目覚めたら、爆モテ御曹司と結婚してました!? ワンナイトのつもりが幼なじみの全力溺愛が止まりません! 1
「──ってわけで、婚約は破棄させてもらいたいんだよね」
「……え?」
優雅なピアノ曲が流れる、高級ホテルのラウンジ。
瀬名葵はティーカップに触れた手を止め、向かいの婚約者を見て固まった。
「こんやく、はき……?」
目の前の男──小林は、少し前に買ったばかりのペアリングを外し、テーブルに置く。
「大昔に親が勝手に決めた縁談だし、子どものころ会ったきりだっただろ? 再会したとき、正直全然タイプじゃなかったんだよな。即断るのは失礼だからとりあえず付き合ったけど、やっぱ無理だわ」
葵は、物心ついたときから今この瞬間まで、すっかり信じていた。
いまどき“許嫁”なんてレアな存在に恵まれた自分は、運命的な恋愛が約束されている、特別な一人に違いない! と。
だから『大事な話がある』と言われた今日のデートも、きっと入籍日の相談だ! と信じ、お気に入りのふわふわのワンピースを着て、ヘアメイクに二時間もかけたのに──。
「無理……? タイプじゃ、ない……?」
「てか、昔から想ってたとか言われても……重いんだよな~~。一度東京住んでみたくて、親父に──社長に頼んで東京支社に配属してもらっただけで、お前に会うために東京来たんじゃないし。こんなことなら関西の本社にしてもらえばよかった」
今まで猫を被っていたのか、小林は『もう取り繕う必要もない』とばかりに、どかっとソファーの背もたれに寄り掛かる。
──これは……何? 何が起きてるの……?
葵は、はっと思い出した。
この状況は、最近の恋愛漫画や小説でよく見る『婚約破棄モノ』そっくりではないか。
──そう……そうだよ。
──婚約破棄ときたら、この直後に、本命の王子様が現れるのが鉄板じゃない……!
まともな思考ではない。
哀れな葵は、縋るような気持ちでラウンジを見渡した。
でももちろん、談笑するマダムや、商談らしきスーツ姿の男性たち、フロアを行き交うスタッフの姿があるだけで。
葵を助けてくれる王子様なんて、どこにもいなかった。
「あと、葵の理想のデートにあわせるのもキツすぎて。映画やら水族館やらペアリングやら、中学生かよ。大人の恋愛なんてヤるかヤらないかだし、毎回ホテルか家でいいだろ」
鬱憤を吐き出してスッキリしたのか、彼は伝票を確認すると、自分のコーヒー代だけを、小銭まできっちり揃えてテーブルに置いた。
「じゃ。うちの親には『性格の不一致で円満に別れた』って言っとくから、話あわせといて。次は理想の恋人ごっこに付き合ってくれる男が現れるといいな」
小林は鼻で笑って、店を出て行った。
しばらく、テーブルの上の小銭を見つめ続けた。
千八百五十円。
一方的に喋っていたのに、小林のコーヒーカップは空だ。しかも外したペアリングはなぜか持ち帰ったらしい。……質にでも入れるのだろうか。
『うわ、ヤバ! ケチ臭い奴だな~。葵、マジであの男がいいの?』
不意に、幻聴が聞こえた気がした。
それから脳裏に、だらしなく着崩した学ラン姿と、へらっとした笑顔が蘇る。
『葵さぁ~、その、許嫁? 絶対そいつ、葵ほど真面目に考えてないって』
『子どものころ、一回会ったきりなんだろ?』
『もし性格悪い男に育ってたらどーすんの?』
彼は──九条蓮司は、いつもそう言って葵の運命の人を馬鹿にしてきた。
校内一チャラくて、毎日ふざけたノリで女子をメロつかせて、葵の恋愛観とは、徹底的に相容れなかった男。
なのに、中高一貫校で長年同じクラスだったせいか、高校ではやけに葵に絡んできた。
『学生のうちから恋愛経験積んどかないと、男を見る目が育たなくて騙されるかもよ? ほら、目の前に世界一のモテ男がいるし、いったん俺にしとけば?』
『俺超優しいし、イケメンだし、文武両道だし、将来は仕事のできる男になる予定だし、実家も極太な御曹司だし? 俺にしとけば、将来安泰だぞ~?』
もちろん、本気なわけがない。
日頃から整った顔面を武器に、クラスメートの女の子に優しくしては、
『あ、今惚れちゃった? 付き合おっか?』
なんて迫って、『あはは、ムリムリ』『私彼氏いるし!』『今日その告白したの何人目!?』と突っ込まれていた、軟派なお調子者だ。
街角でスカウトされるほどのイケメンなのに気取っていないのが好印象なのか、クラスの男子からも大人気で、先輩や後輩からも愛されていた。
唯一、葵だけはそんな場面をしらーっと遠目に見て、
──はぁ……やだやだ。ばっかじゃない? 子どもっぽすぎ。
──あんな態度で毎日女の子に告白してたら、本気で誰か好きになったとき、どーするわけ?
