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三十路になった瞬間に再会した友人から熱烈プロポーズされまして!? 1

第一話


 三十年も生きてきたら、自分の人生がどんなものかはだいたいわかってしまう。
 家族と友達には恵まれている。営業事務の仕事にもおおむね満足している。男性運だけはいまいちだ。
 平穏で、そこそこの頻度で楽しいことがあって、たまにちょっとだけつらいこともあって。ようは極々平凡な日々を送っているし、婚期は逃しつつある。
 生まれてからずっと、毎日は波の穏やかな海みたいだ。
 私の人生に劇的なことなんてなにも起こらない。
 松川鈴奈(まつかわすずな)は、そう思って五月二十日の今日まで生きてきた。
 それなのに、いま。
 銀座の歩行者天国の真ん中で、はっきりした顔立ちの背が高いスーツ姿の男性に跪かれ、大きな花束を差し出されている。
 同僚の沢渡美麗(さわたりみれい)と柳川千優(やながわちゆう)が後ろで「キャーッ!」と嬌声をあげている。
 たまたま通りかかった通行人たちの、好奇心丸出しの視線が全身に刺さってくる。
 観光客らしき欧米人が、カメラのシャッターを切った。その隣のアジア系のカップルはスマートフォンをこちらに向けたままだから、たぶん動画を撮っている。
 見世物ではないのだが。
「──三十歳の誕生日おめでとう。というわけで、結婚しよう」
 男性が、かすかに緊張を含んだ声で言った。
「キャーッ!」とまた同僚が黄色い声をあげる。
 いったいどうして、こんなことになってしまったのだろう。


 ◇ ◇ ◇


「鈴奈、ハッピーバースデー!」
 目の前に置かれたサプライズのバースデープレートを見て、鈴奈は「わあっ」と喜びの声をあげた。
「ありがとう、嬉しい」
 Happy Birthday とチョコレートソースで書かれた皿には、イチゴののった丸いケーキが置かれ、その周囲に色とりどりのフルーツが散らしてある。
 五月二十日。今日は鈴奈の誕生日だ。
 同僚の美麗と千優と三人で毎月恒例のアフタヌーンティーを楽しみにきたのだが、ふたりはそのことを覚えていてくれたらしい。
 イチゴをテーマにした豪華な三段プレートが三つ並んでいるところにさらにバースデープレートがきたことで、テーブルの上はいっぱいだ。
 ひとしきり写真を撮ってから、鈴奈はまずは三段プレートの一番上にあるイチゴのマカロンを手に取った。
 さっくりとした歯触り、さわやかなイチゴの香り。夢みたいに美味しい。美麗と千優もしあわせそうな顔をしている。
「最高」
「同感」
 奮発して銀座の高級ホテルのアフタヌーンティーを一か月前から予約したかいがあった。のだが。
「美味しいし、しあわせ……なんだけど……」
 鈴奈が天井を仰ぐ。
「……ついに、三十歳になってしまった」
 けっして不幸なわけではないが、漠然と思い描いていた未来とは、いま違うところにいる。
「しあわせならいいじゃない」
 美麗はキュウリのサンドイッチを口にした。去年転職してきた美麗は、鈴奈や千優と同い年だけれど、童顔なので若く見える。肩の辺りで切りそろえた髪は、一度も染めたことがないらしい。
「よくない! 予定では三十までには結婚してるはずだったのに」
 ぶつぶつと文句を言いながらも、セイボリーを摘まむ鈴奈の手は止まらない。
「二十九も三十も、たいして変わらないって」
 なんてことないように言う千優を、鈴奈は恨みがましい目つきで見た。
 千優は三人のなかで一番目を引く美人だ。腰近くまである髪は、シャンプーの宣伝のように艶がある。
「ふたりはいいよね、彼氏いるもん」
「まあね」
 遠距離恋愛中の恋人がいるらしい美麗は、澄ました顔だ。
 一方同棲中の恋人がいる千優は浮かない顔をしている。
「なに。千優、隼人(はやと)さんとなにかあったの?」
「なにもないのが問題なんだよ……もう同棲して五年だよ?」
「結婚の話出てないの?」
「まったく! 親にもだらだらしてないでいい加減結婚しろってせかされてるのにさ。美麗のとこはまだ結婚しないの? 遠距離になってけっこう長いんだよね?」
「三年くらいかな。向こうがいま会社に東京勤務の希望出してるから、それが叶ったら結婚しようって言ってる」
「いーなー!」
 千優と鈴奈は同時に言った。
「ハハ……」
