新しくカートに入れた電子書籍 すべて見る
カートを見る 合計金額(税込)0円
新しくカートに入れた電子書籍 すべて見る
カートを見る 合計金額(税込)0円

年下のオトコ あなたのすべては俺のもの

本を購入

本価格:737(税込)

カートに追加しました
電子書籍を購入

電子書籍価格:737円(税込)

獲得ポイント:7pt
電子書籍を閲覧するにはビューアアプリ「book-in-the-box」(SHARP)をインストールしてください。
書籍紹介

俺の愛でがんじがらめにしたい

処女を捨てるため、美青年の和希と一夜を過ごした早紀子。数年後、新人としてやって来た彼に、関係を暴露すると脅され――。「俺を遠ざけようとしても無駄だよ」舌同士を摺り合わせる淫猥なキスは、忘れていた悦楽を揺り起こす。剛直を鋭く突き上げられれば、呼吸すら快感になる。「ずっとこうしたかった」彼の本気を感じる囁きはどこまでも甘く。年下男子の危険な執着。

ジャンル:
現代
キャラ属性:
部下・後輩
シチュエーション:
年の差 | オフィス・職場 | SM・監禁・調教 | 野外
登場人物紹介

水原和希(みずはらかずき)

企画部に入ってきた新人。華やかで周囲の女性が色めき立つような容姿の持ち主。明るく聡明で優秀。過去に一度関係を持った早紀子を覚えていない……?

木下早紀子(きのしたさきこ)

仕事が生き甲斐の企画部マネージャー。勝ち気な性格。数年前、処女を捨てるべく偶然出会った和希と一夜を共に過ごした。しかし、企画部に和希がやって来て……!?

