二度目の恋は、甘く蕩けて 捨てられたはずの元カレ幼馴染みと溺愛結婚始めました 1
第一話
照明を落とした寝室のベッドの上で、男らしい均整の取れた身体が覆い被さるのを受け止める。
はだけた服もそのまま、汗ばんだ素肌が吸いつくように重なった。
私より少し高い体温。
昔より厚みが増して、たくましくなった男の身体。
それらをずいぶん久しぶりに感じたら無意識に甘やかな吐息が漏れて、私は襟足で揃えられた拓巳(たくみ)の髪にぎこちなく手を伸ばす。
拓巳が切れ長の目を甘く細める。
胸まで長く伸びた私の髪がすくわれ、骨張った指の隙間からさらりと落とされた。
快感をたっぷり味わった身体は、さっきから火照ったまま。
なのに、期待で鼓動がさらに高まるのを止められない。
「んんぅ……!」
開かされた足のあいだに、拓巳が腰を押し進めてくる。
ナカをこじ開けられる痛みで思わず眉を寄せると、拓巳が慰撫するように指の背で私の頬に触れた。
「キツ……律(りつ)、ひょっとして痛い?」
どうにかうなずくと、拓巳が腰を引こうとする。
「やっ、抜かないで……っ。大丈夫だから……!」
私は息を乱しながらも首を振る。
目をみはった拓巳が、今度はゆっくりとためらいがちに入ってきた。
「どれくらい……シてないんだ?」
「っ、……十年くらい」
拓巳と別れてから経った時間と、ほぼおなじ。
その事実が正確に意味するところは、拓巳にも伝わったはず。
いたたまれなさのあまり、私は切れ長の目から顔をそむける……けどだしぬけに、内側から押し広げられる圧迫感がひどくなった気がした。
「ねえっ、ちょっ、拓巳、おっきくなってない……!?」
「そりゃそうだろ」
拓巳の目がやけに熱っぽい。
「そういうの、俺だけだと思ってた。おまえもそうだったって聞かされたら、めちゃくちゃ嬉しいし興奮するっての……ッ」
腰をつかんだ拓巳に奥まで一気に押し入られて、甘い悲鳴が口をつく。
激しく揺さぶられるたび、腰が浮いた。
ひきつれるような痛みはナカが拓巳の形を思い出すにつれて遠のき、代わりにあふれた愛液がシーツまで伝う。
私を見つめるまなざしが欲情をはらんで熱を帯びる。心臓が今にも飛び出そう……。
「律。ずっと、この腕におまえを抱きたかった。やっと叶った」
「拓巳……、拓巳っ……」
低くかすれた声に胸がつまって、視界が潤んだ。
気持ちは今にもはち切れそうなほど膨らむのに、唇は震えるだけで言葉が出てこない。
――私だって、そう。
たまらず拓巳の首裏に腕を回すと、離さないと言わんばかりに強く抱きしめ返された。
ほかの誰ともちがう、拓巳のぬくもりが汗ばんだ素肌にしみてくる。
――しっくりくる。
やっぱり抱かれるのは拓巳でないとダメで、拓巳だからこそ……こんなにも感じる。
拓巳もそう思ってくれてる……?
