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この街角で、君に恋して② 2

第二話


「それは、話し合ってから……ですかね。というか、私、エルについて知らないこともたくさんあるんです。例えば学歴とかもそうですが、私は日本の公立学校を出て、ギリギリだけど公立大学の薬学部に受かって、薬剤師となっていますが。こういう、エルが何をして今まで生きて来たかなんてことを知らないので……」
 アリスは微笑みを浮かべ、コクコクと頷きながら聞いてくれた。そこでタイミングよくドリンクが運ばれてきて、アリスがグラスを掲げる。
「カンパイです、李帆さん」
「はい、乾杯」
 李帆とアリスはカクテルドリンクのグラスを触れあわせ、乾杯をした。
 この前は緊張のあまり乾杯をする前に口を付けてしまったから、今回はきちんとできて良かった。
「私も、夫のことをよく知らないうちから好きになったので、まず会話から始めました。話すたびに好きになってしまったんですけど!」
 頬を染めてまたキュッと目を閉じる可愛い仕草。照れているときの癖なのかもしれない。
 眼鏡をかけている旦那様は冷静そうな感じだったけれど。妻であるアリスのこういうところを可愛いと思っているんだろうな、と想像した。
「李帆さん、じゃあ私の知っているエルのことを少し話しても? 私から見てエルは……すごく優秀で、頭が……キレル? って言うんでしょうか? 日本語の細かい表現が私はまだ上手くないんですが、エルより少しは意味もニュアンスもわかると自負しています。エルのこと、零士はある意味ちょっと怖いところがある、って言うんですよね」
 言いたいことは少しわかる気がする。今度は李帆が小さく頷くと、エルは、とアリスが語り始める。
「大学、二つ卒業していて」
「……二つ!?」
「そうなんです。すごいでしょ? 中学も、高校も大学もスキップするくらい頭がいいんです」
 アリスは自分のことのように嬉しそうにエルダーについて話した。
「最初はニューヨーク大学で法学を専攻してました。卒業後、一年間お祖父様が遺した小さなホテルのスタッフとして働きながら経営を学んで。その間も勉強していたみたいで、ハーバード大学に受かって……カニンガム家で初めてアイビーリーグに行ったっていうのが、すごいことで!」
 アリスはとにかくすごい、という感じで興奮気味に喋る。
 ニューヨーク大学もハーバード大学も有名な大学というのは知っている。ハーバードなんて特に優秀なのが当たり前というレベルの人しか入学できないような気がする。
「さらにすごいことに、ハーバードもスキップで卒業したんです! みんな、天才って言ってました」
 さすがの李帆も、学歴を聞くだけでも彼のすごさがわかる。
 本当なら現実味がない話だ。
「それは本当の話、ですよね?」
「もちろんです! エルはすごいんです」
 アリスの笑顔を見ながら、ふと、こういう話は、彼に直接聞かないでよかったのだろうかと考えてしまった。
 エルダーのプライベートであるし、いくら婚約者となったとしても付き合い始めてから日が浅い自分が、勝手に知っていいものだったんだろうか?
 ほどなくして料理が運ばれてきた。並べられた皿を見て、とてもお腹が空いていたことを思い出し、アリスと二人で食べ始める。
「エルダーさんの学歴、勝手に聞いてしまってよかったんでしょうか?」
 やっぱり気になったので李帆がそう言うと、キョトン、とした彼女は次に笑みを浮かべる。
「ネットに出されてる情報だから、大丈夫です。私のこともちょっと出てるんですよ」
 そんなこともネットに書かれているのか、と驚き、固まってしまった。
 先日、李帆は週刊誌に取り沙汰されそうになってしまった。エルダーと一緒にいたためだった。
 それだけ彼は注目される存在なのだ。幼少期の写真だって出回っているのだから、学歴などは勝手に公開されていてもおかしくないだろう。
 エルダーもだがアリスも、今まで何もなかったのだろうか。個人情報の悪用とか……。
「あ、でも、公開されている情報は一部のことなんですよ? それにエルは、私が話したこともきっと気にしないと……思います、たぶん……」
 だんだんと眉が下がってきて、シュンとした顔をするアリスを見て慌てて李帆は口を開く。
「すみません、日本人なので、詮索されるのってご迷惑じゃないかと心配してしまって。でも……アリスさんにとっては、自慢の従兄なんだってことが、すごくよくわかりました」
 彼女は嬉しそうにエルダーの話をしてくれた。
 仲が良いのだろうということもうかがえる。
「ただ、そういうプライベートなこと? 学歴くらいなら知られてもいいかもしれませんが……普通だったら話さないとわからないことなのに、ネットで検索しただけで知られてしまうって……なんだか、良くないな、と」
 話しながらだんだんと李帆は語尾が弱くなってしまっていた。
 うつむいていると、ふふ、とアリスが笑ったので顔を上げる。
