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策士なCEOは塩対応な女子の淫らな姿が見てみたい

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書籍紹介

ようやく手に入れた、俺のシンデレラ

目立つことを恐れ、職場では地味な格好の千紅咲。
憧れのCEO・蒼依にも本心を隠すために塩対応していたのに、
彼は事あるごとにかまってきて!?
「君に触れたかった」
深いキスと蕩ける愛撫。
淫らに身体を開かれて幸せな時を過ごし――。
一夜かぎりのことだと思っていたら
「ようやく巡ってきたチャンスを逃さない」と抱き締められて……。
策士なCEOの甘やかな愛!

ジャンル:
現代
キャラ属性:
社長・セレブ
シチュエーション:
玉の輿・身分差 | オフィス・職場 | 甘々・溺愛
登場人物紹介

夷隅蒼依(いすみあおい)

高級靴ブランドのCEO兼デザイナー。経営者としてもデザイナーとしても優秀だが、飄々として掴みどころがない人物。なぜか千紅咲に興味を抱いている。

江田千紅咲(えだちぐさ)

経理部。地味な風貌でクールに淡々と仕事をこなしているが、実はファッションが大好き。過去のとある出来事がきっかけで、本当の自分を出せずにいる。

立ち読み


 内線電話の着信音に千紅咲はキーボードを叩く手を止めた。表示された名前を一瞥してから素早く受話器を上げて応答する。
『あのさぁ、経費精算の申請書が戻ってきたんだけど……なんで?』
 ちゃんと付箋を付けてコメントを書いてあるのに、どうしてそれを読んでくれないのだろうか。内心で溜息をつきつつ千紅咲は淡々と語る。
「内容を拝見しましたが、これはプロジェクト計上ではないでしょうか」
『あー、うん。そうだけど?』
「その場合にはプロジェクト欄にコードを記入していただかないと、高橋さん個人のコストとして計上されてしまいます」
『えぇー面倒くさい。っていうかさ、それくらい調べて書いてくれないの?』
 こっちは忙しいんだから、と言わんばかりの口ぶりだがここで引き下がるわけにはいかない。千紅咲は怒りをぐっと堪え、あくまで平静を装う。
「社員の申請に経理が手を加えるのは改ざんにあたります。それから、現時点で稼働中のプロジェクトは二十六ありまして参加している社員はのべ百三十九名、兼務されている方もいますので……」
『あーわかったわかった! 書いて出し直すから!』
 経理だって暇じゃない。誰がどのプロジェクトに参加しているかなんて、いちいち確認していられないという主張は伝わったようだ。「よろしくお願いします」と告げてから受話器を置いた。
 彼に指摘するのが今回で最後になるのを祈りつつ、再びパソコンに向き直ると今度は隣から「あの……江田さん」と控えめな声で名を呼ばれた。
「はい、なんでしょうか」
「すみません。ここの科目を間違ってしまったのですが、直し方がわからなくて」
 恐縮しきりで尋ねてくるのは、入社して半年の守谷若菜。少々癖のある経理システムなので遠慮なく訊くように伝えてある。千紅咲はすぐさま手を止めると向けられたモニターの方へ軽く身を乗り出す。
「これは一度確定すると修正ができないので、レコードごと削除して再作成してください」
「あぁ……そうなんですね。気を付けます」
 千紅咲自身も入社したての頃にこの罠にはまって相当苦労したのを思い出す。そういえば前に作っておいたものが役に立つかもしれない。サーバー上にある個人用フォルダの中から目的のファイルを開き、[印刷]ボタンをクリックした。
「修正できない項目の一覧がありますので、よかったら使ってください」
「ありがとうございます。取ってきますねっ!」
 若菜はぱっと表情を明るくすると椅子を勢いよく回転させる。プリンターの方へ向かっていく足元ではパンプスについたリボンが揺れていた。たしかあれは春の新作。社員割引があるとはいえ、まだ若い彼女にしてみれば随分と思い切った買い物だったに違いない。
 だが、フェミニンな装いを好む彼女にはとても似合っている。褒めたくなる衝動をぐっと堪え、千紅咲は用が済んだとばかりに自分の仕事へと戻った。
「これは江田さんが作ったんですか?」
「そうです」
「すごーい! とてもわかりやすいです」
 手放しで褒められるのは気恥ずかしい。千紅咲は手の甲で眼鏡のフレームを押し上げるとキーボードを叩きはじめた。
