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お嬢様の恋人②

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書籍紹介

孕ませたいくらい、好きだ……ッ

憧れの上司、宇賀神と身も心も結ばれた珠季。
その幸せに水を差すように、家が決めた縁談話が進むが、
彼の愛は一層燃え上がり――
「おまえが俺の唯一だ。結婚してくれるか」
香港のきらびやかな夜景を前に永遠の愛を告げられ胸がいっぱいに。
優しいキスは情欲を帯び、熱杭で最奥を抉られ甘い痺れが走る。
絶対に諦めない男と初心なお嬢様が掴んだ一生に一度の恋、堂々完結!

ジャンル:
現代
キャラ属性:
上司・先輩
シチュエーション:
オフィス・職場 | 幼馴染・初恋の人 | 甘々・溺愛 | 船上・旅もの
登場人物紹介

宇賀神彬良(うがじんあきら)

星ビルトラストの社員。元・珠季の教育係。自称「諦めの悪い男」。やっとのことで珠季を手に入れ、いよいよ彼女の両親に挨拶に行こうとした矢先……!?

日比野珠季(ひびのたまき)

葉室家のお嬢様を母に持つ。星ビルトラストに勤めている。憧れていた彬良と結ばれ、順調に関係を深めていけると思ったのだが、ある障壁が――。

立ち読み

 娘の彼氏からの「一度ご挨拶に伺いたい」という申し出に、珠季の母親は文字通り飛び上がりながら奇声を上げて大喜びし、「次の日曜の昼食にお招きしましょう!」とノリノリでおもてなし計画を立て始めた。
 前日の土曜日、珠季は母と家政婦と三人で朝からキッチンにこもり、料理や茶菓子の下ごしらえに精を出した。
 塊のバターを麺棒で叩いて薄く伸ばし、練った生地ですっぽり包んで伸ばして折ってまた伸ばす、という作業を何度か繰り返す。作り始めから三時間ほどかかって出来上がったパイ生地を、珠季は丁寧にラップで包んで冷蔵庫へ入れた。
「──よし。あとは明日の朝もう一回伸ばして、中身を詰めて成形して焼く、と」
 この生地で、食後の茶菓子用に小さなパイを焼くつもりだった。市販されている冷凍のパイ生地でも十分なのだが、なんとなく自分で作りたくなり、「恋する乙女ねえ!」と母親に冷やかされながら仕込んだのだ。
「珠季さん、お任せ下さい。明日は一番いいタイミングで焼き上げて、彼氏さんに熱々をお出ししますよ!」
 作業を手伝っていた家政婦が朗らかに声をかけると、珠季は何やら妙に不安げな顔つきでじっと冷蔵庫を見つめていた。どうなすったんです、と問いかけると。
「なんとなく、生地を練りすぎたような気がするの。バターもだれてきていた気がするし、失敗してたらどうしよう……」
「あらあら、大丈夫ですよ。いつも上手にこしらえてらっしゃるじゃないですか」
「でも私、いつもここぞって時に限って失敗するし……」
 宇賀神に失敗作を出すわけには、と本気で悩み始める娘を何やら楽しそうに眺めていた母親が、お茶の用意をしながらコロコロ笑う。
「珠季ちゃんたら、心配性ねえ! 大丈夫よ。愛があれば、ちょっとくらい生焼けでも膨らみが足りなくても、美味しく召し上がって下さるわ」
「そういう問題じゃないの!」
 母のトンデモ理論を即座に否定し、珠季は壁にかけられた時計に目をやった。外出する時間は、まだ十分ある。
