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パーフェクト御曹司の戦略的溺愛婚 昔フラれたはずなのに、こんなに甘やかされるなんて聞いてません!? 1

第一話


「優衣……指、三本入ったよ。大丈夫? 痛くない?」
「っ……、ん……!」
 義実家の、夫婦の寝室で。
 夫の腕に抱かれた優衣は、嬌声を飲み込みながら何度も頷いた。
 ──なんで? なんで、こんなに……。
 高校時代の元恋人で、今は夫となった九条誠一郎は、優衣の中に差し込んだ指で、容赦なく幸せへ押し上げてくる。
「あ、ぁ、っ、ふ……!」
「やっと、ここまで広がったね。新婚旅行のときはすっごく狭かったのに……これでいつでも繋がれる。夫婦二人で暮らせる日が、楽しみだな」
「あ、っ……まって……先輩、こえが、でちゃ、っ……」
「先輩? もう夫なんだよ? ちゃんと名前で呼んで?」
「っ……でも、あたま、ふわふわして……あっ、ぁ~~……!」
 向かい合う形でベッドに横たわった誠一郎が、言い訳を咎めるように指を動かしてきて、優衣は快楽に咽び泣いた。
 誠一郎と再会したのは、たった一ヶ月前。
 仕事の取引と子作りが課せられた契約結婚だった。
 だから彼が優しくしてくれるのは、誠実さからくる義務感に違いないと思っていたのに──。
「お願い……これ以上は、変になっちゃう、から……指、もう、止めて、っ……」
「変って? どんどん可愛くなってるようにしか見えないけど……どう変になっちゃうのか、見せてもらっていい?」
「え……あっ! ふぁ、ぁ、っ~~……!!」
 お腹側を指の腹でグリグリと圧迫されて、優衣は唇をかんだ。
 義実家は大邸宅で壁も厚いが、同じフロアには可愛い義弟たちの部屋がある。
 ──だから、声は……我慢しなきゃ、なのに……。
 太腿で誠一郎の手を押さえ込んでみても、お腹の中の指の動きは止められない。
 どんなに腰がびくついても内側から圧迫され、さらには手のひらで陰核を揉み込まれて──優衣はあっけなく大きな波に攫われた。
「っ……、っ……!!」
「ああ……またイッちゃった? ここが好きなの?」
「あ、っ! あ! だめ、っ、ぇ……! いま、イっ、っ……!」
 契約に、こんな営みは含まれていない。子供さえできればいいはずだ。
 なのに誠一郎は、
『毎日俺の代わりに弟たちの面倒を見てくれてるから、癒やしてあげたい』
『一度抱いたら、加減できないから……。実家を出るまでは、優衣のことだけ可愛がらせて?』
 と言って、毎晩一方的に愛でてくる。
 ──やっぱり全部、夢なんじゃ……?
 ──だって、先輩が私に執着する理由なんて、何もない……。
 誠一郎は、旧財閥系の流れを汲む不動産デベロッパーの次期社長だ。
 日本人離れした高身長に、誰もが振り向く精悍な面立ち。
 学生時代から、彼の周りには自然と人が集まっていて、優衣もまた、彼を眩しく見上げる一人だった。
 はじめはバスケ部の先輩として。
 次に、恋人として。
 そしてあっけなく振られてからは、思い出の中の誠一郎だけが心の支えだった。
 でも再会するとは思っていなかった。ましてや結婚し、彼がとんでもない愛妻家になるなんて想像もしなかった。
 いや、愛妻家なんて表現では生ぬるい。
 誠一郎の愛情表現はあまりに過剰な気がしていて──。
「っあ、ぁ、っ! ぅう……!」
「優衣。しー……。俺だって可愛い声聞きたいけど……頑張って我慢して?」
「っ……、ん、っ、っ~~……!」
 ひたすら一番好きな場所を擦られて今度こそ叫びかけると、すかさずキスで塞いでくれた。
 全身が発火したように熱くなって、きゅううっと膣が収縮する。
 絶頂の中でまた絶頂して、ビクついていた身体が少しずつ脱力しはじめると、指の動きも穏やかになって、静かに唇が離れていく。
「……ぁ、……ぁっ……」
「ほら、やっぱり可愛い。たくさんイって、声も我慢できて……いい子だね」
 誠一郎は、小学生の末弟を褒めるときよりも優しく囁き、指を引き抜いた。
 繰り返し絶頂を強制させられたせいか、身体と呼吸の震えが止まらない。
 それでも優衣は、誠一郎の腰に手を伸ばした。
「いつも、私ばっかりだから……誠一郎さんも……」
 一方的に与えられてばかりなんて嫌だった。
 今度こそ、彼に相応しいパートナーでありたい。
 なのに誠一郎は深い溜息を吐いた。
「俺の理性を試さないでって、いつも言ってるよね? まだ余力があるなら、もっと可愛いところ、見せてもらおうかな?」
「え──あっ!?」
 彼の胸に背中を預ける形で、仰向けのまま抱き寄せられる。
 背後から腕が回り、ワンピース型のパジャマを捲られて、濡れた太腿の間に手が潜り込んできて──。
「ふぁ、っ、ぁ、あ、っ……!?」
「ああ……すぐに三本飲み込んじゃった」
 誠一郎が、耳元でくすくすと嬉しそうに笑う。
 慌ててブランケットを引き寄せて口元を覆った途端、見計らったようにもう一方の手で陰核を扱かれる。
「っ、んぅ、う、っ……! だめ、両方、いっしょ、は、っ……」
「とろとろで可愛くて、ずーっと撫でてあげたい……」
 誠一郎は両腕で優衣の腰を抱え込んだまま、しつこくしつこく中と外をこね回してきた。
 再び何度も何度も絶頂させられ、ついに体力が限界を迎えて全身から力が抜けはじめる。
「もう、二度と離さないからね。何があっても、絶対に……」
 背後から、清廉な彼らしからぬ執着を囁かれて、けれど──。
 快感で蕩けきった優衣の意識には、もう届かなかった。


