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今日、初恋をリセットします。 憧れの先輩に実はずっと愛されていたなんて!? 3

第三話


「あら? 久しぶりね」
「……ご無沙汰しております」
 さすがに挨拶をしないわけにはいかず、葵は軽く頭を下げた。正直、まだ清乃と直接顔を合わせたくなかったが、避けられなかったようだ。
「なに? まだ休憩中だけど」
「あと十分でしょ。その前に少し時間ちょうだいって言ったじゃない」
「それもう解決したって言ったのはそっちだろう」
「それは別件」
 春名が渋々立ち上がる。清乃は当然とばかりに頷いた。
「吉川さん、ごめんなさい。仕事だから」
「いえ」
「ごめん。俺から話しかけたのに」
「いえ。お仕事頑張ってください」
 葵にも時間の制限がある。本音を言えばいつまでも春名と話していたいが、そういうわけにもいかない。食事は三分の一程残っているので、急いで食べねば。
 無理矢理笑みを貼り付けて、小さく手を振った。すると春名にじっと見つめ返される。不思議に思い首を傾げると「なんでもない」と否定された。
 清乃は先に歩き出している。春名は一瞬彼女に視線を向け――もう一度、葵を見た。まっすぐに、しっかりと、正面から。
「――今度、飯行かない?」
「え?」
「ゆっくり話したいし」
「あ、はい」
 葵の返事を聞いて春名が安堵したように笑う。表情はよく知る彼なのに、瞳には甘さが滲んでいて全然知らない人に見えた。内心ドキドキしながらも、清乃のことはいいのかと不安になる。
「うん。――じゃあ、また連絡する」
「はい」
「吉川も、仕事頑張って」
 じゃあ、と春名が清乃を追いかける。その後ろ姿を見て、葵は小さく溜息をついた。
(――やっぱりお似合いだよね……)
 身長百八十センチを超える春名と、百七十センチを超える清乃。二人とも目を引くほどの美形で、並んだ時のバランスもちょうどいい。
 春名と対等に話せるぐらい、清乃も仕事ができるのだろう。
 たとえ彼に惹かれていたとしても、二人の関係を壊してまで彼を手に入れたいわけではない。
 食堂を出ていく二人の姿を見送っていると、不意に清乃が、視線だけをこちらに寄越した。葵と目が合った瞬間、にんまりと口元を歪めて笑う。まるで勝者の余裕を見せつけるように、赤いリップがゆっくりと持ち上がった。
(――初めから、敵うはずなんてなかったんだ……)
 葵はその顔を知っている。十年前、高校一年生のバレンタインデーの日に見た顔だ。あの日も清乃は同じ顔で同じように笑っていた。


