脱・幼馴染宣言! 執着度高めのお巡りさんが「俺のこと好きだったくせに」と離してくれない 1
真帆は今、幼馴染と新宿のラブホテルにいる。
最悪の合コンからわずか二日後のことだった。
「下着……上下揃っててよかった」
いつもの調子でおどけてしまったのは、ほぼ裸の自分に不安を感じながらも、深刻に受け取られたくなかったからだろう。我ながら小心者すぎて情けないが、そういう性格なのだから仕方ない。
「揃ってなくても、それはそれで可愛いよ」
真帆が必死にひねり出した軽口を聞いて、ホテルに連れ込んだ張本人である幼馴染がゆったりとした口調で微笑む。
こちらはいつも通りに振舞えない自分に焦りを感じているというのに、この男はいつも通りの平常運転だ。これが経験値の差というものなのだろうか。
焦っているのは自分だけだと思うと腹が立ってくる。
「龍之介って、いつも女の子をそうやって甘やかしてるんだ?」
初めてベッドに入る男女の会話としては最悪だが、彼は特に気分を害した様子もなく、
「お前にだけな」
と低い声でなだめるようにささやいた。
彼の声は低い。けれどかすかに艶と色気があるので、つい言うことを聞いてしまう。
「そ……そうなの」
「そうだよ」
龍之介はこくりとうなずいて、また優しく目を細める。
これはいつもの『特別扱いという名の甘やかし』だとわかっているのに、途端に真帆の心はふわふわと軽くなってゆく。
(ああ……やっぱり龍之介と一緒にいるの、安心するな)
イレギュラーな環境下であっても、素肌に優しく触れる指先も、いつも通りの声色も、真帆を怖がらせることはない。
(だって龍之介だもんね)
真帆が軽く体から力を抜くのを見て、龍之介はブラジャーの表面をそっと撫でた後、背中の後ろに手を回して器用にホックを外す。胸をさらすのが恥ずかしくて両手で胸を覆うと、龍之介は「見せて」と言って手を外し、そのままゆっくりと胸の先にちゅっと音を立てて口づけた。
「っ……!」
感じたことのない感触に思わず体を震わせる。
「大丈夫。俺を信じて」
信じて──なんて。きっと他の男に言われたら鼻で笑ってしまうような言葉だが、龍之介なら信じられる。彼はいつだって泣きじゃくる真帆の頭を撫で、必要があれば抱きしめ、自身の温度を分け与えてくれたから。
この男だけは真帆を傷つけたりしないから。
(大丈夫、大丈夫)
(まほちゃん、大丈夫だよ)
(おれが一緒にいるからね)
龍之介は六歳から二十四歳になった今までずっと、真帆の精神安定剤なのだ。
*****
さかのぼること二日前──。
両手で耳を覆い左右からぎゅっと押さえ、すべての音を遮断するようにしばらく息を潜めていると、頭の奥から懐かしい海の波の音が聞こえる。
ざぁ……ざぁ……。
苦しい時や自分がどこにいるかわからなくなる時、体の奥にある海の音を聞くことで、心が落ち着く。これは真帆の幼い頃からのルーティーンだ。
深呼吸を繰り返し瞼を持ち上げると、パウダールームの鏡の中の人物も同じように瞬きを繰り返す。
(私の名前は涛川真帆です……社会人二年目の二十四歳で……総合商社である弥十森物産の総務部で働いています……今日は本気で彼氏を作るために合コンに来ました)
それから鏡の中の自分に向かって『よろしくお願いします』と少し強引に微笑みかける。
左右対称で完璧な卵型のフェイスラインに、お人形然としたぱっちりと大きな二重の目と繊細な鼻筋。柔らかい曲線の唇はぽってりしていて、清楚さとセクシーさを兼ね備えている。軽く巻いた豊かな黒髪は鎖骨の下あたりできれいに切りそろえられていて、顔を傾けるだけで、さらさらと清らかな音が聞こえてきそうだ。
(笑顔へたくそすぎ……人間一年生?)
