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愛され秘書は逃げられない!
絶倫副社長のとことん淫らなプロポーズ

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書籍紹介

俺の形をたっぷり刻みつけてやる

「逃げないなら承諾したとみなすよ?」
片思いしている副社長、義嗣のロンドン出張に同行した秘書の菜摘。
普段は冷淡な彼が、ホテルのスイートで甘く迫ってきて……。
いやらしい胸の愛撫にうっとりしていると、容赦なく楔を突き立てられる。
ひとつになった悦びとともに絶頂で果てた後
「悪いけど、まだ終わりじゃない」と宣言されて!?
絶倫副社長にエンドレスに愛される快感!

ジャンル:
現代
キャラ属性:
クール
シチュエーション:
玉の輿・身分差 | オフィス・職場 | 甘々・溺愛 | 船上・旅もの
登場人物紹介

冷泉義嗣(れいぜんよしつぐ)

ファストファッションのアパレルメーカー副社長。クールで頭脳明晰。地方の企業から世界的な企業へと成長させた手腕を持つ。

柚沢菜摘(ゆずさわなつみ)

役員秘書。義嗣への叶わぬ恋を終わらせるべく、退職を決意。最後の仕事として義嗣にロンドン出張に同行するように言われ……。

立ち読み

 叶わない恋をしている。
 いや、違うな……と柚沢菜摘は思い直す。叶わない恋をしていた、と過去形にするほうが正しい。もうあきらめざるを得ない状況なわけだし。
 あきらめるってなに? と、自らにツッコんでしまう。「あきらめる」は目標に向かって努力した人が使える言葉だ。自分はなんの努力もしていない。それどころか、長らく自分の気持ちに気づかない振りをしていた。自覚してからも、早くこの感情が消えてなくなりますように、と祈り続けてきた。
 だけど結局、彼に対する恋心は消えなかった。残念ながら。
 彼こと、冷泉義嗣は菜摘の上司であり、株式会社devaジャパンの取締役副社長兼CFOである。
 菜摘が義嗣の秘書を務めてはや六年。高校を卒業後、会社がまだdevaになる前、地方の婦人服店だった頃に入社した。
 えーと、れいぜん婦人服店時代から計算すると……勤続十一年かぁ。長いなぁ……。
 指折り数え、途方もない気持ちになる。入社以来、わき目も振らず仕事ひと筋で、今年三十歳になる。貴重な十代後半と二十代をすべて会社に捧げたわけだ。
 義嗣に想いを打ち明けたことは一度もない。
 家族にも親友にも誰にも打ち明けていない。
 本気で好きになりすぎると、誰にも話せなくなる。他人と共有できる代物ではないのだ。
 きっと誰かに打ち明けたら、「重すぎ」と引かれそうだ。
 義嗣本人に打ち明けるなんて論外だ。重すぎる想いをぶつけたところで、怖がられるだけだろう。
 スマホの通知音が鳴り響き、我に返る。画面を見ると、受付システムからの来客通知だ。
 やっと来た! と立ち上がり、スーツのジャケットを羽織る。フラットパンプスを踏み鳴らし、エレベーターホールへと急いだ。
