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一生そばにいてくれよ せっかちなエリート外科医は恋人をとことん甘やかしたい 2

第二話


 千早が働くNPO法人『心のお悩み相談室』は、JR線の線路沿いに建つ五階建てビルの一階にある。
 ここでは、様々な悩みを抱えた人の相談に乗っている。基本的に相談者と顔を合わせることはなく、電話やチャットでの相談のみだ。
 中には冷やかしやいたずらもあるが、誰にも言えない悩みを聞いてほしい相談者も多い。自分が間違った言葉をかければ、相談者を追い詰めてしまう可能性もある。そのため、常に緊張感を持って仕事に励んでいる。
 大学院を卒業後に臨床心理士の資格を取り、ここで働き始めてまだ半年弱だ。十月で二十六歳になったが社会人としてはまだまだ未熟である。それでも、苦しんでいる人がいるのなら、ほんの少しでも力になりたい、その思いがいつも胸の奥底にあった。
「所長、戻りました。お昼どうぞ」
 昼休憩を終えて席に戻ってきた千早は、席につき、ヘッドセットをつけた。そしてこのNPO法人の所長である高梨(たかなし)に声をかける。
 高梨は五十代ほどの男性だ。温和な性格で職員たちのよき理解者でもある。
「お~おかえり。じゃ、僕も行ってくるかな。なにかあったら携帯鳴らして」
「はい」
 臨床心理士たちが使用するパーティションで仕切られた一角は、六畳ほどの広さしかない。そこに四台のデスクが向かい合う形で並べられており、電話機とパソコンが置かれているだけの簡素なものだ。
 そのほかには総務、経理、人事が二人ずつ働いている。このNPO法人で働く従業員は全員合わせても二十人もいない。その分、皆、仲が良く、ぎすぎすした雰囲気がまったくないため、新入社員の千早もすぐに受け入れられた。
「はい」
 高梨の後ろ姿を見送っていると、電話機のランプがちかちかと点滅し、着信を知らせる。ヘッドセットから着信音が聞こえてきたため、千早は意識を切り替えた。
「はい、心のお悩み相談室、一ノ瀬と申します」
 千早が応答すると、電話口から息を呑むような雰囲気が伝わってきた。声すら出さない相手から緊張を感じ取り、これはいたずらの類いではないなと判断する。
「もしもし?」
『あ、の……話を聞いてもらうことって、できますか?』
 ゆっくりと聞き返せば、ようやく相手の声が聞こえてきた。電話をかけてきているのは男性で、二十代から三十代くらいの声質だ。
「もちろんです」
『話の内容が、外に漏れることは……?』
「絶対にございませんのでご安心ください。と言っても、私を知らない相談者様にはご不安があると思いますから、偽名でも、名乗らなくても大丈夫ですよ。どのようなことにお困りなのか、お話しいただけますか?」
 まずはこちらを信頼してもらうため雑談を交わし、問題の見極めを行い、その問題を改善するために可能ならば心理的介入を行うが、電話をしてくる相談者は複雑に絡み合った問題を抱えている人がほとんどで、簡単に解決できるようなものではない。
 『心のお悩み相談室』に連絡をしてくる相談者は、親しい相手にも話せない深い事情を抱えていることが多い。むしろ、親しい相手、信頼している相手だからこそ、打ち明けられない悩みもあるのだと思う。
『そうですか……あの』
 男性はそう言ったきり、押し黙った。
 会話を弾ませるには、急かしたり話の途中で割って入ったりしてはいけない。相手に同調し、話すリズムを相手に合わせると、話を引きだしやすくなる。
「はい」
『実は……』
 男性は『半年前に結婚したが、妻を愛することができない』と言った。そして、自分の恋愛対象が同性であると続けたのだ。
(お父さんと、同じだ)
 彼の話を聞き、千早の脳裏に写真でしか見たことのない父の姿が浮かんだ。もしかしたら父も、この男性と同じ心境だったのではないか、と確かめられもしないことを思った。
 両親が別れたのは、千早が三歳の頃だったと聞く。
 原因は、父が男性と不倫をしたことにあった。父はそれを自分から母に打ち明けたらしい。
