ライバルなのに愛し合うなんてごめんです!? 御曹司なモテ男の執着愛 2
月曜日から残業するのが当たり前になっている遥香が帰り支度を始めたのを、珍しいものを見る目で上司が眺めてきた。
「お、今日は随分早いな」
「定時に帰るのは、社会人の常識ですよ」
「ははっ、そりゃそうだが槙野さんや私みたいな仕事大好き人間からすると、疑問なくついつい終電との戦いになっちゃうんだよな」
「身体を壊したら元も子もないので、休める時には休まないと。あと上司が率先して退勤してくれないと、部下は帰り辛いんですよ」
ささやかな反論をすると、彼は笑ってごまかした。おそらく今夜も遅くまで社内に残るつもりなのだろう。
先日人事から勤務体制についてお叱りを受けたばかりなのに。
仕事の上では頼りになるが、働き過ぎなのは否めない。家族だったら大変だろうなと、上司の妻には同情せざるを得なかった。
「ああそういえば昼間、高峰さんとまたやり合ったんだっけ。槙野さんはあいつとぶつかった日は、早めに帰ることが多いよな。上質なパフォーマンスを維持するには、気分転換が大事だ。自分で切り替えられるのは偉いぞ」
妙なところで勘が鋭い上司に、遥香は動揺が顔に出ないよう無表情を取り繕った。
──秘かな法則に気づかれていたとは……本当、侮れないな。
「プライベートに言及するのは、駄目ですよ」
「褒めても文句を言われるの、上司は辛いわ。とにかくお疲れ様」
「お先に失礼します」
泣き真似をする上司に会釈し、遥香は社屋を後にした。
心の中では昼間のモヤモヤがまだ消化しきれていない。こんな気分を家へ持ち帰りたくなくて、足は自然と駅とは逆に向かった。
ささくれ立った気持ちは発散してから帰るに限る。
身体を動かすことが好きな遥香は、以前はジムに登録していたものの、今は退会していた。
仕事が忙しく、会費を払うだけでまともに通えないためだ。なかなか時間が合わないし、休日は疲れてしまうのと溜まった家事に追われるのとで、足が遠退いた。
それに着替えやタオル、水筒などの大荷物を抱えて出勤するのが煩わしくなってしまったのも理由の一つ。ただでさえタブレットだ資料だと大荷物を持っていることが多いので、うんざりしてしまったとも言える。
──運動は楽しいけど、根が面倒臭がりなんだよね、私……
ズボラを自認しつつも、やはり汗を流してリフレッシュはしたい。
可能なら手ぶらで。予約不要で思い立ったら気軽に行動できる方がいい。そんな条件を満たしてくれるのは──
目的地に向かい、遥香は自然と足早になった。
いつの間にか周囲の景色は居酒屋から別のものへ変わっている。
猥雑で目立つ看板もあれば、一見お洒落な外観まで。だがどれも『宿泊』だけでなく『休憩』できるホテルである。
新旧入り交じった独特な建物が建ち並ぶのは、駅からやや離れた裏通り。
秘め事の気配が漂うこの空気は、いくら洗練されたものが増えても、どこか昔と変わらなかった。
その先に目的のホテルはある。近年は『そういう目的』以外の、女子会やイベントなどにもよく使われるおかげで、女一人でも気後れしなくて済む。
迷いのない足取りで進んだ遥香は、軽く周囲を確認すると、そそくさとエントランスを潜った。
待ち合わせの部屋番号は既にメッセージで届いている。今日は珍しくあちらの方が早く到着したらしい。
いつもはだいたい遥香の方が先にチェックインして待っているので、やや新鮮な心地がした。
だからなのか、到着を知らせるノックに一瞬迷う。空中で拳が止まり、苦笑したのはご愛敬だ。
今更、この関係を悔いるつもりも開き直る気もない。
これはただの運動。ストレス発散のためにするスポーツの一環だと己に言い聞かせ、遥香はやや乱暴に扉を叩いた。
「お待たせ」
「別に、そんなに待っていない。むしろもっと遅くなると思っていた」
現れた男はまだジャケットを羽織ったまま。待っていないというのは、本当なのだろう。
遥香を室内へ通すと、彼はベッドに腰を下ろした。
「夕食は?」
「昼を食べ損ねて、半端な時間に栄養補助食品を口にしたから、まだ空いていない」
「俺もだ」
互いに仕事を優先し過ぎて食事は抜きがち。身体に悪いと分かっていても、なかなか治らない悪癖だった。
遥香は備え付けの棚の上へ鞄を置き、しばし迷った後に椅子へ座る。
