ヤクザの恩返し 無垢な令嬢は孤独な極道のひたむきな愛に溺れる 3
第三話
昼間のバスルームは、やけに水っぽい匂いがする。
生々しさに、違和感を覚えるほど。月は潮を呼ぶと言うが、夜そのものに水に親和する何かがあるみたいだと、桔花は頭の片隅で思う。
(どうしよう。わたし、きっと、とんでもないことをしてる)
さ、と馴染む音を立てて、前髪にシャワーがかかった。モデルルームと見紛うほど使用感のない空間は、うっすらと湯気で煙っている。
自覚はしていた。
二度しか会ったことのない人に、それもヤクザの男に体を許すなんてどうかしている。
だが濡れない体のまま、この先、ずっと結婚を遠ざけ続けることだって、桔花にとっては現実的ではなかった。跡継ぎをもうけなければ、自分がこの世に誕生した意味がない……とまでは言わないが、存在意義の半分を失うようなものだ。
恋愛感情を抜きにして、つまり彼を傷つけることなく、濡れるようにしてもらえる。
こんなチャンスはそうそうない。
そしてハクは厚の首輪を嵌められているぶん、どんな男より安全だと思えた。
「お待たせ、いたしました……」
バスタオルを一枚、体に巻きつけただけの無防備な姿でゲストルームの扉を開く。
最初に、ベッドに腰掛けているハクが目に入った。バスローブ姿で、濡れた前髪には荒っぽく掻き上げた跡がある。
シャワーを浴びるなら自分が先に、と言ったのはハクだ。どうやら、桔花が湯冷めしないように気遣ってくれたらしい。桔花としても、彼に先んじてバスルームを使うのはなんとなく恥ずかしかったので、助かった。
窓には、いつの間にか遮光カーテンが引かれている。
隙間から漏れ込む光で夜ほど暗くはないが、ベッドサイドに灯されたランプの、卵の黄身みたいな光がそれなりのムードを演出してくれていた。
「ご安心ください。あなたが困ることは、大柴胡の名にかけて致しませんので」
揺るがぬ忠義心を頼りにしつつも、緊張感は高まっていく。
(どうすればいいの……)
立ち尽くして動けない桔花に、ハクはベッドを示して言う。
「横になっていただけますか。最初は、うつ伏せで結構です」
言われるままシーツにうつ伏せると、失礼、と律儀にも断ってからハクは桔花の肩に触れた。びくり、反射的に全身がこわばる。
大きくて、しっとりした掌だった。華奢な桔花の背中など、半分は隠せてしまいそうなほど。湯上がりなのに温かいと感じるのは、ハクの体温がそれだけ高いということだろうか。それとも、もう湯冷めしている?
「そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ。と言っても、この状況では警戒して当然でしょうか。そうですね。しばらくマッサージでもしながら、話をしましょう」
「は、はい」
「瀬戸内さまは、いつからこちらのお部屋でひとり暮らしを?」
ハクの声は桔花の背中の、ちょうど真ん中あたりに降ってくる。ベッドの上に膝立ちになって、桔花の肩に触れているからだ。
「……三年前から、です」
「以前はご実家に?」
「はい。えと、ここはもともと、祖父が趣味で持っていた不動産投資のための部屋で……祖父が最後に住んだ部屋でもあるんです。父も母も忙しいので、祖父はひとりでここに住んで、お手伝いさんたちに介護をしてもらっていました」
「なるほど。お祖母さまは同居していらっしゃらなかったのですか」
「祖母は、わたしが生まれる前に亡くなっています。それでわたしは当初、祖父の遺品整理のためにここに通っていました。その流れで、父から管理を任されて」
「そうでしたか」
肩甲骨に、ハクの指がするりと滑る。