「それは仕方がないことです。エルも仕方ないって、理解しているはず。でも、そうやって気にかけてくれる人がいるって、素晴らしいことだわ」
 にこりと笑みを深めたアリスは、なんだか嬉しそうだった。
「素敵な人なんだよ、ってエルがいつも言うんです。ほんとです。李帆さんは優しくて、良い方です、とっても素敵です。エルってば幸せ者! ふふふ」
 二人の間でなんでそういう話になったのか、李帆には分からない。とりあえず笑みを浮かべてみるけれど。
「あの……私、個人的に李帆さんに連絡してもいいですか? 社内には仲良くしてくれる人はもちろんいるんですけど、仕事以外で付き合う人、お友達ってまだ日本にいなくて」
 友達になろうというお誘いをされることなんて、高校生以来なかった。
 大学時代は、一応友達を作るつもりで自分から声を掛けた。社会人になってからは、職場以外の人とはあまり話さなかった。
 こんなだからいけないのだろうというのはわかっていても、上手く立ち回れなかった。人との関係が密でなかった家族を目の前に育ったため、どこかドライに考えすぎていたのかもしれない。
 そして最近も、大学の同級生たちとの連絡を、李帆のほうから絶ってしまった。それは、相手の気が向いた時に誘われるだけで、お互いを思いやれる関係ではなかったからなのだが。
「あ、ありがとうございます。嬉しいです……私、恥ずかしながら、あまり友達いないので……」
「そうなんですか? 私もです! アメリカでもなんだか遠巻きにされちゃって、友達って呼べる人ってほぼいないんですよ」
「え……? こんなに美人で、良い人なのに……」
「そういうの全然関係ないです。友達って思える人は一握りでいいんですよ。私は李帆さんとお友達になりたい。今度一緒に、服とか買いに行きませんか?」
 エルダーと同じことを言っている、と思いながら李帆は笑った。
「……よろしくお願いします」
 頭を下げ、顔を上げると、アリスがなんだかキラッとした目で微笑みながら李帆を見ていた。
「李帆、アリス、遅くなってごめん!」
 軽くノックの音が聞こえたあと、個室のドアを開けたのはエルダーだった。
「零士! 一緒に来てくれたんだ!」
 アリスが嬉しそうに立ち上がって、添島に寄り添う。
「もう少し仕事をすると言ったのを連れて来たんだよ。僕が仕事を増やしてしまったからね、明日きちんと僕がやるってことで話をつけた。書類はクラウドに入れてあるから」
 エルダーがそう言うと、添島は眼鏡を押し上げた。
「少し遅くなっても来るつもりでしたよ、アリス」
 アリスがとても嬉しそうで、本当に旦那さんのこと好きなんだな、と李帆は思った。
「李帆、ごめんね遅くなって。君がせっかく誘ってくれたのに」
 李帆の隣に座ったエルダーは、テーブルの下で李帆の手を取り、指を絡ませてくる。
「いえ、そんなことは。アリスさんとお話しできて楽しかったので」
 それを聞いていたアリスが、エルダーに言った。
「私、李帆さんと今度、服を買いに行くことにしたの。楽しみ!」
「へぇ、そうなんだ。あ、でも、その前に僕と一緒に買い物に行かないかい? 李帆」
 エルダーが李帆の顔を見ながらそう言ったけれど、すぐに頷けなかった。
 この前のドレスやアクセサリーのことを思い出す。彼と買い物となると、どんな店に行くかわからない。桁違いの買い物になるのではないかと、李帆はそれが心配だった。
 ただでさえエルダーはすごい人なのだと、先ほどのアリスとの会話の中で認識し、雲の上に住んでいるのだと思えてしまうのに。
「……そ、そうですね」
 遠慮がちな返事に少し怪訝そうな顔をしたが、気を取り直したように話題を変える。
「会いたいって思ってくれて嬉しかったよ」
 眩しい笑顔のエルダーに李帆も笑みを返す。
「アリスと別の店に行きましょうか?」
 添島がまた眼鏡を押し上げながら言えば、エルダーが首を横に振る。
「君も目の前でアリスに会いたかったよ、の一言くらい言ったらどう? それにさ、お腹空いてるでしょ? 君も」
 呆れたようにそう言ったのを見て、李帆は笑った。
 アリスもクスクスと可愛く笑って、添島はただ大きくため息をついた。
 なんだか楽しい。
 ああ、これが楽しいということなのか、と李帆は心の内に湧いた気分を確かめる。
 エルダーと一緒にいると、世界が変わる。
『君の失ったもの、これから欲しいものに、僕はなるよ』
 不意に思い出した彼の言葉通り、エルダーは李帆にとってかけがえのない人になっていく。
 こんなに幸せになっていいのだろうか。この幸せに寄りかかり、エルダーにすべてを任せてしまったら、もうきっと一人で歩けないだろう。
 けれど、彼はずっと笑顔でいてくれて、何度も李帆を救う言葉を聞かせてくれる。
 頑なな心を、ゆっくりと溶かしてゆくような愛の言葉を囁いてくれる。
 エルダーが本当に李帆のためだけにいると錯覚してしまいそうだ。
 そう感じざるを得ない李帆だった。