 母はそんな父を気色が悪いと詰(なじ)り、父にすぐさま離婚を突きつけた。父は黙って家を出ていったのだという。
 それから母は一人で千早を育ててきたが、子育てが終わり時間に余裕ができたからか、父のことをよく口にするようになった。

 ──ずっと無理をしてたのかもしれないわねぇ。
 ──父親として、頑張ろうとはしてくれたのよね。
 ──今なら、友人くらいには、なれたかしらね。

 父はかなり裕福な家の出で、二人は見合いで知り合った。
 母は一目見て父を好きになり、そんな母が積極的にアプローチし、結婚に至った。
 だが、父に同性愛者だと打ち明けられて、浮気の証拠と共に愛されていなかったことを突きつけられて、母は追い詰められた。
 父を愛していたから、自分が愛されていないことが信じがたくて、つい男同士なんて気色が悪いと詰ってしまった。すると、父は泣きそうな顔で母に謝罪したそうだ。
 けれど、思い返せば見合いのときも、結婚してからも、父がなにかを言いかけてやめる、ということがよくあったのだと母は言う。
 自分の恋愛対象が男であることを誰にも言えず苦しんでいた中で、さらに親から見合いを強要され、追い詰められていたのかもしれない、と母はこぼした。
 男性の声が、想像の中にいる自分の父と被る。
「そうだったのですか。どうして、今の奥様と結婚することになったのですか?」
『うちはびょ……いや、会社を経営していて、後継者が必要なんです。父に見合いを勧められて、結婚はまだ早いと誤魔化すのも、もう限界でした』
 女性を愛せない彼からすると、相手は誰でも同じだったのだとか。
 男性の置かれた環境も父と被っており、母の後悔を娘の自分が晴らすなんてつもりはないが、どこか運命的なものを感じずにはいられなかった。
「奥様との間に子をもうけなければならないのですね」
『はい……でも、その、性行為をするたびに、吐き気が。僕は、彼女の前では、なるべくいい夫であろうとしているのですが、バレないようにと必死になっているうちに、一緒に眠るのも苦痛になってしまって、今はほとんどホテルか……会社に泊まり込んでいます』
「奥様は、家に帰ってこないことについてどう仰っていますか?」
『大変なのね、とだけ。あ、僕は父から会社を継いだばかりなので……』
 妻は男性の行動を訝(いぶか)しんでいる様子はないようだが、それも時間の問題だろう。男性もずっと今のように逃げ続けられるとは思っていないはずだ。
「それを聞いて、どう思いましたか?」
『申し訳ない……と。ただ、妻を騙している罪悪感の一方で、一生、こんな日が続くのかと、思ってしまいます』
 彼は声を詰まらせながら言った。
 半年の結婚生活でかなり追い詰められているようだ。
『子どもができるまで……いや、子どもができたあとも、妻と身体の関係を持たなければならない。それが、もう無理なんです。身体の関係がなければまだ……とは思いますが、妻はその……そういったことに積極的で』
「ご家族で、そのお悩みをご存じの方はいらっしゃいますか?」
『いえ、母に言えば泣かれるでしょうし、父は聞かなかったことにするか、僕を切って、理……いえ、弟を代わりにしようとするかもしれない』
「弟さんがいらっしゃるんですね」
『……えぇ、弟は、話せば、唯一味方になってくれると思います。でも、話す勇気はまだ持てなくて』
 弟について語るときの男性の口調は、先ほどまでの苦しげなものとは違っていた。おそらく、兄弟仲は良好なのだろう。
 彼の抱えている問題は、恋愛対象が男性である故、妻との肉体関係を苦痛に感じていることである。
 解決方法としては妻との離婚、そして家族にカミングアウトすること、だろうが、それもすぐには難しそうだ。
「弟さんとはよく話をするんですか?」
『昔はよく。今は弟の方が忙しくなってしまって、たまに電話をするくらいです』
「歳の近いご兄弟ですか?」
