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あなただけの××

 こんなことがあっていいのだろうか。
 戸惑いで胸をいっぱいにさせながら、咲坂心春(さきさかこはる)は目の前のドアを開ける。恐る恐る中に足を踏み入れ、広い部屋をぐるりと見回した。大きなベッドとほぼインテリアと化した本棚がある程度で、さほど物はない。だが、この部屋に満ちた匂いは今の家よりも強く部屋の主の存在を感じさせる。
 ここは伊沢(いざわ)邸の――千景(ちかげ)が家を出るまで過ごしていた彼の自室だ。
 心臓の鼓動を速くさせて部屋の奥を見ると、窓際にある猫脚のおしゃれなソファに座った部屋の主がスマートフォンから顔を上げ、にっこりと微笑む。
「心春」
 嬉しそうに心春の名前を呼んだ部屋の主――千景はソファ脇のサイドテーブルにスマートフォンを置いた。
「おいで」
 流れるような仕草で手を伸ばしてきた彼は、さながら王子だ。
 濃紺の高級スーツに身を包み、胸元のポケットチーフはワイシャツと同じ白。ジャケットから覗く袖口と筋張った手の色気に誘われるようにして、心春の足は勝手に動く。
 歩くたびに揺れる白いネグリジェは、千景からのプレゼントだ。
 一輪の花をいくつも繋げたデザインが、ストラップとショーツにあしらわれている。背中が見えるような大胆なデザインで少し恥ずかしいが、たったひとつだけの、それも彼だけの花になれた気がして嬉しかった。
「……うん、似合ってる」
 心春が前に立ったところで、ソファに座る千景が満足げに見上げてくる。そんな彼を見ているだけで、胸が震えて涙が浮かぶ。
「心春?」
 どうした、と問いかけるように千景の手が心春の頬を覆った。心春はその優しい手のひらに頬ずりをして、口元を緩ませる。
「千景さんが作ったものを身につけることができて、感動してるんです」
 ふふ、と目を潤ませて幸せをあらわにする心春に、千景もまた穏やかに笑んだ。
「俺も。俺がデザインしたものをまさか心春に着てもらえる日がくるとは思わなかった」
「デザインまで……。嬉しい……、ありがとうございます」
「心春にどうしても着てほしくて作ったものだから、ありがとうは俺のセリフだよ」
「……千景さんは、私を幸せにするのが上手すぎます」
「そっくりそのままお返しするよ」
 頬を覆う彼の手に導かれるように、心春が顔を下げていく。吐息が触れ合う距離まで近づいたところで、嬉しそうに彼がつぶやいた。
「最高のバレンタインを、ありがとう」
 優しい声とともに、やわらかな唇が触れる。
 彼の指先は心春の頬をくすぐるように撫で、その唇は甘やかすように食んできた。デザートに食べたほろ苦いオペラよりも甘いキスにうっとりして、目を閉じる。
 最高のバレンタインは、心春も同じだった。
 今年の二月十四日は日曜日。心春は休みだが、千景は御曹司としての務めがあって一緒に過ごせないとばかり思っていた。だから気を使わせないよう、あえてバレンタインの話題は出さず、その代わりといってはなんだが、弟の真冬(まふゆ)と一緒にトリュフを作った。夜にそれを渡すつもりで彼の帰りを待っていた心春に、千景からの連絡が届いたのは夕方。
『思いの外早く終わったから、外食しようか。迎えに行くから支度しておいて』
 思ってもみないお誘いに心春は急いで支度をし、迎えに来た千景の車に乗った。
 やってきたのは、ハシタ・クイーンズホテル。ホテル内に併設されているレストランでおいしい食事をし、あとは自宅でチョコレートを渡すだけだと思っていた心春を、千景は伊沢邸へ連れてきたのだった。
『今夜は誰もいないから、たまにはうちで過ごすのもいいかと思って』
 それは恐れ多いと、婚約してもなお使用人根性丸出しで尻込みする心春を押し込むようにして、千景はしんと静まり返った伊沢邸に入った。子どものころ、城のようだと思っていた本邸に足を踏み入れるだけではなく、千景に言われるままホテルの浴室かと見紛うぐらいの豪華な風呂まで使わせてもらったら夢心地にもなる。とても贅沢な気持ちで風呂から出たあと待っていたのは、千景のメッセージカードとこのネグリジェだった。
『俺が作ったこれを着て、俺の部屋まできて』
 読んでいるだけで全身が砂糖菓子のように甘くなっていくのがわかった。
