たまにはホラーも悪くない!?
今日は残業の予定だったけれど、思っていたより早く終わった。真理華は大急ぎで荷物をまとめて職場を後にする。
――今日は晃太さんが先に帰っているはずだし、早く帰ろう。
晃太は料理はできないし、今日は家政婦も来ない日だ。残業で少し遅くなると連絡したら、彼はデリバリーを注文しておくと言っていた。今日は中華な気分だそうなので、真理華からは春巻きとゴマ団子をリクエストしてある。
――あれ?
マンションに帰り着き、玄関を開けたけれど、正面にあるリビングは真っ暗だった。首を傾げながら、真理華は廊下を奥に進む。
リビングの扉に近づくと、中から音が響いてきた。真っ暗なのかと思っていたら、部屋の明かりが極限まで落とされていただけだった。
――映画、見てるのかな。
先日、結婚前からリビングに設置されていたホームシアターを新しいものに買い換えたところだ。何回か一緒に見たけれど、普通にテレビで見るのとはちょっと違った気分になれていい。
――面白そうな映画なら一緒に見てもいいな。
そう思いながら真理華は扉を開き――そして、扉を開いたところで固まった。
「――やだっ」
大きな声を上げて、開いたばかりの扉を閉じてしまう。リビングの扉に背中を預けるようにして、そのまま廊下に座り込んだ。
――映画を見るのはいいんだけど、チョイスがどうかと思うのよ……!
まさかホラー映画を見ているとは思ってもいなかったから驚いた。扉を開いた時、目に飛び込んできたのは大発生したゾンビで、真面目に心臓が止まるかと思った。
――あの大画面で! あの高音質で――なんでホラーなんか見てるのよ!
というか、彼がホラー映画を見ることがあるなんて想像したこともなかった。
今まで一緒に見たのは、アクション映画とか恋愛映画とかで、ホラー映画は見る候補にあがったことさえなかった。
――でも、そう言えば。
あれを最初のデートと言っていいのかは疑問が残るけれど、会社の前で捕まって連れて行かれた先は、お化け屋敷だった。ひょっとしたら、晃太はホラー映画が好きなのかもしれない。
「お帰り。思ってたより早かったんだな」
「……ただいま。予想より早く終わったから」
向こう側から扉が開かれて中に入ると、室内は明るくなっていた。映画の再生も停止したようで、真っ白なスクリーンだけが壁面に残されている。
「ホラー映画好きって知らなかった」
「ホラーに限らず何でも見る――真理華がホラーは嫌がるから、いない時に見ようと思って今日はホラーにしただけで」
「……別に、嫌がってなんか……私も、一緒に見る」
そう言ったけれど、目が泳いでいるのは自分でもわかる。映画に限らずお化けや幽霊は苦手だ。
「無理に付き合う必要はないんだぞ?」
「うん、でもこの間は私の見たい映画に付き合ってくれたから」
真理華の見たい映画にばかり付き合わせるのは違うと思う。真理華がそう言うと、晃太はちょっとだけ困ったような顔になった。
「じゃあ、夕食が終わったら一番のお勧めを見るか」
夕食を終え、交代でシャワーも浴びる。
今日は金曜日だから多少遅くなってもかまわない。真理華がリビングに戻った時には、テーブルには飲み物とつまむものが用意されていた。
晃太の趣味にも付き合うとは言ってみたけれど、始まって二十分もしないうちに真理華は激しく後悔した。
画面いっぱいに動き回るゾンビ、ゾンビ、ゾンビ――見ていて気持ちのいいものではない。隣にいる晃太にぴったりと寄り添っていたのが、いつの間にか彼の膝の上に移動させられていた。
「……きゃああっ!」
「おわっ!」
主人公の背後からゾンビが襲いかかる。それにびっくりして飛び上がったら、晃太の顎に後頭部が激突した。
「あっ……ごめんなさいっ」
「いや、大丈夫……」
顎に激突した後頭部が痛い。押さえながら振り返ると、晃太もまた顎を押さえていた。
晃太がリモコンを取って、映画を停止させる。改めて腕に抱え込まれて、真理華は赤面した。
「――どきどきしてる」
背後から回された手が、真理華の胸を押さえている。どきどきしているのは、彼に密着しているからか今の映画のせいなのか。
「やっぱり、無理はやめておくか。今夜は真理華の好きな映画にしよう」
「……ごめんなさい」
いつも合わせてもらってばかりは悪いと思ったけれど、やっぱりホラー映画は怖い。
「そうやって涙目になってるところは可愛くていいけどな」
くすりと笑った彼に後ろからこめかみにキスされて、うーっ、と真理華はうなった。怖くない、と言えるならいいけれど、残念ながら怖いものは怖い。
「本当に見なくていいの?」
やせ我慢をしながら、たずねる。
「こんなにどきどきしてるのに、我慢はさせられないだろ」
「……んっ」
胸を押さえていた手が、円を描くように胸を揺らす。肩を跳ね上げて脚をぱたぱたさせたら、もう一度笑って耳の後ろにキスが落とされる。
「今日は映画はやめておこうか」
耳からうなじ、肩へと唇が落ちていく。ぞくぞくして、身体を揺さぶったら、ぎゅっと腕を巻き付けられた。
「んっ……映画をやめるって……?」
「真理華がくっついてくれるから。ホラーも悪くはないけど、今はこっちの方が大事だろ」
片方の手が胸を撫で、もう片方の手が腿を撫でる。身体を捩って背後を見上げたら、今度は唇にキスが落ちてきた。
「ん、もうっ」
ソファに押し倒されて、部屋着の中に手が忍び込んでくる。当初予定していたのとは、まったく違う夜を過ごすことになりそうだ。
ホラー映画に、挑戦するつもりはまだあるんだけれど――という言葉は、唇を重ねられてかき消されてしまった。