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『規格外』な年下御曹司にめちゃめちゃ愛し尽くされてます! 一途なスパダリの甘くて淫らなご奉仕 1

第一話

 「それで、和美(かずみ)さんのご趣味は……?」
 ――うわっ。出たぁ~〜。
 ――お見合いの、超テンプレート質問……!
 内心そんな突っ込みを入れつつ、和美は――いや、和美のふりをしてお見合いを受けている〝藤原千尋(ふじわらちひろ)〟は、引き攣る頬を笑顔で隠した。
 向かいに座っているのは、大手製薬会社の次期社長と名高い、神崎輝良(かんざきあきら)だ。
 千尋は、目の前の箱入り御曹司が喜びそうな楚々とした仕草で小首を傾け、普段より少し声のトーンを上げた。
「私(わたくし)は、茶道とお琴を少々嗜んでおります」
「それは素敵ですね。お茶は表と裏、どちらですか?」
「えっ……」
 ――わ、やば。和美、どっちって言ってたっけ?
 ――ま、どっちだって構わないか。
 ――彼には申し訳ないけど、どうせあと一時間もしたらサヨナラなんだし……。
「ええと、……お、表千家、ですかね?」
「ああ! 私の母もそうなんですよ。自宅に先生をお招きして教わっていて。どちらの先生に師事なさっているんですか?」
「えーっ……と……!」
 冷や汗をかきつつ腕時計を盗み見ると、十九時を過ぎたところだった。
 約一時間前。
 この高級フレンチレストランの化粧室で、親友の和美と服やバッグを交換したときのことを思い出す。
『千尋、本当にありがとう。新しい生活が落ち着いたら、絶対に連絡するから』
 父親の反対を押し切り、幼馴染みとの駆け落ちを決めた彼女は、不安と緊張で青褪めていた。
 だから千尋は慌ただしく着替えながら、めいっぱいの笑顔で、
『いいから、今は自分のことだけ考えて。お腹の子と彼と、幸せになってきなさい!』
 と返し、背中を叩いて送り出したのだ。
 ――お目付役に気付かれずに、無事に彼と合流できてたらいいけど……。
 計画が上手く進んでいれば、そろそろ二人の乗った新幹線か飛行機が東京を離れる頃だ。
 ――だから、あとは私が……。
 目の前の男、神崎製薬会長の愛孫との見合いをそつなくこなし、和美の父親がつけた、駆け落ち防止の見張り兼運転手をこの店に引きつけておけば、作戦は成功だ。
「……あの? 和美さん?」
「えっ……、あっ……! ごめんなさい。仲人なしの、二人きりのお見合いは初めてで、少し緊張してしまって」
「ああ……そうですよね、すみません。今回は私の我儘で、こういった形を取らせていただいて」
「そんな。謝らないでください」
 恐縮されると、居心地が悪い。
 だって本当の見合い相手は、駆け落ちの真っ最中だ。
〝仲人抜きで、事前の写真交換も不要〟という少し変わった指定のおかげで計画を実行できたのだから、彼には感謝しかない。
 ――絶対に最後まで騙しきらないと。
 ――和美のお父さんが経営してる梱包資材会社は、神崎製薬が主な取引先らしいし。
 ――私のお父さんも、グループ会社の顧問弁護を引き受けてるって言ってたし。
 ――神崎製薬は同族経営だから、もし嫡男の彼に身代わりがバレたら、大変なことになっちゃう……。
 神崎製薬は、日本でトップを争う製薬会社だ。
 主力の医療用医薬品をはじめ、一般用医薬品、健康食品やスキンケア用品まで手広くカバーしており、国内で神崎製薬の商品を見かけたことのない人はいないだろう。
 トップシェアを誇る総合感冒薬や栄養ドリンク剤には、千尋も何度も助けられたことがある。