 まさか、彼が作ったものを身につける日がくるなんて。
 思わぬ幸せにしばらくその場から動けないでいたが、千景を待たせるわけにはいかないと、心春は宝物のようなネグリジェを大事に身に着け、浴室を出た。そして彼の部屋までどうにかこうにかやってきた心春に、彼の唇がこれは夢ではないと教えてくれる。
「――ん、んぅ、……ん、ぁ……ッ、千景さ……んぅ」
 やわらかな感触と食むような動きに、心春は唇のみならずすべてが溶けていくのを感じていた。身体も、思考も、心も、咲坂心春という人間のすべてが伊沢千景に隷属していくのがわかる。
「……心春を、もっととろけさせてもいい?」
 唇を触れ合わせたまま、千景が言う。
 もうすっかりとろけているのだが、千景が「もっと」と言うのなら捧げたい。心春が心から頷いて応えると、千景は「ありがとう」というようにキスをした。ほんの少し口の端が上がったのに気づいても、もう何も考えられないでいた。
「ん、んぅ、……んッ」
 キスに興じていると、いつの間にか彼の両手が自分の身体から離れ、秘所を撫で上げられる。身体を揺らす心春をそのままに、指はほぐすようにゆっくりとナカに入ってきた。
「ん。んんッ」
 ゆるやかに、それでいてしっかりと、その指は心春のナカをかき回す。ぐちゅぐちゅと淫猥な水音が耳に届き始めると、程なくして軽く意識が飛んだ。千景は、くったりとした心春の身体をうまく誘導し、自分の両足をまたぐようにして座らせる。そして身体を回転させて、ソファへ横になった。
 呆けた心春が、クッションを背にした千景を見下ろすと、彼はピンク色のリモコンを掲げる。そこで初めて心春は「あれ」と首を傾げた。彼の手はリモコンを持ち、もう片方の手は心春の腰に添えられている。
 ――では、今小春のナカに入っているのは?
 浮かんだ疑問の答えは、すぐに出た。
「んぁッ!?」
 千景が嬉しそうに手元のリモコンのダイヤルを回し、ナカに入っているそれが動き出したからだ。ぶるぶると震え始めたそれはナカで振動を繰り返す。目の前が、チカチカした。
「ふぁッ、あ、あぁッ、あッ」
 絶妙な振動が、心春のナカを快感でいっぱいにさせる。座っていることもままならないほどの快感に襲われ、心春は千景の胸元に倒れ込んだ。ヴヴヴという振動が音となって心春に届いたとき、心春はこれが何かを理解した。
 深夜テンションに任せて心春が買った、大人のおもちゃのひとつ――ローターだ。
 以前千景にバイブを持っているところを見られたことがあったが、それ以来大人のおもちゃを見た記憶はない。まさか千景が隠し持っていたとは思わず、心春はただ与えられる快感に声をあげる。疑問を投げかける余裕はなかった。
「あ、あぁッ、あッ」
 振動が、すごい。
 それが千景にも伝わっているのか、彼はほんの少し顔を歪めた。それから、助けを求めるような表情をする心春の頬を片手で覆うと、心春にくちづける。たった一度触れ合った唇が気持ちよくて、心春は今度自分から千景に唇を押し付けた。
「んんぅ、ん、んッ」
 気持ちいい。
 ナカから伝わる振動と彼の唇があまりにも気持ちよくて、心春は何度となく千景にキスをした。そのたびに千景が褒めるように頭を撫でるせいで、もっとと欲が出る。
「んぅ、んッ、ん、んぅ、ん、ん、ん――ッ」
 だから、それが快楽を求める行為だと気づいたのは、軽く視界が弾けたときだ。知らず識らずのうちに腰が揺れ、千景の腰辺りにたまった硬い熱に秘所を押し付けていたのだろう。一瞬で目の前が弾けたあとも、ナカの振動に誘われるまま千景の唇を夢中で食んだ。
「んぅ、んむ、ん、……ぁ、千景さ……、またイッちゃ……ッ」
 千景の腰がかすかに揺れているのに気づき、心春が唇を離すと、彼は恍惚とした表情で言う。
「いいよ」
 達していいと、イッてもいいと。
 すべてを許す優しい一言を甘い声で言われたら、堪えるものは何もない。心春はナカのローターと千景の唇でまた達した。
「ぁあッ、……ご、ごめ……なさ……ッん」
「何が?」
「スーツ……、汚しちゃ……ッ」
 溢れた蜜が滴っていくのが自分でもわかる。だから下にある彼のスラックスを濡らしてしまうのも理解していた。だが、心春は快感で身動きが取れない。振動するローターから与えられる快楽に翻弄されながらも、謝罪だけを口にした。