「うーん……念のため、ちゃんとプロが作ったお菓子も用意しておこうかなあ……。どこのお店がいいと思う?」
「ケーキ屋さん? 近くのお店でも十分だとは思うけど、最近ママは日本橋のルヴァロワがお気に入りだわ」
「確かにあそこなら、何を買っても外れはないよね。……うん、やっぱりちょっと何か買ってくる!」
 焼き上がりがイマイチだった時のために、一応、念のため、代役を用意しておこう。そう心を決めた珠季はすぐさまエプロンを脱ぎ捨て、苦笑する母を尻目に素早く家から飛び出した。
 地下鉄を乗り継ぎ、目当ての店まで行って帰って一時間少々。明日のための焼き菓子の他、今月の新作生ケーキも買い込んで意気揚々と帰宅すると。
 ドアを開けた途端に感じる、何やら妙な雰囲気。なんだろう、やけに空気が重い。
「ただいま。……どうかしたの?」
 ケーキの箱を持ってまっすぐキッチンへ向かうと、家族用のダイニングテーブルに座り込んだ母が、下を向いて両手で頭を抱えていた。
「何かあったの?」
 珠季がそう声をかけると、のろりと頭をもたげた母は硬い顔つきで娘を見やり、重苦しい溜息をつく。そうしてさも憂鬱そうに口を開いた。
「珠季ちゃん。明日なんだけど……ごめんなさい。宇賀神さんに、日程の変更をお願いしてもらえる?」
「え? なに、どうしたの?」
「……葉室のおじい様とおばあ様から、呼び出しが来ちゃったの」
 葉室のと聞いて珠季は思わず呻き声を上げ、自分も椅子を引いて母の正面に腰を下ろす。
「明日は来客があるからだめだと言っているのに、なんと言っても聞かないのよ。何がなんでも珠季ちゃんを連れてこい、ですって。迎えの車まで寄越すつもりらしいわ」
 なんて勝手な、と珠季は唖然とした。
 葉室家は母の実家ではあるが、だからといって指図される謂れはないし、無条件に従う義理もない。少なくとも珠季の母は、何か言われて易々と従うタイプではない。
 だが、実の娘のそういう気性をよくよく思い知っている祖父母は、遠慮がなくて扱いにくい母ではなく、父を通して要求してきたという。明日は必ず、珠季をこちらに寄越すように、と。
 結婚前から逆玉の輿と言われ続け、嫁の実家との格差をいやというほど自覚している父には、葉室の義両親に正面切って逆らうのは難しい。それを承知でまず父に要求を受け入れさせ、母には半ば事後承諾だったというのだ。一体なぜそんな強引な真似を、と珠季は眉根を寄せて訝る。
「そこまでして呼びつけるなんて、一体何の用なの?」
「それが、何の用件なのかはパパも聞かされてないって言うのよ」
「理由も言わずに呼びつけるなんて……せっかく朝からあんなに色々準備したのに。このケーキだって!」
「もうヤケ食いするしかないわね……」
 二人は顔を見合わせると、同時に深々と溜息をついた。
 誰がどう見てもあり得ない専横ぶりだが、葉室の祖父母は身内に対して自分たちの要求を押しつけることに一切迷いがない。特に葉室本家の当主である祖父は、自分にはそうする権利があるという確固たる信念を持っている。そういう家だと思い知っているから、珠季も母も逆らうだけ無駄だと悟るしかないのだ。
「……とりあえず、宇賀神さんに連絡してくる」
「本当に申し訳ありませんと、くれぐれもよくお詫びしてね。この埋め合わせは近いうちに必ずと、お伝えしてちょうだい」
 がっくり肩を落とした珠季はとぼとぼ自分の部屋に戻ると、ベッドにへたり込みながら宇賀神のスマホをコールする。