と、心底蔑んでいた。
でも、あれから五年。二十三歳にして、やっと悟った。
『なー? 俺の言った通りだったじゃん!』
『大外れクジのケチ男を何年も信じて、葵はバカだな~!』
『俺と恋愛経験積んどけば、地雷回避できたかもしれないのに!』
葵の気付きを代弁するように、脳内で蓮司がへらへらと笑う。
彼は、葵が『とうとう許嫁と付き合い始めたんだ!』と報告した途端、ぱったりと連絡が途絶えていた。きっと、頑固でバカな女だと呆れて、見放したに違いない。
どのくらい、コーヒー代を見つめていただろう。
勝ち誇った蓮司の笑い声が聞こえた気がして、自嘲しようとしたのに──目の奥が熱くなってきて。
店を出てトイレに駆け込んで涙を拭い、ペアリングに気付いてまた涙が溢れた。
ドラマティックで運命的な恋なんて、葵の人生には用意されていなかった。
葵は世界でたった一人の主役に選ばれたわけじゃなかった。
ただの脇役だった。
この日から男性不信に陥り、四年後、蓮司に再会してとんでもないことが起きるまでは──そう、信じ切っていた。
◇ ◇ ◇
「前の婚約者に振られたときのこと、ときどき、フラッシュバックしちゃって……。でも今度こそ、幸せになりたいんですっ……!」
ハンカチで目元を拭った若い女性のクライアントを前に、葵はつい四年前の自分を重ねて、テーブルに身を乗り出した。
「大丈夫です……! 今日からは私が、全力で恋をサポートさせていただきますからッ! これを成長の機会と捉えて、一緒に頑張っていきましょうッ!」
恋愛相談所“ティアラ・アムール”のカウンセリングブース。
葵はノートパソコンを開いてクライアントに頷き、「ではさっそく、具体的な状況を教えていただけますか?」と促した。
「えっと……お仕事で一緒になった方で。私はもう結婚を決めてるんです。女優としてのキャリアより、出産を優先したくて。でも彼は、まだ迷ってる様子で──」
俯き加減に語り始めたクライアントに相槌を打ちながら、葵は思う。
──私もいつかまた、『この人だ!』って思える男性と、出会えるのかな……。
小林から婚約破棄をされて、四年が経った。
泣いてスッキリするかと思いきや、約十六年信じてきた恋愛が突然消えたショックは大きく、一度は抑うつ状態に陥り、実家の世話になるほど塞ぎ込んだ。
そもそも小林が許嫁となったのは、経営者である双方の親が、仕事の取引で意気投合したのが発端だった。
落ち込んだ葵を訝しく思い、事実を聞き出した父は、『彼と小林社長に物申しに行く! 娘を泣かせるなんて、許さん!』と憤ったが、全力で止めた。とにかく、一刻も早く忘れたかったのだ。すると今度は母に泣かれ、
『社長は本当にできた方で、将来は息子さんに建設事業を継がせるとおっしゃってたから、間違いないと思ったのに。大事な一人娘だからって、勝手に約束をした私たちのせいだわ……』
と、何度も謝られてしまった。
ただ、落ちるところまで落ちると、こんな凡人にも天啓が訪れるらしい。