「見やすい場所に貼っておきます!」
「……守谷さんならすぐ憶えられますよ」
 千紅咲もまだ入社二年目ではあるものの、中途採用なので若菜の教育に関しては一任されている。若菜はただ慣れていないだけで物覚えは悪くない。理解力も高いのでじきにシステムを使いこなせるようになるだろう。そうしたら業務の割り振りを検討し直す必要があるかもしれない。
 あれこれ考えながらも手は止まらず、目がモニターに映る数字を追っている。いつものように黙々と仕事をこなす千紅咲のすぐ横にひょいと顔が割り込んできた。ほんのり甘くスパイシーな香りが鼻をくすぐり、リズミカルにテンキーを打っていた指が隣の数字を押してしまう。
「お疲れ様」
「……お疲れ様です」
 毎度ながら、この人はどうしていつも驚かせるような登場の仕方をするのだろう。ドキドキする心臓を必死で抑えつつ平坦な声で返す。千紅咲の動揺を誘えて満足したのか、愛想の欠片すら感じられない挨拶に眩い笑顔が向けられた。
 文句の一つでも言いたいところだが残念ながらそうもいかない。なにせこの悪戯好きの男性は千紅咲の勤め先の経営者、つまり社長なのである。
 夷隅蒼依は三十二歳とまだ若いながら高級靴ブランド「エルフォラ」の社長兼デザイナーを務めている。
 ニューヨークの美術大学に在学中に才能を見出され、弱冠二十歳で高級服飾ブランドとデザイナーとして契約した。卒業後はいくつかのブランドを渡り歩いたのちに帰国。自身がファッションの中で最も重要視しているという理由により、デザイン性と履きやすさを両立すべくエルフォラを立ち上げたのだ。
 蒼依は常に笑顔で飄々とした摑みどころのない人物だ。それでも創業して間もなくトップブランドとして認知され、五年経った今でもその地位を維持し続けている。移り変わりの激しいこの業界でそれがどれほど難しいかを知っているだけに、彼が経営者としても優秀なのは間違いないだろう。
 蒼依は屈めていた身を起こし、長めのパーマヘアを無造作にかき上げた。そして承認済みの書類を「これ、よろしく」と言いながら机の端に置いてくる。すらりとした体躯、そしてほんの少し鋭さを帯びた端正な顔立ちと相まって、どの仕草を切り取っても絵になる。
 思わず凝視してしまいそうになるのをぐっと堪え、千紅咲は「お預かりします」と短く返した。
 蒼依は会社のトップなのだから自ら足を運んでわざわざ届ける必要はない。だけど気分転換も兼ねているという主張により一日に一回は経理グループの部屋に顔を出すのがお約束と化していた。
「江田さんは今日も恰好いいね」
「普通に仕事をしているだけです」
 それとも嫌味ですか、と続けそうになったのを我慢して千紅咲は立ち上がる。軽く目を伏せつつも、隣に立つ男の服装を一瞬にして脳裏に焼き付けた。しかしそんな様子はおくびにも出さず、分厚いファイルを手に取ると踵を返してキャビネットへと向かう。終業時刻を過ぎたので急いで片付けを始めなければ。
 キャビネットのガラス越しに若菜と蒼依が談笑している姿を眺める。二人ともファッション業界に身を置いているだけあってとてもお洒落だ。特に蒼依は自身がブランドアイコン的な存在ということもあり、シンプルながら小技の効いた装いをしている。
 それにひきかえ──。
 千紅咲はガラスに映る自分自身へと焦点を移す。色味を抑えた地味なメイクに厚ぼったいフレームの眼鏡、真っ黒のストレートヘアは後ろで一つに束ねているだけ。アイボリーのブラウスに濃紺のスーツを着た姿は、まるで就職活動中の学生みたいだという自覚はある。こんな恰好をしている女性が高いデザイン性が売りの「エルフォラ」の社員だとは誰も思わないだろう。
 社外で所属がわかるような言動はしていないが、評判を落としかねない存在なのは間違いない。
 申し訳なさで沈みかけた気分を奮い立たせるように、千紅咲は少し勢いをつけてキャビネットの扉を開いた。そしてファイルを所定の場所に仕舞い、今度は静かに閉じて足早に自席へと戻る。その足元では黒のローヒールがかつんと音を立てた。
「守谷さん、他にわからないことはありますか?」
「えっ……と、大丈夫です」
 談笑中に申し訳ないが業務を優先させてもらう。千紅咲は「そうですか」と短く返すとパソコンをシャットダウンさせた。時刻は十七時五十分。今日は直前で邪魔が入ったので終業時刻を五分ほど過ぎてしまったと内心で舌打ちする。