そうだったらいい。
もしそうなら、私たちはもう、十年前みたいにはならない。
今度こそ、ふたりで笑っていられるはず。
仕事中は眼鏡着用がルールだ。販売員だけではなく、事務職の私もそう。
でも、定時後はどういう扱いになるんだろう。事務所にいても、やっぱり外したらマズいんだっけ。
本格的な暑さを迎えた七月上旬、エアコンの効きが悪いビル二階の事務所でそんなことをぼんやりと考えていると、フロア勤務の先輩から内線がかかってきた。
『結城(ゆうき)さん、売り場に真由子(まゆこ)さんがいらしたわよ』
「はーい、下ります」
私は外していたメタルフレームの眼鏡をかけ直し、うなじの上でひとつに結わえているダークブラウンの髪にも触れて確認する。ほつれは……うん、なし。
急ぎ足で一階に下りフロアに出ると、ちょうど眼鏡を試着していた真由子さんがふり向いた。
「りっちゃん! あら、今日の眼鏡いいじゃない。丸みがあるから、律ちゃんの堅さをやわらげてくれてるわ」
「私って、堅そうに見えますか?」
「そうやって生真面目に気にするところが、りっちゃんのいいところよ」
チャーミングに笑う真由子さんは、「星見(ほしみ)眼鏡店」のお得意様だ。
ショートにした黒髪に縁取られた小さな顔に、ボルドー色のセルフレームがよく似合っている。
昔はモデルをしていたそうで、還暦を過ぎたとはとても思えないすらりとしたプロポーションはどこにいても目立つ。
ごくごく平凡な顔立ちの私にとって、憧れの存在だ。
私はといえば、垂れ目気味の目だけは人に言わせるとチャームポイントで、おっとりして見えるらしい。
職場でもよく「なんでも許してくれそう」と言われる。怒らなそう、とも。
といってもそれは正確ではなくて、私も腹を立てないわけじゃない。ただ、相手の事情を考えているうちに怒りそびれていることがままあるというだけ。
容姿に関してほかに言えるのは、鼻が高くないことと、唇がやけにぽってりしていることくらい。どちらもけっこう気にしている。
身長も、バストサイズもほぼ平均。
眼鏡をかけると、突出したところのない地味で堅い二十八歳、アラサー社員のできあがりだ。自分で言っててちょっと悲しい。
そんな私だけど、親よりも歳の離れた真由子さんになぜか気に入られ、プライベートでも仲良くさせてもらっている。
「で、どう? 最近は。出会いはあった?」
「真由子さん、私まだ業務時間で」
「だからそういう堅いことを言わないの。客との積極的なコミュニケーションは接客の基本よ? それにほかの客もいないじゃない」
ちゃめっ気たっぷりだけれど、なかなか押しが強い。
店長が店の奥で苦笑気味にうなずくのを確認して、私は真由子さんに向き直った。
「……ないですよ、残念ながら。このまま三十になりそうです」
「そんなんじゃだめよ、積極的に出会いを取りにいかないと。待ってるあいだに、いい男はよその女に取られるものなんだから」
そう言う真由子さんは、三度の結婚と離婚を経験している。
それでも私に出会いを勧めるあたり、どの結婚にも後悔はないんだと思う。これだけ素敵な女性なら、さもありなん。
「でね、今日はいいものを持ってきたのよ。ちょっと見て」
真由子さんは受付カウンターの椅子に腰を下ろすと、革のハンドバッグから取り出した四つ折りのフライヤーをカウンター上に広げた。
私も向かいに座って覗きこむ。
「これね、息子が主催するパーティーなんだけど、行ってみない?」
「パーティー?」
「そ、婚活パーティーよ」
私は取りあげかけたフライヤーから、反射的に手を離した。
「私、そういうのは……」
「あら、息子の会社はまったく健全な企画会社よ。宗教やスピリチュアルの勧誘もないから安心して」
「いえっ、そうではなく」
「婚活パーティーにいいイメージがない? あのね、息子によれば今の時代はアプリでも婚活ができるんですって。でもやっぱり会わないことには、相手の為人(ひととなり)なんて判断できないじゃない? だからこそこういうパーティーにも需要はあるの。大丈夫、軽い気持ちで参加すればいいのよ。美味しいお料理を楽しむために参加する、くらいの気持ちでね」
「でも、私は」
「いい? りっちゃん。いつまでも過去の恋を引きずっていたって、いいことはないわ」
過去の恋の話をした覚えはないのに、真由子さんは訳知り顔で畳みかけてくる。
「二十代をこのまま無駄にしてはだめ。りっちゃんは今が華なのよ。新しい扉を開く絶好のチャンスだわ。大丈夫、だめだったらやり直せばいいだけよ」
