17歳と40㎝差の純情 スパダリ社長と偽装婚約したら、とろ甘溺愛生活が待っていました 2
──小雪が所属する東京第六営業所はこのビルの十一階の一角にある。
白と青を基調とした清潔感のあるオフィスで、デスクが規則正しく並んでいる。
その中でもまだ下っ端の小雪の席は、一番出入口に近いエリアの右端にあった。
「ただ今戻りました」
他の営業は皆外回りに行っているのか、社員はパラパラとしかいない。
その中でも同じく営業の、かつて指導員だった先輩社員、金田にすぐに声を掛けられた。
「おお、沢井。イケイケスーパーどうだった?」
「はい、発注数五単位増やしてもらいました。前のキャンペーンで結構売れたみたいで」
「マジか。いやー、お前はやっぱりやる女だな」
「って、実はあの商品、色やデザインが秋っぽいからか、今の時期よく売れるんですよね。だからだと思います」
「と言っても、五単位まで増やせたのはお前の実力だろ」
スーツのポケットから小袋を取り出す。
「ほら、これやるよ。お前、レーズン好きだっただろ?」
金田は手の平にひょいとお菓子を乗せてくれた。
「あっ、これ、発売されたばかりのツルカメ製菓の新商品ですよね」
「やっぱりもうチェック済みか~」
「彼を知り己を知れば百戦殆からずって言いますからね。他社製品と自社製品の分析は必須ですよ」
「お前、こ……。……。うん、たまに深いこと言うな」
「あはは、子どもみたいなのにって言おうとしたんでしょ? これでも身も心も立派な大人ですから」
この第六営業所は──というよりは、ニタカ製菓は非常に働きやすい職場だ。
なぜなら、パワハラとセクハラに対して厳しく、コンプライアンス部に通報があれば即座に対処してくれる。この方針は鷹人の代から取られていると聞いた。
相手の容姿について言及するのも禁じられているので、小雪もコンプレックスだった容姿について何か言われたことはあまりない。
言われたところで以前よりは気にならなくなっていた。だから、金田が先ほどのように口にしかけても軽く受け流せている。
こうしたありがたい環境のおかげで、小雪は本来の明るく活発な性格を取り戻しつつあった。
「あ~、悪い、悪い。詫びにこれやるよ」
金田は今度はスナック菓子をまるまる一袋くれた。パッケージからして海外産なので、国内で購入したのだとすればそう安くはなかったはずだ。
「えっ、悪いですよ」
「いいから、いいから。こういう時は大人しく受け取っておけ」
断るのはかえって失礼だ──そう判断した小雪は、言われた通りに素直にもらって礼を述べた。
「じゃあ、いただきます」
「そうそう、お前はそれでいいんだよ」
何がどういいのかは不明だが、ひとまずこれらの菓子で小腹を満たせそうだ。しかし、スナック菓子は一人では食べきれないビッグサイズである。
小雪は自分のデスクに腰を下ろし、斜め前の席の同僚、高本紗理奈に声を掛けた。
「高本さん、今大丈夫?」
紗理奈は小雪の同僚である。同じくもうじき二十六歳になる。二年前総務部から異動しており、現在第六営業所で営業事務を担当していた。
紗理奈は小雪から見ても魅力的な女性だった。
柔らかそうなふわふわのボブヘアに、ピンクメイクの似合う女性らしい顔立ち。ちょうどいい身長かつ華奢でありながら、出るべきところはしっかり出ている肢体。
さぞかしモテているのだろうなと思わせる。それも、変態御用達の自分とは違って、一般的な感覚のまともな男性にだ。そこが羨ましい。
また、モテていそうというだけではなく、誰に対しても親切である。
よって、小雪も紗理奈に好感を抱いていたし、この二年間仲良く仕事をやってきたつもりだった。
「……」
「高本さん?」
──ところが、なぜか無視されたので首を傾げる。
(聞こえなかったのかな?)