震える口角を指で押さえながら元に戻すと、鏡の中の自分も同じくつまらない表情になる。だがそのおかげで、目の前にいる自分は間違いなく自分だと納得できるし、存在しているのだと思うことができる。
「──よし」
ぱちんと両手で頬を叩き気合を入れ、トイレを出て合コンが執り行われているテーブルへと向かうと、あちこちから活気のある男女の声が聞こえてきて、自分が世界に馴染んでいく感覚が体の中を広がっていく。
週末ということもあり、吉祥寺にあるカジュアルなイタリアンレストランは満員御礼だ。
春は出会いの季節と言われる。新人一年目の同期会もあるだろうし懇親会もあるだろう。だが周囲が楽しそうであればあるほど、真帆の気持ちはじんわりと冷えこんでいってしまう。
(今日こそ彼氏を作るつもりだったんだけどなぁ……)
隣の席に座った男はアルコールばかり飲ませる上にやたら距離が近かった。適当にあしらっているが、内心この男だけはないと早々に確信している。
この合コンで、友人から関係を深め、恋人になれるような相手を見つけたいと思っていたが、もうすでに諦めの境地だった。
(一次会で帰ろうかな……)
始まって一時間も経っていないが、二次会に行く気はとっくに霧散している。家に帰って熱いシャワーを浴び、自宅のホームシアターで祖父とコーヒー片手に映画でも観たほうが、よほど有意義な時間が過ごせるだろう。
そんなことを考えながら席に戻ろうとしたところで、
「真帆ちゃん、めちゃくちゃビジュ良すぎ!」
と、唐突に自分の名前が聞こえて、真帆の足はその場に縫い付けられたように動かなくなってしまった。
顔を見なくてもわかる。声の主は真帆を必死に口説いている男だ。合コンという場で見た目をジャッジされるのは仕方のないことなのかもしれないが、こういう声を聞くと真帆は途端に息の吸い方がわからなくなってしまう。
(さっき、儀式をしたばっかりなのにな……)
自分が誰だかわからなくなりそうな時、居場所がわからなくなりそうな時、真帆は自分に暗示をかける。
私は私。私はここにいる。確かに生きている、と──。
「まぁ、確かにきれいだけどさ~……あれって整形じゃない?」
「それ私も思ったぁ~。まぁ今は整形なんて珍しくないけどフフッ」
続いて、自分はすべてを見通していますよと言わんばかりの女性の声が聞こえてくる。
(また、あんなこと言われてる)
初めて会った人間を陰で整形と決めつける発言にうんざりするが、こんなやりとりには今まで何百回も遭遇している。もはや慣れっこだ。とはいえいくらぼんやりしている真帆でも、さすがにこの会話中に堂々と戻れるほど肝は据わっていない。
真帆は軽くため息をつき、身を隠すように柱に体をもたせかける。
社会人二年目で仕事にようやく慣れたと実感を持った真帆は、以前から漠然と抱いていた不安を解消するために、合コンに参加した。誘ってくれた学生時代の友人は広告業界で働いており、顔がとてつもなく広かったのだ。強引に誘われたわけではなく、真帆が以前から『合コンがある時は誘って』とお願いしていたのである。
男性陣は、外資系コンサル勤めのいわゆるエリートと呼ばれる人たちで、彼らが具体的にどんな仕事をしているかはよくわからなかったが、言動やファッションから羽振りがよさそうなのだけは見て取れた。それにともなう女子たちの気合の入りっぷりも。
なので真帆が「初めまして」と店で挨拶した時に、友人を除く女性陣が自分を見てあからさまにテンションを下げたことに真帆は気づいていたが、整形だのなんだのと言われると、やはり傷つく。
(私の話題なんか、やめてくれないかな……)
ため息をつきつつ自分のつま先を眺めていると、
「うちはエスカレーター式で、十二歳当時の真帆も知ってるけど、昔からまったく変わってないから。そういうこと言うのやめてよね」
友人がさらりと答える声が聞こえた。
(ミクちゃん~~!!!!)