「それでは、お先に失礼します」
「はいっ、お疲れ様でした!」
「お疲れ様。また明日ね」
 蒼依は明日も来るつもりらしい。もう少し早い時間であればもっとゆっくり観察できるのだが、もちろんそんなことは口が裂けても言えなかった。軽く頭を下げると黒のショルダーバッグを手に取り、デスクの抽斗に鍵をかければ帰宅の準備は完了だ。千紅咲は「お疲れ様でした」と告げてからオフィスを後にした。
 会社の最寄り駅である外苑前から乗り継ぎを含めて一時間半。千紅咲はようやく自宅マンションの扉を開いた。
「ただいまぁ……」
 つい口に出してしまうものの、一人暮らしなのでそれに応える声は聞こえない。ヒール高三センチのパンプスを脱いで部屋に入り、郵便受けから取ってきたものを、外した眼鏡と共にダイニングテーブルへと無造作に置いた。
 仕事中は間食をしない主義なので既にお腹が激しく空腹を訴えている。帰り道に飴を食べたがその程度では収まるはずもなく、千紅咲は大急ぎで夕食の準備に取り掛かった。といっても、パック詰めしておいた冷凍ご飯と作り置きのおかずを温め直すだけなのだが。
 電子レンジにそれらを入れるとスーツを脱いで部屋着に着替える。電気ケトルでお湯が沸くのを待ちながらダイレクトメールやチラシを処分すると、ちょうど出来上がり時間になった。
 食器は水切り籠に置きっぱなしだったので盛り付けも簡単だ。汁椀代わりの小さめの白いボウルに自作の味噌玉を入れ、お湯を注げばお味噌汁もすぐに完成した。
「あっ、先に出しておかないと」
 通勤用のバッグからお弁当箱を取り出すとシンク脇に置き、千紅咲は素早く整えた夕食に向き直る。両手を合わせて「いただきまーす」と言ってから肉豆腐に箸を伸ばした。うん、味がしみていて美味しい。
 黙々と一人の夕食を終え、お弁当箱と一緒に使った食器をさっさと洗う。正直、片付けは面倒なのだがこの後のお楽しみには気掛かりを残したくないのだ。すべてを洗い終えてから再びお湯を沸かし、今度はインスタントコーヒーと牛乳でカフェオレを作った。
「よし…………っと」
 化粧を落とし、スキンケアを済ませてから鏡台の前に座る。うきうきしながらメール便で届いたばかりの封筒を開けた。
 中から取り出されたのは大きめのコンパクト。掌から少しはみ出るくらいのサイズのそれから緩衝材を外し、慎重な手付きで開いてみた。
「おぉ……やっぱり良い色が揃ってるなぁ。さすが『フィルヴァンヌ』だわぁ」
 千紅咲が取り寄せたのはいくつかのカラーパウダーがセットで詰められている、いわゆる「マルチパレット」と呼ばれる化粧品。主にアイシャドウとして使う場合が多いが、色によってはチークやアイブロウにも転用できる。
 春の限定品と言われ、店頭で試用させてもらったのが先週の土曜日。二種類のうちどちらにするかを散々悩んだ結果、一番気に入ったラベンダーの含まれている方を選んだ。あの時は両方買える財力が欲しい……! と切実に思ったものだ。
 ようやく決まったものの店頭在庫は売り切れで、入荷次第送ってもらうようにお願いをしておいたのが今日やっと届いた。発送連絡をもらった一昨日から、今日は存分にメイクの研究をするぞ! と密かに意気込んでいたのだ。
「コーラルにはちょっとシルバー系のラメが入ってるのかぁ……なるほどなるほど」
 まずは手の甲に少量乗せて伸び具合の確認をする。次に色んな角度からライトを当てて発色を確かめた。その結果をもとに、頭の中でシミュレーションをしてみる。
「さて、始めますか!」
 軽めのクリームファンデーションでベースを作ってから、おもむろに鏡の横へと手を伸ばした。そこにある様々なタイプのメイクブラシから、アイシャドウ用の大きい方をピックアップした。
 紅色の持ち手が付いた熊野筆のブラシセットは、去年の誕生日に友人三人から合同でプレゼントしてもらった大事な品だ。お手入れは少し大変だけど、やはり高級品だけあって毛に適度なコシがあり、とても使いやすい。
 撫でるようにパウダーを取り、ブラシの毛先に馴染ませてからアイホール全体へと広げる。様子を見ながら繰り返すこと数回、今度は小さいブラシに持ち替えた。
「……あ、重ねるとニュアンスがだいぶ変わるのね。面白いなぁ」
 メイクに集中しているとつい独り言が出てしまう。ブラシを慎重に目の際に滑らせ、中央から目尻にかけて濃くなっていくようにグラデーションを作った。
