後日譚 補給係のささやかな反抗
午前九時を少し回った頃、羽田空港のビジネスジェット専用ゲートに一台の車が横付けされた。
綺麗に磨き上げられた車体が晩秋の日差しを受けて目に眩しい。この場所に停まる車はどれも高級車揃いではあるが、たった今到着した車はひと際目立っている。
その理由は、後部座席から降り立った男の姿を見れば誰もが納得した。
彼の人物はこれから長いフライトが待っているというのに、チャコールグレーの三つ揃えスーツをぴしりと着こなしている。緩やかに波打つ長めの前髪を軽くかき上げると、ノンフレームの眼鏡の奥でくっきりとした二重の目が細められた。
眩しさに顔を顰めたというのに、彼の場合はそれすらも画になってしまう。あまりにも人離れした美貌ゆえに羨ましいとすら思えなかった。
響道院(きょうどういん)の名前を日本の経済界において知らぬ者はいないだろう。中でも本家の三男である響道院惣馬(そうま)の評判はひと際高い。家業の発展に貢献しているだけでなく、自身で興した経営コンサルタント会社も次々と大きな功績を残している。
そんな彼だが、海外出張の際に響道院家の所有するプライベートジェットを利用する頻度は意外にも少ない。どうやら父や兄が同行するならまだしも、一人で利用するにはコストパフォーマンスが悪い、というのが理由らしい。
だが、今回の利用者には響道院姓は惣馬ただ一人。どういう風の吹き回しかと思っていたが、その理由はすぐさま判明した。
惣馬は降りたばかりの車へと向き直り、軽く身を屈めてからすっと左手を差し出した。どうやら秘書とは別の同行者がいるようだ。
しかも、仕草から察するに――。
「おはようございます」
「おっ……はようございます。いらっしゃいませ」
惣馬のエスコートを受けて降り立った女性は、スタッフと目が合うなり微笑みと共に挨拶を口にした。一瞬呆気に取られた彼らだがそこは接客のプロ、すぐさま挨拶と歓迎の言葉を返す。
誰もが瞬時に目を奪われる美男子と共に歩くのは、一見するとどこにでもいそうな容姿の女性だった。しかし、秋風を受けて揺れる長い黒髪は毛先まで艶やかで、薄化粧を施した肌も入念に手入れがされているのが見て取れる。
ブルーグレーのノーカラーワンピースからはすんなりとした脚が覗き、左足首に巻き付いているアンクレットがやけに艶めかしく見えた。
そんな二人が仲睦まじくロビーに足に踏み入れれば、衆目を集めるのは当然とも言える。女性の方は一瞬戸惑った表情を浮かべたものの、惣馬の腕が腰に巻き付き、引き寄せられたことで意識が逸れた。いや――逸らされた、という方が正しいのかもしれない。
わかりやすいにも程がある牽制だというのに、女性は見上げた先にある眩い笑顔を一身に受けてはにかんでいる。
「とても新しい施設ですね」
「あぁ、ここは七月にオープンしたばかりだ。以前は同じターミナルにあるホテルの一階にあったんだよ」
彼女の疑問に答える声はとても柔らかで、たっぷりとした甘さを含んでいた。あんな声を耳元で聞かされても平然としている女性には尊敬の念すら覚える。
無表情かつ冷ややかな声を常とする響道院惣馬とはとても同一人物とは思えない。だがこれで、彼がプライベートジェットでの移動を選んだ理由が判明した。
完全に二人の世界に入ったまま手続きを済ませ、待合室へと向かう背には羨望の眼差しが注がれていた。
********
「出発は十時を予定しております」
「わかった」
諸々の手続きを済ませてきた惣馬の第一秘書がちらりとこちらを見遣る。少し申し訳なさそうな顔をしているから理由は簡単に察せられた。世那(せな)はコーヒーカップをテーブルに戻すと傍らに置いたハンドバッグから本を取り出した。
「惣馬さん、私のことは気にせずお仕事してくださいね」
「あぁ。すまない」
世那の額にキスを落としてから惣馬がようやく秘書へと視線を向けた。リオルは待っていましたとばかりにタブレットを差し出し、表示させてある経営計画書について確認作業に取り掛かる。