セクシャルな雰囲気ではなく、なんとなく整体院のようだ。
それでも左右にさすられると、くすぐったくて肩が震えた。こちらばかり意識しているようで、恥ずかしい。だが、平然とはしていられない。素肌を直接、男性に触れられるのは久しぶりのことなのだ。
「三年も住んでおられるのなら、このあたりにはお詳しいのでしょう?」
「い……いえ。そんなに外出しませんし」
「夜、飲みに出掛けたりは」
「しません。というか、お酒を飲む習慣もなくて……」
会話をことごとく行き止まりにしてしまう、己の浅さが恨めしい。
濡れる濡れない以前に、これでは結婚どころかお見合いの席でもがっかりされること請け合いだ。
(何か、わたしでも続く会話はないかしら)
しかし男性が乗ってくれそうな話題なんて、桔花は知らない。
退職してからというもの、男性と話す機会などほとんどなかった。
少しの沈黙に、緊張感がみるみる増す。せっかく、雑談でリラックスさせようとしてくれているのに、申し訳ない。切羽詰まって、押し出されるように「あの」と桔花は口を開いた。
「ハクさんは、普段、飲みに出掛けたりするんですか? お酒……」
「……ええ、付き合いで、少し」
「付き合い、ですか」
先細るように終わってしまう会話が虚しい。
これ以上、投げられるボールなど桔花は持ち合わせていない。搾りかすをさらに搾るようにして次の話題を探し、そして桔花はハッとした。
「あ、あの、わたし今、気づいてしまったのですが」
「なんでしょう」
「ハクさん、お付き合いなさっている方、いらっしゃいますよね。そんなに素敵ですもんね。だとしたら、やっぱり、こういうことは良くないのでは」
「ご心配には及びません」
「でも」
「特定の相手はいません。最優先すべきは、大柴胡に尽くすことですから」
無機質な声の表面に、煩わしさがうっすらと透けていた。踏み込まれるのを、極度に嫌がるような。聞かれたくないことを聞いてしまったのかもしれない。
「ところで、触れられたくない場所はありますか? キスには抵抗があるとか、肌に直接唇をあててほしくないとか、指を入れられたくないとか」
「いえ。大丈夫……です」
「承知しました。――外しますね」
はらりと、バスタオルが解かれた。
空気に晒されて一瞬冷えた背中には、すぐに乾いた掌があてがわれる。一線、踏み込まれたのだと本能的に理解して、頭が沸騰しそうになる。
「わ、わたしは、何をしたらいいですか」
「何もなさらなくて結構です」
両手で肩まで逆撫でされたあと、一気に腰まで撫で下ろされて身を捩る。
「っ……」
くすぐったいのか、怖いのか、あるいはもっと他の感覚なのか。
不慣れな桔花には、判別がつかない。しかし、体の内側が沸くようにゾクゾクした。
「お背中、綺麗ですね」
「そう……でしょうか」
「ええ。シミもホクロもなく、まっさらで澄んだ肌。なんの重荷も背負ったことがない、赤子のような背中です」
褒められているのだろうか。途中から、なんだか嫌味に聞こえたのだが。
少し体を持ち上げ、左から振り返ろうとする。と、すかさず右胸の下にハクの右手が入り込んできた。膨らみに掌をあてがわれ「あ」と咄嗟に声が漏れてしまう。
「……っ……」
慌てて唇を噛み、桔花は困惑した。
こんな声、知らない。自分ではないような、甘ったるい声。
「我慢なさらなくて結構ですよ。喘いだほうが、あなたの興奮も増すでしょうし」
そんなことを言われても、堂々と喘ぐなんてできそうになかった。
同じように胸に触れられた経験はあれど、艶っぽい声が漏れたのは初めてだ。これが普通なのだろうか。あんな声を、相手に聞かせるのが?