打ちひしがれていたある日、実家の庭をぼうっと眺めながら、ふと、こう思ったのだ。
──私の人生には、ロマンチックな恋愛は用意されてなかったけど。
──脇役なら、脇役なりの人生をまっとうしたい……。
それからさらに考えるうち、理想の恋を叶えられなかったぶんも、恋に悩める人たちの幸せを手伝いたい気持ちが湧いてきた。
もちろん、すぐに恋愛相談所を開こう、なんて大それたことを思ったわけではない。
積極的に友人の恋愛相談を受け、次第に探究心が芽生えて、恋愛にまつわる心理学の講座に参加したり、浮気や不倫、離婚など、恋愛トラブルに関わる法律まで知識を広げた。
相談に乗っていた友人が結婚したときは我がことのように嬉しかったし、
『一人で悩んで視野が狭くなってたから、葵が寄り添ってくれて心強かったよ。実は葵に相談したいって友達、何人かいてさ』
などと感謝されることが増えるうちに暗い気持ちは消えて──気付けば友人たちに後押しされる形で、営業事務の仕事に辞表を出し、屋号を“愛のティアラ”と名付けて、開業届を出していた。
婚活支援も取り入れつつ、独立してはや三年。
当初は客がつくのか、いつまで続けられるか不安だった。けれど、海外ブランドの日本代理店を営む父が、交友関係を駆使して多様な業界のトップに宣伝してくれたことと、本気で悩む人に向けた強気な価格設定がかみ合ったらしい。主に起業家や、良家の令息や令嬢、芸能人など、色恋の悩みを打ち明けにくい富裕層のあいだで口コミが広がり、今では古いオフィスビルにワンルームの事務所を構えられるまでになった。
どうやら、恋愛経験の豊富さと、助言能力には相関性がないようだ。
これまで何組ものカップルの入籍を見届け、仕事はこれ以上ないほど充実している。
でも──葵自身は、独り身のままだ。
「瀬名さんに話を聞いていただけただけで、だいぶ楽になりました。これからよろしくお願いいたします」
「焦らず、一歩一歩進んでいきましょう。夜は雪が降るみたいなので、気をつけてお帰りくださいね」
聞き取りのあと、今後の方針と、負担にならない程度の助言を伝え、自己理解を深めるためのチェックシートを渡し、次回のカウンセリング予定を決めて玄関まで見送った。
ワンフロアに一部屋のこぢんまりしたビルだから、ドアを開けるとすぐ、一月の冷たい風が吹き込んでくる。
でも、ほんの一時間前まで泣いていたクライアント──ノーメイクでも麗しい新進気鋭の女優は、目深に被った帽子と眼鏡の向こうで、わずかに笑顔を見せてくれた。
もっと笑顔にしてあげたいな、と思いながらカウンセリングブースを片付けていたのに、彼女と昔の自分を重ねて相談を聞いていたせいか、気付けば溜息を吐いていた。
──もう四年も経ったのに。どうして、私は……。
自分らしく仕事に打ち込めば、いつかトラウマも忘れて、脇役なりの恋が訪れるかも、と淡い期待を抱いていた。
けれど婚約破棄をされて以来、葵はまともな恋愛ができなくなってしまった。
──この人は、突然態度を変えたりしない?
