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愛していると言ってくれ
寡黙な御曹司はこじらせ処女を離さない

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本価格:792(税込)

電子書籍価格:--円(税込)

  • 本販売日:
    2021/12/04
    ISBN:
    978-4-8296-8466-5
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書籍紹介

どうしても、君を手に入れたいんだ

「目を逸らすな」資産家の息子、鷹弥に欲情した瞳で射貫かれる。初恋の彼に一度だけ抱かれるはずが、何度も身体を重ねて。多くを語らない彼の本心はわからないけれど、キスだけで麻子の下腹は潤んでしまう。強引な愛撫に身悶えれば、熱杭を泥濘に沈められる。快感が過ぎて逃げを打つと「君は俺のものだ」と抱き寄せられて……!? 独占欲過多の御曹司と淫靡な執着系ラブ!

ジャンル:
現代
キャラ属性:
社長・セレブ
シチュエーション:
玉の輿・身分差 | 幼馴染・初恋の人 | 甘々・溺愛
登場人物紹介

鳴海鷹弥(なるみたかや)

大手化学メーカーの社長の息子。医療カンパニー長で執行役員。切れ長の目の美男子。過去、家に出入りしていた麻子に冷たい態度を取っていた。しかし、それは麻子と父の関係を疑っていたからで……?

大場麻子(おおばあさこ)

介護施設関連会社の福祉用専門相談員。10代の頃に父が事故死し、母子家庭に。精神的に不安定な母の代わりに家計を支えていた。そんな時に鷹弥の家で高額アルバイトをしていた。鷹弥は初恋の男性。

立ち読み

 大場麻子がその人と初めて会ったのは、高校二年生の夏の終わりだった。
 親友の千尋に紹介されたアルバイト先──高級住宅地の松濤にある鳴海家の邸宅で、大学四年生の彼にひと目で心を奪われた。
 当時の麻子は事情があって、資産家の鳴海茂のもとでアルバイトをしていた。彼はある条件に一致した麻子を、仕事の名目で援助してくれたのだ。あしながおじさんとして。
 茂から、『私の息子だよ』とその人を紹介されたとき、あまりの美形っぷりに顔が熱くなったのを今でも思い出せる。
 彼はグレーのカットソーにライトブルーのデニムというカジュアルな格好だったが、美男子すぎてメンズモデルでもやっているのかと場違いなことを考えた覚えがある。
 ただ、こちらを見る眼差しが底冷えするほどで、態度もひどく素っ気なかった。なんとなく嫌われているなと悟っていた。
 冷淡な人なら“そういう性格”なのだと納得できる。しかし彼は麻子以外には、穏やかな表情と柔らかい口調で接していた。
 これほど無愛想で冷たいのは麻子だけだ。おそらく父親に近づく小娘が気に入らなかったのだろう。
 その後、茂のアルバイトは一年ほどで中断し、彼と縁が切れた今では子息とも接点はなく、街ですれ違うことさえ一度もなかった。
 茂のアルバイト以降、恋愛をする余裕を失った麻子にとって、あの人は唯一の恋。
 処女をこじらせたのもあって、二十七歳になった今でもたまに思い出す。
 甘酸っぱくて切なくてほろ苦い、初恋の記憶を。

