戻る

うっかりセフレになった私たちですが、クールなエリート同期の独占欲が止まりません! 2

第二話

 

 翌朝、周りの人に挨拶をしつつ自席へ向かう。すると、数分遅れて染谷くんがフロアに入って来た。
「え」
 瞬間、思わず息を飲んで大きく目を見開いた。
 他の女子社員も染谷くんを見るなり「うわっ」「カッコよすぎる」とざわついた。
 今日の染谷くんはいつにも増して素敵だった。
 仕立ての良さが一目でわかるダークグレーのスリーピーススーツ。細身のシルエットのお陰で彼の無駄のない体躯がハッキリ見て取れる。髪はいつも以上にきちんと整えられ、颯爽と歩く姿はまるでイケメン俳優みたいだ。
 まるで彼だけがスポットライトを当てられているみたいに、キラキラと光輝いて見えるから困ってしまう。
 男性の魅力で溢れている彼に目を奪われ、ついうっとりと見つめてしまう。
 とはいえ、どうして今日に限ってこんなに気合が入っているんだろう。ホワイトボードに目を向けるが、特に大きな商談の予定はなさそうだ。
 だとしたら、仕事終わりにデートの予定でもあるんだろうか……。
 そう考えると、ズキズキと胸が痛んで切なさが込み上げてくるが、ここは職場だしと自身を律して小さく息を吐き出し、気持ちを整える。
 そして、染谷くんから頼まれてまとめておいたT社の書類をバッグから取り出して、彼の方へ足を向けた。
「染谷くん、おはよう」
 笑顔で声をかけると、染谷くんがピタリと足を止めた。そして何故か緊張気味な表情でゴクリと唾を飲み込むと、ゆっくりとこちらに目を向ける。その顔はどこか強張っている。
「これ、昨日頼まれてたT社の――」
「ありがとう」
 書類を差し出すと、染谷くんは私とは一切目を合わさずに書類を受け取り、逃げるように背中を向けて歩き出す。
 あまりによそよそしい彼の態度になにか気に障ることでもしてしまったんだろうかと不安になる。けれど、特に思い当たる節はない。
 すると、「ねえ、染谷。そこ俺の席なんだけど?」と言う声がした。
 ふと目を向けると、染谷くんが私の向かい側の席に座り、先輩の金城(かねしろ)さんに突っ込まれていた。
「……すみません」
「いやいや、謝らなくていいよ。でも、大丈夫? ちょっと疲れてるんじゃない?」
 普段なら絶対にミスなど犯さない染谷くんが席を間違えるなんて相当だと金城さんは心配しているようだ。
「大丈夫です」
 染谷くんはクールな表情を崩さず、隣の自分の席へ移動する。
 金城さんの言う通り、働き過ぎで疲れているんだろう。
 染谷くん、大丈夫かな……。
 心の中で染谷くんを心配しつつ、自席へ戻りパソコンを立ち上げて顧客から届いた大量のメールに返信をした。ようやくさばき終えて凝り固まった首をグルグル回していると、どこからか痛いほどの視線を感じた。ふいにそちらに目を向けてみると、斜め向かい側の席の染谷くんと目が合った。
「ん?」
 なにか用があるのかと首を傾げると、染谷くんはハッとしたような表情を浮かべたあと、弾かれたように私から目を逸らす。そして、眉間に皺を寄せて一心不乱にパソコンを叩き始めた。
 その後も染谷くんの様子はおかしく、コピーの枚数を間違ったり、書類を床にバラ撒いたりとまるで別人のようだった。
 彼にいったいなにが起きたんだろう。
 落ち着きがなくていつものような余裕が感じられない染谷くんを心配していると、昼休みになり「清水、ちょっといい」と呼び出された。
 染谷くんの背中を追いかけて、人気のない非常階段までやって来た。
 天井の蛍光灯が少し緊張気味な彼の顔を照らし出す。
 一緒に働き始めてから五年、仕事の話をフロアですることはあっても、わざわざ個人的に呼び出されたことは一度もない。
 いったいなんの話だろうかとドキドキする。踊り場で向かい合った私は彼を見上げて紡がれる言葉を待った。
「今日の夜、空いてる?」
 すると、染谷くんは真っすぐ私の目を見つめて尋ねた。
