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腹黒御曹司は元ひきこもりな妻を昼も夜も愛したい

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本価格:715(税込)

電子書籍価格:--円(税込)

  • 本販売日:
    2021/08/04
    ISBN:
    978-4-8296-8454-2
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書籍紹介

エリート夫の止まらない独占欲

旧華族、熊谷家長男・秀悟に見合いの席で求婚された莉音。ひきこもりの私と結婚って、本気なの? 「君がこんなに可愛いとはな」繊細で巧みな舌遣いの愛撫に悶えて喘ぐ。容赦なく熱杭を穿たれ、身も心も満ち足りて。甘くて幸せな新婚生活。でも実家で籠もっていた理由を知ったら彼は――。不安を抱えていると「何があっても放さない」独占欲剥きだしで抱き締められて!?

ジャンル:
現代
キャラ属性:
社長・セレブ
シチュエーション:
新婚 | 政略結婚 | 甘々・溺愛
登場人物紹介

熊谷秀悟(くまがやしゅうご)

旧華族の血筋を継ぐ、熊谷家の長男で跡取り。眉目秀麗で文句なしの美男子。釣書を見て莉音を気に入り、見合いをする。

熊谷莉音(くまがやりおん)

裕福な家に生まれ育つが、とある出来事がきっかけで10年間、ひきこもっている。秀悟との見合いのあと、あっという間に結婚することに。

立ち読み

「どうして莉音なのよ! そのお見合いってあたしにきた話じゃないの!?」
 妹の甲高い声が二階にあるこの部屋まで響いて、柚木莉音はいつものようにヘッドホンを耳にはめて騒音を遮断しようと……したかったのだが、寸前でヘッドホンをデスクに置いた。
 聞きたくはないけれど、妹が騒ぎ立てている原因は自分に関係があるはず。
 どのような状況になっているか知りたくて、ドアに近づき細く隙間を開けて妹と母親の会話を盗み聞く。
「仕方ないのよ。先方が莉音を指名されたのだから……」
「それがおかしいって言ってんじゃん! あんな根暗女を嫁にもらいたいなんて、誰も思うわけないでしょ!」
「まあ確かに、私もおかしいなって思ったけど……」
 母親の肯定に莉音は唇を噛みしめる。その通りではあるが、実母と実妹に堂々と蔑まれるのは胸が痛んだ。心に刃物が突き刺さった気分になる。
 妹の琴音が喚いているのは見合いについてだろう。
 二週間ほど前、柚木家の姉妹二人分の釣書を、旧華族の血統である熊谷家へ提出した。お目当ては熊谷家の長男、熊谷秀悟だ。
 莉音の見立てではお断りの返事がくるか、妹への縁談の申し込みがくると考えていたのだが、意に反して姉との見合いを望む返事がきたようだ。
 そのため琴音は、自分を押しのけて姉が望まれたことに怒り狂っているらしい。
 ──なんで私なのよ……無理……
 莉音は壁に背を預けて座り込み、両脚を抱えて蹲った。そんな彼女をさらに追い詰めるかのように、琴音の金切り声が響いてくる。
「莉音には無理よ! あいつが何年引きこもってると思ってんのよ! 十年よ、十年! 礼儀作法だって身に着けてないのに、あの熊谷家だなんてウチの恥をさらすだけだわ! なんとかあたしに変えられないの!?」
「熊谷様は莉音じゃなければ、縁談をなかったことにするとおっしゃるのよ……」
「なにそれ! 熊谷の御曹司って頭がおかしいんじゃないの!?」
「こらっ、失礼なことを言わないの」
 母親に窘められても琴音はまだ諦められないのか、いまだに階下から耳障りな声が聞こえてくる。
 ご近所に聞かれないかと莉音は次第にハラハラしてきた。同時に、妹の意見にも強く同意できると奇妙な思いを抱く。
 琴音は誰からも好かれる快活な美少女で、スタイルもよく社交的で教養も身に着けている。美男子との噂がある熊谷秀悟と並んでも、決して見劣りしないだろう。
 琴音ならば熊谷の長男も無視はできないと、親族の誰もが予想していた。なのに姉の方を指名されて、家族だけでなく莉音自身も混乱している。
 もともと熊谷家へ見合いを申し込むのは琴音のみだったが、親族の誰かが“下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる”の心理で、莉音の釣書もおまけで押しつけたのだ。
 とはいえ十年も引きこもっている莉音が見合いに同意できるはずもなく、釣書用の写真撮影も拒否したため、写真を添えずに提出していた。
 逆に失礼ではないかと莉音は混乱したが、なんの因果か姉の方へ見合い話が持ち込まれてしまった。
「……とにかく、一度莉音をお見合いさせてみるわ。たぶん破談になると思うから、そのときは改めて琴音とのお見合いを検討してもらうから」
「絶対よ! 莉音が結婚できるはずはないんだからっ!」
 ドガドガと荒々しい足音が階段を駆け上がってくる。
 妹の部屋は二階のもっとも奥まった位置にあるため、莉音は慌ててドアを閉めると彼女が通り過ぎるまで気配を殺した。
 しかし怒りを表す騒音は姉の部屋の前でぴたりと止まる。その直後。
 ──ドガッ!
 扉が振動と共に大きな悲鳴を上げて、莉音の体は床に座り込んだまま飛び上がる。
「こンの引きこもり根暗女! あんたなんて一生部屋の中に閉じこもっていればいいのよ!」
 実の姉に罵声を浴びせる妹の迫力が恐ろしく、莉音は己の肩を抱いて縮こまった。
 ……でも彼女の言う通り、自分も本音ではずっとこの部屋に閉じこもっていたかったのだ。そんなことは不可能だとわかっていても。
 なのになぜ、熊谷家という名家の跡取りに見合い相手として指名されたのか。
 再び体を丸めて蹲る莉音は、これが悪夢なら早く目が覚めて欲しいと切実に願っていた。

