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第三話 日曜日の秘密は、バットとイルカが知っている

 その日は、朝からしとしとと雨が降っていた。
 雨音が、いつもより眠気を誘う。普段なら、もう起きている時間だとわかっていても、未亜はなんとなくベッドで目を閉じている。
 理由は雨だけではない、と自分で知っていて。
「ん……」
 寄り添う裸の胸が、未亜をぎゅっと抱き寄せる。
 昨晩は、竜児のベッドで一緒に眠った。子どものころは、こんなふうに同じベッドで目を覚ますことも珍しくはなかったけれど、少なくともここ十年はなかったことだ。彼を男として意識するようになって以降、自分から竜児のベッドにもぐり込むのはやめている。
 ――そういう意味では、最初から竜児は特別な存在だったなあ……
 彼と結ばれてから、初めての週末。
 残念ながら、未亜は昨日も今日もアルバイトのシフトが入っているけれど、それでも夜はふたりきりの時間だ。
 四歳にして自分にとって唯一無二の男と出会い、それから十七年もの間ずっと竜児のことだけが好きだった。ほかの男性に目移りしたことは一度もない。そもそも、未亜には竜児以外は男性として意識する相手ですらないのだから当然だろう。
 ――竜児は、寝てるときも眉間にシワが寄ってる。
 安らぎのはずの時間に、なぜか苦悶の表情を浮かべる男を、未亜は小さく笑って見つめていた。
 まるで顔の一部にでもなったような、眉間のシワ。
 だが、昔の竜児はもっと自由な印象があった。金色の髪に、少し緩めのストリート系の服装。太い金のネックレスは、今思い出してもセンスがないけれど、あのころの彼はよく笑っていたはずだ。
「疲れてるのかな」
 右手を伸ばし、そっと指先で竜児の眉間に触れてみる。縦に撫でると、指腹で少しずつほぐされていくのか、彼の表情が和らいだ。
 ――うん、このくらいがいい。それに、眉はもっと下がっていてもいいし、あ、眉よりも目かな。目尻がこう、ぐーっと下がると……
 いたずら心に火がついた。
 眠る愛しい人の目尻を、左右同時に下げてみる。
「っっ……、こ、これはこれで……!」
 『愛しい』に一文字足すと『愛らしい』――なんて、心の川柳を詠んでしまうほど、未亜は幸せで満たされていた。
 だが、いつまでもベッドにいるわけにもいくまい。休日だってお腹は空くし、シャワーも浴びたい。未亜は、そっとベッドから抜け出した。そのとき、ふと足元に何かがあることに気づく。
「……? バットが、なんでこんなところに?」
 ベッドの下に隠されていたとしか思えない、野球用のバットが一本。ころりと足元に転がっていた。
 ――暴漢対策……だとしたら、逆に危険な気がするけど。
 何の気なしに、未亜はバットを手に取った。すると、グリップのあたりに色あせたイルカがくっついている。バットとは、こんなにも愛らしいものだったろうか。いや、違う。これは――
「あっ、そうだ。水族館で誕生日に買ってもらったイルカのゴム!」
 幼いころ、誕生日に水族館へ行ったことがある。
 ほんとうならば、遊園地に行く予定だったのだがあいにくの雨で水族館へ行ったのだ。竜児と大地が両側から手をつないでくれて、とても嬉しかったのは忘れられない。
 水族館のグッズショップで、大地にねだって買ってもらったのがこのイルカのヘアゴムだった。だが、なぜバットに?
 ――わたしのは、ゴムが切れてからも大事にしまってあるけど……
 そこで、ふと記憶がよみがえる。
 そういえば、未亜はあのころ竜児の髪を結ぶのに凝っていて、彼のぶんもヘアゴムを買ってもらったのだ。
「……竜児、これ取っておいたんだ」
 バットからヘアゴムをはずすと、ゴム部分は多少劣化しているもののまだ伸縮性がある。いたずら心に火がついて、未亜はそれを手にそっと竜児の髪に触れた。彼は、一度眠るとなかなか目覚めない。昔からそうだった。だから、竜児が寝ている間に髪の毛を結んで遊んだものだ。
 寝乱れた髪をちょこんと結んで。
 未亜は、その愛しさと愛らしさに膝をついた。比喩ではなく、実際にフローリングに膝をつき、ベッドに顔を突っ伏した。
 ――竜児がかわいすぎてつらい!
 そのまま、顔を上げて彼を見てはまた突っ伏し、さらにこっそり覗き見ては悶絶し、軽く十分は過ぎたころ。
「……そろそろ満足したか?」
 目を閉じた竜児が、かすれた声で問いかけてくる。
「えっ、竜児、起きてたの?」
「さっき起きた。それで、満足はしたのか?」
 重ねて問いかけられ、未亜は小さくうなずいた。間髪を容れず、彼の腕が伸びてきて未亜をベッドに引き戻す。
「ひゃあっ!?」
「だったら、次は俺を満たしてもらう」

