新しくカートに入れた電子書籍 すべて見る
カートを見る 合計金額(税込)0円
新しくカートに入れた電子書籍 すべて見る
カートを見る 合計金額(税込)0円

ヤンデレ策士な御曹司に知らないうちに婚姻届を出されていました

本を購入

本価格:715(税込)

カートに追加しました
電子書籍を購入

電子書籍価格:715円(税込)

獲得ポイント:7pt
電子書籍を閲覧するにはビューアアプリ「book-in-the-box」(SHARP)をインストールしてください。
書籍紹介

俺、チャンスは逃さないタイプなんだよね

婚約破棄され、酔った勢いで同期の海斗と身体を重ねた明日葉。翌朝目覚めると、なんと籍を入れられていた!? 急展開に慌てるも、うわ手な彼に丸め込まれ……。「俺たちはもう夫婦なんだから」甘く痺れるキスで、下腹部に疼きが奔る。淫猥な愛撫に、抗う気持ちは消え失せて。大事にされ心地よく過ごすうち、どんどん彼に惹かれてゆく――。策士な男に愛される極上新婚生活!

ジャンル:
現代
キャラ属性:
社長・セレブ
シチュエーション:
オフィス・職場 | 新婚 | 玉の輿・身分差 | 甘々・溺愛
登場人物紹介

加藤海斗(かとうかいと)

営業部のエースで、明日葉の同期。爽やかなスポーツマンタイプで気配り上手。さらに容姿端麗なため、尋常ではないほどモテている。明日葉と居酒屋で居合わせて……?

篠塚明日葉(しのづかあすは)

