インフィニティ・ラブ 好感度メーターがぶっちぎりのわんこ系後輩に死ぬほど執着されてます 1
好感度──それは対象に対して、人が抱く「良い」「好ましい」と感じる度合いのことである。
ぐるりと周囲を見渡してみる。
オフィスで働いている人たちの頭の上に浮かんでいるのは、白、緑、青、紫、ピンクといったカラフルな横一本線のメーターだ。そのメーターには、30とか50とか、ひとりひとりまちまちの数字が浮かんでいて、メーターとリンクしている。
これらはすべて、水無瀬小夜(みなせさよ)に向けられる好感度をあらわしているメーターだ。
白は他人、緑は知人、青は友情、紫は尊敬や憧れ、オレンジ寄りの黄色は肉親の情を、そしてピンクは恋愛感情を──それぞれ意味している。
つまり、白色の30なら無関心な他人。対して愛情いっぱいの小夜の両親は、いつだって陽だまりのような優しい黄色の99。好感度メーターの数字が100に近ければ近いほど、その人は小夜に対して高い好感度を持っていることになるのだ。
これが小夜の見えている世界──
小夜が仕事をひと区切りつけてノートパソコンをスタンバイモードにしていると、同僚の里見美穂(さとみみほ)と三宅智(みやけとも)がやってきた。同期入社で同い年の二十六歳。同性ということもあって、入社当時から仲良くしている。ふたりとも同じ営業部だけれど、小夜だけ第一営業部で、ふたりは第二営業部だ。デスクの島は違うけれど、昼休みになるとこうしてランチに誘いに来てくれる。
「お疲れ~小夜。ランチ行こ~っ」
「お疲れさま。うん、行こ」
頷くのと同時に、ふたりの頭の上の好感度メーターにさっと目を走らせる。これはもう小夜の習慣だ。
里見は青色の60。友達として高い好感度を維持している。対して三宅は──
(えっ、青色45!?)
今朝見たときは、青色の55くらいはあったはずなのに! 突然10も減った好感度に密かにショックを受ける。
好感度メーターはどの色も50が基準値だ。好感度が50を割り込むと、人間関係にまで悪影響が出てくる。人は好感を持っていない人と日常会話はしないし、頼み事だって聞いてはくれない。小夜はそれを経験的に知っていた。
(どうしたんだろ……わたし、なにかしたかな……?)
振り返ってみるけれど、好感度が大幅に下がるような心当たりはまるでない。
落ち着かない気持ちを味わいながら社員食堂に来た小夜は、A定食を注文した。
三人で円卓を囲みながら、そっと探りを入れてみる。
「ともちんどうしたの? なんか元気ないね?」
三宅は一瞬視線を合わせてくれたが、「はぁ……」とあからさまなため息を吐いて目を伏せ、味噌汁の具を箸で突いた。
「……提案書……またやり直しって言われちゃった……もう五回目」
「それはショックだね……」
「次頑張ろ」──そう、言おうとしたとき、三宅は目を伏せたまま小さく呟いた。
「……小夜の提案書は通ったんでしょ? いいなぁ……」
「…………」
きゅっと唇を引き結び、奥歯を噛み締める三宅を見て合点がいった。好感度メーターの急降下の原因はこれか。小夜と三宅が同時期にそれぞれ提案書を作って提出したのだが、小夜のは通って、三宅のは突き返された。それが彼女は気に入らないのだ。つまり嫉妬心。でも、好感度メーターの色がまだ鮮やかな青色なので、彼女は小夜に対して悪感情は持っていない。人は悪感情を持つと、好感度メーターの色に黒が混じって濁っていくのだ。
「はぁ……」
三宅が二度目のため息を吐くと、里見がポンと彼女の肩を叩いた。
「気にしない気にしない! 小夜だってあれで何度も直し入れてたよ。そーゆーもんだって!」
「そうだよ。それに、わたしは今井(いまい)主任、ともちんは渡辺(わたなべ)主任じゃない。渡辺主任って特別厳しいんでしょ? ほら、今井主任は放任主義だから」
提出先が違うんだと懸命にフォローを入れてみる。
「うん……」
ピピピッ。三宅が頷くのと同時に、好感度メーターの数字が45から48まで上昇する。それを見て、小夜は少しほっとした。
小夜にこの好感度メーターが見えていたのは、子供の頃から。物心つく頃にはもう見えていて、当然の如く、誰もが見えているものだとばかり思っていた。だが、そうではないとはっきり気付いたのは小学校低学年のとき。当時、同じクラスだった女の子が人間関係に悩んでいたときに、
『好感度の高い人とだけ仲良くすればいいじゃない』
と、軽い気持ちでアドバイスしたら、
『そんなことがわかったら苦労しないよ』
と、返ってきて、そこで初めて他の人にはこの好感度メーターが見えないのだと気付いたのだ。
どうして自分だけがこんなものが見えるんだろう? 人と違うことに不安になったり、能力自体を疎ましく思ったりしたこともあったが、正直、この好感度メーターは便利だ。人から自分がどう思われているのかがひと目でわかる。上っ面な言葉なんかより断然信用できる指針なのだ。
関心の薄い白色からはじまった人が、知人の緑になり、友情の青になる──そうした色の移り変わりは人間関係が円滑に育まれている証拠で安心する。数値が高くなれば話も弾むし、居心地もいい。みんなが優しくしてくれる。逆にいくら会話を積み重ねても好感度が上がらない人とは、簡単なことだ。関わり合いにならなければいい。控え目に言ってご縁がなかったということだろう。
でも、小夜がなにもしていないのに最初から好感度が高い人もいる。そういう相手は逆に要注意だ。大抵色も濁っている。いや、濁っていないのに変な人もいる。俗に言う好意の押し付けというやつだ。好感度が低くて意地悪する人もいるにはいるが、あまり数は多くない。無関心な相手に対して、大抵の人は関わりを持とうとはしないからだ。
小夜にとってこの好感度メーターは、人を見極める大切なバロメーターとなっていた。
食事を終えた小夜は、トレイを返却しながらふたりを振り返った。
「まだ時間あるし、わたしコンビニ行ってくる」
「そう? じゃあ、私たち先に戻るね」
里見と三宅と別れ、小夜はひとりオフィスの外に出た。コンビニは横断歩道を渡った先にある。ほんの二、三分で行ける距離だ。すぐだからと、ネームタグも付けたままコートも羽織らず小走りでコンビニに入る。最近気に入っている飴を仕事のお供に選び、ついでにチルドカップのキャラメルラテも手に取った。
(ともちんにラテをご馳走してあげよ。元気出るかも!)
