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きみを愛したい一心で

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書籍紹介

愛が重すぎる御曹司の献身

「真尋のためなら、なんでもする」
学生時代からずっと親友同士の結人と真尋。
“人恋しい夜に体を貸す”という条件で一夜を共にする。
よく知っているはずの男が見せる艶めかしい表情。
「どうすれば感じる?」
献身的な愛撫に思わず身悶える。
愛楔を受け入れれば、今までにないほど感じて。
恋人として一緒にいたいと思うけれど、彼の一途なまでの情熱は友情、それとも……!?

ジャンル:
現代
キャラ属性:
インテリ
シチュエーション:
幼馴染・初恋の人 | オフィス・職場 | 甘々・溺愛
登場人物紹介

菱川結人(ひしかわゆいと)

マーケティング・マネジメント事業部の主任。真尋とは学生時代の同級生で、出会った頃から社会人になるまでずっと同じ道を歩んできた。親友の彼女を全力で守ろうとしている。

雪村真尋(ゆきむらまひろ)

結人と同じ会社で働くプランナー。頼りがいがあり女性にモテるが、恋愛はまったくうまくいかない。心身ともに健康そのもの。鈍感。結人とは子どもの頃に、親友になる約束をした。

立ち読み

 行きつけのアミューズメントバーで、雪村真尋は大きなため息をついた。
 ダーツ台の眩しい照明が目に沁みる。9ボールをプレイ中のビリヤード台から、ココンッといい音が響いた。
「雪村さん、今日は元気ないね」
 顔なじみのバーテンダーが声をかけてくる。カウンタースツールに浅く座り、真尋は冬だというのにフローズンダイキリを飲んでいた。いつもなら、夏に好んで飲む。けれど今夜は、外気がどんなに冷たくても飲みたい気分だった。頭の中を冷やしたかったのかもしれない。
「まあ、ちょっとね」
 ショートボブの髪を左側だけ耳にかけ、真尋は首を傾げる。金色の華奢なチェーンピアスがあえかに揺れた。
 すらりと長い脚と、女性にしては長身の一七〇センチ近い体軀。腰骨の形が美しく見えるタイトスカートは真尋の勝負服だ。仕事のコンペやプロジェクトを決めに行く日に着る。パンプスだって、昨年のボーナスで清水の舞台から飛び降りる覚悟を決めて購入したお気に入りのシルバーのポインテッドトゥ。
 なのに、今夜の真尋は表情が冴えない。
 ──なんだか、全部いやになった。
 今から二時間前、仕事上がりに六本木の個室バルで待ち合わせをしていた。待ち合わせの相手は、会員登録なしの婚活パーティーで出会った男性だ。これまでに五回食事をし、結婚を前向きに考えてほしいと言ってきていたその男が、実は結婚詐欺師だったのだから真尋が落ち込むのも当然の話だろう。
 ──まあ、そもそもお金を渡すつもりはなかったけど、結人が来てくれて助かった。
 そう思ったタイミングで、バーの階段を下りて菱川結人が姿を現す。どこにいてもすぐ見つけられる一八九センチの長身と、遠目にも彫りの深い顔立ち。右目の涙袋の下に、縦に並んだふたつのほくろが印象的な彼は、真尋の十九年来の友人である。
「どうだった?」
 尋ねた真尋に、結人はいつもどおり感情の起伏が少ない表情で「終わったよ」と答えた。
 大きな手をカウンターにつき、軽くスツールに腰掛けると彼がギムレットを注文した。
「真尋、またそんな冷たいの飲んでたのか」
「そういう気分だっただけ」
「嫌なことがあると飲むだろ」
 自分でも気づいていない癖を見抜かれて、真尋は黙ってフローズンダイキリを舐めるように飲む。
 今日はバレンタインデーだというのに、まったくもってついてない夜だ。
 足元には、チョコレートがみっしり詰まった紙袋が置かれている。真尋は社内の女性社員から、毎年二十個以上のチョコレートをもらう。中学生のころから馴染んだ風習なので、今さらそのことについて思うところはない。
「チョコレート、あげる予定だった?」
 ふと、結人が尋ねてくる。誰に、なんていちいち言わないところがにくい。
「まあ一応。バレンタイン当日に会うからには準備してたけど」
「ん」
 真尋の返答を聞いて、結人が右手のひらをこちらに向けて差し出した。
「何それ」
「俺がもらうって意味。真尋が自分で食べるのも癪だろうし、そもそもたくさんもらってるからこれ以上いらないだろ」
 言われてみればそのとおり。真尋はバッグからチョコレートの小箱を取り出して結人の手に載せた。
「ジャン=フランソワ・ハネス」
「包み紙だけでショコラティエの名前を言える男ってどうなの」
 フランスの有名ショコラティエのボンボンショコラ六粒入り、お値段二七〇〇円。仕事で赤坂まで打ち合わせに出た帰りに購入した。
「毎年、真尋のチョコレート処理を手伝ってるせいで覚えたんだろ」
「悪かったわね。そういえば、結人って最近ぜんぜんチョコレートもらってこないね」