飛び交う用語は世那の知らないものばかり。お陰で読書に集中できるのが少しだけ寂しい気もするがこればかりは仕方がなかった。
惣馬は経済政策シンポジウムに出席するためにニューヨークへと向かう。本人はリモートでの参加を希望していたのだが、ここぞとばかりに兄達から用事を押し付けられたと憂鬱そうに語っていた。
無駄を嫌う惣馬は、昔から移動に時間が取られる海外出張に行きたがらない。しかし今回は嫌がってはいるものの、度合いは各段に軽いとリオルがこっそり教えてくれた。その理由を誰よりも知っている世那は「本当に感謝しています」とにこやかに告げられたものの、顔を赤くしてただひたすら頷くのが精一杯だった。
思い返してみれば、今年に入ってからというもの、惣馬の海外出張には必ず世那が関係していた。
年が明けて間もなくの出張では極度の淫気不足に陥り、まだなにも知らなかった世那を待ち伏せして屋敷に連れ帰った。
次は贄になった世那を空港まで呼び、帰りの車中で補給された。
そして今回は、贄兼婚約者として出張に同行することになったのだ。
世那自身、海外旅行の経験はたったの一回。専門学校時代に同級生数人と、試験休みを使って台湾に行ったことがあるだけ。長時間のフライトに至っては初めての経験なので密かに緊張していた。
期間は行きと帰りを会わせてちょうど二週間。少しの期待と大きな不安を抱えて羽田に到着すると、なぜかターミナルの外れの方へと車が向かっていくではないか。もしかしてVIPは専用の入口でもあるのかと思いきや、それ以上に凄い待遇で空の旅へと臨むことになってしまい、緊張はどこかに吹っ飛んでしまった。
前回は響道院家が所有しているリムジンに驚いたが、どうやら世那の嫁ぎ先の財力は想像を遥かに超えていたらしい。時間になり、案内された飛行機はよく知るジャンボジェット機に比べて遥かに小型で、このサイズでも太平洋を横断できるのかと感心してしまう。
「うわぁ……結構広いんですね」
入口から見て左、機首側にギャレーがあり、右手側はすべて客席になっているらしい。当然ながら椅子はエコノミークラスのような簡素なものではなく、すべてファーストクラス仕様だ。前後の席が向かい合わせになり、間に大きめテーブルがある場所は仕事用のスペースなのだろう。
「世那は好きな所で寛いでいるといい。一番奥にはベッドもあるからね」
「えっ、横になれるんですかっ!?」
思わず大きな声が出てしまった。慌てて口を噤んだものの、サービスを担当すると紹介された二人のスタッフが忍び笑いを漏らしている。初めてなので仕方ないものの、素人丸出しの発言はちょっと恥ずかしい。
惣馬から離陸と着陸の時は座っている必要があるが、それ以外は指示のない限り自由だと教えられる。ベッドルームの手前にはゆったりと過ごせそうなソファーがあったので、まずはそこで本を読もうと決めた。
先ほどまでの不安はどこへやら、世那は案内された席に座りながら、初めての長旅に胸を躍らせていた。
◇◆◇
「ふぅ……」
髪をタオルで拭いながら、浴室から出てきた世那はソファーに身を沈めた。目の前にあるカーテンの開けられた大きな窓からセントラルパークが一望できる。ニューヨークに着いてから高層ビルばかり目にしてきたというのに、その真ん中にこんな樹々が鬱蒼と茂る場所があるなんて。
ガイドブックで散々見てきた場所が眼下に広がる光景は、まだ少し現実味が遠くに感じられた。
いや、そもそもこの部屋自体が現実味から遠いのだ。
惣馬はニューヨークの滞在拠点として、五つ星の常連であるホテルのロイヤル・スイートを予約していた。
モダンとトラディショナルが融合した豪華な内装の部屋はとにかく広い。世那が寛いでいるリビングルームの隣にはオフィス用のスペースがあり、今は惣馬とリオルがオンライン会議の真っ最中。三つある寝室にはそれぞれキングサイズのベッドが鎮座しており、デザインの違うバスルームが二つ。その他に見事なシステムキッチンとダイニングまである。