 菜摘が執務する役員フロアは十六階にある。ここは千代田区紀尾井町に建つ大型複合ビルで、高層階にシティホテル、低層階に商業施設、さらにオフィスと賃貸マンションで構成され、devaは十三階から十六階を借りていた。
 devaは世界に名だたるファストファッションの企業として知られている。
 今から十年以上前、当時アメリカの大学で学んでいた義嗣は、現地のチェーンストアの価格の安さと品揃えの豊富さに感銘を受けた。そうして、見よう見まねで父親の営んでいた婦人服店を日本有数のアパレル企業へのし上げたのだ。
 ひとたび街を歩けば、デパートで、地下鉄の駅で、ショッピングモールで、簡単にdevaのロゴを見つけられる。
 菜摘は来客を顔認証ターミナルへ案内し、自らも認証と検温を済ませた。
 役員フロアのセキュリティは厳重で、権限者から承認を得ていないゲストや発熱している人間は入室できない仕組みになっている。
 無事に開錠し、客の男を伴って扉を開けた。
 役員フロアは七百平方メートル以上あり、視界を遮る壁は一つもない。中央にミーティングスペースとバーカウンター、それらを囲む形で役員たちのデスクが配されていた。
 間仕切りは透明なガラスで閉鎖的な感じはしない。それぞれのスペースにはサッカークラブのペナントやモダンアートの絵画、自社のジャケットやアニメのフィギュアが飾られ、若い役員たちののびのびした個性がうかがえる。
 洒落たフロアの中央では今、会議の真っ最中だった。
 大きなモニターには、開発中のアプリとオンラインの参加者たちが映し出され、皆真剣な表情で議論は白熱している。
 来年リリース予定の新しいクローゼット管理アプリの企画開発が今、佳境を迎えていた。全体設計の段階で、どこまで機能を盛り込むか詰めている。
 菜摘は少し切ない気持ちでガラス越しの義嗣を見つめた。
 今年三十三歳になった義嗣は、ピリッと張り詰めた緊張感をまとっている。心の奥まで見通されそうな、怜悧な眼差し。一重の双眸は冷淡に見えるのに、澄みきった漆黒の瞳は無邪気さが残る。ほっそりした中性的な顔立ちは西洋人形みたいに精巧だった。
 刃物のような鋭さと少年のようなピュアさが、身の内に同居している……そんな相反性が見る者を惹きつけるのだ。
 義嗣は自社の服を着ない。身に着けるのはファストファッションとは真逆の、老舗テーラーでオーダーメイドしたスーツだった。シンプルでシックなデザインを好む。
 髪をピンクや金髪に染め、デニムにパーカーといったラフな格好をした役員たちの間で、義嗣は一人異彩を放っていた。あきらかに義嗣がボスなんだとわかる。
 そのとき、義嗣がテーブルの上で両手を組み、菜摘のほうへチラッと一瞥を投げた。
 菜摘は即座に意図を察し、ツカツカと中央に歩み寄り、割って入って来客を告げる。
 役目を終えて引き下がると、ふたたび義嗣がこちらを見てさりげなく手を上げ、三回軽く振った。
 もう戻っていいよ、のサインだ。義嗣との間で交わされるいつもの合図の一つだった。
 菜摘は義嗣に向かって一礼し、踵を返す。
 大きな決断に後悔はない。先方に話はしたし、関係者への調整も終え、とある人物に出会うことを決めた。ここで臆病風に吹かれれば、彼らにも迷惑を掛けてしまう。
 先に進まなくては。もう賽は投げられたのだ。