三宅の好感度メーターの急落は、気落ちから来ているものだと思う。人は自分と他人をあれこれ比較して、勝手に気落ちして無意識に他人を嫌うものなのだ。こういう経験は何度かある。ある意味、健全な心の動きとも言えるだろう。彼女の好感度メーターは小夜からの働きかけでまた上がるはずだ。
買い物をしてコンビニを出て、小袋を揺らしながら、五、六人の列の後ろのほうで信号が変わるのを待つ。
この辺は駅近のオフィス街だが、道路をもう一本行った先には商店街もあって、サラリーマン以外にも人通りは多い。赤ちゃんを乗せたベビーカーを押しながら三歳くらいの男の子の手を引いて歩く母親が前を横切っていく。四月の初め。少し肌寒い中、小夜はカーディガンの袖をちょっと引っ張って指先を隠した。
そのときだった。ついさっき目の前を通り過ぎた男の子が、突然母親の手を振りほどいて車道に飛び出してしまったのだ。
「あっ!」
子供の思いも寄らない行動に誰もがハッと息を呑んだ瞬間、ノンストップで走ってきたタクシーが男の子に向かって──
ドンッ!!
最悪を想定して思わず目を瞑る。明らかに車と接触したとわかる鈍い音がして、小夜は恐る恐る目を開けた。
「うわ~ん!」
男の子の泣き声がそこら中に響き渡って、辺りが騒然とする。
信号待ちをしていた幾人かがその場を離れ、小夜の前が拓かれる。目の前に道路に倒れた二十代半ばの青年と、彼に抱えられた男の子が見えたとき、咄嗟に身体が動いた。
「大丈夫ですか!」
男の子を引き起こし、怪我の具合を見る。青年にしっかり抱き締められていたおかげか、男の子にこれといって怪我は見当たらない。痛みで泣いているというよりは、パニックになっているのだろう。遅れて駆け寄ってきた母親に泣きじゃくる男の子を渡し、小夜は倒れている青年に目をやった。
ダークグレーのトレンチコートを羽織った彼は、中はセーターを着ていてラフな格好だ。パッと見る限り、どうやらサラリーマンではないらしい。繁華街に来た大学生だろうか?
「うう……」
頭を道路に叩き付けたのか、左側の額から血をどくどくと流している。
「大変!」
小夜はすぐにポケットからハンカチを出すと、血の噴き出す彼の額に押し当てて、上から圧迫止血を試みた。ハンカチが見る見るうちに真っ赤に染まっていく。早く救急車を呼ばなくては。でも今は手が離せない。
顔を上げた小夜は、咄嗟に野次馬を見渡した。お昼の時間帯のせいか、昼食に出てきたサラリーマンやOLが多い。
(白20、白15、紫55──……)
「そこの眼鏡のお兄さん、救急車を呼んでください! 隣のお姉さんは警察に通報を!」
野次馬の中から特に好感度の高いふたりを指名して頼む。すると好感度メーターの色が紫(尊敬)になっていたふたりは、すぐに頷いてスマートフォンを出してくれた。
小夜は再び青年に声をかけた。
「しっかりしてください! 今、救急車が来ますからね? 気を失っちゃダメですよ!」
「う……あ、はい……つぅ……!」
痛みで顔をしかめてはいるが、意識はありそうだ。ただ、出血が多い。頭の怪我は血が多く出るとは言うが、正直怖い。こんなに血が出て大丈夫なんだろうか。
小夜は彼の頭を押さえながら、なおも懸命に話しかけた。
「あなたが庇った男の子は無事です。怪我もなさそうです。あなたのおかげです。ありがとうございます」
「あぁ……それはよかった……咄嗟に身体が動いちゃって……」
ほっとしたのか、痛みに歪んでいた青年の表情が少し緩む。そしてゆっくりと瞼が開いて、栗色の瞳と目が合った。
「あ……」
目が合ったのと同時に、青年の頭の上に好感度メーターの枠がブオンと浮かぶ。
そして──
ピッ
ピッ
ピッ
ピ──────!
ギュィィィィィィイン! と驚くほど鮮やかな赤いメーターが伸びて伸びて伸びて……パアァン! と枠をぶっちぎって、それでも伸びて限界突破していくではないか!
(えっ、赤色!?)