「え……?」
「食事でもどうかと思って」
「食事? えっ、それって……」
 デートのお誘いなのか、それとも同期の加奈や他の社員も一緒なのかと確信が持てずにいる私に染谷くんは少し照れたように言った。
「俺と清水のふたりで」
「染谷くんと私の、ふたり、ね」
 あまりの驚きに、つい片言になってしまう。
「明日は休みだし、今日ならゆっくり過ごせると思って。都合どう?」
「あっ、う、うん! もちろん、大丈夫! 今日はちょうどノー残業デーだし、定時で上がれるから」
『アストラ・ゲート』では働き方改革の一環で二週間に一度は定時で帰らなければいけないという決まりができた。それがちょうど今日だった。
「じゃあ、仕事終わったら地下の駐車場に来て。エレベーターから一番近い場所にある白い車で待ってる」
「うん、分かった!」
 用件を言い終えて少しほっとした様子の染谷くんが私に背中を向けて階段を上がって行こうとする。
「ごめん、ちょっと電話したいから、染谷くんは先に戻って?」
「ああ」
 染谷くんは短く言ってそのまま階段を上がり、非常階段からフロアに続く扉を開けて出て行った。
「ままままま、待って……。嘘嘘嘘嘘!」
 彼の姿が見えなくなった瞬間、私は口に手を当ててその場でバタバタと足踏みして悶絶した。
 まさかの事態に頭が全然ついていかない。
 これって夢じゃないよね……?
 まさか染谷くんが私を食事に誘ってくれるなんて!
 青天の霹靂みたいな出来事が起こり、喜びが胸に込み上げてきてうっかり叫び出しそうになる。
 五年間片想いを続けてきたもののなんの進展もなかった相手から、ふたりっきりの食事に誘われたのだ。
 喜ぶなという方が無理なことだ。私の頭の中は染谷くん一色になる。
 諦めようと思っていたけれど、募った彼への想いをどうしても断ち切れなかった。
 でも、もしかしたらまだ私にもチャンスが残っているのかも……?
「どうしよう……。嬉しくて顔が緩んじゃうよ……」
 電話したいというのは、もちろん言い訳だった。
 やっぱり染谷くんには先に戻ってもらって正解だった。こんな顔見られたら、私が彼に気があると一〇〇%バレてしまう。
 でも、どうして染谷くんは私を食事に……?
 朝からいつもと違って様子がおかしかったのは、私を食事に誘おうと気負って緊張していたから……?
 いつも以上にビシッと決めていたのも、私をデートに誘うためだったり?
 待って。それって、もしかして……彼も私と同じ気持ちなんじゃ……?
 そう考えると、心が弾んでついつい口元がにやけてしまう。
「もしそうだったら私……いやぁぁぁ!」
 顔を両手で覆って非常階段の踊り場で飛び跳ねていると、ガチャッという音がして扉が開いた。
「あのっ、大丈夫ですか?」
 手にフロアモップを持った清掃員のおじさんに歓喜の舞を見られてしまった私は「は、はいっ」と顔を真っ赤にして逃げるように非常階段を後にした。

 昼食は浮かれすぎていたせいか、ほとんど喉を通らなかった。それでも、午後は気持ちを仕事モードに切り替える。
 すると顧客から、メーカーからの商品が納入されていないという連絡が入った。調べてみると相手は海外メーカーで、輸送段階で遅れが生じているということが判明したのだ。
 このまま遅延すれば生産ラインがストップしてしまう事態に発展する。そうなれば、一大事だ。
 すぐさまメーカー側に連絡を入れる。海外メーカーの担当者はイギリス人の男性だ。やりとりは英語になるが、彼には強いイギリス訛りがある。それを聞き取るのが大変なのだ。
日本で例えるならば東北訛りのようなものだろう。
 一応大学では国際教養学部に籍を置き英語は比較的得意な方だが、想像通り交渉は難航した。
 けれど、なんとか一日遅れでの納入の約束を取り付けることができた。ホッとする間もなく、迷惑をかけてしまった顧客に直接手土産を持って謝罪に出向く。
 幸いにも生産ラインを止めることはせずに済むと分かり、私は胸を撫で下ろした。