          §

 高校からの親友、脇本愛美が麻子の自宅へ来たのは、小雨が降る梅雨の七月上旬だった。夜の九時に鳴ったチャイムの音を不審に思いつつ、インターホンの画面を表示させると親友が映っていた。
「愛美? どうしたの?」
「……ごめんね。こんな夜遅くに」
 リビングへ愛美を通すと、いきなり床に土下座するものだから麻子は硬直してしまう。
「えっ、何?」
「麻子にこんなこと言いたくないんだけど、お金を貸してほしいの。──三千万円」
「さんぜんまんえんっ!?」
 一般人には到底融通できない大金に目を剥いた。
「ちょっ、どういうことなの? 三千円の間違いじゃないわよね?」
「……うち、経営が傾きかけてて、資金繰りも悪化して潰れそうなの」
「脇本住販が? まさか……」
 愛美の夫は、不動産商品の企画から開発、販売までを手がける脇本住販の社長子息だ。資産家の跡取りとの結婚を、彼女はとても喜んでいたのに。
「今年に入って重要な取引先がどんどん倒産しちゃってね、赤字が続いていたの」
 そんなとき、副社長を務める愛美の夫が地面師に騙された。損害額は十五億円にも上るうえ、犯人グループはすでに海外へ逃亡して行方不明。
 支払った金は取り戻せず、とうとう不渡りを出す事態となった。倒産を防ぐために親族中に頭を下げて金策に走り回ったが、あと三千万円ほど足りない。
「……だからもう、麻子に頼むしかないの」
「待って。私だってそんな大金は持ってないわよ。うちの経済事情は知ってるでしょ?」
 高校生のときに事故で父親が亡くなり、母親は病気で入退院を繰り返して働けないうえ、父親は家族に内緒で怪しい投資に預貯金のほとんどをつぎ込んでいた。しかも父親にかけていた生命保険が解約されており、死亡保険金が入ってこないという有り様。
 麻子がうろたえていると、愛美が泣きそうな顔で睨んでくる。
「……お金ならあるじゃない。鳴海社長に出してもらえばいいのよ」
 何年かぶりに聞いた懐かしい名前に麻子は瞠目し、言葉にできない感傷が胸の奥から湧き上がってくる。
 茂ではなく、初恋の人の顔を思い浮かべて思いっきり動揺した。
「なんで……、なんでここで鳴海社長が出てくるのよ……」
「だってあの人は麻子のあしながおじさんじゃない。麻子が頼めばすぐに出してくれるわ。それに鳴海社長にしてみれば三千万円なんて安いもんでしょ」
 まっすぐに見つめてくる愛美の眼差しに、今まで見たことのない恐怖を感じた。
「無理に決まってるわ……あの人は私にそんな大金を出す義理はないのよ。それにもう九年は会ってないし……」
「でも鳴海社長、麻子の勤め先を買収したでしょ。麻子のことを忘れてないじゃない」
「いや、それはビジネスの話よ。私と鳴海社長の個人的なことは関係ないわ」
 茂が代表取締役を務める化学メーカー大手、株式会社NARUMIは昨年、麻子が勤務する掛川ライフサポート株式会社を買収している。
 買収先企業がNARUMIと聞いたとき、偶然にしてはすごいなと、本当に偶然なのかと、うすら寒いものを感じたが……
 とはいえ親会社の社長と、グループ傘下の一つに勤める平社員に接点はない。
「それに私、鳴海社長と縁を切ってから一度も顔を合わせたことがないのよ。三千万円なんて本当に無理よ」
「でもNARUMIの社長ともあろう人が、過去に女子高生を買春してたってネットに書き込まれたら困るでしょ? そうなってもいいの?」
 無二の親友からの暴言に、麻子は一瞬、幻聴ではないかと思った。
「……なに、それ……」
「本当のことじゃない。九年前だって鳴海社長と麻子とのこと、すっごい噂になったでしょ? 麻子だって本当はパパ活してたんじゃないの?」
 あまりのショックで麻子は呆然となった。
「……愛美、自分が何を言ってるかわかってるの? それは脅迫や恐喝よ」
「わかってるわよ!」
 金切り声を上げる愛美は苛立ったように爪を噛む。
 麻子は、そんな親友の姿にひどく胸が痛かった。
「……あなたと千尋だけは、どんな噂がたっても私のことを信じて味方になってくれたのに……」
 千尋は愛美と同じく、高校時代からの親友だ。彼女と愛美は、麻子が茂との関係をバッシングされたときもずっと庇い続けてくれた。
 そのことを思い出したのか、愛美は気まずそうに顔を背ける。だがすぐに麻子へ視線を戻す。
「今になって思えば、やっぱり怪しいのよ。資産家の男の人と会うだけでお金をもらえるなんておかしいじゃない」
「私が選ばれた理由を知ってて、本気で言ってるの? あのバイトは他の子じゃ駄目だったのよ。私だから意味があるのよ」
 グッと言葉を詰まらせた愛美が、ふてくされたように目を逸らした。その様子を見ながら麻子は思う。
 ──鳴海社長に……あの人たちにこれ以上の迷惑はかけられない。
 脳裏に思い浮かんだ初恋の人の冷たい瞳に身震いしつつも、麻子は愛美の正面に正座をしてまっすぐに背筋を伸ばす。
「愛美。私や鳴海社長は、脇本住販の問題と一切関係ない。ネットに書き込みたいならすればいいわ」
「えっ」
「ただし、あなたが脅迫に来たことは警察に相談する。実際に誹謗中傷があれば弁護士を雇って法的に対処する。脇本住販も無傷ではいられないわよ」
「……なにそれ、脅してるつもり?」
「殴られたら殴り返されるなんて当たり前でしょ。私が泣き寝入りするとでも思った?」
「ひどい! 親友だと思ってたのに!」
「……私も親友に、三千万円もの大金を資産家から巻き上げてこいって、脅迫されるとは思わなかったわ」
 目を伏せて悲しげに告げる麻子に、愛美はぶつぶつと悪態をついていた。が、やがて立ち上がるとリビングを飛び出していく。
 彼女が消えても、麻子はしばらく床に座り込んだまま動けなかった。