 ふたりの出会いは十歳に遡る。片手で数えられないほどの長いつきあいだ。
 中学高校のころは、どちらがチョコレートを多くもらうか毎年競い合っていたのが懐かしい。
「ホワイトデーのお返しに苦労するから断ってる」
「なるほど」
 同性からバレンタインチョコレートをもらう真尋だが、見た目や言動が男性的なわけではない。なぜか昔から女子にモテるのは事実だけれど。
 ちなみにホワイトデーには、毎年くれた相手にあわせて全員分違うお返しを購入する。おかげで三月はたいてい金欠だ。
「今日は結人のおかげで助かりました。ここはおごるから、遠慮なく飲んで」
 ふたりが知り合ったのは十歳のときだが、この十年はおそらく家族よりも恋人よりも近い距離にいる。
「どういたしまして。真尋が男を見る目がないことくらいよくわかってるから、今さらおごってくれなくていい」
「あ、またそういうことを言う。わたしだって、毎回気をつけてるんだよ」
 とはいえ、自分がどうやらあまりよろしくない性質の男性を選びがちだということは真尋もわかってきていた。
「それに、今日だってお金渡すつもりはなかったからね。現に、相手のお望みだった三百万なんて持っていかなかったでしょ」
「だとしても、危ない男とかかわるのはもうやめておけよ。出会いがほしいなら、合コンセッティングしようか」
「いらない。ていうか、もう男はいらないよ。女の子のほうが優しくてかわいくて裏切らないもんね」
 足元から持ち上げた紙袋を膝に載せ、きれいに包装されたチョコレートをカウンターに並べていく。
 ふたりの働くグローバルフルマネジメントコーポレーションは、国内ではまだ珍しい企業マネジメントのみを専門に扱う会社だ。その中でも真尋はダイバーシティ・マネジメント事業部でプランナーとして働き、結人はマーケティング・マネジメント事業部の主任を務めている。部署は違えど同じフロアにデスクがあり、プロジェクトごとに担当マーケティングがつくため、ふたりが同じ案件にかかわることは多い。
「これはDMの亜美ちゃんから、こっちは労務の中江さん、葉月さん、あ、結人の後輩の恵梨香ちゃんからももらったよ」
 カウンターテーブルには、チョコレートがドミノのように並んでいる。
「それからこっちは──」
「真尋」
 小ぶりの箱ごと、結人が手を握ってきた。
「今日はつらかっただろ。明日は午前に急ぎの仕事はないし、もっと飲めば?」
「つらいって、そんな言うほどじゃないわ。しいて言うなら、腹が立った」
 ことん、と手にしていたチョコレートの箱がカウンターテーブルに落ちる。
「うん」
「だって、結婚詐欺って何よ。わたし、そんなに結婚に飢えてるように見えた? 結婚したくてたまらないように見えた!? 別に結婚したい人が悪いって意味じゃないからね。わたしはそうじゃないってだけ!」
 二十九歳という年齢をどう見るかは人それぞれだが、少なくとも真尋自身は結婚を焦る気持ちはない。身近に、年齢で結婚を急かす人などいなかった。そういう環境で育ってきたのだ。
 もちろん結婚して子どもを産んだ友人のSNSを見ていると憧れの気持ちは抱く。だが、今すぐ結婚したいかと問われれば首を傾げてしまう。
 今は仕事が楽しいし、友人にも恵まれている。ホットヨガとジムに通い、シーズンごとに購入するパンプス選びは自分へのご褒美だ。
「だいたい、五回デートしただけで結婚をちらつかせるような男、こっちからお断りよ。会うたびに褒めるところと言えば脚ばっか! 内面はいいとこないのかいってツッコミたくなるわ。ええ、たしかに自慢の脚ですけどね、あんな男のためにジム通いしてるわけじゃないっての」
「だから婚活パーティーなんてつきあいでもやめておけって言っただろ」
「つきあいだから断れないときもあるの!」
 いつの間にか、フローズンダイキリはすっかり溶けている。それをぐいと飲み干して、真尋は次のカクテルを注文しようとした。
「こちら、アイリッシュホットチョコレートです」
「え、わたしまだ注文してないよ」
「先ほど菱川さんが」
 ショットグラスと同じくらいの小さめな磁器グラスに、あふれんばかりにココアの泡が盛り上がっている。ウイスキーとカカオの香りに自然と味が想像できた。
 ──これはおいしい。もう絶対おいしい香りがする。
「冷たいものばかり飲んでいたら腹を冷やすだろ。俺からのバレンタイン」
 カウンターテーブルに左肘をついて、結人が眼鏡越しに目を細める。
「そういうことなら喜んで。いただきまーす」
 持ち上げたグラスをくいとひと口飲んで、真尋は目を瞬かせた。
「! え、何これ、おいしい」
「よかった」
 アイリッシュホットチョコレートは、疲れた体にじんわりと沁み込んでくる。甘さの中に大人のほろ苦さが芳醇に香った。ビターチョコレートを使っているのかもしれない。
「バレンタインデー限定のホットカクテルを出すって聞いてたから、今日真尋に会えてよかったよ」