「大丈夫。とろけた心春が見たいって言ったのは俺だよ?」
 そう言って優しく微笑んだ千景の表情に、色気が増す。
「だから、もっと見せて」
 そんなふうに言われたら、だめだった。
 堪えていた理性をまた外されて、今度は頭の奥が弾ける。二度、三度と大きく身体を震わせ、助けを求めて彼を見ると褒めるようなキスが待っていた。その優しい唇の感触に、また身体の奥がわななく。
 止まらない。
 ローターの振動とともに心春の快感は止まるところを知らなかった。
「かわいいね、心春。ローターだけでイクなら許さないけど、俺が触ったり、キスしないとイかないんだから心春は本当に俺だけなんだね」
「ふぁッ、あッ、……千景さ……ッ」
「ん? もうやめる?」
 ここで頷いたら、きっと千景はやめてくれるだろう。しかし、心春はそれをしなかった。
 絶頂を迎えたイキ顔を何度となく彼に見られているのは、とても恥ずかしい。だというのに、実際は心春自身が千景の表情に魅入られていた。
 彼は嬉しそうに、いやらしく心春を見て、それでいて恍惚な表情をする。
 それが心春にだけ向けられたものだとわかるからこそ、見ていたかった。
 もしかしたら、千景も同じ気持ちなのだろうか。
 ああ、だめだ。そう思うだけで、胸がこんなにも喜びに震えて苦しい。
「心春? どうし――」
 そっと唇に自分のそれを押し付け、心春はまた達する。千景のジャケットを掴む手に力を込め、幾度となく身体を震わせた。千景もまたキスを返してくれ、ローターの振動よりも千景とのキスに興じる。すると、彼が持っていたリモコンを手に握らされた。
「好きに調節して。……俺は、心春に触れたいから」
 少し、声に余裕がなくなったのがわかる。
 たったそれだけで、心春の心臓は喜びで高鳴った。千景の手が心春の背中を撫で、ゆっくりと押し付けた胸の辺りまでやってくる。心春の身体は触ってほしいというように胸をかすかに浮かす。できた隙間に滑り込んできた千景の指先が、つんと尖った先端を撫で――きゅっとつまんだ。
「んぁッ、あッ」
 しびれる。
 ナカの振動も、胸の先端から与えられる甘い愛撫も、どれもこれもが心春をだめにする。身体を震わせ、あまりの快感で背中をのけぞらせた拍子に親指がダイヤルを一気に回した。
「ふぁッ、あ、ああッ、あ、あぁああッ」
 さっきまでのゆるやかな振動はどこへやら。
 心春のナカで暴れるような振動に、わけがわからなくなる。その振動は当然千景の熱にも届き、彼もまた身体を震わせた。
「心春? ちょっとそれは強くないかな?」
「ち、ちが、わか……わかんな……ッ」
 眦から涙を溢れさせながら、心春は首を横に振った。心春自身も、どっちにダイヤルを回せばいいのかわからない。が、とにかく振動を止めるべくダイヤルを回す。
 振動が、最大になった。
「ふぁぁあああッ、あぁああッ」
「ちょっ……と、心春待って、腰動かしちゃ……ッ」
 千景に言われるまで気づかなかったが、心春の身体は快感を求めて無意識に腰を揺らして彼の熱に秘所をこすりつけていたようだ。ナカにはローター。当然振動も一緒になって彼の熱に伝わる。千景は堪えるように、顔を歪ませていた。
「ごめ、ごめんなさいぃいいいいッ」
 もはやプチパニック状態だ。
 こんなところでもポンコツを発揮するつもりはなかったというのに、快楽を押しのけて申し訳なさでいっぱいになる。
「大丈夫だから、心春の唇ちょうだい。ね、いい子だから」
 千景の優しい声に誘われるように、心春は「ごめんなさい」を込めてキスをする。すると、千景の大きな手がリモコンを持つ心春の手を覆い、ダイヤルをゆっくりと逆方向に回してくれた。振動が少しずつ落ち着き、千景の唇のやわらかさに快感が増す。千景が食むようにキスを返してくれるころには、さっきまであった戸惑いは快感に呑み込まれていた。
「……は、千景さん……」
「俺が持たせたのが悪かった。ごめんね」
 千景は心春の手からリモコンをそっと引き抜き、その手で頭を撫でてくれる。微苦笑を浮かべる千景に胸が一瞬で甘くなった心春は、彼の熱を奥で感じたい衝動に駆られた。
「もう、いいですか?」
 千景に甘やかされ、快感でぐずぐずになった心が言葉になる。
「欲しいって、言っても」
「……」
「私だけの、千景さんが欲しいです」
 表情を変えない千景に懇願するように唇を押し付け、心春はへにゃりと笑った。