そして本来数値が表示されているところに高速点滅するのは、見たこともない∞のマーク。
いつもと違う好感度メーターの様子に、小夜は呆気に取られて固まった。それと同時に、青年がガバッと上体を起こす。
「…………」
「…………」
そのままお互いなにも言わずに見つめ合うこと三秒。彼は目を見開いたまま、血に染まった小夜の手を握ってきた。
「名前教えてください」
「えっ?」
驚いたのも束の間、彼の頭からぴゅーっと血が噴き出してきて、小夜は慌てて押さえた。
「わぁあ! 横になって! 横になって! 起き上がらないで!」
再び彼を横にならせ、傷口にハンカチを押し当てて圧迫止血する。
「あ、あの! 名前を! 名前を教えてください!!」
「そんなことより落ち着いてくださいっ! 興奮すると血がまた出ちゃうから!」
「あ、はい、すみません! ああ、でも、名前、あなたの名前を……! どうかっ……!」
そんなに何度も懇願されると小夜としても困る。意識があるのはいいことだが、そんなに興奮しないで、今はとにかくじっとしていてほしい。でも彼は、小夜の手を離さずに必死に何度も叫ぶのだ。
「お願いします! 名前を──」
「水無瀬ですっ! 水無瀬小夜!」
「小夜さん……」
小夜が名前を教えると、青年は途端におとなしくなって噛み締めるように呟く。そのとき、ようやく救急車のサイレンが聞こえてきた。
「あっ、救急車が来ましたよ! もう大丈夫ですよ! ──ここでーす! 怪我人はここです!」
到着した救急車から隊員がわらわらと降りてきて、瞬時にストレッチャーを出して青年を乗せる。
圧迫止血に使っていたハンカチは青年の額に押し当てたまま、小夜は救急隊員と止血を交代した。
「小夜さんっ!」
ストレッチャーを救急車に運び込んでいる最中に上体を起こした青年が、額を押さえられながらも大きく手を振ってくるではないか。
「小夜さん、あの、ハンカチありがとうございます!」
今にもストレッチャーから落ちそうなその姿に小夜はぎょっとした。
「そ、そんなこといいから、ちゃんと横になってくださいっ! 早く病院に行って!」
ピーポーピーポーピーポー──……
青年を乗せた救急車が、サイレンを鳴らして去っていく。
(あの人大丈夫かな?)
ストレッチャーから起き上がれるくらいは元気そうだったけれど。頭の怪我は簡単に見積もらないほうがいいかもしれない。
(名前教えちゃった……)
興奮していた彼を落ち着かせるためだったとはいえ、知らない人に名前を教えるなんて、ちょっと軽率だったのでは? でも、子供を庇うくらいの人だ。悪い人ではないはずだ。もう会うこともないだろうし。
それより、あの人の好感度メーターはどうなっていたんだろう? みんな枠にメーターが収まっているのに、あの人だけ枠を突き抜けてメーターが伸びていた。しかも色は──
(真っ赤だったな、あの人)
好感度メーターは色によって向けられている感情がわかる。
白は他人、緑は知人、青は友情、紫は尊敬や憧れ、オレンジ寄りの黄色は肉親の情を、ピンクは恋愛感情を、そして赤は──恋愛感情を超えた強い愛情を示している。
(あの人、わたしのこと好きってこと……だよね……?)
好感度メーターは嘘を吐かない。それは経験上よくわかっていることだ。
状況から察するに、たぶん、おそらく、彼は、手当てをした小夜に一目惚れしてしまったんだろう。
(吊り橋効果みたいな感じかな?)
ああいう特殊な状況だったのだ。彼は怪我もしていたし、事故のドキドキを、愛情のドキドキと勘違いしてしまった可能性は大いにある。そうじゃないと、あんな枠を突き抜けるメーター表示になんかにはならないだろう。
(∞って、無限大ってことだよね? 100より上、あるんだ……好感度メーター)
ずっと100が最大値だと思っていた。でも無限大……特殊な状況だったとはいえ、一瞬でもあんな無限大の想いを寄せてもらえただなんて……ちょっと嬉しい。
(無限大の愛情か……そんな感情をずっと向けてもらえるなら……幸せになれそう……)
ふとそんなことを思ってしまったが、瞬時に冷静になる。
好感度メーターは日常的に上下するのだ。
些細なことで、簡単に……
かつて、鮮やかな赤色90の気持ちをくれていた男が、あっと言う間に白色30にまで落ち込んだことを思い出し、小夜は唇を引き結んだ。
(あんなの……一瞬よ……)
そう、きっと一瞬だ。
たとえ一瞬でも、あんな強い感情を向けてもらえたことを喜ぼう。
「遅いっ!」
昼休みを三十分ほど割り込んでオフィスに戻った小夜を待っていたのは、今井主任からの一喝だ。あのあと警察も来て、小夜も目撃者として軽く証言をするはめになったのだ。それで戻ってくるのが遅れてしまった。
「申し訳ありません! 実はコンビニの帰りに目の前で男の人が車に撥ねられて、怪我してて、ほっとけなくて、それで──」
しどろもどろになりながら事情を説明すると、今井主任はくわっと身を乗り出してきた。
「なにそれ! 事故!? 男の人イケメンだった?」
「え?」
なにを言われたのか理解できず、咄嗟に聞き返すと、今井主任は好奇心に目を爛々と輝かせニンマリと笑った。
「その事故に遭った彼よ! イケメンだった? 事故に遭った青年と介抱してくれた女の子の運命的な出会い! いいじゃない! ドラマよ!」
今井主任は御年三十五歳。結婚しているがかなりミーハーな女性だ。仕事もなんでも任せてくれる放任主義。でも責任はしっかり取ってくれる肝っ玉姐さんだ。ちなみに、好感度メーターは緑の55。小夜のことは部下としてそれなりに信頼してくれているらしい。
小夜は苦笑いしながら首を捻った。
「さ、さぁ? 正直お顔が血まみれでよくわからなかったです」
「なーんだ。残念」
小夜の答えにガッカリしたようで、「戻っていいよー」と解放してくれた。
デスクに戻った小夜を待っていたのは、昼休みに食堂で別れた里見と三宅のふたりだ。
「全然戻ってこないから心配したよ。事故見ちゃったんだって? 大変だったね」
里見の声に肩を竦め、椅子に座った小夜は「はぁ」っと小さくため息を吐いた。
「びっくりしちゃった。知らないフリして帰るわけにもいかなくて……ごめんね、心配かけて。ありがと」