「私は茶道はさっぱりですが……ときどき休日にお菓子を作るんですよ。元々、妹たちの趣味だったんですが――」
 彼は上品な笑みを浮かべ、優雅な仕草で鹿肉のローストにナイフを入れた。
 神崎輝良は、なんとも魅力に溢れた好青年だった。
 ピンと伸びた背筋に、広い肩幅。
 艶々と光る黒髪は、優等の象徴のようだ。
 目尻は鋭く男前なのに、瞳は天真爛漫に輝き、口元には人を惹きつける愛嬌が滲んでいる。
 何より、二十四歳とは思えない落ち着いた佇まい。
 和美から聞いた情報によると、小中高と有名進学校で、難関大出身。
 今は神崎製薬でアジア圏のグローバル戦略を担い、ゆくゆくは社長候補という生粋のエリートらしい。
 一族のコネクションを疑いたくなる経歴だが、恵まれた環境頼みの甘えた人生であれば、これほどどっしりと構えてはいられないだろう。彼の振る舞いからは、四歳も年下とは思えない、才覚への自信が感じられる。
 が、千尋の琴線には、これっぽっちも触れなかった。
 ――私もお父さんに強引にセッティングされて、何度かお見合いしたけど。
 ――そのときと同じで、AIかな? ってくらいお見合いのテンプレ話題だし。
 ――箱入りで、親の敷いたレールの上を~って感じの人生を送ってるみたいだし。
 ――きっと彼も他のお金持ちの男みたいに、そのうちパートナーにも自分好みの価値観や振る舞いを求めてくるんでしょ……。
 何度かお見合いをして学んだことだが、どうやら金とステータスでいくらでも女が動くと思っている富裕層の男性にとって、自立心旺盛な女は鼻につくらしい。
 実はカフェを経営していて、専業主婦は嫌です。
 子供も欲しいと思ってません。
 なんて正直に言ったら、今までの見合い相手のように、
『もう二十八ですよね? 三十代での出産はリスクですし、あとで欲しくなるかもって焦りはないんですか?』
『女で経営なんて、やめたほうがいいですよ。しかもカフェって。女給みたいで俺が恥ずかしいし……』
『結婚したらいくらでもお小遣いをあげるので、専業主婦はどうですか?』
 なんてモラハラ全開なことを言って、千尋の人生を思い通りにしようとするに違いない。まるで、『結婚は子孫を残すための手段だろ?』とでも言わんばかりに。
 ――ま、本当のお見合いじゃないから、いいんだけど。
 ――和美も社長令嬢とはいえ、こんなお坊ちゃんたちと何度も強制的にお見合いさせられてたなんて、可哀想に……。
 とはいえ今回に限っては、無難なテンプレート会話に感謝した。
 おかげで最後まで、のらりくらりと会話を流し、〝良家の従順でお淑やかなお嬢様〟を演じきることができそうだ。
 更に一時間が経過し、お互い食後の紅茶を飲み干したタイミングで、千尋はそそくさと立ち上がった。
「ごちそうさまです、とても美味しかったです。すみません、実は私、ちょっとこの後用事がありまして」
「えっ……あの、でもまだ……ああ、タクシーをお呼びします、せめてそれまで」
「お構いなく! ごめんなさい! 予定に遅れてしまうので……! 今日はありがとうございました」
 それまでのおっとりとした口調から転じて、きっぱりと言い切る。
 たった二時間程度のテンプレ会話で惚れたも何もないだろうが、万が一輝良に希望を残したら大変だ。
『あなたには興味が持てませんでした』と、態度ではっきり示しておかねばならない。
 輝良が「待ってください」と慌ててナプキンを置き、会計のためにスタッフを呼んだ隙に個室を出た。
 ――ううっ、本当に胸が痛むし、私が支払いたいところだけど……ごめんなさい!
