目覚めたら、爆モテ御曹司と結婚してました!? ワンナイトのつもりが幼なじみの全力溺愛が止まりません! 3
「わ、美味しそ~。これ、全部今作ったの?」
ガラスのローテーブルに並んだサラダとピンチョス、海鮮を使ったいくつかのタパスを見て、葵は目を輝かせた。
カウンターキッチンで料理を続けている蓮司が、菜箸を片手に親指を立てる。
「料理できる系男子ですから? お、いいじゃん彼シャツ! いや、彼ルームウェアか? だぼだぼで可愛い。あとで写真撮っとかないと」
「か、勘弁してよ……」
スーパーに立ち寄り、蓮司のマンションに着いたのが、少し前のこと。
『寒かったし、先に風呂入ってて。料理時間かかるから、できるだけゆっくり!』
と、真っ先にバスルームに押し込まれた。
スウェットのルームウェアは借り物だけれど、帰国後に購入した予備らしく新品だ。
マンションも新築だし、家具や家電も新しく、生活臭に欠けている。引っ越し直後とあって、どこもかしこもホテルかモデルルームみたいだ。
ちなみに下着は、途中のコンビニで買った。
もちろん、はじめから泊まる気満々だったわけではない。蓮司の家に向かう途中、電車が止まっているとわかって、仕方なく帰宅は諦めたのだ。
「えっと、手伝うよ。何すればいい?」
「ダメダメ。葵はゲストなんだから座ってて。もうほぼ終わりだし」
しっし、と追い払うように手を振られ、リビングへ移動する。テーブルとソファーが絶妙に離れていたので、ラグに直接腰を下ろした。
「ほんと、どれも完璧じゃん! これ全部、スペイン料理?」
「そうそう。向こうで教わったやつ」
「この黄色い、ホールケーキみたいなの何?」
「それはトルティージャって言って、ジャガイモと玉ねぎ入りの、いわゆるオムレツだな。あ、切り分けといてくれる?」
「はーい」
だぼだぼの両袖をいくつか折って、カトラリースタンドからナイフを手に取る。
「よし。あとはパエリア炊けるの待つだけ! その間に、俺もざっとシャワー浴びてくる。先食ってていいから」
「いやいやさすがに待ってるよ。一緒に乾杯しよ」
「葵やさし~~。んじゃ超急いで戻る!」
ばたばたとバスルームに消えた蓮司を待つあいだ、仕事をするべく、通勤用のバッグからノートパソコンを取り出した。ソファーをテーブル代わりにしてメールアプリを開く。
「あっ……きゃー……! 神崎さん、無事にお子さん生まれたんだ! 双子ちゃん可愛いぃ~~……! 奥様も美人さんだったもんなぁ~」
開業して間もないころ依頼を受けた男性クライアントから、写真つきの出産報告メールが届いていて頬が緩む。彼は大手製薬会社の経営者の長男で、相談内容がかなり特殊だったから、特別に思い出深いクライアントの一人だ。
ここ最近はこの手の幸せな報告を受けると、『私はまだ過去に囚われてるんだよな……』と溜息ばかりだったけれど、今は妙に心に余裕があった。
──だって。私もこのあと九条くんに打ち明けたら、卒業したクライアントさんたちみたいに、前進できるかも……。
祝福のメッセージを送り、他の細々とした連絡や相談に返信をしていく。
一通り作業を終えたところで蓮司が戻ってきて、パエリアを確認した。
「はや……! ちゃんと洗った?」
「もちろん、ぴっかぴか。葵と同じシャンプーで、同じにおいするよ。嗅ぐ?」
「嗅ぎません!」
テーブルにパエリアが運ばれてきて、スペインの瓶ビールで乾杯をした。
蓮司の料理は、どれもこれもプロ級の美味しさだった。
異文化の土産話を肴にほんのりとアルコールが回り始めたころ、ふと沈黙が訪れる。
この家を訪れた時点で腹を決めていたとはいえ、なかなかすぐには勇気が出ない。
蓮司だって、元婚約者と何があったのか気にならないはずがないのに、「俺、もうちょっと飲むけど、葵もいる?」と言っただけだった。
『美味いメシで葵が救われるならそれでいいよ。無理して聞き出すつもりはないから』
そんな気遣いが、ひしひしと伝わってくる。
──こういうとこは……気が利くんだよね。
──だからあんなに女子がメロついてたんだろうなぁ。
「あー……じゃあもう一本、もらおっかな」
「おっけ」
蓮司は冷蔵庫から瓶ビールを持ってくると、栓抜きで蓋を開けて差し出してくれた。
これ以上引き延ばして変に深刻な雰囲気になることは避けたくて、一口ぶんだけアルコールの力を借りて、陽気に切り出す。
「じゃあまあ……お待ちかねの元婚約者ネタに入りますと!」
「お、やっときた! 何々?」