 就職した年にオープンしたアミューズメントバーには、もう七年近く通っている。サッカーの国際試合を観戦したり、気が向けばダーツ勝負をしたり、最近では何をするでもなくカウンターで飲んでいることも多くなった。
 けれど、ただの友人とふたりきりでバレンタインを過ごすことは少ない。そういう意味では、今夜結人と過ごす予定はなかった。
 ──ほんと、うんざりするほどいい男のくせに、いつだって手柄は譲るタイプなんだよね。それでいて、本人が目立とうとしなくても目立つってわかってない。
 レンズ一枚では隠せないほど、結人は整った顔立ちの男性だ。パーマのかかった黒髪を、仕事中はあえて少し無造作にセットしている。その理由に、真尋もなんとなく心当たりがあった。
 髪型も眼鏡も、見た目だけで自分を判断してほしくないという結人の気持ちの表れだろう。
「ねえ、結人」
「うん?」
 こっちを向いた彼から、すいと眼鏡を取り上げる。
 眼鏡のフレームがあると目立たないほくろが、途端に印象的になった。右目の下、ピエロの涙を描いたように縦にふたつ並ぶそれは、彼の美貌をわずかに寂寥感で彩る。そして同時に、色香を感じさせるのだ。
「眼鏡はずしてたほうがモテると思うんだけど」
「俺は別にモテなくていいんだよ」
「なんで? 結人は彼女と過ごしたいとか結婚したいとか、そういう欲求ってないの?」
「ないわけじゃないけど、それは誰でもいいわけじゃなくて、つきあいたい人とか結婚したいと思える人がいないと意味がない」
「ふーん」
 気のない返事で、彼の眼鏡をかけてみる。視界がわずかに歪み、アルコールが回っているせいで少し頭がくらくらした。
「真尋こそ、モテるのにな」
「わかってる。女子にモテるって言いたいんでしょ」
「まあ、それは否定しないけど」
 彼が眼鏡を取り返し、軽くレンズを拭いてから定位置にかけ直す。
「昔から目悪かったっけ」
「いや、大学受験のころに一気に視力が落ちた」
「そっか」
 二十九歳。人生の半分以上を友人として生きてきた。気心の知れた男友だちというのは、恋人よりも貴重な存在だと思う。少なくとも、真尋にとってはそうだ。
「あーあ、いっそのことひとり暮らし用のマンションでも買おうかな。結婚詐欺にも引っかからずに済んだし」
 頼れる家族がいない真尋は、就職してからしっかり貯蓄をしてきている。都心の新築なんて贅沢を言わなければ、それなりのマンションを買ってローンを払っていける見込みだ。
「俺は、真尋に結婚してほしい」
 急にまじめな顔を向けてくる結人に、プロポーズされたのかと一瞬勘違いしかける。
 だが、そうではない。彼は、真尋が誰かと結婚すればいいと言っているのだ。この手の話題は何度目か。
 ──自分は『誰でもいいわけじゃない』って言いながら、わたしだってそうだとは気づかないんだよね。まあ、誰でもいいわけじゃない誰かと結婚しろって言いたいんだろうけど。
 彼はいつも、真尋の幸せを願っている。つきあいの長さが、言葉足らずな部分を補完した。
「なんで?」
 それでも尋ねてしまうのは、もしかしたらいつもと違う意味があるのではないかと思う気持ちがあるからだ。
「そんなの、真尋の子どもなら絶対にかわいいに決まってる。きっと、俺はなんでも買ってあげちゃうだろうな」
「……自分の子どもに買ってあげればぁ?」
 ──結人がそんなに子ども好きだなんて知らなかったけど。
「ああ。真尋が結婚するって決まったら、俺も急いで結婚する」
「結婚って相手が必要でしょ。誰かいるの?」
 そんな話は聞いていない。真尋はいい感じになった相手がいれば、すぐに結人に報告してきた。けれど、結人から恋愛関連の話はまったくといっていいほど聞こえてこないのだ。
「もちろん、必死で婚活して探すよ」
 彼はふっと微笑む。その真意が見えない、美しい笑み。
「ちょっと意味がわからないんだけど」
「だから、真尋の子どもと同級生になる子どもがほしいってことだよ」
 十九年も親友の席に座っているものの、菱川結人ほど謎の多い男はほかに知らない。
 真尋は飲み終えたアイリッシュホットチョコレートのグラスをすっと奥へ押しやると、スツールから下りる。
「わたしもギムレット。結人、久しぶりにビリヤードでもどう?」
「いいよ。9ボール?」
「どうせそれしかルール知らないでしょ、お互いに」
 ビリヤード、ダーツ、麻雀は、大学生のころにルールを覚えた。どれもそれなりに楽しいけれど、夢中になるほどやり込んだわけではない。麻雀に至ってはもう役もだいぶ忘れてしまった。
 けれど、どのゲームも結人と一緒に遊んできたものだ。
「ギムレットもうひとつ追加で」
 カウンターの中のバーテンダーに声をかけると、結人がこちらに歩いてくる。
「久しぶりすぎて自信ないな」
「負けたほうは明日のランチおごりね」
「それ言い出したら、真尋勝つまでやめないだろ」
「負けず嫌いですから!」
 ギムレットを飲みながらの9ボールは、それから二時間続いた。