「高本さん、今大丈夫?」
ようやく紗理奈がくるりと振り向いた。薄茶のふわふわの髪がふわりと揺れる。
「なぁに、どうしたの」
声が小さく聞こえなかっただけらしい。
小雪はほっとしてスナック菓子を見せた。
「金田さんにこれもらったの。一緒に食べない?」
「それ、ポテトチップス?」
「ポテトじゃなくてコーン? 多分タコス系じゃないかな」
紗理奈は「あ、ごめーん」と肩を竦めた。
「今ダイエット中なの。沢井さん一人で食べてくれる?」
一体紗理奈のどこに痩せる必要があるのか──そう感じたものの、それこそ容姿に言及したセクハラになるので何も言わずにおいた。
「わかったわ。ほしくなったらいつでも言ってね」
「……ねえ、沢井さん」
紗理奈からの返事が来る前に、金田が席から立ち「おーい」と叫ぶ。
その声にすぐさま紗理奈が反応した。
「はい、金田さん、なんでしょう?」
「あ、違う、違う。高本さんじゃなくて沢井の方」
小雪はデスクに手をついて腰を上げた。
「はい、金田さん、どうしましたか」
「お前今から有楽町のドラゴンデパートまでついてきてくんない? 今回だけでいいからさ」
「えっ、でも私担当じゃないですよね」
「ほら、指導してた頃一度だけ連れて行ったことあっただろ。あの時店長の奥さんがいたんだけど、お前のこと気に入ったみたいでさあ。今夜会食があるんだけど、沢井さんも一緒にって言ってるんだよ。付き合ってやってくれないかな」
「えっ、でも……」
「ちゃんとお前の分も経費で落とすようにするからさ。中華嫌いじゃないだろ?」
「わかりました」
それくらいで仕事がやりやすくなるならと承諾する。
「高本さん、すみません。上野のイケイケスーパーさん分の発注をお願いしてもよろしいでしょうか」
「……わかったわ」
紗理奈の声がワントーン低くなったのには気付かなかった。
「おーい、沢井行くぞー」
「はーい」
「ああ、そうそう。結構高い店だから、服はスーツのままでいいけど、ちょっと化粧直してこい」
「えっ、どこなんですか」
「『桃香』ってところ」
「高級どころか超高級じゃないですか……」
「まあ、なんでもいいから、ホラホラ!」
金田に急かされ慌てて後を追う。
そのせいで自分の背中を見つめる紗理奈の眼差しが、嫉妬でギラギラしていたのも察せなかった。
***
仕事で疲れているのか、最近夢見が悪い。
昨日などは学生時代ストーカーされた夢を見た。
夢の中の男性たちは皆高圧的で、『お前はどうせ何もできないんだ』と迫ってくる。あるいは、『小雪ちゃんは何もしなくていいからね』か。いずれにせよ、小雪を性癖と性欲解消のためのドールのように見なしていた。
小雪は頭を横に振り、脳裏からトラウマを追い出そうとした。
しかし、うまくいかない。
(大学を卒業してもう何年も経っているのに)
社会人になってからはコンプレックスを逆手にとって仕事を頑張り、その成果を認められることでトラウマを払拭したと思い込んでいた。
だが、あの頃に受けた心の傷はまだ完治したとは言えないようだ。
電源の落とされたパソコンのディスプレイには、二十五歳を超えても相変わらず子どもっぽい顔が映っている。
(高校時代や大学時代の友だちは……皆彼氏がいたり結婚したりしているのに)
自分だけが足踏みしている気がして心細くなる。
(いけない。今日は午後から大切な訪問があるのに)
デスクに手をついて立ち上がる。
一階のコンビニで何かお菓子でも買い、糖分を補給して気合いを入れるつもりだったのだ。
「そうだ。高本さん。高本さんも何かいる? 私、下のコンビニに行くんだけど」
「……ううん、いい」
紗理奈の声はいつもより元気がない。
なんとなく気になり、「大丈夫?」と声を掛けてみた。
「体調が悪いなら医務室に行った方がいいよ。今日だったら多分早く帰っても大丈夫だと思うし」
「……違うの」
紗理奈は溜め息を吐いて顔を覆った。
「えっ、どうしたの。何か困ったことがあったの? 私でよければ力になる」
「……元カレに復縁してほしいって迫られてて」
「えっ」
「何度も断ったんだけど聞いてくれなくて……」
他人事ではなかった。
