あなたが好きでたまらない 敏腕フライトドクターはまじめな彼女をどこまでも愛したい 2
新店舗の店長に抜擢されたのは、素直に嬉しかった。
なにより新店舗が入る天空中央病院は、六年前に亡くなった父親が医師として勤めていた場所だ。
いろいろと思い入れがあり、顔見知りの医師や看護師もいる。配達中に声をかけてくれた看護師の三笠もそのひとり。
父は救急科の医師でフライトドクターだった。
娘の贔屓目で見なくてもとても優秀なフライトドクターで、救命救急部長の信頼も篤く同科の医師や看護師、患者からも慕われていた。
仕事熱心で家族想いの父は美乃梨の自慢だったし、父もひとり娘の美乃梨をとてもかわいがってくれた。
フライトスーツ姿の父はかっこよくて、真剣な姿は尊敬せずにはいられない。
美乃梨にとって父は、最高のフライトドクターだった。
そんな父が、災害現場での緊急処置中に命を落とした。
当時美乃梨は高校三年生。受験を念頭において頑張らなくてはならない時期に最愛の父が他界したのは精神的に影響が大きく、当然のように勉強に身が入らない。
いろいろと考え、進学をやめ、高校生になってからずっとお世話になっていたバイト先の【くつろぎ堂】に正社員登録申請を出したのである。
その決断を後悔したことはない。カフェでの仕事は楽しかったし、企画を出したりイベントスタッフを務めたり研修に行ったり、やりがいもある。
仕事に気持ちを注いでいれば、父の死を思考の隅に追いやっていられたから……。
天空中央病院に四号店が入ると聞いたときには、心が躍った。
しかし規模の小さな店になるので、配属されるのは店長クラスのベテランと仕事に慣れているパートやアルバイト。
お呼びではないだろうと思いつつ、配属希望を出していたのである。
するとどうだろう、店長に抜擢されたうえでの配属が決まったのだ。
嬉しくて嬉しくて、本店の同僚たちに「張りきりすぎ~!」「なんだ、みのちゃん、そんなに本店から移るのが嬉しいのか、さびしいなっ」とからかわれながら、オープニングに向けての準備も頑張った。
その頑張りは、ずっと続いている。
父と同じ場所で働いているのだと思うと、父と同じくらい頑張らなくてはという気力が湧いてくるから。
「……疲れた……」
──それでも、時にはこんな言葉が口をつく……。
スタッフルームの施錠をして、息を吐きながら肩を上下させる。腕時計を見ると、時刻は二十一時だ。
「お腹すいたな……。ご飯どうしよう、なんか濃いもの食べたいな……」
「それならラーメン食べに行こう。濃厚とんこつラーメン、美味い店を知ってるから案内するよ。塩とんこつと醤油とんこつがあるんだけど、どっちが好み?」
「とんこつかあ……塩かなぁ。あ~、でも醤油もいいかも……」
「じゃあ、俺が醤油を頼むから、店長さんが塩にしなよ。半分ずつシェアしよう」
「それはいい考え……え?」
ぼんやりしたまま受け答えしてしまったが、唐突に正気が戻ってくる。
──いったい、誰と会話をしているのだろう……。
身を固めて警戒しながら振り向く。すると……。
「おつかれー、店長さん。あっ、仕事が終わったし、近藤さんって呼んでもいい?」
背後に、にこやかな侑馬が立っていたのである。
「きっ……桐生先生っ、なにしているんですかっ」
「近藤さんを待ってた」
「待ってた……って、なにかありました? 当店の商品になにか問題でも……!」
「あー、違う違う、そんなに慌てないで」
とっさに、提供したメニューのせいで体調に変化が出た人でもいたのかと不安になり動揺してしまった。
そんなことがあれば店を預かる店長としての責任問題だ。それどころか、他店舗含めた【くつろぎ堂】全体のイメージダウンにかかわる。
「本当に真面目だな、近藤さんは。仕事が終わるのを待っていた男がいたら、普通は違うこと考えるんじゃないか?」
重大案件発生ではなかったと安心した頭を切り替え、「うーん」とひとうなりして考える。
「あっ、ストーカー、とか?」