「ちーさま、ちょうだい」
 あなただけの、私になりたい。
 そんな気持ちが言葉になった直後、彼の目が獰猛な肉食獣のそれに変わった。頭の後ろに手を添えられ、噛み付くようなキスをされる。
「ん、んんぅ、んッ……あ、んむぅ。……ん、んッ」
 激しい。
 己の欲望を伝えるようなキスの嵐に、呼吸をするのでさえ一苦労だ。しかし、いやじゃない。むしろ、彼に征服されたがっている欲望が少しずつ満たれていく。
 千景はキスをしながら心春の身体と一緒に上半身を起こし、彼女を抱き上げてソファから広いベッドへ移動した。心春がベッドに押し倒されたことに気づいたのは、ナカにあったローターが引き抜かれ、熱い塊を押し付けられたときだ。
 ああ、嬉しい。
 欲しい物をもらえるのだと察知した心春は、自然と千景に腕を伸ばしていた。しかし、あてがわれた熱は千景の心のように、性急に入ってくる。
「んぁッ、ああッ」
 最奥まで一気に貫かれた心春は、快感を与えられ続けていたせいか、一瞬で達した。
 伸ばした手は落ち、跳ねる身体を支えるようにベッドのシーツをぎゅっと掴む。
「千景……さ、……千景さん……ッ」
 心春が小刻みに身体を震わせると、千景ははっとしたように上半身を起こした。ぐずぐずになった心春の痴態を見下ろしてから、彼は微苦笑を浮かべて彼女の頬を手で覆う。
「……ごめん。理性が飛んだ」
 心春の頬をくすぐるように、指先で撫でてくれる。心春はゆるゆると首を横に振った。
「嬉しい」
「……」
「ここ、千景さんでいっぱい」
 幸せそうに微笑み、心春は自分の手で腹部を撫でさする。ナカにある彼に届いているはずがないのに、彼の熱がまたさらに大きくなった気がした。早く埋めてもらいたがっていた心春のそこが、喜びにわななく。それが千景にも伝わったのだろうか。
「……ああもう」
 千景が珍しく手の甲で顔を隠した。
「千景さん……?」
「心春がかわいすぎて、壊しそう」
 そんなことを気にしなくてもいいのに、と心が動く。
「私も、千景さんに溺れたい」
 刹那、千景が勢い任せにジャケットを脱ぎ、ベッドから放り投げる。そして彼の腰は心春の最奥を穿ってきた。心春の処女を捧げた夜と同じだ。あの日も、小刻みに腰を動かし、彼は心春の最奥に何度もキスをしてくれた。それを思い出し、心春はこすれる快感よりも、性急にネクタイを外した千景に見惚れる。
 なんて、美しいのだろう。
 全身で欲しがっている愛しい人を見つめ、心春は快楽と愛しさの狭間でそんなことを思う。穿つ腰が気持ちよくて自然と腰を動かしている間に、ゆるやかにそれでいて確実に互いの快感が高まっていくのがわかった。
 千景がワイシャツを脱ぎ捨てて上半身裸になった直後、ネグリジェの中に手を差し込んでくる。その手は待ちわびたとばかりにつんと尖った乳首に触れ、心春の快感をさらに煽った。
「あぁッ、あ、あーッ、あ、あッ。気持ち、……いいッ」
「もっと?」
「ん、も……っと、いじってください……ッ」
「エロい子は、大歓迎だよ」
 言いながら、千景は心春の乳首を指先で何度も揺らす。心春の腰は勝手に動き、快楽を求めようとしているのがわかったのか、千景もまた腰を動かした。それはいつものように心春のナカをなぞり上げ、己のカタチを刻みつけていく。
 そこから先はもう、どこからが自分で、どこからが千景なのかもわからなかった。
「あ、ぁあッ、千景さん……ッ、気持ちよくておかしくなっちゃう……ッ」
「いいよ。もっと、気持ちよくなって……ッ」
「あぁッ! あ、やぁ、千景さん、千景さん……ッ」
「ん? もっと?」
「も……っと、もっとちょうだい」
「いいよ。全部あげる。――俺は心春のだから」
 千景の優しい声に涙が溢れ、幸せで胸がいっぱいになったと同時に視界が弾ける。次いで、繋がったところからどくんどくんという音が届き、熱い飛沫が注ぎ込まれた。しかし、ナカを埋める熱はそのままだ。
「ごめん、心春。俺がまだ足りない」
 貪るように唇を塞がれる。そこからまた互いに互いの名前を呼び合い、求めるように唇を合わせた。ナカを穿つ千景の熱は衰えることを知らず、幾度となく心春のナカで果ててはそこをいっぱいにする。
 繋がっているところからどくんどくんという音が聞こえるたび、幸せが押し寄せた。