 

 ◆◆◆

 

 楽しい時間を共有したアリスと添島がタクシーに乗って帰っていくのを見送り、スマホを見るとまだ電車が動いている時間だった。
「李帆は明日、休みなんだよね?」
「そうです。エルは、仕事ですね」
「僕も明日休みにしたい。けど、会食もあるし、会議もあるし……李帆といたいけど、夜は長いようで短いからなぁ」
 そう言って李帆に微笑むその表情に、ドキッとする。
 相変わらず素敵な天使のごとき美しい顔で、李帆を魅了するからだ。
「……あの、ここからだと、私の家が近いです、たぶん」
 だからその笑顔の魔法にかかった李帆は、もう少し一緒に居たいと思って、ついそう言ってしまった。
「行っていいの!?」
 パッと明るい顔になる彼に、頷く。そうすると、彼が李帆を抱き寄せた。
「嬉しいな、ありがと」
 そう言って後頭部を撫でて、ゆっくり腕を解く。
「ねえ、今日は、どうして急に会いたくなったの?」
 李帆は一度唇をキュッと閉じ、それから彼を見上げる。
「聞きたいことがいろいろあって、話せたらいいなと思ったんです。私、エルの婚約者に……なったけど、まだあんまり知らないから……エルのこと」
 エルダーは頷いて、李帆の手を取った。
「わかった。今日は眠くなるまで話すよ、存分にね」
 彼と同じように頷いてから、さすがに今夜はソウイウコトはしないだろうな、とは思ったけれど、ほんの少しだけ考えてしまう。
「タクシー使ってもいい?」
「あ……はい、もちろん」
「じゃあ、タクシー捕まえよう。泊まってもいいんだよね?」
 李帆が考えているようなコトは……なしだよね? と聞きたいけれど、恥ずかしい。
「あ……はい、もちろん」
 同じ返事を繰り返してるな、と思いつつも、ただ彼に笑みを向ける。
「すぐそこにコンビニがあってラッキーだったな。ちょっと必要なもの買ってくるから」
 コクコク、と二度頷いて、コンビニへ向かう彼の背中を見送る。
 コンビニにはおよそ似合わないような、仕立ての良いスーツの彼の背中を見ながら、李帆は思わず呟いた。
「必要なものって……下着と、コッ……っんん!」
『エルダーは話をするって言ったじゃない!!』
 李帆は顔を少し赤くしながら、心の中で大きな声を出す。
 無意識に期待しそうになってしまった。ソウイウコトは何も考えない、と慌てて騒ぎ出す心を律する李帆だった。