 アイラインはどの色がいいだろうか。マスカラはボリューム重視? それとも長さを出してみる? 手持ちのアイテムを眺めつつ組み合わせを考えるのは実に楽しい。試行錯誤を繰り返し、納得の仕上がりになったのは開始から二時間が過ぎた頃だった。
「うんうん、いい感じ」
 鏡の中では柔らかな色で彩られた千紅咲が微笑んでいる。春らしさを感じさせつつも目元をくっきりさせて甘さを抑えてあるのは、二十八歳という年齢を考えるとこれくらいが一番似合うと経験上知っているから。
 仕事中の姿しか知らない人は今の顔を見て、あの地味な「経理の江田さん」だとは絶対に気付かないだろう。とはいえ、千紅咲からすればこちらが素なのだが。
 新アイテムをゲットした時は、いつも大学時代の友人である伊達都子に報告している。化粧品の卸会社で働いているだけあり、メイクについていつも辛辣ながら的確なアドバイスをしてくれるのだ。スマホで鏡越しに写真を撮り、そのまま送ろうとしてふと手が止まる。
「せっかくだし、髪も練習しちゃおうかな」
 帰りの電車に揺られながら見ていたファッションサイトに気になるものがあったのだ。スマホをスタンドに乗せると一つに束ねていたヘアゴムを解いた。一旦洗面台に移動し、置いてあるボトルの中から「パーマ戻し用」と書かれたものを手にする。慣れた手付きで泡を毛先に揉み込んでいくと、ストレートだった髪が緩やかなウェーブを描きはじめた。
 更にまとめ髪用のワックスを付けたら準備完了。再び鏡台の前に戻り、スマホからブックマークしておいたページを開いた。
「ええっと、まずは緩めのおさげを作って結び目の上に毛先を通す……っと。あぁ、これは内側に捩じるのね」
 動画には敵わないものの、写真付きで手順が載っているのでとてもわかりやすい。しかしこれを「お手軽まとめ髪」と謳うのは少々厳しいというのが率直な感想だ。なにせ日々ヘアアレンジの練習に余念のない千紅咲ですら完成までに十五分を要した。いかんせん使うピンが多いので、どんなに手際が良くなったとしても十分はかかるだろう。
「うーん、トップをふんわりさせた方がバランスがいいかもなぁ」
 相変わらず独り言を呟きつつ、鏡で色んな角度から仕上がりをチェックする。後れ毛を指先で整えてから満足げに微笑んだ。
 今度はスマホをスタンドに置いてカメラアプリのタイマーをセットする。素早く背を向けてから心持ち顎を上げて静止、僅かな沈黙の後にシャッター音が聞こえた。
 いつも一人で撮影しているのでこういった作業はお手の物だ。千紅咲は余分な場所をトリミングすると都子に「本日の成果!」とコメントを添えて送信した。
 客先でセールが始まると言っていたので、きっと返事は明日になるだろう。そんな千紅咲の予想は見事に外れ、間もなくスマホが音声通話の着信を報せた。
「お疲れさまー。今日は早いね?」
『おっつー。思ったより準備がさくっと終わったから帰ってきちゃった。っていうか、フィルヴァンヌのパレットいいじゃん』
 都子は声に疲れを滲ませつつも褒めてくれた。
「でしょでしょ? もう一つの方に入ってたピーチオレンジとすごく悩んだけど、こっちにして正解だった」
『そうだね。くすみ系のカラーが流行ってきてるし、千紅咲のテイストと相性が良いと思うよ』
 友人兼メイクのプロである都子は似合わない時は容赦なく指摘してくる。新しいアイテムを試す時はいつも少しだけ緊張するが、今回は大成功のようだ。他にも良い組み合わせはないかと思案していると耳に痛い台詞が飛んできた。
『たださぁ。あんた、「ニアーレ」のコフレも予約してるって言ってなかった? どう頑張っても週末だけで使い切れなくない?』
「うぐっ……いいの! これは趣味なんだって!!」
 そんなことは指摘されるまでもなく重々承知している。化粧品には流行りがあるし、何年も保管するのは品質の問題だって出てくるだろう。だからこそ以前より厳選して買うものを減らしている。
『せっかく買ってるんだから活用しないと。そろそろ仕事用の地味メイクにも飽きたんじゃないのー?』
「飽きてないってば。むしろナチュラルメイクの方が難しいんだから」
 仕事の日のメイクはブラウンのアイシャドウと持続性の高い黒のマスカラ、それにほんのりチークを乗せるだけと決めている。色味が少ない分だけムラが目立ちやすいから毎朝ベース作りにはじっくり時間を掛けているのだ。
