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コワモテ御曹司は可愛すぎる童顔妻を一生溺愛したい! 3

第三話

 混乱するあまり恥ずかしさすら忘れていたが、両親の前で手を握り合うなんて自分たちはいったいなにをしているのだろう。
「あのね、茉子さん」
「は、はい」
 郁子に話しかけられて、茉子は居住まいを正し顔を向ける。
「親の私が言うのもなんだけど、柊司はね、正義感は強いけど、真面目すぎて融通が利かないこともあるし、冗談が通じるような面白みのあるタイプでもない。でも、あなたを怖がらせないと誓ったなら、きっとそうするはずよ。アスレックスのことはうちが引き受けるから、今すぐ好きになるのは無理でも、前向きに結婚を考えてみない? たぶんね、あなたと結婚しなかったら、うちの子、一生独身だと思うのよ」
 困ったわ、と言いたげに郁子が頬に手を当てた。
 それに便乗するように、母も声を上げる。
「茉子も同じです。こういう縁でもなければ、一生、結婚なんてしないでしょう」
 二人は顔を見合わせて、お互い苦労するわね、と言いたげな顔をしていた。
「で、でも……いきなり結婚なんて」
 もう一度断れば、柊司の母も引くだろう。口を開こうとして、茉子の中に初めて迷いが生まれる。
 柊司はこんな自分を求めてくれた。
 茉子の恐怖に寄り添ってくれたのに、彼を知ろうともしないで断っていいのか、と。
 茉子が結婚を受け入れれば、アスレックスが助かるのに、と。
 だが、結婚して無理だったので離婚しましょう、というわけにもいかない。初めて会った相手とそう簡単に結婚を決められるものではないと思う。
「それもそうね。せっかくの休みだし、このあとデートでもして、柊司と結婚できるか判断したらどう? もし茉子さんがどうしても柊司を受け入れられなかったら、そのときはきちんと柊司を振ってあげてちょうだい」
「デート……ですか」
 いきなり結婚よりハードルは下がるが、男性とデート、つまり柊司と二人きりになるということ。しかも、それで結婚できるかどうかを決めるなんて。
 なんだか気が遠くなりそうだ。
 しかも、茉子がデートさえも断れば、この話はこれで終わり。自分の肩にかかっているプレッシャーに押しつぶされそうになる。
「それはいいですね。いいじゃない、行ってらっしゃいよ」
 郁子の提案に母が目を輝かせながら手を打った。
(よくないよ……二人きりで喋れるかなんてわからないのに……)
 母は、いい加減に茉子の男性恐怖症をどうにかしなければと思っていたのだろう。荒療治も必要だとばかりに、こちらの視線には気づかない振りをする。
「じゃ、私たちは今後について少しお話させてもらうから。茉子、今日は実家に帰ってきなさいね」
「柊司くん、茉子をよろしくお願いします」
 両親が揃って頭を下げると、柊司はキリッとした顔で頷いた。
「遅くならないように、ご実家まで送り届けます」
 茉子はデートをするともしないともまだ言っていないのに。


 両親たちに追い出され、茉子は柊司と肩を並べて紀野家の前で佇む。
(どうして……こんなことに……)
 茉子が緊張に身体を硬くしていると、柊司が口を開いた。
「母が強引ですみません」
「い、いえ……っ、うちの母も……」
 慌てて首を横に振れば、柊司がなぜか突然、深呼吸を始めた。
「しゅ、柊司さん?」
「茉子さんとデートなんて夢のようで……正直、浮かれています。もちろん、あなたが俺と同じ気持ちじゃないことは、ちゃんとわかっていますので」
 そう言われると、茉子はなにも言えなくなってしまう。
 柊司はどうしてこんな自分を好きでいてくれるのだろう。
(二人きりで話をすれば、私をいやになって、結婚を撤回してくれるかな……)
 柊司から断ってくれれば、茉子は迷わずに済むのに。しかし、そのせいでアスレックスが倒産したらと思うと、どうするのが一番いいのかわからなくなる。
「どこに行きましょうか。茉子さんは、行ってみたいところはありますか?」
「あ、えぇと……特には……」
 デートだってご免こうむりたいのに、行きたいところなどあるはずもなかった。
「車を出してもいいですが、俺と車内に二人きりは怖いですよね。電車やバスも苦手だとすると……」