ベッドルームとバスルームの多さに、一瞬リオルも同じ部屋に滞在するのかと勘違いしてしまった。それに関してはリオルからは「もちろん私は別室です」と笑顔で否定され、惣馬には笑われてしまった。
しかし、いくら二週間近くの滞在になるとはいえ、あまりにも豪華すぎやしないだろうか。なにか事情があるのかと問えば、惣馬からは予想外の答えが返ってきた。
「世那にセントラルパークとマンハッタンの眺め、両方を見せてあげたくてね」
たしかに寝室の一つは広大な公園、もう一つは見事な摩天楼が大きな窓から眺められるようになっている。しかし、この街には立派な展望台がある。シンポジウムが終わった翌日には一緒にそこへ行く予定にしているから、わざわざ寝室から眺める必要はないのだが。
惣馬は隙あらば世那になにかを買い与えようとしてくる。だからニューヨークでなにかしたいことはあるかと尋ねられた時、「色々な場所に行ってみたいです」と答えた。
買い物をするよりも東京では見られない景色を見てみたいと言ったつもりだったのに、まさかこんなことになるとは思わなかった。少しは惣馬の考えを理解したつもりだったのに、どうやらまだまだらしい。
羽田を朝十時に出て、約十二時間のフライトを経てニューヨークに到着したのは同じ日の朝十時。時差だと理解はしているもののなんだか不思議な気分だ。とはいえ、プライベートジェットの中で五時間ほど眠ったので、時差ぼけにはなっていない。
いい天気のお陰でセントラルパークの緑はとても生き生きとして見える。今日は惣馬もオンラインミーティングさえ終わればフリーらしいので、昼食を食べたら散歩に行こうと約束していた。
「…………えっ?」
世那が思わず声を上げたのは、洗面所で髪を乾かし終え、そろそろ荷解きに着手しようと思いはじめた頃だった。
ずくん、とお腹の奥が突如として疼きを昇らせる。これほど急激に発情の症状が出るのは久しぶりだ。咄嗟に左手で下腹部を押さえ、右手に持っていたグラスを慎重にテーブルへと戻した。
淫魔の糧である淫気は、体力はもちろん気力の維持にも重要な役割を果たしている。そして、主である惣馬が淫気不足に陥れば、贄である世那は強制的に発情させられてしまうのだ。
隣室とはいえ、防音のしっかりとした部屋なので惣馬の様子は窺い知れない。それでもこれだけ急激に飢えを覚えているのだから、なにかとても面倒な事柄の対応をしている真っ最中なのだろう。
贄の症状は主との距離が近いほど強くなってしまう。惣馬があとどれくらいで仕事を終えるかがわからない以上、リビングに居続けるのは少々辛いものがある。世那は急激に火照ってきた身体を持て余しつつ、一番遠くにあるベッドルームへと避難を始めた。
「はっ、ぁ……」
部屋が広いお陰でなんとか距離が取れたようだが、完全に沈めるのは難しい。それでも扉を閉めると少しだけ楽になった気がする。大きなベッドへとよじ登り、ぽすんと身を投げた。
横を向けば、窓の向こうには濃い緑色の絨毯が広がっている。色の薄い場所は芝生になっているらしく、豆粒サイズの人がそこで寛いでいる。とても一日で回れる広さではないと重々承知しているが、できればあの場所で惣馬と一緒に寝そべってみたいな、と鈍くなりつつある頭の中で呟いた。
だけどまず、惣馬が戻ってきたら補給が必要だろう。世那は寝返りを打ってうつ伏せになり、頬に感じるシーツの冷たさに意識を集中させる。これでなんとか我慢できそうだ。
「世那?」
「……はっ、はい!」
いつの間にか微睡んでいたらしい。ノックの音に慌てて身を起こすと、静かに扉が開かれた。相変わらずチャコールグレーのスーツを着ている惣馬は少し疲れた顔をしているから、やはりハードな打ち合わせだったのだろう。
「待たせたね」
「大丈夫です。お仕事、お疲れ様でした」
一度は落ち着かせたはずなのに、主が目の前にいれば容易に疼きが蘇ってくる。膝丈のロングTシャツをきゅっと握りしめたまま労りの言葉を掛けると「ありがとう」と柔らかな声で返された。
「急いでシャワーを浴びるよ。昼食はラウンジにでも行こうか」
「はい、惣馬さんにお任せします」
…………あれ?