経理部所属。高身長で無表情なため、クールに見られがち。婚約者と籍を入れる日に、突然他の女に乗り換えられフラれた。いたたまれずヤケ酒を飲んでいると……。

立ち読み

「捨てるにしても、言い方やタイミングがあると思わないっ?」
 明日葉はほとんど空になったジョッキを叩きつける勢いでテーブルに置いた。
 この店のグレープフルーツサワーは、果実生搾りでアルコールがほどよく濃く美味しい。明日葉の好きな飲み物ベストスリーに確実に入る。
 だがしかし、今は味わう気には到底なれなかった。
 実際、先ほどまでジョッキになみなみと注がれていた液体は一気飲みにより、既に腹の中だ。それはもう、流し込んだだけという表現が正しい。
「よりにもよって、今日! いくらでも事前に言う機会はあったはずじゃない? しかも別れ話の場に浮気相手を連れてくるってどういうことっ?」
 味など微塵も感じないけれど、アルコールは確実に明日葉の頭に回っていたらしい。
 自分でも呂律が怪しくなり始めたことは自覚していた。
 それはそうだろう。何せこのグレープフルーツサワーでもう九杯目だ。普段の許容量はとっくの昔に越えている。
 けれど己がぐでんぐでんに酔って醜態を晒していることも、眼前のやや困り顔の男に絡み酒をかましていることも、明日葉にとってはどうでもいい。
 自棄酒と呼ばれる行為を、この夜生まれて初めて明日葉は体験した。
「──飲むなとは言わないが、少しは食べた方がいい」
「お腹空いてない」
 男の冷静な忠告にムッとして、明日葉は舌っ足らずに拗ねてみせた。
 いつもなら、こんな子どもじみたところは見せない。何故なら、テーブルを挟んで前に座る彼は、家族でも友人でもない。まして恋人でもないのだ。
 かと言って赤の他人とも言えない、微妙な関係。いわゆる、『同僚』。同期入社の仲間だった。
 けれど大きな企業では部署が違えば接点はほとんどない。
 経理部の明日葉と営業部の彼とでは、会えば挨拶する──程度の繋がりしかなかった。のだが。
 ──改めて近くで見ても、噂に違わぬイケメンだわ……
 視界の中には、短髪の黒髪に、涼しげな目元の青年。
 適度に焼けた肌と細身でもがっしりとした身体つきは、彼がスポーツマンであることを窺わせる。
 通った鼻筋に薄い唇は清潔感があり、同時に男性的な色香も漂わせていた。
 社内の女子が『素敵』だと騒ぐのも頷ける。これまで明日葉自身は彼に特別興味を抱いていなかったが、並外れて魅力的な男性であることは紛れもない事実だった。
 しかし、今夜の自分には、それすら心底どうでもいい。
「篠塚さんがこんな風に酔っ払うなんて、意外だな」
「これが飲まずにいられると思う?」
 職場での明日葉は、『入社六年目の頼れる中堅どころ』だ。
 それなりに仕事を任せてもらえるし、後輩の指導にもあたっている。上司の覚えはまずまずだと自負しているし、そこそこできる女だと思う。
 陰で皮肉と称賛交じりに『氷の女王』とあだ名をつけられているのも知っていた。
 特に経費で落とせるかどうか揉めがちな、営業部からそう呼ばれている。
 それは情を差し挟まず、きっちり正確な仕事を心がけている明日葉を揶揄するものであると同時に、いついかなる時も冷静に対処する様を表現するものだ。
 基本職場では無表情の明日葉なので、言い得て妙である。
 ──でも仕事中、必要以上の愛想はいらないと思うの。だって雑談する時間があるなら、その分少しでも早く数字を出した方がお互いのためにいいでしょう?
 業務自体嫌いではないし、人間関係だって悪くない。経理は地味な仕事と思われがちだが、慣れれば楽しい。
 期日や目標がはっきりしている分、分かりやすい点が明日葉には合っていた。
 故に、できれば長く今の職場で働きたいと願っている。
 しかしそれは結婚願望がまるでない独身主義者と同義ではないのだ。
「ねぇ、あんまりじゃない? 何も入籍する予定だった私の誕生日に、浮気相手同席で婚約破棄するなんて、私前世でものすごい罪を犯したっ? 業が溜まっているのかな。どう思う? 加藤さん!」
 一息に捲し立て、泣くまいと思っても目の奥が熱く潤んだ。
 本当なら今頃──と思うと惨めで辛く悲しい。
「……今日、婚姻届を提出する予定だったのか?」