      * * *


 偉大な三年生が引退して早七ヶ月。季節は二つ巡り新しい年を迎えた。
 先日、大学入試センター試験が行われ、いよいよ三年生の進路が決まる。早い人は年内に推薦で内定をもらっていたが、ほとんどの先輩たちはセンター試験を受けていた。葵の通う公立高校は県内でも進学率がそこそこよく、国公立大学や難関私立大学へ進学する生徒も毎年一定数いる。
 その日、葵は体育館の片隅でせっせとビブスを畳んでいた。先日練習試合で使用し、洗濯して乾いたものだ。マネージャーの先輩たち三人がいなくなって、仕事が回るかどうかと心配したけれど、部員たちも助けてくれるのでなんとかやっている。
「――吉川」
 久しく聞いていなかった声に名前を呼ばれ、葵はパッと顔を上げた。すると、春名が珍しく練習着姿でボールを持って近づいてくる。
「お、お疲れ様です! お久しぶりですね」
「うん。やっとセンター終わったから」
 春名は苦笑しながら、葵の隣にしゃがみこむ。指先の感覚を確かめているのか、ボールを指の第一関節に乗せてパスを続けていた。これは彼がいつもしていた運動だ。
「ほんとーに、お疲れ様でした」
「吉川も二年後な」
「い、言わないでくださいよー」
 五教科七科目勉強するのも大変だ。本音を言えば、葵は推薦で決めたい。
「センター試験の結果、聞いてもいいですか?」
「とりあえず目標は達成かな。ほんとギリだけど。あとはマークミスしていないか、記入ミスしていないかどうかが心配。欲を言えばもう少し余裕はほしかったけどね」
 春名が苦笑する。しかし、その表情は解放感に溢れていた。まだ二次試験が残っているが、とりあえず第一関門突破ということだろう。
「センター受けるだけで尊敬します。わたしは推薦で決まらないかな……と本気で思いますもん」
「縁はスカウトだって?」
「そうなんですよ。生意気にも四つの大学から声をかけてもらって、有頂天です」
「春高準優勝チームのエースだよ」
「わたしには偉そうな兄です」
 兄に冷たい妹が面白かったのか、春名が肩を揺らして笑う。その屈託のない笑顔を見ていると、心の奥にずっと閉じ込めていた感情が浮かび上がった。
 伝えるつもりもない、淡い恋心。彼を困らせてしまうぐらいなら、はじめから伝えないほうがいい。――そう思っていたのに。こうして話していると、欲張りになってしまう。
 その笑顔が自分だけのものだったらいいのに……と醜い心が顔を出した。
「そうだ。今年も、バレンタインするの?」
「はい、しますよ」
 男子バレー部では、毎年バレンタインにマネージャーから部員にお菓子が配られる。スーパーで売っている大袋のお菓子をいくつか買って、個袋に詰めるだけだ。
 昨年はマネージャーが三人いたので、それほど手はかからなかったらしいが、今年は葵ひとり。いい加減、このしきたりも廃止すべきでは? と思った星野がわざわざ部長の佐藤に提案してくれたが、断固拒否されたとのことだった。
「じゃあ、俺もちょうだい」
「え、いいですけど……。それなら三年生全員分必要ですよね」
 葵は引退した先輩たちの顔を思い出しながら、指を折る。そこにマネージャーの三名を加えると、総勢十一名だ。
(え、まって。ちょっと多すぎる、かも……)
 予算には上限がある。いくら大袋とはいえ購入量を増やさないと全員に行き渡らない。それをひとりでせっせと封入作業をするのも地味に面倒だ。
「他は要らないんじゃない? 俺はガトーショコラがいいけど」
「……え?」
「俺、ガトーショコラが好きなんだ。他は知らないけど」
 にっこりと笑いながら告げられて葵は固まった。一瞬聞き間違えたかと思うぐらい、都合のいい解釈をしてしまう。
(――えっと、ハル先輩はガトーショコラが好きで……バレンタインに欲しいってこと……? え? え? 他は知らないってどういう……)
 これではまるで「自分だけ特別扱いしてほしい」と言っているみたいだ。引退した先輩たちは、マネージャーを入れて十一人。なのに、彼らのことは「知らない」といい、自分の好みだけを伝えてくる。
「――だめ?」
 窺うように顔を覗き込まれてじわじわと頬が熱くなった。好きな人にお願いされて「だめ」と突っぱねられるほど、葵は強くない。むしろ好きな人なら全力でお願いを叶えてあげたくなる。大喜びでどうぞと差し出したくなる性格だ。
「……ず、ずるいです。だめなんて言えないじゃないですか」
 恨みがましい目で春名を見つめ返す。せっかく綺麗に畳んだビブスが手の中でくしゃりと潰れてしまった。
「だと思った。ごめんね? ずるい先輩で」
 反省の色のない顔が悪戯っぽく笑う。白い歯を見せた無邪気な顔に葵の心臓が撃ち抜かれる。
(あぁあああー、もぉおおお――――っ!!)
 久しぶりに顔を見られただけで嬉しいのに、こんなかわいくお願いされたら、断りたくても断れない。
(――あざとい、ずるい。でもかわいい……っ)
 葵は照れ隠しのように頬を膨らませてぷんすかする。にこにこしている視線から顔を背けた。だけど気になってそっと春名の様子を窺う。
 すると、まだ葵の隣に座り込んでボールで遊んでいた彼と目が合った。
 ボールの弾む音が、部員たちの笑い声が、不意に消える。さっきまで見えていたはずの風景がふわりとぼやけて、まるで世界に二人だけが取り残されたように錯覚した。
 春名はボールを止めると、口元人差し指を立てた。そして声を潜める。
「これは俺と吉川の二人だけの秘密。――内緒な?」
 緩やかに持ち上がった唇とは裏腹に真剣な目で見つめられる。葵はただ黙って頷いて、手の中のビブスをギュッと握りしめた。
 