小振りの買い物袋を机に置いて、中から取り出したキャラメルラテを小夜は三宅に差し出した。
「はい、ともちんにお土産。これ飲んで元気出してね」
「えっ、もしかして、これ買いに行ってくれてたの? ありがとう!」
「うん」
驚きながらも嬉しそうにキャラメルラテを受け取った三宅の好感度メーターが、ピコンと一気に58まで上がったのを見て、小夜はほっと息を吐いた。ラテくらいで、下がった好感度が再び上がるなら安いものだ。仕事のことは抜きにしても、ふたりとは今後とも仲良くしていきたいと思っている。これは必要経費だ。
好感度メーターの上がり下がりに振り回されているとわかりつつも、小夜は好感度メーターが気になって仕方ない。見えているのだから当然だ。そしてせっかく見えているのだから、円滑な人間関係のためにも利用したほうがお得だとも思う。だから好感度メーターがちょっとでも下がると、こうやって上げるための行動を取ってしまう。これは小夜の本能だ。
「あ、小夜、袖に血が付いてるよ?」
「えっ?」
里見に指差された左手の袖を見ると、オフホワイトのカーディガンにちょっぴり血が付いていた。さっき手を洗ったときには気付かなかったのに。
「きっと事故で怪我した人の血だ。付いちゃったのかも。ちょっと洗ってくるね」
「それがいいね。早く洗えば取れるかもよ」
小夜はトイレに入って血の付いた箇所を丁寧に摘まみ洗いした。そんなに時間が経っていないせいか、すぐに取れる。
手洗い場の鏡に映った自分の顔を見て、小夜は長い黒髪を手櫛で梳いた。
端的に言って、小夜は好感度の高い容姿をしていると思う。長いストレートの黒髪に、派手すぎず地味すぎず、あらゆる年齢層からウケのいい清楚なメイク。服装だって気を遣っていて、ボウタイのデザインシャツにフレアスカートという清潔感のある出で立ち。体形もスレンダーとは言わないが、ぽっちゃりでもない平均的な中肉中背。それもこれも全部、好感度メーターを意識した結果だ。高い好感度になるかは人それぞれだが、少なくとも好感度メーターがいきなりマイナス値になることはない。そんな容姿。まぁ、特徴がないとも言える。
濡れた手を拭こうとしてハンカチがないことに気付いて立ち止まる。
(あーそっか。あの人に使ったんだった)
気に入っていたハンカチだったけれど、まぁ、いい。
救急車のストレッチャーに乗せられながらも、身体を起こしてお礼を言ってくれた青年を思い出す。
彼は大丈夫だっただろうか? 大丈夫だったらいい。
袖の濡れたカーディガンを脱いだ小夜がトイレを出ると、ドアのすぐ横に男性同期の村上が壁に背中をもたれさせていた。
「わっ、びっくりした。村上くんどうしたの?」
トイレをすぐ出たところに人がいたものだから、反射的に身構えてしまう。しかも相手が村上ときたら余計に……
小夜は村上の頭上に浮かぶ好感度メーターを見て、ピクッと頬を引き攣らせた。
彼の好感度メーターの数値は70。かなり高い数値。でも色が問題だ。ピンクを通り越したかなりのドスケベショッキングピンクなのだ。
(ひーん! この人絶対いかがわしいこと考えてるよぅ~。トイレの出待ちしてるの怖いよぅ~)
心の中で泣きを入れる。
ピンクは恋愛感情をあらわしているのだが、彼の場合はこう……なんというか……あまり純粋な想いとは言い難いのかもしれない。言うなれば下心満載か。好感度は高ければいいという問題ではないのだ。心なしか村上の顔も、鼻の下が伸びていてドスケベに見える。
小夜は内心この同僚に引いていたし、だいぶというか、かなり苦手に思っていた。
「血付いてたって?」
まさかそんなことまで知っていたとは思わず、ちょっと面喰らう。まさか、里見たちとの話を聞いていたんだろうか。でも彼なりに心配してくれているのだと思い直すことにした。
「あ、うん。大丈夫だよ。ありがとう……」
「事故った人の手当てしてたって? すげぇな」
「そんなことないよ。救急車呼んでくれたのは別の人だし、わたしなんてなにも……」
褒められているのになんだか素直に喜べないのは、彼の頭上に輝くドスケベショッキングピンクのせい。
ピコンと、また好感度が3上がった。
(なんで上がるのぉ~っ!)
ただ会話をしているだけなのに。小夜はなにもしていないのに。
村上は首の後ろに手をやって、なんだか照れた様子を見せながら再び口を開いた。
「あ、あのさ。今度、第一の若手メンバーで飲み会するんだけど、おまえも来ない?」
急な誘いに若干戸惑う。第一営業部の若手メンバーでということは、仲良しの里見や三宅は第二営業部だから来ないということだ。第一営業部の若手は男性が多いから躊躇ってしまう。もちろん、コミュニケーションは大事だけれど……気は進まない。
「どうしよっかな。予定が合えばね」
そう言葉を濁してみる。でも、村上はなおも食い下がってきた。
「水無瀬の予定に合わせるから! いつがいいか教えてくれ」
(ええ……)
これはいけない。早くお茶を濁して退散しなくては。ドスケベショッキングピンクの村上は、小夜を飲みに誘ってなにがしたいのかわからないから怖い。
「あ、わたし、今井主任に呼ばれてるんだった。ごめんね、先に行くね!」
「あ!」
小夜は一方的に話を打ち切って小走りでその場を離れた。これで村上からの好感度が少しでも下がってくれたらいいのだが……
好感を持ってくれるのはありがたいが、むやみやたらに人に好かれるのも考えものだ。人に嫌われないようにしているのは小夜だけど。
小夜は小さくため息を吐いて、オフィスに入った。
六月に入った。だんだん暑くなり、長袖から半袖に衣替えした最初の日。
朝、小夜がいつも通りに出勤すると、なんだかオフィスが騒がしい。
「どうかしたの?」
先に出勤していた里見に尋ねると、彼女は嬉々として教えてくれた。
「なんかね、今日新人が入ってくるんだって」
「え? この時期に?」
今年の新人は四月に入ってきたばかりなのに。
「中途採用らしいよ。今年の新人、即辞めちゃったのがひとりいるでしょ? だからじゃない?」
「なるほど」