思いついた瞬間なにも考えず口にしてしまったが、侑馬に対して失礼な発言ではないか。すぐに気づいて両手で口をふさぐが、時すでに遅し。
しかし侑馬はプハッと噴き出した。
「ストーカーか、それは普通に考えてほしくない回答だな」
「すっ、すみません、すみませんっ、別に先生のことをストーカーだと思ったわけじゃなくて、待ち伏せされるならストーカーかなって」
「うん、でも近いかも」
「えっ!」
再び身体が固まるものの、侑馬がストーカーになる可能性などないのだから無駄な心配だ。
(桐生先生……すっごくカッコいいし、人気あるし、……わたしを気にかけるなんてあるはずがないし……)
「俺もついさっきまで仕事だったんだけど、帰ろうと思ったら店の奥のほうで灯りが消えるのが見えて、もしかしてと思ってドアの前で待ってた」
閉店時間になると、エントランスに面した店舗のカウンターは防犯ネットをかける。
カウンターからスタッフルームを覗くことはできないが、診療時間も過ぎて照明が落ちたあとだとスタッフルームに照明が点いていれば灯りが漏れて見えるのだ。
「仕事って、先生、お休みだったんですよね? なんかヘルプに呼ばれていましたけれど」
「そのヘルプからずっと……で、今帰り」
「お疲れ様ですっ」
休み返上で仕事だったようだ。敬意をこめて深く頭を下げる。
すると、顔を上げたのと入れ違いに、頭を下げ返された。
「近藤さんこそ、遅くまでお疲れ様」
「いえいえ、わたしなんてたいしたことないです。先生のほうが、いつも大変なのにお休みの日まで……」
「十九時閉店なのに二十一時にならないと帰宅できない仕事量、おまけに十六時からは店をひとりで回していた。夕方から閉店まで、フードの注文も多いだろうし忙しい。それで『たいしたことない』とはいわない」
「でも、先生の……お医者様の仕事に比べたら……」
負けずに言い返そうとすると、侑馬の人差し指が唇を押さえる。
「謙遜しなくていい。近藤さんは自分の仕事が好きで誇りを持って業務にあたっているっていうのは見ていてわかるし、仕事を楽しんでいるっていうのもわかる」
人差し指がゆっくりと離れる。止めるものはなくなったのに、唇に指で触れられるという衝撃体験のせいで声が出なかった。
「思い入れがあるから、頑張れるんだろう?」
凜々しい双眸がやわらかくなごむ。あたたかさに包みこまれて、肩の力が抜け「はい」と小さく声が出た。
「よし、じゃあ、ラーメン食べに行こう。俺、奢るから、好きなだけトッピング追加して」
「駄目ですよ、そんな、自分のぶんは」
「はい、決まり、行こう行こう」
美乃梨の反論を聞いているのかいないのか。侑馬はさっさと歩きだす。それも振り向いて手招きをしながら歩くものだから、前を見ていないのが心配で思わず駆け寄ってしまった。
「先生っ、前見て、前、ぶつかりますよ」
「ぶつかったら手当てして」
「先生に手当てなんかしたら『ヘタクソ』って笑われそうです」
「近藤さんにだったら、小さい切り傷に絆創膏を十枚重ねられても笑わない」
「そこまでしませんよ」
「じゃあ、包帯一本」
「もっと大げさになってるじゃないですか」
気がつけば侑馬は前を向いていたし、ふたり並んで歩きながらアハハと笑い合っていた。夜間出入り口の窓から顔を出した年配の警備員に「楽しそうだねぇ」と微笑ましげに言われてしまったくらいだ。
侑馬が案内してくれたラーメン店は病院から歩いて五分の場所にあった。むしろ、こんなに近くにあったのに今まで知らなかったのが不思議でもある。
とは思ったが、病院前のバス停を利用しているため周辺をウロウロすることもないので、知らなくてもおかしくはない。
若い夫婦がふたりで切り盛りしている店のよう。店内はカウンター席が十二席ほど。八席が埋まっていて一席ずつ四ヶ所空いている状態だったのが、ふたり連れが入店してきたとたん客が横に席をズレて二席分空けてくれた。
常連たちの素晴らしい気遣い。しかし少々照れくさい。