美紅はショートボブが似合うすっきりとした和風美人で、いまだに個人的に連絡を取り続けている友人のひとりだ。ちなみに学生時代は女子校の王子様ポジションにいた女性である。
真帆が半泣きになりつつ心の中で感謝の祈りを捧げていると、
「すげ~。名門女子大卒で今は大手商社勤務か。完璧美人じゃん。俺、絶対真帆ちゃんとお近づきになるわ」
「まぁ、せいぜい頑張って。難しいとは思うけど」
「いやいや、障害は高ければ高いほど燃えるから」
そうして真帆の話題は、けたたましいほどの笑い声の中に消えて行った。
──いつまでもここに突っ立っていても仕方ない。
(よし……戻ろう)
真帆は大きく深呼吸を繰り返し、さらにスリーカウントしてから席に戻る。
(さっきの意地悪、聞こえてましたからね)
そんな思いを込めて女性陣に目を向けると、彼女たちは気まずそうに視線を逸らす。面と向かって言えない悪口を言った自覚があるなら、二度と陰口を叩くなと言いたい。
「真帆ちゃん、お酒なに飲む? 俺、一緒に注文するよ」
男子が浮かれた様子で声をかけてきたので、
「ありがとう。ウーロンハイをお願いします」
と応える。
いっそのこと酔いたい気分だったが、どれだけ飲んでもほんのり体が温かくなるだけの自分の強さが今は恨めしい。そう、真帆はものすごくアルコールに強かった。これまで酔わせてどうこうしようという不逞の輩を、もれなく全員潰してきた女である。
(この状況だったら、自分の身を護るために酔わないほうが正しいんだろうけど)
腰を下ろしつつ隣の美紅の耳元に顔を寄せささやいた。
「ミクちゃん、かばってくれてありがとう……なんだけど、それはそれとして雑にけしかけないでくれる?」
「なに言ってるの。そうでもしなきゃ、あなたは彼氏なんか一生無理だから」
「一生はないでしょ、一生は」
「いいえ、あの幼馴染がいる限り無理。絶対にね」
美紅は軽く肩をすくめて、それから何事もなかったかのように正面の席の男子と音楽の話で盛り上がり始めてしまった。
(絶対は言い過ぎだと思うけど)
ふてくされた真帆はかすかに頬を膨らませたが、彼女の言うことが間違っていないのもわかっている。
美紅が言う『あの幼馴染』というのは、長年にわたって真帆を甘やかし、目に入れても痛くないと言わんばかりに溺愛している男のことで、真帆と学生時代をともに過ごした友人たちの間で知らない者はいない有名人なのだ。
レストランを出て二次会に行く流れだったが、真帆はやんわりとそれを断った。
「疲れたから帰るね。今日はありがとう」
支払いを済ませ、その場に残っていたメンバーに手を振り歩き出すと、
「待って、送るからッ!」
真帆とお近づきになると宣言していた男子が、慌てたように後を追いかけてきた。
隣に並んだ男からは強い香水の香りがする。わざわざ振りなおしたのだろうか。香水は好きだが、TPOは考えてほしい。正直今は自分に向けられるあからさまな矢印が重くて鬱陶しくてたまらない。
「地元なので大丈夫です」
「そんなこと言わずに、家まで送るよ。夜道は危ないでしょ」
「駅でタクシー拾いますから」
できるだけそっけない声で申し出を断る。
そもそもレストランから駅まで徒歩五分程度だし、金曜の夜で人通りも多いので送ってもらう必要は微塵もない。というかこの男に家を知られたくない。
危ないのはお前だと内心思いつつ一応の礼儀として小さく会釈して歩を進めたが、
「遠慮しないでいいから!」
男子は歩き出した真帆の手から、なんと強引にバッグを取り上げてしまったのである。
あからさまに拒絶しているのに、なぜ前向きにとらえられるのだろう。
押せばどうにかなると思われているのだろうか。
「ちょっ……返してくださいっ!」
焦って彼の手からバッグを取り返そうとしたが、男子のほうもムキになっているのか、手が届かないほど頭上高くに持ち上げる。
「いいって、荷物くらい持たせてよ~!」
「っ……」
勝手な言い分にカーッと頭に血が上った。
(なにこいつ……!)
