脱・幼馴染宣言! 執着度高めのお巡りさんが「俺のこと好きだったくせに」と離してくれない 2
ふたりが初めて出会ったのは真帆が六歳の時で、龍之介が十歳の時だ。
龍之介は祖父が館長を務めている剣道場に通う子供で、祖父に頼まれて真帆の遊び相手に任命された。
『孫の真帆だよ。龍之介、お前が一番年が近いからね。可愛がってやってくれ』
『はい、館長!』
龍之介はハキハキと答えた後、祖父の後ろで縮こまっていた真帆を見て、なんのてらいもなく手を出してきた。
『まほちゃん、おれとあそぼう!』
『うん……』
おそるおそる彼の手を握ったあの日のことを、真帆は昨日のことのように思い出せる。
それまで男の子が苦手だった。髪を引っ張ったり虫を投げつけてきたりするから、大嫌いだった。
だが龍之介は違った。意地悪もしないし、ぶったりもしなかった。
『おれのことはおにいちゃんって呼んでいいから!』
きらきらの笑顔でそう言われた日のことを、真帆はいつだって記憶の中で反芻できる。
幼い真帆は彼を『にーに』と呼び、生まれたてのひよこのようにいつも後をついて回った。今思えば、年頃の男の子が小さな女の子の世話なんて煩わしいはずなのだが、彼だけは真帆にいつまでもずっと優しかった。
だから龍之介は真帆の特別な男の子になったのだ。そうして彼の手を取ってから二十年近く経った今でも、その関係は続いている。
(まぁ、振られはしたけど……龍之介は心底お人よしで他人の面倒を見るのが好きな人、なのよね)
大学卒業後に警察官になるとは思っていなかったが、彼は祖父を尊敬しているので自然な流れだったのだろう。
「だけどそのおじいちゃんが昔言ってたのよ」
昔を懐かしみながら、真帆はゆっくりと口を開く。
「なんて?」
「真帆が一生を預けるにふさわしい男は、私が探してやるって……ああ、そっか。最初からおじいちゃんにセッティングしてもらうというのもありだったのかも……」
恋愛未経験の自分が合コンで探すよりも、祖父のお眼鏡にかなう男を最初から紹介してもらえば話は早い。真帆が通っていた古風な女子校には、親が決めた男と大学卒業後に婚約し、数年後に結婚するという同級生も少なからずいたのである。
「館長が選ぶ男なんて、間違いなく本庁のエリートだろ」
龍之介は鼻白んだように肩をすくめる。
「まぁ……そうね」
東大法学部を出た彼らは警部補からキャリアをスタートし、早ければ二十代で警部になる。いわゆるキャリア組と呼ばれる人材だ。家庭よりも仕事優先が当然の世界であるし、滅私奉公の国家公務員だから当然と言えば当然かもしれない。
「仕事に忙殺されて私生活なんて無きに等しい。そんな男と結婚したって辛いだけなんじゃないか」
「確かに、そうかも……おじいちゃん自身も、あまりいい家庭を築けなかったしね」
真帆にとって祖父は今も昔も優しくて大好きなおじいちゃんだが、警察官時代の祖父の家庭は、理想の家庭とは程遠いものだったらしい。
キャリア組だった祖父は三十手前で上司の娘と結婚し、ひとり娘を儲けた。それが真帆の母だ。幼い頃から周囲の目を引くほど美しく、噂を聞きつけてスカウトがくる花のように可憐な少女だった。ただかなり激しい性格をしており、親の言うことを素直に聞くような娘ではなかったようだ。
特に祖父との相性は最悪で『女優になりたい』という娘の夢を『馬鹿げたこと』だと切り捨てた祖父は、母からひどく憎まれたらしい。仕事柄、芸能界の薄暗い部分を知っていた彼が反対するのは仕方のないことなのだが、警察官である祖父の嫌がることやメンツを潰すような行動を繰り返したり、気の弱い祖母の目を盗んで夜な夜な家を抜け出し問題を起こしては、家族を振り回したという。
そしていよいよ高校卒業という段階で、誰にも言わず、置手紙を一枚だけ残して煙のように両親の前から姿をくらましたのだ。
その後の母の人生は、真帆が知っている限りでも波瀾万丈だ。一時期は念願だった女優の真似事もしていたらしいが、男の庇護下であちこちを転々としている最中、望まぬ形で妊娠する。そうして生まれたのが真帆である。母は六歳まで真帆をそばに置いた。子育てというよりもお人形遊びの延長だったのかもしれない。