「そうだよ! 私の誕生日にね。後は彼が記入するだけの状態で鞄の中に今まさに書類が入っているの。なのに心変わりは仕方ないにしても、もうちょっと誠意を示してくれてもいいと思わない?」
 海斗は硬い声で「へぇ」と呟いたきり、むっつりと黙り込んだ。
 軽く視線を逸らした彼は、猪口に注がれた酒をまるで義務のように流し込む。とても美味しいと感じているようには見えなかった。
 だがそんなことよりも、何か言ってほしい。
 慰めでも励ましでもいい。こんな時、口先だけでも優しくするのが人としてあるべき姿じゃないのか。
 期待した反応が返ってこず、明日葉はテーブル越しに身を乗り出した。
「おかしくない? ねぇ、どう考えても変でしょう? 天中殺や大殺界なのかな? それとも呪われている?」
「篠塚さん、占いとか信じる方?」
「いや、全く。でもそうでも思わなきゃ、やってられないじゃない……!」
 ついに堪えられなくなった涙がぶわっと込み上げる。周囲からはチラチラとこちらを盗み見る視線を感じた。当然、彼も察しているだろうし、居心地が悪いに違いない。
 何せ自分たちの関係はただの同期入社の同僚。
 親しくもないし、懇親会以外で一緒に食事をしたこともない。そんな程度の付き合いの女に人前で泣かれるなんて、海斗にしてみれば災難としか言いようがないだろう。
 自分としても、知り合い程度の相手に美味しいけれど大衆的な居酒屋でくだを巻いている理由は完全に迷子だった。
 客観的に言って、最悪である。
 偶然この店に居合わせてしまった彼──加藤海斗には同情を禁じ得ない。けれどこれも運命だと諦めていただこう。
 五年も付き合い、結婚を決めた彼に簡単に捨てられた傷心真っただ中の明日葉に、他人の迷惑を考える余裕はなかった。
「私、今日で二十八歳だよ? いわゆる適齢期なの、分かる? 私の五年間を返してって話じゃない? そりゃこのところ忙しくて、会う時間もろくに取れなかったけど……それは後輩のミスをカバーしていたせいもあるし……そもそも彼女の相談にのっているうちに好きになったって、何それ? 典型的な相談女じゃない! しかもその相談内容に私の悪口が含まれていただとか、もう冗談としか思えなくない?」
 ノンブレスで吐き出したせいで、息が乱れる。
 明日葉は渇いた喉を潤すために、ジョッキに残っていたグレープフルーツサワーを勇ましく飲み干した。
「すみません、ハイボール追加で!」
「そろそろ終わりにした方がよくないか?」
「何よ、加藤さんも私を捨てるの?」
 付き合ってもいない相手に誤解を招く発言をし、自分はもはや冷静な判断力をかなぐり捨てている。
 彼も何と答えればいいのか分からないらしく、曖昧に口角を上げた。
 とは言え、面倒臭がられようが何だろうがどうでもいい。そんな些末なことよりも、一人ではいたくなかった。
 今、独りぼっちにされるなんて流石に無理だ。
 運悪く捕まった彼に心底ウザがられても、今夜は哀れな獲物を逃すつもりはない。
 そんな明日葉の決意を感じ取ったのか、海斗は戸惑ったように、手にしていた猪口へ徳利から酒を注いだ。そういったさりげない仕草も様になるから、美形は厄介である。
 目を閉じると視界がグルグル回るので、明日葉はカッと双眸を見開いた。
 彼は、先ほどから店内の女性陣の熱視線を集めている。
 太過ぎない眉に綺麗な肌、筋張った手に魅力を感じる者も多いだろう。何を隠そう明日葉もそうだ。その上耳の形まで整っているとはどういうことか問い詰めたい。
 とても同じ年の男性とは思えない。
 明日葉はあまりに端麗な海斗の容姿に嫉妬すら覚え、運ばれてきたハイボールをぐいぐいと呷った。
 ──秘かに『王子』と呼ばれるだけあるわ……並みの女より、ずっと綺麗。
 こうして二人で飲むのは初めてだが、至近距離で見ても欠点が見当たらない男だと思う。
 手足は長いし、引き締まった体躯は見事にスーツを着こなしている。少し緩めたネクタイすらも妙にセクシーで、目のやり場に困るほど。
 袖口のボタンを外し、軽く腕まくりしているため、腕の逞しさや薄く覗く血管がこれまた目を惹かれずにいられなかった。