 誰もが抱く憧れが全部詰まってるよね……devaのオフィスには。
 菜摘は頬杖をついて物思いに耽り、天井までガラス張りの窓のほうを向いた。
 はるか眼下にはまばゆい都心の夜景が広がっている。左手に永田町、右手にある弁慶橋を渡ると赤坂だ。ちょうど真下で外堀通りと青山通りが立体交差し、その上を首都高4号線が横切っている。
 無数のヘッドランプが道路を流れていく様は、さながら人体に張り巡らされた血管のようだ。静脈や動脈や毛細血管の中を、光の粒子が赤血球みたいに隅々まで行き渡り、東京という名の巨大生物が脈々と息づいている。
 綺麗……。やっぱり、いつ見ても、何度見ても、ずっと変わらず綺麗……。
 もう随分見慣れたし、いい加減飽きてもいいはずなのに、今もなお都心の夜景は美しい。きっと永久不変に見る者を魅了し続けるんだろう。
 ここはdevaと同じビルの上階にある、シティホテルのダイニング。『空中庭園』のコンセプト通り、空中を羽ばたく鳥の目線で都心を俯瞰できる。
 今夜はディナーの待ち合わせをしている。約束の時間より早く着いたので、ノートパソコンを開いて仕事をしたり夜景を眺めたりして時間を潰していた。
 オフィスの目と鼻の先でディナーなんてあり得ない、と思われそうだけど、devaの社員たちはもっぱら青山や麻布や六本木へ遊びに行くため、意外と穴場なのだ。
 現にここで一度もdevaの関係者に会った経験はない。
 値段は少々高めだけど、近いし、美味しいし、顔なじみだし、眺めも抜群にいいので、プライベートで誰かと食事をするときはよくこのダイニングを使っていた。
 ──なっちゃんはいいなぁ。devaみたいな超有名企業で働けてさ。
 ──オフィスは千代田区の高層ビル、しかも役員秘書でしょ? うらやましすぎる!
 地元静岡市の友人たちは口々にそう言ってくれる。
 自分は恵まれているし、運がいいのも自覚している。全国にはここに立ちたくても立てない人が数えきれないほどいるだろうから。
 華やかな都心のど真ん中。誰もがうらやむスタイリッシュなオフィス。世界に名だたる上場企業。そうそうたる学歴を有する、情熱溢れる若い社員たち。役員たちは皆、個性的で有能でイケメン揃い。
 トップに君臨し、実質の経営者であるCFOは頭脳明晰な上、絶世の美男子。その素顔を知る者は少なく、影で辣腕を振るい、数々の伝説を打ち立てている。
 devaはまるでフィクションの世界だ。脚本家が考えた流行りのドラマの舞台がリアルに現れ出たような。
 ──ファッションもビジネスも、すべては宗教だから。宗教には神話が必要なんだよ。
 菜摘に向かって語ったのは義嗣だった。
 ──万人の憧れを……欲望を形にする。ファンタジーを描いて、皆に見せてあげるんだ。ただ描くんじゃない。心血を注いで描かなきゃダメだ。
 そうして、義嗣はファンタジーを描き上げた。オフィスも仕事も社員も、スマートでオシャレで格好いい、devaの世界を。
 ──欲望はとてもシンプルだよ。明るく、楽しく、豊かなものを好む。美女が好き。お金持ちが好き。イケメンが好き。華やかで綺麗なものに憧れるんだよ、人は。
 そうかもしれない。結局、それが人間の本能なのかもしれない。
 今では新卒採用の時期になると、入社を希望する学生たちのエントリーが殺到する。
 彼らに向け、義嗣はメッセージを発信し続けている。
 ──楽しく働いて、笑顔になって欲しい。君たちが幸せになれば、世界が幸せになる。
 嘘つきだな、と思う。仕事は基本楽しくはない。楽しい、と強く思い込まなければやっていけないだけで。コツコツと地道に努力し、ミスしないよう緊張を強いられ、いろんな圧にじっと耐えなければならない。充実感はあるけど、報われるのは稀だ。
 ──嘘つき? 詐欺師? 新興宗教? 結構だ。どうぞ、なんとでも呼んでくれ。なにかを発信すれば必ず批判されるものだよ。なんにも発信しない奴らからね。