『もしもし、珠季? どうした』
 珠季、と呼ぶ声を聞くだけで胸がきゅうんと甘く疼いて、じんわり体温が上がってくる。ああ、宇賀神さん、声も素敵。ときめきまくる心臓をよそに感情は憂鬱で、本当に辛い。
「すみません、今少しお話ししても大丈夫ですか? あの、明日の件なんですが」
『ああ、俺も電話しようと思ってたんだ。手土産買いにデパ地下に来てみたんだけど、和菓子と洋菓子どっちがお好みか訊こうと思って──』
 手土産と聞いてますます胸が痛んだが、どうしようもなかった。まだしも購入する前でよかったと思うしかない。
「それなんですが……実は明日、こちらの都合が悪くなってしまって」
『ん? ──どうした』
「葉室の家から、呼び出しが来てしまって……本当に、申し訳ありません」
 沈んだ声で詫びる珠季に、一瞬沈黙した宇賀神が静かに問いかける。
『いきなり葉室家に呼び出されるって、よくあることなのか?』
「いえ、滅多にありません。しかもここまで急な話なんて、今まで一度も」
『何の用事で呼び出されたのか、訊いてもいいか』
「それが、よくわからないんです。私も直接話したわけではないのですが、とにかく来いと言われてるらしくて」
 そこまで聞いた宇賀神が、電話の向こうでしばし沈黙してから低く呟く。
『……このタイミングでっていうのが、もう嫌な予感しかしないな……』
 珠季も「はい……」と短く返した。あまりに急だし、横暴がすぎる──まるで、こちらの予定を知って妨害しようとしているかのような。
『なあ珠季。それさ、例えばだが、体調不良でドタキャンとかしたらやばそうか?』
「それが……今回は、私でも母でもなく、父を通して言ってきてるんです。父はその、葉室の祖父母に対してちょっと、遠慮があるといいますか……率直に言うと、頭が上がらないといいますか」
『……ああ、なるほどな。なんとなくわかった』
 行くしかないか……と宇賀神も溜息をつく。
「母も、本当に申し訳ありませんと。この埋め合わせは、近いうちに必ず」
『それは全然構わない。こちらはいつでも大丈夫なのでどうかお気になさらずと、ご両親に伝えてくれ』
「すみません。ありがとうございます」
 内心歯噛みするほど悔しいが、それを表に出すほど宇賀神は子供ではない。スマートな大人のフリくらい、ちゃんとできる──だが、やはり嫌な予感がしてならない。
『呼び出しと言っても、丸一日かかるわけじゃないだろう。そっちの用が無事済んだら、顔を見に行ってもいいか?』
「……はい。私も、宇賀神さんに、逢いたいです……」
 宇賀神の言葉に、珠季もほんのり頬を染めて頷いた。好きな人が自分のことを想ってくれているって、なんて幸せなんだろう。
『終わったら携帯鳴らしてくれ。何時でも構わないから』
 気をつけて行けよ、と言われて珠季は何度もこくこくと頷いた。じゃあ明日、と言葉を交わして通話を切ると、スマホを両手に包み込んでベッドにころりと転がる。
 宇賀神がああして、自分を気にかけてくれるのが嬉しい。再会して以来、以前に増して大きく膨らむばかりの恋心が、心臓から溢れて爆発しそう。ついでにこのささやかな胸も、もっと膨らめばいいのに。
 明日は、用事が終わったらその足で宇賀神に逢いに行こう。そうしよう。
 そう心に決めた珠季は翌朝、母と二人で「さっさと終わらせてすぐに帰ろう」と固く決意し、迎えに来た黒塗りの車に乗り込んだのだが──。