部屋に一つしかないベッドに腰掛けた男の隣に行ってもよかったのだが、何となく距離を置いた次第だ。
彼は妖艶な視線を寄越してきたが、特に何も言わずに伸びをした。
「今日も疲れたな。まだ月曜日だって考えると、ゾッとする」
「そんなこと言って、休日も何だかんだ働いているくせに。もう仕事が趣味みたいなものじゃない?」
「趣味と義務は違うんだよ。そりゃ、今の仕事は楽しいけど」
さほど広くもない密室に若い男性と二人きり。だが警戒心は微塵も湧かなかった。何故ならこんな状況は初めてではない。
これまでに何度も──月に数回はあることだ。しかも五年前から。
友達でも恋愛関係でも、それだけの年月を密に過ごせば、気心は知れる。長く交流できるのは、相性がいい証明でもあった。
もはや慣れ親しんだ空気に、遥香の疲労感が癒されていく気がする。
どんな関係性であれ、『一緒にいて嫌ではない』のは、大事な要素だ。
特に社会人は、内心で疎んでいても表面上穏便な人付き合いが求められる。対人ストレスは、思いの外大きい。
そういった煩わしさを考慮せず同じ時間を共有できる間柄は、貴重だと断言できた。
大人になると、残念ながら気楽に交流できる相手は減っていく。コミュニティや属性によって友人ですら変容していくものだから。
そういう意味で、遥香にとって彼の存在は得難い宝だった。
ただし二人を定義するのは『友達』でも『恋愛関係』でもない。
「……じゃあ時間がもったいないし、一緒にシャワーを浴びる?」
雑談で緩んでいた空気が唐突に艶を帯びた。
こちらに向けられた男の視線には、明らかに情欲が揺らいでいる。社内では決して見られない種類の眼差しが、遥香の内側に火をつけた。
「そうだね、さっぱりしたい」
敢えて軽い調子で返して、遥香は先に立ち上がった。そうしないと、どこか『負けた』心地になる。
勝負ではないものの昼間に続いて再び敗北感を味わうのはごめんだ。
彼──高峰光琉よりも先にバスルームへ向かい、サクサクと服を脱いでゆく。
一般的なビジネスホテルよりかなり広く、可愛らしい造りをしたバスルームは、遥香のお気に入りでもあった。
彼と会うのは、大概ここだ。それ以外は滅多にない。
そんな二人の関係を定義するのにピッタリな言葉は一つ。
セフレである。
交際ではなく、あくまでも身体だけの関係。恋愛感情は介在しないが、やることはやる即物的なもの。
光琉とセフレになったきっかけは、入社したての飲み会だった。
遥香はそれなりに酒が強いし嫌いじゃない。だが自分でも厄介だなと思うのは、泥酔しているのが表に出ないことだ。
顔色はあまり変わらず、言動もしっかりしているらしい。
実際には自力で帰宅が困難なほど酒に呑まれていても、一見平然としているのだとか。
これまでは酒の席で運よく危険な目に遭ったことがなかったので、遥香自身油断していたのは否めない。
その日は皆と別れた後に動けなくなり、朝目覚めると見知らぬホテルの一室で、隣には一糸纏わぬ光琉が眠っていたのである。
言わずもがな、遥香も素っ裸だった。しかも『何もなかった』と言うには、ベッドや身体に証拠が残り過ぎていて、『やらかした』のは明白。
そもそも断片的ながら、だいぶ盛り上がった記憶が残っており、過ちを犯した事実から目を逸らすのは許されなかった。
彼曰く、『槙野さんがかなり酔って見えたので、心配して戻ったら、成り行きでこうなった』そうだ。
ノリノリだったのは、遥香の方。
せめて何も覚えていなければアクロバティックに被害者ぶれたかもしれないが、残念なことに半ば強引に光琉をホテルに連れ込み、上機嫌で彼を押し倒し、裸に剥いてのしかかったのを、遥香の脳が記憶している。
肝心な理性や道徳観はアルコールで消失したのに、いっそ葬り去りたかったものが残っているのは皮肉な話だ。
とにもかくにもそんな経緯で、遥香と光琉は同僚の一線を越えてしまったのである。
普通なら、『全部なかったこと』にするか『これを機に交際』となるのかもしれない。
けれど二人が選んだのは、表向きは現状維持。そして裏では秘密のセフレ関係だった。
つまり社内ではそりの合わないライバル同期。プライベートでは身体だけの付き合いに落ち着いたのだ。
──仕方ない。だって最高にリフレッシュできたんだもの……!