こんなにもお腹の奥がじんじんと痺れているというのに、惣馬は平然としているのはどうしてだろう。戸惑う世那の前で長い指がネクタイを緩めている。
「世那も着替えておいで」
「あ、あのっ……!」
そのまま出て行きそうになる背中を急いで引き留めた。振り返った惣馬はネクタイを手に不思議そうな顔をしている。勢いのまま声を掛けてしまったけれど、この後はどうしたらいいかわからない。
「そ、惣馬さん……は、えっと……」
「うん?」
なんと伝えたらいいのだろう。ベッドの上でもじもじしていると惣馬が近付いてきた。片膝だけ乗り出し、手を伸ばして世那の頬に触れてくる。指先から伝わってくる体温、そしてすっかり慣れてしまった匂いが一気に欲情を加速させた。
溜まった熱を逃がそうと小さな吐息を漏らす。なんとか察してもらおうと惣馬を見つめると、頬に添えられていた親指がゆっくりと下唇をなぞった。
「どうしてほしいのか、言ってごらん?」
間近に迫った美貌が甘く囁く。漆黒の虹彩に散る輝きは何度見ても飽きることはない。思わずぼうっと見入っていると、その奥に隠された熱に気が付いた。
もしかして――試されている?
疲れている時の惣馬は少し意地悪になる。羽田を発つ前夜にたっぷりと「補給」したというのにここまで急激に減ったのだから、相当なストレスが掛かったに違いない。きっと素知らぬふりをして、わざと焦らしているのだろう。
世那が一人で勝手に発情しているのではないとわかってほっとしたが、この仕打ちはあまりにも理不尽だ。それならこっちにだって考えがある。
世那は不機嫌顔を作り、頬と唇を撫でる手をぺしんと払いのけた。
「……世那?」
まさかこんな扱いを受けるとは思っていなかったのだろう。惣馬はわかりやすく動揺を見せた。大きく見開かれた星空のような瞳を睨みつけてから世那は立ち膝の体勢になる。
ネクタイの抜かれた首元に素早く腕を巻き付け、体重を掛けて引き倒しながらくるりと位置を入れ替えた。
手習いの域を脱しなかったものの、この時ばかりは柔道を習っておいて良かったとしみじみ実感する。用途が男を組み敷くため、というのを知ったら師範だった父親は卒倒しかねないが、この際気にしていられない。
「せっ…………」
薄く開かれた唇にはむりと噛みついた。初めてやってみたけれど、厚みがあるので噛み応えがあるな、と頭の隅で考える。少し強かったせいか抱きついている身体がびくりと揺れた。
「惣馬さんが、食べたいです」
より弾力のある下唇を食みながら世那が囁く。
未だに誘惑の方法なんてわからないし、駆け引きをしている余裕なんて世那には残されていない。だから結局は実力行使に打って出て、ストレートな言葉をぶつけるだけ。少し遅れてスーツ越しに重なった胸元から激しい鼓動が伝わってきて、ちゃんと意図が伝わったのだと安堵した。
もう一度唇を塞ぐと緩んだ隙間から舌をそろりと挿し込んでみる。まだ先端しか入れていないというのに強く吸い付かれて痺れが走った。そのままずるずると惣馬の口内に引きずり込まれていく感覚に自然と身体が距離を取ろうとする。しかしそれは後頭部に回った手によって阻まれてしまった。
「……ん、ふ……っ…………ぅ」
素早く連れ込まれた場所で舌へと同じものがねっとり絡みついてくる。それに必死で応えているうちに思考が霞み、徐々になにも考えられなくなってきた。ただひたすら濃厚なキスに没頭している世那は、とろりと甘い眼差しが向けられていることにまったく気付いていない。