 店の入り口で受け取ったコートを慌ただしく着込み、中身を入れ替えた和美のバッグから自分のスマホを取り出す。
 和美からの連絡はない。
 つまり、計画は上手くいったということだ。
 二時間前、服を交換した和美と千尋を見てもわけを聞かず、裏口の利用を快く承諾してくれたスタッフは、最後まで接客のプロらしく、何も知らない顔で見送ってくれた。
 正面口から外に出る。
 大通りから一本外れた、人気のない道だ。
 会員制の高級店は大抵、著名人の利用を見越して人目につきにくい場所にある。
 そして店の斜向かいには予想通り、黒塗りの高級車が停まっていた。
 運転席から黒服の男が出てきたのを見て、気を引き締める。
 ――良かった。ちゃんとお目付役も引きつけておけたみたい。
 ――これで私の仕事は終わりだ。
 ――あとは……。
 緊張のせいか、十二月の寒さは一切感じない。
 黒いスーツの男は、暗い夜の中で、コートを見て和美だと認識したのだろう。
「和美様、どうぞお車へ――」
 男が後部座席のドアに手をかけたのを見て、千尋はくるりと踵を返し、大通りとは反対の方向へ向かって駆け出した。
「和美様!?」
 足音が追いかけてくる。
 もちろん、逃げ切れるとは思っていない。
 後から店を出てくる輝良に、会話を聞かれない程度に店から離れられればいい。
 狭い十字路を折れたところですぐに追いつかれ、手首を掴まれてしまった。
「きゃっ……! やだ、離しなさいよっ……! 痛いじゃない!」
「和美お嬢様! 一体どういうおつもりですか!」
「もうっ、声を聞いてもわからないの? お目付役失格じゃない?」
「え……?」
 男の手が緩んだ隙に、さっと一歩距離を置く。
「ほら! もう逃げも隠れもしないから、よーく見なさい!」
 顔周りの髪を片手で払い、どや、と首を傾けた。
 強面の男が目を細め、顔を凝視してくる。
「ねっ? 残念でした! あなたのお嬢様はもういないわよ」
「な……なっ……なっ、お前ッ、和美お嬢様をどこに攫って、」
「はあ? 人聞きの悪いこと言わないで! 私は和美の親友、藤原千尋よ。」
 千尋はバッグから名刺を取り出して男に押し付け、腕を組んだ。
「和美に頼まれて、駆け落ちに協力したの。あなたも和美の父親に雇われてるんだから、和美に本命の恋人がいるって知ってるでしょ? 彼女は今頃彼と、うんと遠くに行ってるわよ。あ。言っとくけど、うっかり口を滑らせないために、私もどこへ行ったのか聞いてないの。日本か海外かすら――」
 計画成功の高揚感もあり、ついつい鼻息荒く功績を語ると、男は「クソッ!」と悪態をつき、来た道を走り出した。
「ちょっと! 人の話は最後まで聞きなさいよっ! っていうか! 今から探したって、無駄だからね~~っ!」
 口元に両手をあてて叫んだが、男は振り向きもせず、車を停めていた方へ消えていく。
「……ふぅ。まあ、こんなもんか。これ以上の足止めは無理だし、意味もないしね」
 まだ興奮で心臓がドキドキして、全身が発熱し、汗ばんでいる。
 達成感を味わうように、全身で深呼吸をした。
 冷たい空気が肺いっぱいに満ちて、火照った身体に心地良い。
「は~~! やっぱり人助けって最っ高!! 一日一善どころか、十善したっていいくらい!帰ったら最高級のハワイコナ開けちゃおっかな? じっくり挽いて、ネルドリップで……」
 高揚感から、ついつい独り言が漏れてしまう。
 スキップ混じりに、店の方へ引き返しはじめた時。
 暗闇に紛れた人影に気付いて、立ち止まった。
 長身で、体格が良い。
 さっきのお目付役だろう。
「はあ、何? また戻ってきたの? 和美の行き先は知らないってば。言っときますけどねぇ、腕力でどうにかしたところで、私の父と兄は弁護士だし――」
 自信たっぷりにそう言ったとき。
 人影が、一歩、踏み出してきた。
 月光が、長身の男を照らして――優等の象徴のようだと思った黒髪が、青白く輝く。
「……かずみ、さん……?」
 掠れた、低い声。
 男が。
 神崎輝良が――。
 だらりと下がった右手の先に、何やら小さく光るものを摘まんで、立ち尽くしている。
 トイレで和美から受け取ったイヤリングだ。
 はっと右耳に触れる。
 ない。
「これ……店の入り口で、落としたみたいで、……、……」
 さーっと、体温が下がった。
 興奮で滲んだ汗が、全身を冷たく包み込む。
 ――え……。
 ――いや……。
 ――え…………。
 ――き、聞かれてない……よね?
 ――気付かれてない、よね……?
 ――だって今、『和美さん?』って……。
 それは、祈りに近いものだった。
 散々大声で大見得を切って、独り言まで呟いていたのだ。
 ずっとここに立っていたとしたら――聞こえていないはずがない。
「あ……ありがとう……、……ございます」
 お淑やかな令嬢モードに戻したつもりだ。
 でも、差し出されたイヤリングを受け取ろうと手を伸ばした瞬間。
 彼の手が、さっと上に逃げた。
 思わず追いかけて見上げると――。
 切れ長の目が、月光を受けて鋭く光った。
「事情をお伺いできますか? 和美さん。いえ。藤原……千尋さん?」
 血の気の引く音が、確かに聞こえた。