副社長にハニトラを仕掛けたら予想をはるかに超えて溺愛されました 1
第一話
「では、スカートを上げて脚を見せてください」
――瞬間、面接会場の空気も固まったが、言われた藤谷(ふじたに)玲(れい)も固まった。
(あれ? これって、なんの面接だっけ?)
言葉を失ったまま、しかし動揺を悟られないよう平静を装い、玲は意味不明な指示をしてきた人物を凝視する。
広い会議室で面接試験を受けているのは玲ひとり。対して、目の前に横並びで座る面接官は五人。向かって左から、今回秘書を募っている副社長、中央に人事担当三人を挟み、右端に座るのが問題の人物。
二階堂(にかいどう)将騎(まさき)、彼も副社長だ。
秘書を募っている二階堂春騎(はるき)とは双子の兄弟で、将騎は弟である。守りの兄と攻めの弟といわれるくらい性格は両極端だが、それが絶妙なバランスで保たれているという。
(脚? 脚って言った? それも、スカートを上げてとか、言った?)
事前に詰めこんだ情報が、頭の中を爆速で回る。これは秘書を決める試験であって、間違ってもいかがわしい動画の出演オーディションではない。
(どうして、こんな指示? 前情報で二階堂兄弟にセクハラ癖はないはずなのに)
「どうしました、藤谷さん。聞こえませんでしたか?」
余裕を感じさせる、ゆったりとした声。それなのに威圧感がすごい。声だけではない、全身から醸し出されるオーラはまさに威風堂々というべきか。
男性的な魅力にあふれた、実に綺麗な顔をしている。AIで作られたものではないかと感じてしまうほどの完成度は、薄ら寒くもある。双子のはずなのに、春騎のおっとりした優男風のイケメンレベルとは少し違うようだ。
「将騎君、藤谷さんが困っていますよ」
見かねたのか春騎が発言をする。人事の三人は、将騎の迫力の前に背筋を伸ばして経過を見守るしかできない。
しかし将騎は外野などまったく気にしていない。顔は玲に向けたまま、口出しするなといわんばかりに春騎に向けて手のひらを向けた。
(なるほど)
あまりのことに思考の回転が鈍ったが、この会社に潜りこむにしても、副社長兄の秘書になって計画を実行するにしても、この弟を納得させなくてはならないということだ。
戸惑いと焦りをひっそりと呑みこむ。玲はわずかに顔を上げ、真っ直ぐ将騎に向けて声を発した。
「申し訳ございません。少し近くに寄ってもよろしいでしょうか」
「かまいません」
「失礼いたします」
背筋を伸ばして立ち上がると、玲は今まで座っていたパイプ椅子を持って将騎の正面に移動した。
少し、という近寄りかたではない。人事のひとりが「君っ」と慌てたが、玲は構わずパイプ椅子の上にのり、スカートをまくり上げて勢いよくテーブルに片脚をのせたのだ。
ダンッという力強い靴音が会議室いっぱいに響く。
「これでよろしいでしょうか」
将騎の目の前にくるように置かれた脚。恥ずかしくないはずはないが、羞恥に歪みそうな顔を、玲は必死にこらえる。
――目的のためには、この程度でひるむわけにはいかないのだ。
こんなセクハラ面接で脚を見せるどころではない、もっともっといやらしくて狡猾な計画を実行しなくてはならないのだから。
玲も平常心を装うが、将騎も表情ひとつ変えない。真面目な顔で目の前にさらされた玲の脚を凝視している。
人事の三人はどうしたものかとソワソワしているようだが、春騎は黙って見ている。まるで、将騎の出方を待っているようにも思えた。
出方を待つのは玲も同じだ。「これでよろしいでしょうか」と尋ねた手前、彼の返答がなければ動くことができない。
いつもの玲ならば、セクハラなどに遭おうものなら蹴りのひとつもお見舞いするところだが、今は我慢だ。
(もぉぉっ、恥ずかしいなぁ! なんか言ってよ、この変態!!)
ポーカーフェイスを装い、心の裡では羞恥に打ち震える。
恥ずかしさのあまり涙が浮かんできそうになるが、ここで泣くわけにはいかない。奥歯をぐっと噛みしめたそのとき、将騎が勢いよく立ち上がった。
「よし、気に入った」
言うが早いかテーブルにのった脚を手で払う。まさかの所業に、当然玲はバランスを崩し椅子から転落しそうになった。
「きゃっ……!」
が、素早く将騎の腕に抱き止められ……肩に担がれたのである。
「はぃぃっ!?」
この男、やることが予想の斜め上すぎる。
どこの世界に求人の面接で来社している女性を、荷物のように肩に担ぐ失礼な重役がいるというのだ。
……ここにいた。
「あっあの、二階堂副社長っ……!」
「藤谷玲」
「はいっ」
重厚感のある声で力強く名前を呼ばれ、脊髄反射で返事をしてしまった。
「採用だ。君は今日から俺の秘書になってもらう」
「えええっ!?」
驚きの声をあげたのは玲だけではなかった。人事の三人も驚いて立ち上がる。ひとり、のほほんと座っている春騎がクスクス笑いだした。
「ひどいな将騎君。今日は私の秘書を決める面接だったのに。私のほうの補充はどうしてくれるんだい?」
「うちの守屋(もりや)を回す」
「彼かー。うん、仕事はできるし真面目でいい人だよね。……でも、ちょっと厳しすぎるんだよね……」
「春騎は少し厳しい秘書に揉まれたほうがいい」
「将騎君が一番厳しいよ」
文句っぽいことを言うわりに、春騎は楽しそうだ。笑いながら玲に顔を向けた。
「副社長同士、連絡も密な部分があります。私も藤谷さんにお世話になることが多いと思いますが、よろしくお願いしますね」
「副社長……」
おだやかな物腰、気遣いあふれる優しい口調。にじみ出る〝いい人オーラ〟。
(おかしい! わたし、この人の秘書になろうと面接にきたはずなのに!)