小夜たちの職場は大手システム管理会社だ。企業のサーバ管理やプログラムの開発、メンテナンスが主な業務となっており、ときにはWEB開発も行う。結構なホワイト企業なのだが、営業はシビアだ。希望と違う配属先になって、耐えきれずに即辞めしてしまう新人はどこにだっているものだ。その補充要員なんだろう。
朝礼がはじまって、部長がスーツ姿の男性新人をひとり連れて前に立った。
「えー今日から仲間に加わってくれる、二階堂(にかいどう)くんです。みんなよろしく」
「二階堂千秋(ちあき)と申します。二十五歳です。どうぞよろしくお願いします!」
サラリとした茶色の髪。見上げるほど高い身長。色白の細身で、ワイルドさは欠片もないが、可愛い雰囲気を醸し出している男の子だ。目鼻立ちが非常に整っていて、まるでアイドルのよう。
(わぁ、かっこいい人だなぁ)
小夜がそう思いながら見ていると、隣にいた三宅が「かっこいいね」と耳打ちしてきた。やはりみんな同じことを思うらしい。周囲もちょっとざわざわしている。主に女性社員のテンションが上っているようだ。
そのとき小夜は、新入社員の二階堂とパチッと目が合った。
ブオンと彼の頭上に好感度メーターの枠が表示され、メーターがギュィィィィィィイン! と、凄まじい勢いで伸びていくではないか。そしてパアァン! と枠をぶっちぎって伸びていくメーターは∞の表示で──
(あの人……もしかして……)
「小夜さんっ!」
自己紹介中にもかかわらず、人を掻き分けて二階堂が小夜に近付いてくる。彼は“嬉しい”という気持ちを隠しもせずに、満面の笑みで小夜に話しかけてきた。
「僕です、僕! 二ヶ月ほど前に、この辺の交差点でタクシーに撥ねられたところを助けていただいた者です。覚えてませんか!?」
覚えている。あのとき、正確には顔は血まみれでよく見えなかったけれど、枠をぶっちぎって伸びていく∞の好感度メーターは忘れようにも忘れられない。そうか、この人だったのか。思ったよりかっこいい人でびっくりしてしまう。
「あ、はい、覚えてます。お怪我はもういいんですか?」
小夜の言葉に子犬のような人懐っこい笑みを浮かべた彼は、自分の前髪を上げて綺麗な額を見せてきた。白い額の左側に、うっすらと赤い線が見える。
「六針縫いました。出血のわりにはたいしたことなくて。入院もしなかったです。あのときは本当にありがとうございました」
二階堂はこちらが恐縮するぐらい深々と頭を下げると、突然小夜の手を握り締めてきた。
「水無瀬小夜さん。あのとき僕はあなたに一目惚れしました。僕と結婚してください!」
「ええっ!」
驚いて固まってしまう。今なんて言われた? 一目惚れ?
(け、けけけ、結婚!?)
思ってもみなかった突然の公開プロポーズに小夜が面喰らっているうちに、周囲の男性陣がノリノリで冷やかしてくる。
「おお~プロポーズじゃん」
「やるねぇ新人! ヒューヒュー!」
口々に囃し立てられ、辺りをきょろきょろと見回したが、みんなテンションが上がってしまって、誰もとめに入ってくれない! いや、ノリのいい人たちが集まっているのが営業部だが、それにしたってノリがよすぎだろう! その中で、数人の女性社員の好感度メーターがリアルタイムで下がっていく。なんて理不尽な! 小夜はなにもしていないのに!
動揺する小夜を前にして、二階堂は王子さまのように片膝を突きそうな勢いで迫ってきた。
「ここで再会できたのはもう運命だと思うんです! 小夜さん、どうか僕と結婚してください! お願いします!」
「えっ、えっ、ええ──ッ!」
再度イケメンにプロポーズされ、思わず悲鳴を上げてしまう。
彼の頭上に輝く鮮やかな赤いメーターと∞の数値が、彼の気持ちは嘘じゃないと教えてくれているのだ。
否応なしにドキドキしてしまう。顔なんてもう真っ赤だ。まさか自分がこんなプロポーズをされるなんて!
怪我の手当てなんてちょっといいことをしたもんだから、一目惚れってのもなきにしもあらずなのかもしれないけれど……
(それにしたって突然のプロポーズはないでしょ!?)
「あ、あの、わたし……」
戸惑いながら握られた手を引こうとすると、「まぁまぁまぁ」とようやく部長が割って入ってくれた。
「そういうのはあとでやってね。まだ紹介の最中だから」
「はい! すみません! 小夜さんも困らせてすみません。僕、嬉しくて舞い上がっちゃって……」
そう言って素直に恥ずかしがる姿も爽やかなんで困る。しかも、何気に再会してからずっと、“小夜さん”と下の名前で呼んでくるんだから、いつ突っ込めばいいのやら。別に……いやじゃないけど。
二階堂は小夜の手を離して、またニコッと微笑むと、背筋を伸ばして周囲に「騒がせてすみません」と頭を下げた。小夜が言うのもなんだが、その様子はだいぶ好感度が高い。
小夜が地味で目立たず好感度が高いタイプだとすると、彼は真逆で明るく朗らかで目立って好感度が高いタイプだ。空気の読めない新人というよりは、恩人に再会して感極まった好青年というふうに映る。その証拠に、周囲の人たちは微笑ましい様子で二階堂を見ているのだ。
「じゃあ、二階堂くんの教育係は今井主任にお願いします」
「わかりました」
(えっ、今井主任? ってことはわたしと同じチーム?)
今井主任は小夜の直属の上司だ。四年前の入社以来ずっと、小夜は今井主任の下で働いている。この会社では、主任クラスが新人を受け持ち、数年かけて教育してからひとり立ちさせるのだ。つまり、小夜が所属している今井チームに、新人として二階堂が入ってくることになるわけだ。
ここ数年、今井主任が新人を受け持つことはなかったのだが……。なんだかいやな予感がする。
朝礼が終わって、自分のデスクに戻りつつ二階堂と今井主任の様子を窺う。ふたりは顔合わせを兼ねてなにかを話している。今井主任のテンションがだいぶ高い。
小夜がノートパソコンの電源を入れて業務に取りかかろうとしたとき、今井主任が手招きしながら小夜を呼んだ。
「おーい、水無瀬! ちょっと来てー!」
「あ、はーい」
小走りで今井主任のデスクに向かうと、彼女は二階堂の肩を叩いて、小夜の前に押し出してきた。
「ってことで、水無瀬! メンターとして二階堂の面倒見てやって」
「ええっ! わ、わたしが、ですか!?」
教育を任されたのは今井主任なのに!