小雪も同じような経験をしていたからだ。
男性たちは、小雪がいやだ、そんなつもりはなかったし、こんな人だとは思わなかったと拒んでも『じゃあ、やらせろよ』と繰り返した。『減るもんじゃないだろ。つか、お前何様のつもり?』と。
「……」
小雪はぐっと唇を噛み締めた。
「警察には相談した?」
「ううん。あんまり大事にしたくないの。それで、今夜話し合いの予定なんだけど、一人で行くのが怖くて……」
「行かない方がいいよ」
「前もそうしたら、家にまで押し掛けてきたの。だから……」
相手はストーカーたちと同じタイプらしい。思い通りにならなければ脅す──そんな輩だ。
放ってはおけなかった。
「高本さん、私も一緒に行こうか」
「えっ、でも……」
「話し合いはどこでするの?」
「T駅地下の喫茶店で……」
人がいる場所での話し合いなら、無理無体を働かれることはないはず。
「誰かが一緒にいた方がいいと思うの。一人でも他人が同席すると、人ってそんなに無茶な要求はできないから」
「……沢井さん、なんだか対応し慣れてるね」
指摘されてギクリとしたが、気付いていないふりをした。
「なんて喫茶店か教えてくれる? 店の前で待ち合わせをして……相手の名前も教えてくれる?」
紗理奈から相手の個人情報を聞き出し、スマホのメモに書き留めておく。
「じゃあ、夜八時十分前に喫茶ヴェネツィアの前でね」
「ええ……本当にありがとう」
涙を浮かべた紗理奈は弱々しく、泣いてばかりだった頃の自分を思い起こさせた。
だから、あんな目に遭うまで、彼女を疑いもしなかったのだ──。
──まだ帰宅ラッシュが続いているようで、地下道では仕事帰りと思しき人々が忙しなく行き交っている。
(確かこの辺り……)
小雪は辺りを見回した。待ち合わせ場所の喫茶店を発見し、続いて紗理奈の姿を探す。
それから五分待ってもまだ彼女は来ない。SNSにメッセージを入れても、電話をかけてもなしのつぶてだった。
(おかしいな。話し合いに遅れたら、相手がまた怒るんじゃ)
スマホの画面から顔を上げる。すると、同じタイミングで男性に声を掛けられた。
「小雪ちゃん!? 小雪ちゃんだよね!? うわあ、そのまんま!!」
いきなり名前を呼ばれて困惑する。
「あ、あの……」
五十代くらいの小太りの男性だった。スーツとブルゾンがパンパンになっている。
取引先でもこんな顔は見かけたことはないし、プライベートでもこれほど年上の男性との付き合いはない。
わけがわからず困惑したまま立ち尽くしていると、男性は「すぐわかったよお」と満面の笑みを浮かべた。
「す、すぐわかったって……」
「だってホラ!」
スマホの画面を向けられ目を見開いた。
(何……これ……)
画面には自分の写真が映し出されていた。
正面を向いて笑っている顔や、トイレと思しき場所で化粧直しをしている横顔や、ファミレスで昼食を取っているところなどだ。
「なっ……」
一瞬にしてパニック状態に陥る。
(知らない。私、こんな写真知らない!)
しかも、写真の上部には『××ANGEL』とのロゴが見える。一度も使ったことはないが、まさかマッチングアプリという代物ではないか。
小雪はもちろんそんなところに登録したことなどない。痴漢やストーカー被害に遭い続けたことで、恋愛が恐ろしくなっていたからだ。
なのに、なぜ自分の名前と容姿を知られているのか。
「写真のまんまだよねえ。可愛いなあ。十八歳だっけ? あれ? でもなんでスーツなんて着てるの?」
「……っ」
男性は小雪の胸をまじまじと見下ろした。
「うわ、ちゃんとおっぱいあるんだね。貧乳じゃないんだ~。うん、ほんと俺のドストライクだよ。さ、行こう行こう」
「あ……あ……」
断りもなく手首を掴まれてしまう。逃げ出したいのに振り払えない。それどころか、体が凍り付いたように動かない。
やっとの思いで出た一言がこうだった。
「や……め……てくだ……さ……」
それも途切れ途切れで意味を成さない。
「えっ、今何か言った?」
「……っ」
「まあ、いいや。早く行こう。もう部屋は取ってあるからさ。あっ、そうそう。残金は後払いでいい?」
ズルズルと引っ張っていかれる。男性は興奮しているのか、グイグイと小雪の腕を引っ張った。