 義嗣は言い放ち、不敵に微笑していた。彼は知っているのだ。ファンタジーを作り上げれば必ず、「嘘だ」「くだらない」と嘲笑し、批判する輩が現れるのを。
 普段の義嗣は必要最低限しかしゃべらない。冷たさのある瞳で相手をじっと見つめ、聞き役に徹し、賛同するときは小さくうなずく。発言をするときは慎重で、自らの言葉が取り返しのつかない大惨事を招くのを恐れるように、じっくり考えてから簡潔に述べる。
 自らの考えや心情について語るのは、菜摘の前だけだ。
 なぜか、菜摘に対してだけは饒舌にいろいろ語る。
 二人きりになると、義嗣は背もたれに寄り掛かって長い脚を組み、リラックスしてざっくばらんに話しはじめる。
 その事実に菜摘は嫌というほど心を掻き乱されていた。
 秘書の前でだけ気を抜く経営者なんて山ほどいる。義嗣とは付き合いが長いし、きっと深い意味なんてない。彼は菜摘個人に心を許しているのではなく、秘書という役職に心を許しているだけだ。
 そんなこと、重々わかっていた。
 けど、彼に好意を抱いていると、どうしても期待してしまう。
 ……もしかして、彼は私にだけ心を開いてくれてる?
 ……もしかして、彼にとって私は特別な存在なのかも?
 思った直後、いや違う絶対違う死んでも違う、と必死になって己をいさめた。
 毎日が心の葛藤の連続でヘトヘトに疲れきってしまう。それでなくても仕事が忙しいっていうのに。
 他人の目には、菜摘はロボットに見えているかもしれない。服装はいつも地味なスーツ。黒髪ロングヘアはきっちりアップでお団子か一本縛り。メタルフレームのメガネを掛け、几帳面な印象になるよう心掛けている。秘書とは目立たぬ黒子だと心得、なるべく感情を表に出さないようにしている。
 けど、無表情な仮面の下では悲喜こもごもの感情が渦巻き、期待と失望がジェットコースターの如く乱高下している。
 彼と出会わなければよかった。
 何度そう思ったか。けど、彼から受けた影響は計り知れない。
 いつだって彼の抱く情熱、力強い生き様、前向きな考えかたに触発されてきた。
 トップに立つエリートたちがいかにポジティブで揺るぎないか。アパレルもファッションも命がけで仕掛けている人たちがいるんだと、新しい世界を見た。
 義嗣をはじめとする、時代の潮流を生み出す人たちは、人間への愛も深く、社会貢献について真剣に考え、夢いっぱいなのだ。
 たとえるなら、卓抜した行動力と決断力が備わったピュアな少年、だろうか。
 不意にSNSの通知音が鳴り、菜摘はパッとスマホを手に取った。
 見ると、義嗣本人からだ。どうやら会議は終わったらしい。
【今、どこ? 新アプリ開発の件で意見を聞きたいんだが、夕食でもどう?】
 たったの数十文字でドキドキさせられるのは、世界中で彼しかいない。
 気軽に誘われることはよくある。この誘いに深い意味はない。
【すみません。今夜は人と会う予定があるので……】
 やんわり断ると間髪を入れず返事が来た。
【誰?】
 少し考え、個人名は避けて入力する。
【プライベートなので】
 すぐに既読はついたけど返事はなく、会話はそこで終わった。
 それだけのやり取りなのに、ドッと疲労感に襲われ、うなだれてしまう。
 別に恋人と会うわけじゃない。誰と会うか言ってもいいけど、義嗣とはなるべく精神的な距離を置きたい。
 時刻を見ると、約束の時間まであと十分ぐらいあった。
 どこか虚ろな気持ちでふたたび窓の夜景を見つめる。
 暗闇に明滅する光の奔流を目に映していると、少しずつ心が冷えていく心地がした。冬の山奥にある湖が、だんだん固まっていくみたいに。
 最近よく襲われるこの感情はなんだろう?
 哀しいとも違う、虚しいとも違う、心だけでなく体まで凍っていくようなこれは……。
 ……寂しさ。
 指先でそっと自らの唇に触れる。かつてそこに義嗣の唇が触れたのだ。
 結局、あれは……なんだったのかな?
 菜摘の意識は去年の十月に遡っていく。