『えぇ、弟は二つ下なんですが、僕よりもずっと優秀です。父も本当は、僕じゃなくて、弟に病院を継いでほしかったんだと思います。でも理は、兄さんみたいな優しい人の方が患者さんは安心するだろう、と言って。それに、俺はまだ結婚するつもりはない、とも言っていました』
 どうやら彼の実家は病院を経営しているらしい。先ほど会社と言っていたのは、まだこちらを信用できないからだろう。
(弟さんは、理さんっていうのね)
 千早は、あとでパソコンにまとめるために、手書きでノートに書いていく。
 実家の病院を継ぐ、ということは彼も、彼の弟も医師なのだろう。解決への一番の近道はその弟に協力を仰ぐことだろうが、彼はまだそれを望んでいない。
「相談者様は……」
『あ、すみません、僕は一馬、といいます。名前だけですみません』
「いえ、構いません。一馬さんとおっしゃるんですね。改めまして私は臨床心理士の一ノ瀬と申します」
『ご丁寧にどうも』
「それで、一馬さんはなにを望んでおられますか? すぐに解決できる問題ではないと思いますので、それが実現可能かどうかではなく、今の一馬さんの希望を聞かせてほしいのです」
『そうですね……僕はただ、家族とずっと一緒に過ごせれば。子どもがいないなら養子をもらうでも、将来、弟が結婚すればその子を跡継ぎにしてもいいかと』
「その家族の中に、奥様は入っていますか?」
『それは……あの、入っていません』
 彼は口ごもりながらも、はっきりと意思を示した。妻への罪悪感はあるようだが〝家族〟とは思えないのだろう。
 結婚する前に家族に相談できれば一番よかったのだろうが、起きてしまったことを後悔してもどうしようもない。
「後継者の問題は、弟さんが結婚して子どもができれば解決できそう、ということですね。では、奥様とはどうなさりたいのでしょうか」
『妻とは……別れたいです。こんな男の妻でいるより彼女にとってもその方がいい』
 一馬は弱々しい声でそう言った。
 千早もそれが一番の解決策だと思う。妻への申し訳なさ、誰にも理解してもらえない苦しみが毎日続き、一馬はかなり追い詰められているようだ。
「そうですね……でも、奥様に打ち明けるのは、簡単ではありませんものね」
 彼もわかっているのだろう。千早に話したところで解決にはならないと。あとは自分で行動を起こすしかないのだと。
『はい……あ、すみません、このあと仕事が……』
「いえ、よろしければ、またお電話をください。話しにくければチャットでも構いませんから。一ノ瀬を呼びだしていただければ。もちろんほかの担当でも構いません」
『ありがとうございます。聞いてもらえるだけで楽になりました。今まで誰にも言えなかったので。また、電話します』
 そう言って、一馬からの初めての電話は切られたのだった。

 それから、一、二週間に一度のペースで一馬から電話があった。
 名前を伝えていたからか、それともべつの相談員に同じ内容を説明する気になれなかったのか、彼は千早を指名してきた。
 彼から話を聞けば聞くほどに、千早は父と一馬を重ねて見てしまっていた。
『同性と浮気? 一ノ瀬さんのお父さんがですか?』
「えぇ、だからでしょうか……一馬さんの話を聞いて、他人事だとは思えなくて」
 千早は、当時の父の苦しさを、一馬を通して知ったような気持ちになった。一馬もまた、自分と同じ境遇にあった千早の父に共感を覚えたようだった。
「連絡を取っていないので、母と私の想像でしかありませんが……浮気は父のSOSだったんじゃないかと思っています。離婚したあとも、私の養育費は大学院を卒業するまで払ってくれていましたし、母と私が暮らすに十分な額でしたから」
『一ノ瀬さんのお母さんは、その、お父さんのことを恨まなかったんでしょうか』
「恨んだと思います。私はまだ小さかったし、母は父を愛していましたから」
『そうですよね……許されたいなんて、罰があたりますね』
 一馬は罪悪感からか深いため息を漏らす。
「でも……あのまま結婚生活を続けていたら、父はもっと追い詰められていたかもしれませんから、早くに別れられて双方にとってよかったんだと、私は思っています。一馬さんがどうするべきか、という話は私にはできませんが、まずは信頼できるご家族に打ち明けて一緒に考えてもらうのがいいのではないかと思います」