立ち読み

 社内に貼り出された人事異動の発表を前にして、木下早紀子は人知れず背筋を震わせた。
 ──やった……っ、最年少のチームリーダー昇進だ……!
 この会社に入社して僅か四年。まだまだベテランと呼ばれるには程遠い。それでも、プライベートを犠牲にしてがむしゃらに働いた甲斐があった。
 それこそまともに家へ帰らず、寝る間を惜しんで大好きな仕事に邁進してきたのだ。
 おかげで友人や恋、遊びに趣味の時間、お洒落などは全て後回しにした。
 だがそんな苦労が報われたのだと、早紀子は歓喜に震える。
 ──頑張ってきて、本当に良かった……!
 男性が多数を占める職場において、『女性活躍』をいくら政府が推進しても、現実はままならない。どうしたって、様々な障壁が立ち塞がる。
 まして『若い女』はそれだけで下に見られがちだ。
 相手に悪意はなくても──結婚せずバリバリ働きたい早紀子のような女性は、様々な場面で『生きにくさ』を感じずにはいられなかった。
 比較的福利厚生がしっかりしているこの会社でも同じ。ハイセンスな家具やインテリアを扱い主な顧客が女性であっても、経営陣や幹部は男性のみだ。
 ──だけど、私の努力が会社に認められたんだ……! もうそれだけで過去の辛かったことが全部チャラになる……!
 普段、あまり感情の変化を外に出さない早紀子だが、涙腺が緩みそうになった。おそらく頬は紅潮しているだろう。
 人前で涙を流したりしたくない。職場ではいつでも毅然としていたかった。
 早紀子はぐっと気を引き締め、何でもない風を装って踵を返す。
 向かった先は、心置きなく一人になれる場所。トイレの個室で存分に喜びを噛み締めようと思ったのだが──
「──ねぇ、人事異動の掲示見たぁ?」
 通りかかった給湯室から聞こえてきた言葉に、早紀子は足を止めた。
「見た見た。木下さん、ついにチームリーダーだって。すごいよねぇ」
 どうやら話題にされているのは、自分のことらしい。
 噂話なんて気にしない──そう割り切ってしまいたいところだが、悲しいかな人間の性。つい聞き耳を立ててしまった。
「まぁ、あの人仕事『だけ』はできるもんな」
 てっきり女性社員のみが集まっているのかと思ったけれど、不意に男性の声が聞こえてきて、早紀子は肩を強張らせた。
 しかも今の声には、聞き覚えがある。同期入社の厚木だ。
 本来なら同じ年に社会人になり、共に切磋琢磨して、仲間意識が芽生える相手。しかし厚木に限って言えば、早紀子の胸に嫌なモヤつきを起こさせた。
 ──何よ、また私の悪口でも言っているの?
 正直、社内での評価は早紀子の方が厚木よりもずっと高い。
 上司の信頼も厚く、同じ年、更に幾つか上の先輩たちを含めても、早紀子は一つ飛び抜けているだろう。
 つまり厚木よりも自分は会社に貢献している自負がある。しかし彼はそう思っていないのが歴然だった。
 事あるごとに早紀子を敵対視し、扱き下ろそうとしてくる。『女のくせに生意気だ』と面と向かって言われたことすらあった。その際は『セクハラで訴えられたいの?』と冷たく言い返してやったのに、まだ懲りないらしい。
 大方、同期の誰よりも先に出世した早紀子のことが面白くないのだろう。だったらこんなところで愚痴を言っていないで、仕事で成果を出せばいいのに。
 己を高めようともせず、他者の足を引っ張ろうとする人間は苦手だ。できるなら極力関わり合いたくはない。
 無用な争いを避けるため早紀子は厚木と顔を合わせる機会を減らそうとしているのだが、とは言え向こうが突っかかってくるから厄介である。
 ──これ以上立ち聞きしていても、不愉快になるだけだな……行こう。せっかくのいい気分が台無しになっちゃう。
 言わば負け犬の遠吠えに耳を傾ける必要はない。
 どうせいつも通り、『女を捨てている』『男に相手にされないから』なんて喚き散らすに決まっていた。
 聞く価値はないと判断し、早紀子はその場から離れようと一歩踏み出す。けれど。