ジムに通うよりもお手軽で、ストレス発散効果は絶大。
肌は艶々、心に溜まった苛立ちは見事に解消。
予約や準備は必要ない。思い立ったら即利用できる、便利なアクティビティのようなもの。特に光琉と意見がぶつかった後には、より熱気が高まり、満足感が得られた。
色んな意味を含んだ興奮が、絶妙に作用するのか。
何度か肌を重ね、遥香は見事に沼ってしまった。
いつも自分を煽ってきて敗北感を抱かせる同僚との、極上に気持ちいいセックスに。
それまで身体の相性がいい云々など、正直眉唾だと思っていた。しかし、『他とは比べ物にならない』というのは、真実あるらしい。
遥香は特別奔放でもないし、経験人数だって他には元カレ一人なのだが、性欲は一般的な女性より強めと言われても仕方ない。
気持ちいいことは大好きだ。
学生時代は運動で汗を流すことで保っていた心と身体のバランスが、就職を機に崩れ始めていたのも影響し、光琉との爛れた関係から抜け出せなくなったと気づいた時には、後の祭り。
ものの見事に嵌っていた。
所詮人間は快楽に屈するもの。
当初こそ『こんな不誠実な関係は駄目』と己を戒めたが、覚えてしまった愉悦と手軽さに再び手を伸ばさずにはいられなかった。
二度目の過ちは四か月後。三度目はそこから二か月後。段々スパンが短くなり──今では月に数回は肌を重ねている有様。口が堅い彼が言い触らさないのをいいことに、ズルズルと。
我が儘で欲望に忠実な遥香は、切磋琢磨できる好敵手の座も、都合のいい関係も捨てたくなかった。
こうして人生で初めて『セフレ』を手に入れることになったのだ。
──今思うと、我ながら馬鹿な選択をした。高峰さんと不純な関係になるなんて。……でももしも過去に戻ったとしたって、私は同じ間違いを犯しそう。
愚かだと分かっていても、この沼はあまりに居心地がいい。
鬱屈が解消されて適度に疲れ、よく眠れる。それでまた明日から頑張って生きようと気持ちを切り替えられるのだ。
仮に彼とそうなっていなかったら、今頃遥香はストレス塗れで心身共に疲弊していてもおかしくなかった。
今ではなくてはならない習慣。仕事で腹が立った時ほど、必要不可欠。
一つ問題があるとすれば、怒りの原因の大半は光琉にもたらされたものという点だった。
「あ……」
大きな掌が、こちらの素肌を滑ってゆく。その力加減は絶妙で、もどかしさと仄かな愉悦を与えてくれた。
この男は女を悦ばせることに長けているのか。そう思うと面白くない気分が込み上げたが、遥香は強引に捻じ伏せた。
今夜は快感を味わうことを優先したい。
双方生まれたままの姿で、バスルームで抱き合う。遥香の背中を辿った彼の手が臀部に至り、淫蕩な手つきで撫でられた。
「擽ったい」
「遥香の肌は滑らかで、ずっと触っていたくなる」
行為の間だけ光琉は遥香を名前で呼ぶ。それが何とも言えないざわめきを心の中に生む。むず痒いような、落ち着かないような、名状し難い感覚だ。
嫌ではないが諸手を上げて歓迎もしたくなくて、遥香はさりげなく彼の肩辺りに顔を埋めた。
──甘い台詞を囁いてくれちゃって。
快楽を目的に繋がる関係には、睦言なんて必要ない。この場を盛り上げるためには有意義かもしれないものの、据わりの悪さを遥香に抱かせるなら、逆効果でもあった。
自分たちはそういう関係じゃないのにね、と考えずにはいられない。
ほんの一時、淫らな時間を共有し、悦楽を分け合うだけ。
それ以上でも以下でもない。
表の生活を維持するための、いわばサプリメントや刺激に過ぎなかった。そこに余計な感情なんて、いらないのである。
光琉のリップサービスは華麗に聞き流し、遥香は背伸びして彼の首に吸い付いた。
届くなら耳朶を齧りたいところだったが、床が濡れている状況では足元が若干危うい。
その上泡塗れでは、滑って転ぶ恐れがあった。
そこで首筋で妥協したのだが、張りのある男の肌はいくら啄んでも狙い通りの痕を刻むのは難しい。
思い通りにならない不満から、遥香は彼の頭へ手を伸ばし、力任せに引っ張った。
「痛っ」
「見下ろされるの、気に入らないな」
「そんなこと言っても、身長差があるからどうにもならない」
「だったら、座ってよ」
拗ねた振りで告げれば、光琉は苦笑して床に胡坐で座ってくれた。
遥香の気まぐれや勝手な要求には、慣れていると言わんばかり。気に留めた様子はなく、素直に従ってくれる。
更に「これでいいか?」と言いつつ両手を広げてくるものだから、遥香は傲慢な演技を崩さずに「まぁまぁね」と返した。
「女王様のご命令通りに」
「誰が女王様よ。そっちこそあちこちで王子様なんて呼ばれているくせに」