 葉室家代々の当主が住まう屋敷は、それは見事な純和風の大邸宅だった。
 港区高輪という、都内屈指の一等地。元々はさる大名家の中屋敷だったという敷地は、ぐるりを高い塀で囲まれて外から内部を窺い知ることはできないが、門を入れば真冬でも常緑樹の緑が溢れる見事な日本庭園となっている。
 そんな中に堂々と鎮座する母屋は、建設会社の本領が遺憾無く発揮された数寄屋造りで、かつては珍重されていたという総栂普請。関東大震災や山の手大空襲の際も運良く生き残ったが、現在ではもはや再現不可能と言われている。
 敷地内にはこの母屋のほか、長男・次男夫妻の住まう現代的な一軒家に加え、当主が引退後に住まう隠居・閑居、それに趣ある本物の茶室をも備えていた。
 その葉室本邸の裏手にある家族用の車寄せへ、ピカピカに磨き込まれた黒塗りの高級車が静かに滑り込む。
「奏様、お帰りなさいませ」
 元・葉室家の末娘である母は、ここへ来る度こうして「お帰りなさいませ」と出迎えられるのが常だった。嫁に出た身だからやめて欲しいと、何度言っても聞き入れられないらしい。
「いらっしゃいませ珠季様。早速ですが、お召し替えをして頂きますのでこちらへ」
 母に続いて車寄せに脚を下ろした珠季は、待機していた年嵩の女中に素っ気なく言われて眉をひそめる。
「お召し替えって……ここで着替えるんですか? 今から?」
「さようでございます。奥にご用意しておりますので」
 誰に会うのかわからないながらも、品のいいワンピースで一応それなりに装ってきたつもりだった。なのにそれでもまだ不足らしい。一体どういうことなのか、更に質問を重ねようとしたが。
「お支度が済みましたら、大奥様からお話がございます。その際にお尋ね下さいまし」
 女中の対応はにべもなく、そのまま母から引き離されて屋敷の奥へと促された。仕方なく黙ってついていくと、たどり着いた座敷は畳と樟脳とお香の香りが混ざり合った古めかしい気配に満ちていて。
 音もなく開かれた襖の奥、朱塗の衣桁にかけられていたのは、碧がかった鮮やかな水色の、なんと振袖だ。え、と思わず声を上げてその場に立ち止まった珠季だったが。
「お急ぎ下さいまし。御前様とお客様がお待ちでございます」
 待ち構えていた数人の女中が、一斉に珠季を取り囲む。こうなればもう、抵抗するだけ無駄だった。わかっているので黙って従うが、無理矢理呼び出された挙句のこの扱いには心底げんなり。
 それにしても振袖とは、一体どれほど大層な客なのか。そういえば昔、外国から日本びいきのお客様がいらっしゃるとかで、薫と二人で派手な振袖を着せられたことがあった。今回ももしかしてそういった類いだろうか。
 女中たちは皆かなりの手練れで、あっという間に髪を上げられ簪を挿されると、迷いのない手つきで素早く着物を着せつけられた。時代がかった金襴の帯も、恐るべき速さでふくら雀に結ばれて。
「よくお似合いでございますよ」
 なんて褒めそやされるが、珠季にはとてもそうは思えない。鏡の中の己の姿を見れば見るほど、明らかに着物に負けている。こういう鮮やかな色合いは、美人が着てこそ映えるのだ──そう、薫のような。
「さ、では皆様お待ちですので」
「待って下さい。おばあ様からお話があると」
「大奥様もあちらでお待ちです」
 事ここに至ってもまだ説明がないことに言いようのない不安を感じるが、女中についていくよりほかない。そうして案内されたのは、表に近い洋間の応接室。
「珠季様をお連れしました」
 中に誰がいるのかもわからず、ドアのところでとりあえず頭を下げた珠季の耳を打ったのは、聞き覚えのある声だった。
「おお、珠季ちゃん! これはまた雅やかな」
 頭を下げた体勢のまま、がちんと固まる。星会長だ。なぜ。
 というか、会長がこの場にいらっしゃるということは、まさか。
「珠季や。こちらへおいでなさい」
 優しげだが有無を言わさぬ祖母の声に、恐る恐る顔を上げると。
 古風な天鵞絨張りの応接セットに腰掛けているのは、いかにもご機嫌な様子の祖父母と、それとは対照的な硬い顔つきで口を引き結んでいる母。そしてテーブルを挟んだ向かい側に、にこにこしながらこちらを見ている星会長と、見知らぬ男性が一人、だけでなく。
 一見愉快そうに、実のところは何を考えているのか全くわからないへらりとした笑みを浮かべているのは──泰雅だ。休日だというのに上等な三つ揃えのスーツで装い、きっちりネクタイを締めている。