 ──ああ、いい腕。せめて目の保養をしよう……そうよ、世の中には大輝よりもずっと素敵な男性は沢山いる。そういうハイスペックな人が私を選ぶとは思わないけど、世界に雄は溢れているもの……! 加藤さんくらいのイケメンなら、見学料を取られても惜しくないわ。今夜は目から英気を養わせてもらおう……!
 横目で彼を視姦しつつ、明日葉はもう一口アルコールを飲み下した。
 本当なら今頃は、婚約者と一緒に婚姻届を提出し、予約したホテルでささやかなお祝いをするはずだったのに……シャンパン片手に夜景を眺めていたはずが、現実では騒がしい大衆居酒屋でハイボール片手に絡み酒。
 解せぬ。人生は心の底からままならない。
 明日葉は頭を抱え、ショートボブの髪をぐちゃぐちゃに乱した。
 事の起こりは三時間前。
 以前から決めていた通り、明日葉はウキウキとした足取りで待ち合わせ場所に向かった。
 金曜日の今日、仕事は定時に切り上げて婚約者と婚姻届を出しに行く約束を交わしていたからだ。
 どうせなら明日葉の誕生日に入籍しようと提案してくれたのは、彼の方。その気遣いや優しさに惚れ直したといっても過言ではない。
 交際期間、それなりに喧嘩もしたし意見のすれ違いもあったけれど、この人のプロポーズに頷いたことは間違いではなかった──と感激すらしていたのに。
 待ち合わせ場所のカフェに到着してみれば、そこに待っていたのは彼──大輝だけではなかった。
 隣にちょこんと座っていた女性に見覚えがあり、明日葉が化かされた気分になったのも仕方あるまい。
 何故なら彼女は、つい先ほどまで同じ部署で働いていた四つ歳下の後輩だったためだ。
 彼女は退勤の時間になると同時に、フロアから出て行ったはず。机の上を片してもいないと、誰かが文句を言っていた。
 丸顔に茶色のふわふわとしたロングヘア。垂れた大きな目が愛らしい。唇は濡れたように輝き、上目遣いがよく似合う。小柄でいて、大きな胸。同性からみても、『モテるだろうなぁ』と思う。
 けれどそんな彼女がどうしてこの場にいるのかは、全く不可解だった。
『え……と、結城さん。何か仕事で分からないことがあった……?』
 だとしても、週明けに聞くか部署で作ったSNSのグループで連絡してくれればよかったのにと思いつつ、明日葉はひとまず大輝の向かいに腰かけた。
 彼も同じ会社の人事部に所属しているので、後輩と面識があってもおかしくない。人事と経理は同じフロアにある。だが、座る並びがおかしいな、とは混乱する頭でも感じ取っていた。
 正直に言えば、急ぎの用件でないなら後日にしてほしい。
 何せ今から婚姻届を完成させ、役所に向かうつもりなのだ。二十四時間受け付けてくれると知ってはいても、早く済ませたいのが明日葉の本音だった。
 鞄の中には、自分の分は記入済みの用紙が入っている。後は大輝に残りの欄を埋めてもらうだけ。
 どこか浮足立った気持ちで、明日葉は後輩である結城に笑顔を向けた。けれど。
『──明日葉、別れてほしい』
 返事をしたのは、彼女の隣に座る彼。
 真剣な面持ちで大輝が吐き出した言葉を受け、結城が大きな瞳を潤ませた。
『……え?』
 咄嗟に意味が分からず、明日葉は瞬いた。幻聴だろうか。あり得ない台詞を耳にした気がする。
 いや、そういう意味では幻覚も見えているに違いない。
 でなければ、眼前に座る婚約者と後輩が手を握り合っているわけがないのだから。
『あの……よく聞こえなかったんだけど……え?』
『俺と別れてほしいって言っているんだ。お前とは結婚できない。俺は真実の愛を見つけてしまった』
『し、真実の愛?』
 大袈裟な言い回しに噴き出さなかったことを褒めてもらいたい。
 ドラマや小説の中ではなく、リアルの世界でこんな台詞を吐く人間がいるとはビックリだ。その驚きもあり、明日葉は思考停止したのかもしれない。
 本当は呆然自失して真顔になっていたのだが、大輝は別の解釈をしたようだ。つまり、明日葉が至極冷静に、何のショックも受けていないと判断したらしい。
『こんな時でも平然としているお前は、一人で平気だろう? でも彼女は俺が支えてやらないと駄目なんだ。それに誰よりも俺を必要としてくれている……!』
 だとしたら、明日葉が泣き叫べば満足だったのかと問い詰めたい。
