、大人の男の人になっていた。スリーピースのスーツを着こなして、……冷たい目で私を見ている。
 勝手にいなくなった幼馴染を。かつての恋人を。

 

 誠吾はひとつ年上の幼馴染。といっても、家が近所なだけで彼とは住む世界が全く違った。私たちの実家があるのは、とある横浜のベッドタウン。たまたま古くから住んで小さな商店を営んでいた家の周辺が、父が子供のころから地価が上がり高級住宅街へと変貌していったそうだ。私が産まれたころ、すぐ近所にとある大手専門商社の社長一家が家を建てた。それが柏木(かしわぎ)家、誠吾の実家だ。
 幼稚園から違うのに、お手伝いさんに連れられて公園に遊びに来ていた誠吾とはすぐに仲良くなった。
『おい、行くぞ、有菜!』
『待ってよう、せいちゃあん』
 もともとちょっと俺様気質な誠吾は、私を子分みたいに連れ歩いた。私の歩く速度が遅いっていっつも怒るのに、置いていくことはない。
『まったく、トロいなあ有菜は。ほら!』
 誠吾が私に差し出した、小さな手のひら。初めて握ったときのことを、ありありと覚えている。あったかくて、大好きな手のひら。
 小学校に入ってすぐくらい、私がずっと年上の男の子たちからからかわれていて泣いたとき、飛び出てきた誠吾は小さな背中で守ってくれた。怖かっただろうに顔に一切出さなかった。
『おい、もう泣くな。おっぱらってやっただろ』
『ぐすっ……うん』
『泣き虫。泣き虫有菜』
 彼がぶっきらぼうに私の頭をごしごし撫でる。
 小学校に入っても、中学校に入っても、私たちの関係は変わらなかった。学校も違うし、塾や習い事で誠吾は忙しかったのに、私を構うのをやめなかった。
 先に高校生になった誠吾と、同じ学校に通いたいなと思ったのは中三の夏だ。偏差値だってかなり高い、横浜の私立高校。うちはそんなにお金がないから、狙うはただひとつ、特待生枠だった。常に学年三位以内をキープしていれば、学費がかからない。
『そこまでして、なんで俺とおんなじ学校に来るんだよ?』
 受験期の追い込みで机にかじりつく私を背中から覗き込み、誠吾は呆れたように言った。
『ほら、ここ平行移動の式、違ってる』
『ん、ありがとう。……特に理由はないけど』
『嘘だろ。俺のためだろ、お前』
 誠吾が無造作に私の頭を掴む。
『ひゃあっ、なにするの、痛い痛い』
『また俺が孤立してると思ってんのかよ』
『んー……』
 誠吾はかっこよかった。見た目だけじゃない、頭もよくて行動力もあって運動もできて。ただそのぶん、自信家だった。実力ある自信家って、無敵なようでいてどうしてもやっかまれる。誠吾は元から俺様で、その態度を隠しもしない。だから自信の背後に血の滲む努力があるって想像がつきにくい。そのせいで、高校に入ってちょっと孤立していた時期があったのだ。
『だいじょーぶだよ。……お前のおかげで、解決してっから』
 ぶっきらぼうに言って、彼が私の髪の毛をワシャワシャと撫でた。
『だから、人のためじゃなく自分のために頑張れ』
 私は目を瞬き、誠吾を見つめた。
『なーに目を真ん丸にしてんだ』
『や、誠吾がそんなこと言うと想像してなくて』
『お前なあ!』
 誠吾が余計に髪をくちゃくちゃにする。私は楽しくてきゃらきゃら笑った。
 結局、私は誠吾と同じ高校の特待生枠で合格した。彼のためじゃない、自分のためだ。なにしろ学費免除の特待生枠で合格できたのだ。
 両親は、私の学費を貯金していてくれた。
 けれど、まだ将来の夢なんて具体的にないけれど、進学することを考えるとお金は取っておいた方がいいと思ったのだ。
 高校に入って、少しずつ、私と誠吾の距離が縮まった。いや縮められたというべきか。
『うわあ美味しそう』
 誠吾のご両親はお仕事でいつも忙しかった。だから、小さいころから彼の家に誘われることがよくあった。
 全く口にも態度にも出さなかったけど、寂しかったんだと思う。広い家、吹き抜けのリビング、豪華な調度品に囲まれた生活。でも誰もいない。
 白い皮張りのソファで並んでゲームしたり、一緒にホットプレートでお好み焼きを作ったり。
 高校に入学してすぐのある日も、そんな感じだった。始業式で帰宅が早かった日。
 彼の家の庭で咲き誇るソメイヨシノがとてもきれいで、お花見しようってことになって。
 見上げると、春の日差しが花びらを透かして落ちて来ていた。
『おい、お前も手伝えって』
 ぶっきらぼうな声に慌てて振り向く。
『ああごめん、桜綺麗で』
 アウトドア用の椅子を倉庫から取り出す誠吾に言われ、急いで駆け寄る。
『……なー、有菜』
 誠吾が私を見ずに声をかけてくる。首を傾げてじっと彼を見た。
『ん?』
『お前、俺のことどう思ってんの』
『超絶俺様』
『お前なあ……』
『あはは、嘘、嘘。かっこいいよ。すっごく努力家で、いつも前向きで、すごい人だと思って……る……』
 私は息を呑む。
『……よ?』
 言葉が尻切れ蜻蛉になったのは、誠吾が目線を逸らしていたからだ。明後日の方をむいて、口元を肘の内側で押さえて、顔も耳も真っ赤にして。
『誠吾?』
『ああ、そーかよ。うん、わかった』
『え、どうしたの、ほんと。真っ赤だけど大丈夫?』
『大丈夫だっつの、オラ椅子運べ』
『お客さんにする態度じゃないよ誠吾』
『お前は客じゃねえだろうが』
 軽口をたたく誠吾は全く以ていつも通りで、だから私は夏の花火大会で告白されるまですっかりその出来事を忘れていた。
『……へ?』
『だから好きだって言ってんだろ』
 鎌倉の花火大会、人混みの中だ。何度も菊の形の光が暗い空へ打ちあがる。キラキラと火花が暗い宙に落ちる。歓声と破裂音の向こうに微かに海の音が聞こえる。
『好きって、誰が、誰を』
『俺が! 有菜を!』
 彼はそう言ったあと私の手をぎゅうっと握った。並ぶ私たちはふたりとも浴衣で、たぶん同じくらい顔が赤かったと思う。
『お前クソ鈍いから、全然俺の気持ち気が付かないし』
『え? ご、ごめ、いつ、いつから!?』
『ずっとだよバカ』
『えええ』
『バカ、アホ、間抜け、泣き虫。……好きだ。大好き』
 私をじっと見つめる精悍な瞳が花火で色とりどりに鮮やかに輝く。誠吾が私の頬にキスをする。私は自然と彼の手を握り返していた。