『信頼できる家族か……理になら』
 しかしまだ、妻にすべてを話し離婚を切りだす決意には至らないようだ。
『……ちょっと、考えてみます。いつもありがとう』
 電話でしか話したことがなくとも、千早は一馬にいつの間にか仲間意識のようなものを抱いていた。
通話が終わり、千早はヘッドセットを外して、だらしなく椅子にもたれかかる。両腕を上げて伸びをすると、凝り固まった肩に血が巡っていくような感覚がする。
「一ノ瀬さん、いつもの方?」
「あ、所長……はい、そうです」
「君のご家族の事情を話していたみたいだけど……あまり、のめり込み過ぎないようにね。一ノ瀬さんが辛くなるよ」
「はい……わかっています」
 相談者相手に自分の事情を話すなんて普通はしない。高梨の言う通り、父の件があったとしても、一馬に対してだけ親身になり過ぎだとわかっている。
 ただ、一馬の話を聞いていると、当時の父の苦しみに触れたような気になってしまう。今、父がどうしているかもわからないし、会いたいとも思わないけれど、幸せでいてくれたらとは思うのだ。
 一馬に明るい未来を示すことで、差し出がましくも間接的に父をも救っているような気になっているのかもしれない。

 それから半年。千早は意外な形で一馬と顔を合わせることとなった。
 千早はその日、目黒にあるホテルで、友人たちと桜のアフタヌーンティーを楽しんでいた。庭園の桜は見頃を迎えており、ラウンジからよく見える。
「千早、仕事はもう慣れた?」
「あっ、もう一年経つんだ! 早いねぇ」
 そう聞いてきたのは、高校時代の友人、晴(はる)だ。続けたのは、同じく高校時代の友人の沙苗(さなえ)である。
「うん、みんないい人たちばかりだから、なんとかやってるよ」
「でも大変じゃない? 人の相談を聞くって。自分の言葉で誰かの人生を左右しちゃうかもしれないと思うと少し怖いね」
 晴が言うと、沙苗も「たしかに」と頷く。二人は、千早の家庭の事情も、どうして臨床心理士になったのかも知っている。
「もちろん大変なこともあるけどね。私の言葉で誰かを元気づけられたら、少しでもその人が前向きに考えてくれたら、やっぱり嬉しいよ」
 偽善だ、あんたになんてわからない、と言われることも多いが、同じだけ「ありがとう」と言われることも多い。資格を取ったのは父の件がきっかけだが、やはりこの仕事をしていてよかったと思うのだ。
「どういう相談が多いの? 姑と上手くいってないって愚痴とか?」
「ありそう~」
 沙苗の言葉に晴が笑った。相談内容は人によって様々だ。千早からすると「そんなことで」と思ってしまうようなものもある。けれど、その苦しみは本人にしかわからない。
「ん~まぁいろいろだね。相談者さんのプライバシーに関わるから言えないけど」
「ふぅん、私も悩んだら、千早に相談に乗ってもらお」
「沙苗は悩むことないでしょ!」
「失礼な! 私だっていろいろ悩みます!」
「たとえば?」
「えっと、ケーキ食べ過ぎて太っちゃう、とか? 彼氏にお腹の肉を摘ままれたとか?」
 くだらない、と晴がツッコみ、二人の掛け合いに千早も笑った。
 話が一段落したタイミングでガラス窓いっぱいに広がる庭園を眺める。千早の視線に釣られるように友人たちも庭園に咲く桜を眺めながら、ほぅっと感嘆の息を漏らした。
「……気に入った?」
 そのタイミングで斜め向かいに座る客の声がふいに聞こえてきて、ここ最近聞き慣れていたものにそっくりの声に、千早は思わず目を向けた。座っているのは三十代前半くらいの男女だ。
「えぇ、素敵ね。こんなところで結婚記念日を過ごせるなんて嬉しいわ。連れてきてくれてありがとう」
「いや、いつも君には家のことを任せきりにしてしまって、負担ばかりかけているから。このくらいしかできなくてすまないね」
 聞き覚えがあるのは男性の声。顔を見たことがなくとも、半年間、二週間に一度は電話で話していれば、その話し方や声質で誰からの電話なのか判断できる。
(もしかして、一馬さん……?)