 頭が真っ白になりつつも、疑問が湧く。しかしそれを口にする前に、愛らしく涙を溢れさせた後輩女子が彼の腕に縋り付いた。
『大輝さん……! ごめんなさい、先輩。全部私が悪いんです。でも私、諦めきれなくて……お願い、彼を責めないで……!』
『いや、美優。悪いのは俺だ。責任は全て俺が取る。あらゆるものから君を守るよ。──さぁ、明日葉。俺をいくらでも罵ってくれ!』
 明日葉に語っているようで、完全に二人の世界が繰り広げられていた。
 浸りきった彼らは、さながら互いを庇い合っているかのようである。悪役である──明日葉から。
 これではまるで、自分が愛し合う恋人たちを引き裂こうとしているみたいだ。
 安い寸劇を見せられた心地になり、明日葉は数度瞬く。手を握り合った男女は互いを見つめ合い、悲劇の主人公を気取っていた。
 実際、彼らの中では苦しい恋に身を焦がしているのだろう。今この場でお邪魔虫なのは、完全に明日葉の方だ。
 ──ああ……そういう、こと……
 無駄に高い理解力が、現状を見事に把握してしまった。
 幻覚幻聴ならどんなによかったか。
 しかしこれは現実だ。端的に言えば、婚約者は後輩に心変わりをした──それだけのこと。そして同時に、鞄の中の婚姻届はゴミに成り果てたということだった。
『俺たちの婚約は、白紙にしてくれ!』
『ごめんなさい、先輩。でも大輝さんがいないと、私は生きていかれないんです……!』
 ──私だって、彼がいなければ生きていかれないよ……
 そう言えれば、この胸のつかえが多少は楽になったかもしれない。
 けれど言えない。
 カフェにいた客たちも店員の視線も自分たちに集中している。あからさまに見ていなくても、聞き耳を立てているのは明白だった。
 こんなところで醜態を晒したら、一番恥をかくのは自分。
 しかもそうしたところで、大輝の心が戻ってくることはないと、確信してしまった。
 だとしたら、これ以上明日葉に言えることなどあるだろうか。
『……そう。──じゃあ私の部屋にある貴方の荷物は処分していい?』
 泣くな。
 己に言い聞かせ、あえて平板な声を出す。
 同棲はしていなかったけれど、家事能力が壊滅的に乏しい大輝の部屋は何度明日葉が片付けても荒れ放題で、安らげないという理由から最近の彼は明日葉の部屋に半分住んでいる状態だった。当然服や日用品などが沢山持ち込まれている。
 それらはもう全部、用なしになってしまった。
 正式に結婚したら、もっと広い部屋に引っ越そうと相談していたことも──
『ちょ、ちょっと待ってくれよ』
 半眼にならざるを得なかった明日葉の視界の中、大輝が慌てた様子で首を横に振った。
『お前の部屋に置いてある服、いったいいくらしたと思っているんだよ? 漫画も集めているやつだしさ。纏めて俺の部屋に送ってくれよ』
『……はい?』
 百歩譲って、取りに来ると言うなら分かる。
 彼にとって大事なものをわざと全て捨ててやろうとは、いくら明日葉でも思っていない。
 だが送ってくれとはどういう料簡だ。
 ──え? 私が自分を振った男のために労力と時間、それにお金をかけて荷物を送り返してあげるの? 何で?
 手酷い裏切りをされて何故そこまでしてやる必要がある。
 文句が明日葉の喉元まで出かかった。けれど当たり前のように明日葉がそうしてくれると信じきっている男の間抜け面を見ていたら、悲しみや怒りよりも虚しさが勝ってくる。
 つい十分前まではふわふわとした幸福感の中にいたのに、もはやあの感覚は思い出せなかった。
 ──もういいや……何もかも馬鹿馬鹿しい……
 冷めた。適切な言葉はその一言。
 身勝手で自分本位な大輝の発言に呆れ果てたのか、それとも心が麻痺したのか。
 どちらにしてもひどく投げやりな気持ちで、明日葉は深々と嘆息した。
『──分かった。近日中に全部送る』
『あ、受け取り日時は休日午後にしてくれよな』
 駄目押しの厚かましさに、この男のどこが好きだったのかも分からなくなってくる。思い返してみれば、彼はこういう性格だった。
 ──でも、ちょっと子どもっぽいところが可愛いと思っていたんだけどな……
 我が儘を言われることも嫌いではなかった。
 恋人である自分にだけ甘えてくれるなら。けれど誰かれ構わず甘ったれているなら、話は違う。