小夜が目を剥いて驚くと、主任はケラケラと笑いながら言うのだ。
「そう。水無瀬が教えてやって」
「それは主任のお仕事なのでは……?」
精一杯の抗議のつもりで反論すると、主任はニンマリと口角を上げて胸の前で腕を組んだ。
「そうだよ。私の仕事は水無瀬と二階堂の指導だ。水無瀬はもう五年目。そろそろ先輩として下を指導する経験を積んだほうがいいと判断した! 水無瀬が教えれば、新人も若手も育って一石二鳥! なにより面白い!」
「ええ……」
なーにが面白い! だ。初めっからソレしか考えてないに決まっている! このミーハー主任め! 二階堂が小夜に公開プロポーズしたものだから、面白がっているのだ。絶対にそうに違いない!
「心配すんなって。ちょくちょく私も指導するから。経験だと思ってやってみな! 私はおまえにも育ってもらいたいんだよ」
(まぁ……効率はいいのかもしれないけれど……)
今井チームにはもう何年も新人が入ってきていないので、小夜は未だに先輩として下に教えたことがない。それは確かに経験不足と言える。もう五年目ともなれば、独立している人だってチラホラいるのに。
でも、ついさっきプロポーズしてきた人を指導するなんて……なんかちょっと気まずい。
チラッと二階堂を見ると、彼はにこにこと人懐っこい笑みでペコリと頭を下げてきた。
「ご指導よろしくお願いします、小夜さん!」
キラキラした目で見られると、なんだか困ってしまう。そして相変わらず、メーターぶっちぎりの無限大の好感度は、ちっとも下がる気配がない。彼の好感度メーターはいったいどうなっているんだろう?
「は、はぁ……こちらこそよろしくお願いします」
観念した小夜が会釈すると、しめたと言わんばかりに今井主任が手を叩いた。
「じゃあ、早速よろしく! 会社案内とか説明とか、そういう細々したの頼むよ」
「わかりました」
まぁ、新人の案内も仕事のうち、か。
小夜は二階堂に向き直った。
「じゃあ、まずは会社の案内をします。ついでに、エンジニアの人たちに挨拶に行きましょう。紹介します」
「ありがとうこざいます」
小夜は二階堂を連れて部署を出ると、会社の中を案内しながら、別フロアにある開発部へと向かった。
「ここが開発部です。営業部の依頼でシステムを開発してくれています。ちょくちょく来ることになると思うので、場所を覚えておいてくださいね」
「わかりました」
二階堂はにこにこしながら頷く。その表情からは、“小夜に構われて嬉しい”という喜びが透けて見える。そんな目を向けられると、どうにも落ち着かない。こっちが照れてしまう。
小夜はできるだけ気にしないようにしながら、開発部のドアをノックした。
「失礼します」
ドアを開けると、デスクトップパソコンがズラリと並んだ部屋に、三十名ほどの男女がパソコンに向かって仕事の真っ最中だった。皆、営業部の面々よりはラフな服装で、徹夜明けなのか机の下で寝ている人もいる。目が合った人たちの頭上に好感度メーターが浮かぶのだが、ほとんどの人は白色(他人)40前後だ。何度か話したことがあったり、仕事を一緒にしたことのある人は、メーターの色が緑色(知人)になっている。
その中から四十代半ばの男性が出てきて、小夜たちの前に立った。開発部の部長、青木だ。この人の好感度メーターは緑の50。トラブルのない仕事仲間の平均的な数値だ。
「水無瀬さん、どうしたの。その人は?」
「お疲れさまです、青木部長。新人の紹介に来ました」
小夜が用件を伝えると、青木は二階堂に目をやって、さっと右手を差し出した。
「開発部部長の青木だ。よろしく」
「今日から第一営業部に入りました、二階堂です。よろしくお願いします!」
二階堂が青木の手を取って、ふたりとも固く握手を交わす。
「おまえら営業が取ってきた仕事を形にするのが開発部だ。無茶苦茶な納期と仕様は突っ返すからな! 覚えとけ」
「ははは。わかりました。肝に銘じます」
まだ仕事を取ってくるには早い二階堂にも、あらかじめ釘を刺しておくんだから、青木も人が悪い。まぁ、無茶苦茶な仕事の皺寄せを喰らうのは開発部なので、部長の立場からするとひと言言っておきたくもなるんだろう。
「ああ、水無瀬さん。ちょっといいか?」
「あ、はい。どうしました?」
小夜が小首を傾げると、青木は頭を掻きながらデスクからバインダーを取ってきた。
「この間上げてもらったこの仕様書なんだけどさ。ちょっと無理があって」
「えっ、そうなんですか?」
驚きながらも、青木の持つバインダーを覗き込んだ。これは小夜が先週、開発部に依頼した仕事だ。とある企業が夏のキャンペーンを打つことになり、キャンペーン用のアプリ開発とキャンペーンページのサーバ管理を依頼したのだが……どこか無理があっただろうか? できるだけ無理のないようにしたつもりだったのだが。
「キャンペーン打つんでしょ? この構成じゃ、アクセスのピーク時にサーバが持たないかなと思って。クラウドですらスケールアウトが間に合わないかも……サーバ増強しないと無理なんじゃないかなぁ」
青木の感想に、小夜は「うーん」と唸ってしまう。
「でも、ピークアクセスって言っても一瞬ですよね? そのためだけにサーバ増強するのは予算がちょっと……」
予算はもうカツカツだ。キャンペーンのアプリ開発で大半を使ってしまった。
「いや、そうは言ってもね? せっかくキャンペーン打ってもサーバが貧弱だと意味ないでしょ」
「で、でもサーバ増強したら数十万単位でかかりますよね? クライアントは出せて数万円だと思うんです。なんとかなりませんか?」
青木の言うことはもっともなのだが、ピークアクセスを捌けるようにソフトウェアのほうでなんとかしてもらいたいところである。
営業部と開発部の攻防がはじまって、放置されていた二階堂がスッと手を上げた。
「よくわかってないのに口出してすみません。聞いてる限り、キャンペーンページをあらかじめ複数のキャッシュサーバにキャッシュしておけば、アクセスが集中してもオリジンサーバは落ちないんじゃないかなーって思ったんですけど……」
「え?」
小夜と青木が同時に声を上げ、二階堂を見る。