 柊司は顎に手を当てて、考える素振りをする。
「すみません……」
 出かける前からこの状態だ。茉子は申し訳なさと自分の面倒くささに肩を落とす。
「謝らなくて大丈夫です。茉子さんに無理をさせているのは俺の方ですから」
 無理をさせているとは言うが、柊司がアスレックスへの出資を提案してくれなかったら、どこかの企業に安く買い叩かれるか、倒産かだったのだ。
 坂下家は、柊司に感謝しなければならない立場である。
「桜にはまだ早いですが、目黒川沿いでも歩きましょうか。店もいろいろありますし」
 行きましょう、と視線だけで促される。触れないと言ったとおり、柊司は茉子と一定の距離を取ってくれている。
 中目黒に向かって、人一人分の距離を空けて川沿いを歩く。冬の樹木は寒々しく見えるが、人通りも車通りも少なく歩きやすい。茉子は川のせせらぎを聞きながら、時折、柊司が振ってくれる話に相槌を打った。
(柊司さんは、こんなデートで楽しいのかな……)
 茉子がついため息をついてしまうと、柊司が足を止めた。
「疲れましたか?」
「い、いえ……すみません」
 茉子は肩を縮こまらせて頭を下げた。
 すると、柊司は茉子の足下を見て、逆に申し訳なさそうに視線を下げる。
「その靴では歩きにくいですよね。それに、頬も赤くなってる。寒いでしょう? すみません、俺はあまり気が利かなくて。どこかに入りましょう。食べられないものはありますか?」
 ヒールは歩きにくいが、柊司がずっと茉子に歩幅を合わせてくれていたため、そこまで負担はなかった。しかしそれもまた言えず、茉子は首を横に振り小さく呟いた。
「大丈夫、です」
「じゃあ、俺がよく行くカフェにでも行きましょうか。そこは二階なので眺めがいいですし、店内が可愛いので楽しいと思います」
 茉子は、さらに歩く速度がゆっくりになった柊司についていく。
 中目黒の駅に近づくと、様々なカフェやセレクトショップが建ち並んでいた。柊司が案内してくれたカフェは中目黒から池尻大橋に向かう途中にあった。目黒川を眺められるように川側の壁はすべてガラス張りになっており、外観は非常に可愛い造りだ。
 並んでいる客はいたが、開店してすぐだったからか待たずに案内された。入ってすぐ、方方に飾られる花々に圧倒される。
(柊司さん……ここによく来るってほんと?)
 店内を見回しても、女性客ばかり。柊司の長身と厳つさはここでもかなり目立っている。しかし、本人はまるで気にした様子もなかった。
(もしかして……私のために、女性客の多い店に来てくれたのかな)
 よく来る、なんてうそをついてまで。
「なんでも好きなものを頼んでください」
 メニューを手渡されて受け取り、眺めた。ランチセットはドリンクやサラダもついており、お得感がある。
「柊司さんは、なににしますか?」
 か細い声で聞くと、柊司はテーブルに置いたメニューに視線を落とすが、すぐに顔を上げる。
「茉子さんと同じのにします」
 目を輝かせながらはっきりと言われて戸惑う。
「え……じゃ、じゃあ……サンドウィッチのランチセットにします」
「わかりました」
 柊司はスタッフを呼び、注文を済ませた。
 注文したきり会話が止まると、向かいに座った柊司の顔を見られなくなってしまう。話しかけられればなんとか会話はできる。だが、ずっと心臓はバクバクいっているし、この状態で彼との結婚なんて考えられるはずもない。
 落ち着きなく手やテーブルを拭きながら視線だけを柊司の方に動かすと、なんと彼が蕩けそうな目でこちらを見ているではないか。
「あ、あの?」
「ジロジロ見てすみません。茉子さんが目の前に座っているという奇跡にまだ慣れなくて……幸せを噛みしめていました」
 柊司は我に返ったような顔をして一つ咳払いをした。
(そんなことに幸せを感じないで……)
 どう返せばいいかわからず黙り込んでしまったタイミングで、注文したサンドウィッチが飲み物と共に運ばれてきた。
(食べてればなんとか間が持ちそう)
「いただきます」
 手を合わせてサンドウィッチを一口食べると、向かい側でガタッと音がする。その音に驚きびくびくしながら視線を上げれば、柊司が口元を手で押さえていた。
「口も小さい、可愛い」
 彼が自分の食事姿に感動を覚えているのは明白だった。
(この人……可愛いって言うの、癖なの?)