 ──んん……? なんだかあったかい……
 二月の外気は冷たいのに、体の前面がぽかぽかする。大きな何かに抱きついたような格好だと気づいて、真尋は頬ずりをした。
「こら、動くと落ちる」
「ん……」
 結人に背負われているのだとわかって、安心して身を任せる。
 今日はいろいろあって飲みすぎた。いや、いろいろというほどではないし、気にしていないふりをしたいけれど、やはり結婚詐欺にターゲティングされていたというのはひどく悔しい事実だった。
「結人ぉ……」
「何? 具合悪い?」
 彼の背中がスーツのジャケットなのは、コートを真尋の腰回りに巻いてくれているせいだ。
 タイトスカートの裾がめくれるのを懸念してのことだろう。けれど、真冬の二月にコートもなしで歩いていては結人が風邪をひく。
「寒くないの?」
「真尋があったかいおかげで、ぜんぜん寒くないよ」
「こういうとき、優しいよね……」
 飲みすぎて結人に送ってもらったことは過去にも何度かあった。
 大学時代、つきあっていた先輩と別れてやけ酒を飲んだ夜。
 就職してから最初の恋人が二股をかけていたとわかって、やはり飲みすぎた夜。
 ほかにも、ぱっと思い出せないだけで片手の指では足りないくらい、結人の背中に頼って生きてきた。
 古い友人たちは、
『結人と真尋ってどうしてつきあってないのか謎だよね』
 と口を揃えて言う。
 どうしてと言われても、彼は親友だ。そして結人のほうも真尋に女を感じていないのだろう。
 ──結人は、ずっと友だちでいてくれるって約束したよね。
 広い背中に揺られながら、幼い日のことを思い出す。
 ──彼女ができても、大人になっても、友だちでいてくれるって、あの日の約束をまだ覚えてるの?
 真尋には家族がいない。正しくは父も母も生きているけれど、彼らは家族ではない。戸籍上の関係でいえば父であり母である。離婚して家を出ていった母とはもう二十年も会っていないし、再婚後に真尋を親戚にあずけて海外に赴任してしまった父とも成人祝いの食事を最後に顔を見ていない。
 たったひとり、家族と思っていたのは父方の叔母だ。父の再婚後に真尋を育ててくれた彼女は、真尋が大学生のときに病で亡くなった。そのときに電話をしたけれど、父が葬儀に帰国することはなかった。
 叔母の残してくれた遺産のおかげで無事大学を卒業することはできた。だが、何かあったときに頼れる家族や親戚はもう誰ひとりいないのだ。
 そんな家庭環境を経て真尋が知ったことは、恋愛関係なんてとても脆いものだということ。
 今までに三人の男性とつきあった。今回の食事のみ五回で手もつないでいない結婚詐欺師を交際に含めたら四人。
 恋人は、別れたら他人だ。夫婦だって、父と母を見るかぎり離婚したら子どもは鎹になんてなりようがない。どんなに仲睦まじくしていた時期があっても、恋愛には終わりが来る。
 ──だけど、友だちはそうじゃない。結人が結婚したら、今までみたいに飲みに行くことはできなくなるかもしれないけど、五年会わなくたって友だちだ。SNSの連絡が減っていって、毎年お正月にやりとりするだけになったとしても、関係が終わるわけじゃない。
 中学、高校、大学と真尋は友人に恵まれて生きてきた。今も、学生時代の友人たちとは仲が良い。
 ──わたしの財産は友だち。ほかに何もなくても、自分の身ひとつと友人だけで幸せに生きていける。
 結人の背で、いつの間にか真尋は二度目の眠りに就いていた。
 次に目を開けたのは、自宅玄関の前である。
「真尋、ついたぞ。鍵出して」
「んん……」
「っちょ、首、首締めるなって」
 ハッとして、無意識に彼の首にきつくしがみついていたことに気づく。二十九歳にもなって、潰れるまで飲むだなんて何をしているのだろう。