などとごちゃごちゃ考えているうちに、ハクの右手はゆるゆると動き出す。右の乳房が、柔らかく形を変えて男の手の中で弄ばれ始める。
(心臓、壊れちゃいそう)
ふに、ふに、と膨らみに埋まる指の、ごつごつした存在感に気が遠くなる。
数日前まで見ず知らずだった男に、胸を触られている。揉まれてしまっている――なんという背徳感。後ろめたさはあるのに、吸い付くような掌が心地よかった。
ふ、と熱っぽい息が漏れる。
それでもなお声を噛み殺したままでいると「強情ですね」とボソッと言われ、いきなり体を表に返された。
左胸を掴まれ、ずいと顔を寄せられる。
「肉付きのいい、色気のある体つきではありませんか」
「あ……」
ハクの視線の先、ボリュームのある膨らみの上で、桃色の頂が艶っぽく光っていた。
大きめの乳輪に、陥没気味の乳首――元彼にぎょっとされたことを思い出し、咄嗟に片腕で隠そうとしたが、それより先にハクの唇を押し当てられてしまう。
「……ひ、っ」
びくんっと体を縮こめても、ハクは引き下がらない。
へこんだ左の先端を誘い出そうとするかのように、チロチロと舌でつつき始める。
「ふ……ぁっ、……は……、はぁ、っ……」
小刻みに動く赤い舌を間近に見ながら、桔花は息を荒くしていく。
(しちゃってる……わたし、ハクさんと、えっちなこと……っ)
思えば元彼は、こんなふうに舌を使ったりはしなかった。いや、舐めるどころか触れるのも億劫そうで、大きな胸が揺れるさまを興奮材料にしているようだった。
ささやかに誘う刺激に、先端はゆっくりと勃ち上がり始める。むくむくと姿を現した小さな粒は、乳輪と同じく純粋な桃色だ。
ぴんと尖って、天を向いている。
「ここに、集中なさってください」
ふうっと胸の頂に息を吹きかけられたら、それだけで腰が揺れていた。
いつも膨らみの中に潜ったままの乳頭が、どれだけ感じるものなのか……知っているつもりで、きっと知らない。怖い。だが、逃げるわけにはいかなかった。
肩で息をしながら、ハクの唇を見つめる。
と、桔花の準備が整ったと思ったのか、ハクはゆっくりと勃ったそこに近づき、そしていきなりじゅうっと吸った。
「んァあああっ……!」
痙攣するように、全身が跳ね上がる。
まるで、かさぶたが剥がれたばかりの純粋な皮膚を撫でられたかのよう。
ひりつくほど、いい。快すぎて、目の前がチカチカする。
焦点の定まらない桔花に覆い被さり、ハクはさらに左胸の先を嬲るようにしゃぶった。湿った音を立てながら吸われ、パッと離されてはむしゃぶりつかれ……。
ねっとりと頂に舌を絡められていると、全身を舐め回されている気分になる。
「……ぅ、ふぅ……っふ……う、う」
荒く呼吸をしながら、桔花にできたのは胸を突き出していることだけだ。
吸い出された乳頭は指でつままれ、戻るなとばかりにしごかれた。時折唾液を塗りつけられながら、幾度も引っ張り上げられるさまから、恥ずかしいのに目が逸らせない。
やがてハクは右の頂へ移動し、同じように、しっかりと勃つまでそこを弄り回した。
「っ……ふ、あ」
両胸の先を同時にしごかれていると、熱っぽい息に声が自然と混じり始める。
「あ……ぁ、う……ンン……っ」
「その調子です。もっと喘いで」
「ひ、ぅァっ、ん、でも、こんな……いやらしい声……っ」
顔をふるふると左右に振りながら泣きそうになっていると、唇を離され、膨らみをふたつとも左右から寄せ上げる形で掴まれた。
「いやらしいことは、悪いことだとお思いですか」
「っだ……って……」
「お捨てください。あなたが今まで正しいと信じてきたもの、すべてを」
尖った先端がふたつ、ハクの唾液に濡れて光っている。
思わずかあっと赤面すれば、ハクは胸の膨らみを寄せ上げた手の親指で、勃った頂を器用に撫で回してくる。
「あっ、ア、じんじん、して……っヤぁ、そこ、ばっかり……っ」