彼女は自分の美貌をそのままそっくり受け継いだ真帆を、可愛らしい服を着せてあちこち連れて回ったかと思ったら、男と会う時は真帆をその辺に置いて、唐突に姿をくらました。当時の母には女王に従う従僕のような男女がたくさんいて、真帆を母の持ち物のひとつとして面倒を見てくれたが、所詮ペット扱いだ。マトモな教育も受けられず、真帆はなんと文字も数字も読めないまま育ってしまった。
だが義務教育が始まれば、子供を学校に通わせない保護者に対しては国が介入し始める。
それで母は、途端に真帆の存在が邪魔になってしまったのだろう。
あっさりと冬の海に置き去りにしたのである。
幼かったこともありこの頃の記憶は曖昧なのだが、この事件がきっかけで真帆は祖父母に引き取られることになったので、結果よかったのかもしれない。
そうして育った真帆は、顔だけは母に生き写しだったが、中身はまるで正反対だった。
臆病で人見知りで男性が苦手で、読書やラジオ、映画鑑賞を好み、刺激を嫌った。祖父母と静かに暮らすことを望んだ。
祖母が数年前に亡くなってからは祖父とのふたり暮らしだが、祖父は真帆に対して親代わり以上の愛情を注いでくれている。彼なりの罪滅ぼしなのかもしれないし、退官して余裕ができたのかもしれない。
とにかく今の真帆は、大人になっても蝶よ花よと育てられている箱入り娘なのだ。
「館長は……まぁ、時代もあっただろうけどな」
慰めるような龍之介の言葉に、真帆はふっと笑う。
今の時代にキャリア官僚の働き方が劇的によくなったとはやはり思えない。キャリア組は昔と変わらず家庭など二の次だし、家庭に割く時間などほぼ持てないはずだ。
「じゃあ、おじいちゃんの紹介……警察官僚は除く、ということにしてもらえばいいかな」
おどけるように肩をすくめる。
祖父は今でも様々な企業の監査役や社外取締役を務めているので、コネだけは豊富に取り揃えているはずだ。
「私も働くし、絵に描いたようなエリートじゃなくていいんだ。穏やかで、私のことを大好きで……一緒にごはんを食べて、保護犬か保護猫を飼うことを許してくれて、休日はデートして同じベッドで眠って、おやすみってキスしてくれる人がいいの」
笑われるだろうとわかっていたが、言わずにはいられなかった。
ただちょっと恥ずかしくなってしまったので、龍之介と目を合わせる勇気もなく、やんわりと目を伏せてしまったが。
それから間もなくして、涛川邸の正門に到着する。
「送ってくれてありがとう。じゃあまた」
そのまま門をくぐろうとしたところで、
「待って」
手首をつかまれた。振り返ると恐ろしく真面目な顔をした龍之介と目が合う。
「なに?」
「あのさ……お前、俺のこと好きだったくせに、ほかの男で満足できるのか?」
真帆のしん、とした頭の中に龍之介の声が響く。
お前、俺のこと好きだったくせに。
ほかの男で満足できるのか?
頭の中で、ぷちんとなにかが切れる音がした。
「おっ……お前が言うな~ッ……!」
つかまれた手首を振り払い、そのまま勢いを乗せて彼の分厚い胸板を殴りつける。
もちろん彼は華奢な真帆に叩かれたくらいでは微塵も揺らがない。かぶっていた制帽が落ちただけだ。相変わらずどっしりと大木のようにそこに立っているし、むしろ殴った自分の手のほうが痛かった。
だが気持ちが抑えられない。どう考えても龍之介が悪い。自分は悪くない。
真帆はぐぬぬと唇を引き結びながら龍之介を非難の目で見つめる。
「馬鹿にしないでよ……!」
絞り出した声は震えていた。
「私だって、付き合った人とすぐに結婚できるとは思ってないよっ……。でも私に足りないのは経験でしょ? だからとりあえず彼氏を作ろうって思ってるんじゃんっ……!」
幼い頃は龍之介しか見ていなかった。振られた後も龍之介以上の男が現れなかったから、この年まで誰とも付き合えず、なんとぴかぴかの処女である。
二十四歳にもなって!