遥香は彼の脚を跨ぐ形で腰を下ろす。向き合った体勢はいわゆる『対面座位』だ。
キスをしながら泡の残る肢体を擦り付け合い、高揚感を高めてゆく。舌を絡ませる卑猥な口づけが水音を立て、よりふしだらさを強調した。
戯れの言葉に相応しく、繋がらずにいやらしく身体をくねらせる。
幾度も遥香の蜜口に光琉の肉杭が掠めたが、二人とも焦らすことを楽しんだ。
体内に燻る熱は一刻も早い解放を望んでいる。だが限界まで我慢した果てにある恍惚を思えば、容易に終わりを迎えるのはつまらなかった。
「ん……ふ、ぁっ」
突然頭上からシャワーが降り注ぎ、遥香は驚きに目を見開く。
完全にキスに夢中になっていて、彼が操作したことには気づかなかった。
焦点がぶれる至近距離で光琉を見れば、『してやったり』と言いたげに瞳に愉悦を浮かべている。
やり返したくなった遥香は、シャワーを止め、今度こそ彼の耳朶に歯を立てた。
「噛み癖のある女王様だな」
「そっちが悪戯ばっかり仕掛けてくるからでしょう」
主導権は握っていたい。遥香が抱かれているのではなく、こっちが抱いているのだとアピールするつもりで、既に硬くなっていた光琉の屹立へ手を這わせた。
「……っ」
「何だ、そっちもやる気じゃない」
「そりゃそうでしょ。昼間あれだけ言い合ったら、スイッチ入るって」
二人の間では、仕事上での衝突はセックスで解消するのが当然の流れになっていた。
派手にやり合った時ほど、情欲が高まり『欲しく』て堪らなくなる。強引に苛立ちを抑えても、忘れようと頑張っても、所詮は無意味。
きれいさっぱり消化するには、その日のうちに汗を流し、違う刺激で苛々を押し流すのが一番手っ取り早いのだ。
最初は事故的に始まって、いつしか『揉めたらホテルへ』という謎のルールが爆誕したのは、神様の気まぐれかつ悪ふざけか。つくづく人間とは理不尽な生き物である。
しかもそれで色々なことが上手く回ってしまうのだから、遥香が彼との関係を断ち切れないのもやむを得ないのかもしれなかった。
すっかり泡は流されて、濡れ鼠の状態で吐息を奪い合う。温水になる前にシャワーを止めてしまったので、やや体温が奪われた。
だがのぼせる寸前まで高まっていた肌には、丁度いい熱冷ましになったのかもしれない。
それでも冷静さを取り戻すには足らない。噛みつく勢いのキスは、肉食獣さながら。
自ら仕掛け、合間にはぐらかす。
遥香の手の中にある剛直は、逞しくより硬度を増した。
この先に得られる喜悦を思い描くと、体内が潤むのを感じる。心音は速まり、呼気が滾った。
脚の付け根は既に潤っている。
本音では一秒たりとも我慢できない。それでも焦らされた後に得られる絶大な快楽を想像し、遥香はひっそりと喉を鳴らした。
「今日のアレ、本当にムカついたわ」
「ごめんって。すぐ手を打たないと大問題に発展する予感がして、連絡を後回しにした」
「で、そのまま私への報連相を忘れたと」
「悪かった。今後は気をつける」
両手を広げて『降参』のポーズをとる光琉に遥香の溜飲が下がる。
蒸し返しはしたものの、彼に間一髪助けられたのは紛れもない事実だ。
もし何もせず週明けまで手をこまねいていたら、無傷では済まなかっただろう。何せ今回の案件は主婦層がターゲットである。
起用するタレントのイメージがクリーンなのは、絶対条件だった。
──不倫スキャンダルなんて一番以ての外だわ。
トラブルに巻き込まれない手腕も、遥香たち広告関係の職種には必要なスキルだった。
今回は危うく遥香が転びかけ、光琉が直前で支えてくれた形だ。ありがたいのだが、相手が彼だからこそ素直に感謝しきれない。
どうしても意地を張りたくなる。対等なライバルでいたいからこそ。
そんな葛藤を振り払うため自らキスを仕掛けて、遥香は舌先で誘惑を施した。
いやらしい水音を意図的に立て、身をくねらせる。
男の目にいやらしく映るのを期待し、殊更ゆっくりと彼の昂ぶりを手で扱いた。
「……っ」
控えめに喉を鳴らした男が、艶めいた瞳をこちらへ据えた。
鋭さと甘さが混在する眼差しが自分へ向けられていることが、遥香の愉悦になる。
社内では他に誰も知らない光琉の表情。反応。声と色香。
それを自分のみが鑑賞できる優越感が心地いい。常々『遊び相手はいらない』と口にしている彼が遥香には気を許している──そんな勘違いが余計に興奮を募らせた。
──あの初めて寝てしまった日の翌朝、『俺は不誠実な気持ちで女性に手を出さない』なんて言っていたくせに、結局は快楽に抗えないなんて、高峰さんも普通の男性だったんだな。きっと手近なところで遊ぶと本気になる女がいて面倒だから、私の『セフレ』提案が渡りに船だったんじゃない?