それなのに……。
「いろいろと手続きはあるが、まず俺の執務室に案内する。体力に自信はあるか? くねくねしていたら、すぐにへばるぞ」
くねくね、とは。
「ご安心ください、体力には自信あります。それより、下ろしてください。わたしは荷物ではありません」
「下ろしたら逃げるんじゃないか? まあ、逃げてもいいが」
なんて嫌味なことを言うのだろう。それとも嫌味だと思っていないのか。
秘書にすると言っておきながら、逃げてもいいとは。
もしや、こんな扱いをされて玲が怖気づくとでも思っているのだろうか。
失礼な話だ。セクハラ面接の果ての不可解な採用、そして荷物担ぎ。それくらいで逃げだすほどヤワではない。
「逃げません。秘書に選んでよかったと言っていただけるよう、努めてまいります」
売られた喧嘩は受けて立つ。すると、やっと肩から下ろされた。ホッとした玲の前に、将騎の右手が差し出される。
「改めて、よろしく」
「よろしくお願いいたします」
応じると、大きな手がシッカリと玲の手を包む。この瞬間、玲のターゲットは二階堂将騎に変わった。
(できるだろうか……でも、やらなきゃ)
玲には、大きな使命がある。
(やらなきゃ……。やったことないけど……ムチャクチャ不安だけど……)
秘書になって、二階堂副社長にハニートラップを仕掛けることだ。
(あの地獄から抜け出すために……やらなきゃ!)
強い決意を胸にしつつ、玲は使命を受けた運命の決断の日を、思いだす――――。
その日は、とてもいい天気だったのだ。
カーテンのあわいからあふれ出てくる光は希望に満ちて、その色はあたたかさを感じさせ、とても優しかった。
窓を開ければそよ風が青葉の香りを連れてくる。吸いこんだ空気から心の中まで浄化されそうな爽やかさ。
なんて素晴らしい目覚めなのだろう。窓の桟に両手をかけて空を仰いだ玲は、太陽のまぶしさに目を眇める。
――――そうだ、こんな日は、アレを実行しよう。
思い浮かんだのは長年考え続けていたプラン。いつか実行してやろうと、その機会を窺っていた。
機会といっても、なにかがそろわなくてはできないような計画ではない。単に〝実行したい気分〟になるかならないかだ。
実行する気になった理由をつけるならば、朝の陽射しが希望の光に見えたから、というところだろうか。
(いい朝だ。こういうのを希望の朝っていうのかな)
小学校の夏休みに参加した町内会のラジオ体操を思いだす。
毎朝聞こえた歌詞の中に、希望の朝、というフレーズがあった。あれはきっとこういう朝のことをいうのではないか。
太陽に目を眇めていた玲だったが、ふとおかしなことに気づいた。
(……太陽……、高くない?)
ハッとして目を見開き、振り向いて部屋の壁掛け時計を睨みつける。
――昼だった。
「昼まで寝ていて脳ミソが腐ったのか。東京湾にでも沈んで頭を冷やしてこい」
眼光鋭くそんなセリフを吐かれた日には、「はて? この人はいつからヤのつく職業の人になったのだろう」と心の中で皮肉らずにはいられない。
とはいえ、辛辣で嫌味っぽいのは今にはじまったことではない。
玲の兄、正確には〝腹違いの兄〟である要川(かなめがわ)由隆(ゆたか)が、妹である玲に優しかった覚えなど、まったくと言っていいほどないのだ。
高級住宅街に建つ要川家。
いかがわしい女王様が下僕に話しかけてくる動画を視聴中だった……もとい、仕事のキャンペーン動画を視聴中だった……ということになっている由隆の書斎に飛びこみ、彼のデスクをバンッと叩きながら口にした言葉に対する返事が、ヤがつく職業の方の真似事だったのである。
「東京湾に沈んだら、頭どころか全身が冷えますよ。全機能が停止して腐った脳ミソも修復できません」
いたって真面目に返す玲を、由隆は忌々しそうに眺めた。
「なにを真面目に答えているんだ。馬鹿か」
「由隆様ほどではありません」
「はあっ?」
「ええ、わたしは馬鹿ですが、なにか?」
ついつい出てしまった本音を蹴り飛ばして素早く由隆に同意すれば、少し納得いかない顔は見せるもののフンッと鼻を鳴らして玲を見くだす。
いくら腹違いの妹とはいえ、ひどい扱いだ。しかしながら十五年もこんな境遇が続いているのだから、慣れもする。
慣れて嬉しいものではないが。