 それとも新たな若く可愛い恋人に夢中で、他者への配慮がすっぽ抜けているのか。
『あ、そうだ。今夜予約していたホテルはお前が泊まっていいぞ。俺からの慰謝料だと思って受け取ってくれ』
 ──はい? この人、いったい何を言っているんだろう……
 明日葉は本気で唖然とした。
 結婚の祝杯をあげるつもりで押さえたちょっといい部屋に、明日葉一人で宿泊しろと言うのか。しかもそれで婚約破棄に関する慰謝料をチャラにする心づもりとは。
 立て続けに加えられた言葉の暴力で、明日葉の自尊心が根幹から揺らぐ。衝撃のあまり表情が強張ったほどだ。傍から見れば、引き続き真顔でしかなかっただろうが。
 あまりにも馬鹿にしている。
 いくら別の女性に心変わりしたとしても、最低限の誠意は見せるべきだと思う。これでも一応、結婚を約束した相手なのだ。
 にも拘らずこの扱い。使い古した道具を処分する程度の痛痒も感じていないとしか思えなかった。いらなくなったから捨てた、ただそれだけ。
 ──最悪の誕生日……
 せめて別れを切り出すのがもっと早い段階だったなら。この場に彼が一人で来てくれたなら。
 考えても詮無いことで明日葉の頭は埋め尽くされた。どれもこれも、『今更』でしかない。既に答えは出ているのに。
 ──あー……お酒飲みたい……
 素面では無理。現実逃避だとしても、明日葉の心身はアルコールを猛烈に求めた。
 今日が金曜日でよかったと思う。
 少なくとも土日は二人に職場で会わずに済む。週明け月曜日のことは考えず、とにかく酔ってしまいたかった。
 席を立った後、どうやってカフェを後にしたかは覚えていない。
 なけなしのプライドを総動員して、先に店を出たことだけは確かだ。いちゃつく二人を見送るなんて芸当、明日葉に耐えられるわけがない。
 おそらく『飲まなきゃやってられない』という内なる声に従って、行きつけの居酒屋に入り──今である。
 一人で浴びるように飲んでいるところへ、偶然同僚が一人でやって来て、素早く捕獲した。一人では消化できない気持ちを持て余していたところに、顔見知りが『どうした? 大丈夫か』なんて優しく声をかけてくれたら、捕まえずにはいられないだろう。
「もう本当、あり得なくない? 普通ああいう場に浮気相手連れてくる? いや、私の方が捨てられたんだから、私が浮気相手? 何それ、ウケる」
 勿論、微塵もおかしくなどない。
 ウケる要素はどこにもないし、仮に別の誰かが笑い飛ばしてきたら、グーパンチをお見舞いしたいくらいだ。
 生まれてこのかた、人に暴力など振るったことはないが、とても凶暴な気持ちになっているのは否めない。何せ数時間前に、婚約者に捨てられたばかりである。例えるなら手負いの獣。
 ざっくり傷ついたハートが攻撃性を帯びたところで、責められる謂れはない。むしろこうして絡み酒程度で抑えている自分は称賛されてしかるべきでは。
 絶賛被害者の加藤海斗には申し訳なく思うものの、天災の一種として諦めてもらう。
 ──ああ情緒がめちゃくちゃだ……だってあんな男だとしても、私は本気で好きだったんだもん……
 大輝には失望したけれど、そうそう簡単に恋心を無にはできないのだ。今だって、疼く想いが激しい痛みを伴っていた。
「結婚……したかったなぁ……」
 つい本音が漏れる。
 料理も洗濯も掃除も嫌いではないが、頑張って新しいメニューを開発したり柔軟剤を相手の好みに合わせたり、極力埃を溜めないよう気遣ったのは、喘息の気がある彼のためだ。
 この五年間の努力が丸ごと、無駄になって悲しい。
 大輝は家事を一切手伝ってくれなかったものの『結婚後も共働き』を望んでいたから、仕事だって手を抜いたことはなかった。
 ──だけど結局、選ばれたのは仕事でミスばっかりの結城さん……
 華やかにネイルを施された爪で、家事全般が得意だとは思えない。しかしそう考えた端から、明日葉は緩く頭を振った。
 ──私、嫌な女になっている。爪がどうだろうと料理が上手な子はいるし、個人の自由だよね。仕事に関しても、もう少し彼女が慣れたらミスはなくなるはずだもの……
 嫉妬で思考が歪んでいる。そんな自分が嫌で、再び頭を振った。すると酔いが一層体内に回る。
「……ぅう、気持ち悪い」
「大丈夫か? トイレに連れて行こうか?」