 美麗はやや引きつった笑みを浮かべている。隣のテーブルのひとたちになにごとだという顔で見られたのが恥ずかしかったのかもしれない。
「はあ……出会いがほしい……」
 鈴奈は小さくため息をついた。
「先月別れたばっかりじゃん」
「そうだけど薄い付き合いすぎて、もっとずっと前のことみたいな気がするし未練ゼロ」
 鈴奈は先月、三か月付き合ったひとつ年上の恋人と別れたばかりだった。
 けっして悪いひとではなかった。でもそれだけだった。
 知り合いの紹介で交際をはじめたものの、淡々とした付き合いでまったく盛り上がらないまま終わった。
 お互い常に気を使い合っている感じで、喧嘩こそしなかったというか喧嘩にもならなかったが、親密にもなれず、ずっと一緒に生きていく未来は見えないままだった。
 そうこうしている間に、向こうも同じように思っていたらしく別れを告げられてしまったのだが、そっか、という感じであまりショックを受けなかったので、本当に縁がなかったのだと思う。
「普通のひとと普通に結婚したいだけなのに、どうしてうまくいかないのかなあ」
「あれはもうやってみないの? マッチングアプリ」
 美麗の問いに、ぶるぶると首を横に振って答える。
「もうこりごりです」
 思い出したくもない。
 別れたばかりの恋人と付き合う前に、出会いほしさのあまり一度だけ手を出したのだが、ろくなことにはならなかった。
 まず会ってみたら、写真とは別人としか思えない男性がきた。プロフィールの年齢は三十代半ばと書かれていたのに、明らかに五十代。極めつけは、雑談中に既婚者だと判明し、もちろん二度と会うことはなかった。
 鈴奈は自分をごく普通の女だと思っている。容姿も、性格も、仕事も。恋愛市場において致命的な欠点はないはずだ。たぶん。それなのに、こんなにも恋愛がうまくいかないなんて。
 なぜだか全然わからない。世の中の夫婦に、いったいどうやって出会い、結婚に至ったのかインタビューしてまわりたいくらいだ。
「また誰か紹介しようにも、もう手持ちの独身男子でよさげなひといないんだよなあ」
 千優にはいままで三人紹介してもらい、その誰とも交際には結びつかなかった。
「結婚相談所とかどうなの。マチアプよりはずっと真剣交際に繋がりそうだけど」
「けっこう高いんだよね」
「調べはしたんだ」
「あと、もうちょっと自然に出会いたい」
「三十まで自然に出会えなかったのに、まだ言うか」
「うっ」
 鈴奈は胸を押さえた。
 本当のことを言われて、ぐさっときた。
「社会人て案外出会いないよねえ。社内のひとだと駄目になったとき気を遣うから慎重になるし、取引先のひとなんてもっとだし。趣味の社会人サークル……は無理か」
 美麗は鈴奈が所属している社会人サークルを思い出したらしい。
 鈴奈は筝曲部、つまりはお琴をたしなんでいる。三十人近くいるサークルの会員は、百パーセント女性だ。
「そんな贅沢なことは考えてないつもりなんだけど。年齢差は五歳くらいまでで、笑顔が素敵で、年収が私以上のひと、その辺に落ちてないかなあ」
 そうは言ったが、鈴奈は自分にはドラマティックなことなど起きないと思っている。なにせ三十年起きなかったのだから。
 だから、小説もドラマも映画も、恋愛ものが大好きだ。
 フィクションならではの波乱万丈で美しい恋物語に憧れてしまう。
「あ、そうだ」
「なに?」
 千優がイチゴとショコラのショートケーキを食べていた手を止める。
「もうすぐ楽しみにしてた映画がはじまるのを思い出した。わー、早く観たい!」
 昨年大ベストセラーになった恋愛小説の実写化で、期待大なのだ。
「またそうやってフィクションに逃げる」
「なんとでも言って。ノンフィクションでなにも起きないんだもん、フィクションを楽しむしかないじゃない」
「むなしくならない?」
「それがそうでもない」
 ただ、だんだん主人公たちがみんな年下になってきているのが気になってはいる。
「そろそろ現実見ようよ」
 美麗が厳しいことを言う。
「せめて顔は妥協しよう。笑顔の素敵な同年代は、もうみんな売れちゃってるんだよ」
「あーあー聞こえない」
 面食いではないつもりだが、どんな顔でもいいとは思えない。だって生理的に受け付けないと、結婚どころかキスすらできないではないか。
 ちなみに千優の恋人の隼人は、通りすがりのひとが振り向くほど顔立ちが整っている。友達の恋人だとわかっていても、目の前でニコッと笑われたときには正直クラッときた。