これが外資系コンサルの圧の強さなのかと偏見に満ちたことを考えつつ、肩に伸ばされた手を振り払う。
「もうっ、いい加減にして!」
叫んだ次の瞬間、真帆の目の前に壁のような大男が立ち、視界を遮ってしまった。
青いシャツに防刃ベストの背中を見てハッとする。
パトロール中の警察官ふたり組だ。
ひとりは百八十以上ある長身で、もうひとりはヒールを履いた真帆とそう変わらないくらいだが、警察官を見て怯まない人間などいない。
(そういえばここ……交番近くだった……)
頭に上っていた血が急激に引いて、全身がひんやりと冷たくなる。
「こんばんは、武蔵野警察署の者です! なにかお困りごとでも?」
背の低いほうの、元気はつらつを絵に描いたような警察官が警察手帳をこちらに見せながら、真帆のバッグを抱えた男に微笑みかけた。
「え、いやっ……別にちょっとじゃれてただけで……」
男はハハハと笑いながら急にしどろもどろになる。
警察官を前にして、あからさまにテンションを下げているのが腹が立つ。
真帆の話を聞かないふりをしていたのは、こちらを舐めていたからだろう。
「バッグ取られました」
真帆がはっきりと言い放つと、それまでニコニコ笑っていた警察官が一瞬で真顔になり「ちょっと詳しく聞かせてもらえますか」と男を追及する。
「ちっ、違う、俺は親切で! っていうか犯罪じゃないから! 俺たち知り合いだし! 家まで送るって言ってただけ!」
「そうなんだ~。でもお兄さん、だいぶ酔ってるみたいだね。嫌がる女の子にそういう風に迫っちゃダメだよ。うちの交番すぐ目の前なんで。ね、ちょっと寄っていってくださいね」
そして無言を通していた長身のほうの警察官が、真帆を肩越しに振り返って耳元で低い声でささやく。
「真帆、お前もだ」
彼が真帆の名前をはっきりと呼ぶ。
「……はい」
一難去ってまた一難。彼氏ができない理由ナンバーワンである男の登場に、真帆は深くため息をついたのだった。
男は交番で軽く注意を受けた後、放免された。さすがに酔いも一発で冷めたようで、そそくさと立ち去る後ろ姿を見て真帆は目頭をぎゅっと指で押さえる。
(まれに見る最悪な合コンだったかも……)
さすがに警察沙汰になるとは思っていなかった。改めて美紅には謝っておこう。
そんなことをぼんやり考えていると、
「家まで送る」
頭の上から低い声が響く。
顔を上げると、警察官が腰に手を当てて立っていた。普通に立っているだけだが、百八十五の長身なのでものすごい迫力だ。
彼の名は尾崎龍之介。年は真帆の四つ上の二十八歳で幼馴染でもあり、武蔵野弁天前交番の巡査長である。鍛え上げられた長身に小さな顔、長い手足。人生で一度も染めたことがない黒髪の下の眉は太く凜々しく、奥二重の瞳は黒目が大きくて底が知れない光をたたえている。鼻筋は通っていて口元はやんわりと上品に微笑んでおり、誰が見ても美男子だし、頼もしい雰囲気がある。非常に見栄えのする男だった。
だが真帆にとっては彼はただの過保護な幼馴染で、いくら不満があっても、ここは彼の言葉に素直に従うほかない。断るほうが面倒ですらある。
「わかった。ありがとう」
しぶしぶパイプ椅子から立ち上がると、もうひとりのわんこ系警察官が駆け足で近づいてくる。
「きみが噂の真帆ちゃん?」
「噂……?」
「そ! 龍之介が溺愛してる幼馴染のカノジョさんだって! あ、俺は警察学校の同期で同僚の加藤です、よろしくお願いしますッ!」
声は大きいが威圧感はない。龍之介の同僚を疑うわけではないが、知らない人間に対して身構えてしまうのは真帆のクセだ。