「イイのでしょう?」
「……い……いい、ですけど……っ」
弾けてしまいそうだ――頭が。
捏ねられている膨らみが、じわじわと張っていく。
先端は円を描くように弄られ続けていて、痺れるほどの快感が途切れない。
すると何故だろう、押し寄せるように下腹が切なくなってきて、膝と膝を擦り合わせずにはいられなくなる。
このまま触られ続けていたら、きっとどうにかなってしまう。
身悶えて体を少し上にずらそうとすれば、膝の間にハクが体を割り込ませた。顔のほぼ正面、真上から見下ろされて、どきっとする。
初対面でも綺麗だと思った、切れ長の目。
人工的なほど冷え切ったその瞳は、掻き上げられていたはずの前髪がすっかり垂れ下がっていることで、野生的にも見える。
「多分、もう、濡れています」
不意打ちのように、いきなり膝を押し付けられた――脚の付け根に、グッと。
「っあ……!」
途端、突き上げる強烈な快感が、桔花の背をしならせる。胸の先も快かったが、比ではなかった。一気に脳天まで駆け抜ける悦に、一瞬、呼吸を忘れる。
(何、これ……っ)
混乱しているうちに、ハクの膝はゆっくりと揺れ出す。
ずりずりと秘所に擦り付けるようにされると、のたうって声を裏返らせていた。
「は、っンン、ぅあッ、ア、おかしく、なっちゃ……う、うっ」
「上等ではないですか」
ハクの手はまだ、桔花の乳房を掴んだままだ。
じっくりと膨らみを揉みつつ、同時に先端をつまみ上げてくる。戻ることを許されず、感じたままにさせられている桃色の頂は、過敏さを増して桔花を追い立てた。
「やぁあっ、ハクさ……っハクさん、待って」
「何故?」
「だって……、これ、快すぎる、からぁ」
うまく息が吸えない。押し寄せる波に次々と吞まれていくみたいだ。
ぽたりと唾液を胸の先に垂らされ、それでぬるぬると先端を擦られる。そのうえ、ハクの膝は強弱をつけ、秘所に擦り付けられていて……。
(気持ちい……気持ちよくて、意識が遠くなる……よぉ)
朦朧としながらかぶりを振れば、ハクの顔が近づいてくる。キス――唇を奪われると思い咄嗟に瞼を閉じたが、口づけは降りてこなかった。
代わりに、右の首すじに顔を埋められた。耳たぶに軽く、歯を立てられる。
「腰を逃がさず、快感を受け入れて。そうすれば、もっと快くなれます」
「でも」
でも、クラクラする。
往生際悪くハクの胸を押し返したら、両手を頭上で捕まえられてしまった。
「ごちゃごちゃ言わずに、素直によがれよ」
我慢の限界だったのだろう。
豹変した口ぶりが、桔花を的確に追い立てる。
ゾクゾクと、背すじを駆け上る得体の知れない熱。
腰は上下に跳ね上がり、止めようとしても止められない。すると脚の付け根――ハクの膝を押し当てられている場所が、ぬめっていることに気づく。
「え、っあ……!」
信じられなかった。
元彼が何度頑張っても叶わなかったのに、溢れるほど濡れている――。
「そろそろ、だろ」
機を逃すまいとするように、ぐるりと体を返された。
うつ伏せにさせられ、膝を立てさせられる。すると桔花は伸びをする猫さながらに、お尻を高く突き出す格好になってしまい……。
「いやあ……ぁ」
しかし腰を落とそうにも、ハクに太ももを掴まれていて、できない。
戸惑っているうちに、どろどろになった恥部をゆるりと前後に撫でられた。人差し指、中指、薬指の三本で、花弁の内側をくまなく擦るように。
「ヤっア、はっ……ぅ、んっ、は……ぁっ、熱い、い」
割れ目の中が、ヒリヒリするほど感じる。
とくに前のほう、過敏さが集約したような場所がある。そこを指先で重点的に探られると、太ももが震えて腰が揺れそうだった。
「挿れられたくなってきたか?」
ハクは言う。
割れ目から後ろに向かって、指をゆっくりと滑らせながら。
「想像してみろよ。この場所を、ヤクザ者に明け渡す瞬間を」
「っう……」