 私たちは一般的な高校生にしてはとっても純粋なお付き合いをしていたと思う。一年くらいかけて、ゆっくりゆっくり、関係を進めてきた。手を繋いで、キスをして。
 でもそこから先は、ちょっと怖くて、なかなか進めなかった。誠吾になら何をされてもいいはずなのに、触れられるのは気持ちいいのに、いざとなると怖くて。
『我慢させてごめんね』
『そんなんで俺の気持ちが変わるわけないだろ』
 おでこを軽くたたかれる。安心しながらも自分の気持ちがもどかしい。
 初めてって、みんなこんなふうに怖いのかな? 誰より大好きな誠吾となのに?
 この関係が変化したのは、付き合ってちょうど一年の花火大会。
 会場に向かう電車で雨天中止を知った私たちは『また来年だね』なんて言いあいながら帰途につく。まだ夕方だった。改札を出たところで、しとしとと雨が降り出す。
『どーする? 家まで送るけど』
『……一緒にいたいな』
『珍し。甘えてくるじゃん』
 からかう口調の誠吾と目が合い、すぐに彼の目が見開かれた。それだけ必死な顔をしていたんだろう。
 私は彼に抱かれるつもりだった。
『……有菜』
 私は彼の浴衣の袖をキュッと握る。誠吾は目を逸らし、肩をすくめた。
『お前さ、いいよそんなの。いっつも言ってるだろ、俺、別にそんなことしなくたって』
『違うよ誠吾、私が。私の気持ちなの』
 誠吾が私の手を強く握りなおし、きゅっと唇を引き結んだ。
 初めてはとっても痛かったけど、愛おしくて幸せだった。身体なんかなければいいと思った。液体になって溶け合ってしまいたい。それくらい、彼が好き。

 交際は順調だった。私が高校三年生になって、彼が都内の大学に進学しても、大学近くで一人暮らしするようになっても。
『プチ遠距離だね』
『まあ毎週帰ってくるわ』
『いいよ、忙しいでしょ?』
『俺が寂しいから』
 はっきりと言われて目を瞬く私の手を、彼がぶっきらぼうに取る。
『誠吾?』
『浮気すんなよ。したら……まあいいや。しないだろ、多分』
 無造作に嵌められた銀色の指輪。小さな赤い石が嵌っている。
 私はすうと息をする。
『ありがと』
 声がちょっと震えている。嬉しくて、泣きそうだった。誠吾は私を抱きしめて、好きだよって何回も言ってくれた。
 東京とこっちなんて、地元からだって一時間半もかからない。学校は横浜だから、それこそ電車で一時間もかからず着く。でもずっと一緒だったから、特に付き合ってからはひとときも離れなかったから、右側に彼がいないことが寂しくてたまらなかった。
『あー。有菜、かれぴ東京行って寂しいんだ?』
『かっこいいから、言い寄られないか心配だったり?』
 からかわれて、実はちょっと不安だった私は『ええ?』と笑いながら、でも目が潤んでしまう。
『わー! わわわごめんっ、まさか本当に心配してるとはっ』
『絶対大丈夫、だって有菜のこと溺愛してるってはたから見ても分かってたもん、他の女に靡くとか絶対にないっ』
『そう。有菜がちょっと他の男子と話しただけで焼きもち顔に出しててね』
『そうそう、それに、柏木先輩ってちょっと性格アレだから見た目で寄ってきても、すぐ離れるっていうかっ』
 友達のフォローなんだかフォローじゃないんだか分からない慌てっぷりに涙ぐみながらも思わず噴き出した。まあ、それはそう。見た目こそクールでかっこいいけど、超俺様だし、すっごくコドモだし。
『それに、有菜も同じ大学受けるんでしょ? 大丈夫だよ、有菜なら』
『努力家だしね。あー、しまった次の古典小テストじゃん!』
『有菜さまあ、文法教えてー』
 私は笑いながら教科書を開く。そうだよね、たった一年の我慢だ。