なのに、痛いとも訴えられない。
助けを求めて通行人に目を向けるが、皆見向きもせずに足早に前に進むばかりだった。
最寄りのエレベーターに連れ込まれ、二人きりになってしまう。
「フェラもアナルもオッケーって言ってたよね。実は今日は特別なオモチャも持ってきたんだ。小雪ちゃんも気に入ると思うよ」
小雪の全身に鳥肌が立った。
「ち、ちが……」
「えっ、駄目? そんなこと言わないでよお。これから長い付き合いになるんだからさあ」
「──一階改札、一階改札です」
エレベーターが地上階に到着し、扉が案内のアナウンスとともに開く。
次の瞬間、小雪は思いがけない人物を目にして息を呑んだ。
「しゃ、ちょう……?」
トレンチコート姿の男性が向こう側で立ち尽くしている。
「沢井さん……?」
間違いなく二藤鷹人その人だった。
「社長っ!!」
ようやくまともに声が出た。
小雪は無我夢中で助けを求めた。
「たっ……助けてっ……」
小太りの男性が慌てて小雪を引き戻す。
「ちょっと小雪ちゃん、何してるんだよ」
鷹人がすかさず小雪のもう一方の手を掴んだ。
「おい、お前何し──」
鷹人のチョコレート色の双眸が男性を睨め付ける。更に低い、重みのある声がずしりと頭上に伸し掛かった。
「この子は俺の……。……。……俺の会社の社員だ。貴様は一体何をしている」
小雪ですら恐ろしいと感じてしまう声音だった。
あの優しくフレンドリーな鷹人のどこからこんな声が出てきたのか──。
鷹人の迫力に気圧され、小太りの男性が一歩後ずさる。
「な、なんだよ。この子とは今夜約束があるんだよ。もう前金は払ってあるんだから文句言うなよ!」
それでも鷹人が鋭い目のままなので、自身の正当性を証明しようとしたのだろう。ブルゾンのポケットからスマホを取り出し、今度はアプリでのメッセージのやりとりを鷹人に見せ付けた。
「ほら! もう金出してるだろ!? だから、邪魔するなよ!!」
「し、知りません……!」
小雪はギュッと目を閉じ、首を横に何度も振った。
「私、約束なんてしていません! お金なんて受け取っていません……!」
必死だった。
ショックでゴチャゴチャに混乱した頭でも、どう誤解されているのかはなんとなくわかった。マッチングアプリを使って売春したと思われているのだ。
そんなことは絶対にしない。できるはずがない。だが、果たして鷹人は信じてくれるのか──。
小太りの男性はなおも言葉を続けた。
「この女はそういう女なんだよ。なんだよ。まさかあんたも約束してたわけ? ダブルブッキング?」
「……黙れ」
「俺に金払うなら譲ってやってもいいよ。なんだったら3Pでも──」
「……黙れと言っている」
鷹人は小雪の肩に手を回し、ぐいと自分側に引いた。
「あ、おい、ちょっと!」
男性は鷹人に抗議しようとして、その目を再度見てヒッと絶句した。
鷹人はそんな男性を見据えながら、もう片方の手で懐からスマホを取り出した。
「本来なら殴り殺したいところだが……代わりにこの場で社会的に抹殺してやろう」
「えっ……それは……」
「勤め先に知られたくなければとっとと立ち去れ。二度とこの子に近付くな。もし近付けば……」
「わ、わかったよ……!」
男はエレベーターのスイッチを連打した。扉が閉まり昇降機がみるみる下りていく。
(こ、怖かった……)
小雪は全身から力が抜け落ちるのを感じた。
「おっと」
くずおれそうになったところを、鷹人の腕に支えられる。
「大丈夫か」
「は……い……」
「……大丈夫じゃなさそうだな」
鷹人は小雪をそっと抱き寄せた。
広く厚く温かい胸だった。
「しゃ、ちょう……」
「もう安心していい。あの男は二度と来ないから」
「……」
小雪はギュッとトレンチコートの生地を握り締めた。
(あ、駄目……)
泣いてはいけないと思うのに、目の奥から熱いものが込み上げてくる。
「ご、ごめんなさい……」
「君が謝ることは何もないだろう」
もう限界だった。
「……っ」
気が付くと小雪は鷹人の胸に顔を埋め、小さく声を上げて泣きじゃくっていた。
そして、その間鷹人はずっと背中を撫でてくれたのだった。