 

 

 

 愛美の深夜の訪問から四ヶ月がたった月曜日。麻子が外回りから会社に戻ろうと営業車に乗った直後、スマートフォンの着信音が小さく鳴った。
 千尋からだ。
『久しぶり。元気? 前に教えてくれた愛美の件についてだけど、今いい?』
「いいわよ、お願い」
 進展があったのかと、麻子は緊張気味の声を漏らす。
『うちの父が言うにはね、愛美の件はすべて片づいたから安心しなさい、ですって。でもどういうふうに片づいたかは教えてくれないのよ。けち臭いわよねぇ』
 ぶうぶうと不満を漏らす千尋の様子に、麻子は声を上げて笑う。
 千尋の父親は鳴海邸で働いているため、愛美の脅迫を受けた翌日、すぐさま千尋を通して彼にこの件を伝えておいた。自分では茂に話しかけづらいので。
 千尋は、『麻子が伝えたらいいのに。鳴海社長だって喜ぶわよ』と言ってくれたが……。
 千尋へお礼を伝えて近況を話してから、スマートフォンをバッグにしまう。久しぶりに会いたかったが、彼女は大手建設会社に就職して現在は京都在住だ。
 車で会社へ戻りながら、自然と愛美の件を考える。
 麻子が彼女の要求を突っぱねた後、新しい接触は一切なかった。でも、どうなっているのかずっと不安だった。
 愛美が直接、茂に金を無心しに行かないかと。
 ──ああいう資産も権力もある人に喧嘩を売ったら、絶対怖いことになりそう……思いとどまってくれたと思うけど。
 ふとこのとき、苦くて甘い気持ちが胸の奥に点る。茂から連想したのか初恋の人の姿が脳裏に浮かび、麻子は顔を左右に振った。
 ──いかんいかん、考えるのをやめよう……
 会社に戻ってきたのは午後四時過ぎ。福祉事業部営業二課のドアを開けると、ちょうど目が合った課長の野宮が声を上げた。
「大場さん、お疲れ。戻ったばかりで悪いけど、新規のケアマネさんからご用命だ。すぐに連絡して」
 上司から渡されたメモを見て麻子の口元がほころぶ。
「先日、勉強会でご一緒したケアマネさんですね。ありがたいです」
 掛川ライフサポートは、介護施設の運営や管理、介護保険サービス事業などを展開している企業だ。麻子はここで福祉用具専門相談員をしている。
 主な仕事は施設や介護支援専門員の依頼を受けて、福祉用具を利用する方の相談を請け負ったり、福祉用具の販売やレンタルの手続きをしたり、利用者の住宅改修を行ったりすること。
 麻子はこの会社に就職して五年目。新規案件の受注も増えて仕事が本当に楽しい。歩合制で頑張りが給与に反映されるのも性に合う。
 さっそく依頼のあったケアマネジャーに電話をして、利用予定者の基本情報を聞き取り、来週にある退院前カンファレンスに参加する約束を入れた。
 ──患者は左方麻痺の後遺症がある七十一歳、要介護二。……車椅子は新しいメーカーを使おうか。介護するのは同年代の奥様で初めての介護なら、電動ベッドは……
 必要とされる福祉用具のピックアップや、初回訪問用の資料の作成などをToDoリストアプリにメモする。
 今回の面接はどう対応するべきかと考えていると、隣の席からざらついた声を投げつけられた。
「いいよねぇ、女子って。ケアマネが女ばっかりだから同性で話しやすいし、甘えられるよね〜」
 同僚の坪井が小馬鹿にした口調で突っかかってくる。
 そんなわけないじゃん、と麻子は内心で盛大なため息をついた。
 坪井は一歳年上の男性社員で、一年ほど前まで営業二課の月別総合売り上げは彼がトップだった。
 しかし麻子が追い抜いてからというもの、坪井が首位に返り咲いたことは一度もない。それがお気に召さないのか、こうしてちくちくと嫌みを投げつけてくる。
 ──うう、言い返したい……社長の甥っ子じゃなければなぁ。