「こんなに濡れていたら、快いだけだろうけどな。俺のモノが入り込んで来ても、膣壁を盛んに擦られても、ひたすら感じるだけ」
こくりと、喉が鳴る。
思考を乗っ取られているかのように、頭にはあられもない場面が浮かんでいた。男性に抱かれて、今度こそ処女を手放すところだ。
「なるほど」と言いながら、ハクは蜜口にわずかに中指を埋めた。
「おまえ、無理やり犯されるようなのが好きなのか。好きでもない男に極太の性欲をぶち込まれて、奥の奥をめちゃくちゃに打たれて……子宮を真っ白に汚されて」
服従しきった頭は、言われたままの想像をしてしまう。
強引に突き込まれて、無責任に注がれて……そう、ハクに。
途端、下腹部がきゅうっとわななく気配がした。きっと今、自分は蕩けた顔をしている、と桔花は思う。唇が緩んで、閉められない。
は、は、と乱れた呼吸がますます浅くなる。
「前の男は、押し倒す前に気づくべきだったな。おまえが被虐志向だって」
ククッと笑ったハクは、蜜口に浅く埋めていた中指に薬指を添えた。それが二本同時に割り込んできたときだ。桔花の意識がふっと、遠のいたのは。
(あ、ダメ)
目の前が暗くなる。と同時に、全身から力が抜けた。絶頂を迎えたからではなく、怒涛の快感を許容しきれず、ショートしてしまったようだった。
くたりとベッドに崩れ落ちれば、ややあって「おい」と呼ばれる。
「おい、どうした」
ハクの声は聞こえてはいるが、ひどく遠かった。返答しようにも声にならず、唇も動かせない。そうするうちに桔花は深い闇に落ちていき、完全に意識を失った。
* * *
突如動かなくなった桔花を、ハクは焦って揺り起こそうとした。
死んだのかと思った。声もかけたし、頬を軽く叩いてもみた。しかし桔花の意識は戻らないどころか、すうすうと平和な寝息が聞こえてくる。
気絶、からの熟睡だ。
「……冗談だろ」
ハクは茫然と呟いた。
当然のことながら、抱いている最中の女に寝落ちされたのは初めてだ。あんなに感じているふうだったのに、パッタリと寝入るとは、まったく心外だ。
(なんなんだ、この女。俺をナメてんのか)
怒りと同時に込み上がってくるのは、失望に似た感覚だった。
セックスを提案したとき、まず間違いなく桔花は怖気付くとハクは踏んでいた。
それなのに、覚悟を決めた様子で「お願いします」と頭を下げてくるから、ああ、多少は骨のある奴かもしれないと見直したところだったのに。
イライラしながら元の服に着替えたものの、勝手に出て行くわけにもいかない。リビングのソファに腰掛け、手慰みにスマートフォンを弄っていたときだ。
会長――大柴胡厚から電話が掛かってきたのは。
『どうじゃ? 桔花嬢への恩返しは無事に終わったか?』
穏やかでもよく通る、重厚感のある声が鼓膜をピリリとさせる。
どうやら厚は、三の組に振った案件がハクの手に渡ったことを知っているらしい。
「……いえ。申し訳ありません、会長」
恩返しが終わったわけがない。
ハクは桔花に、泣いて欲しがるほどよがらせてみせると言ったのだ。それなのに。
「ですが、必ず成し遂げてみせます。一週間――いえ、三日もあれば」
『そんなに肩肘張らんでもいい。手強いだろうとは思うとったんじゃ。なにしろお嬢ちゃんは満たされきって、欲しいものなどないそうじゃし、おまえさんはおまえさんでああいうタイプの子に接するのは初めてじゃろ。ん?』
厚の言うとおりだ。
十五ですでに半グレ集団にどっぷり浸かっていたハクの周囲には、スレた女か玄人しかいなかった。女の扱いに慣れていないわけではないが、確かに今回は勝手が違う。
かかかっ、と厚は好々爺のごとく笑う。
『たまにはのんびりやれ。おまえさんは普段充分、よくやってくれとる』
「もったいないお言葉です。手前など、まだまだです」
『いやいや、おまえさんは半夏会いちの稼ぎ頭じゃぞ。もっと鷹揚にかまえたって、三の組若頭筆頭としての地位は揺るがんよ』