 問題を無事に解決して会社に戻った頃には、ちょうど定時の時間になっていた。
「お疲れ様でした」
 すでにフロアに染谷くんの姿はなかった。恐らく駐車場で待っているに違いない。
 私はトイレに駆け込み、鏡の前でメイクポーチを広げた。背中まである茶色い巻き髪とシースルーバングの前髪をささっと整え、目元のメイクを直して、口紅を塗り直す。
 今日の私の服装は、Vネックのベージュのニットに黒いパンツと同色のジャケットにハイヒールだ。
 もしも今日染谷くんと食事に行くと分かっていればオフィスカジュアルではなく、もう少しだけ女性っぽい服装をしてきたのにと心の中で悔やむ。
 最低限の身だしなみを整えた私はバッグを肩にかけて全速力で彼の待つ駐車場へ向かった。エレベーターホールで降りると、正面に白い大きな海外製のSUV車が止まっていた。
 この車だろうかと恐る恐る中を覗き込む。運転席には染谷くんの姿があり、私の姿に気付いた彼はパワーウインドウを開けた。
「ごめん、待たせちゃったよね」
「平気。寒いし乗って」
「うん」
 車の扉を開けて「おじゃまします」と言いながら助手席に乗り込み、シートベルトを締めて「お願いします」と頭を下げる。
 私のその動きをジッと眺めていた染谷くんはフッと笑った。
「清水は誰かの車に乗るとき、いつもそうやって言うのか?」
「えっ、変だった?」
 聞き返してみてからハッとする。
 私の恋愛経験の少なさと男性慣れしていないことを染谷くんに見破られてしまったのかもしれない。
 二十七歳にしてお付き合いした人はひとりだけ。相手は大学のひとつ上の先輩で付き合って一か月ほどで振られたという過去がある。
 私にとっては、なにもかもその人が初めてだった。
 グイグイこられて半ば押し切られる形でお付き合いを始めて、一週間後にキスをされ、そのまた一週間後に彼の部屋で抱かれた。知識はそれなりにあったものの右も左も分からぬ私は、彼に身を委ねることしかできなかった。
 そして、悟った。私は完全なる不感症なのだと。なにをされてもどこを触られても感じるとか気持ちいいとかそういう感情は一切湧き上がらなかった。彼の下に寝転んでぼんやりと部屋の天井のシミを眺める余裕すらあった。
 しばらくすると彼が顔を顰めて『あれっ……』『クソッ、なんでだ?』とぼやき始めた。そして、訳も分からぬうちに事は終わっていたようで、話に聞いていた痛みも出血も一切なかった。
 その後、彼に『なんの反応もしないつまんねぇ女、お前が初めてだから!』と逆切れされて一方的に振られてしまった。
 結局、私は初体験を済ませたのか済ませていないのか定かではないままこの年になってしまったという経緯がある。
「変じゃないけど、ちょっと気になった」
「そ、そっか」
 曖昧に苦笑いを浮かべると染谷くんは黙ってハンドルを握り、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
 私はスマホを取り出し、自宅にあるペットの見守りカメラを立ち上げる。家にいなくてもスマホでいつでも自宅にいるレオの様子をリアルタイムで見られる優れものだ。ちょうどご飯の時間になったようで猫ベッドで寝ていたレオが大あくびをした後、のそのそと立ち上がる。
 猫の腹時計には毎度驚かされる。
 私の仕事は突発で接待が入ったり夜遅くなることがあるため、仕事の日はレオがお腹を空かせないように自動給餌器をセットして出かけている。
 レオが美味しそうに食事をする様子にホッと胸を撫で下ろす。
「何見てるんだ?」
 信号機が赤になり、車が止まったタイミングで染谷くんが不思議そうに尋ねた。
 レオがご飯を食べる微笑ましい姿を見て、つい表情が緩んでしまっていたのかもしれない。
 とはいえ、猫が嫌いな染谷くんにそんなことは言えない。
「ううん、何でもない」
 私は曖昧に誤魔化し、バッグにスマホを押し込んだ。