並外れたイケメンだって性欲はあるものね、と妙な納得をし、遥香は肉槍の先端を弄った。
「く……っ」
悩ましい呻きを漏らした光琉が、恨めしげな視線を遥香に注いできた。それでゾクゾクし、もっと彼を追い詰めたくなる。
一気に攻め込むつもりで頭を下げてゆくと、遥香の唇が剛直に触れる前に動きを止められた。
それも額を掌で押さえられて。まるで犬に『マテ』を命令するようである。
困惑と思い通りにならない腹立たしさが込み上げ、間抜けな体勢のまま遥香は光琉をジト目で睨んだ。
「何」
「遥香の気持ちは受け取った。でも俺、されるよりする方が好きなんだよね」
「ひゃ……っ」
言うなり抱え直されて、持ち上げられる。
大人二人でも余裕のある広いバスルームは、遥香の住むマンションのものより、ずっと大きい。
今回は違うけれど、露天風呂付きなんて部屋もあるのだ。非日常が味わえ、リフレッシュできる点には感嘆しきりなのだが、『そういう目的』仕様でもあるので、そこかしこに淫靡な用途が想定されている。
この一室も例外ではなく、無駄に広いスペースの中には謎のソファーが鎮座していた。
濡れても問題ない素材ではあるものの、遥香の常識に当て嵌めると『風呂場にソファー』は異質だ。
温泉やサウナなどで休む椅子が置いてあることはあるけれど、ここは流石にそこまでの広さはない。
そういう中でドーンッと存在感を放つ『休憩場所』の意図は明らか。
──そもそも休む気なんてさらさらないのにホテルに設定された『休憩メニュー』自体がアレなのかも。
遥香はそっとソファーに下ろされ、ドギマギする。何となく湯の張られていないバスタブへ視線をやれば、光琉が口角を上げた。
「入浴したいなら、お湯を溜めようか?」
「いや、まぁ、それは後で」
「だよな。俺も今すぐ遥香を抱きたい」
直球の口説き文句でクラクラした。
飢えているのは双方一緒。いくら焦らした方が満足感が大きいことを知っていても、ものには限度がある。
そろそろ本気で我慢の限界に差し掛かっており、遥香は覆い被さってくる彼を受け止めた。
光琉の髪は指通りがよく柔らかくて、触れていると気持ちいい。
だがそれ以上に肌が触れ合った部分から蕩けてゆくような逸楽があった。
じわじわと温かな湯に浸かるのに似ている。もしくは深呼吸した時の清々しい解放感。
これからしようとしている淫らな行為とはかけ離れた感覚を味わい、同時に期待感で身の内が戦慄いた。
──こんな関係は五年目なのに、飽きないのがすごい。
通常、恋愛ホルモンは三年ほどで分泌量が減少すると言われている。以降は段々相手の粗が見え、気持ちも萎んでゆくものだと。
──なのに飽きるどころか、肌を重ねる毎に新鮮味が増して新しい発見があるって、奇跡じゃない? よっぽど私たち身体の相性がいいんだろうなぁ。もっとも、恋愛じゃないからこそ、続いている可能性が高い。
愛や恋ではないからこそ、純粋に快楽を追い求められる。面倒なことは考えず、欲望をぶつけ合える関係は、ひょっとしたら恋人同士よりも貴重と言えるのかもしれなかった。
互いに欲しているのは、一時の快感。丁度いい温もりと、汗を流した充足感。
目的がハッキリしているから遠慮はいらない。駆け引きも。見栄も。
そういうところが楽過ぎて、遥香は近頃『肉欲を高峰さんと安心安全に解消できるなら、もう今更面倒な恋人はいらないなぁ』と半ば本心から思っていた。
いつまでもこんなふしだらな秘密を維持できないのに。
即物的な思考は危うさを孕んでいても──こうして触れ合ってしまうと、何もかもが後回し。甘い毒に抗えない。
彼以上に遥香を忘我の境地へ連れて行ってくれる人はおらず、不快感を一切抱かせない相手もいない。煩い要求をせず、こちらの都合にばっちり合わせてくれる理想のセフレも。