「ごめん」
 ヒールのかかとに気をつけて外廊下に足を下ろす。お気に入りのパンプスが無事なことに小さく息を吐く。
 バッグから玄関の鍵を取り出し、ドアを開けると結人のジャケットの袖をつかんだ。
「コート借りっぱなしだし、もう終電ないよ。とりあえず入って」
「お邪魔します」
 時刻はすでに午前一時を回っている。冷え切った部屋に入ると、真尋はすぐにエアコンのリモコンを手にした。
「結人、あったかい飲み物何がいい? コーヒー、紅茶、お茶」
「じゃあ、コーヒーで」
「そっち、エアコンの風が来るところ座ってて」
 1Kのマンションは、築八年のオール電化だ。電気ケトルに水を入れると、戸棚からコーヒー豆を取り出す。静音設計の電動コーヒーミルでも、遅い時間だと音が気になる。真尋はミルを自分の腹部に当ててスイッチを入れた。
「……何してんの、それ」
「え、コーヒー豆挽いてる」
「腹に当てて?」
「うるさいとご近所迷惑でしょ」
「あんまり変わらない気がするけど」
 ようは気持ちの問題だ。挽き終えたミルをキッチン台に置くと、ドリッパーにフィルターをセットする。お湯が沸くのを待ちながら、キッチンの吊戸棚からマグカップをふたつ取り出そうと手をのばしたとき──
「危ない」
 背後から、大きな手が真尋の手を覆った。
「別に危なくない。いつもやってることだし」
「背伸びして、腕伸ばしてるのに?」
「だから、いつもなんだってば」
 反論している最中も、背中に彼の気配を感じる。さっきまで密着していたというのに、なんだか今は妙に首筋がくすぐったい。
「俺がいるときは、使えばいいだろ」
「言っておくけど、わたしはけっこう背が高いほうだからね?」
 軽々とマグカップを片手でふたつ取り出した結人に、真尋は胸を張って振り返る。
 世の中の女子が憧れるという、高いところのものをとってもらうシチュエーションには、昔から縁がなかった。高校時代でも、真尋より背の低い男子だっていた。大人になってからはヒールのおかげでいっそう視点が高くなったのもある。
「真尋がなんでもひとりでできるのは知ってる。でも、背だけは俺のほうが高い」
「……それもそっか」
 一八九センチの結人とは、ヒールの底上げがないと二十センチも目の高さが違う。出会ったころは真尋のほうが背が高かったのに、中学の三年間でふたりの身長差は逆転した。
「ありがとう。カップ、そこに置いて」
「ああ」
 ケトルの電子音が鳴り、お湯が沸いたのを確認するとドリッパーにセットしたフィルターを湿らせる。湯気がもわ、と上がった。コーヒーを淹れるときの手順が、真尋は好きだ。一時期は挽いた豆を買って、コーヒーメーカーをセットしたこともあったけれど、二十五歳を過ぎてから手動ドリップに切り替えた。それは、昔亡くなった叔母がやっていた手順でもある。
 マグカップを手に運んでいくと、巷で『人をダメにする』と言われるお気に入りのビーズクッションソファに結人が座っていた。
「真尋のコーヒーは叔母さん直伝だからおいしいな」
「でしょう?」
 クッションソファはふたりで座ることもできるけれど、真尋はあえてベッドに座る。ふたりの距離は、いつだって近すぎず遠すぎず。友だちの境界線を越えることはない。そこには目に見えない防波堤があって、どちらからともなく高波が乗り越えてしまわないよう気を遣っているのだ。
 異性の友人というのは、その絶妙なバランスを間違えてはいけない。
「今日は、ありがとう」
「なんだよ、あらたまって」
「結人がいたから、スムーズに話が進んだ」

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