 一方美麗の恋人には、遠距離恋愛ということもあり一度も会わせてもらったことがない。せめて写真でも見せてくれればいいのに、なぜかかたくなに見せようとしないから、鈴奈は彼がどんな顔をしているのかまったく知らない。
 それからもぐだぐだと愚痴混じりの雑談をしているうちに三時間が経ち、三人はホテルのラウンジを出た。
「今日のアフタヌーンティーは大当たりだったね」
 千優が満足げに笑う。
「私的に一番美味しかったのは、イチゴのガスパチョかな」
「あれ美味しかったね。またここ来たい。次は秋のお芋とか栗のフェアのときに来よう」
 鈴奈は秋のスイーツが大好きなのだ。
 ホテルの正面玄関を出る。
 目の前の道路は歩行者天国になっていて、天気がいいこともあり、大勢の観光客や買い物客で賑わっている。
 せっかく銀座まで来たのだし、百貨店で買い物でもしていきたい。
「ねえ、ふたりともまだ時間ある──」
 振り返って千優と美麗に話しかけたところで、すぐ前に立っていた男性とぶつかりそうになった。
「あっ、すみません」
 慌てて謝り、スーツ姿の男性の顔を見上げる。
 高いところにあるその顔に、鈴奈は見覚えがあった。
 きりっとした眉。涼しげな目元。薄く笑った唇。
「……村本(むらもと)くん?」
 恐る恐る名前を呼ぶと、男性はくしゃっと笑った。
「久しぶり」
 やっぱり、大学時代の同級生の村本大河(たいが)だ。
「えーっ、すごい偶然だね! 卒業以来だから……七年ぶり?」
「七年と一か月ぶりだ」
 大興奮している鈴奈とは対照的に、大河はあまり驚いていないようだ。
「松川はあいかわらず大雑把だな」
「村本くんは細かいね」
「なに、友達?」
 千優に聞かれて頷く。
「うん、大学の」
「へー……」
 美麗がハッとした顔をする。
「笑顔が素敵な同年代じゃん」
「ほんとだ。あとは年収が鈴奈以上あれば完璧」
 盛り上がりだすふたりを見て、鈴奈は焦った。
「ちょ、ちょっと、村本くんはそういうんじゃないから」
「そうなの?」
「もったいない」
 三人の様子を見てフッと笑ってから、大河は表情を引き締めた。
「……松川」
「あ、はい」
 大河の緊張が伝わってきて、鈴奈は背筋を伸ばした。
「誕生日おめでとう」
「えっ! よく覚えてたね」
「俺は細かいからな」
「ていうことは村本くんも誕生日だね。おめでとう」
「ありがとう」
 硬い表情で礼を言って、大河はその場に跪いたかと思うと、背中に隠していたピンク系の大きな花束を鈴奈に差し出してきた。
「……え?」
「改めて、三十歳の誕生日おめでとう。というわけで、結婚しよう」
 一瞬の間をおいて、鈴奈の後ろで美麗と千優が「キャー!」と黄色い声をあげる。
 しかし鈴奈は、ポカンと口を開けて花を見つめることしかできなかった。
「松川?」
「ちょ、ちょっと待って、どうしていきなりそういう話になるの!?」
 七年と一か月ぶりに偶然会ったはずの元同級生がプロポーズしてくるなんて劇的なこと、自分の人生に起こるはずがない。
 しかし立派な花束まで用意されていると、冗談とも思えない。
 こんなの、まるで小説かドラマか映画みたいだ。
 長い脚を折り跪かれている自分を、銀座じゅうのひとたちが見ている気がしていたたまれない。
「どうしてって」
 大河はなかなか受け取られない花束を差し出したまま、心外だという表情をした。
「三十歳になってもお互い独身だったら結婚しようって、約束したろ」
「したっけ」
「した。ほら、二年の誕生日のときに」
 ……言われてみれば、した。

 あれは大学二年の五月二十日のことだ。
 鈴奈が講義の空き時間に学食でひとり食事をしていたら、向かいの席に大河が座った。テーブルの上に置かれたトレーには、とんかつ定食がのっていた。
「ここ、いい?」
 座ってから聞いてくるのがおかしい。
「いいけど、珍しいね。いつもサッカー部のひとたちとわいわい食べてるのに」
「んー……ちょっと、な」
 歯切れが悪いのも珍しい。
 大河とは、一年のとき必修科目の英語で席が前後になったことから話すようになった。とはいえ彼はいつも部活の仲間と一緒にいるし、鈴奈は鈴奈で筝曲部の友人といることが多いから、講義のとき以外に顔を合わせることは多くはない。
「なーっ、頼むって大河」
 顔だけは見たことがあるサッカー部の男子が、背後から大河に絡みだす。
「行かない」