「いくら仕事ぶりは認められても、俺はああはなりたくないわ~だってさ、何の楽しみもないじゃん」
「え~、言い過ぎですよ、厚木さん」
 女子社員の言葉は厚木を窘めながらも、嘲りが滲んでいた。
 早紀子だって自分が社内でどう言われているのか、まるで知らないわけではない。
 やっかみ交じりに揶揄されているのは、これまで何度も耳に入っていた。しかしどれもこれも根底にあるのが嫉妬だと理解もしていたので、無視してきたのだ。
「俺としては、同情しちゃうよね。あの人、ちょっと可哀想じゃない?」
「だけど史上最年少のチームリーダー昇進ですよ。すごいじゃないですか」
 ──私が可哀想? 一所懸命働いて、成果を出して、いったい何が悪いの?
 これまでの、こちらを貶めるだけの厚木の台詞とは違い憐れみを匂わされ、立ち去りかけていた足がつい止まった。
 己の優先順位が別にあるなら、それを大事にすればいいと思う。家庭でも趣味でも構わない。しかし給料を貰う以上、見合った労働は義務である。
 まして仕事そのものが楽しくて堪らない早紀子のような人間にとっては、懸命な努力を馬鹿にされている気がして、不快感が込み上げた。
 さりとて、給湯室に押し入る勇気もないまま、じっと息を殺す。
「あれだけ私生活を蔑ろにしていれば、出世くらいしないと割に合わないもんなぁ。俺はもっと彼女との時間を大切にしたいし、ああいう女は心底お断りだわ。君らだって、人生を仕事に捧げる気なんて、ないだろう?」
「それはそうですけどぉ……」
 ──何それ。貴方の価値観を私に押しつけないでよ……っ
 こっちだって厚木なんてお断りだ。何故、さも自分だけが選ぶ権利があると思っているのか。
 呆れと怒りが綯い交ぜになり、早紀子の眉間に深い皺が寄った。
 やはりさっさと立ち去ってしまえばよかったと後悔するが、もう遅い。
 人事異動の発表を目にして高揚していた気持ちは、すっかり萎れてしまった。とても残念な心地で、早紀子は深く嘆息する。
 ──厚木さんとは今後も関わらないように気をつけよう。下手に何か言うよりも、それが一番いい。前にセクハラを指摘した後は、陰口が余計陰湿になったもの。
 早紀子は大人しくやられっ放しになるつもりはないものの、無駄なことに労力を割く気もなかった。
 相手にしないのが吉。どうせ彼はこうして陰で悪態を吐く程度のことしかできないのだから。
 ──行こう。
「あの人さぁ、絶対処女だぜ」
 その時耳に飛び込んできた言葉が早紀子を凍りつかせた。
 踏み出すつもりだった足が、一歩も動かなくなる。
 何故なら、下世話で卑猥なその言葉が、不本意にも真実を言い当てていたためだ。
 生まれてこのかた二十六年。
 交際経験すら皆無。デートは勿論、キスさえしたことがない。そういったイベントは、自分の中で不要だと思ってきた。
 全く興味もなかったし、何なら邪魔だとすら考えていたのだ。
 キャリアアップを目指す早紀子には、結婚も出産も足枷でしかない。
 男性は婚姻によって諦めるものが少ないけれど、大抵の場合、女性は選択を迫られる。
 仕事か家庭か。子どもを望むなら、どんなに頑張っても一定の期間業務から離れねばならない。しかも『上を目指す』ならば、どれも社会で地位を築くための大事な時期にぶつかる。特に妊娠するにはタイムリミットがあるのが現実。
 だったら、丸ごと人生設計から排除しようと早紀子は最初から決めていた。
「やだぁ、厚木さん!」
「あんな女、勃つ男いないって。金積まれても絶対無理」
「もう、いやらしい話はやめてくださいよぉ」
 仮にも職場で、何の話をしているのか。到底相応しくない話題だ。聞かれる相手によっては、問題になる可能性もある。
 だが給湯室にいる女性らは、厚木に形ばかり『やめて』と告げつつ、この会話を楽しんでいる風情だった。
「失礼過ぎますって」
「だから惨めだなぁって同情してやってるの。もしかしてあの人、仕事が恋人とか言っちゃうタイプ? 本当は男に相手にされないから、働くしかないのをごまかしたいだけなんじゃない? 人生に深みがない奴って、心底可哀想!」