さすがにまずいと思い立ち、彼氏を作る気で参加した合コンでこんなことになったが、諦めたくはない。真帆だって一度くらい結婚してみたいし誰かに愛されてみたいのだ。
「馬鹿になんかしてないよ、真帆」
龍之介が猫のように毛を逆立てる真帆に向かって、優しく名前を呼びながら帽子を拾い上げた。
「とりあえず、俺で練習したらいいんだ」
こちらを見下ろす龍之介の表情は、ちょうど近くの街路灯の逆光でよく見えなかった。
だが声色は相変わらず甘く優しいものだから、彼の発言を飲み込むのに時間がかかってしまった。
「は?」
「比較的、相手の身分が保証された合コンでも今日みたいにひどい目にあってるだろ?」
龍之介はそう言って、防刃ベストの上に置かれた真帆の拳を手に取る。握りしめた真帆の指をほどき、それから大きな手で包み込んだ。
「俺以上にお前のことわかってやれるやつ、いないと思う。だから俺にしなさい」
そうして彼はゆっくりと真帆の手を口元に運び、まるでお姫様にするようにキスをした。
ちゅっと響くリップ音と唇の感触に、全身に痺れるような淡い快感が走る。
伏し目がちな長いまつ毛の奥から、濡れた碁石のように輝く黒い瞳がこちらを見つめて光る。
それこそこれまで何百回、何千回と龍之介と視線を交わしたはずだが、振られて十年近く経っても、ふとした瞬間に心をわしづかみにされそうになる。
魅入られる、というのはまさにこういうことなのだろう。幼馴染ながら、本当に厄介な男だ。
「っ、ワ──ッ!」
真帆は顔を真っ赤にして叫んで手を振り払うと、
「龍之介のおたんこなす! あっ、あほ──ッ!」
と叫び、そのまま門の中に飛び込む。
背後から龍之介の「アハハ!」という笑い声が響いた。
(からかわれた! 最低、最悪だ!!!)
キスされた指先が熱い。いつまでも痺れている。
真帆はその感覚を押し殺すようにぎゅうと握りしめながら、幼馴染のいたずらに心底腹を立てたのだった。
翌朝、惰眠をむさぼって起床して時計を見るとお昼になっていた。せっかくの休日がすでに半日無駄になっているが、昨晩は合コンや龍之介とのあれこれを思い出して、なかなか眠りにつくことができなかったのだ。
「ほんと最悪……」
とはいえ、怒りをぶつけられる相手はどこにもいない。
ひとりでぷりぷりしながら顔を洗い身支度を整えて部屋を出ると、廊下の向こうからふわりとお味噌汁と干物を焼いたいい匂いが漂ってくる。
合コンではあまり食べられなかったので、急にお腹が空いてきた。我ながら現金だなと思いつつ、ペタンコのお腹をさすりながらウキウキで食堂へと向かう。
「ゆず子さん、おはよ~ございます!」
涛川家で家政婦をしている斉藤ゆず子は、料理の腕前はプロ級で和洋中華なんでもござれ、洋裁も和裁もこなし、六十代とは思えない健脚で趣味は社交ダンスというスーパー女性だ。真帆にとっては祖母同様、母親代わりになってくれた人である。
いつものように元気よく食堂に顔を覗かせると、
「おはよう真帆。だいぶお寝坊さんだな」
ダイニングテーブルで山盛りのごはんをかき込んでいる龍之介と目が合って、仰天してしまった。
「なんでいるの!?」
「ゆず子さんのごはん食べたくて、仕事明けに寄ったからだけど」
当番日は二十四時間体制で働いているので、仕事を終えてからうちに寄ったのだろう。寮に入っている龍之介は朝晩の食事付きのはずだが、家庭の味が恋しかったのかもしれないし、帰るまで待てなかったのかもしれない。だがいくらなんでも昨日の今日で、真帆のいる家に来るなんて図々しいと言わざるを得ない。
(あんなひどい冗談言っておいて、よく私の前に顔を出せたわね!)