 川沿いを歩いている間も、茉子はほとんど喋っていない。それなのに、なにがそんなに嬉しいのだろう。
(私と一緒にいるだけで、嬉しい……とか?)
 彼の考えを想像して、うぬぼれ過ぎだと恥ずかしくなる。好意を持ってくれているのはたしかだろうが、そこまで好かれる魅力が自分にあるとはとても思えない。
(見られてると、食べにくいよ)
 咀嚼音が聞こえてしまっていないだろうか。自分は今どんな顔をしているだろうか。そんなことばかり考えて落ち着かなくなる。
 茉子はサンドウィッチを皿に戻し、紅茶の入ったカップを手に取った。
 少し話しただけで、柊司が悪い人ではないのはわかる。優しい人なのも。茉子は紅茶を一口飲み、気持ちを落ち着けると、恐る恐る視線を上げて彼を見る。
「あ、あの」
「はい」
「柊司さんは、どうして、そんなに私を?」
 茉子が尋ねると、柊司はただそれだけのことに嬉しそうに破顔する。
(話しかけただけで、喜ばないでほしい……っ)
「初めは一目惚れでした。通学中の電車の中であなたを見かけて、最初は心配で……次に可愛いなって感情が来て、それから目で追うようになりました」
 柊司は、懐かしそうに目を細めて話しだした。
「電車の中でって……」
 その言葉に驚愕を覚える。彼の言葉が本当なら、電車の中で茉子を見かけ、心配と感じるなにかがあったということ。
 高校に入学して茉子が電車に乗ったのは、たった数回。数回目で痴漢に遭い、自転車通学に切り替えた。
(うそ……やっぱり、あの人なの……?)
 痴漢されたとき、男子生徒にからかわれていたとき、教師から叱責されていたときに、茉子を助けてくれた背の高い先輩。
 あのときの彼の顔を必死に思い出そうとしても、記憶に靄がかかったようにはっきりしない。ただ、何度も助けられたことだけは記憶にしっかりと残っている。
「もしかして……柊司さんが、私を助けてくれた人、ですか?」
 助けてくれた人、その言葉だけで通じたらしい。
 柊司は口の端をわずかに上げて頷いた。笑って目が細まると、ずっと優しい顔になるのだと気づく。
「あの頃は……いろいろと、ありがとうございます。でも、私……ちゃんとお礼も言えなくて」
 そんな偶然があるはずもないと思っていたし、あの出会いで彼が茉子に片思いをするなんてあり得ないとも思っていた。茉子は彼に好かれるような行動など一つも取っていない。失礼な後輩だと厭うことはあっても、好意を向けられるなんて。
「卒業式の日にお礼を言ってもらいましたよ。覚えていてくれて嬉しいです。俺こそ、怖がっているあなたに何度も不躾に声をかけてしまいました」
 驚きと、懐かしさと、嬉しさで涙が込み上げてくる。彼との出会いは、男性に関わる思い出で唯一、温かな気持ちになれるもの。
(それが、まさか……柊司さんだったなんて)
「もし会えたら、聞いてみたかったんです。柊司さんは私を、男性を痴漢呼ばわりするうぬぼれた女だって思わなかったんですか?」
 茉子が男子生徒にからかわれている現場にいた柊司が、その噂を知らなかったとは思えない。
「思いませんでした。誰になにを言われても、唇を固く結んで我慢していたあなたを見ましたし、茉子さんは、必死に話そうと努力してたでしょう?」
 男性に対して恐怖心を抱いてしまう自分が、両親を心配させてしまう自分がいやだった。そんな自分を変えたくて、男子生徒との会話に何度も応じようとしてみたのだが、無理だったのだ。
(努力してたって、思ってくれてたんだ)
 柊司の言葉に、あの頃の自分が救われたような心地がした。
「あなたを怖がらせたくなくて、告白はできませんでした。その後悔を引きずったまま、あなたを忘れられずにいました。茉子さんに苦しい思いなんて絶対にさせません。俺は、あなたと結婚できるチャンスがあるなら逃したくない。結婚するまでは婚約者として、俺を知っていただけないでしょうか。もし、好きになれなかったら、そのときは潔く諦め……たくないですけど、なんとか諦めますから」