上半身を起き上がらせた惣馬はもう己の贄が離れないと確信したらしい。後頭部からゆっくりと手を滑り落としていく。背骨の窪みを辿るように下りていき、太腿の裏側に到着した。ロングTシャツの裾から侵入させると、今度は素肌を撫でながら這い上がらせていく。
「……っは、世那……全部、見せて」
シャツをたくし上げながらブラのホックも素早く外された。それらを抜き去るために解かれた腕と唇はすぐさま元の位置に戻っていく。
世那は舌のざらついた面を擦り合わせるのに夢中で、惣馬が次々と着ているものを脱ぎ捨てはじめたことにまったく気付いていない。時折胸の先端をくすぐられる感覚に身を震わせながら、久しぶりの口付けを思う存分堪能していた。
「そっ……ま、さん…………ふ、あぁっ……!」
ワイシャツの袖を抜いた腕が世那の腰に巻き付き、そのまま強く引き寄せられる。裸の肌が触れ合う感覚に思わず甘い声を上げれば、より一層密着度合いが高められた。屋敷を出発して以来の感触に全身が歓喜に震える。
プライベートジェットの中ではずっと惣馬は忙しそうだった。二回あった食事を共にし、それ以外はほんの僅かな休憩時間だけ。その時にベッドで微睡んでいた世那を抱きしめていたものの、さすがにそれ以上は自重していたようだ。
しっかりとした弾力がありながらも柔らかく、そしてきめ細やかな肌に包まれるとそれだけで夢見心地になれる。全身からふわりと立ち昇った淫気を、主である美しき淫魔がくまなく吸収する様を肩に頬を預けたままぼんやりと見つめていた。
「世那、もっと食べさせて」
「は、い……」
惣馬の指がショーツに掛かるなりするっと引き下ろされた。膝を浮かせると見事な手際で抜かれ、遂に世那は一糸纏わぬ姿になる。
時刻は昼の十二時過ぎ。
カーテンの開けられた窓からは燦々と陽射しが入りこみ、真っ白なシーツの上で陸み合う二人の姿を照らしている。
こんな背徳的な状況ですら今の世那にとっては昂る材料にしかならない。再び深いキスを繰り返しながら惣馬のベルトを外し、その奥にあるボタンに指を掛けた。手伝ったご褒美なのか、ちゅうっと強く吸い付かれて、たったそれだけなのに嬉しくなってしまう。腰を浮かせた惣馬の邪魔にならないよう立ち膝になった。
「このまま挿れてごらん」
「ん……」
やっと一番欲しいものが与えられる。世那はこくりと頷いてから、左手を硬く張りつめた肉茎に添えた。そっと根元を握り込むと薬指にあるものが陽の光を弾く。世那の立場を表す証へと星空のような瞳が満足げな眼差しが送られていた。
先端が肉唇を割り開くと同時にくちゅりと音が立つ。もう十分に潤い、惣馬を受け入れる準備は整っていた。世那の手によって目的地に導かれると、そのままゆっくり腰を落としはじめる。
「あ、あ……んんっ」
「世那、こっちを向いて……そう。いい子だね」
顎に指が掛かり、くっと持ち上げられた。その先にある眼差しに絡め取られたまま、世那は主の分身を己の身に沈めていく。いくら慣れたとはいえ、この大きさを受け入れるのは少々の苦しさが伴う。目を潤ませ、喘ぐような呼吸を繰り返す贄を惣馬がじっと見つめていた。
「はっ……ぅ、そう、ま……さ、ん……っ」
蜜口は限界まで広がっている上にお腹もいっぱい。これ以上はとても無理だと訴えたつもりなのに、惣馬は「まだだよ」と冷酷に告げる。繋がっている場所をするりとひと撫でした指が叢の奥へと忍び込んでいった。