 ……まずい、と珠季の背中が瞬時に冷や汗まみれになった。最悪の事態だ、と凍りついたようにその場に立ち尽くすが、すぐに祖母のもとへと追い立てられる。
「お待たせしました。奏の娘で、珠季です。珠季、そちらは泰雅さんのお父様ですよ。ご挨拶なさい」
 唯一見覚えのない男性は、なんと泰雅の父親だという。渋々名乗って再度しっかり頭を下げつつ、珠季は内心頭を抱えた。いっそこのまま倒れて気を失ってしまいたい。
 会長と泰雅だけでも面倒だというのに、なんと三世代揃い踏み。この面子が雁首揃えてやって来て、一体どんな用件なのか。考えたくない、想像するのも恐ろしい。けれど自分のこの格好、そして親同伴。
 これはもう、どう見てもお見合いではないか!
 振袖を出された時点で、察して逃げるべきだったのだ。しかもよくよく見てみれば、あまりに露骨な柄ゆきである。振袖に描かれた琳派調の貝合わせ柄も、帯に織り込まれた番いの鶴も、良縁と夫婦円満を祈念する縁起柄。祖母の並々ならぬ気合いを感じ、珠季は密かに寒気を覚えながらも渋々、祖父母の間に腰を下ろす。
 そこへ不意に、抑揚のない淡々とした声がかかった。
「珠季さんは、お父上似ですかな。奏さんには、あまり似ていらっしゃらないようだ」
 どことなく冷ややかな口調でそう述べたのは、泰雅の父という人だ。神経質そうな細面にシンプルなメタルフレームの眼鏡をかけ、珠季と母を見比べながら物言いたげに目を細めている。
「ええ。この子は主人に似て、おおらかで優しい子ですの」
 こちらもぎょっとするほど冷たい声で返したのは、珠季の母、奏である。
「自由にのびのび育てましたから、星さんのようなお宅には不向きかと思いますわ。会社でお世話になっておりますので、息子さんはご存知ではないでしょうか」
 気のせいだろうか、声だけでなく、泰雅の父を見据える眼差しがやけに険しい。ぴしゃりとはねつけた母に対し、泰雅の父もうっすら冷笑じみた表情を浮かべて言い返す。
「その息子が、父と二人で『是非珠季さんを』と言うものでね。こうして直にお目にかかって、私も理解しましたよ。今時珍しいくらいの、楚々としておとなしやかなご令嬢でいらっしゃる」
「まあ、とんでもない。今は借りてきた猫のようですけれど、案外我の強い娘ですのよ。ご期待には添えないかと思いますわ」
「我々の頃とは違いますから、現代女性ならばそれくらいでちょうどいいのでしょう。それに──その部分は間違いなく、奏さんに似たということですね」
「……ええまあ、そういうことかもしれませんわね」
 何とも刺々しいやりとりである。下手に口を挟む気にもなれず、珠季は半ば呆気に取られて見ていた。いつも陽気であっけらかんとした、むしろ脳天気な母だと思っていたのに。
 不思議なのは、母だけでなく相手の方も、何か思うところがあるのが見え見えだということだ。どうやら知り合いのようだが。
「奏。今日の主役はお前ではない。下がっておれ」
 それまで黙って見ていた祖父が威厳たっぷりに言い放ち、とうとう珠季に目を向ける。
「珠季。そちらの泰雅君と、一緒に働いているそうだな。彼をどう思う?」
 全員の視線が自分に集中するのを感じた珠季は、あまりの居心地の悪さに吐き気がしてくる思いだった。
「……同僚として、よくして頂いて、おります」
 それ以上でも以下でもありません、つまり全く興味ありませんと、言葉を選びつつもはっきり返したつもりだったが。
「なんだ泰雅、まだ何の進展もないのか。お前は一体、毎日会社で何をやっとるんだ」
 横から口を出してきたのが、星会長だ。わざとらしい渋面を浮かべ、呆れた口調で孫に問い質す。すると泰雅も大袈裟に肩を竦めてみせた。
「何をと言われましても。無論、真面目に働いておりますが」
「仕事しか能がないようでは、まだまだだぞ」
「手厳しいお言葉ですが、お祖父様。なにぶん僕は新参の若輩者ですのでね」
 二人のそんなやりとりにぞっとする。これはもう、露骨に珠季を口説けと言っているも同然だ。
 その星会長が、珠季に向かってとうとうはっきり言い放った。
「珠季ちゃんや。どうだ、この孫と一緒になってみんか」
 真っ向からの直球勝負に、凍りついた珠季は膝の上できつく両手を握る。