          §

 見合い当日の土曜日。
 莉音は強制的に家から引きずり出され、十一月下旬の寒風にさらされる屋外へ足を踏み出した。ハイヤーの後部座席でダウンコートのフードを被ったまま、うつむいて憂鬱な溜め息を押し殺す。
 ──うう、帰りたい……
 昼間の時間帯に家を出るのは、通信大学院の面接授業以来だ。
 おまけに夜型人間の自分には太陽が眩しすぎて、このまま溶けてしまうのではないかと馬鹿なことを考えてしまう。
 暖房がきいている車内だが、首に巻いたマフラーを鼻の頭まで持ち上げて顔を隠した。
 やがてたどり着いたのは、港区にあるラグジュアリーホテルだ。向かった先は見合い場所の日本料理店ではなくスパルームで、時間をかけて丁寧に肌を整えてもらう。
 伸ばしっぱなしで腰まである長い黒髪も、入念にケアされた。
 次に高層階のスイートルームへよたよたと移動。ベッドルームより広いリビングルームにて、プロのスタイリストが着付けとヘアメイクを施してくれた。
 その間、リビングルームの豪奢なソファで、実母と母方の叔母が莉音を見守りながらお茶を飲んでいる。この姉妹は莉音たち姉妹と違って仲がいい。
 両者の会話は途切れることなく続いていた。
「でも本当にびっくりしたわぁ。琴音ちゃんじゃなくって莉音ちゃんが選ばれるなんて。いったい何がよかったのかしら」
「それがさっぱりわからないのよ。仲介の須森さんがやんわり尋ねてくださったけど、絶対に教えてくれないって」
「不思議よね。熊谷の跡取りって変わり者がお好きなのかしら」
 そこですぐさま口をつぐんだ叔母は、横目でちらりと姪っ子に視線を向ける。
 変わり者扱いをされた莉音は、本当のことだと気にしなかったので聞こえないフリをした。
 すると叔母がことさら明るい口調で声を張り上げる。
「莉音ちゃーん、これからはきちんとボディのお手入れをしなきゃ駄目よ。熊谷家に嫁入りするんだから」
 莉音は叔母の顔を見ずに小さく頷いておいた。まだ結婚は決まっていない、というか断られるとしか思えない、との反論は心の中にしまっておく。
 長年、引きこもりをしている莉音は人と話すことが苦手だ。言いたいことがあっても言葉として声を発することが難しく、目を合わせることさえ無意識に避けてしまう。
 無言のまま視線を落とし、己の体に着物が巻きつけられるのをぼんやりと眺めた。
 その様子を横目でちらりと見遣る母親は、溜め息混じりにおしゃべりを続けた。
「でもやっぱり莉音だと心配だわ。どうして琴音じゃなかったのかしら」
「年齢じゃない? 熊谷のご長男って三十歳なんでしょ。琴音ちゃんだと歳が離れすぎって思われたんじゃないの?」
 妹の琴音は二十二歳の大学四年生なので、今日のお相手とは八つも年齢が離れている。
 それに対して姉の莉音はもうすぐ二十五歳。叔母の言う通り、年齢的な釣り合いならば姉に軍配が上がるだろう。
 しかし母親は納得しがたい顔つきを見せる。
「でも莉音はずっと引きこもっていたから、社交なんて務まらないわ。琴音なら慣れてるし華があるし、絶対琴音の方がふさわしいのに……」
「まあまあ、二人とも柚木の娘なんだから、熊谷家と縁続きになれるんなら、どちらでもいいのよ」
「そりゃそうだけど、でもねぇ……」
 母親がグズグズと不満を述べる声を聞きながら、莉音は表情を変えないよう唇を引き結んだ。
 実母の不安は間違いではないと思うから。
 莉音は中学三年生のときに不登校になり、今まで十年間も自室に引きこもっている。進学は通信制を選択して可能な限り人との接触を避けており、家族や親族以外とのコミュニケーションなど数えるほどしかない。
 今さら富裕層の華やかな世界に放り込まれても、萎縮して突っ立っていることしかできないだろう。
 そんな情けない姉に対し妹の琴音は社交的で、両親と共に様々なパーティーや懇親会に出席し、経験も度胸もある。