いつもの調子でノリをあわせてくれたことに勇気付けられて、笑顔で続ける。
「再会して、付き合い始めたところまでは、前に報告してたよね?」
「聞いた聞いた。お互い就職して、わりとすぐだったよな」
「あー、うん、よく覚えてるね」
「まあ? 葵とのことは、ぜーんぶ覚えてるし?」
「はいはい。でさ、半年も経たないころかな~。『大事な話したい』って言われて。とうとう入籍の話だ! ってお洒落して行ったら……『婚約破棄したい』って。もう私、絶句! 態度も、急に冷たい感じでさぁ」
蓮司は目を丸くしながら、視線で続きを促してくる。
「まあその前から、愛情ないのかなーって、なんとなく感じてたんだけど……。そこからちょっと体調崩して実家帰って。両親から『信頼できる取引先の息子さんだからって、勝手に決めて悪かった』って謝られるのもまた辛くて」
『ひど。んなことあるかぁ? ただのクズじゃん。よし、もっと飲もう!』
なんて返事を期待した。
でも蓮司は、見たことがないほど深刻な表情で葵を見つめてきた。
確かに笑えない。全然笑えない。
だからこそ、蓮司にだけは笑ってほしい。
婚約破棄された直後に聞こえた幻聴のように、
『だから言ったじゃん。俺と経験積んどきゃよかったのにな~?』
なんて言ってくれたら、トラウマも男性不信も、今度こそ成仏すると思ったのに──。
「……頑張ったんだな」
「え……?」
「十年以上想ってた相手に、そんな傷つけ方されたのに……人の恋を応援する仕事、始めたんだろ? すごいよ」
「っ……、な、何よ、急に真面目に」
「当たり前だろ。葵がどれだけ本気だったか、俺が一番知ってるし」
同情は感じない。
ただただ、傷に寄り添ってくれている。
その優しさが、わかってしまったから──ぎゅうぎゅう心の奥に押し込めて終わらせたはずの当時の痛みが、また溢れ出してしまいそうで。
──いやいや。別に、いまさらナヨナヨ泣いて、慰めてほしいわけじゃなくて?
──人に打ち明けて区切りをつけて、次の恋ができればって、思っただけで……。
「あ、あはは……九条くんなら笑い飛ばしてくれると思ったのに~! シリアスやめやめ! あ、そうだ、これ見てよ、ぜ~~ったい笑うから!」
涙ぐんでいることに気付かれたくなくて、通勤バッグを漁って誤魔化す。
常に持ち歩いているクリアファイルからヨレヨレになった紙を出して手渡すと、蓮司が目を見開いた。
「……婚姻届?」
「そうそう! とうとう入籍だ! って思って、親の署名までもらって持ってったんだよね。バカでしょー? でもこの失敗を忘れず、クライアントさんを幸せにしてあげるぞ~! って、たまーにこれ見て活を入れてるわけ」
蓮司は婚姻届を凝視したまま、微動だにしない。
「……、これ……あとは男がサインして、提出するだけ?」
「そそ。もう結婚生活まで秒読みだと思ってたからね。わざわざ、この桜のデザインの用紙買っちゃったりして。ピンク色で可愛いでしょ?」
「…………」
「……? 九条くん……?」
誰にも言えなかった恥ずかしい秘密をさらけ出しても、やっぱり蓮司は笑わなかった。
しばらくの沈黙ののち、蓮司は婚姻届を丁寧に畳み直すと、ごく自然な動作で──葵が身を乗り出さねば届かない、テーブルの端に置いた。
え、何、返してよ──と言いかけて思いとどまる。
仕事では心を強く保つお守りとして役立っていたけれど、プライベートでは、あれがあるから失敗に過敏になり、男性不信にまで拗れたのかもしれない。
過去を引きずっている象徴だと考えれば、蓮司に処分してもらったほうがいい気もする。
「……それから?」
「えっ……」
真剣な顔で先を促されて、ますます泣きたくなってくるのは、どうしてだろう。
でも一度涙を溢したら、止まらなくなる予感がした。
だから絶対に、一生誰にも言わない、と決めていたことを──最大級に愚かな後悔とトラウマを打ち明けた。
「あー……ねっ? わ、笑えない? し……しかもさ、婚約破棄の直前に『結婚前に身体の相性確認しておきたいから』なんて、今思えば、やっっすい口車に乗せられて! あんな奴に……大事に守ってた、しょ、処女まで、捧げちゃってさー……! 自らトラウマ増やしちゃって! バカだよねー、ほんと、……」
お願いだから笑ってほしい。
経験も自信も根拠もないのに思い込みだけは激しくて、勝手に全力投球して、蓮司のアドバイスに耳を傾けず自爆した、愚かな女だ。
でも蓮司は、目を細めただけだった。