「まだいたのか」
 しっとりした低音が響き、菜摘ははっと顔を上げた。
 役員フロアの入口に、すらりとした長身の義嗣が立っている。
「……深夜残業はやめろと言ったはずだが?」
 義嗣は腕を組み、整った眉をひそめている。
 あっ、と思って時計を見ると、もう二十二時を過ぎていた。
「すみません。ちょっと夢中になってしまって、時間の経過に気づかなくて……」
 夕方に取引先の会長の訃報が入り、対応に追われていた。葬儀社に状況を確認し、関係者に詳細を連絡し、弔電や供花を手配し、必要な文書を作り終えたところだ。
「葬儀までまだ余裕があるから、続きは明日でもいいだろ」
 義嗣の言う通りなので、うなずくしかない。
 パソコンのファイルを閉じ、デスクを片付けはじめると、義嗣が傍にやってきて壁に寄り掛かり、こちらをじっと見た。
 観察するような視線が気になり、異様に緊張する。努めて冷静を装い、メガネをメガネケースに入れ、それをショルダーバッグに放り込み、ふたたび出してデスクの引き出しにしまい、やっぱりと思い直してもう一度ショルダーバッグに入れる。
 他の役員たちはとっくに退社し、フロアはがらんとしていた。
 いつの間に外は雨が降り出したのか、窓ガラスに雫がついている。
 夜のオフィスに義嗣と二人きり。
 強く意識してしまい、片付けは難航した。彼に見られているだけで焦ってしまい、自分がバカみたく思えてくる。
「副社長はなぜ戻られたんです? 執務の予定はないと思いますが」
 気まずさを断ち切るように声を掛ける。
 義嗣はこちらを見下ろし、冷ややかに答えた。
「し、ご、と」
 どうやら詳細を話す気はないらしい。もちろん、彼にすべてを話す義務はない。
「そう……ですか」
 今の彼にとって菜摘は邪魔なんだろう。彼が新しいアイデアを練るとき、人里離れた山奥に行ったり、自宅に引きこもったり、真夜中に人気のないオフィスに来たり、独りになるのを好むから。
 今日も忙しかった。義嗣は朝から会議会議の連続で、午後一でとある大手メーカーの創業五十周年記念フォーラムに赴き、祝辞とともにアパレル業界の未来について講演し、そのあとdeva渋谷店で開催されたエキシビションパーティーに参加した。世界中で大ヒットしているゲームと、アメリカで大人気のシンガーソングライターがコラボした新しいコレクションがdevaに誕生するのだ。
 義嗣の指示で菜摘は渋谷に同行せず、オフィスで事務作業をしていたら、訃報が飛び込んできた。
 菜摘は片付けをしながら、素早く上目で義嗣を見る。
 あれだけハードに一日働いたのに、彼のダークスーツは少しもヨレず、艶やかな光沢を放っている。彼の身長は一八〇センチメートル以上あり、頭は小さく脚は驚くほど長く、シックなスーツが抜群のスタイルを引き立てていた。
 やっぱり義嗣さんって……格好いいな。昼見ても夜見ても素敵……。
 うっとりした甘い感情が胸に流れ込んでくるのをとめられない。
 ダークスーツの下には、しなやかな肉体美がある。彼は出社前、毎朝欠かさずジムでトレーニングをしているのだ。
 なぜ知っているかというと、たまたま目撃したからだ。とある出張に同行したとき、打ち合わせをしようとホテルの部屋に呼ばれ、目の前で彼がバスローブからワイシャツに着替えるのを。
 とっさに目を逸らしたけど、チラッと視界に入ってしまった。丸く張った胸筋や縦横に美しく割れた腹筋が。ため息がでるほど野性的で男らしかった。
 ……なんて思い出すのを、今すぐやめたい。永遠にやめたい。
 念じながらようやく片付け終え、パソコンをシャットダウンし、席を立つ。
「では、お先に失礼します」
 ショルダーバッグを手に義嗣の前を通り過ぎようとし、おや、と思って足をとめた。
「……副社長? どこか具合でもお悪いんですか?」