 それから二十分ほど車を走らせて、目的地へ到着したようだ。そこはテレビや雑誌に取り上げられる超高級な五つ星ホテルだった。
 ホテルのエントランスは圧巻だった。頭上には煌びやかで大きなシャンデリアが吊り下げられ、足元は厚みのあるベージュの絨毯が敷き詰められている。ホテルマンや客もみな洗練されて優雅な雰囲気をまとい、庶民の自分には場違いなのではと心配になってしまう。
「しょ、食事ってまさかここでするの?」
 声を潜めながら尋ねる私に、染谷くんは当たり前のようにこくりと頷く。
「前にパーティでここの社長さんと話したら何故か気に入られて。連絡したらぜひ来てくれって誘われた」
「そ、そうなんだ……」
 さすがはエリート営業マンの染谷くんだけある。同じ営業部で働いているというのに、格の違いを見せつけられてしまった。「ちょっとここで待ってて」と言って染谷くんはホテルのカウンターへと歩み寄る。なにか言葉を交わした後、すぐに戻って来た。
 染谷くんは茶色い重厚な木枠のエレべーターの前に立ち、ボタンを押す。やってきたエレベーターに乗り込むと、染谷くんは私の顔を覗き込んだ。
「緊張してるのか?」
「か、かなり。そ、染谷くんは?」
「俺も」
 眼鏡の下の切れ長の目が弧を描く。その瞬間、私の心臓はドキドキとはち切れんばかりに暴れ出した。時折こうやってふいに見せる染谷くんの笑顔に私はめっぽう弱い。
「絶対嘘でしょ! 平然としてるもん」
 激しく高鳴る心臓の音を聞かれてしまいそうで、冗談ぽく突っ込む。
「嘘じゃないから」
 動揺する私とは対照的に落ち着いた様子でさらっと答える。
 エレベーターを降りると、そこは高級フレンチレストランだった。
「染谷様ですね。お待ちしておりました」
 ウエイターに案内されるままに席へ向かう。一歩前を歩く染谷くんは堂々としていて一切の迷いがない。重厚な絨毯の上を真っすぐに進んでいく彼は、煌びやかな空間にあっという間に溶け込んだ。
 席は店の一番奥にあり、大きな窓からは都会の夜景を一望できた。
「あとで社長にこれをお渡しください」
 染谷くんは縦長の上品な濃紺の紙袋をウエイターに手渡した。
 紙袋の側面には有名なワインメーカーのロゴがついている。どうやら席を押さえてくれたお礼のようだ。染谷くんは常に周りがよく見えている。
 恐らく、このホテルの社長と言葉を交わした時にワインが好きであるという情報を得てお礼の品にしたんだろう。染谷くんは男性ながらこういうきめ細かな気遣いが抜群に上手いのだ。営業部内には話術に優れている人間は大勢いる。けれど、営業成績は入社五年目の染谷くんが常にトップを維持している。
 クールで口数は多い方ではないが、天性の頭の良さを持つ染谷くんは相手を徹底的に観察して分析し、理論的に説得する力を持っている。さらに傾聴力もあり、相手の言葉の裏にある本音を聞き出す技に長けている。真似しようとしても周りの人間には到底真似できない、彼だけの絶対的な強みだ。
「かしこまりました。食前酒はいかがなさいますか? ノンアルコールのご用意も承ります」
 紙袋を受け取ったウエイターは笑顔で尋ねた。
「俺はスパークリングワインにするけど、清水は?」
「えっと……」
 車を運転してきた染谷くんはてっきりノンアルを頼むとばかり思っていた。
 けれど、染谷くんは飲酒運転などの法令違反を犯す人ではない。私が心配しなくても代行など自身が運転しなくてもいい方法をあらかじめ考えているに違いない。
「じゃあ、私も同じものを」
 お酒はそこまで強くないけれど、嗜むぐらいできる。せっかく染谷くんが誘ってくれた食事の席だ。できることなら一緒に楽しみたい。
 しばらくすると、食前酒のスパークリングワインが運ばれてきた。
「今週もお疲れ」
「お疲れ様でした!」
 互いを労いつつ乾杯する。スパークリングワインを口に含むと、泡が舌の上でパチパチと弾けた。フルーティな味わいで喉越しも良く、想像していたよりもずっと飲みやすい。