 近くにいる営業事務の社員たちも聞こえないふりをしており、麻子もまた無視して福祉用具計画書を作成し始めた。
 介護職は女性の比率が高い業界であり、ケアマネジャーもまた女性が多くの割合を占めている。
 麻子たち福祉用具専門相談員は、利用者本人ではなくケアマネジャーへ営業をかけて、ケアマネジャーから利用者を紹介してもらう形が多い。そのため坪井は性差による不平等を、しょっちゅうあげつらう。
 しかし。
 ──女だらけの職場にあんたみたいな男が入ってきたら、ちやほやされるに決まってるじゃない。甘えてるのはどっちなのよ。もおぉっ!
 坪井はコミュニケーション能力が高く、容貌もまあまあ悪くないため、女性職員に人気がある。だからこそ長い間トップ営業マンであり続けたが、仕事そのものは雑だった。
 たとえば自社で取り扱う福祉用具についてケアマネジャーから聞かれても、『あー、ちょっと僕はわかんないですね!』と笑って済ませたり、約束した時間に利用者の家へ向かわなかったりと、対応がお粗末すぎて少しずつ依頼数が減り、とうとう麻子に抜かれて今も成績が下がり続けている。
 うんざりしながら入力を続けていると、坪井がわざとらしく貧乏ゆすりをするのでデスクがかすかに揺れる。さすがにイラッとした。
 会議室に移動しようかと思ったとき、同じ福祉用具専門相談員の細田玲奈がオフィスに戻ってきた。
「お疲れ様でーす!」
 明るい女性の声が響いたと同時に、ぴたっと貧乏ゆすりが止まって坪井の表情が真面目なものになる。その変わりように思わず彼の横顔をまじまじと見つめてしまったら、細田が近づいてきた。
「麻子先輩、ただいまです! ちょっと相談があるんですけど、いいですか?」
 いつもハイテンション気味の細田に笑顔で頼まれると、忙しくても頷いてしまうから不思議だ。麻子はスマートフォンを持って立ち上がる。
 背中にぴりぴりとした視線を感じるので、坪井が睨みつけているのだろう。彼は、可愛くて守ってあげたくなるような雰囲気の細田を、彼女が入社したときから狙っていた。
 細田の方は坪井を歯牙にもかけていないが……
「先輩、また坪井さんに絡まれてたんじゃないですか?」
 リラクゼーションルームで自販機のコーヒーを買ったとき、細田はオフィスでは見せないしかめっ面を現す。
 麻子は曖昧に微笑むだけで何も言わない。同僚の悪口を細田には言いにくい。……なにせ彼女は親会社の取締役の娘なのだ。告げ口をするようで後ろめたい。
 そういえば坪井が細田にすり寄るのは、美人というだけでなく、彼女のコネクションが目当てという噂だった。それが透けて見えるから、坪井は細田に嫌われているのだが。
「……玲奈ちゃん、相談って何?」
 細田の好きなミルクティーを買って渡すと、あからさまに話題を変えたことで頬を膨らませている。可愛い。
「ああもう、ほんと坪井さん、うっざ! あの人、麻子先輩が新規案件取ってくるたびにうざ絡みするんですよね! だったら自分も動けっつーの!」
 遠慮なく悪態をつく細田に、麻子は心の中で礼を告げる。自分の代わりに怒って味方になってくれるだけで、気持ちが軽くなった。
 ──言葉遣いは気になるけど……いいのかしら、お嬢様なのに。親会社のお父様にうちの社長が叱られないの?
 一年ほど前、自社の掛川社長が、健康問題を理由にM&Aを公表した。
 買収した株式会社NARUMIは、塩化ビニル樹脂やシリコーン樹脂等の大手になる化学メーカーだ。産業系ビジネスの企業ではあるが、数年前から医療や食品などの新規事業にも進出して、M&Aによる多角化経営を拡大している。
 掛川ライフサポートは、NARUMIの医療関連事業の一つとして買収された。その際、経営陣は数人が辞職して親会社の人間に替わったものの、社長はそのまま留まり人脈や得意先の引き継ぎを行っている。そして社員も買収前となんら変わりはない。