数秒間の時が流れて、青木がハッとしたように手を打った。
「そうか! あらかじめキャンペーンページを静的化してCDNに置いとけば、アプリまでリクエストが来ない! 負荷テストばかり考えてたけど、もっと簡単に回避できる方法があったな!」
世界中に分散したキャッシュサーバで静的コンテンツを配信すれば、アクセスが分散されるため、元のオリジンサーバの負荷が大幅に軽減される。その上、従量課金制なので今回のキャンペーン規模なら、月数千円から数万円ですむだろう。サーバ増強より圧倒的にコストも安いし、効率的だ。
「新しい営業か……やるじゃないか! 開発部に来ないか?」
解決策を手にした青木は機嫌よさげに二階堂の肩を叩いている。小夜は慌てて二階堂を庇うように間に入った。
「ちょ、ちょっと! 青木部長! 二階堂くんは営業部なんですから取らないでくださいっ!」
プンプンと怒ってみせる小夜を見てにこにこしながら、二階堂はそっと抱き締めるように小夜の両肩に手を添えてきた。
「お気持ちは嬉しいですが、僕は小夜さんがいる部署がいいので」
「おお? なに? ふたりデキてんの?」
「はい! その予定です!」
だなんて答える二階堂は悪びれもしない。まさに天真爛漫といった感じで、小夜だけがひとりで慌てた。
「もおっ、そんなんじゃないですってば! なに言ってるの!? 二階堂くん!」
「あはは。まだ口説いてる最中なんで。僕の願望です。ね?」
振り返る小夜に顔を寄せてにっこりと微笑んでくる二階堂を見て、その距離の近さに赤面してしまった。
(タ、タラシだ! タラシだ、この人!)
心臓がバクバクして落ち着かない。
なんとかその場を切り抜けて開発部を出た小夜は、苦々しく二階堂を見やった。
「もー。ああいうのやめて」
「えへへ。すみません。でも僕、本気なんです」
隣を歩く二階堂は、爽やかに微笑みかけてくる。その顔のよさにちょっとうっかりドキッとしてしまい、小夜は慌てて話を変えた。
「コホン! ところで二階堂くんはシステムも詳しいの?」
「ああ、僕、実は大学時代に趣味でゲーム作ってて。ちょっとは知識があって。それでこの会社に入ったんです。前の仕事もこっち系で」
「そうなんだ。すごいね」
意外だった。人懐っこい性格のようだから営業職が向いてそうだとか、そういう基準で入ったのかと思っていたのだけど、システムにも造詣があってこの仕事を選んだのか。
小夜は大学で情報を学んでいたからこの会社に入った。プログラムもひと通りは学んだけれど、なにかを形にできるほど得意にはなれなかった。だから営業職。ゲームが作れるなら、二階堂は開発部でもうまくやっていけるかもしれない。
そうして会議室や資料室などを回ってお昼近くになったところで、二階堂がおずおずと話しかけてきた。
「あの、小夜さん、お昼一緒に食べませんか……?」
「えっ?」
まさか誘われるとは思っていなくて、どうやって断ろうかと考えていると、それを察知したのか彼は捨てられた子犬のようにきゅーんと瞳を潤ませて、小夜の顔を覗き込んできた。
「まだ社員食堂の場所を教えてもらってません……僕、ひとりで行けません」
(うっ……!)
うるうるうるうる……潤んだ瞳が悲しげで、言葉に詰まる。
大の男がひとりで行けないなんてことはないとわかっているのに、そう言われると放っておけない。初めての後輩なのだ。小夜生来の面倒見のよさが顔を出し、しっかりお世話してあげなくてはという思いがよぎる。
「……しょうがないなぁ。じゃあ、一緒行こ?」
「やった!」
無邪気にガッツポーズをする彼が可愛い。これくらいのことでそんなに喜んでくれるなんて。
(たいしたことないのに)
小夜と二階堂が連れ立って社員食堂に入ると、先に来ていたらしい里見と三宅が円卓で手を振ってくれた。
「ここ、ここ、空いてるよーっ」
「ありがとう。一緒に食べていい?」
定食を持って円卓に近付き、二階堂と隣り合って座る。小夜は二階堂にふたりを紹介した。
「第二営業部の里見さんと、三宅さんだよ。仲良しなの」
「そうなんですね。二階堂です。よろしくお願いします」
里見と三宅のふたりは顔を見合わせると、ニンマリと笑って身を乗り出してきた。
「見たよ~。今朝の公開プロポーズ! やるねぇ、君」
「二階堂くん、小夜に一目惚れしたってほんと~?」
「もぉ! ふたりとも!」
野次馬根性丸出しなんだから困る。小夜は耳まで赤く染めて止めに入ったのだが、二階堂は照れた素振りを見せながらも、迷うことなく頷いた。
「はい。一目惚れしました。事故に遭ったとき小夜さんが真っ先に駆け寄ってくれて、天使かと思いました。小夜さんは優しくて素敵な人です」
きっぱりと言い切られて恥ずかしくって落ち着かない。あのときは無我夢中で、なにも考えていなかっただけなのに。
「買い被りすぎだって……二階堂くんだって男の子助けてたじゃない」
「あれは咄嗟に身体が動いて……」
「わたしも咄嗟に身体が動いただけだよ。それに救急車や警察を呼んでくれたのは別の人だし、わたしはなにも……ハンカチ貸しただけだから」
本当にたいしたことはしていないんだと強調したのだけれど、二階堂は首を横に振って噛み締めるように呟いた。
「でも……あれだけ人がいた中で、小夜さんが最初に動いてくれました。僕はそんなあなたに惹かれたんです」
「~~~~っ!」
キラキラ輝く瞳をまっすぐに向けられて、小夜は誤魔化すように味噌汁を口にした。胸の奥がむず痒くて落ち着かない。
こんなの全肯定だ。彼は小夜の行動のすべてが尊いものだと言いたげで、ドキドキしてくる。親以外の人に、ここまで肯定されたことはないかもしれない。
味噌汁を飲みながら、チラリと視線だけで二階堂を見やる。相変わらず彼の好感度メーターは真っ赤の無限大。一ミリも下がる気配がない。小夜は結構つっけんどんな態度を取っているつもりなのに、彼は気にしていないらしい。それどころか、熱のこもった眼差しを小夜に向けてくるのだ。その視線が……少し擽ったい。
まだ、出会ったばかりだというのに、あの無限大の気持ちが気にならないと言えば嘘になる。本気と言っていた……。本気って、本気……?