 彼の顔色は悪く、ひどく疲れているようだ。露わになった額には乱れた髪の筋が二、三本落ちかかっている。
「……疲れてるように見える?」
 彼は嘲るように片方の口角を上げた。
「ほんの一瞬気になったものですから」
「どうかな? 疲れているような、疲れていないような」
 彼は気怠そうにゆっくりと発音した。
「お酒は召し上がったんですか?」
「うん」
 そうだ。渋谷のパーティーの帰りだったっけ。
「なら、そのせいかもしれません。変なこと言ってすみません。気にしないでください」
 一礼し、そそくさとその場を去ろうとした。
 次の瞬間、グッと腕を掴まれ、飛び上がるほど驚く。
「……っ!」
 反射的に振り仰ぎ、ドクン、と鼓動が胸を強く打った。
 彼が見たことのない表情をしていたから。
 哀しんでいるような、怒っているような……どうにも形容しがたい、なにかを切々と訴えてくる眼差し。
 マズイ、と肝が冷えた。彼の香りや体温を感じられるほど、接近しすぎている。
「ふ、副社長? どうされました……?」
 彼はなにも答えない。腕を掴む力は強く、ビクともしなかった。
 怖いぐらい静かだった。夜の都心だっていうのに。雨が降っているのに。
 完全な静寂が辺りを包み、彼の小さな息遣いしか聞こえない。
 普段一分の隙もなく演じている『クールで無感情な秘書』の仮面が崩れ、中にある喜怒哀楽の豊かな柚沢菜摘が顔を出しそうになり、内心焦った。
 腕を振り払い、逃げ出そうとしたら、彼がドンッ、と勢いよく壁に手をつき、行く手を阻む。
 あきらかに行かせまいとする意志を感じた。
「……あっ、あのっ……?」
 酔ってらっしゃるんですか? ととがめる間もなく、目の前が黒い影に覆われる。
 ……えっ?
 なに? と思ったら、もう唇を唇で塞がれていた。
 むにゅ、とした柔らかい唇の感触。
 驚きで全身が強張り、慌てて目を閉じる。
 キュ、と下唇を甘くついばまれ、ふぅっと気が遠くなった。
 ……あ……え……。な、なに……これ……。
 ふんわりした綿毛が掠めたような、軽いキス。
 だけど、夢見心地にさせられるには充分だった。
 微かにアルコールの香りが鼻孔を掠める。
 このうるさいほど鳴っている心音が彼に聞こえやしないだろうか?
 すっ、と唇が離れていき、至近距離でじっと見つめ合う。
 バックン、バックン、鼓動に合わせ、視界が微かに揺らいだ。
 頭の中は真っ白になり、なにもわからない。なにが起きたのか、なぜ起きたのか、彼がなにを考えているのか。
 彼はもう片方の手も壁につき、しっかりと菜摘を腕の間に閉じ込めた。次はより深く口づけるつもりなのか、顔を少し傾け、唇を開いて近づいてくる。
 伏せられたまつ毛は長く、義嗣さんのまつ毛すごく綺麗……と、どうでもいい感想が脳裏をよぎる。
 次の瞬間、頭の奥で警報が鳴り響く。相手は副社長だぞ! こんなことしちゃダメ! 彼はただ酔ってるだけだから!
 あとで絶対後悔するから!
 唇が重なろうとする直前、勢いよくバッと顔を背けた。自分の中に残されていた、ありとあらゆる精神力を総動員して。
 すると、彼は拒絶されるとは思っていなかったらしく、呆気に取られた顔をする。
 そのあと気まずい様子で体を離し、申し訳なさそうにつぶやく。
「……失礼」
 菜摘はカニ歩きして体を横にずらした。
「……あ、い、いえ……」
 このとき、なにか言えばよかった。「からかうのはやめてください」とか「遊び相手になる気はありませんから」とか。もういい大人なんだから。
 なのに、なにをどう言っていいかわからず、うまく声が出せなかった。
 このとき一番恐れていたのは、自分の恋心が彼にバレることだ。
 彼の顔を見るのが怖くなり、転がるようにその場から逃げ出した。

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