 ◇ ◇ ◇

 

「……ごめん。しばらく、距離を置きたい」
 高校二年生になったばかりの春。部活帰りの夕方。
 社会人や学生でごった返す駅のホームで、初恋の人に振られた。
 小鳥遊優衣は呆然と誠一郎を見上げながら、どこか冷静に考えていた。
 ──先輩は、お試しで付き合ってくれてただけで……いつか、こんな日がくるってわかってた。
 ──だって、校内で一番可愛い子にすら靡かないって噂されてたのに、私となんて……どう考えたって、おかしかったし。
 ──恋人らしいことだって、先輩からは、何も……。
 頭ではわかっているのに、言葉が出ない。
 彼の乗る電車が着くまで、あと三分。
 優衣はそのあいだ、何が悪かったのか、どうしていればよかったのか、必死に考えた。
 九条誠一郎は、太陽のような人だ。
 成績は常に全国トップで、全国大会出場常連のバスケ部の主将。
 容姿端麗という言葉では足りないほど目鼻立ちが整っていて、身長と体格も図抜けている。
 教師たちには『学校創立以来の秀才だ』と持て囃され、部活ではプロチームからスカウトを受けていた。
 とどめに、日本の不動産業界を代表する大企業、九条地所を率いる九条一族の継嗣。将来の社長候補だ。
『非の打ち所がなくて鼻につく』
 そう言って嫉妬する同性すら、いつの間にか味方に付けてしまうほどの人格者で、生まれ持った器の大きさが滲み出ている人だった。
 優衣はバスケ部のマネージャーとして毎日間近で見てきたが、誠一郎目的の女子が見学に押しかけてくるのも、他校の女子に待ち伏せされているのも日常茶飯事だ。
 だから本当に、彼が自分を選ぶ理由は欠片もないと、心底わかっていたのだ。
 なのに、やっと絞り出した言葉は──。
「どうして……、私が約束を破って、しつこくしちゃったからですか? もう手を繋ぎたいとか、デートしたいとか……わがままは言わないです。こうして、毎日一緒に帰れるだけでいいから、だから……っ」
 しつこく迫れば、嫌われるだけだ。
 せめてこれ以上距離を置かれないよう『物わかりのいい女』であるべきなのに、涙混じりに縋り付いていた。
「いや、違うよ。俺が未熟で、期待に応えられる器がなかっただけ。優衣は何も悪くない」
 いつも通りの優しい声音で、けれどはっきり突き放されて、じわりと目尻に涙が浮かぶ。
 誠一郎は、どんな負け試合でも、反省会ではよかったプレイを褒めて部員を気にかけていた。練習不足によるミスですら『俺が言わなくたって、本人がわかってるから』と気遣える人だ。
 だからこの言葉も、気遣いだとわかってしまった。
 つまり、優衣が傷つかない言い方をしてくれているだけで、彼の意思は変わらないのだと。
「本当にごめん。受験とか、いろいろ落ち着いて余裕ができるまで……待っててほしい」