 一言で返すなら「真っ平ご免」というところだが、馬鹿正直にそれを言っては角が立つ。それ以前に、言い返すどころか、視線を動かすことさえできない。誰か助けて、と思いながら言葉を探しあぐねていると、会長はふっと目元を和らげ、孫に甘い好々爺の眼差しで珠季を眺めた。
「珠季ちゃんがうちに入社して、もう何年だ?」
「……今が六年目、四月からは七年目に入ります」
「うむ。珠季ちゃんが真面目に仕事を頑張ってくれとるのは、儂もよう知っとる。だがな、そろそろいいんじゃないかね」
 会長が何を言いたいのかは、珠季にもわかっている。OLごっこは終わりにして、それなりの相手と結婚し、家庭に入って子供を産め、それが女の幸せだと、そう言いたいのだろう。
 腰掛け呼ばわりされたも同然の珠季にはショックな言葉だが、隣で聞いていた祖母はしたり顔で頷いていた。
「私も前々からそう思っているのです。珠季、泰雅さんほど立派なお相手は、そうそうご縁が頂けるものではありませんよ。嫁入り先が星様のお宅なら、私たちも安心です」
 その言葉にますます顔つきを硬くして黙りこくる珠季へ、会長が優しく言い含めるように言葉を重ねてくる。
「なあ珠季ちゃん。儂らは何も、今すぐ仕事を辞めて家庭に入れと言ってるわけじゃない。ついこの前異動したばかりだし、日比谷ステラタワーの件も頑張って欲しいからの」
 微かに頷いた珠季の方へ身を乗り出した会長が、鋭く力強い眼差しでじっと凝視しながら言い放つ。蛇に睨まれた蛙のように気圧されて、珠季は身じろぐことすらできない。
「プロジェクトの終了と同時に退職して、これと一緒になる。というのはどうだな」
 真っ正面から宣告され、珠季は俯いて膝の上で拳をきつく握りしめていた。見ようによっては恥じらっているようにも見える姿だが、真逆である。
 泰雅さんとなんて、冗談じゃない。第一、自分にはちゃんと、お付き合いしている方がいるのに。
「せっかくのお話ですが、娘には既に、お付き合いしている方がおります」
 娘に代わってきっぱりと宣言したのは、母だった。ご存知でしょう、と祖母を──己の母を、挑戦的に睨みつけるが。
「ただのお付き合いでしょう。この先一体どうなるか、わかったものじゃありませんよ」
「な……っ!」
 あまりの言い草に、珠季も母も危うくその場で逆上しかけた。正式に挨拶に来るはずだったところへ直前に割り込んで邪魔だてしておいて、何をしゃあしゃあと……!
「いいえ。将来を見据えた、真剣なお付き合いと聞き及んでおります。何の問題もないのに、そちらをお断りする理由がありません」
「理由ならあるでしょう。珠季のお相手がどんな方かは知りませんが、泰雅さんは星会長のお孫さんですよ。その上素晴らしい経歴もお持ちでいらっしゃる。これ以上は望むべくもないお相手です」
「どんな方か知りもせずに優劣をつけるなど、どちらに対しても失礼じゃありませんか」
「珠季の将来を考えなさい、奏。泰雅さんのような立派な方と、きちんと結婚を考えた方が、珠季のためです」
「本人の気持ちを無視して相手を宛がうことが、最良の選択だと? 私があれだけ言ったのに、お母様はまだそんなことを!」
「──奏。黙れ。今日の主役はお前ではないと、何度言ったらわかる」
 苛立って声を荒らげかけた母を、祖父が静かに一喝する。そうして、すっと珠季の方へ顔を向けて。
「珠季。泰雅君に、庭を案内してきなさい」
「……おじい様、あの」
「お前の話は後で聞く」
「…………、はい。おじい様」
 有無を言わさぬ口調に威圧感。あれに正面切って逆らうことができる人間を、珠季は見たことがない。
 ちら、と横目で窺うと、微かに苦笑した泰雅が「それでは」とソファから立ち上がっていた。珠季の目の前まで歩いてきて、芝居がかった仕草で手を差し出す。エスコートを申し出たつもりらしいが。
 一目見て、触れられることを思い浮かべただけで珠季の全身が震え上がった。言いようのない不快感と、それを上回る純粋な恐怖。
 顔色が一気に白くなったのを見て、泰雅も珠季の体質のことを思い出したのだろう。すんなり手を引っ込めると、「珠季さん、よろしくお願いします」と一声かけて先にドアの方へ向かう。
 よろけながらもどうにか立ち上がった珠季は、「皆様、失礼します」と作法通り淑やかに腰を折り、廊下へ出て後ろ手にドアを閉めてから。
 ふらりと壁に手を突いて、深々と溜息をついた。

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