「――絶対それ、葵に気があるよ!!」
「そうだよ!! じゃないと自分からわざわざ言わないって!!」
 内緒、と言われたものの葵は混乱して誰かに相談したかった。よって、口が堅く仲のいい友人に春名のことを相談すると、興奮気味に力説された。
 春名は〝かっこいい先輩〟の一人として学校ではまあまあ有名だ。彼女たちは何度も葵を迎えに教室まで来ている彼を見ているので「やっぱり両片想いだったんだ」とはしゃいでいる。
「でも、まだそうとは限らないし」
「限りなくそうよ! ってことで、ケーキは作る! 告白もしちゃおう!!」
「こ、告白!?」
「だって、卒業したら学校で会えなくなるんだよ? でも、彼女なら理由なく会えるし、連絡もできちゃうよね。今までみたいに遠慮しなくていいし。彼女だから」
「それが恋人の特権よね」
(――恋人の特権……)
 ものすごいパワーワードに引き寄せられて、俯いていた顔を上げた。その瞳にはもう、先ほどの迷いは一切ない。
 さっそく葵は行動に移した。まずは春名に「手作りでもいいですか?」と聞いてみる。学校と最寄り駅の間に小さな洋菓子店があるが、閉店時間までに部活は終わらない。大きな駅まで行けば、夜遅くまで開いている店もあるだろうが、取りに行くと渡す時間も遅くなってしまう。結局前日の夜に作る方が色々と都合がいい――なんて理由をこじつけてみるけど、一番は、せっかく好きな人に想いを伝えるなら、市販のお菓子より自分で作りたいと葵は思った。だけど、手作りが苦手な人もいるのでとりあえず彼に確認した。
 すると春名から「楽しみにしている」という返信が来た。俄然やる気が出る。
 葵はその日から時間さえあれば、ガトーショコラを作った。初めての出来は生焼けで次は思い通りに膨らまなかった。レシピにある材料をただ分量通りに量って混ぜるだけなのにうまくいかない。試行錯誤しつつ、四回目にようやく及第点になり、本番前日、春名に渡すそれは一番いい出来上がりだった。
 合格圏内のケーキを作った後は、手紙を書く。言葉にして直接気持ちを伝えるのは恥ずかしいのでペンを取った。色々と悩みながら、何度も直して書き上げた手紙。結局シンプルに「――好きです、付き合ってください」と記しただけの告白文だった。
 生まれて初めて渡す本命チョコ。おまけに気持ちを伝える手紙付きだ。
 春名がどんな反応をするのか、楽しみ半分、不安半分で登校した。夜遅くまで準備をしていたせいで寝不足だが、頭はずっと興奮気味でアドレナリンが出ていた。授業は全然集中できなくて、ずっと放課後のことを考えていた。おかげで時間はあっという間に過ぎていく。
 その日は春名が試験で、試験が終わる夕方、体育館に来てくれることになっていた。練習終わりにでもこっそりと渡そうかな……と考えながら四時間目を終えて友人たちと食堂に向かう。そして、楽しく賑やかな昼休みを過ごし、教室に戻ろうとした時だった。
「――吉川さん」
 廊下を歩いていると、対面から清乃が歩いてきた。いつもなら言葉を交わすことなく会釈して通り過ぎるだけだが、珍しく彼女に呼び止められた。
「もしかして陽裕に渡すつもりでいる?」
 清乃がいったい誰のことを指しているのか一瞬葵はわからなかった。遅れて〝陽裕〟が春名の名前だと気づく。反応の鈍い葵に清乃は続けた。
「男子バレー部って、毎年マネージャーがバレンタインに渡すでしょ?」
「はい」
「あれ、やめてもらえる? たとえ義理でも彼氏が他の女からチョコをもらうのは、気分が悪いから」
「――え?」
 清乃の言葉に頭が真っ白になる。彼女は勝ち誇ったように微笑んだ。
「陽裕と付き合い始めたの。だから、陽裕には渡さないでね。迷惑だから」
 清乃は言いたいことだけ言うとその場を去っていく。友人たちが清乃と春名に文句を言っていたが、葵の耳には聞こえなかった。
(――ハル先輩と高橋先輩が……。なんだ、そっか……)
 じわりと瞼が熱くなる。心配する友人たちには「大丈夫」だとなんとか取り繕っってみたものの、衝撃は大きかったらしい。
「――ごめん、体調悪いから帰るね」
 息ができないほど胸が苦しい。冷や汗が止まらなくて、葵は学校を早退した。人生で初めて仮病を使い、部活動も休む。春名に会いたくなかった。笑って「おめでとう」と言える自信が、今はまだなかった。
 