さらに注文の際、塩とんこつと醤油とんこつを半分ずつシェアする話を侑馬がすると、小さなどんぶりをふたつ用意してくれたのである。
店主の奥さんが微笑ましそうにニコニコしているのを見て、いったいどういう関係に思われているのだろうと考え、……ちょっとドキドキした。
「近藤さん、どうしてこんな時間まで仕事をしていたの?」
「ふぅぃ?」
おかしな返事になってしまったが、ちょうど麺をふうふうと吹いていたところだったので仕方がない。
「近藤さんが早く帰ったところを見たことがない。夜の七時閉店なのに今日みたいに帰りが九時、十時のときもある」
どうして知ってるんだろうと思いつつ、箸を止めて侑馬を眺める。彼は話をしながらラーメンを口に運んでいた。
(熱くないのかな。熱いものでも平気なんだろうな。いいなぁ)
猫舌というほどではないが、熱いものはそれなりに冷まさないと食べられないほうだ。「ふうふう」したり、冷めるまで待ったり。
しかし世の中には、熱い食べ物を難なく口に入れてしまう人も存在する。
熱々のラーメンや鍋焼きうどんなど、熱いうちに食べるのが最高に美味しいものを目の前にしたとき、そんな人がとてつもなく羨ましい。
「だいたい、もともと営業時間は十七時までだったろう。それを二時間延長した。朝だって、店が開くのは九時なのに、院内従業員用に飲み物だけ七時から対応している。どうして?」
「どうして……って、需要があるからですよ。夜の二時間はお見舞いついでに寄ってくれる方や食後のコーヒーを飲みに来てくれる方、各科の先生たちとかが必要としてくれますし、朝の二時間は夜通し勤務された先生たちが、ラージカップで水のように飲んでくれますし」
「ドクターたちの利用率高くない? もしかして朝晩延長してるのってドクターたちの要望だったりする?」
「はい、『朝、疲れた体に美味しいコーヒー浴びたい』とか『もう少し長く営業してくれたら、コーヒーでキュッと身が引き締まるんだけど』とか言われてしまって。嬉しいじゃないですか、そうやって求められるのって」
「求められると嬉しい?」
「はい、必要としてもらえているってことですから」
「ふぅん」
微妙な返事をして侑馬はラーメンをすする。会話が途切れたので、美乃梨も「ふうふう」を再開した。
塩も醤油も、どちらも美味しい。濃厚なのに食べやすくて、スープまで全部飲んでしまえそうだ。
ふと顔を上げると、奥さんがそわそわした様子でこちらを見ている。目が合った瞬間、指でハートを作り、声を出さないまま口が「彼氏?」と動いた気がする。
恋人同士なのかと思われているようだ。察したとたんに頬がカアッと熱くなり、何度も小さく首を横に振った。
いやな気はしないが、そんな誤解をされたら侑馬が迷惑だろう。
入店したときには店主夫妻と慣れた様子で話していたし、常連なのか親しそうだ。侑馬がひとりで食べに来た際に「彼女さんは?」などと聞かれたら困るに違いない。
「今日は十六時前からずっとひとりだったけど、十七時まではふたりか三人体制なんじゃないの? ほら、よく一緒に立ってる、近藤さんより背が高いスタッフさん。あの人も開店当時からいるよね」
敦子のことである。
「そうですね、基本、十七時までは彼女もお店にいるんですけど、本店のほうが忙しいときには今日みたいにヘルプに出てしまうんです」
「もうひとりいたような? 近藤さんより背が低い人」
佳枝のことである。
いずれも、美乃梨を基準に身長で見分けているのがちょっと面白いと感じてしまった……。
「彼女はパートさんなんですよ。早番と遅番の日があって、今日は遅番だったんですけどお子さんが保育園で熱を出したとかで、先生がヘルプで引っ張られていったあとくらいに帰ってしまって。それでずっとひとりだったんです」
「保育園……、若いお母さんなんだ? 近藤さんより年下に見えたけど」