それは三の組の実態を知らないから言えることだ。油断すれば、組長からどんな制裁を加えられるかわかったものではない。が、厚に告げ口などできるはずもなかった。
『半夏会』の者を名乗る限り、会長に尽くす者として全員が同じ方向を向いていなければならない。だから表向き、皆、組内でうまくいっているふうに装っている。
『で? ボインじゃろ、桔花嬢は』
唐突にそう聞かれたから、ハクは一瞬、返答に詰まる。
『突然、何を言うのかと言いたげじゃな。いやぁ実は最初、儂の愛人にできないかと思うたんじゃよ。色白で清楚で乳もでかい。実に儂の好み、ど真ん中じゃ』
厚といえば、先代会長の片腕として、長く半夏会を仕切ってきた切れ者――。
彼の強みは、政財界に精通し、国家の中枢にも太いパイプを持つこと。楯突いた人間を即座に消すなど容赦もない。反面、情に厚く面倒見もいいので、組長時代は彼に心酔し、喜んで命を差し出した猛者もいたという。
ただひとつ、難点があるとすれば、女好きということだけ。
『しかし彼女、いいとこのお嬢さまじゃろ? 欲しいものがないのでは月々のお手当てで釣れるわけもないし、致し方なく諦めたんじゃ。まったく惜しいのう。一度くらい一緒に温泉でも行って、泡々マットプレイを楽しみたかったわい』
「……それ以上愛人を増やされては、姐さんが悲しまれるのでは」
『何を言う! 家内が悲しむタマか。今回も結局おイタがバレて、危うくパイプカットならぬパイプ周辺オールカットされるところだったんじゃぞ! おおこわっ』
姐さん――厚の正妻の気性が荒いことは、ハクも重々承知している。
まさしく極妻を地で行く猛々しい奥方は、厚の愛人を殺しかけたことが何度もある。
『まあ、この話はもうよい。とにかくハク、恩返しについては焦らんでもよいからな。三の組の組長には、気長に待ってやれと言っておこう』
それだけはやめて欲しいとハクは内心思う。
会長から目を掛けられているとなれば、三の組の組長はますますハクを目の敵にするはずだ。また儲からない仕事を押しつけられる羽目になるくらいならまだしも、あることないこと文句をつけられて私刑にされる可能性だってある。
しかし、厚の厚意を無駄にすることなどできない。この世界は目上の者が黒と言ったら白でも赤でも金でも、すべて真っ黒なのだ。
すると、スピーカー越しにかすかに低く唸るような声がした。
「会長? いかがなさいましたか」
『おお、すまん。漏れ聞こえてしもうたか。気にせんでいい。ちょいと害虫駆除だ』
害虫駆除――。
直後、かすかに『会長、どうぞ』と囁きが聞こえた。
聞き間違いでなければ、一の組の組長の声だ。と、圧力のかかった空気がプシュッと漏れるような音――サイレンサー付きの銃の音だと反射的に思う。
呻き声はぱたりと聞こえなくなった。密かに、ハクは息を呑む。
『ハク、おまえさんならばわかっているじゃろうが――』
すると厚は、さらに重みの増した声で言う。
『儂の顔に泥を塗るような真似だけは、するんじゃねぇ』
桔花嬢を大切に扱えと、暗に釘を刺されたのだ。
説得力のある凄みに圧倒され、ハクは「はい」と答える。
喰われそうなこの威圧感には、何度あてられても慣れない。尊敬し、慕ってもいるが、厚と一対一で話すには莫大なエネルギーがいる。
(泥を塗るな、か)
もとより、これっきりで済ませるつもりはハクにはなかった。厚の代理で来ているのだから、泣いて欲しがらせる、という約束を違えるわけにはいかない。
根っこのように枝分かれした線路を窓の外に見下ろし、ハクは古い言葉を思い出す。
――『ラクダとロバの昔話、聞いたことあるか、ハク』
厚とは別の、低い男の声。遮断するように、カーテンを引いた。
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