「加藤さん、ご丁寧にありがとうございます。涛川真帆と申します」
彼女と言われて一瞬息が詰まったが、ここでわざわざ否定するのも面倒だ。真帆は持ち前の社会性でにっこりと笑みを浮かべる。
「涛川って……もしかして元警視総監の?」
「祖父です。そこそこ昔の話だと思いますがご存じなんですね」
「もちろん。俺も地元民だしね!」
このあたりの警察関係者は『涛川』と聞くと、すぐに警視総監だった祖父のことを思い出すらしい。
アハハと笑っていた加藤だが、急に無線が入ったらしく「彼女なんだから龍之介ひとりでいいよな! あとはよろしく~!」と言い捨て、慌ただしく立ち去ってしまった。
龍之介が「まったく」とため息をついたが、肩をすくめ真帆を肩越しに振り返る。
「……じゃあ行くぞ。歩けるか?」
「うん」
うなずくと、龍之介は髪をかきわけながら手に持っていた制帽をかぶる。
弁天前交番から涛川邸までは徒歩圏内だ。
(パトカーで送るとかじゃなくてよかった)
祖父に知られたら余計な心配をかけてしまう。それだけは避けたかった真帆は、ホッと胸を撫で下ろしたのだった。
繁華街を離れて住宅街に足を踏み入れると人通りがなくなる。お互い無言だ。夜道ではコツコツと足音だけが響いている。さすがの龍之介も、職務中に御小言を言うのははばかられるのかもしれない。
このまま早く帰って寝てしまおうと思ったところで、
「俺と出かける時、そんな格好しないだろ」
龍之介が唐突とも言えるタイミングで口を開いた。
「……どういう意味?」
尋ねてから自分の服を見下ろす。
今日の真帆は、オフショルデザインのピンクのトップスに、フレアシルエットのライトブルーのデニムパンツを合わせたファッションだ。身長は百六十五と女性の平均より高いのでヒールは三センチと低めだが、わざわざ合コンのために帰宅し着替えたお気に入りの服である。我ながらイイ感じだと思っているので、文句を言われる筋合いはない。
膨れっつらになったところで、龍之介は少し焦った様子で、
「女の子っぽいっていうか」
と誤魔化すようにささやく。
彼の声色には、非難だけではなくどこか遠慮が混じっていた。
「そりゃあ合コンだし……いつもより可愛い格好するのは普通だと思うけど。っていうか、以前こういうの似合わないって言ったよね」
去年の夏、女友達と出かけた時にたまたまパトロール中だった龍之介と出くわしたのだが、彼はその日の夜にいきなり家に押し掛けてきて、真帆のファッションに苦言を呈してきたのである。あんまりにも腹が立ってその時の服はクローゼットに押し込んでしまったが、あの時の己の発言を忘れたのだろうか。
「そんなこと言ってない。ただ露出が多いからやめろと言っただけだ」
彼はきっぱり、なんら後ろめたいことはないと言わんばかりに言い放った。
「露出って……」
オフショルダー風のデザインであって、完全なオフショルダーではない。それにミニスカートを穿いてるわけでもなくデニムだ。表面積で考えたらどう考えてもスカートより覆われているはずである。
「変な男が近づいてくるだろ」
「なにそれ。変な人はどんな格好をしてたって近づいてくるよ」
真帆はぷい、と拗ねたように龍之介から大げさに顔を逸らしたのだった。
ふと、加藤が真帆のことを『溺愛してる幼馴染のカノジョさん』と言ったことを思い出して、胸の奥がざらつく。
(龍之介は私を溺愛なんかしてないしそもそも彼女じゃない! ただものすごく過保護なだけ!)
そう、彼はとんでもない過保護だ。初めて会った時からそれはずっと変わらない。
(私のこと振ってからも……ずっと、ずーーっと同じなんだからねっ!)