「若いですよ、わたしより四つほど下です。四号店のパートスタッフを募集する話になったとき、『新しい店で働いてみたい』って真っ先に志願してくれた頼もしいスタッフです」
「ふぅん」
またもや微妙な返事をして、侑馬はラーメンをすする。熱さを気にせずズルズルいけるせいかペースが速い。美乃梨も「ふうふう」しつつ箸を動かした。
「でもさ……」
侑馬の声のトーンがどこか重くなった気がして、麺を口に運びながら視線を向ける。彼はなにを見るでもなく前を向き箸を顔の横で動かした。
「なんにしろ、近藤さんは労働過多気味だな。要望に応えて増やした朝の二時間と夜の二時間、近藤さんだけが担当しているだろう? 必然的に開店準備も閉店の作業も、近藤さんがやることになる。それだから帰りがこんな時間になる。小さくたって店をひとつ任されていれば責任は重いし、近藤さんはやる気があって優しいから客の要望も受け入れてくれるけど、そのぶん仕事も増えて」
侑馬の顔がこちらを向く。諭すような眼差しに射貫かれてドキッとした。
「三笠師長が怒っていた。『美乃梨ちゃんが優しいと思って、甘えすぎだ』って。一部の医局で頻繁に配達を頼むだろう? 本来、医局への配達サービスはないはずだ」
配達途中で三笠に会ったのを思いだす。三笠は内科の看護師長だ、内科は一階なので、配達のために職員用エレベーターを行き来する美乃梨を見かける機会も多かったのかもしれない。
配達サービスは本店や他の支店でも実施していない。院内に限り独自のサービスとして受けている。やると決めたのは店長としての美乃梨の判断だが、それには理由があるのだ。
侑馬の声と話すトーンのせいだろうか、説得されている気分になってきた。
怒られているのとは少し違う、言い聞かされているという感覚。美乃梨も真顔になって、箸を持ったままテーブルに手を置く。
「でも、先生方はお忙しいから、わざわざ店まで買いに来るのも大変だし、看護師さんに頼むといっても看護師さんたちだって忙しいです。うちのコーヒーを飲みたいと言ってもらえるなら、ぜひ提供したいし……」
「仕事に対する情熱が伝わってきて実にいい答えだけど、ここまで頑張れるのは別の理由がある気がしてならない。ただ仕事が好きなだけ、……ではないように思う」
「……どうして、そんなに気にしてくれるんですか?」
話しているうちに、侑馬が知りすぎていると感じてきた。
延長した朝と夜の各二時間を美乃梨がひとりで回していることや、医局への配達を引き受けていること。敦子や佳枝の姿がある時間帯など。
病院内だし常連なのでそのくらいわかるのでは、と考えることもできるが、他の常連も同じように美乃梨の状態を知っているのかといえば「ノー」だろう。
「どうして、って……」
侑馬の左手の人差し指が、美乃梨の前髪を軽く上げる。予期せぬ接触に目を大きく見開いてしまい驚きをかくせない。
「疲れた顔をしているからだよ。近藤さん、ずっと休んでないだろう? 土日も店が開いていて、そこにも近藤さんの笑顔がある。……いつ休んでいる?」
「家に帰ったときに……」
「帰宅してひと息ついたときの“休む”じゃなくて、ちゃんと一日ゆっくりできる“休日”のこと」
視線をうえにして、我ながら考えこんでしまった。
休んだのは、いつだったろうか……。
「近藤さんの笑顔はとても素敵だけれど、見えない疲労が感じられる。このままじゃ近いうち限界がくる」
「それは……先生の個人的な判断ですか? それとも、お医者さんとしての見解?」
「医者として言ってる。仕事熱心なのはいいことだけれど、自分の身体のことも考えてほしい」
「はい、善処します」
「素直だね」
「お医者様の言うことは聞くことにしているんです」
「いい心がけだ」
前髪から指が外れると侑馬の眼差しもそれていく。甘い緊張から解放されてホッとするのに、少し残念そうに胸の奥が疼いた。
「でも、それをいうなら先生だって同じですよ。わたしが毎日店に出ているって言いますけど、先生だって毎日コーヒーを飲みに来るじゃないですか。いつ休んでいるんですか」