 何より極めて美しい。
 熊谷家ほどの名門ならば、どう考えても妹の方がふさわしいはずなのに。
 ──本当に熊谷の御曹司って変わり者好きなのかもしれない。どんな人なんだろ? 釣書をまったく見てないから知らないけれど。
 熊谷家とは、旧熊谷財閥より発展した企業集団“熊谷グループ”を率いる一族だ。グループには十四社が名を連ねており、その中でもKUTRA(熊谷商事)、三世製薬、東洋化学薬品の主要三社を熊谷家が支配している。KUTRAの現社長が、本日のお相手の父親だ。
 しかし歴史も伝統もある名家に対し、柚木家は単なる成金でしかない。祖父の代に起業した小規模ドラッグストアは、婿入りした莉音たち姉妹の父親がM&Aによって事業を拡大し、莫大な富を生み出した。
 おかげで資産家ではあるものの、一般家庭が金持ちになっただけに過ぎない。
 熊谷グループとは仕事上のつながりがあると聞くが、向こうは取引先など山のように存在するだろう。柚木家と似たようなレベルの家から、熊谷家へ大量の釣書が舞い込んでいると、母と叔母のおしゃべりを聞かずとも察せられた。
 そのような名門の家柄に生まれた、よりどりみどりの御曹司が成金の娘……しかも引きこもりを選ぶなど、どのような思惑があるのだろうか。
 ──絶対になんか事情があるわよね……イケメンらしいけど性格破綻者とか?
 怖気づく莉音が反射的に顔を上げると、視線が持ち込まれた大きな姿見へ向けられる。美人の母親の遺伝子に助けられて、そこそこ整った顔立ちの自分が映っていた。素材は決して悪くない。
 今日はぼさぼさの髪をプロに整えてもらい、きっちりとメイクをして顔を作り込んでいる。そのせいか結構な美人に見えた。
 しかしこの程度の容姿など、熊谷の御曹司ほどの男なら見慣れているのではないか。
 妹のような際立った美貌の持ち主ならともかく、なぜ自分が指名されたのか本当にわからない。
 ぼんやりと考え込んでいるうちに着付けが終わり、約束の時間の十五分前になって入り口の扉がノックされた。
 顔を出した中年女性は仲介人の須森である。彼女にうながされ、実母と叔母のありがた迷惑なエールを聞き流しつつ、莉音はスイートルームを出てお店へ向かった。
 母親はお見合いに同席したい気配が隠しきれないほど滲み出ていたが、先方から親の同伴はお断りと言われている。
 格上の家からの指定に逆らえず、母親は悔しそうに歯噛みしていた。よっぽど口を挟みたいらしい。
 こちらとしては親がいない方が気が楽ではあるものの、何をしゃべっていいかわからないので困る気持ちも大きいのだが……
 はあ、と莉音は須森に気づかれないように溜め息を零す。
 母親がいてもいなくても、この場から逃げ出したい気持ちは変わらないのだ。
 成人式に行かなかった莉音にとって、初めて着た振袖は窮屈で息が苦しい。そのうえ草履は歩きにくく、段差もない廊下で何度かつまずきそうになる。
 もう何もかもが苦痛だ。
 だいたい、たかが会って食事をするのに振袖を着るなんて時代遅れではないか。ネットで現代の見合い事情を検索したが、昨今はマッチングアプリの普及にともない、出会いはもっと軽やかになっていると思う。
 振袖を着て見合いに臨むなど少数派だ。服装など場をわきまえた装いで十分だろうに。
 しかもこの振袖は、もともと妹の見合い用にあつらえていた品だそうで、自分には派手すぎてまったく似合わない。
 と、歩きながら脳内で怒濤の不満を燻らせる。もちろん引きこもりゆえ、これらを口にすることはない。母親および親族の期待と意気込みが恐ろしいというのもある。
 ──そこまでして熊谷家とつながりたいのかしら……?
 まあ、成り上がっていくには閨閥を作るのが手っ取り早い。令和になった今でも政略結婚はビジネスの一環でしかなく、娘はその駒だ。