 給湯室内で、わっと笑いが起こった。
「……っ」
 屈辱感が早紀子を苛む。気配を殺し、その場で息を潜める自分がひどく惨めだと思った。
 しかしそれ以外、いったい何ができただろう?
 もしも彼らの中に突撃しても、いい笑いものになるだけだ。謝らせたところで、何一つ解決しないではないか。
 ──たかが経験のあるなしで、あそこまで馬鹿にされなきゃいけないの……っ?
 個人の資質には何も関係がない。もっと言えば、仕事上ではどうでもいい内容だ。
 けれど無関係だからこそ──いくら社内で早紀子の働きぶりが評価されたとしても、彼らの中で自分はずっと『馬鹿にしてもいい対象』として刻まれている気がした。
 ──あんなの、想像で好き勝手無責任に言っているだけじゃない。真実は誰にも分からない。私が処女だとして、だから何よ……っ? 二十六歳で未経験の女子なんて、珍しくもないじゃない……っ!
 頭の中では強気に反論を並べ立てる。
 だが、心と身体は別ものだった。
 足が震えて、血の気が引いてゆく。憤怒のせいだけではない。
 恥ずかしいと、感じている己がいるからだった。
 理屈ではない感情が、胸の中で渦巻いている。別にこの年で交際経験がないことは、特別奇異なことではないはずだ。
 それこそ中には、結婚まで純潔を保ちたいと考える者もいるだろう。
 けれど早紀子が動揺したのは、きっとこれから先も自分はこのまま『おひとり様』に違いないという確信があったからではないか。
 遊びで誰かと付き合えるほど、器用な性格はしていない。何よりも、時間と労力がもったいない。
 つまり今後も一生、厚木のような人間には見下され続けるのだ。
「……っ」
 嫉妬塗れの陰口を囁かれることは怖くない。
 不愉快であっても、ある意味自分が妬まれるほど頑張っている証だからだ。
 しかし異性との経験不足をあて擦られ、嘲笑の対象にされるのは、我慢ならなかった。
 ──悔しい。
 仕事では早紀子に敵わないから、こんな馬鹿げたことで攻撃しようとしているに過ぎない。そんなことは分かっている。
 いつもの『女を捨てている』という悪罵と大差ない。
 それでも、言ってみれば努力次第で解消できる事柄のせいで、陰で嗤われているのだと思えば、尚更悔しさが募った。
「普通の人生経験もできない奴が、本当に人の上に立てるのかねぇ? やっぱさ、色んな体験をして人間は深みが出るってものじゃん?」
 耳障りな厚木の発言の後、再び上がった笑い声を背にして、早紀子は強引に足を動かした。
 目的地は女子トイレ。
 けれど先刻までとは一人になりたい理由が変わっていた。
 鼻の奥がツンと痛む。潤みそうになる両目は、大きく見開くことで乾かした。
 強く拳を握り締めたせいで、掌に爪が食い込む。だがその痛みは、一向に伝わってこなかった。
 ──これから私がどれだけ仕事で成果を出したとしても、ああして彼らには見下され続けるの?
 むしろ早紀子が上に行くほど、厚木たちは下世話な話で溜飲を下げるのかもしれない。
 ──そんなの、耐えられない。だったら──
 処女なんて、どこかで適当に捨ててしまおう。
 もともと後生大事に取っておいたものでもない。まして今後保管する気もなかったものだ。
 ならば、後腐れない相手とサッと終わらせてしまえば、いっそ清々するではないか。
 早紀子が本当に処女かどうかなんて厚木たちには証明できない。しかし自分だけは真実を知っている。
 今や重荷でしかなくなったものを捨ててしまえば、少なくともこれほど惨めな気持ちにはならないはず。今後悪口を言われるにしても、『はいはい、嫉妬ですね』で済ませられる気がした。
 ──決めた。近日中に経験しよう。
 たったそれだけで心の安寧を得られ、余裕を保てるなら安いもの。
 早紀子は昏く翳った瞳を細め、これからの計画を練り始めた。
 いかに迅速に、かつ身の危険を回避して『いらないもの』を処理するか──それだけを考えて。