沈黙に耐えきれなくて、明るく続ける。
「やっぱさ、九条くんが言ってくれたことが正しかったんだよね。恋愛経験積んどいたほうがいいぞーってやつ! はじめての恋人だったから、こういうものかな? とか思っちゃって。しかもいまだに引きずっててさー。こんな仕事してるのに、実は軽く……男性不信気味っていうか? ときどき出会いがあっても、変に身構えちゃったり、して……」
声の震えを抑えきれなくて言葉に詰まると、蓮司が、
「あのころは、言えなかったけど」
と言って、静かに唇を舐めた。
「許嫁に一途な葵、俺はずっと、素敵だなって思ってたよ。こんなに健気に想われてる奴が、羨ましかった」
「えっ……」
突然の告白に面食らう。
でも少しずつ蓮司の言葉が染みこんでくると、じわじわと目尻が熱くなってきて。
──あ。駄目だ。駄目だってば。
「ま……またまた……な、何よ急に~~。前は、もっと現実見ろよーって、あんなに馬鹿にしてきたのに……昔みたいに、わ、笑ってってば」
「笑えるか、馬鹿。ほら、こっち来い」
「っ……!?」
斜向かいに座っていた蓮司が、身体を寄せてくる。
腕が背中に回ってきたかと思うと、広い肩口に顔が埋まっていた。
さっき蓮司が言っていた通り、同じシャンプーの香りが鼻先を掠める。
「っな、なっ、なに、なに調子に、のっ……」
「ちゃんと泣いとけ。お前、昔から芯があってしっかりしすぎだったし。どうせ誰にも心配かけないように……そーやって自虐して、人前では傷ついてないふりしてたんだろ」
「っ……な、何よ、私のことなんて、何も知らないくせに、」
「……どうだろうな? 少なくとも、久々に会ったばっかで、昔からウザがってた俺に話したってことは、よっぽどだろ。……ほら。泣き顔、見てないから」
こんなつもりで打ち明けたんじゃない。
四年前に涸れるまで泣いたし、感情を押さえ込んでいたわけでもない。
今困っているのは、新しく恋ができないことだ。
でも大きな熱い手で背中を撫でられた途端、ぼろぼろと涙が溢れて、止まらなくなってしまった。
「っ……、ぅ、っ……」
蓮司のスウェットに、抑えきれない嗚咽と涙が吸われていく。
恥ずかしくてたまらないのに、男として意識していないせいか、どんどん素直な自分が出てくる。
「辛かったよな。さっきもあんな酷いこと言われて。この話知ってたら、殴ってやったのに」
「う、っ……ぅう……っ……」
赤ん坊をあやすように、とん、とんと優しく背中を叩かれて、やっぱり、女の子の扱いには慣れてるなと思う。
ひとしきり泣いて落ち着いてくると、やっと軽薄な冗談を飛ばして、笑わせてくれた。
「婚約破棄した相手にわざわざ声かけてくるなんてヤバすぎるし、アイツ絶対また現れるだろ。もういっそ、俺と結婚しとくか? 俺も結婚焦ってるし!」
「っ……あ……あはは……」
身体を離して涙を拭うと、ティッシュボックスを差し出してくれた。
涙でぐちゃぐちゃな顔を見られないように俯いて、何度も洟をかむ。
「そ、そうだね。婚約破棄直後は『幸せな結婚して、見返してやりたい!』なんて思った瞬間もあるし。あてつけなら、ベストな人選かも」
「だろ? 優しいしイケメンだし、超仕事できて高収入だし、あとは──」
「「実家も極太な御曹司だし?」」
ぴったり声が重なって、二人で声を上げて笑った。
「ほんと……昔の九条くん、すんごいまっとうなアドバイスくれてたんだから、私も少しは意見聞いて、遊んどけばよかったのかもね?」
照れながら顔を上げると、真剣な目とかち合った。
「俺は……今からでも、付き合うけど?」
「……え? なにが……?」
「さっき言ってただろ。男性不信、って」
「う……、うん?」
「だから、今からでも経験積みたかったら、付き合うよって」
「へ……、……?」
「婚約破棄だけじゃなくて……アイツに抱かれたのも、トラウマになってんだろ」
「っ……」
ずっと、深く考えまいとしてきたことだった。
だって直視したところで、ただただ古傷を抉るだけで、解決方法なんてないのだから。
「あ、あのねえ……ふ、ふざけて口説いてるなら、ぜんぜん笑えない、」
「ふざけるわけないだろ、こんな話の直後で」
「っ……!?」
さっきまで背中を叩いて慰めてくれた両手が、涙で湿った頬に伸びてくる。
両手で輪郭を包まれて。
蓮司の整った顔が、キスに似た形で迫ってきて──。
でも、触れあったのは額だった。
「っく……九条……、く……」
駄目だ。
喋ると、呼吸が蓮司の唇に触れてしまう。