「待ってて、って……」
 気遣いを真に受けて待つなんて、ただのバカだ。
 でも優衣は、優しい嘘をあえて信じた。そうでなければ公衆の場で抱きついて、
『嫌です、別れたくないです。何でもするから、捨てないで……!』
 と子供みたいに泣いて、縋ってしまいそうだった。
「……わかり、ました。先輩が落ち着くまで、待ってます」
 優衣の電車がホームに滑り込んできて、涙で震えた声がかき消えた。気付けば、彼の電車はもう過ぎ去っていたらしい。
 優衣は、逃げるように乗車した。
 ドアが閉まって、窓越しに笑顔で手を振る。
 いつも通りにすれば、明日も変わらない一日が訪れる気がしたけれど……。
 誠一郎の姿が流れて見えなくなると、堪えていた涙がどっと溢れた。
 泣きながら、いつも通り駅前のスーパーで食材を買って帰宅し、夕食の支度をした。家事を手伝うことがバスケ部入部の条件の一つで、約束を破れば、今度は何を禁じられるかわからないから。
「優衣、何だその顔は? いつも愛想よくしていろと言ってるだろう。何度言ったらわかるんだ」
 両親と三人で夕食を囲むと、帰宅したばかりの父に詰られた。
 彼は愛媛に本拠を置く中堅ゼネコンの社長で、地元のフィクサーだ。優衣が子供のころから東京に居を移し、執拗なロビー活動を続けてきた野心家で、家庭内でもひどく支配的だった。
『小学校から私立に通わせてやったんだぞ。将来は俺の決めた男と結婚して、会社に貢献しろ。それまでは処女を守れよ』
『賢しく振る舞う女は嫌われる。今のうちから花嫁修業をしておけ』
 そんな時代錯誤も甚だしい価値観で厳しい門限を課し、通いの家政婦が休みの日は掃除や料理を命じてきた。
「ほんと、辛気くさい顔ね。食事がまずくなるわ……」
 母もまた、優衣の味方ではなかった。愛媛の地主の一人娘として閉鎖的な環境で育った彼女は、いつまでも“女”で、一人娘と張り合った。
 優衣が第二次性徴を迎えて下着を新調すれば『色気付いちゃって』と笑い、色のついたリップを使うだけで『全然似合ってないわよ』と睨まれる。
 こんなときは『ごめんなさい』と受け流して笑顔を作るべきなのに、どうしてもできなかった。
 再び涙が溢れそうで、でも恋人がいただなんて知られたら、酷い叱責を受けるだろう。
 勢いよく席を立ち、二階の自室に駆け上がると、
「優衣! ごちそうさまも言わないで! 食器も全部あなたが片付けなさいよ!」
 母のヒステリックな叫び声に、傷ついた心をまた切り裂かれて、ベッドに潜り込む。
 縋るように携帯電話を確認したけれど、誠一郎からの連絡はなかった。
 ──先輩と付き合うまでは、これが私の“普通”で“日常”だったのに。
 ──こんなとき、どうやって一人でやりすごすのか、忘れちゃった……。
 優衣は枕に顔を埋め、声を殺して泣いた。