      * * *
 
(――まさかあの夜、熱を出すとは思わなかったけど)
 清乃から告げられた事実に打ちのめされ、逃げるように帰宅すると加賀谷が家の前で兄を待っていた。三年生はもう授業がなく、学校は自由登校だ。
 さらに兄も加賀谷も推薦で内定をもらっている。
 自転車を漕ぎながら泣いていた葵は、加賀谷に理由を詰められて渋々話した。話している途中、やはり感情が溢れ出して、醜態を晒した記憶がある。行き場のなくなったガトーショコラはその際、加賀谷に処分してもらった。
 加賀谷の前で散々泣いて、ベッドの中でも気が済むまで泣いて。そしたら、その夜に発熱し、インフルエンザに罹患した。体調がよくなった頃にテスト期間に突入し、部活動は停止だ。卒業式はちょうどテスト期間中だったこともあり、春名とはその話をちゃんとしないまま、お別れした。ただの部活の先輩と後輩として。
(――でも、よかった。ハル先輩の前で大恥かかなくて済んだから)
 初めて恋をした葵に、見極めるなんて無理なことだった。好きな人に求められて嬉しくて、舞い上がってしまったのだ。まるで、葵の気持ちが欲しい、と言われていると思って勘違いした。
(――だから、十年経っても先輩と後輩でいられる……)
 バレンタインなんてただのイベントだ。きっと彼は、お願いすればくれそうな女子に声をかけたのだろう。それが同じ部活の後輩で葵だっただけ。
 なんとも思っていないから、〝ガトーショコラがいい〟と言えたのだ。
 どうでもよかったから、恋人を作って葵の気持ちを踏み躙れた。
 でも春名は葵の気持ちなんて知らないから、そのことを責めるつもりはない。ただ、葵が一方的に彼に好意を持っていただけ。それに不思議と彼に嫌な感情は抱かなかった。再会した時も彼にまた会えて嬉しいと思った。これぞ、惚れたもん負け。葵はたぶん一生、春名に勝てる気がしない。
「――吉川」
「あ、お疲れ様です」
「お疲れ。待った?」
「いえ。ちょっと前に来たところです」
 春名と連絡先を交換した夜、改めて食事に誘われた。清乃のことが気になったが、二つ返事で承諾した。葵たちはあくまで高校時代の部活の先輩と後輩だ。それ以上でもそれ以下でもない。
(――とは思いつつ、ワンピースとか着ちゃっていますが……)
 いつものオフィスカジュアルに比べると随分気合が入っている。
 渡辺や坂井に「おでかけ?」「デート?」と揶揄われたぐらいだ。メイクも入念に直して食事に臨んだ。きっと今日が春名と二人で食事をする最初で最後。――だから一度ぐらい、春名の前で綺麗な自分でいたかった。
「すっかり寒くなったな」
 待ち合わせはオフィスビルの一階、再会したコンビニの前だ。春名は合流すると、すぐに歩き出した。建物から出ると冷たい外気に思わず目を細める。吐く息は白く、ふわりと初冬の夜空に消えていった。

 

 

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