「俺女の子たちにおまえを連れていくって約束しちゃったんだよ」
「知らねえし。勝手に約束する方が悪い」
「そうだけど……お願い! 今回だけ!」
「オコトワリシマス」
 大河にすげなく断られ、サッカー部の男子はすごすごと引き揚げていった。
「合コン?」
「そう」
「行かないんだ。意外」
「そう? けっこう誘われるけど、一回も行ったことないよ」
 大河は自分みたいなちょっと地味めの女子にも話しかけてくるから、女子が苦手ということもないだろうに。
「女の子にあんまり興味ない感じ? あ、もう付き合ってるひとがいるとか?」
「いや、興味なくはないし付き合ってるひとはいないけど。俺はもっとこう、なんていうか、自然な出会いを求めてるんだよね」
「自然な出会い」
「そう。合コンとかじゃなく、たとえば授業で偶然近くの席になって親しくなるとか」
 わからないでもないけれど。
「夢見てるねえ」
「なんとでも言ってくれ。それに、誕生日に合コン行くってなんか嫌だ」
「え、村本くんって今日誕生日なの?」
「うん」
「私もだよ」と鈴奈は自分の顔を指さす。
「まじか」
「大まじ」
 大河の表情がパアッと輝く。
「松川、次の講義何時から?」
「三時」
「まだ時間あるな。せっかくだからケーキ食べにいこう」
 大河が連れていってくれたのは、鈴奈は初めていく大学から十分ほど歩いたところにある雰囲気のいいカフェだった。
 ケーキは種類こそさほど多くはないが、どれも手が込んでいて美味しそうだ。大河はオーソドックスなイチゴのショートケーキ、鈴奈は紅茶のシフォンケーキを注文した。
 大河が一度席を立ち、戻ってきてから少ししてケーキののったプレートが運ばれてきた。
「わあっ」
 両方のプレートにフルーツソースで Happy Birthday to me と書かれているのを見て、鈴奈は歓声をあげた。大河が席を立ったとき店員に頼んでくれたようだ。
「それじゃ、改めて……誕生日おめでとう、松川」
「村本くんもおめでとう」
 アイスティーで乾杯する。
 シフォンケーキはふわふわで、ホイップクリームと一緒に食べると口のなかでとろけるようだった。
 向かいの席では、大河が嬉しそうに天辺のイチゴを食べている。
「美味しいね」
「めっちゃ美味い」
 フフッと笑い合い、ふたりきりのささやかな誕生日会にしあわせを感じる。
 いい誕生日だ。
 なんの予定もなかったのに、まさかこんな楽しい思いができるなんて。
「松川は合コンとか行ってるのか?」
 ふと思いついたように大河が尋ねてきた。
「誘われたことない」
「そうなんだ」
「部活も女子しかいないから、ほんとに出会いなんてないけど、べつに気にしたことなかったなあ」
「……授業で偶然近くの席になって親しくなった、サッカー部の男なんてどう?」
 こういう冗談をサラッと言ってくれるから気を使わないでいられるのかもしれない。
「村本くん? あはは、村本くんはないわー」
 鈴奈は胸の前で右手を横に振って笑った。
 それを見て、大河は左手でくしゃりと前髪を掴んだ。
「お琴の演奏会で寝たのは悪かったよ……」
「ほんとだよ。村本くんのために心を込めて弾いたのに」
 もちろん冗談だ。
 定期演奏会のチケットをさばけなくて困っていた鈴奈のために全部買ってくれただけでなく、友達を連れて律儀に会場まで来てくれただけで感謝している。
 鈴奈はいま、そもそも積極的に出会いたいと思っていない。男性が苦手というほどではないが、中学高校は女子校だったし、女同士でいた方が気が楽なのだ。
 そこまで考えて、そういえば大河といるときの自分はリラックスしているなと気が付く。
「松川は、恋人が欲しい! ってガツガツしてないからか、いつも自然体だよな。一緒にいると癒される」
「それはまだ若いからじゃないかな。三十歳くらいになってもひとりだったら、さすがに焦ってそう」
「じゃあさ」
 大河が気を取り直したように軽く身を乗り出した。
「三十歳になってもお互い独身だったら、結婚しよう」
「ずいぶん先の話するね」
「そうかな。案外あっという間なんじゃないかと思うよ」
 未来のことなんて全然わからない。
 でもこれも冗談だろうと思い、鈴奈はあっさり「いいよ」と口にした。
「ほんとにっ?」
「うん」
 大河が左手の小指を差し出してくる。
「約束な」
「うん、約束」
 大河の小指に小指を絡める。指切りをするなんて子供のとき以来で、なんだかおかしかった。