再びラーメンに挑みつつ反撃に出る。話しているうちに幾分冷めたようで、「ふうふう」しなくても食べられる。
「俺は今日休みだった」
「ヘルプで働いていたくせに」
「事故現場の急患だ、仕方がない。というか、戸川先生が連れていかれなきゃ欠員は出なかったんだ。どうしてタイミング悪く突っかかってくるかな、あの人。いや、ね、少々融通の利かない救急救命士がいてさ」
なにかを思いだしたらしく、侑馬が軽くため息をつく。話を聞いていて、美乃梨は話題を変えたくなった。
──その、融通の利かない救急救命士に心当たりがあるからだ。
勝手に気まずい気持ちをかかえていると、スカートのポケットでスマホがブルブル震える。こっそりチラ見するとタイミングがよすぎるとしか言いようがない“融通の利かない救急救命士”からメッセージが入っていた。
〈まだ帰っていないようだけど、どうした?〉
融通の利かない救急救命士、島崎克己(しまざきかつみ)は美乃梨の従兄である。
八歳年上の三十二歳、幼いころからなにかと世話を焼いてくる。父が亡くなって母が実家に戻る選択をしたとき、美乃梨は就職先を決めたばかりだったのでひとり暮らしを決めた。
心配する母を説得してくれたのが克己である。今では美乃梨の保護者的存在だ。
マンションが近いことから、通りすがりに美乃梨の部屋の照明が点いていないことに気づき留守を察したというところか。
トートバッグのなかを見るふりをして〈ご飯食べてる〉とひとことだけ返す。ハンカチを手に取り、口を拭くふりをしてごまかした。
「ああ、でも、うちの病院は医師も看護師も職員も、休みや勤務時間がしっかりと決められているから過重労働とは無縁だよ」
「働きやすい、いい病院ですよね」
知ってますよと胸の裡で呟きながら笑顔を向ける。よかった、侑馬のほうから違う話題に入ってくれた。
医者の長時間労働問題を耳にする機会も多いなか、天空中央病院は合理的なシフトと配置でそれを回避している。
決められた日に休み、決められた時間で働く。今回の侑馬のように、やむを得ないヘルプが回ってくることもあるようだが稀である。
天空中央病院の就業体制はよく知っている。父のころからずっとそうだ。
だから父も、家族とすごす時間が普通にあったし、美乃梨と遊んでくれたり勉強を教えてくれたり、とてもかわいがってくれた。
普通に医師として勤務していれば、災害現場で命を落とすようなことはなかっただろうか……。
「でも……、先生のお仕事内容は危険を伴うことだってあるし、だから、気をつけてくださいね」
意識しないまま声のトーンが落ちていた。そのせいだろうか、侑馬の箸が止まり顔がこちらを向く。
大げさだと笑われてしまうだろうか。職場を褒める明るい話題だったのに、いきなりのトーンダウンだ。普通はこんな方向に話を持っていかないだろう。
父のことがあるから。つい心配が先に立ってしまった。
「ありがとう、気をつける」
言わなくてもいいことを言ってしまったのではと翳った心に、侑馬のひとことで光が射す。
「近藤さんは優しいな。特別感のある仕事でカッコいいとか羨ましいとか言われたことはあるけど、一般の人に『危険を伴うから』なんて言われたのは初めてだ。まるで現場を知っているみたい」
「そ……うなんですか? でもほら、事故現場なんかにも向かうじゃないですか。だから、危険なこともあるんだろうなって」
「うん、それは間違いじゃない。気をつけるよ」
一瞬、父がフライトドクターだったことを言ってしまおうかと思った。
けれど、もし侑馬が父のことを知っていたら気を使わせてしまう。
「そうですよ、先生になにかあったら、懐いている子どもたちが泣いちゃいます」
「近藤さんは泣いてくれないの?」
「なにかある前提で話さないでください」
アハハと笑い合っているうちに話はそれていく。ホッとしつつ、もし侑馬が父のことを知っていたら、共通の話題ができたのにと、すこし……残念だった。