思わず頬を膨らませるが、龍之介はあっけらかんとした様子で味噌汁の入った椀に口を付けている。お味噌汁のCMに出られそうなくらいさわやかでカッコいいのが、余計癪に障った。
「真帆ちゃん、おはよう。そろそろ起こしに行こうと思っていたのよ。お顔は洗った? 髪がぼさぼさじゃないの」
ゆず子はお盆に載せた青菜の小鉢を龍之介の前に並べながら、窘めるような表情になる。
「あ、洗いましたっ」
手首にはめていたシュシュで慌てて髪をまとめ、しぶしぶ龍之介の正面に腰を下ろした。
テーブルの上には白米とわかめのお味噌汁、干物と青菜のお浸し、さらに玉子焼きまで並んでいる。色どりがよく目にもおいしそうだ。
「いただきます」
手を合わせてから箸を進める。
(ゆず子さんは龍之介に甘すぎるんだから……)
自分のことを完全に棚に上げてモグモグと咀嚼していると、
「明日、朝迎えに来るから」
と龍之介に言われ、頭の中にクエスチョンマークが浮かんだ。
今日が夜勤明けの非番ということは、明日は貴重な週休のはずだ。
「なにか約束してたっけ?」
「デートするんだよ」
「んんっっっ、まぁッ!」
その瞬間、ゆず子が両手で口元を覆い声を上げる。
目をキラキラと輝かせながら、真帆の背後に立ちバシバシと肩を叩いた。
「デートですって! よかったわねぇ、真帆ちゃん!」
「やッ、ゆず子さん、違うから! よかったとかじゃない! ほんとそういうんじゃないから!」
「あらあら照れちゃって~ウフフッ!」
ゆず子は当然ながら真帆の幼い恋心を知っていたので、ようやく結ばれたと思ったのだろう。何度も違うと否定したが「龍之介君、真帆ちゃんをよろしくね」と、ウキウキした様子で食堂を出て行ってしまった。
この調子では、あっという間にこの屋敷に出入りしているすべての人間に広まってしまうだろう。
もし剣道場のほうに知られたら?
想像しただけでゾッとする。
祖父が館長を務める道場は、ほとんどが警察関係者で占められている。師範代は皆現役警察官で、彼らは龍之介と真帆のことを幼い頃から可愛がってくれている。ほぼ身内のような存在だ。そんな彼らの耳に入ったら最後、冗談では済まされなくなってしまう。結婚はいつだと詰め寄られるに決まっているのである。
「なんなの……昨日の、質の悪い冗談じゃなかったの?」
頭を抱えつつ深いため息をついたところで、龍之介がデザートの苺を口に運びながら、口を開く。
「本気に決まってるだろ」
龍之介はきっぱりとそう言うと、最後の一粒を口の中に放り込み、食器を重ねてキッチンへと運び手際よく洗うと、お茶を淹れて戻ってくる。
「龍之介で練習ってこと……?」
「そう。だから明日デートしような」
彼は白磁の茶碗をひとつ真帆に差し出し、自分はぐびっとあおるようにお茶を飲み干して「じゃあまた」と、さっぱりした様子で立ち去ってしまった。
残された真帆は茫然自失だ。
十五の春に振られてから今までずっと幼馴染を通してきたのに、いきなり恋人の練習だなんて意味が分からない。
そこまで自分は彼を心配させているのだろうか。
だとしても少々やりすぎではないか。
「ほんと、意味わかんない……」
尾崎龍之介。
心底厄介な幼馴染である。
一昨日よりも丁寧に髪を巻いた自覚があるし、リップもお気に入りのものを選んでしまったし、三十ミリで三万五千円もする、とっておきの香水をワンプッシュしてしまった。
(なに気合入れてるの、私……あほ~~!!!!)
姿見の中の自分をじっと見つめて、グヌヌと唇を引き結んでいると、
「真帆さん、お迎えですよ~」
ドアの向こうから穏やかなゆず子の声が聞こえてきた。
時計を見ると針はちょうど十時を指している。
きっちりしている龍之介らしいと思いながら、
「っ、はーいっ!」
真帆はいそいそと玄関へと向かった。
(龍之介とお出かけなんていつものことなのに、なんで私ドキドキしてるんだろ……)
自分がどんな顔をしているのか妙に気になる。舞い上がっている自分に心底腹が立つし、同時にちょっと楽しみな自分がいてモヤモヤする。
(もう、恋愛的な意味では龍之介のこと好きなんて思ってないのに)
十五で振られてから龍之介のことは『諦めている』。
真帆はすべてにおいて諦めがいい女だ。努力は実るなんて微塵も思っていないし、頑張ってもどうしようもないことがあるのが人生だ。もちろん努力している人を否定するつもりはないが、真帆にはその気力がない。身分不相応なものを欲しがっては傷つく自分が残るだけである。そんなこと耐えられない。