その昔、真帆は高校に入学したばかりの十五の春に、当時大学生だった龍之介に告白したことがある。
幼い頃から『にーに』と呼び慕っていた龍之介をいつの間にか『にーに』と呼ぶ回数が減っていたことに気づいた真帆は、ごく自然な流れで龍之介の恋人になりたいと告白したのだ。
その時の真帆は、断られる可能性なんて微塵も考えていなかった。
龍之介はずっと側にいたし、真帆を猫かわいがりして誰よりも優先してくれていたから。きっといいよとうなずいてくれると思っていた。
だが彼からの返事は、真帆の期待を裏切るものだった。
『高校生から見たら大学生は大人かもしれないけど、ちょっと前まで中学生だった子と付き合う大学生なんてヤバいから。お前は世間を見た方がいいよ』
そんな至極まっとうな返答で、真帆はあっけなく振られてしまったのである。
当然のことだが真帆はひどく落ち込んだ。ものすごく傷ついた。
『そうなの……?』
振られる事態を考えていなかった真帆は、思わず彼の前で半泣きになってしまったが、
『俺にとってお前が大切な女の子であることは、これからも変わらないから』
と優しく涙を拭われて、ホッとして涙が引っ込んだ。
(そっか……なら、いいかな……)
彼が大切にしてくれるなら、恋人でなくてもいい。幼馴染でいい。
それは悔し紛れでもなんでもない、素直な気持ちだったのだ。
おそらく自分は、身近な異性である龍之介に対する親愛を、恋心だと勘違いしていたのだろう。だからこれまでと変わらないのなら別にいいと納得もできた。
そして彼の言葉通り、真帆に対する龍之介の態度は告白の前後で一ミリも変わらなかった。
習い事で夜遅くなる時は必ず迎えに来てくれたし、休みの日に出かける時は映画でもショッピングでもなんでも付き合ってくれた。そんな周囲が引くほどの過保護ぶりは、彼が大学卒業後、警察官になった今でも変わらず続いているのである。
尾崎龍之介という男は、恋愛対象でもないただの幼馴染に、そこまでするおかしな男なのだ。
(まぁ、私はきっぱり振られてるし。もう勘違いしないからいいけど)
振られてから十年近く、真帆は龍之介に恋人にしてもらいたいなんて考えたことはない。幼馴染でいられるならそれでいいし、龍之介は一番の親友でもあるから。
だが今日に限っては、合コンがうまくいかなかったせいか、彼の干渉がちょっぴり煩わしく感じてしまった。
「龍之介は私に構いすぎ」
「大事なお前のこと、心配してるだけだ」
「それが過剰だって言ってるの」
龍之介がそんな態度だから、幼馴染の友愛を愛情だと勘違いする、自分のような悲しきモンスターが生まれてしまうのだ。
(もう、放っておいてよ。私も大人なんだから……)
真帆は声にならないような小さなため息をつき、顔を上げた。
百メートルほど先に涛川邸が見えてくる。広大な日本家屋である涛川邸は高い壁で覆われており、どこか周囲を圧倒する雰囲気がある。だが真帆にとっては安心できる我が家だ。
「──とにかく、人に頼まれたからって合コンなんて行くんじゃないよ。碌なことにならないんだからな」
隣では相変わらず、龍之介の御小言が続いている。そして最後にもう一押しと言わんばかりの苦言に、真帆は我慢の限界に達してしまった。
「──頼まれたわけじゃないから」
自分でも驚くほど低い声が出た。
「は?」
真帆の声に驚いた龍之介がその場に立ち止まる。
これまでがそうだったように、人数合わせで強引に合コンに参加させられたと思っていたのだろう。
一方の真帆は歩みを止めることなく、まっすぐに前を見つめながら言葉を続けた。
「私、ちゃんと彼氏作ろうと思うんだよね」
いつも通り、と意識したつもりだったがやはり緊張していたらしい。声が少しだけ震えてしまった。だが龍之介に動揺していることを知られたくなくて、真帆は背筋を伸ばしてさらに歩を進める。
「なんで?」
龍之介が駆け足で近づいてきて、隣に並ぶ。
「なんでって……今のままでいいとは思ってないから」
「今のなにが駄目なんだ」
「そりゃあ……いつまで経ってもおじいちゃんに甘えてさ……守られて……子供のうちは仕方ないとしても、私だってもう社会人になったんだから」
「年齢なんて関係ない。家族が家族を護ってなにが悪いんだよ」
龍之介は馬鹿らしいと言わんばかりにきっぱりと言い放つ。まるで自分もその一員だと言わんばかりの発言だ。
(あなたとは一滴も血が繋がってないんですけどね!)
これは彼を『にーに』と呼んでいた自分が悪いのだろうか。いや、最初にそう呼べと言ったのは間違いなく龍之介のほうだったはずだ。
(だから私は悪くない……!)
真帆はきりっとした表情で、隣を歩く龍之介を仰ぎ見る。