 それはきちんと理解しているのだが、自分の予想では嫁に出すのは妹の方だと思っていたのに……
 とぼとぼと顔を伏せたまま歩く莉音は、須森に導かれて予約してある日本料理店へ入り、奥まった座敷で彼女と共に腰を下ろした。
 窓の外へ目を向けると、造り込まれた広い庭園では寒牡丹の鮮やかさがひときわ美しい。散紅葉が赤い絨毯のように広がる様も風情がある。
 日本の美を凝縮したような情景にぼんやりと見惚れていた莉音は、あのときも似たような季節だったと不意に思い出した。
 はらはらと散りゆく紅葉が北風にさらわれ、視野のすべてが赤く染まった。葉擦れの音に異音が交じり紅い飛沫が飛び散って──
「失礼いたします」
 店の仲居が入り口のふすまを開けたことで、莉音は我に返った。視界の端にネイビーブルーのスーツが入った途端、反射的に視線を座卓に落として硬直する。
 須森と相手側の仲介人が挨拶を交わし、談笑しながら莉音と見合い相手の紹介を始める。その間、莉音は目線を下げたまま相手を直視できないでいた。
 他人と話すことへの抵抗感以上に、低くて深い艶のある男性の声に怯えを感じて。
 莉音は引きこもって以降、父親以外の異性と話をしたことがない。自室には母親と叔母、祖母以外は、家政婦として雇った年配の女性しか近寄らなかった。男性親族は気を遣って、正月でも扉越しに挨拶するぐらいだ。
 しかも過去に通っていた中学は女子校だったため、思春期を迎えてからというもの、異性に近づいた経験は非常に乏しい。
 ここにきて初めて“大人の男性”という存在に、己が恐れを抱いていると自覚した。
 ──お父さんや、あの人と同じだから……
 見合い相手が自分を見ている気配は感じるのだが、とてもじゃないが伏せた顔を上げられない。
 隣に座る須森がしきりに小突いてくるものの、緊張が高まって口を開くことさえできなかった。相手側の仲介人が話しかけてきても、頷くか、首を振るぐらいしか応えられない。
 早々に間がもたず、仲介人たちは気まずそうに立ち上がった。
「あとは若いお二人で……」
 決まり文句を残して彼らが座敷を出ると、入れ替わりに仲居たちが次々と料理を座卓に並べていく。
 だが莉音は顔を伏せたまま微動だにせず、仲居たちが静かに退出して見合い相手と二人きりで残されても、箸を持ち上げることさえできずに固まったままだ。
 その状態でどれぐらい経過したのか、額に浮いた汗がこめかみに垂れ落ちる頃になって、冷静な声が彼女の鼓膜を叩いた。
「──食べませんか。残すのはもったいない」
 自分へ向けられた男らしい低い声には、苛立ちや不快さなど含まれておらず、本当に食べることをうながすニュアンスしかなかった。
 ……こんな失礼な態度を取り続けている女に怒りを表さないなんて、熊谷家の跡取りとはよほど出来た人間なのだろう。
 ほんの少し安堵した莉音は、「いただきます」と蚊の鳴くような声で呟き、そろそろと箸を持ち上げる。
 無言のまま料理を口に運ぶが、当然ながら味なんてまったくわからない。
 食事を終えたら帰ってもいいだろうか、と莉音がさらに失礼なことを考えていたそのとき。
「ああ、先に言っておきますが、僕はこの縁談を受けようと思っています」
 ……脳が彼の言葉を拒絶したのか、理解するまでに十秒以上はかかった。
 思わず顔を上げて相手の顔を初めて見る。その瞬間、己の時間が止まったかのような衝撃を受けた。
 左右均等の端整な顔立ちを持つ、文句なしの美男子が自分を真正面から見つめているのだ。
 眉目秀麗との言葉がこれほど似合う男性は、テレビの中でもお目にかかったことは少ない。完璧に整った容姿は、美の結晶と言いきっても間違いないほど美しかった。
 初めて目にする洗練された美貌に視線が吸い寄せられる。