──キス、上手いなぁ……いちいち言わなくても察してくれて、私が嫌なことは絶対しない。勿論避妊は完璧。乱暴じゃないし、毎回私を夢見心地にしてくれる。
そっと素肌を辿る手つきは、遥香の感度を的確に高める。
強弱も場所も、遥香の望みを全部汲み取って与えられた。それでいて濃厚な口づけで、軽い酸欠状態にさせられる。
頭がボンヤリすると身体は敏感になり、遥香の胸の頂が赤く色付いた。
「ぁ……っ」
先端を捏ねられ、愉悦が滲む。
体勢が崩れ、尻が座面を前へ滑った。すると光琉が床に膝をついて、遥香の脚の間に陣取る。その位置からは、恥部が丸見え。
反射的に股を隠そうとして伸ばした遥香の手は、易々と彼に捕らわれてしまった。
「いつまで経っても、遥香はこれを恥ずかしがる」
「だって……っ」
「いい声で鳴いてくれるのに」
「ん……ッ」
座り直そうとするより早く、もっと腰を前に引き寄せられた。
当然、遥香の鼠径部が光琉の目の前に差し出される。羞恥心で姿勢を正そうとしたが、一歩遅かった。
「ん、ぅッ」
彼の指で花弁を開かれ、奥に隠れた淫芽を舌で探られた。
鮮烈な刺激が脳天まで駆け抜けて、遥香の爪先がギュッと丸まる。
肉厚の舌はたっぷりと唾液を纏い、柔らかでありつつ力強い。それが慎ましやかだった花芯をたちまち淫靡に膨れさせた。
「ぁっ、ふ、ぅう……っ」
懸命に脚を閉じても、光琉の頭を腿で挟むだけ。彼の髪が遥香の内腿を擽り、より官能が高まった。
男の吐息が熱く、遥香から身を捩る余力も奪う。
それよりも自分の口を手で塞がなくては、みっともない声がひっきりなしに漏れそうだった。
けれどいくら唇を押さえても、喉奥からの嬌声は防ぎきれない。啜り泣きに似た悲鳴が呼吸と共に漏れてしまう。
幾度か四肢が痙攣し、遥香の眦を涙が伝った。喘ぎを我慢した分、喜悦が体内で暴れている。弾けたがる淫欲を、全力で飼い慣らす。さりとて息を整えるので精一杯。
無意識に光琉へ向けた眼差しは、遥香の期待が隠せていなかった。
「……可愛い」
相好を崩した彼が腰を上げる。光琉の屹立は、腹につきそうな角度まで勃ち上がっていた。
瞬間、遥香の喉が鳴ったのを、悟られたくない。
自分でも驚くくらい、ふしだらだ。
慌てて顔を逸らしはしたが、おそらく彼にはお見通し。一秒にも満たない刹那であっても、光琉の『それ』をガン見したのは気づかれただろう。
だが彼は遥香が嫌がることを決してしない。
嘲りなんて欠片も見せず、こちらの片足を抱え直した。
「遥香、寒くない?」
「全然。……むしろ暑い」
体内から発熱しているとしか思えない。火照った肌は赤くなっている。密着しているのだから、聞くまでもないことだった。
それでも気遣われるのは悪い気がしない。大事にされている錯覚を抱けるからか。
変なところで誠実な男は、セフレにも繊細な配慮を見せてくれる。
そんな面を意識し、遥香は余計に光琉を手放すのが惜しくなった。
──高峰さんから『遊び相手はいらない』って聞いた時は、『じゃあ私は何なんだ』と憤慨しそうになったけど、セフレだからって軽く扱わないという意味で、『遊び』とは一線を画しているのかな。
モテる男なりのルールだろうか。
よく分からないが、遥香はとりあえず今は頭を切り替えた。
せっかく極上の法悦がすぐそこにあるのに、よそ見をしている場合じゃない。思う存分今夜を楽しんで、明日からまた全力で働く英気を養うのだ。
「んん……ッ」
陰唇の割れ目へ硬い楔が擦り付けられる。
内側にはまだ入ってこないのに、蜜が溢れ肉壁が騒めいた。遥香は自ら迎え入れたくて、より大きく脚を開く。
けれど彼は性器同士を擦り合わせるだけ。にちにちと淫蕩な音が奏でられ、渇望が膨らむ。