 それから私たちは美味しいフランス料理に舌鼓を打った。
 キラキラ輝く夜景を見ながら食事を楽しむなんて夢みたいだ。しかも、目の前には大好きな染谷くんがいる。
 食事をする姿さえも優雅で惚れ惚れしてしまうぐらいカッコいい。周りの席のお客は夫婦やカップルが多い。きっと同じ職場という関係性の人は私たちぐらいだろう。
 彼がこんな素敵な場所へ連れてきてくれた理由はなんだろう。
 もしも本当に私と同じ気持ちだとしたら……。
 そんな想像をすると、喜びで胸がいっぱいになる。
 前菜のタラバガニのテリーヌは口に入れるとふわりとカニの優しい甘みが広がり絶品だった。その後も和牛のフィレ肉のステーキなど一流シェフが腕を振るった料理を堪能した。
「こんな美味しいお料理が食べられて、ホント幸せ」
 思わずそう漏らすと、正面に座り優雅にワインを嗜んでいた染谷くんがふっと微笑んだ。
「喜んでもらえてよかった」
「でも、どうして私を誘ってくれたの? しかもこんな高級レストランなんて……」
 聞くつもりはなかったのに、つい疑問が口をついた。
 一緒に食事をしようと誘われていたものの、まさかこんな高級ディナーに連れてきてもらえるなんて考えてもいなかった。
 そこでハッとする。同期にもかかわらずあんな高級外車を乗り回しているし、もしかしたら私が知らないだけで染谷くんのご実家は相当裕福なのだろうか。
 もしや、いつも私が食べている物が質素だとバレている……?
 自分に気があるのかもしれないと胸を弾ませていたけれど、単に私を憐れんで連れて来てくれたんだとしたら……。
 浮かれていた気持ちが一気にしぼんでいく。
「あ、もしかして染谷くんって実は大金持ちだったりする? ご実家が相当太いとか……どこかの大企業の御曹司とか? それで私が貧しいのを憐れに思って……?」
「……なんのことだよ。そんなわけないだろ」
 少し呆れたように染谷くんはすぐに否定する。
 よかった……。私を憐れんでいるわけじゃなかったんだ……。
「じゃあ、どうして?」
「どうしてって、それは……」
 染谷くんは眉間に皺を寄せて逡巡するように瞳を左右に振る。急に口ごもる染谷くんに心の中で首を傾げる。
「ただそれだけするのは、俺の中で許せないし、そんな軽い気持ちじゃないって知って欲しいから」
「……え?」
 ただそれだけって、なに? 軽い気持ちとは?
「だから、俺は――」
「お待たせいたしました。こちら、デザートのクリームブリュレでございます」
 染谷くんの言葉に被せるように、ウエイターがデザートと食後のコーヒーを運んできた。
「あの、染谷くん……」
「いい。気にしないでくれ」
 言いかけた言葉が気になりつつも、それ以上言及することはせずにデザートを食べる。クリームブリュレは焦がしたカラメルの甘さとほろ苦い香ばしさが抜群の美味しさだった。
 ぺろりとコース料理を食べ終えて大満足の私とは対照的に、染谷くんの顔はなぜかどんどん険しくなっているような気がする。
「そろそろ出るか」
「うん。えっと、お会計は……」
 染谷くんの後を追うように立ち上がる。
 こんな高級店で食事をしたことのない私は支払い方を知らない。入り口の辺りにレジらしきものは見当たらなかったし、いったいどこで支払うのが正解なんだろうか。
 そんなことを考えていると、染谷くんは私を真っすぐ見つめてこう言った。
「部屋付けにしてあるから大丈夫」
「え……部屋付け?」
 喉の奥から変な声が出た。
「行こう」
 それはいったいどういう意味なのだろうかと聞き返す間もなく、彼は出口の方へ向かう。
 ウエイターたちも「ありがとうございました」と私たちに丁重に頭を下げる。
 店を出ると、染谷くんはエレベーターの前まで来てピタリと足を止め、迷うことなく上階へ向かうボタンを押した。
「あ、あのっ、染谷くん。部屋付けってことはこの後染谷くんがこのホテルに泊まるってことだよね? えっと、食事代いくらだった? 今返すね」