いつのまにか握らされたフライヤーを前に、私は困惑で眉を下げた。
仕事帰りにデートをする恋人もいないので、今日も駅前のスーパーで買い物をして大人しく帰る。
職場から電車で三駅。駅からは徒歩二十分。
築十二年という、新しくはないけれど古いというほど古くもない、五階建のワンルームマンションが私の住まいだ。
近くに大学があるため入居者の大半が学生で、駅の向こう側には学生需要を狙った低価格帯の飲食店も多く並ぶ。
しかしこちら側は昔ながらの個人商店が軒を連ねていて、どこか雑然とした風情が残っている。
その下町特有の雰囲気が気に入ってこの町に住み始めてから、もうすぐ六年。
部屋に入るなりエアコンをつけ、私は買ってきた惣菜と作り置きのおかずをローテーブルに並べた。
これもスーパーで買った缶チューハイを開けると、プシュッと泡が噴き出た。慌てて口をつける。
「はぁ……美味し……」
仕事終わりのチューハイはひときわ胃にしみる。ひとりでテーブルにつく生活を最高だと言えば嘘になるけれど、不満はない。
チューハイを片手にスマホのSNSアプリを開き、愛らしいペットたちの写真を眺める。毎日欠かせない、癒やしの時間だ。
だけど、どうも今日はうわの空になってしまう。
私はため息を落として鞄を探り、婚活パーティーのフライヤーを取り出した。
きらきらしい文面が躍るフライヤーをぼんやりと眺める。
【極上の出会いが、あなたを待っています!】
きっと年収や肩書きが極上という意味なんだろう。性格さえよければいいと思えるのは十代までかな……と、鼻白みそうになって苦笑した。
この歳にもなると、ピュアな思考からほど遠くなるのが悲しい。
ほかにも、フライヤーにはさまざまな謳(うた)い文句が並んでいた。
【参加者は事前審査を通過した会員様のみ!】
【身元のたしかさは保証します。アフターサービスもご安心ください】
ようは選ばれしエリートだけが参加できる、と。
アフターサービスってなんだろう。眼鏡の部品みたいに交換したり、調整してくれたり? なんてね。いけない、さっきから思考がひねくれてる。
ともあれ私はお呼びじゃなさそう――とそれをテーブルに放ったとき、スマホが着信を知らせた。
『やっと繋がったわ。最近、ぜんぜん電話取ってくれないじゃない』
電話は母からで、思わず顔をしかめてしまう。
長く母子家庭だったのもあってか親子仲は悪くないけれど、母はおしゃべりだ。一度口を開いたら当分止まらない。
今夜も案の定、私の返事もろくに挟ませずに世間話があふれてきた。
『――美織(みおり)ちゃんったら、二人目を妊娠したんですって。あの子ってばまだ二十四よ? 今は女も二極化してるんですって。早く産むか、時機を逃しておひとり様コースか。ねえ、律もうかうかしているとおひとり様コースになっちゃうわよ? 予定ないの?』
美織は母の再婚相手の連れ子で、すでに結婚して長女をもうけている。
私とは違ってちゃっかりしている彼女が、いわゆるできちゃった結婚をしたときには驚いたものだけれど、今でも可愛い義妹だ。
でも、もう二人目ができたんだ。それに比べて私は……。
「予定って言われても、ないものはないし」
『あのね、悠長なこと言ってる場合じゃないのよ。三十まであと二年よ? わかってる? 女はけっきょく、タイムリミットを無視できないんだから。いい加減、いい人を見つけてさっさと結婚しなさいね』
お説教の洪水とでもいうべき通話が終わると、私はため息まじりにスマホをテーブルに置き、ぬるくなったチューハイを一気に呷った。
「結婚だけが幸せじゃないでしょ……」
眼鏡店での仕事は、正直にいってやりがいよりもお給料のため。でも、わりと気に入っている。
真面目に働いて、帰宅したらお酒とちょっといいおつまみで晩酌して、動物の写真に癒やしを求める。それだってじゅうぶん幸せ。
だけどときどき……そう、こんなふうに婚活パーティーのフライヤーを見たり、親からせっつかれたりしたとき、無性に息苦しくなってしまう。
このまま一生、会社と自宅を往復する日常が続くだけで、どこにも属せないまま?
結婚どころか恋人もできない私は、人としてきちんとできていない? 「おひとり様」は欠陥品?
放ったはずのフライヤーに手が伸びた。
あたかも幸せへのチケットが用意されているかのような煽り文句が、今の私に刺さる。
【出会いはあなたのすぐそこに!】
すぐそこにあったら苦労してない、と自虐めいた感想を抱いた自分にまた苦笑しつつも、その先の文面から目を離せなかった。
【踏み出した一歩先に、新しい幸せが待っています】