──初対面だからよく見せているだけで、付き合い始めたら、別の顔があるかも。
──簡単に心を許したらだめ。私は自分の恋愛となると、冷静に見られないから……。
そんなふうに心にブレーキをかけて、勝手に自滅してしまう。
男性不信。
認めたくないけれど、一言でまとめれば、そういうことなのかもしれない。
友人知人やクライアントの男性であれば、客観的に人柄を判断することができるのに、自分のこととなると、異性として意識した瞬間に身構えてしまう。
──ほんと、九条くんに言われた通りだったな。
──若いうちに、もっと軽い気持ちで付き合ったりしてれば……今も、気軽なお付き合いから、本気の恋に発展、なんてこともあったのかも。
男性不信の恋愛カウンセラーなんて、笑い話にもならない。
葵はデスクに座って、ノートパソコンでカルテをまとめながら自嘲する。
──このまま独り身で、カップルを見送り続ける人生なのかな……。
年々悩みが深刻化しつつあるのは、三十路が近付いてきたからだろう。
加えて最近、帰宅途中で元婚約者の小林と再会したことも、憂鬱に拍車をかけていた。
顔を見ただけで動悸がしたのに、強引に引き留められ、仕事やプライベートについて根掘り葉掘り聞かれて、彼が反応の鈍い葵に飽きて離れるまで、パニックで動けなかった。
しかも年末年始にかけて、二回も出くわしたのだ。
──まあ、さすがに三度目はないだろうけど……。
「先週会った時間は避けたいし……ちょっと残業しようかな。明日は定休日だし」
結婚相談所の連盟から依頼された仲人向けセミナーの原稿に手をつけて、ざっくり概要がまとまったところで、業務日誌を綴る。休日明けのスケジュールを確認したとき、インターフォンが鳴って首を傾げた。
事務所の住所はネットで公開していないから、飛び込みで客がくることはない。
「あっ……! 午前中に受け取れなかった宅配便! 再配達してくれたのかな」
いつの間にか、窓の外は雪が舞っている。いつも世話になっている配達員の顔を浮かべて、ついインターフォンでの応対を省略し、玄関扉を開けた。
「すみません、雪の中何度も、っ……!?」
ぎょっ、と全身が硬直した。
スター男優ばりの、長身のイケメンが立っている。
見るからに仕立ての良いスーツとコート。
どう見ても配達員でも、クライアントでもない。
アイドルや芸能人からの相談もたびたびあるけれど、こんな男性は知らない。
でも男は目があった瞬間、切れ長の目をぱっと見開き、覆い被さるように迫ってきて。
「あー、よかった! 看板なくて、本当にここかなって不安だったけど……久しぶり!」
「すっ……、すっ、すみません! 間違えましたあ!!」
自分からドアを開けて『間違えた』というのもおかしいが、中に押し入られるのかと恐怖して、ドアノブを全力で手前に引く。
「わーっ、待って待って待って!?」
「ぎゃああああっ!?」
男の足が、ガッ! と閉まりかかったドアの隙間に入り込んできて思わず叫ぶ。
「いだだだだ! えええええ!? 待って待って足挟まってる! この靴買ったばっかりだからやめて!?」
「いやああああああっ!?!?」
男の手が、ガシッとドアを掴んで反対方向に引っ張ってきた。
必死にドアノブに体重をかけて引っ張り返す。
「な、なななななっ、なっ、なんなんですか!? 警察呼びますよ!?」
「自分で開けておいて警察って何!? 俺だよ俺!」
「オレオレ詐欺!?」
「対面でオレオレ詐欺とかないだろ! 九条だよ! 九条蓮司──いやなんで友達に名乗ってんの!?」
「えっ……? くじょう……?」
覚えのありすぎる名前に、思わず見上げた。
手から力が抜けると、握り締めていたドアノブごと男の力で引っ張られて──どんっと身体にぶつかる。
「きゃっ……!」
「わ、っと……。ばか、急に力抜くなよ」
抱き留められて、もう一度見上げる。
中学高校とほぼ同じクラスで、女の子を愛でることを使命としていて、許嫁のいる葵まで毎日ふざけて口説いてきた、腐れ縁の友人。
就職してから連絡が途絶えていたとはいえ、顔は覚えていたはずなのに。
──こんな、大人びた顔立ちだったっけ……?
制服をだらしなく着崩していた姿とは、似ても似つかない。
わずかに記憶と重なるのは、高貴さを印象付ける、きめ細かな色素の薄い肌だ。
昔はこの上なく軽薄に見えたのに、今は別人のようにどっしりと構えて、高級そうなスーツを着こなし、とびきり極上の、大人の男性になっている。
だから、蓮司だと確信した決め手は──。
「相変わらず葵はちまくて可愛いなー、ちゃんとメシ食ってるか?」
「……ほんとだ、このウザさ、九条くんだ……」
「いや、この完璧に格好良い顔で思い出せよ」