 

 

 

 プレゼンを終えて、早紀子は凝った肩を大きく回した。
 手ごたえはバッチリ。この分なら、無事に自分の企画が通るだろう。そうなればこれからますます忙しくなるが──楽しみでしかなかった。
 ──今日も帰るのは終電間際かな。でも狙い通りにチーフマネージャーの興味を惹きつけられてよかった……!
 仕事が上手くいっていると、身体の疲労も気にならない。ここ数日、睡眠は三時間取れればいい方だったが、全身に気力が漲っていた。
 木下早紀子。三十歳。
 二十代の頃と比べれば肉体的な衰えは感じるものの、社会人としては充実していた。逆に三十路を迎えたことで、何やら精神的に楽になった部分もある。
 少し前までは両親や会社、友人らから『結婚』攻撃を受けていたが、三十歳の誕生日を機にガクンと減った。
 雑音が消えて、とても快適だ。
 仕事も順調。まさに順風満帆。先日マネージャーに昇進し、これは女性最年少での快挙だった。
 これまで早紀子の勤める会社は輸入製品が主だったが、近年は自社ブランドが好調で、所属する企画部も大忙し。
 ──毎日楽しい。
 大好きな仕事に心置きなく没頭できて、これ以上の幸せはないかもしれない。
 これからもガンガン頑張るぞと、早紀子は緩んだ纏め髪をバレッタで留め直した。
 服装は、清潔感を重視した白シャツにグレーのタイトスカート。パンプスは履きやすさを最優先に三センチヒールだ。顔立ちがはっきりしている分、化粧は薄めでいいことだけが救い。
 正直、お洒落とは言い難いだろう。それでも過去の自分よりはかなりマシだ。
 辛うじて首元に輝くダイヤのプチネックレスが、早紀子の華やぎかもしれない。
 しかしこれとて、洒落っ気のために着けているのではなかった。
 あくまでも、社会人として最低限の身だしなみ。アクセサリーの類を一つも身に着けていない方が、余計な詮索をされかねないからに過ぎなかった。
 言ってみれば、制服と同じ。
 毎朝あれこれ思い悩むのが面倒だから、何にでも合う無難で嫌味のない一粒タイプのダイヤネックレスを購入しただけだ。
 それすら、もう一年前に買ったきり。あれ以来、ピアスもリングも新調したことはなかった。
 ──でもこの企画が上手くいったら、自分へのご褒美に何か買ってもいいかな?
 早紀子はジュエリーに特別興味はないものの、武装の一つとしては大事なアイテムだと考えている。
 たとえば小さなプラチナのピアスは防御力を上げてくれるし、はたまた誕生石のリングは己のやる気を鼓舞してくれた。
 何より、飾り気のない女でいるよりも、周囲からの受けがいい。職場で女っぽさを出すのはマイナスだと以前の早紀子は考えていたけれど、その思い込みは改められた。
 四年前、『彼』から言われた一言で。
「……っ」
 ふと頭に浮かんだ面影を振り払うため、早紀子は慌てて頭を左右に振った。
 ──違う、違う。別に、あの人に言われたからじゃなく、小綺麗であることは男女関係なく武器になるし、受けがいいと気づいたからでしょう……!
 あくまでも、仕事を円滑にするためで、間違っても『あの夜』の出来事が影響しているわけではない。
 だが一度過去に引き摺られた思いは、簡単には頭の中から消え去ってくれなかった。
 四年前。
 念願の最年少チームリーダーに抜擢され浮かれたのも束の間、同僚の厚木に陰口を叩かれ、早紀子は屈辱感に苛まれた。
 そして普段の自分なら絶対にしない行動に出たのだ。
 いらないものなら速やかに捨てればいい。そんな強迫観念めいた思いに衝き動かされ、今思い出してもあり得ない選択をしてしまった。
 記憶にあるのは、雨に濡れた路上。うす暗い部屋。
 明るい金色に染めていながらも、痛んでいない綺麗な髪。
 見た目の軽薄さを裏切る、落ち着いた優しい声とこちらを見透かすような瞳。
 そして若く滑らかな男の肌──『お姉さん、大丈夫だよ』という囁きが今も耳に残っている。
 そこまで思い出し、早紀子は慌てて追想を遮断した。
 あの夜のことは、自分だけの秘密だ。彼との出来事をなかったことにはできないけれど、もう二度と会わない、すれ違っただけの他人に等しい。