「そうだ、小夜。二階堂くんの歓迎会を開いてあげなきゃ! 先輩の役目よ!」
不意に里見に言われ、小夜は我に返った。
「そうね。歓迎会開かなくっちゃ。待っててね、二階堂くん。近いうちにみんなの予定を聞いてみるから」
「はい! ありがとうこざいます。楽しみにしてます!」
二階堂は屈託ない笑顔で頷く。その笑顔が、まるで子犬が戯れているようで本当に可愛い。彼は二十五歳らしいが、もっと若く感じる。すごく可愛げがある。
話が一段落したところで、先に食事を終えた里見と三宅が席を立った。
「私たち、仕様書の直しがあるから先に戻るね。ふたりはゆっくり食べて」
「ん、そう? またあとでね」
思いがけず二階堂とふたり残されて、なんだか落ち着かない。けれども、まだ食べ終わっていないので、席を立つわけにもいかない。
小夜が黙々と箸を進めていると、二階堂が意を決したように話しかけてきた。
「あ、あの、小夜さん。聞いてもいいですか?」
「ん? なぁに?」
箸をとめて二階堂を見る。彼はうっすらと耳の縁を赤く染めながら、小夜のほうを見られないでいた。頭上の好感度メーターが唸りを上げて振動し、メーターの色がより赤くなる。
「か、彼氏とか……いたりしますか?」
「……いや、いないけど……」
「よっしゃ!」
拳を握って喜ぶ姿を可愛いと思ってしまう。小夜がフリーなことがそんなに嬉しいんだろうか。
二階堂は小夜に身体ごと向き直り、縋るように迫ってきた。
「じゃあ、デートに誘ってもいいですか……?」
「えっ」
二階堂からの絶え間ないアプローチに困惑してしまう。でも、心のどこかではそれを“嬉しい”と思ってしまう自分も確かにいるのだ。もう何年も彼氏のいない自分が、こんなイケメンに迫られるなんて。
彼の頭上に輝く鮮やかな赤い好感度メーターと、∞の印に目をやる。
「……二階堂くんは……その、そんなにわたしのこと……」
「好きです! 大好きです!」
はっきりと言い切られ、小夜の胸はドクンと跳ねた。カ~ッと顔が熱くなる。
好感度メーターは嘘を吐かない。彼は本気で小夜のことが好きなのだ。それも無限大の気持ちで。
しかも、好感度メーターがピンク色なら淡い恋心だが、鮮やかな赤い色は、恋心を超えた強い愛情──それに彼は想っているだけでなく、躊躇うことなく気持ちを口にしてくれる。まっすぐに気持ちを向けられて、ドキドキしないわけがない。
(わたしのこと……なんでそんなに好きなの……?)
事故に遭ったときに助けたから……たったそれだけで、ここまで強い想いを向けられるなんて思ってもみなかった。
想われて悪い気はしないけれど、彼がどういう人なのかはまだわからない。車に撥ねられそうだった男の子を無意識に助けるくらいだ、悪い人ではないんだろう。それにとてもかっこいい。顔は正直好みだ。あと、感情が豊かで、こっちが困ってしまうくらいストレート。まだそれだけしか知らないんだと、警戒する気持ちはもちろんある。でも、無限大なんて想いをくれる彼に興味がないと言えば嘘になるのだ。
だって、こんなに愛されたら──女としてきっと幸せになれるんじゃないだろうか?
ドキドキドキドキドキドキ──……
唇を引き結び、目をきょろきょろさせながらも隣の二階堂を見られないでいると、彼はおずおずとスマートフォンを出してきた。
「小夜さん。よかったら連絡先交換してくれませんか? その、プライベートの……」
チラッと見た二階堂は真剣で、でもちょっぴり緊張しているようで、それが無性に可愛い。小夜に断られるかもしれないと怯えつつも、きゅーんとした顔で懇願してくるのだ。正直、母性本能を擽られてしまう。それもこれもきっと、彼の顔も仕草も可愛いせいだ。それが作戦なら、きっと成功している。
(断らないと……ダメなのに……仕事とプライベートは分けなきゃ……)
「……ん。いいよ?」
「やった! ありがとうございます! 僕、メッセージ送りますね!」
「ん……たまにならいいよ?」
「やったぁ!」
小夜のOKに、子犬のようにはしゃいで喜びをあらわにする。そんな二階堂に釣られて、思わず小夜も笑ってしまった。これじゃあいけないと思って口元を引き締めるけれど、やっぱり綻んでしまう。それぐらい二階堂の喜びようが可愛い。
「しつこくならないように送ります!」
「そうしてくれると助かる、かな」
小夜が笑うと、よろしくお願いしますと書いた犬のスタンプが早速送られてきたのだった。