時折肉杭の括れに花蕾が引っ掛かかり、予測できない喜悦を生んだ。
「んぁっ」
「真っ赤になって、可愛いな」
「そ、そういう無駄なのはいらないから……早く」
見え透いたお世辞は不要。焦らされているとしか思えない。
熟れた媚肉が綻んで、淫窟を光琉の肉槍で埋めてほしいと叫んでいた。
「無駄って──大事なことだと思うけど」
「……ぁ、うッ」
ようやく待ち望んだ質量が遥香の内側へ侵入してきて、蜜襞全体が歓喜に湧いた。
不随意に蠢いて、男の昂ぶりを抱きしめる。特別動かなくても大きな快楽があった。
「な、何か……いつもより感じる……っ」
「ああ、遥香って俺とぶつかった日の方が感度が増すし、今日のはガチギレだったからじゃない? 怒るかなとは思っていたけど、気持ちを落ち着かせようとしながら激怒がだだ洩れだった。でも新しい顔が見られたから、結果的にはよかったな」
緩々と腰を動かしながら、光琉が宣う。
まるで全部計算通りとでも言いたげに妖しく笑った。
「何を……っ」
「他の奴らに見せたくない可愛さだったよ」
「ぁあッ」
突然鋭く突き上げられて、遥香は背を仰け反らせた。
奥を小突かれ、眼前がチカチカする。
早くも絶頂へ押し上げられる予感がして、つい頭を左右に振った。
「や……っ」
「ああ、痛かった?」
「ち、違……っ」
達してしまうのがもったいなくて、もっと繋がっていたいとは、赤裸々過ぎて言い出せない。
それでも苦痛を訴えたかったのではないことを、彼は読み取ってくれた。
「今夜はゆっくりしようか。二人とも早く上がれたから、時間はたっぷりある」
もどかしいくらい楔を慎重に半分ほど引き抜かれ、掠れた悲鳴を遥香は漏らした。
快楽物質で、脳が埋め尽くされる。何も考えられない。自分の隘路で感じ取る刺激にだけ、集中していたかった。
「ぁ……あ」
「すご。ナカ、俺のに縋るみたいに締め付けてくる」
嫣然と微笑む光琉は、他の同期には決して見せない悪辣さを滲ませていた。滴る汗すら妖艶で、魅力的な悪い男めいている。社内で見せる涼やかで親切な顔ではない。
遥香と二人きりの時にだけ覗く素の部分が、自分は嫌いではないから厄介だった。
「……っ、実況中継はいらない……っ」
話した振動が体内に響いて快感になる。
ピタリと嵌った形は、さながらそのために用意されたよう。
大きさも硬さも、角度も全部が遥香に馴染んでいた。それともこちらが彼に作り替えられてしまったのか。
光琉に媚びて従順になった自らの肉体を想像し、遥香の中で被虐的な悦びが生まれる。
ゾクッとした慄きはすぐさま、全身へ愉悦を運んでいった。
「ぁ、あ」
「うねって、食い千切られそう」
「んぁッ」
打擲音が響く勢いで穿たれ、最奥を貫かれた。
内臓まで揺らされる衝撃に、意識が白む。遥香のだらしなく開いた口の端からは、唾液が垂れたが、それを拭う余裕もなかった。
直後に始まった抽挿で全てがそれどころではなくなる。
上下に激しく揺さ振られ、重い突き込みをくらった。
ソファーと彼の肉体の間で潰され、悦楽を逃す間もない。ただ息をするのに必死になり、しかも口づけで唇は塞がれた。
鼻で呼吸しようにも、荒々しい動きについていく以外遥香にできることは何もない。
体勢を維持するため光琉に抱きつき腰を脚で挟めば、結合を深める結果になった。
「ァっ、ぁああッ、ゃ、ぁ……あんッ」
気持ちのいい場所に剛直の先端が当たり、小突かれる。彼が上体を倒してきても、捉えられた位置はズレない。
遥香が髪を振り乱して身悶えるほど、容赦なくこそげられた。
服を着ている時にはあまり分からないが、彼の身体は無駄なく鍛えられている。
適度についた筋肉は強靭で、しなやかに動く。当然体力も遥香とは桁違い。