わざわざ他人に説明はしないが、六つで母親に捨てられた真帆は、これ以上傷つきたくないし、頑張って裏切られたくないのだ。冬の海で生き残った時点で残りの人生は余生だ。できれば燃費よく生きたいと願っているのが、自分という女なのである。
「龍之介、おはよ……」
緊張のせいか、声がちょっぴり震える。
軽自動車が余裕で停められそうなくらい広い三和土の中心に、私服の龍之介が立っていた。ネイビーカラーのタックが入ったワイドスラックスに白Tを合わせ、レギュラーカラーシャツをセットアップのように羽織っている龍之介は、長身も相まって雑誌から抜け出てきたように決まっていた。我が幼馴染ながら本当にビジュがいい。
真帆の声にスマホを見ていた龍之介は顔を上げて、にこりと笑った。
「おはよ。可愛いな。俺、そういうの好きだよ」
前ボタンのデニムスカートにノースリーブのカットソーを合わせたカジュアルスタイルだ。膝は出ているが許される範囲らしい。
「フフ……そう?」
可愛いと言われて、途端に機嫌がよくなった。我ながら単純である。
厚底のスポーツサンダルに足を入れると、龍之介は当たり前のようにその場にしゃがみ込んで、バンドを留めてくれた。まるで姫に仕える執事だ。他人が見たらぎょっとするかもしれないが、龍之介は昔からこうなのでデートの練習とは関係ない。
「じゃあ行くか」
龍之介は当然のように真帆の小さなバッグを手に取ると、もう一方の手で手を繋いで、ゆず子に挨拶してから門を出る。それから電車に乗って新宿の映画館に向かった。
「今日はなにするの?」
「とりあえず映画観てメシ食って、体を動かして遊ぶかな」
「なるほど。いつも通りだね」
目新しいことはなにもないが、まさに『こういうのでいい』という一日の過ごし方だ。
真帆は昔から映画が好きだった。単館系も観るしハリウッドも観るしアニメだって観る。母親が女優の真似事をしていたからというわけではなく、純粋になにかひとつのことに没頭している時間が好きなのかもしれない。
チケットは事前に龍之介が用意してくれていたので、真帆がドリンクを購入した。
「ポップコーンは? お前、甘いのとしょっぱいの交互に食べるの好きだろ」
「朝ごはんをしっかり食べたから、今日はいいかな」
龍之介の言葉に真帆は首を振る。
ちなみに今日観るのは、以前から気になっていたホラー映画だ。並んで腰を下ろしたところで、龍之介がボディバッグからハンカチを取り出し、真帆の膝に乗せた。
「ありがとう、パパ」
こういうところは素直に感心してしまう。
半分照れもあってお父さん呼ばわりしたところで、
「パパじゃないだろ、彼氏です」
龍之介はパチンと真帆のおでこを指で弾くと、シートに背中を預けながら頬杖をついた。
(彼氏……本当に……そうなの?)
ちらりと盗み見た幼馴染の横顔は、中学生の頃に美術室で見た神様の石像に似ている。端整で非の打ち所がない完璧な横顔だ。
(イケメンすぎるなぁ……)
と思っていたところで、前の席に座っていた女の子たちが龍之介を振り返っては、ヒソヒソと話をしていることに気が付いた。
龍之介はとにかく目立つ。真帆だって人目を引く外見をしているが、それとは種類が全然違う。自分は内面が反映された陰気さがあると自覚しているが、彼はいつだって背筋がピンと伸びて凜とした佇まいなのだ。
強くて美しいものを見ると誰だっていい気分になる。そういうことだろう。
だが彼が衆目を集めるのを見るたび、真帆の胸はじりじりと焦げ付いていく。
(もっと龍之介が普通の男の子だったらよかったのに。背もそんなに高くなくていい。顔だってもっと適当で……お腹がうっすら出てるような、わがままボディのアラサー男子だったらよかったのに)
真帆が龍之介を好きになったのは、彼がほかの男の子たちと違って親切で優しかったからだ。
小さい頃、真帆は常に男子に虐められていた。周囲からは、真帆の関心を引きたくてやっているのだと言われたが、そんなことは知ったこっちゃない。そんな中、ただひとり龍之介だけが真帆を傷つけなかった。思春期を経てもなんら変わらずに。だから龍之介に恋をしたような気持ちになったのだ。
今だって外見は二の次で、彼がもちもちの豆大福みたいな外見をしていたとしても、龍之介への思いは微塵も変わらなかっただろう。逆にこれはこれで可愛いね~と愛おしく思っていたはずだ。
(無駄にイケメンなせいで、ただの幼馴染でしかない私がやきもちやかなくちゃいけないの、余計な心労を背負わされている気がするわ)
我ながらめちゃくちゃな論理だと頭ではわかっているが、心の中で思っているだけなら誰に迷惑をかけるわけでもない。
真帆はストローにかじかじと歯を立てながら、前を見つめたのだった。