 海斗が明日葉の目の前に水の入ったグラスをさりげなく置いてくれた。氷の浮いた冷水がとても美味しそうに感じられる。
 礼を言う余力もなく呷った水が、火照った身体に染み渡った。
 喉を通過してゆく冷たさは、僅かながら明日葉に冷静さを取り戻させてくれる。
「私、捨てられちゃったなぁ……何が駄目だったんだろう……」
「──本気で結婚したかったのか? 言っちゃなんだが、同じ男の目から見ても、篠塚さんの元婚約者は最悪の部類だと思うぞ」
 ポツリと落とされた呟きに、ふと顔を上げれば、海斗は苦虫を噛み潰したような顔で険のある眼差しをしていた。
 普段温厚な彼にしては珍しい。
 海斗に対し笑顔の印象しかなかった明日葉は、やや意外に思った。だが、自分が知らなかっただけで、案外辛辣な面もある可能性は無きにしも非ず。
 それに彼が同情してくれたことに、気分が若干上向いた。
「加藤さんもそう思う? 悪いのは私だけじゃないよね? 大輝が専業主婦は嫌だって言うから、スキルアップだってしてきたのに……今更、妻には家庭を守ってもらって毎日『いってらっしゃい』と『お帰りなさい』を言ってほしいとか、矛盾していない? って言うか、それが望みなら、できる限り希望に沿ったのに……! いやでも、仕事は面白いから退職は考えられないけど……それに大輝の稼ぎだけじゃ将来不安だし……」
 強かに酔っ払い、言わなくていいことまで暴露しているのは分かっていた。
 それでも口が止まらないから、許してほしい。
 心の中に蟠ったしこりをどうにか吐き出さないと、押し潰されそうなくらい辛くて仕方ない。誰でもいいから胸の内を聞いてほしい。
 でないと、これまで培ってきた自分が粉々に砕けそうだ。
 そして叶うなら、海斗のように静かに耳を傾け、一緒に憤ってくれたら嬉しかった。
「そんなことを言われたのか?」
「しかも私とじゃ安らげないんだって。だから癒してくれる結城さんに目がいったのは、お前の責任でもあるって言われた。だけど私の後輩に手を出すって控えめに言って最低だし、もう笑うしかなくない?」
 ただし笑ったら、目の前のイケメンでも叩き倒したい。
 荒れ狂う心中は、制御不能だ。自分が泣いているのか笑っているのかも定かではない。
 けれど頬を伝う熱い滴は、彼がそっと指先で拭ってくれた。
「──顔、壁側に向けて。拭いてやるから」
 綺麗にアイロンがかけられたハンカチで目元を拭われ、余計に滴が溢れ出す。
 止まらなくなった涙は、海斗がさりげなく人の視線を遮ってくれた。その心遣いに、明日葉は理性を取り戻し始める。
 ただの同僚と偶然居酒屋で顔を合わせただけで、ここまで面倒をかけられた彼が可哀想だという当たり前の同情心が刺激された。どうやらまだ、人の心を完全に失ったわけではないらしい。
「ご、ごめん。加藤さんには関係ないのに、こんな面倒臭いことに巻き込んで……」
「別にいい。むしろ、今夜会えてよかった。でないと篠塚さんは今晩一人で飲んで泣いていたかもしれないし」
 過度に共感を示すのではなく、ぶっきらぼうな優しさが身に沁みた。

おすすめの関連本・電子書籍
電子書籍の閲覧方法をお選びいただけます
ブラウザビューアで読む

ブラウザ上ですぐに電子書籍をお読みいただけます。ビューアアプリのインストールは必要ありません。

  • 【通信環境】オンライン
  • 【アプリ】必要なし

※ページ遷移するごとに通信が発生します。ご利用の端末のご契約内容をご確認ください。 通信状況がよくない環境では、閲覧が困難な場合があります。予めご了承ください。

ビューアアプリ「book-in-the-box」で読む

アプリに電子書籍をダウンロードすれば、いつでもどこでもお読みいただけます。

  • 【通信環境】オフライン OK
  • 【アプリ】必要

※ビューアアプリ「book-in-the-box」はMacOS非対応です。 MacOSをお使いの方は、アプリでの閲覧はできません。 ※閲覧については推奨環境をご確認ください。

「book-in-the-box」ダウンロードサイト
一覧 電子書籍ランキング 一覧

ジャンル・シチュエーション検索

 

ジャンル

キャラ属性

シチュエーション