♪゚+.o.+゚♪゚+.o.+゚♪

 一度目と二度目と三度目までは覚えている。
 だが、そこから先は数えるのをやめた。数えられるだけの思考力が残っていなかったとも言える。
「んっ……、竜児、もう、ダメ……っ」
 ベッドにうつ伏せになり、枕にぎゅっとしがみついて。
 未亜は、後背位で愛しい男に貫かれている。
「まだだろ。昨晩より、反応がよくなってるぞ」
 裸の胸に薄く汗をにじませ、竜児は未亜の腰をつかんで突き上げるのをやめてくれない。
 だが、本気でやめてほしいのかと問われれば答えはNOだ。
 やめないで。
 でも、少し待って。
 あまりに気持ちよすぎて、自分が自分でいられなくなってしまいそうになる。それが怖い。
 彼の目に、今の自分はどんなふうに映っているのだろうか。昨晩まで経験がなかったのに、今はもうこんなにも竜児に溺れている。竜児の与える快楽に慣らされている。
「だって、すごく……んっ、あ、あっ……」
「すごく? その続きを聞きたい」
 ――すごく気持ちいい……!
 声に出す間さえなく、未亜は幾度目かの果てに追いやられた。
「またイッたのか。かわいいな、まったく」
「え……?」
 余韻に浸っているところを、さらに竜児が腰を打ち付けてくる。達したことにより狭まった蜜路を、雄槍がめりめりと押し広げた。
「や……っ、あ、あっ……」
 逃げようと浮いた腰を、竜児がぐいと引き寄せる。すると、しがみついていた枕から体が離れて、四つん這いの格好になった。両腿をきっちり閉じあわせているせいで、いっそう彼の形をまざまざと感じ取ってしまう。
 互いのぶつかり合う肌と肌が、淫靡な音を立てた。
 この行為を知らなければ、それは手を打ち鳴らしているだけのように聞こえたかもしれない。あるいは体のどこかをぶっていると勘違いしたかもしれない。けれど、もう知らなかったころには戻れない。律動に合わせて打ち鳴らされる肌の音は、竜児の欲望を体の奥深くに受け止めている証拠なのだ。
「ああ、狭いな。もともと狭いのに、俺にすがりつくみたいに引き絞ってくる……」
「違……っ……そんな、こと……」
「違うのか?」
 背に舌が這う感触で、未亜はびくんと体を震わせた。
「なあ、未亜。違うのか? おまえの体は俺を求めてくれているんだろう?」
「あ……竜児、竜児ぃ……」
 やめないで。
 でも、お願いだから少し待って。
 その本心に反して、未亜の体が竜児を引き止めたがる。彼が引き抜かれていくときにはきゅうとすぼまり、必死にしがみつく。彼が打ち込まれるときには、濡襞が押し広げられてその質量のすべてを受け止める。
「おかしく……なるぅ……っ」
「なればいい。誰も知らないおまえの顔を、俺だけに見せてくれ」
「竜児、好き、好きなの……」
 必死に首を傾けて、彼のほうを見ようとした。
「そんな無理な体勢じゃ、首を痛める」
 眉尻を下げた彼が、未亜の体を軽々と裏返す。一度は抜けた楔が、再度穿たれるまでの間はわずか二秒。
「だったら、こうして俺にしがみついていればいい」
 竜児は、未亜の両腕を彼の首に回させた。
「ぁ、あ、竜児のおっきい……っ」
「おまえのせいで、こうなってるのはわかっているか?」
「わたしの……?」
「ずっとおまえを抱きたかった。こうして、俺だけのものにしたいと思っていた。だが、抱いてみたらわかったことがある。抱いても抱いても足りない。未亜、おまえをもっと抱きたい」
 蜜音を響かせるふたりの結合部が、これ以上ないほど深くつながる。
 それでもまだ先を求めるように、竜児は奥深くに突き立てた切っ先をぐりぐりと回した。
「やぁ、あ……っ、そこ、イヤ、イヤぁ……っ」
「嘘がヘタだな。ここがイイんだろう?」
「違うの、駄目なの……っ」
 そう言いながらも、未亜は彼にきつく抱きついている。離さないで、もっと近くまで来て、と体が叫んでいた。
「そうか、違うのか。だが、俺はおまえのいちばん奥を知りたい。だからもっと――」
「や、ぁ、ああ……っ!」
 背骨がひどくしなる。
 打ち付けられるたび、体は竜児を教え込まれる。
 心はもっと以前から、彼しか知らない。
 何もかもが竜児の色に染まっていく、日曜日。
 彼の激しい動きのせいで、軽く結んでいたイルカのヘアゴムがシーツの上に落ちた。
「あ……」
「……これは……」
 それを見て、ふたりは一瞬真顔になる。
「これをつけたまま、抱いていたとはな」
 ふん、と鼻で笑う竜児は髪を結んでいなくたって泣きたくなるほど愛しくて。
「全部、竜児だから。頭にイルカがついていても、明日筋肉痛で腰が使い物にならなくても、ベッドの下にバットを隠し持っていても、全部わたしの好きな竜児だよ」
 彼にとっては、どれひとつとして気に召さなかったのだろう。
 竜児は、わざとらしく笑みを浮かべると――
 それまで以上に激しく、未亜を翻弄した。

 そんな日曜日のふたりを知っているのは、思い出のバットとイルカだけ――