 お洒落に興味がないと装っているからといって、どうしても手抜きメイクだけは許せない。誰も気にしていないのにこだわる必要があるのか、時々自分でも不思議に思うけど譲れないのだから仕方ないだろう。エルフォラに転職して以来、友人達からなにを言われようと、頑なにこのスタンスを貫いている。
 千紅咲の頑固な性格を熟知しているだけに都子は早々に説得を諦めたらしく、さっさと話題が別のものに切り替わった。
『そうそう。今度ね、友達の旦那さんの紹介でカルデン商事の人と合コンがあるんだー』
「へぇ……すごいね」
『よかったら千紅咲も来ない?』
 一流企業勤めの男性、しかも知り合いからの紹介ともなれば人柄もある程度は保証されているだろう。普通に考えれば飛びつくべき話なのかもしれないが、千紅咲はあっさりと「行かない」と返した。
『ちょっとぉ、優良物件に巡り合えるチャンスかもしれないんだよ?』
「うん、頑張っておいでー」
『もう! いつまで仕事人間でいるつもりなのよ』
 都子の言葉の裏にあるものはちゃんとわかっている。もう二年も経つのだから、そろそろ気持ちを切り替えろと言いたいのだろう。
 だが、千紅咲にしてみれば「まだ」二年なのだ。
 あの時に受けたショックや苦しみはそう簡単に忘れることはできない。メイクブラシの手入れをしながら反論をはじめた。
「いい職場だよー? 目の保養もできるし、ファッションも参考になる人がいっぱいいるし」
『そりゃそうでしょうよ。あんなイケメン社長と毎日話ができるとか羨ましいわ』
「いやぁ……今日も恰好良かったねぇ。ノーカラージャケットを着ているのにノーブル感が損なわれないって奇跡だと思わない?」
 しっかり脳裏に焼き付けておいた姿を思い出し、千紅咲はにわかに饒舌になる。
 今日の蒼依はブルーブラックのジャケットに黒のチノパン、編み上げのショートブーツという装いだった。ジャケットはヘリンボーン柄でインナーはチャコールグレーのニットを合わせており、襟ぐりには黒でパイピングがされているのでジャケットととてもマッチしていた。ショートブーツはグレーと白でむら染めした革が使われていて、恐らく一点ものだろう。
 カジュアルなアイテムだらけだというのにあまりラフに見えないのは、やはり彼自身が纏う雰囲気がそうさせるのだと、いつもと変わらない結論に至る。何度も同じ台詞を聞かされている都子は呆れたように笑った。
『千紅咲はほんっとに社長好きだよねー』
「好きというか、憧れかな」
 性別は違えどあのセンスの良さは見習いたい。本当ならどんな部分に気を付けて服を選んでいるのか、参考にしている雑誌やお気に入りのブランドはあるか、訊いてみたいことは山積みだ。
 だけど、残念ながらそれを口にする日は決して訪れない。
 なにせオフィスにいる時の千紅咲は就活生とそう変わらない姿をしている。いくらフレンドリーな人とはいえ、こんな地味な女性社員からファッションの話をされても困ってしまうだろう。
 それにあんな恰好をしているのは、千紅咲がそういった事柄に興味があるのを悟られないため。自分で決めたはずなのに、時々設定を忘れてしまいそうになるから困りものだ。
 しかも、社長からなにかにつけて話し掛けられてしまうのも誤算だった。物珍しいのかもしれないが、傍から見たら違和感しかない絵面になっているだろう。そんな見苦しい光景は想像するだけで悲しくなってくる。だから失礼にならない程度の塩対応を貫いているというのに、今のところ成果は出ていなかった。
 いっそ無視してくれればじっくり観察できるのに、それすらできないのはなかなかの苦行だ。そのせいでほんの一瞬だけ見つめて、その姿をしっかり脳裏に焼き付けるというスキルを身に付けてしまった。少々変質者じみた所業だという自覚はある。止めたいけれど、今はこうするしかない。
 職場では仕事だけに集中する。だから誰とも親しくならないように心掛け、関わりも必要最低限に留めていた。
 お陰で社内では変わり者だと思われている。本心を隠すのは少し辛いけれど、余計な波風が立つことなく過ごせている。
「とにかく、私はこっそり観察するだけで満足なの!」
『わかったわかった』
 もう二度と、あんな思いはしたくない──。
 こみ上げてくる苦いものを咄嗟に抑え、千紅咲は努めて明るい声で次のお出掛けについての相談を持ちかけた。

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