 いくら同期とはいえ、お金のことはきちんとしておかなければならない。きっと恐ろしい値段だろうが、大好きな人と素敵な時間を過ごせた対価ならば喜んで支払おう。
 左肩にかけているバッグに右手を伸ばすと、その手を染谷くんが掴んだ。
 そして、自身の指を絡めて包み込むように私の手を握った。
「俺だけじゃない。清水も一緒に泊まるんだ」
「え……?」
「俺はそのつもりで来た。清水は違うのか?」
 射貫くような熱っぽい目を向けられて、心臓が跳ねた。
 ろくな恋愛経験がなくたって私は大人だし、染谷くんの言葉が何を意味しているのかぐらいしっかり理解できている。
 しかも、『そのつもりで来た』と言うことは、染谷くんは最初から私と食事をしたあと、そういうことを致すつもりだったということだ。
 大好きな染谷くんがここまで言っているのだ。彼も私と同じ気持ちでいてくれているという期待が募る。
「どうする? 嫌だったらこのまま帰るけど」
 彼の口調はいつものように淡々としていて全く圧がない。決定権をすべて私に委ねてくれているのが伝わってくる。
 理性と本能の間で気持ちが揺れ動く。私は染谷くんに五年間も片想いをしていた。ずっと好きだったのに同期という関係性が壊れるのが怖くて、気持ちを伝えることもできず、ずっと苦しかった。
 それならばと半年前、レオを飼ったタイミングで彼への想いを諦めようと決めて、自分の気持ちに蓋をした。けれど、どうしても気持ちを断ち切れなかった。
 そして、それは今も変わらない。
 きっとこんな機会はもう二度と訪れないだろう。染谷くんはモテるけど、今まで浮いた噂のひとつも聞いたことがない。
 彼のプライベートは分からないけれど、少なくとも会社にいる間、女性と親しくしている姿を見たことがない。
『好き』だと言われてはいない。けれど、もしも染谷くんが私にほんの少しでも気があってお誘いしてくれているんだとしたら……?
 私も染谷くんもお互いに独身だし、誰かにとやかく言われるようなことはしていない。
 すると、ポンッという音の後、エレベーターの茶色い扉が開かれた。
 今までずっと、染谷くんとの関係が壊れるのが怖くて自分の気持ちに嘘をつき続けてきた。でも、ここは覚悟を決めるべきだ。これを逃せば、私はきっと一生後悔する。
「ううん、嫌じゃない」
 そう告げると、染谷くんは黙って私をリードするようにエレベーターに乗り込んで、最上階のボタンを押した。
 閉まったエレベーターがゆっくりと上昇していく。その間も心臓がはち切れてしまいそうなほど大きな音を立てて鳴っている。
 極度の緊張と高揚感が全身を包み込む。
 最上階に着くと彼はそっと私の手を引いて部屋の中まで導いた。
 室内に足を踏み入れた私は目を見開いて固まる。そこはロイヤルスイートで、室内は走り回れそうなほどの広さがある。大きな窓からは夜景を望め、ロマンチックな雰囲気が漂っている。
 私、ここで染谷くんと……。
「先、シャワー浴びてきたら」
「あっ、うん。そうさせてもらうね」
 染谷くんは私とは違ってこういう場所には慣れているのか、スーツの上着を脱ぎソファに悠々と腰かけている。
 私はそそくさとバスルームに向かった。まず驚いたのは、その広さだった。総大理石の床はピカピカに磨き上げられ、窓に囲まれた浴槽からは夜景を堪能できる。ソワソワしつつお風呂に入った私に夜景やらを楽しむ余裕はなく、ドキドキと期待に胸を弾ませて首から下を入念に洗った。
 入れ替わるようにシャワーを浴びて戻って来た染谷くんは私と同じく白いバスローブに身を包んでいた。
 当然ながら初めて目にする彼の無造作に下ろされまだほんのり濡れた髪にドキッとする。男性としての色香をこれでもかというぐらい放たれ、目のやり場に困る。極めつけは、普段つけている眼鏡を外していることだ。
 眼鏡男子好きな私は染谷くんの眼鏡姿が大好物だけれど、眼鏡をかけていない素顔も新鮮でカッコよすぎる。