 整った顔立ちながらも優しげな風貌をした男性は、きっちりと首までボタンを留めたワイシャツにネクタイ、スラックスという出で立ちだ。色素が薄いのか自然な茶色の髪を中央で分けている。男性ではあるが、思わず守ってあげたくなるような線の細さだ。
 隣に座る女性は妻だろうか。胸元の大きく開いたネイビーのドレスがよく似合う艶のある美人だが、ものすごく気が強そうだ。
 見せ方をよく知っている化粧の仕方で、頭の先から足先までいっさいの隙がない。豊満な胸を強調するようなドレスは、彼女を非常に魅惑的に見せている。
 千早はそちらばかり見て不審に思われないよう、周囲を見回すふりをして、窓の外に目を向けた。
 友人らの話に相槌を打ちながらも、つい彼らの話に耳をそばだててしまう。
「それはいいけど。今日もお仕事なの? 病院はお休みなんでしょ?」
「父さんから院長を引き継いだばかりで、まだ慣れなくてね。普段はできない書類仕事が溜まってしまっているんだ。いつもすまない……」
「そう、それなら仕方がないわね。来年の結婚記念日には、一緒に泊まってくれる?」
「……そう、だね。そうできたらいいね」
 一馬と思われる男性は、妻から申し訳なさそうに目を逸らした。そのとき、千早と目が合うと、彼が泣きそうに顔を歪ませた。
 おそらく一馬もまた、千早に気づいていたのだろう。
 だが、この場で声をかけるわけにはいかない。
 声をかけて千早の立場を説明すれば、自ずと一馬の相談内容にも触れなければならなくなる。それだけは絶対に避けなければならない。
 それから三十分ほど二人は話をして、千早より先にラウンジを出ていった。
 一馬が心配でつい背中を目で追ってしまうが、どうしようもないことだ。妻と一緒にいる一馬に声をかけるわけにもいかないのだから。
「ラストオーダーになりますが、お飲み物はいかがなさいますか?」
 スタッフに聞かれて、すでに満腹だったため、皆、お代わりを断った。
「あ~楽しかったねぇ。また来ようね」
 お腹を摩りながらそう言う沙苗に、千早は笑みを向けながら頷く。
「ね、夏辺りにまた会おう」
「おぉ、いいねいいね」
 このあとはウィンドウショッピングでもして帰ろうかという話になっていた。
 千早は自分の分の会計を済ませて、友人たちに声をかけてラウンジの外に出る。するとフロント前に並んだソファーの一つに腰かける一馬の姿に気付いた。彼の目は自分に向いており、助けを求めるようなその視線から、千早を待っていたのだとすぐにわかった。
 千早はレジで会計をしている友人たちに声をかける。
「沙苗、晴、ごめんっ! なんか猛烈にお腹が痛くなってきたから、私、今日はトイレに行ってもう帰るね」
「え、えっ、大丈夫!?」
「薬買って来ようかっ!?」
「大丈夫っ! ごめん、またね!」
 化粧室に急いでいるというように腹を押さえると、友人たちは心配そうにしながらも手を振ってくれた。
 千早は一馬に視線を送り、周囲に見られないように化粧室を指差し、歩きだす。軽く頷いた一馬が千早を追うように立ち上がった。