心臓の音がうるさい。
絶対に恋愛対象になりえない男なのに、腹立たしいくらい顔が整っているせいで、簡単にどきどきしている自分が情けない。
──ああ……これこそ、経験を積んでおかなかったから、なのかも……。
逆に蓮司は、経験があるからこそ、こんな大胆な提案ができるのだろうか。
「ほら。他の男はダメでも、俺なら平気なんだろ? 男として意識してくれたことなんて、一度もないもんな?」
妙に恨みがましい口調で詰られて、むっと眉間に皺を寄せる。
「っそ、そんなの、九条くんだって、」
「……ずっと本気で口説いてた、……って言ったら、どうする?」
「っ……」
ぞくぞくっとお腹の底が震えるような、低く、艶っぽい声。
でも、蓮司の“本気”だけはありえない。
ふざけて口説いていたたくさんの異性の中から、葵を選ぶ理由が全くない。
そう思うのに、悩みをさらけ出した直後とあってか、はたまた顔が近すぎるせいか、ぐんぐん体温が上がっていく。
考えてみれば、たくさんの女子を笑顔にしていたし、泣かせたり傷つけているところは一度も見たことがない。
つまり葵も、思いきって身を委ねたら、笑顔にしてもらえるのかもしれない。
少なくとも小林のように、一方的なセックスのあと、がらりと態度を変えて突き放してくることはないだろう。今まで通り友達でいられるだろうし、自分と真逆の恋愛観で生きてきた彼からは、学ぶことも多いはずだ。
──処女でもないし。歳も歳だし。
──九条くん以外、こんな提案してくれる人なんていないし……今勇気を出さなかったら、別の経験で上書きするチャンスなんて……二度とないかも。
なにより、あの酷い記憶をかき消せたら、今度こそ気軽に恋をできるのかもしれない。
「……あ、の……わ……私……」
でも葵が思っていた以上に、蓮司は女の子に優しいらしい。
声が緊張で震えていたせいで、怯えていると捉えたのだろう。
「あー……、な、なんてな! 冗談冗談! んな真顔で黙られたら、いくら俺でも傷つくって!」
と、葵を追い詰めないように空笑いして、ぱっと身体を離した。
「ま、甘えたくなったらいつでも言えよ。すぐ駆け付けて、たーっぷり幸せにしてやるから。なんなら行き遅れて結婚に焦ったら、俺がいつでも──」
「っ……ちょ、ちょっと待って、さ、最後まで聞いて!」
「お? おう? 何だよ?」
「その…………、お願い、しようかな、って……」
「……? ん? 何を?」
「だからっ……、だから…………、え……えっ……エッ……」
「え?」
「っ……エッチ!! してくれるんでしょ!」
「……、……え?」
「く……九条くんなら? 女の子の扱い、慣れてそうだし? お互い後腐れないだろうし! 私ずっと……自力じゃ成長できなくて。変わるきっかけが、欲しかったから……」
恥ずかしくて顔が見られない。声が萎んでいく。
熱くなった頬に視線が突き刺さっているのを感じる。
蓮司はいつものノリであっさり請け負ってくれるかと思いきや、さすがに想定外だったのか、咀嚼するのにだいぶ時間をかけて、それから──。
「……どうだろうな。ストーカー化するかも」
声が低く掠れていて聞き取れない。でも目が据わっていて、冗談を言われたわけではないことだけはわかった。
「……く、九条、くん……?」
「いいの? 抱いたら俺、二度と手放さないよ?」
いつも綻んでいる目尻は鋭く、直前までごきげんだった口元も、全く笑っていない。
「あ……あはは、ウケる……。絶対ないじゃん。またぽんっと海外行って、連絡なくなっちゃうほうが、まだありそう」
なんだかちょっと怖くなって、慌ててさっきまでの軽いノリに戻そうとしたのだけれど、蓮司はやっぱり笑わなかった。
「……待ってて。寝室綺麗にしてくる」
「っ……べ、別に……このソファーでいいよ。どこだって同じでしょ」
客人として、頼む側として、遠慮したつもりだった。
でもそれこそが、いかにも、男性から大事にされたことのない女の発言だったのかもしれない。
「あのな……はじめて抱くのに、ソファーなんてありえない。ちゃんと男に大事にされるってどういうことか、今からたっぷり教えてやるから、覚悟しとけよ」
「だ、大事に、て……。そんな、私は別に、ただ普通に……」
蓮司は葵を無視して腰を上げると、振り返ることなく、寝室らしきドアの向こうへ消えていった。
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