 真っ直ぐに見つめられて、息が止まりそうになる。恥ずかしさのあまり柊司から目を逸らしたくなっても、彼の引力に惹きつけられたように目が動かせない。
 だが、彼との結婚生活を頭に思い描くと、煮え切った脳内が一瞬で冷静になった。
 いくら柊司に恐怖心がなくとも、愛し愛される関係になれるとは思えないし、触れ合うことも難しいだろう。彼が望む結婚生活でないのはたしかで、そんな状態を何年も続けていけるとは思えない。
「……普通の婚約者にも、普通の夫婦にも、なれませんよ」
 ぼそりと言うと、柊司が痛ましい顔をしてこちらを見た。
「柊司さんは、いずれ私にがっかりすると思います。引きこもってばかりだし、まともな恋人にもなれないなんて……そのうちいやになるに決まっています」
 柊司はいずれ現実を知るだろう。そう思うのに、彼から疎まれる未来を想像すると、なぜか胸がつきりと痛む。
「なりません」
 はっきりと否定する柊司の声が聞こえて、茉子は目を瞠った。
「茉子さんをいやになんて絶対になりません。俺はあなたに十年恋い焦がれていたんです。もしかしたら、自分の中であなたの存在を美化していただけかもしれないと思っていました。でも、こうしてあなたに会って自分の気持ちが変わっていないとわかった。だから、約束します。あなたが無理だと言わない限り、俺から婚約解消を申し出ることはありません」
「そんな約束、しちゃって、いいんですか」
「あなたのそばにいられるなら、なんでもします。お願いです。俺と結婚してください」
 自分よりずっと大きな手のひらが差しだされる。柊司の耳は見事に真っ赤に染まっており、その手は少し震えていた。
 柊司に真っ直ぐな気持ちをぶつけられて、じわじわと嬉しいような気恥ずかしいような感情に襲われる。茉子の中にあった迷いが徐々に晴れていく。
(この人は……大丈夫な人だ。怖くない)
 あの頃は名前も知らなかったし、きちんと話すのも初めてなのに、今まで自分が恐れてきた男性とはなにかが違うと確信している。
 茉子が普通に話せる男性は、父といとこだけだった。けれど、そこに今はなぜだか柊司も加わっている。
 彼に恋ができるとは思えないが、柊司は、茉子が初めて家族以外でまともに近づける男性だ。トラウマを克服するチャンスがあるとしたら今しかない。
 それに、アスレックスを救うために誰かを結婚相手に選ばなければならないとしたら、その相手は柊司がいい。
「柊司さんがそう言ってくれるのなら、私も頑張ってみます。柊司さんに、早く慣れるように……あの、ですので……協力していただけると、助かります」
 茉子は差しだされた手のひらに、ちょこんと指先をのせた。
「もちろんです」
 柊司の目にわかりやすく喜色が浮かぶ。大事そうに指先をそっと握られて、激しい運動のあとのように、胸が弾んだ。
 得体の知れない自分の感情に戸惑いながらも、それが少しも嫌ではなく、むしろなにかの希望のように思えてくる。
 男性への苦手意識を直していこうと決めたのだから、これからは少しずつ柊司に歩み寄らなければ。距離を取り続けていてもなにも変わらない。
(そうだよ。トラウマ克服。目標は高く。まずは普通の恋人を目指さないと)
 むくむくと元来の好奇心が頭をもたげてくる。
 男性恐怖症のせいですっかり臆病っぷりが板についているが、幼い頃の茉子は活発でなんにでも興味を持ちチャレンジするタイプだった。
 もう後戻りはできない。アスレックスを助けるために必要な婚約だし、自分のトラウマを克服するチャンスでもある。頑張るしかないのだ。
「これから、よろしくお願いします」
 茉子は頭を下げて、彼に握られたままの指先をきゅっと握り返したのだった。

 


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