 千景の部屋で、千景がデザインして作ってくれたネグリジェを着て、千景にしか許していないところを何度も愛されて、千景の瞳に自分が映りこむ。
 それは、あなただけの私であり、私だけのあなた。
 互いに互いを求め、貪り、愛した夜は最高のバレンタインだった。
「――眠いなら寝る?」
 互いの境界線がわからない淫靡な時間を過ごし、待っていたのは恋人の時間。
「ん、大丈夫です」
 腕の中でまどろんでいた心春がぎゅっと抱きつくと、千景が額にキスをしてくれた。
「実は、謝りたいことがあるんだ」
「……結婚するまで避妊してくれるっていう約束を早速破ったことですか?」
「うん、違う。というか、そんな約束をした覚えはないかな」
 爽やかな笑顔で否定されてしまった。
 子どもが欲しくないわけではないのだが、結婚前に仕事に支障をきたしたくはない。が、もし妊娠しても、きっとそこは七槻(ななつき)がどうにかするのだろう。千景にはそれがわかってて、自分でもどうにかする覚悟があるから、平然としていられるのかもしれない。
 そういうところは、本当に伊沢千景だと感服する。心春は千景を見上げた。
「それで、私は何を謝られるんです?」
「俺の見合い相手を選ばせていたこと」
「……確か千景さんが、旦那さまに私を指名したんですよね?」
「うん。心春に結婚を意識してもらいたくてそうしたんだけど……、なんかこう申し訳なかったなって思ってて。……今までちゃんと謝れなかったからさ」
「別に気にしてませんよ」
「……そう?」
「はい。私も、千景さんの見合い相手を選んだからこそ自分の気持ちに気づいたというか、結婚ってものを意識したきっかけになりましたから」
「……そっか」
「あ、でも、それがなかったら、私は私がいやらしいと思わなかったってことじゃ……」
「ん? どういうこと?」
「千景さんに結婚を諦めてもらおうとしてたとき、えっちなことに興味が出たんです。AV見ながら相手が千景さんだと妄想して、それだけでえっちな気分になったというか……」
「心春の、エロい女なんですっていうのは本当だったってこと?」
「はい」
 真剣に答えると、千景は笑って抱きしめる腕に力を込めた。
「それは嬉しい誤算だ。じゃあ結局、俺が見合い相手を心春に選ばせなかったら、今もこうしてなかったかもしれないってことかな」
「……そうかもしれません。千景さんのことを崇拝していたので、えっちなこともできなかっただろうし、今みたいに触れたいって気持ちも理解できなかったかもですね」
「なるほど。まあ信じられなかったり、理解できなかったとしても、俺はどんな手を使ってでも心春を俺のものにしてたけどね」
「…………千景さんの本気すごい」
「あれ、そうさせたのは心春だけど、その自覚はないのかな?」
「ありませんよ。今だって千景さんとこうしてるの幸せすぎて、うっかり夢じゃないかなって思っちゃいそうですもん」
「そういうときは、俺に抱いてってお願いすればいいよ」
 腕の力が緩み、心春が千景を見上げると、彼は妖艶に微笑む。
「何度だって幸せにしてあげる」
 ああ、本気だ。
 千景の表情を見て、心春の心臓が高鳴る。
「お……お、お手柔らかにお願いします……」
「ふふ。早く夢じゃないかなって思ってくれないかな」
「しばらくは無理です!」
「じゃあ、思わないでいいから『抱いて』って言ってよ。今聞きたい」
「それ言ったら抱く気ですよね!?」
「わかってるのなら言わないと」
 ね、ほら、言って。
 心春が抗えないのをわかっていて言うのだから、たちが悪い。でもそれがどこか心地よくて、心春は今日もまた千景に屈服する。でも、ここまで用意周到な千景がただ一度だけ、プロポーズのときに跪くのを忘れていたことがあった。指輪をはめるタイミングを図っていたせいで緊張していたらしい。七槻が彼がそう言って落ち込んでいたのを、心春にこっそり教えてくれたのだ。
 だから、このかわいい主人の願いを、心春も叶えたくなってしまうのかもしれない。
「……抱いてください」
「ん。いいよ。……また、俺だけの心春を見せて」
 幸せそうに唇を重ねる恋人同士は、この数カ月後に夫婦となる。新婚生活が始まるまでには、心春も家事が少しでもできるように真冬との特訓をがんばろうと思い、目を閉じた。
 これは、恋人期間を楽しむふたりの誰も知らない「あなただけ」のお話。