 ならば忘れてしまうのが得策。そうでなければ色々厄介事を招きそうな予感がした。だから可能な限り、この四年間忘却の彼方に追いやって生きてきたのだ。
 ──だけどあの子のおかげで、今がある……
 無事、自分のコンプレックスを手放したからこそ、現在堂々としていられるのは否めない。僅かながらお洒落を心がけるようになったのも、同じ。
 あれからも度々厚木には早紀子の経験値の低さをあて擦られたが──『はいはい、勝手に言ってなさいよ。可哀想な人』と無視できるように変わったのは、紛れもなく処女を脱却したからだ。
 勿論、あの男がその事実を知る由はない。けれど何か伝わるものがあったのだろう。
 それはたぶん、早紀子が醸し出す余裕なのかもしれない。
 言われるほど何も知らないわけではないぞ──という心理的要因が働いたのだと思う。外見の変化もそう。端的に言えば、自信がついたのだ。
 とにかくいつからか、厚木に絡まれることは激減したし、卑猥な噂話が耳に入ることもなくなった。
 所詮、人間は見た目が大事。
 仕事がどれだけ優秀でも、それだけでは駄目なのだと──この四年で早紀子はやっと分かった気がする。
 ──人間的に、少しは成長できたかな。厚木さんのような人に、煩わしいことを言われないくらい経験値が上がっているといいんだけど……
 もっとも、未だに交際というものはしたことがないのだが、それをわざわざあの男に教えてやる必要もあるまい。
 もはや役職の上で大きく差が開いた同僚のことを、早紀子は一瞬で頭から追い出した。
 そんなことよりも、仕事だ。
 自分にとって最優先事項は仕事。それ以外、頭を占めるものは何もない。
 ワーカホリックであるのは百も承知で、早紀子はストックしておいた栄養ドリンクを一気に呷った。
 そうして、『さぁ、また全力で頑張るぞ』と気合を入れ直した時。
「──ちょっと、木下さん。来てくれる?」
 直属の上司であるチーフマネージャーに手招きされ、早紀子は目を瞬いた。
「はい、何でしょう?」
 先ほどのプレゼンの件だろうか。
 それとも新しい業務か。忙しくなるほど心躍ってしまう早紀子は、笑顔で彼のもとへ向かった。
「実はさ、新しく配属されてくる新人の教育を、君のところで頼みたいんだけど」
「私に……ですか?」
 マネージャーに昇格する以前から、部下の指導を直接任せられることは少なくなった。故に、少々意外で面食らう。
 現在抱えている案件も多い。早紀子が難色を示そうと口を開きかけると。
「ああ。実は掛井さんに頼もうと思っていたんだが、彼は家庭の事情でしばらく手一杯だろう? だから急で申し訳ないが、木下さんにお願いしたい」
「ああ、なるほど……」
 掛井は若手の中でも優秀な男で新人指導にも定評がある。が、昨晩妊娠中の妻が緊急搬送されたらしい。幸い母子共に命に別状はないそうだが、大事を取って出産まで入院が決まったと連絡が入っていた。
 しかも彼の家には他にもまだ二歳の子どもがいる。急遽我が子の面倒を見なくてはならなくなった掛井は、育児休暇を視野に入れつつ時短申請をしていた。
「とても新人の面倒まで見ていられないし、仕事の調整も必要になってくる。そこで他に適任者と考えると、木下さんしか思い浮かばなかったんだ」
 言わずもがな、早紀子だって今の仕事で手一杯である。忙しいことは大歓迎だし、新しい企画を考えて多忙になるのは願ったり叶ったりでも、新人の世話をするのは早紀子の望みとは少々違った。
 しかし会社命令となれば逆らえない。
「承知いたしました。いつからでしょうか?」
「引き受けてくれるか、助かるよ。君の下で経験を積めば、即戦力も期待できる。ありがとう。そろそろオリエンテーションも終わって来るはずだけど──あ、こっちに来てくれ、水原さん」
 さりげなく早紀子を褒め、やる気を出させる上司のそつのなさに苦笑しつつ、早紀子は彼が手招きした方向へ視線を巡らせた。
 真っすぐこちらへ向かい歩いてくるのは、まだ二十代前半から半ばと思しき青年。