「……きゃっ、あ……っ、あああ――――ッッ!」
奥に隠れた陰核をきゅっと摘まみ上げられ、腰から全身にかけて鋭い刺激が迸る。一瞬だけ張りつめた身体が弛緩すると、すかさず下から突き上げられた。次の瞬間、大きな衝撃が脳天を貫く。息を詰めた唇にふわりとキスが落とされた。
「ほら、ちゃんと全部飲み込めたじゃないか」
震えの残る背を撫でさすりながら惣馬が囁く。敏感な粒をくすぐっていた指が腰に回されると、そのまましっかり固定された。
「きゃ…………っ」
再び体勢が入れ替わり、今度は仰向けに寝かされた。真っ白なシーツに広がる黒髪にうっとりとした眼差しが注がれる。掬い上げられた一房が長い指に絡められ、するりと解けていった。
「私の贄は本当に可愛らしい」
「あっ……ん、んん……っ」
ゆるりと円を描くように腰を揺らされると先端が奥を捏ねるように動く。シーツには強く掴む指によって幾筋もの皺が描かれている。内側がうねると同時にきつく窄まり、惣馬が悩ましげな吐息を零す。
「こんなに可愛らしいのに、ひどく淫らに締め付けてくる……堪らないな」
「そっ、ま……さ、ん…………っ!」
切なげな声で主の名を呼び、左手をめいっぱい差し伸べる。世那がなにを望んでいるのか、惣馬にはちゃんと伝わっているのだろう。滴らんばかりの色気を乗せた美貌がゆっくりと近付いてきて――。
コンコン。
控えめなノックの音に甘い雰囲気が一瞬にしてかき消え、大きな手が世那の口を素早く塞いだ。
「なんだ」
「申し訳ありません。緊急でご報告が」
リオルの声が低いのは、きっと部屋の状況を慮っているからだろう。普段なら決して邪魔をしない彼が声を掛けてくるのだから、本当に急ぎの用件に違いない。それを知っているからこそ、惣馬も追い返さずに続きを促した。
「先方から三十%カットなら受け入れる、とのことです。いかがいたしましょう」
秘書からの報告に星空のような瞳がすうっと細められた。まっすぐ見下ろしてはいるものの、その冷ややかな眼差しは世那に向けられているものではない。
「あれだけ根拠を提示してそれか。話にならない」
怒りよりも嘲りの気配が強い言葉が目の前で紡がれた。もちろんこの言葉だって世那に向けられたものではない。だけど、いつもより赤味を増した唇が皮肉気に歪む様に背中に冷たいものが駆け抜けた。
「では、四十五%に達しない場合には契約解除を通達してよろしいでしょうか」
「そうだな……あぁ、四十%まで譲歩できるなら再考しよう」
「承知しました。結果は後ほど報告いたします」
失礼いたしました、と告げて扉の反対側からリオルの気配が遠ざかっていく。部屋に静寂が戻ると、ようやく世那の口元から手が外された。
「ごめんね、苦しかったね」
「平気、です……」
すぐさま甘い笑みを取り戻し、惣馬が頬にキスしてくる。しかしそこには先ほどまでなかった気配が交じっているのに気付いた。なんだか嫌な予感がする。
「それとも……世那は少し苦しい方が感じる?」
「……ちっ、がいますっ!」
「本当に? 正直に言っていいんだよ」
たしかに世の中にはそういう人は存在しているだろうし、他人の嗜好をとやかく言うつもりはない。だが、自分にはそういった性癖はないと断言できる。世那がめいっぱい首を左右に振ると、惣馬が思わせぶりに唇を指でなぞってきた。
「それなら、世那はどうして感じてしまったのかな?」
「えっ……と」