 

 バスケ部に入ったのは、息苦しい家から少しでも逃れたかったからだ。
 親から頭を撫でられた記憶すらなかった優衣は、部活を通してはじめて“自分の居場所がある”安心感を知り、仲間との連帯感や絆に喜びを発見した。
 だから──誠一郎のすさまじい引力にやられてしまったのも、仕方ないと思う。
 ごつごつした原石のような男子生徒たちの中で、誠一郎は磨き抜かれたダイヤモンドのごとく輝いていた。
 突出した身体能力と、歓声を沸かせる魅力的なプレイ。 
 試合中、彼が一声発するだけで全員の士気が上がり、形勢が変わる。
 常に明るく優しく公平で、彼のそばにいるだけで、息苦しい世界が生き生きと輝きはじめた。
 ──親からは逃げられないし、決められた相手と結婚するんだと思い込んでたけど。
 ──私も頑張れば、この先の人生を変えられるのかも……!
 太陽が出れば、花が自然とそちらを向くように。
 蝶が蜜に群がるように。
 気付けば視線で追っていて、彼の役に立ちたい一心で過去の試合を研究し、データ収集に取り組むようになった。
 家での家事は心身が疲弊していく一方なのに、部活動では尽くすほどやる気が湧いて、その努力は、強豪校との練習試合で結果に繋がった。
 試合終了を告げるホイッスルが鳴り響くと同時に、誠一郎の手を離れたボールがゴールに吸い込まれ、一点差での逆転勝利が決まったのだ。
 歓声の沸き起こる中、彼がまっすぐ優衣を振り返って、親指を立ててくれた瞬間──。
 心臓を、鷲掴みにされていた。
 彼は対戦チームとの挨拶を終えると、真っ先に駆け寄ってきてくれた。
「小鳥遊の分析、すごく参考になった。今日の勝利は小鳥遊のおかげだよ。いつもサポートしてくれてありがとう」
 ただのフィードバックだ。
 なのに息も忘れて、心臓が壊れそうなほど加速して。
 タオルやドリンクを差し出す手も止まったまま、見入っていた。
 仕方ない。父の決めた相手との結婚は避けられないだろうし、恋愛とは無縁だと思っていたから、何の免疫もなかったのだ。
「い、いえっ、せっ……先輩のプレイが、すごかったから、で……」
 この日以来、頭の中は誠一郎でいっぱいで、食事も喉を通らなくなった。
 まさに“恋煩い”だ。
 しかもこのタイミングで、先輩マネージャーから、ますます調子に乗る話を聞いてしまった。
「いやー、小鳥遊さんがきてくれてよかったよぉ。キツくて辞めちゃう子多くてさ。九条くん、人を見る目あるよねぇ」
「見る目って……?」
「あれ、知らないの? 今年、九条くん目当てでマネ志望の倍率がすごかったけど、九条くんが小鳥遊さんを推薦したから入部できたんだよ」
「えっ……」
 ──そういえば、部活中もよく目があうし。データ分析もときどき手伝ってくれるし。
 ──もしかして、先輩も私に気があったり?
 ──ほんの少しだけでも、可能性があったり……!?
 一度そう思うといてもたってもいられず、年末の全国大会で優勝した直後、誠一郎を部室で呼び止めて──告白していた。
 どう考えても、舞い上がって頭がおかしくなっていた。
 それでも玉砕覚悟ではあったのに、誠一郎は複雑な顔で長考した。
 そして一体、どういう風の吹き回しか──。
「部内では……交際禁止って暗黙の了解があるし、公にはしたくない」
「え……? それって……」
「それにデートも、できないと思う。次の大会に向けて全力を尽くしたいし、来年から受験勉強もはじまるから……今まで通り、部活のあと一緒に帰るくらいしか。それでもよければ……」
 明らかに“お試し交際”の提案だったけれど、天にも昇る気持ちだった。
 もともと二人で部室に残り、試合の動画を研究することが多かったから、帰宅デートをしても誰も気付かなかった。
 はじめは恋人として一緒に帰るだけで幸せだったのに、人は欲深い生き物だ。
 好意を押し込める必要がなくなって、もっと、もっとと次の欲望が現れた。
 ──お試し交際じゃなくって、同じくらい好きになって、振り向いてほしい。
 ──先輩と、恋人らしいこと、もっとしたいよ……。
 帰宅デートも毎日というわけにはいかなかったし、距離を縮めるべく質問をしてもはぐらかされて、プライベートは何も教えてくれない。
 変化といえば、優衣から頼んで、二人きりのときは下の名前で呼んでくれるようになったことくらいだ。
 勇気を出して手を繋いでみても、駅が近付いてくると解かれてしまう。
 恥じらいを捨てて『キスをしてみたい』とせがんでも、子供にするような、一瞬のキスでかわされてしまう。
 それで──とうとう、約束を破ってしまった。
「休日、一時間でもいいからデートとか……ダメですか?」
「先輩が忙しいなら、私、先輩の家の近くまで行きます!」
「クラスメートの子、このあいだお家デートしてて。私も先輩と……キスより先のこと、してみたいなって……!」
 誠一郎にとっては、ただの重い女だったに違いない。
 でも優衣にとって、誠一郎と過ごす時間だけは、両親からの扱いを忘れて、天真爛漫な十代の女の子になれたのだ。

 