こちらを抱え込むように逃げ道を塞ぎ、光琉は獰猛に腰を使った。しかも正確に遥香の弱点を狙ってくるので、一時たりとも休む暇がない。
ビクビクと四肢を痙攣させ、腹が波打つ。
近づく絶頂の予感に遥香が目を閉じれば、何故か含み笑いが落ちてくる気配がした。
「今夜はもっとじっくり楽しもう?」
「え……きゃっ」
彼は自らの肩に遥香の片足をかけ、覆い被さってくる。圧迫感が増し、少々苦しい。
けれど不自由さを強いられたことで、恍惚感が増幅するのが謎だった。
「……ァっ、あッ」
びしょ濡れになった互いの下生えが擦れる。もはや汗か蜜液かも分からない。
濡れそぼる場所が淫靡な水音を立て、蜜窟が掻き回される。
爛れた内壁は敏感になり、涎を垂らして肉槍を咀嚼した。
「やぁ……っ、も、駄目……!」
「きっつ……あんまり締め付けるなよ」
「そんな……無理言わないで──あッ、ぁああっ」
収縮する隘路を引き剥がす強さで、楔が遥香の淫窟を行き来した。
その上空いた手で花芯を捏ねられて、浅ましい艶声を抑えられない。先ほどより明らかに大きく膨れた器官は、さぞや摘まみやすくなっているのだろう。
グリグリと虐められ、押し潰されると、遥香は甲高く鳴いて全身を戦慄かせた。
「あぁあああッ」
大き過ぎる法悦から本能的に逃げを打ち、うつ伏せになろうと上半身を捻る。しかし下半身はがっちりと拘束され、しかも中央は肉杭に貫かれたまま。
そんな有様でひっくり返ることなどできるはずもなく、笑う光琉に揺さ振られた。
「ひぃ……っ、ぁ、んぅううッ」
「ああ、涙でぐちゃぐちゃ。そういう顔、見られるのは俺だけだよね? 少なくとも今は」
快楽に弱い遥香でも、一応『誰でもいい』わけではない。
信頼していない相手に身を任せるつもりはないし、日常生活に支障が出る相手も困る。
清潔感や生理的に受け付けるかどうかも重要な点だった。裸を晒してリスクを負うとなると、選別は厳しくなるのが当然。
そして最も大事なのは、口が堅いかどうか。
あらゆる条件を軽く超えた上、相性抜群な光琉は『特別』であるのが間違いない。
圧倒的な快楽の中、遥香はコクコクと頷く。
彼がどんな表情をしていたのかを確認する余裕はとてもなかった。
視界は溢れる涙で滲んでいる。理性は愉悦に喰われて役立たず。感じ取れるのは、絶大な恍惚だけ。
すぐそこまでやってきている弾ける予感に、身も心も支配されていた。
「あ……も、イク……っ」
「いいよ。俺はまだだけど」
恐ろしい発言に身を震わせ、されど許可を得たことで高みへ飛んだ。
末端まで官能が駆け巡る。体内から指先まで痙攣し、遥香は思い切り達した。
日々のストレスや昼間のモヤモヤが根こそぎ浄化される。解放感で癒され、生まれ変わる。
この瞬間が途轍もなく好きだ。
他の誰かが相手では味わえない──光琉だけがくれる素晴らしい充足感と法悦。
歪であっても信頼感があるからこその不思議な関係性。
遥香が眼前にチラつく火花の余韻に浸っていると、しばし動きを止めていた彼が再び揺れ始めた。
最初は浅く。だがすぐに深く鋭く腰をしならせる。
遥香の体内に収められた屹立は硬度を保ったまま。イッたばかりの濡れ襞は過敏で、未だ愉悦の波は去っていない。
一息つく暇もなく新たな悦楽を注がれた。
「ま、待って。少し休ませて……っ」
「俺はまだって言っただろう」
抱えられていた脚をべろりと舐められ、肌の火照りが余計に荒ぶる。
疲労を感じ、休憩を求める遥香を裏切り、身体は感度を上げていった。柔らかく解れた蜜壺は、光琉の昂ぶりに絡みつく。
貪欲に『もっと』と欲していた。
「あぁあッ」
「いい声」
この夜、彼の宣言通り『じっくり』時間をかけて遥香は苛まれ、我を忘れて咽び泣いた。