背中がぞくりと震えた時、つられて内側も締まっていたらしい。一瞬だけ寄せられた眉根にそういう事情があったのかと今更ながらに気付いた。主が贄の狼狽を見逃すはずはない。どう頑張っても逃げきれないだろうと早々に白状する。
「そ、惣馬さんが……」
「うん。私がなに?」
「お仕事してる時の顔も、好き……なん、です」
時々意地悪なことをされるけれど、世那の前にいる惣馬はいつも甘くて優しい顔をしている。しかし仕事中に見せる横顔は一変し、冷ややかで人を寄せ付けない雰囲気を醸し出している。それが少し怖くもあり、どうしようもなく胸を高鳴らせると気付いたのはここ最近のことだった。
いつもなら邪魔にならないようこっそり鑑賞してきたのに、今回は図らずも真正面。しかも至近距離で見てしまったのだから、反応するなという方が無理な話だ。
予想外の答えだったのか、惣馬は目を丸くしたまま動きを止める。これもまた稀な性癖なのだろうかと急に恥ずかしくなってきた。
「……世那」
顔を覆っていた両手がやんわりと外される。
恐る恐る閉じていた瞼を上げれば、そこには蕩けそうに甘い笑みがあった。
「どうして、そんな可愛いことばかり言うのかな」
「……はっ、う…………っん、や、あ…………っ!」
更に繋がりを深くされ、堪らず世那は身を捩る。しかし惣馬が赦すはずもなく、美しい肉体の檻に素早く閉じ込められた。一度は落ち着いたはずの熱があっという間に蘇り、快楽の海へと容赦なく沈められていく。
ゆっくりと小刻みだった律動が徐々に激しさを増してきた。惣馬の身体にしっかり抱きつき、刺激を余すことなく受け入れようとしてしまうのは贄の本能なのだろうか。
「あぅっ……そ、ま、さんっ…………も、だ、めっ……あああああ―――ッッ!!」
「せ、な…………っ」
激しい鼓動と乱れる呼吸を分け合いながら、二人は時を同じくして高みへと昇りつめていった。
薄く開けられた窓からひんやりとした空気が入ってくる。緑の気配をたっぷりと含んだ風がベッドに横たわる二人の素肌を優しく撫で、火照りを冷ましてくれた。
もう満腹になったはずだというのに、美貌の淫魔は未だに唯一の贄を腕に抱いたまま放そうとはしない。何か言いたげに見上げてくる顔へとキスの雨を降らせ、時折ふわりと浮かぶ淫気をくまなく吸収していた。
「時間……なくなっちゃいますよ?」
色んな場所に連れて行ってくれると言ったのに。ほんの少しだけ非難を混ぜて問い掛けると惣馬が甘やかに微笑んだ。
「そうだね。……そうだ。四十になったら引退して、世界中を回ってみようか」
「えっ? でも、引退ってもっと後じゃ……」
「お金の心配ならしなくていい。世那の望む場所ならどこにでも連れて行ってあげるよ」
人間より長命な淫魔は余生を自由に過ごす。とはいえ、普通は七十歳頃と言われているのにそんなに早くて大丈夫なのだろうか。
惣馬は有能な人だからきっと許可はされないだろう。でも、そんなふうに思ってくれるのはやっぱり嬉しい。
「でも私、お仕事している惣馬さんも好きなんですよ?」
「……そうだったね」
嬉しいけれど嬉しくない、世那の主は複雑な顔をしている。自分の為に悩んでくれる主にぎゅうっと抱きつけば、同じ強さでまったく同じものが返された。
「世那、愛してる……」
「私も、惣馬さんが大好きです」
これから二人は、共に長い時を過ごすのだ。
焦る必要はないと、世那は最高に心地のいい抱擁へと身を委ねた。