 はじめての恋で、人生の光だった。
 彼さえいれば、何があっても頑張れる気がした。
 だから──どうしても、振られたなんて信じたくなくて。
『待っててほしい』という最後の言葉に縋り、まだ恋人のつもりで──翌週、誠一郎の家を訪ねた。
 ほとんどストーカーだ。
 何の救いもない自分に戻るのが怖くて、半ば病んでいた気もする。
 遠目に見た彼の家は、白い外壁がどこまでも続き、まるで白亜の城だった。
 優衣の家も、父が見栄を張って建てた豪邸だが、比較にもならない。
 圧倒されて遠目に立ち竦んでいると、道の向こうから男女がやってきた。
 大人びた美女と仲睦まじく笑顔を交わしているのは──誠一郎だった。
 思わず路地に隠れて、もう一度覗き見る。
 長い黒髪に、色白ですらりとした女性は、誠一郎にスーパーのビニール袋を取り上げられると、慌てて取り返そうとした。
 心を許して笑いあう姿は──優衣が憧れたカップルの姿そのものだ。
 邸宅に入っていく二人の姿が、涙で歪んでいく。
 光に焦がれて近付きすぎて、じゅっと焼き払われた虫を想像した。
 ──……来て、よかった。
 ──じゃなきゃ、私、永遠に先輩を待ってたかもしれない……。
 親にすら『可愛げがない』と言われてきたのに、どうして赤の他人が愛してくれると思ったのか。
 心が弱った勢いで誠一郎に連絡を取らないように連絡先をブロックしたけれど、想いは薄れるどころか、ますます恋しくなった。
 ──気持ちを抑えてわがままを言わなければ、ずっと恋人でいられたのかな……。
 何度もそんな後悔をして、もしやり直すチャンスが訪れたら、一切わがままを言わず、彼の役に立つことだけ考えようと心に誓った。
 そして、絶対にありえない“いつかの再会”を糧に、彼に相応しい女を目指して、はじめて自分の人生に向き合った。
 ──もう、親の言いなりにはならない。
 ──先輩がいなくたって、自分で幸せを手に入れて自信をつけなきゃだめだ。
 ──まずは稼いで、貯金して、自立して……。
 資格職なら何があっても一人で生きていけると考えて、看護師を目指すことにした。
 もちろん父からは「外に出るなんて許さない、俺の会社で働け」と猛反対されたが、
「将来結婚するお相手にとっても、看護師のイメージはいいはず」
「女子大にするし、家事は絶対に手を抜かないから」
 と粘って許しを勝ち取り、無事に看護大学に入って免許を取った。給与を重視して急性期病棟を希望し、約一年、ひたすら引っ越し費用を貯め、家を出る計画が現実味を帯び始めた矢先──。
 自立の企みを嗅ぎ取ったかのように、父が唐突に宣言した。
「おい、縁談が決まったぞ。愛想のないお前にはもったいない、最上級の相手だ」
 優衣は、はじめて全力で抗った。
 私の人生は私のもので、押しつけられた相手なんてごめんだと。
 が、父が聞き入れるわけもなく──。
「今まで誰が稼いだ金で生きてこられたと思ってる! 看護師ごっこをして、満足しただろう! 家族はどんなときも見捨てずに協力しあうものだ。お前はいつも親に逆らって、本物の家族がわかってない!」
「っ……それなら、家を出ていきます!」
 朝から言い争い、そう啖呵を切って出勤して──院長室に呼び出された。
「実は、何度も小鳥遊さんの父親から『娘は精神的にかなり不安定だから、医療行為から外してほしい』と電話をいただいていてね……。急性期病棟は、一瞬の判断ミスが重大な事故に直結する。一度しっかり休職して、今後を考えたらどうかな」
 それは遠回しな辞職の要請だった。
 必死に弁明した。すべて父の虚言で、心身共に健康で、これからもっと役に立ってみせる、仕事で証明してみせますと。
 けれど──。
「事実がどうあっても、問題が起きたとき、不安定な看護師を放置していたとなると、管理責任を問われかねない。もう人員の手配も済んでいて、引き継ぎも看護師長に頼んであるから、こちらの心配はしなくて大丈夫だよ」
 と切り捨てられ、泣く泣く辞表を出した。
 無職では賃貸契約が難しい。次の仕事が見つかるまでホテル暮らしを続けられるほどの貯金はないし、無計画に逃げたところで、すぐに家へ連れ戻されるだろう。
 絶望しながら帰宅すると、玄関で待ち構えていた父に、
「俺の人生をかけた勝負どころなんだ。来週の見合いまで家で大人しくしていろ!」
 と一喝され、優衣はその場に頽れた。
 見合いの日まで母の監視下に置かれ、外出すらままならず、唯一できた抵抗といえば、渡された釣書に目を通さず捨てたことくらいだ。
 ──先輩は、どんな試合でも、絶対に諦めなかった。
 ──ただのお見合いで、籍を入れるわけじゃないし。
 ──お見合いが終わって監視の目が緩んだら、今の貯金でも暮らせて、親に見つからない地方へ逃げればいい。
 ありし日の思い出と、ほんの少しの貯金と資格を心の支えに過ごし──やっと迎えた、見合いの日。
 命じられた通り振り袖を着て、父とともに高級料亭の個室へ赴いた優衣は、入り口に立ち尽くした。
 座布団の上に佇んでいた男が振り向いて、沈痛な面持ちで頭を下げる。
 ──……! 先輩……!
「……はじめまして。九条誠一郎です」