 しかし切れ長の目は上品ではあるが意思の強さを感じさせ、全体的にきつめの印象に仕上がっていた。目力が強すぎるせいか甘さが感じられなく、彫刻のような無表情は冷淡さを抱かせる。人の温度まで感じさせない。
 怖い、と瞬時に思った。
 しかしその感覚は恐怖ではなく畏怖だと本能が悟る。神が丹念に創った造形美に対する畏怖が、体の芯を貫くようで。
 それなのに相手の内面から放たれる波長に魅了されたのか、熊谷秀悟を取り巻くすべてに不可解なほど惹きつけられる。
 自分が知る“大人の男性”とは印象があまりにも違いすぎた。
 ……なぜ妹が、秀悟との見合いに選ばれないのかと、あそこまで怒った理由をようやく理解する。熊谷夫人と呼ばれる未来に憧れたのもあるだろうが、この美しすぎる御曹司に一目惚れしたのだろう。
 自分もなんだか顔が熱い。初めて経験する感情に心臓の鼓動が速くなった気がする。
 再び顔がうつむきそうになったけれど、その寸前で思いとどまった。
 下を向いている場合じゃない。この超イケメン御曹司が、なぜか自分と結婚すると言い出したのだ。
 彼は脳の病気だろうか。
 ──違う、そうじゃなくって理由を聞いてお断りしないと。でも初対面の男性とうまく話せる自信なんてない……
 どうしようと内心で焦っていたとき、脳裏にパッと閃くものがあった。そのアイディアにすぐさま飛びついた莉音は、急いで和装バッグからスマートフォンを取り出してメモ帳アプリを起動する。
 高速で文字を入力すると画面を相手に見せつけた。そこには。
『理由を聞かせてください。会ったばかりの相手と結婚だなんて意味がわかりません』
 と、記入してある。
 文字の羅列を見た超美形は、ほんの少し目を見開いている。その人間臭い反応に莉音の緊張も多少はやわらいだ。
「えっと、口がきけないってわけじゃないよな……?」
 形のいい唇から吐き出された言葉は、若干の戸惑いが含まれているうえ敬語が抜けていた。どうやら彼の素が出たらしい。
 そのせいか冷たい雰囲気も少しだけ溶けたように感じる。
 莉音はそれに勇気づけられ、力強く二度頷いた。
 今は本当に便利な世の中で、引きこもりでもインターネットさえあれば世界中の人々とつながることが可能だ。自分にリアルの友人はいないが、ネットの中でなら親しく話す人はいるのだ。
 そのため文字を使っての会話の方がしっくりくる。素早く返事を画面に打ち込んだ。
『家族以外の方とうまく話すことができないだけです。熊谷様は普通に声でお話しください』
「……わかった。けど、僕のことは熊谷さんでいいから……」
 なんとなく秀悟から脱力した様子が窺える。が、気にせず高速でフリック入力を続けた。
『では単刀直入にお尋ねします。私は十年間も引きこもっている根暗女で、こうして他人と話すことさえ苦手とする、ろくでもない人間です。熊谷家の跡取りの嫁にふさわしいとは思えません。どうか今一度、考え直してください』
 との文章を十数秒で打ち込み、画面を彼へ向ける。両手の親指を駆使するその早業に、秀悟は呆気に取られていた。
 それは実に人間味を感じられる反応だった。まるで冷たい美貌に熱がさして、彫刻から人間へ羽化したようで。
 しばらくして秀悟は小さく咳払いをすると口を開いた。
「……君の経歴は釣書に正直に書かれていたからわかっている。引きこもりの件も込みで君を選んだんだ」
 再び莉音が高速フリック入力をする。『その理由とは?』と二秒で聞き返すと彼は目を瞬いている。
 この座敷で初めて顔を合わせてからというもの、莉音はずっとうつむいたまま無言を貫いていた。そんな無礼な女が、打って変わったように素早く反応する様に、相手はついていけない様子である。
 秀悟は湯呑みに手を伸ばすとお茶で喉を潤してから、莉音を真っすぐに見つめた。

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