 しかしM&Aから一年が経過すると、掛川社長が来年の三月末で勇退と公表された。次の社長は親会社の取締役が就任すると内定している。そのため人員整理が始まるのではないかと、そこかしこで囁かれていた。
 ……もしかしたら坪井は、そのことで神経質になっているのかもしれない。細田に粉をかけるのも、人事の情報を少しでも手に入れたい側面があるのかも──
「麻子先輩、聞いてくださいよぉ〜。昨日お見合いしたんです! 久しぶりに振袖を着ました!」
 その細田が頬を染めていきなり話を変えたため、麻子は数秒ほど話の切り替わりについていけなかった。
「……えっと、玲奈ちゃんならお見合いしなくてもいい人が見つかりそうだけど」
「恋愛はもう十分楽しみました。それにお見合いがうまくいくと父が出世するかもなんで、まあいいかなぁ〜って」
 恋愛経験がない麻子にとって、「十分楽しんだ」と言い切る経験値が羨ましい。
「それって政略結婚? 今でも本当にあるのね」
「まあそうなんですけど、いい人に当たったので逃してはいかんと! 御曹司とか若社長とかいっても、クズ男のときもあるんですよね。でも今度の人はイケメンで優しくて!」
 細田の相談とは仕事ではなく、これを話したかったらしい。
 今は就業時間中だが、週明けは朝から忙しいうえ、朝礼後はすぐに外回りへ行くから、聞いてほしいとうずうずしていたのだろう。
 細田らしくて、麻子は叱る気にもならず笑うしかない。
「そっか、じゃあそう遠くないうちに辞めちゃうんだ……」
 細田は結婚するまでの社会勉強として在籍しているのだろうが、誰とでも親しくできる彼女の明るさと、人の警戒心を溶かす雰囲気や笑顔は営業に向いている。
 常に勉強し続けることが重要なこの業種において、細田の努力と情熱は坪井にないものだ。あの男よりもよっぽど優秀だとひそかに思っている。残念でならない。
 ──でも玲奈ちゃんの話を聞くと、雲の上の住人も社交とか大変そうだし……今後は違う世界で頑張っていくんだな。
 職場のオアシスが枯れてしまう無念でしんみりとするが、細田が退職するときは祝ってあげたい。
 甘くて苦いコーヒーを飲み干し、「そろそろ戻ろっか」と二課へ向かう。
 オフィスに入ると坪井の姿はなかった。おそらく喫煙所だろう。しばらく戻ってこないので助かった。
 この隙に業務報告書をできるだけ作成しようと椅子に座ったとき、ちょうどメールが届いた。件名に『鳴海』との文字があってギクリとする。
『大場麻子様。大変お久しぶりです。脇本愛美さんの件についてお話があります。今度の土曜日にお時間をいただけますでしょうか──』
 麻子の心臓がばくばくと跳ね上がった。メールのドメインをチェックしたところ、NARUMIのもので間違いなかった。
 メールには、とある貸し会議室に来てほしいと所在地が記されている。鳴海家の邸宅に行くのではないかと疑問に思ったが、麻子もまたあそこには行きにくいのでちょうどよかった。
 鳴海邸には茂との思い出以外にも、初恋の人の切ない記憶が残っているから。
 ──貸し会議室の方がまだましか……
 今回の件で自分が語ることなど何もないが、まったく無関係でもないから無視もできない。
 麻子は了承の返事をして、椅子の背もたれに深くもたれかかった。
 茂を思い出せば名状しがたい想いが胸に去来する。彼だけではなく、もう一人の男性の顔が思い浮かぶのもあって。
 ぼけーっと口を開けて天井を見上げていた麻子だったが、しばらくして復活すると「仕事しよ」と書類に取りかかり始めた。

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