 綺麗にセットされた焦げ茶の髪や、職場にはやや派手に思えるネクタイの色柄が今時の若者といった風情だ。正直なところ、三十路に突入した早紀子は内心『げ』と思った。
 自分とは相いれない人種だと本能的に感じ、込み上げた苦手意識を必死で打ち消す。
 おそらく、学生時代もさぞやキラキラした青春時代を送ってきたのではないか。
 ──いやいや、これは仕事。第一印象がイマイチでも、実際そりが合わない人間でも関係ない。大切なのは使えるか使えないかだけでしょう。
 強引に口角を吊り上げた早紀子は、作り笑いで新人を出迎えた。
 遠目からでも感じたが、近づくごとに彼の整った容貌が鮮明になる。光が溢れるような華やかさがある男性だ。
 少し垂れた目尻の印象的な瞳。すっと通った鼻筋の下には、優美な弧を描く唇がある。それはやや薄く、男性にしては赤みが濃かった。
 高い身長に見合う長い手足と均整の取れた体型は、何かスポーツをしているのかもしれない。
 ただ細いのではなく、引き締まり伸びやかだ。
 肌のきめは細やかで、至近距離で対峙すれば感嘆せずにはいられない、端正な顔立ちの青年であることが分かった。
 フロアにいた他の社員たちも、興味津々でこちらを窺っている。中には、早くも頬を染め、目を煌めかせて言葉をなくしている女子社員もいた。
 早紀子も、絶句したまま固まっている。
 しかしそれは、彼の容姿の麗しさに見惚れていたからでは決してない。
 本日初対面であるはずの青年に、見覚えがあったからだ。
 ──う、そ……
 もう二度と会うことはないと思っていた人。
 永遠に記憶の底に封じてしまいたい過去。
 あの頃よりも髪色は暗くなっていたし、身体つきも顔立ちもより精悍さを増していた。軽薄そうな雰囲気はかなり薄まり、大人としての落ち着きを纏っている。
 けれど間違いない。
 四年前、早紀子の人生の転機に協力してくれた見知らぬ青年。
 それが今、自分の目の前に立っていた。
 雨音の幻聴を捉えた気がするのは、勘違いだと分かっている。それでも、忘れようと足掻いていた四年前の出来事が、鮮明に揺り起こされた。
 ──まさか……っ、え、本人のわけがない。そんな偶然、いくら何でもあり得ないでしょう……っ!
 大勢の人間が行き交う都会で、行きずりの男女が数年後に職場で再会する確率はどれだけだろう。きっと相当低いに違いない。
 しかしまさに現在、そんな奇跡にも等しい事態が起こっているのだ。
 確かに、何年も前にたった一晩共に過ごしただけの相手の顔を完璧に覚えているかと問われれば自信はない。早紀子ができるだけ思い出さないよう心がけていたこともあり、かなり記憶が曖昧になっている部分はある。
 しかし柔らかな目元の印象は鮮烈で、じっと注がれる眼差しの強さとのギャップが早紀子の内側で消えない痣になっていた。
 それ以外にも、最も頭に刻み込まれているあの声が──

おすすめの関連本・電子書籍
電子書籍の閲覧方法をお選びいただけます
ブラウザビューアで読む

ブラウザ上ですぐに電子書籍をお読みいただけます。ビューアアプリのインストールは必要ありません。

  • 【通信環境】オンライン
  • 【アプリ】必要なし

※ページ遷移するごとに通信が発生します。ご利用の端末のご契約内容をご確認ください。 通信状況がよくない環境では、閲覧が困難な場合があります。予めご了承ください。

ビューアアプリ「book-in-the-box」で読む

アプリに電子書籍をダウンロードすれば、いつでもどこでもお読みいただけます。

  • 【通信環境】オフライン OK
  • 【アプリ】必要

※ビューアアプリ「book-in-the-box」はMacOS非対応です。 MacOSをお使いの方は、アプリでの閲覧はできません。 ※閲覧については推奨環境をご確認ください。

「book-in-the-box」ダウンロードサイト
一覧 電子書籍ランキング 一覧

ジャンル・シチュエーション検索

 

ジャンル

キャラ属性

シチュエーション